私はバイクが好きである。
だから、このようなものの見方しか出来ない人間であることをここに記しておこう。
ある朝テレビを見ていたら、いつも右向きっぽい父権をかざす石原慎太郎氏(当時東京都知事)が出ていて、自分の息子との関係について語っていた。
基本的に子育ての方針は個性を大事にして好きなようにやらせるのだそうだ。しかし時には父親の強権を発動するときもあるのだそうだ。
「息子(石原伸晃・現職国会議員)がね大学のとき、バイトでためたお金で俺に黙ってバイクを買ってきたんだよ、俺はそのとき怒ってね、そんな危険なもの乗るならこの家から出て行けって言って、黙って業者呼んで売ってしまったよ。」
と、誇らしげに語っておられた。
ふむ。
で、当の本人石原伸晃氏は 「いやー、あのときはさすがに参りましたけど、若いときは危ないものって好きじゃないですか、今思えばあんな危ないもの乗らなくて助かりました、いのちびろいしましたよ。」
だって。
人様の家庭の方針を例に出してとやかく言うのはなんですが、オンエアされた媒体なので少しこのことについて話したいと思う。
甘くて優しい家庭だなとも思いますし、厳しい家庭だなとも思う。
今の世の中は何でも自由すぎる。その自由度は時代の変化の必然でもあり、決して全てがマイナスの方向に向かっているというわけではない。
石原伸晃氏が大学生のころといえば1970年ごろ、確かに「バイク=暴走族=危険」という構図が浮かび上がったことだろう。その時勢にバイクに乗ろうとした氏の気持ちは確かに若気の至りだともいえる、今じゃ女の子がバイクに乗ることすら珍しくなくなったが、その時は息子が大変なこと言い出した!不良になる!みたいなもんだ。
そういう時代を経てきて、まぁ30年かかったがバイクに対する悪者なイメージはやっと払拭されて市民権を得たわけだ。
過去に比べると安全意識や運転技術の向上、環境整備により事故率は減っていると思われるし、何より社会的な背景が明らかに平和であり、世の中がフラストレーションを抱えていない。
オートバイ、それはオートで動くバイク、つまり自動自転車という和製英語。本来の英語ではモーターの付いたサイクルでモーターサイクルという。
若者が最初にその自動で動く機械に触れたとき、「ひょっとしたらこれで○○まで行けるかな。」そんな空想から、実際に行ってみたい、行くにはどうしたらいいのだろう、必要なものは?道は?どこを行く、何日でゆく?どんどん、思いは広がる。
そして生まれて初めて若者は、自分が駆る鉄の馬で生まれた家を離れ旅に出るのだ。
私はこれは家庭からの自立の第一歩、社会へ出てゆく一歩だと思っている。
電車や船や飛行機は少し違う、同じ家を離れるにしてもそれは自分が運転しているわけではないから。バイクという乗り物は頼りにできるのは自分、止まることも、とばすことも自由、こけることだってある、帰りたくなったら途中で引き返すことも、より遠くを目指して旅を続けることもできる。
何もない若者が、バイクを手に入れて自分で立てた計画を実行して帰ってくる、たったそれだけのことだけどきっと出発するときの自分とは少しだけ違っている。
私も過去を振りかえればそういう記憶がある。両親は心配した、でも乗ることをとがめることはしなかった。その点には感謝である。(反対されても乗っていたかもしれないけど)
危険な乗り物であることは今だって変わらないし、何年乗っていても「死ぬかも。」って感じることはあります。
でも、乗らなかったら開けなかった世界もあると信じたい。乗っていなければわからない気持ちがあると信じたい。
石原伸晃氏は、乗れなかった。乗りたかったけど。「危険な乗り物」としてその価値を据え置いた。
それは個々人の価値観の差だからなんともいえない。
でも、乗ってみればよかったのに、って言いたい。今乗り続けていなくてもあのとき乗っていたら、すこし今とは違う人生だったかもしれない。若者のその行動に対して父親も少し変わったかもしれない。
私はバイクを基軸にして機械整備の世界に入りました。
バイクに乗らなかったら今の私はここに存在していないでしょう。それが良かったのかどうかはまだわかりません、きっと私が石原慎太郎氏くらいの年になったときに、その答えがわかるのだろう。
人生って、当たり前だけど自分の意志で動いてる。
御覧頂きまことにありがとうございます。
稚拙ながらホームページというものを作ってみたく思いました。どうせこんな挨拶書いても誰も読まないだろうから、それほど気合入らないんですが、なんせまあ、ホームページなんていって自分を世間に晒すのはとっても恥ずかしいことなのだと自覚しながらやってゆきたいところです。
管理者より