世説新語
南朝・宋 劉義慶 撰
梁 劉孝標 注
中国 徐震堮 校箋
底本 『世説新語校箋』(徐震堮 中華書局)
賢媛第十九
18
本文
えちぜん注
周浚作安東時,行獵,値暴雨,過汝南李氏。李氏富足,而男子不在。有女名絡秀,聞外有貴人,與一婢於內宰豬羊,作數十人飮食,事事精辦,不聞有人聲。密覘之,獨見一女子,狀貌非常,浚因求爲妾。父兄不許。絡秀曰:「門戶殄瘁,何惜一女?若連姻貴族,將來或大益。」父兄從之。〔劉注一〕遂生伯仁兄弟。絡秀語伯仁等:「我所以屈節爲汝家作妾,門戶計耳。〔劉注二〕汝若不與吾家作親親者,吾亦不惜餘年!」伯仁等悉從命。由此李氏在世,得方幅齒遇。〔校箋二〕
〔劉注一〕八王故事曰:「浚字開林,汝南安城人。〔校箋一〕少有才名。太康初,平吴,自御史中丞出爲揚州刺史。元康初,加安東將軍。」
〔劉注二〕按周氏譜,浚取同郡李伯宗女,此云爲妾,妄耳。
〔校箋一〕汝南安城人 −− 晉書周浚傳作「汝南安成人」,是。案晉書地理志上豫州汝南郡下亦作「安成」。
〔校箋二〕得方幅齒遇 −− 案「方幅」二字乃爾時口語。巧藝一〇注引語林,亦有「祥後客來,方幅會戲」之語。南史臨汝侯坦之傳:「帝夜遣內左右密賂文季,文季不受。帝大怒。坦之曰:『官若詔敕出賜,令舍人主書送往,文季寧敢不受。政以事不方幅,故仰遣耳。』」合觀諸條,其意自見。蓋方幅本意指形體方整,引申爲正大,正當、公然諸義。此處「方幅齒遇」,猶今言正當待遇。
周浚(1)が安東将軍となった時、猟に出かけて、暴雨に遭い、汝南郡の李氏の家に立ち寄った。李氏は裕福であったが、男子がいなかった。絡秀(2)という名の娘がおり、外に貴人がいると聞いて、一人の下女と一緒に台所で豚や羊の肉をさばいて、数十人分の食事を作った。すべてがきっちりとこなされているにもかかわらず、人の声一つ聞こえなかった。こっそりとのぞき見ると、ただ一人の娘が見えただけであった。姿かたちがすばらしかったので、周浚は妾にしたいと求めたが、家長はそれを許さなかった。絡秀は次のように言った。「家が衰えようとする時に、どうして一人の女を惜しむのですか?もし貴族と結婚すれば、将来大きな利益を得るでしょう。」家長は彼女の言い分に従った。〔劉注一〕こうして伯仁(周顗の字)(3)とその兄弟を生んだ。絡秀は伯仁たちに言った。「私が節義を曲げてあなた達の家(周家)の妾となりましたのも、我が李家のことを考えただけなのです。〔劉注二〕あなた達がもし我が李家と親しくしないのなら、私の余命など惜しくはありません!」伯仁達はみな命に従った。これによって李氏は世間にあってまともな待遇を受けることができた。〔校箋二〕
〔劉注一〕『八王故事』に次のようにある。「周浚は字を開林といい、汝南郡安城県の人である。〔校箋一〕幼い頃から才能があると評判であった。太康年間(280〜289)の初めに、呉を平定し、御史中丞から揚州刺史となった。元康年間(291〜299)の初め、安東将軍の職を加えた。」
〔劉注二〕次のように考える。『周氏譜』に「周浚は同郡の李伯宗の娘を娶った。」とある。ここで妾にしたというのは、でたらめである。
〔校箋一〕汝南安城人 −− 『晋書』周浚伝に「汝南安成人」とあり、これが正しい。なぜなら『晋書』地理志上の豫州汝南郡についての記述に「安成」とあるからである。
〔校箋二〕得方幅齒遇 −− 「方幅」の二字は当時の口語であると考えられる。『巧藝』一〇の注に『語林』を引用して、「祥後客來,方幅會戲」の語がある。『南史』臨汝侯坦之伝(4)に次のようにある。「帝夜遣內左右密賂文季,文季不受。帝大怒。坦之曰:『官若詔敕出賜,令舍人主書送往,文季寧敢不受。政以事不方幅,故仰遣耳。』」それぞれ突き合わせて見れば、その意味は自ずから分かる。おそらく方幅の本来の意味は、振る舞いがきちんとしているということを指していたが、意味が拡大して、正大(言行が正々堂々立派なこと)・正当(まともな)・公然(おおっぴらではばからないこと)などの意味になった。この箇所の「方幅齒遇」は、現在の言葉ではまともな待遇ということである。
(1)周浚の伝は、『晋書』列伝第三十一にある。
(2)絡秀は、周浚の妻(もしくは妾)の字。伝が『晋書』列伝第六十六列女伝の周顗母李氏伝にある。
(3)周顗は字を伯仁という。周浚と絡秀の間の子。伝が『晋書』列伝第三十九にある。
(4)『南史』列伝第三十一。蕭坦之は字を君平という。南朝斉の人。
<更新履歴>
2005.12.27:第一版。