貴方が生まれたこの日に大いなる感謝を













久しぶりに一日真面目に稽古を終え、井戸端で汗を拭おうとやって来ると何やら縁側が騒がしい。 見ると、母や叔母、義妹ら女連中が一緒になってきゃらきゃらと楽しそうに言い合っている。
一体何があるのか伊庭がとひょいと顔を覗かせると、そこには沢山の花の姿。
「おっ、花菖蒲かぇ?」
「ええ、八郎さん。明日は端午の節句ですからね」
わざわざ堀切から売りにいらしたのよ。と笑う母は、一体花売りの男にどれだけ注文したのか。それは 母の前に座っている花売りの上機嫌っぷりから察しがつく。よほどこの花菖蒲が気に入ったのだろう。
確かに江東の葛西領堀切村の花菖蒲園は有名で、そこの花菖蒲と言うだけあって、なるほど、目の 前の花々は素晴らしかった。普段そんなに花を愛でることをしない伊庭の目にも明らかなほどに。
「へぇ〜、流石に見事だねぇ」
「あら、でしたらお兄様も何本か頂いたらどう?」
いかにも花が似合いそうな美貌を持つこの男が、その外見を裏切って花より団子を地でいっている事を 知っている義妹の礼子が、立ったまま花菖蒲を眺める義兄の姿に 「珍しいわね」 と笑いながら、少し 寄って座る場所を作る。
伊庭は礼を言ってそこに座ると、改めて目の前に広げられた花菖蒲を眺めた。
「本当に俺も貰ってもいいのかい?」
「ええ勿論。八郎さんが気に入ったのを頼みなさいな」
「じゃあ遠慮なく・・・・・」
そう言って伊庭が手に取ったのは、一本の花菖蒲。白地底薄紅ぼかしのそれ。
「じゃあこれ、貰おうかねぇ」
「えっ、そ、そいつですか?」
そう言った伊庭に、慌てたのは花売りだ。伊庭が選んだものを見て、すぐに他のものを差し出す。
「旦那、そんなんじゃなくてもこっちの万代の波≠竍泉川≠フ方が絶対お勧めですよ!人気があり ますし・・・・」
「何より高いって?」
「ち、違いますって!別にそんなつもりじゃなくて只こっちの方が・・・」
「分かってるって、冗談だよ。まぁでもさ、俺はこれが良いんだ。なぁ、これは名前なんてんだぇ ?」
「・・・・・それの名は、」
ニコニコ笑いながら図星を突いて、すっかり花売りの顔を白くさせた伊庭は、呟かれたそれを聞いてに っこりと微笑んだ。 それこそその場にいる全員が、思わず見惚れてしまうほどの笑みで。
「そうかい。じゃあこれを束でくれねぇかぇ?・・・・これくらいの、ね」
次の瞬間、花売りは再び上機嫌になった。





「おい、伊庭どこに行くってんだよ!」
昼過ぎに試衛館にやって来たと思ったら、「歳さんに上げたいものがあるんだ」と言って自分を外に 連れ出した伊庭に、土方は声を上げた。
伊庭が土産として持ってきた柏餅・・・・・実際は土方に関しては敵となる沖田や他の食客連中の注 意を反らす為に伊庭が用意したもの、だが・・・・・を食べれなかった為、少し機嫌が悪いのだ。
土方が甘党だと知っている伊庭は、自分より九つも上の癖に、柏餅一つで子供のように頬を膨らませて ぶすくれるこの美人を見て、思わず笑みを零す。見ている方が照れてしまいそうな程、甘く蕩けきっ た顔だ。
しかしそんな伊庭の笑みなど見慣れている土方は、なんだよ!とばかりに睨みつける。何せ自分と一緒 にいるときの伊庭は何時もそんな表情をしているのだ。今更照れるも何もあったもんではない。
伊庭も伊庭で、上目使いで睨みつけてくる土方を怖いなどと露ほども思っていない、それどころか 可愛らしいとさえ思っているのだからどちらもどっちである。
「もうすぐ着くさね。あの角を曲がったら・・・・・ああ、ほらここだよ」
「ああ?どこだっ・・・・・て」
にこりと笑って伊庭が指差した建物を見て、土方は言葉を失った。
何せそこは、お大尽と呼ばれるほどの豪農の家に育った土方でさえも、敷居を跨ぐなんざ夢のまた夢、 一回生まれ変わって出直しといで、と言って良いほどの高級料亭だったからである。しかも現在は しがない貧乏道場の食客の一人でしかない身としては、はっきりきっぱり場違い甚だしい。
口や思考と一緒に足も止めてしまった土方の手を引いて、伊庭はあっさりとその門を潜る。
「昨日言っておいた伊庭だけど・・・・・」
「いらっしゃいませ、ようこそ御出で下さいました。伊庭様でございますね?どうぞ此方に」
当然のように女将が出てきて案内をする。気がついたときには、土方はその料亭の離れの一室の前にい た。
「・・・・・・あれ?」
「歳さん、この中に上げたいもんがあるんだ。開けてみてくれるかぇ?」
「え?あ、うん」
何が何だかわからないが、伊庭に促されて半ば反射的に襖に手を掛け、引く。
「・・・・・・え?」
そこには一面の、白と薄紅色の花。
ふわり、と摘みたての瑞々しい香りが部屋中に漂う。その光景を見て土方は再び、今度は違う驚きで 一瞬言葉を失った。
「花、・・・・菖蒲?」
「うん、そう。どうだい?気に入ってくれた?」
歳さんはさ、俺と違って花とか好きだからねぇ。という伊庭の呟きが、耳に入る。
「なんで・・・・・」
「なんでって、今日は歳さんの生まれた日だろう?五月五日の端午の節句、違うかぇ?」
「・・・・違わない」
よかった。と微笑んで、伊庭は土方の手を引いて部屋に入った。そうすると一層花の香りが強くなる 。比喩でもなくなんでもなく、正に花に囲まれた状態だ。
「この花菖蒲さぁ、名前が五月晴≠チて言うんだってよ。まあ名前聞いたのは選んだ後だったんだけ ど・・・・・・歳さんの生まれた日にぴったりだろう?」
そう言って伊庭が差し出した一輪の花菖蒲を受け取る。白い花弁に薄紅色のぼかしが美しい。
「五月晴・・・」
花を見つめる土方に、伊庭は満足そうな笑顔を浮かべる。
「やっぱり思った通りさね。歳さんには紫や真っ白いのより、こっちの方が似合う」
花売りが勧めたものもそれは綺麗で素晴らしかったけれど、伊庭は一目でこれを選んだ。
「白に薄紅なんて、歳さんにそっくりだもんなぁ」
自分だけが知っている、腕の中でいる時の肌の色に。本物はもっともっと美しいのだけど。
「なんだって?」
「いんや、何でもないさね。なあ歳さん、喜んでくれるかぇ?」
そう言って顔を覗き込んだ伊庭から土方はぷい、と顔を背けて顔を顰める。
「馬鹿野郎、こんな事で・・・・金掛けすぎだ」
全くこれだからお坊ちゃんは・・・・とぶつぶつ零すのを見て、伊庭は一瞬目を丸くしてから ふにゃ、と顔を崩した。文句を言う、その耳が赤くなっているから。
「ねぇ歳さん、この後風呂に入らねぇかい?この料亭は風呂があってさ、結構広いんだけど、今日は 特別に菖蒲湯にしてもらってんだ」
「おま、またそんな無駄に金を・・・!」
がばっっと此方に向き直って文句を言う土方を、伊庭はにこにこと笑いながら抱き締める。
「いいからいいから。それから風呂から上がったら、柏餅食べよっか?」
美味しいの用意してるから。と言えば、腕の中からぼそりと土方が呟く。
「・・・・・粽もつけろ」
それなら、風呂に付き合ってやってもいい。
「承知いたしました」









少女漫画的演出。伊庭だからこそ許される。




△モドル