ハンプティ・ダンプティ 塀の上 ハンプティ・ダンプティ 落っこちた。 王様の馬全部集めても 王様の兵隊全部集めても ハンプティは元に戻せない。 もう、元に戻せない。 Humpty Dumpty カノンは目覚めた時、何故死んだ筈の自分が肉体を持って蘇り、聖域の双児宮に横たわっているのか、 という疑問より先に、すぐ隣で同じように横たわっている、同じく死んだ筈の双子の兄の姿を見つ け、狂喜した。 起き上がり、その白い頬を撫でる。暖かい。 まだ目を閉じたままのサガは、それでも確かに鼓動を鳴らし、呼吸をしている。 生きている。 兄が、サガが生きている。しかも己のすぐ隣で! 「ああ、兄さん、サガ・・・・!」 感極まってその体を強く抱締めると、腕の中で小さく呻き声が漏れた。気が付いたのだろう、 かすかに身じろいだ。 カノンが腕を解くと、ふるり、とサガの睫が震え、ゆるゆると瞼が上がった。 「・・・・・」 現れた青翠の瞳が、静かに目の前のカノンの姿を映す。その事実にカノンは胸を高鳴らせた。 「サガ・・・・」 早く口を開いて、俺の名前を呼んでくれ。 カノン、と、その声で。 「・・・・・」 カノンの期待も虚しく、しかしサガはパチリ、と瞬きをしただけで何の反応も返さない。 ぼんやりと、その湖のように凪いだ瞳にカノンの姿を映すだけ。 「サガ?」 死から蘇り、目が覚めたばかりで反応が鈍いのか。それとも己が蘇ったと知覚できていないのか。 カノンはそう訝ったが、それにしてはサガの様子は可笑しかった。 瞳を開けているというのに、まるで眠っているかのように反応がない。自分は目覚めてすぐ体を動かし 、声を出したと云うのに。 「兄さん、サガ!」 肩を掴み激しく揺さぶる。長い髪がザラリと波打った。それでもサガはまたパチリ、と瞬きをするだけ で、それ以外の反応を見せない。 「どうしたんだ、何故声を出さないっ!俺の名を呼ばないっ!!」 まさか肉体のみが蘇り、その魂は今だ黄泉の世にあるとでも言うのか! 「・・・・・」 叫んでも、やはりサガの様子は変わらない。カノンは大きく舌打ちをし、サガの体を抱き立ち上が る。 腹立たしいが、医師でも何でもない己が、今のサガの状態を打破できるとは思えなかった。 抱き上げられても何の反応も返さないサガにもう一度舌打ちをすると、カノンは双児宮を後にした。 「・・・・医師が言うには、サガの身体のどこにも異常は見られない、との事です」 「そうですか・・・・」 寝室から出てきたシオンの言葉に、沙織は顔を伏せた。 カノンがサガを腕に抱いて教皇の間にやって来たのは、つい数刻前の事だ。 戦いの中に散っていった聖闘士達の復活に聖域中が喜びに溢れる中、同じく蘇ったばかりのシオンが女 神である沙織に感謝の意を捧げ、今後の聖域の運用について語り合っている最中だった。 どんな手を使ったのか、双児宮から誰にも見咎められる事無くここまでやって来たカノンは、その眼に シオンと沙織を認めるなり、「サガの様子が可笑しい。どうにかしろ」、と言い放った。 女神の前でのその余りの言葉使いをシオンが諌める間もなく、カノンの腕の中に抱かれていたサガの異 変を感じ取り、沙織が即刻医師を呼ぶよう命じたのだ。 そして今、診察を終えた医師の下した結果が、「原因不明。脳を含め、身体には全く異常がない」だっ た。 「それで・・・カノンの様子は?」 「相変わらずサガの枕元から離れません。先程は医師を殺さなかったのが奇跡のように苛立っておりま したが・・・・今は落ち着いておるようです」 診察の結果を聞いた時のカノンの殺気を思い出し、顔を少し顰めたシオンに、沙織はクスリ、と小さく 笑った。 「カノンは、兄が心配で堪らないのでしょう」 笑うような状況ではないのは分かっているが、弟が兄を心配する、その当たり前の行動が、あの兄 弟の過去を知っている者としては、少し嬉しいのもまた、事実だった。 しかし今はそんな事に心を暖めている時ではない。 冥界での戦いを終え、そして亡くなった聖闘士達が蘇った矢先の出来事。沙織にとっては、これで漸く 皆が幸せに暮らせるのではないか、と思っていただけに余計に衝撃を受けた。 そしてその原因がサガだというのも、大きい。 13年に渡る己の所業。サガはその罪の意識に必要以上に苛まれている。 ハーデスとの一件で仮初の生を与えられた折にサガと再会を果たした沙織は、それを敏感に察してい た。 13年間を暗闇の中で生きたサガ。彼だけは例え蘇ったとて、女神である自分に感謝を唱える傍ら、 その罪の意識を離せずいるだろうと。この新たなる生を望みはしないだろうと。 だからこそ余計に沙織は、己の罪を悔いるなら、この生をその罪を償う為に使いなさいと、そう言い 聞かせてでも、サガに生きて欲しかった。 そして出来るのならば、彼に新たなる生に希望を見出して欲しかった。幸せになって欲しかったのだ。 それが自分の我侭に過ぎないとわかっていても。 だがこのサガの症状は予想できなかった。 眠るように、まるで蘇ること事態を拒むような、こんな。 「私が彼に・・・・サガに生を望むのは間違っているのでしょうか?サガにとって、やはり生は苦痛で しかないのでしょうか?」 「女神・・・・」 「いけませんね、つい弱気になってしまいました。カノンはもっと不安でしょうに」 「いえ・・・・」 沙織は重苦しいその感情を振り払うように、敢えてはきはきとした声音でシオンに言うと、寝室の方に 目をやった。 「それで、今後はどのように?」 「医師によると、身体は異常ないが精神に異常があるやもしれぬ、と言うこと。近日中にも、その方面 で優秀な別の医師を捜そうかと」 「その件に関しては、私が請け負います。折角の城戸の名、このような時にこそ使わなければ」 ふふ、と得意そうに笑んだ沙織に、シオンもつられて片頬を上げた。 「有り難いお言葉です。ではそれまで、サガはここで 「その必要はない」 「っ、カノン」 シオンの声を遮ったのは、寝室から出てきたカノン。そしてその腕の中には、ここに来た時と同じよう にサガを抱いていた。 「必要がないとは、どういうことです?」 「その言葉のまま。サガは双児宮にて、俺が診ます」 突然現れたカノンは、驚きに目を見開きながら問うた沙織に辛うじて言葉を改め答える。 そのカノンに今度はシオンが鋭い視線を向けて問う。 「・・・・・その理由は?それなりに筋が通った理由がなければ、此方としても承諾は出来ぬ」 「理由は、サガがここに居るのを嫌がるからだ」 それで十分だろう。 言い放ったカノンは、そのままこの場を後にしようと歩を進める。が、沙織やシオンとしては、そのま まあっさりと返せる筈も無い。 「ちょっとお待ちなさい、カノン、サガが嫌がるとはどういうことです?」 行く手を阻むように目の前に立ったシオンを睨みながらも、カノンは焦ったような沙織の声に口を 開いた。 「サガの小宇宙が、ここに来てから微かに揺らいでいるのです。それに時間が経つほどに、瞬きの回数 が多くなり、眼の奥に動揺が見え隠れしている」 まあどれも、双子の片割れである俺ぐらいしか気付かないような些細な現象ですが・・・・。 そう断って、カノンは言葉を続ける。 「元々サガにとって、この教皇の間に居る事は苦痛でしかないのです、女神。13年間、己を偽って過ご した、この場所は・・・・・」 カノンの言葉に、沙織は思わず息を呑んだ。 確かに、その通りだ。サガにとってこの教皇の間は己の罪そのもの。居るだけで辛いだろうに、その ような場所で休養など出来る筈がない。 シオンも同じ考えに至ったのか、カノンの肩越しに沙織の方に視線を向けた。 「それは・・・・確かに、そうですね。サガにとって、ここより双児宮の方が休まるでしょう。でもカ ノン、貴方にはサガの心がわかるのですか?」 今のサガの状態は、正に眼を開けたまま眠っているに等しい。否、表情や声を出さない分、それより も酷いだろう。 当然、そんなサガの感情など分かる筈もなかった。それどころか、もしや感情を始め、精神自体が壊れ ているのではないか、と思ったほどだ。 「わかる、と言うほどのものでもありませんが。それに先程気付いたのですが、どうやらサガは此方の 声を大体は理解しているようですし」 「っ!本当ですか?」 「ええ」 沙織の驚きの声に、カノンは冷静に肯定を返した。ここに来た時とは正反対の、落ち着ききった態度。 それにシオンが眉を潜めるのと同時に、沙織が嬉しげに手を合わせた。 「さすがカノン、サガの双子の弟ですものね。ではサガの看病は双児宮にて、カノンに任せます。その 方が良さそうですもの。シオン、宜しいですか?」 「・・・・女神がそう仰るのならば、私に否はありませぬ」 「ではそう致しましょう。医師に関しては、後日私の方から双児宮に向かわせます」 にこりと微笑んで言った沙織に、カノンも片頬を上げて答えた。ここに来てから初めて見せた、 笑みと言うにはどこか歪んだそれ。 嫌な笑いだ。シオンはそう感じた。どこか壊れた者のする笑みだ。 「有り難きご配慮、感謝します女神。付きましては 教皇の間に、カノンの声が朗々と響いた。 ピチャン、と、広い浴室に水滴の落ちる音が響く。 「サガ、気持ち良いか?」 己の胸に頭を預けた兄の頬を、カノンは濡れた手でゆっくりと撫でた。湯に浸かっている所為で上気し たその頬は、しっとりと手に心地良い。 サガも心地良く感じているのか、僅かに目を細めてみせる。 それを目に止め、カノンはくつりと笑った。 サガをこの双児宮に引き取る際、女神にはサガの心が読めるような事を言ったが、実際カノンにして も、正確にその感情を解しているわけではない。 しかし13年離れていたとしても、元は同じ女の胎内で同じ遺伝子を二分した身。ある程度のこと、喜怒 哀楽くらいならば、小宇宙を通して知ることができたので、全くの嘘と言うわけでもない。 だがサガが此方の声を把握している、と言ったのは本当だった。 それを知り得た切っ掛けは些細な事だ。 頼りにならぬ医師の診察後、シオンが寝室を出てサガと二人きりになった時。カノンはサガに取り留め となく語りかけた。 そして話題が教皇の間に着くまでに感じた、同じく蘇ったらしい他の黄金聖闘士の小宇宙の事になり 、カノンが憎々しげに呟いた「アイオロス」の名に、サガが激しく反応したからだ。 その音を耳にした途端、サガは眼を閉じ、睫を震わせた。そしてその小宇宙は、その存在を潜めるよう に収縮したのだ。 まるで、再びこの世に生を受けたアイオロスに見つかるまいとするように。 傍から見れば些細な変化でも、目覚めてからのサガの様子から考えると、それは大きな反応だった。 サガは此方の言動を全て知覚している。 今思えば目覚めたばかりの時、俺の声を聞いて瞬きをしたのも、それに反応していたからではないのか 。 では何故。 何故、動かない。 何故、喋らない。 何故、俺の名を呼ばない。 何故、アイオロスの名にだけ、そのように! 「・・・・サガ、アンタは生きたくないのか?」 怒りが頂点に達すると、逆に冷静になる。カノンは、ゆったりとサガに尋ねた。 サガはそれに対し、パチリ、と瞬きをしただけだった。しかしカノンには、それが肯定の返答であると いう事がはっきりと理解できた。 「じゃあ死にたいのか?」 「俺とまた昔のように暮らしてはくれないのか?」 「また自分でその心の臓を突いて死ぬのか?」 「俺を残して再び黄泉に行くのか?」 「サガ」 「アイオロスに、会いたくはないのか?」 パチリ、と、再び瞬いたサガに、カノンは背筋に何ともいえぬ衝撃が走ったのを感じた。 それは最高の快感だった。 サガの眼は、小宇宙は、はっきりとした拒絶を表していた。カノンはそう、理解したのだ。 そしてその日以来、この双児宮にはカノンと、そして沙織が寄越した精神病に精通したその道の権威と やらの医師が1週間に1回訪れるだけになった。 医師に関しては女神である沙織の進めである為、無碍にはできないので、仕方なく通わせているのだ が、それに関してもカノンが「兄の精神に異常があると他の者に誤解されるのは、弟とし忍びない」 と進言した為、他の黄金聖闘士を始めとする聖域の住人に気付かれぬよう、こっそりと訪れる。 だからと言って、サガの状態が改善されたわけではない。 沙織と現教皇であるシオンには定期的にサガの状態報告はしているが、全く変わらない事を告げるだけ で、その度に沙織は沈痛な溜息をつく羽目になった。 カノンに言わせれば、サガは精神を病んでなどいないのだから、回復の仕様が無いのだ。 サガは全てを知った上で、このような状態でいるのだから。 何も喋らず、何も見ず、何もしない。 サガにとって、3度目になる生は辛すぎた。 己の罪と、アイオロスと向き合うことは。 だから、自ら壊れたのだ。そして壊れたモノは、二度と元通りには戻せない。 「兄さん、俺の為だけに生きてくれ。俺の傍でずっと。そうしたら、俺はお前を誰にも会わせやしな いから」 サガの髪を撫でながら、くつくつと喉を引き攣らせ囁いたカノンは、瞬間、双児宮の前に忌々しい小宇 宙が訪れた事を感じて舌打ちをした。 あの男、あれほど言ってやったのに、まだ諦めないのか! 顔を険しくさせるカノンの腕の中、サガもまた小さく瞬いた。小宇宙が揺らいでいる。 カノンはそれを見て、ゆっくりと口角を上げた。 腕を伸ばし、サガの顔を己に向ける。パシャリ、と湯が跳ねる音が浴室に響いた。 「サガ、アイオロスを殺してやろうか?」 END 前編の倍近い長さの後編、やっと書き終えました。 しかも書いた本人も意味がさっぱりわからない内容に・・・・・え?これって結局監禁モノじゃないじ ゃん、みたいな。表記に偽り有です。 まあ結局、ハンプティ・ダンプティは一体カノンかサガかどっちだったんだろう?ってな感じを言いた かったと思いますよ。何で伝聞系。 えっと・・・・もっと精進します!すいませんでした〜! 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