せかいがこわれるおとをきいた






の音






「土方先生」
黒い軍服に包まれた後姿に声をかける。振り返り此方を見たその元へ、半ば駆け足で近付いた。
「安富か」
「弁天台場へ、向かわれるんでしょう。お供します」
融けてしまった蝦夷の雪。それに合わせて進軍してきた薩長ら新政府軍が、もうすぐ傍まで迫ってき ている。
そして遂にそれは、「弁天台場が敵兵に囲まれ孤立」という報で表れた。弁天台場には新撰組がい る。仲間が、いる。
「・・・・・良いのか」
「どこであろうと貴方に附いて行くと、決めています」
先生にも止める権利はありませんよ。そう言った己に、目の前の白い顔が微笑する。
この地へ来て益々白くなったように思うその顔が、今は青みを帯びてさえいるように見えるのは、決し て自分だけではないだろう。
そしてその微笑が、今にも消えてしまいそうに儚いと感じるのも。
「・・・・・どこまでも、お供しますよ」
「安富?」
「いえ、何でもありません。行きましょう、大野さん達も待っています」
「全くお前らは・・・・命知らずばっかりだ」
まるで聞き分けのない我が子を、しょうがない奴らだと見るように苦笑する。会津以降、よく見せるよ うになったその表情に、この人を慈母だと言ったのは誰だったか。

「当たり前でしょう。・・・・・私達は、新撰組隊士ですから」

口元が自然と綻んだ。
それが自分たちの誇りであり、貴方と共に戦ってきた証。










パーン、と。
怒号と喧騒が支配するこの空間で何故かはっきりと響いたその音に、馬上で刀を振りかざしていた手を 止める。
振り返ったその先で、ゆっくりと馬上から崩れ落ちていく姿に。
赤い赤い軌跡を描いて、静かに落ちていく、その黒に。
           っっっ!!!!」
自分が叫んだ筈の声も、周り音も消えた。
一切の無音の世界に、どさりと、ただその体が地面に倒れる音だけが聞こえる。
馬を翻す。あの人の元へ。
「せんせいっ、土方先生っっ!!!」
仲間が傍らに跪き、その体を抱き起こした。馬を捨て、その隣に駆け寄る。
「 副、長? 」
その赤はなんですか?
黒い軍服からどくどくと、溢れ出てくる、その赤は。
「安富さん!土方先生がっ、腹、血が!」
只でさえ青白い顔が、ますます青くなっていまいますよ。
「早く止血しねぇと!!」
だって、その赤は。

「 さ、わ ・・・・・ やすとみ 」

「土方先生っっ!!」
「・・・忠助、なんてぇ顔してやがるんだ」
「だって先生っ、喋らねぇでくだせぇ!止血して、今から五稜郭に戻って治療をっ」
「もう駄目だ、腹ぁ打たれたんだ・・・・・・置いていけ、邪魔になる」
「駄目じゃねぇっ!!五稜郭に戻りゃあ高松先生が治してくれまさぁっ!」
「忠助・・・・・ああ、安富」

「 お前まで、何泣いてやがる 」

「 え? 」
す、と伸ばされた白い手が、頬を撫でた。濡れた感触。
ああ、己は泣いているのか。それすらも気付かなかった。
「ふくちょう」
ふわりと、微笑んだ、白い顔。黒い軍服。赤い、血。
頬を撫でた手が落ちる。掴もうとしたが、届かずに。
顔は微笑みのまま。


「 ひじかたふくちょう 」


どこかで、世界が壊れる音がした。










「安富さん」
振り返ると、血と硝煙に汚れたままの同僚の姿があった。今は一時的に休戦中だが、ここの誰にも身 を清める暇などない。その目元は「あの日」から数日経った今も腫れていた。
「立川さん」
「呼んだと、聞きましたが」
硬い声だった。しかし己も同じような声をしているのだろう。
「少し、頼みたい事があって・・・・・これを」
先程書き終えたばかりの手紙を差し出す。
「副長の・・・・・土方先生の御実家に届けていただきたい」
「・・・・私が、ですか」
「立川さんにしか、頼めない」
事実、緊迫したこの五稜郭内においてこのような事を頼めるのは同じ新撰組の、限られた者しかいなか った。彼は少し躊躇うように目を閉じた後、目を開き頷く。手紙を受け取った。
「御願いします」
「確かに、受け取りました・・・・・・・・安富さん」
「・・・・・はい」
「死ぬ、つもりですか」
訪ねられた筈なのに、しかし彼のその言葉には疑問符はついていなかった。ただ、確認しただけのよう に。
「・・・・・・・」
「・・・安富さん、私は死ぬつもりでした。あの日、あの人が死んだと聞いた時に。だが生き残ってし まった」
「立川さん、それは」
「安心してください、もう今は死にませんよ・・・・この手紙を頼まれたことですし。でもあなたは 死ぬつもりでしょう」
此方の目をまっすぐに見る。自分の目元も、彼のように腫れているのだろうか。

         私はね、あの日、世界が壊れたんです」

あの時と同じように、口元が綻んだような気がした。しかし実際には少しも表情は動いていない。 あの日から、己の顔は表情を作る事を止めてしまった。
「・・・・世界が、壊れた?」
「ええ、そうです。もう私が生きる世界はない」
あの人を失い、世界は壊れた。
自分にとっての世界は、五年前の京の地以来、ずっとあの人だった。
誠の旗の下、あの人の傍で戦い続けること。それが全てだったのだ。
「自分で死ぬことはしません。今死ねば、あの傍にいる薩長連中から逃げる事になる。敵前逃亡は 隊規違反ですからね・・・・・私は、戦って、」

そして死にます。

あの人が聞いたら、怒られるだろうか。しかしそれであの人に会えるなら。
またあのしょうがない、とでも言いそうな顔で。笑いかけてくれるのなら。


「手紙、御願いします」


どこまででも、貴方の傍に。









実際に安富さんが亡くなったのは、明治3年以降。 皮肉にも手紙を立川さんに託した翌日に五稜郭は降伏してしまい、その後明治3年に釈放されて ほどなくして東京で死亡したと言われている。高台寺党の残党、阿部十郎に殺害された説が有力。
つか土方さん追悼話がすっかり安富さん話になってしまったような・・・・。




△モドル