SAND STALKER

Sdh232M / Sdh222F
ホバー式軽装甲車サンドストーカー

イ)HJ83/4 (作)HJ83/4(Kow)

 第二次惑星間紛争の末期、大量に生産され各戦線で使用されたホバー式軽装甲車。戦後は余剰兵器として発展途上国へ支給されたり、スクラップにされた物も多いが、戦後のどさくさに紛れて多数がブラックマーケットに流れ、傭兵軍にわたった。性能は比較的凡庸であったが、取扱い、メンテナンスが容易で、どんな悪条件のもとでも確実に行動することができ、戦場の兵士達からは愛された。2882年、地球で再編成された傭兵軍機械化部隊の編成表には多数のSdh232とSdh222の記載があった。
 傭兵軍の機械化部隊とシュトラール軍の機械化部隊とが最初に交戦した場所はオーストラリアの砂漠地帯であった。そして、Sdh232とSdh222は、第二次対戦中、北アフリカの砂漠で英国のS.A.S.(スペシャル・エア・サービス:砂漠挺進隊)部隊の好んで用いた戦術を模倣し、大きく砂漠を迂回してはシュトラール軍の後方地区に奇襲をかけたため、傭兵、シュトラール両軍からサンドストーカー(砂漠の密猟者)と呼ばれた。上記のように戦争初期には奇襲戦術で勇名を馳せたサンドストーカーだったが、戦争も中期になるとその武装の貧弱さ、(オリジナルは2.3cm機関砲を搭載)から第一線を退かざるを得なくなっていた。しかし、2884年8月、傭兵軍豪州陸軍工廠では、サンドストーカーの機関砲を4cm中間赤外線レーザーpgr.40に換装し、第一線への復帰を図った。

 2884年9月、武装強化型のサンドストーカー98輛は、シュトラール軍に対し、大攻撃作戦を試みることになった。しかし結果は、そのころ戦場に現れるようになったシュトラール国防軍の新兵器P.K.A.に迎撃され、大損害をうけてしまった。以後サンドストーカーは再び第一線から退き、主に後方地区のパトロールなどの任に就くことになった。
 なお、Sdh232はサンドストーカー(M)つまりMale(雄)、Sdh222はサンドストーカー(F)Female(雌)と呼ばれ、区別されている。

(HOBBY JAPAN 別冊より)

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Original Text by Hiroshi Ichimura & Kow Yokoyama.