己が肺を患っている、と知った時、沖田は特に恐怖とかいった類の感情を持たなかった。
ただ冷静に、咳き込んだ際掌についた赤い血を眺めていた。
赤い血。労咳に犯されたもの特有の、余りに鮮やかなそれ。
人を斬った時に吹き出る血飛沫とは違うその色に、少し可笑しくなって、しかし喉を震わせた途端に また咳き込む。
労咳は死病だ。しかも血を吐くのは末期の症状で、それは己の体がもう助からぬことを示していた。
己は死ぬのだろう。それもそう遠くはない日に。

「死ぬ」

わたしが。死ぬ。

ぽつりと、声に出すのと同時に脳裏に浮かんだのは、白い美しい顔。

ああ、あの人は己がもうすぐ死ぬのだと知ったら、どんな顔をするのだろう。

ふと思い浮かんだその考えに、この上なく興味がそそられた。
あの綺麗な顔を歪めて、泣き伏すのだろうか?それともどうしようもないその現実に怒るだろうか? それともその両方?もしかしたら縋り付いて死ぬなと喚くかもしれない。置いて逝かれるのが大嫌い な人だから、そのどれもが有り得る気がして、またどれもが当て嵌まらない気がした。
想像するだけで、沖田の背筋に例えようのない快感が走る。
自分が死ぬと伝えた時の、土方の哀しみの様。
それを見ることが、途轍もなく甘美なもののように沖田には感じられた。
だから。
伝えに行こう。何時もの笑みを浮かべて、何時もの調子で襖を開けて。
そうして、仕事の邪魔をされたことに憤る目の前の人に。

「土方さん、わたし、労咳を患ってしまったようです」

にっこりと、笑って告げてやるのだ。

己の事で哀しみに染まるその顔は、きっと喩えようの無いくらいに美しい筈だから。













「死ぬことが、恐くないのか」
そう沖田に聞いたのは、珍しく一人で見舞いに訪れた斎藤だった。
其の日はえらく寒さが身に凍みて、確か医者にこの冬が越せるかどうか分からぬと告げられた日だった 。
恐らく医者にそう宣言された癖に悲壮に暮れもせず、ただ淡々と常と変わらぬ笑いを浮かべながら居た 自分を見て疑問に思ったのだろう。ただその謎を解きたくて尋ねてきた。それは断じて心配などから ではない。
何故なら沖田を剣の腕に関しては好敵手と認めてはいても、その性質、思想や存在の在り方の根本 を嫌いぬいている斎藤だ。例え労咳を患っていようが余命が幾ばくも無かろうが、沖田を気にかける ことなどする筈がなかった。
「恐いですよ。当たり前じゃあないですかぁ」
沖田は己の寝る布団の横に座った斎藤に目を向けることもなく、天井を見ながら笑った。
そうすると喉の奥で何かが引っかかるような感触を覚える。それに対してもう一度口の端を歪めた。 自分の体への嘲りの笑み。
その沖田の笑いをどう取ったのか、斎藤が普段から緩められる事の少ない眉間に皺を寄せた。 この男は沖田の笑みを嫌悪している。
「そうは見えないがな」
「見えなくとも、恐いとは思ってますよぉ・・・・例えば、」
「なんだ」
鋭い刀のような眼を向ける男に、沖田は初めて視線を向けた。
真黒な、底の無い洞穴のような瞳。光が射すことのないその澱みは、凡そ尋常な人間がもつものではな く、その余りの闇の深さ故に、見る者によっては逆に赤子のような無垢さを錯覚させる。 それは沖田の体が病魔に侵されてから、より一層顕著になった。
そして斎藤は沖田という人間の中で、この眼を最も嫌悪していた。その眼の澱みの意味を知っているが 故に。
沖田もそれを承知しているから、あえて斎藤の顔を見ながら口を開いた。

「あの人を置いて逝ってしまうこと、とか」

言ってニタリと、もう一度口の端を歪める。今度は自嘲ではなく、どこか恍惚としたものを含み、吐か れた声も、その内容とは裏腹に多分の狂喜を宿していた。
「ねぇ、とても恐いと思いませんかぁ?斎藤さん」
くくっと喉を震わせるその痩せ細った貌に、斎藤は嫌忌を隠さずに吐き捨てた。
「やはり最低だな、あんたは」
「相変わらず、酷い言い草だなぁ」
「狂人め」
「知ってます」
笑って細めた眼は、一層濃い澱みを擁していた。
己を狂人と自覚している狂人の顔。
それを見て取った斎藤は、大きく息を吸い、吐く。こんな事で一々声を荒立てては、沖田という男と話 すことすら出来ない。
「俺は・・・・あの人が、土方さんが傷つき苦しむのを見るのが堪えられん」
「ええ、そうでしょうとも。わたしも同じです」
それでも怒鳴りつけたいのを押さえ込むかのような声音の斎藤に、沖田も肯きを返す。
「あの人を苦しめる人間は全員、斬ってしまうべきだ」
そう言う沖田は事実、今まで何人もの該当者を斬ってきた。例えそれが今まで同じ釜の飯を食ってきた 人間あろうが関係なく、その非情さ故に、隊内でも恐れられることが多々あった。
しかし。

「ではあんたも斬られるべきじゃあ、ないのか」

言い放った斎藤は、怒りに満ちていた。
恐らく言った本人が一番それを実行したいのだろう。部屋の中だと言うのに腰に下げられたままの 刀に、手が掛かっている。
それでもそれを実行しないのは、私闘を禁ずる法度の存在と、その立案者の為。
自身に対して向けられる殺気に、しかし沖田は動ずることもなく、ただ澱んだ真黒な眼で斎藤を見た。 口は変わらず笑みの形に歪んでいる。
「わたしが?土方さんを苦しめる?可笑しなことを言うなぁ、斎藤さんは」
くつくつと喉を震わせると、肺が引き攣り咳が零れた。口を手で抑える。血は出ていない。
可笑しくて堪らない、といった風に笑って咳き込む目の前の男に、斎藤は怒りが増すのを抑 えられなかった。
今すぐにでも、この眼前の首を飛ばしてやりたい。
「何が可笑しい!事実あんたはその病を使って、土方さんを苦しめているだろうっ」
放たれた斎藤の怒声に、沖田はすぅと目を細め、静かに口を開いた。

「苦しめてるんじゃあない、哀しませているんだ」
「そして、死ぬことで、わたしという存在は、あの人の中で永遠になる」

紡がれた言葉に、斎藤は目を見開いた。無意識に、喉が鳴った。
「どう・・・・違うと言うんだ」
「全然違いますよぉ、第一わたしが土方さんを苦しめたいわけ、ないじゃあないですか。わたしはあの 人を愛してるんだから。でも哀しみは違う。わたしが原因で土方さんが哀しむということは、土方さん の中でそれだけ、沖田総司という人間が大きく存在しているということ。それを見ることは、とて もとても、嬉しいんです」
「・・・・・理解、できん」
「いいえ、斎藤さん。あんたには理解できる筈ですよぉ。ただあんたはそれをしないだけ。 まあでも、死んでしまったらもうあの人の傍で、あの人を苦しませる人間を斬れなくなってしまう から、その点が少し心配だけど・・・・・・」
そう言って沖田はまた、数回咳き込んだ。喋りすぎだろう。こんなに誰かと喋るのは随分久しぶりだ った。
すぅと、息を吸い込んで呼吸を整えた沖田は、それでも再び斎藤に向かって口を開く。
「あの人は死んだ人間を忘れたり出来ない人だ。あの人にとって、近しい人間が死ぬということは、 その人間があの人の中で生き続けるということ。それは時に、あの人にとって生者よりも大きな存 在となる。・・・・・その点では山南さんは、上手くやったかもしれないなぁ」
山南もまた、現世で土方の傍で生きるのではなく、死んで土方の中で永遠に生き続けることを選んだ のだろう。事実山南が死んで数年経った今も、土方の中に山南は大きく存在している。
ただし沖田に言わせれば、山南はやり方を違えた。土方を哀しませるだけでなく、苦しめ抜いて死ん でいった。
その上、切腹という形で、土方自らにその命を絶たせたのだ。
「やっぱり、大津で斬っておくべきだったや」
ぽつりと呟く。
山南を屯所に連れ戻し、その介錯を務めたのは他ならぬ沖田自身だったが、沖田は今でも大津で山南 を斬っておかなかったことを少し、後悔している。
あの場で斬っておけば、土方があれほど苦しむことはなかっただろう。殺したのは土方ではなく、沖田 になるのだから。
「あ、でもそうなったら、わたしが土方さんに嫌われたかもしれないし・・・・あれで良かったかな ぁ?」
そう言って悩む素振りを見せる沖田という人間が、斎藤には恐ろしい存在に思える。
自分とて、土方を苦しめる人間が憎いし、斬ってやりたいと思うことがないではない。実際に斬った ことも何度かある。その点は沖田と同じ穴の狢だ。
しかし、この沖田総司はやはり、自分とは違うのだ。
それは例えば、こうして嘗て仲間だった人間を斬ればよかったと言う所だとか、江戸以来旧知の仲で ある筈の試衛館の人間であったとしても関係なく、土方を傷つけるから斬りたいと、言ったりする 所だったりした。
そしてそう言って、その種の人間を斬る時の沖田は、澱んだ闇色の真黒な眼を細めて、この上なく嬉し そうに笑うのだ。
その返り血の付いた頬を歪めて。事切れた人間の、恐怖に染まった顔を見ながら。
まるでこの行為が、とてつもなく素晴らしい事だと言うかのように。

この男にとって、土方歳三という人間以外は、本当にどうでもいい存在なのだ。

沖田の眼は、そのことをまざまざと知らしめる。それが斎藤が沖田を嫌悪する理由だった。
斎藤にとっても確かに土方は特別だ。この人の為ならば、何だってするだろう。しかしこのようにはな らない。なれない。
沖田のようになると言うことは即ち、狂人になると言うこと。

「 死んで、土方さんの中で、わたしは永遠になる 」

そう呟く沖田は、既に斎藤を見ていなかった。
沖田の言葉は現実になるだろう。そう遠くはない日に。そして斎藤にそれを止めることは出来ない。
斎藤は生き抜く。
沖田総司という人間が、あの人の中で最大の存在になったその傍で。









書いてる途中で何が何だか、訳がわからなくなりました。土方さんが出てこない沖土って何だ。 いや、沖土かすらも怪しい・・・・・沖vs斎→土?
でも黒沖田はやっぱり書いてて楽しいなぁ・・・・と実感。(←するな)
土方が大切故に沖田を嫌いぬいてる斎藤と、土方さん以外どうでもいい沖田。
うちの二人はこんな関係。




△モドル