「あぁ、逝っちまったのかぃ・・・・?」
ぽつり、と喉から滑り出た言葉は、やけに寒々しい病室の中に響くことなく消えた。
掠れきった酷い声。どうにか音になったそれは、まるっきり別人のようだ。
ずくずくと木片が刺さった傷が熱を持って腐っているのが分かる。もう痛みは麻痺しているが、自分の 体だ。動かす事すら叶わずに横たわるだけしかできなくても。
悲しさはない。片腕を喪った時は酷い喪失感に苛まれたものだが、それもない。逆に良く今までもっ てくれたと褒めてやりたいくらいだ。お陰で置いていかずに済んだのだから。約束は守れた。
やけに心が落ち着いていた。柄ではないが、悟りを開いた人間とはこのようなのだろうか。
「・・・・もう、この世にはいないんだねぇ」
もう一度、声が零れた。ひゅいと喉が鳴る。
白い顔を思い浮かべる。知らせを聞いた時、不思議と涙は出なかった。そしてそれは今もだ。本人が聞 いたら薄情だと、怒られるだろうか。
もう、絶対にありえないことだけれど。
目を動かして、枕元に置かれた盆を見る。伏せられた湯呑と急須、それに白い紙に包まれた薬が目に入 った。数刻前に榎本さんが置いて行った、それ。
ふと、目元が緩む。こんな時に笑う自分は可笑しいのだろうか。
でも、それでも。
「あんたぁ、寂しがり屋だからなぁ・・・・」
俺が、傍に居てやらないと。だってこの北の地で、傍に居てやれるのは自分くらいなのだから。 江戸の頃からの皆、あの人を置いて、あの人より先に逝ってしまったから。
これだけは例え、守衛新撰組の連中にだって譲れない。
悲しませたく、ないのだ。
あの人が、それこそ連中を我が子の様に思っていたのを知っているから。その愛情の大きさに少し、妬 けたけど。
それでも自分には、自分にしかできないことがある。それが何だか誇らしい。
だから、ねぇ?だから。

歳さん。
もうすぐ傍に逝くから、拗ねないでもうちょっと待っててくんな。
本当に、すぐだから。

「銀君、ちょいと来てくんねえかぇ?」
今度の声は、はっきりと病室に響いた。













「俺、死んだら歳さんと一緒になりたいなぁ」
「はぁ?」
情事の後に床の中で布団にくるまりながら、不意にそんな事を思った。思ったから口に出してみると、 腕の中の愛しい人は思いっきり眉を顰めて此方を向いた。
「何言ってんだ、おめぇ?」
怪訝そうな声に溜息ひとつ。呆れてます、と如実に顔に書いてある。実に分かりやすいその反応。 ああちょいと傷ついちまったよ?でも愛しいその体をぎゅっと抱きしめ直す。
「だからさ、死んだら・・・・って、ああ、今も一緒に居るからこれは違うね。間違った。死んでも 一緒になりたい、だ。うん。死んでも歳さんと一緒になりたいなぁ・・・・駄目かぇ?」
「死んでもって・・・・死んだら一緒も何もないだろうが。死んでんだし」
実にハッキリした意見。風流を好む癖に、こういう所は嫌になるほど現実主義だ。
でも、それでも。
「ううん、そりゃあそうなんだけどさ、言うじゃないかぇ?あの世で一緒になる、とか、来世でも一緒 になれる、とか」
「なんだそれ・・・・お前、そんなの信じてんのか?宗教なんざ、全く信じてない癖に」
言い募った言葉に、もう一度溜息ひとつ。確かに自分は信仰心に溢れるわけじゃないけれども。と言 うか、全く信じてもいないけれども。
「それとは別さね。もっと単純に・・・・・そう、一緒の墓石に入る、とか」
なんだか死んでも一緒、って気がしねぇかい?
にっこり笑って告げてみると、真っ赤に熟れたユスラウメのように美味しそうな唇から三度目の溜息。
「それこそ何言ってんだ。俺とお前が一緒の墓石に入れる訳がねぇだろ。俺は一介の百姓で、お前は伊 庭の跡取だぞ」
確かに跡を継ぐ気は全く無いけれど、自分は伊庭の家の者だ。この人が幾らお大尽の家の出だからって 、百姓には代わりがないということも良く分かっている。誰が見ても明らかな身分の差。
「でも・・・・歳さんは、武士に、なるんだろう?」
「っ!」
只でさえ大きな目を更に大きく見開いた、その顔を覗き込む。不意を突かれて固まったその唇に、自分 のそれを落とす。ああ、やっぱり美味しいや。ユスラウメなんて目じゃないくらい。
「っ、伊庭!」
次の瞬間、耳まで真っ赤にさせて声を上げる。今度はその頬に唇を落とす。柔らかい。
「あれ、違ったかぇ?」
「〜っ、違わねぇよっっ!!」
吐き捨てるように言ったその肯定に、思わず顔が綻ぶ。
武士になるというこの人の夢。初めて聞いた時は呆気に取られたけれど、同時になんて歳さんらしい んだ、とも思った。
確かに今では御家人株さえ手に入れれば、例え町人だろうが武士という身分は手に入る。けれどこの 人の望む武士が、そういうものの事ではないのは明白だ。
武士らしい武士になる。それがこの人の夢。
「だったら身分なんて関係ないさね。歳さんも一緒なんだから」
「・・・・・」
「それに、死ぬんだったらきっと戦でだ」
この二百年以上続く太平の世が、異国の介入によって揺らぎだしているのは明白で。そうなれば幕臣 の身である自分はきっと戦いに借り出されるだろう。それがどんな形でなのか、何時になるのかは分か らないけれど。
でもその時にはきっと。
「歳さんも一緒の戦場にいるだろ?」
再びにっこり笑って告げてみる。今度は溜息はない。
「・・・・・ああ」
微笑んだその唇に、深く口付ける。舌を絡めて離したそこから、つぅと透明の糸が引かれた。一層赤く 熟れた唇がとても綺麗で。
「ぁは・・・・・、でも、よ。その時にお前が傍に居るかは分かんねぇぞ?」
おや、お次はそうきたかぃ。 開放された口から、ふふっと魅惑的な笑みが零れる。それに思わず引き寄せられながらも、その意地悪 な問い掛けに此方も口角を吊り上げた。
「それこそ関係ないさね。だって俺が、歳さんを放っとくわけないだろう?」
絶対に傍に行くよ。歳さんがどこにいても。
有言実行、それに加えて自分で言うのもなんだけど、己の自身に対する執着度を身をもって知っている 目の前の麗人は、再び眉を顰めた。でも今度はその頬が薄紅色に染まっている。ああ、本当に実に分か りやすいその反応。なんて可愛いんだろう、この人は。
堪らず抱締める腕に力が入る。首筋に顔を埋めると、ふわりと甘い匂いがした。香なんかじゃない、こ の人自身の匂い。
「だってそれに歳さんはさ、誰かが傍にいなきゃ拗ねちまうだろ?なんたって歳さんは寂しがり屋だ からねぇ」
顔を上げて耳元で囁くと、息を呑む音がした。瞬時にその耳が真っ赤になる。
「・・・っ!だ、誰が寂しがり屋だ!!おらぁガキじゃねぇぞっ!」
暴れたいのだろうけれど、此方が強く抱締めているからそれも叶わずに。悔しそうに唸るその様に、 思わずくくっと笑いが漏れる。
「何笑ってやがる!」
「あはは、ごめんごめん。悪かったよ、歳さん」
「煩せぇ!」
ぷい、と頬を膨らませて横を向く。その動作も可愛いけれど、本格的に機嫌を損ね始めたようなので 笑いを殺す。このまま帰るだなんて言い出されたら堪らない。
「怒らないでくんな・・・・・うん、歳さんは寂しくないよ」
だってこの人の周りには、常にこの人を慕う連中が大勢居る。寂しがり屋のこの人が、拗ねる暇なん てないくらいに。
「俺が寂しいんだ、歳さんの傍に居ないと」
「伊庭・・・・・」
「だからさ、死んでも歳さんと一緒が良い」
駄目かぇ?首を傾げて問うと、仕方が無いって風に目を細めて微笑んだ。その顔に思わず見とれる。
「だったら・・・・・絶対に傍にいろよ?」
「当然さね」
「じゃないと俺はもてるから、見張っとかねぇと、他の奴と一緒になっちまうぞ?」
「誰が譲るかってんだ。そんなことさせねぇよ」
「先に死ぬのも無しだ。俺は追いかけない」
「分かってる・・・・置いていくのは、こっちも嫌だしねぇ」
置いていかれるのが大嫌いなあんたを、悲しませることはしないよ。絶対に後に逝く。嘘はつかない。 約束だ。
だから。







死んでも傍らに。









伊庭土の最大萌えポイントは、隣に(つか一緒に)埋葬されてるとこだと思う。




△モドル