
旅の想い出・おとなの遠足
<2023年7月度行事>
7/16雨模様で1週間遅れのクラブラン。集合地の大阪メトロ・鶴見緑地駅には伊藤元、今泉、
岩井、小亀、萩原、福元、前田、丸谷、森田、横田サンとゲストの末廣サンの1 1名。横田サンは
久し振りの参加。先週と打って変わってすっかり夏空。本日は夏向きの市内コース、距離は短
いが大阪人でも余り知らない、昔は川だったがその後の諸事情で道路に転用された川3本+
αを巡るというもの。さて定刻になり本日第1部のスタート、最後尾を伊藤元サンにお願いし出
発。先ず花博通を東進、迎賓館前交差点を右折し府道2号旧中央環状線を南下する。茨田浜
(まったはま)交差点を過ぎて、すぐに旧中環を斜めに横切る小径を右に入る。この部分、現
在は"茨田遊歩道" だが元は西三荘井路の跡。(井路・いじ:小舟による水運や水利・排水の
為に掘られた小川)道なりに川跡を辿れば地車(だんじり)囃子が近づいてくる。横堤八幡宮の
地車で地車囃子が心地良い。この辺りから別の井路が始まり、道(旧川筋)はほぼ直線的に
内環の鶴見3交差点から城北川(昭和10年完)を渡って旧三郷橋跡(現今福交番付近)まで。
近くに三郷橋稲荷大神があり、大阪冬の陣の際には今福蒲生の古戦場だった由。資料による
とこの道はかつての鯰江川の跡、今里筋で新喜多大橋交差点を渡り"つつみ歯科"南側の道
に入る。おおさか東線のガードを潜り、西へ向かう程に消えた川の面影が感じられ、極め付き
はJR大阪環状線京橋駅下を潜る際の圧迫感が凄かった。昔の川面辺りを自動車が走ってい
る。その後は旧京橋ダイエー(後にイオン)跡の更地になった横を更に西へ向かい、野田橋跡
を見て土佐堀通りの寝屋川橋に出た。往時は寝屋川に並行して大川に流れ込んでいた。因み
に鯰江川は1950年代末〜1972頃に順次埋め立てられたとの事。これで第1部は終了、昼
食予定地の都島に向かう。昼食の調達場所と涼しそうな公園は地元の小亀サンにお願いしてい
たので、マンダイ都島店で昼食を調達、ここで前田サンが地元の夏祭りの準備でお別れ、その
後都島公園でしばし憩う。さて第2部のスタート。大川(旧淀川)に架かる歩行者と自転車専用
の飛翔橋を渡って天満堀川コースを行く。天満堀川は豊臣秀吉が亡くなった慶長3年(1598)
に堂島川から扇町まで真北に開削が完成。当時大阪の中心地だった天満と堂島川を結ぶ水
運が目的だった。時代が下って江戸時代の天保7年(1836)、「天保の大飢饉」の年で奉行所
の役人が豪商から仕入れた米を庶民の救済に回さず、江戸へ送ったのに立腹した大塩平八
郎が信奉者等と挙兵、その際「大塩焼け」と呼ばれる市中の1/3を焼失する大火事が発生。
その失業対策として天満堀川を扇町から大川まで延伸させたという。さて対岸に渡った我々は
大川の右岸を南下、樋ノ口町へ向かう。ここから先は天満堀川の跡地に阪神高速・守口線が
通っている。天満橋筋を斜めに横切り、JR環状線を潜ればすぐに天神橋筋商店街4丁目。商
店街と高速道路が交差するところに悲恋の夫婦橋(めおとばし)の碑やモニュメントの欄干等
が作られている。高速道路が西から南に大きく曲る辺りの一般道は埋め立て前の堀川の底を
そのまま道路にしているので扇橋、梅が枝橋、綿屋橋等は陸橋でありながら普通の橋。堀川
戎神社にお参りをし、摂社に掲示されていた古地図で鯰江川を見る。ここで少し寄り道。堀川
戎神社の北に接する道は幕府直轄領の大坂三郷(北組、南組、天満組)の北端ラインで、この
道に寺が集められて大坂城の北の防衛ラインとしました。この通りの寺には大塩平八郎、山
片蟠桃、緒方洪庵の墓があるので一回り。更に阪神高速沿いに南下をすれば国道1号を渡
り、菅原町の交差点。前方に○久乾物問屋(株)北村商店の建物群が見えだしたら突き当たり
が堂島川で天満堀川コースは完了。北村商店脇の小さな公園で小休止。時刻は13:50、気
温が結構上がって来たが第3部の蜆川コースに入る。堂島川の右岸を700m程西に行くと裁
判所合同庁舎の少し西、曽根崎変電所を挟んで両側の道が蜆川(曽根崎川とも)の堤防跡。
(変電所は蜆川の埋め立て地に建設)堂島川から見ればどちらも左方向に大きく曲り、その先
が見えない程カーブしている(蜆川の大曲り)。道なりに御堂筋の梅新南交差点を渡れば北新
地で、北側の通りが新地本通。横断歩道の無い南側の通りが堂島上通。これら2つの通りに
挟まれた部分がかつての蜆川。堂島上通入り口の滋賀銀行梅田支店の壁には「しじみはし、
史跡 蜆川跡」の碑がある。そもそも島が無いのになぜ堂島というのか不思議に思っていた
が、蜆川があった頃は川の左岸は堂島という細長い島だった為。新地本通を西進し(表紙写
真)、途中少し右に入れば曽根崎川跡の碑と蜆橋銅版碑。堂島上通側を少し行けば四ツ橋筋
との右角に「元桜橋南詰」の傾いた石碑、更に西進すると出入橋の交差点。ここは明治10年
頃に堂島川と旧国鉄大阪駅を南北に結ぶ運河があり、蜆川と交差していた名残だとか。その
後蜆川跡は堂島川に並行した道路になって徐々に距離を縮め、大阪市中央卸売市場前に1
4:45到着した。蜆川はこの辺りで斜めに堂島川に流れ込んでいた様で市場入り口脇に三角
形の緑地があったのがそれだろう。朝から気温が高く、熱中症を心配したが参加者の皆さん
大丈夫だった様子で一安心。
これで7月度のクラブランは無事終了。三々五々家路に就いた。因みに当日の大阪の最高気
温は34.2℃、これからまだまだ地球温暖化が進むいう説もあり、来年度7月のクラブランが
出来るのか心配です。

<2019年7月度行事>
高野山から天野の里へ 正田俊夫 (文中の数字は目安の標高)
来月号からクラブニュースが変わるというピリオドの時に紀行文を書かせて頂けるのは
皆さんに対しても恐れ多い事だし名誉と思う。千載一遇の晴天に恵まれた7/21、南
海・難波駅頭では先着の福元サンがバラしに掛かっている。2人で指定の8:36発急行
の先頭車に乗るが難波駅発は2人のみで何だか気が抜けた感じ。天下茶屋駅で伊藤元、
岩井の両君が、橋本駅で仲林サンも合流し高野線の終点、極楽橋駅へ。ここからは新しく
なったケーブルカーが高度を稼ぐ。山頂の高野山駅(870)では先着の川中、萩原、森
永サンの出迎えを受け早々に愛車を組み上げる。天野の里への序幕なる大門(だいもん)
で高野山入りとなりファミマで昼食を買い込む。ここで店頭にあったテーブルに高野
山、粉河の5万図を拡げ皆で顔を突き合わせてレクチャーを受ける。道は少し戻る様に
花坂に。良くしたもので先日買ったサイクルスポーツ誌には信州等も含めてより高い場
所からスタートするというコースが記事になっていた。近畿ではここ高野山が標高約8
00bでその最たるものであろう。本日の我々も高野山からという、電車を利用して標
高を稼ぐというスタンス。これまでにも何度となく利用し本当に八方へ色んなコースを
楽しんできた。今回も花坂へのダウンヒルを楽しむが、改めて気が付いたのが萩原サンの
スムーズな下りだ。今までは、他のメンバーが下り終えても、ややあってから下ってく
るという図柄が幾度となくあったが。この度改めてその考えを覆さなければなら無いと
ともに萩原サンのその変身振りをとくと聞いてみたいものだ。花坂(410)から快いダウ
ンヒルの余韻のまま梨子ノ木峠(501)を越え、上志賀(表紙写真)から真国川沿いに
緩やかな上りが続く。天野の里を目の前にして道端の緑陰で昼食とする。メンバーが8
人とあってこぢんまりと円陣ができるが、小生買ったばかりの飲み物が無い。どうやら
老人力で落としたらしい。急速が終わって愈々天野の里(458)だ。なるほど隠れ里を
紹介した中にも散見される緑のヴェールに囲われた静かな盆地は自転車で旅する私達に
潤いを与えてくれる。丹生津姫神社は前回来た時に小生の年賀状、橋旅シリーズに取り
上げた橋で見事な反り橋。来年はこの橋を模して架けられたという大阪の住吉大社(す
みよっさん)の反り橋(太鼓橋)に決めている。天野の里と言えば西行法師とも係わり
がある。"待賢門院璋子(たまこ)"は西行が恋い焦がれて恋慕した女人だ。院が亡くな
った後、仕えていた女官達や西行の妻子もこの天野の里に移り住んだとか言い伝えてら
れているが、今回その跡を見過ごした。又いつか妙寺から三谷坂のコースを辿って再訪
したい。紀ノ川に出て左岸を慈尊院に向かうが地図を見れば対岸は高野口だ。昭和5年
にケーブルカーが出来るまでは、文字通り高野口は高野山参拝の入り口で、紀ノ川を舟
で渡り、慈尊院から町石道を登るのと、笠田(かせだ)から同じく紀ノ川を渡って三谷
坂から天野の里を経由する道を大勢の人が参詣をしたそうだ。慈尊院に立ち寄った後は
九度山の道の駅で柿のソフトクリームで小腹を癒やし、南海・九度山駅から乗車組の4
名と、小田井用水の小田頭首工(取水口)経由の4名で再出発。その後また8名が再会
するというハプニングと共に高野山を後にした。

<2019年6月度行事>
堺旧市街ポタリングと観濠クルーズ 仲林邦
6/2 梅雨の合間、曇天の堺東に集まったのは井川、岩井、川中、小亀、佐竹、鮫島、正田、
仲林邦、前田、森田隆サンそしてコースリーダー萩原サンの合計11名。まずは堺市役所の展望
ロビーから堺の街を見下ろす。全員入られるかドキドキしながら乗ったエレベーターはあっとい
う間に21階へ。エレベーターでは全員がドアの方を向いて立つのは日本だけだとか。残念な
がら曇りで明石海峡は見られませんでしたが東南側に沢山の古墳を見下ろす。こうして見る
と、大都会だと思っていた堺も緑豊かですね。続いて向かったのは某テレビ番組でもつい最近
訪れていた大小路(おおしょうじ)橋。この放送局は視聴料の聴取方法はアコギですが面白い
番組が多く、みなさんよく見られていますね。紀州街道に並行する堺山之口商店街(表紙写
真)を抜けて千利休屋敷跡へ向かう。この商店街には開口神社("あぐち"と読むそう)で、ここ
には地元出身の沢口靖子サンの玉垣が有るらしい。時間が有れば探してみたかった。千利休
屋敷跡ではボランティアガイドさんのお話に耳を傾ける。千利休は身長が180pはあったと
か。やっぱりこうしてお話を聞くと勉強になりますね。"さかい利晶の杜"をひやかし入館し、与
謝野晶子生家跡の前を通り住吉大社宿院頓宮、山之口橋を抜け、紀州街道上の船待神社を
過ぎ、コンビニ組と穴子寿司組の二手に分かれ昼食調達へ。旧堺灯台前の広場で合流して昼
食。予約必須の人気店、深清鮓(ふかせずし)の穴子握りは並で1,030円(税込)。意外と高
くはなく、一口頬張ると口の中でふわ…と溶けていくかのような柔らかさ。大阪湾で獲れたとは
思えないほど臭みは皆無。一個、もう一個・・・と食べていく内にあっという間に完食!お店のお
姉さんの手際の良い客さばきも見ものでした。旧堺灯台の周りは欧州を思わせるヨットハーバ
ー有り、大きな帆船や象も描かれた日本一の大きさの壁画有り、海に向かって道側にお尻を
向けた銅像(=呂宋助左衛門)有りと見どころ満載。ちなみにこの銅像、道側には「ゼネラル石
油」が、海側には正しい名称が書かれている。呂宋(るそん)助左衛門は戦国時代の豪商で、
現地フィリピンでは便器として使われている物をルソンの壺として武将に高価で売っていたそ
う。目の付け所がシャープすぎる!それにしてもこの時代の日本の国際貿易網はびっくりする
ほど広範囲。鎖国政策がなければどれだけ日本の国力が上がっていたのだろうかと想像力が
膨らみます。昼食後は201 1年1 0月のクラブランでも乗った観濠クルーズにGO!心地よ
い風を受けながらの船頭さんの楽しいお話に大満足。船の揺れは気持ちが良いものですね。
観濠クルーズ乗船場は南海本線・堺駅のすぐ横。乗船中に雨が降ってきたために早くも14時
に堺駅で解散。岩井、川中サン、私の三人は電車輪行。その他の方々は自走で帰宅。走行時
間は短く、走行予定の大浜公園、ソテツ山、南宗寺、自転車博物館、そして仁徳天皇陵へは
行けませんでしたが、雨のシーズン観光たっぷりの楽しいコースとなりました。途上で気になる
ものが目に入れば気軽に見物できるのは自転車ならではの良さですね。コースリーダーの萩
原サンが事前に観光地説明の印刷物などを用意して下さったおかげでポタリングがより興味深
いものとなりました。ありがとうございました!

<2019年5月度行事>
夕凪CC創立65周年記念ツアー 岩井春隆
5/11 大阪からの列車は9:20 JR福知山駅に到着。北口には遙々栃木県からゲスト参加の
柏瀬サンが前泊の綾部から、大阪組は岩井、尾崎、佐竹、正田、濱中、藤山、丸谷、森田隆サン
とゲストの岡島サン。愛車を組み立て少しすると神奈川県から駆けつけてくれた小形サンが到
着。これから3日間の天気は心配なし。今日は旧与謝峠を越えて5年前にも泊まった与謝野町
の井筒屋さんを目指す。挨拶とブリーフィングを済ませ、コンビニで昼食を確保して福知山を後
にする。新音無瀬橋を渡り由良川右岸を北上。安井、筈巻(表紙写真)、千原と交通量の少な
い府道を快走。千原から5万図に載っていない橋を渡り、旧大江町役場で小休止。ここまで15
q足らず。ここから現在の伊勢神宮の場所が決まるまでの候補地である元伊勢の一つで天岩
戸神社、皇大神社、豊受大神社に参り昼食を摂る。昼食後は天田内から雲原川に沿って旧与
謝峠の上りが始まる。この峠は4度目ぐらいか、5年前と比べると脚力が落ちている。南島でR
176に出会い、暫く並走して与謝トンネルが見えたらもうすぐ旧峠。相変わらず眺望は無く、峠
は水溜まり道だ。途中の水溜まりで泥除けについた泥を洗い流しながら急坂を下る。大昔は
丹後縮緬を背に歩いて京に向かったと聞いたが、逆コースで上るとなると自信が無い。与謝、
金屋、加悦(かや)と下って"ちりめん街道"へ。井筒屋さんは5年振り。宿の前に見慣れぬオッ
サンと思ったら何と年木サン。いやー懐かしい。夕食前に所用で愛車を宿へ送っていた萩原サン
もタクシーで到着。夕食は近海物の魚尽くしの膳。飲む程に年木サンは若い頃ジュリーと呼ばれ
た片鱗を見せる。寝室では柏瀬サン手作りのリアーバッグを見せて頂く。翌朝は昨夕に続いて"
ちりめん街道"を散歩、朝食後は年木サンが栃木に帰り、女将と大女将に送られて出発。昔あ
った加悦鉄道跡の自転車道を走り、岩滝橋で2日目から参加の小亀、谷口サンが合流する。阿
蘇海の西側を走り天橋立の北端で昼食を摂り、正田、森田隆サンが所用の為に帰阪し、尾崎サ
ンも伊根まで往復して帰阪。2泊目の伊根への道は右手に海を見ての平坦路。13時過ぎには
到着。すぐに伊根湾めぐりの遊覧船に乗るがカモメが船を追いかけて菓子をねだる。立ち並
ぶ舟屋を期待していたが、今は船が大きくなって舟屋に入らず、実際に舟が入る構造の舟屋
は僅か、大部分は各家に小さな防潮堤がついている。伊根は思っていたより観光地化してお
り、日本人より観光バスで来た中国人観光客が目立った。民宿の数はそこそこあるものの規
模が小さくて素泊まりが多い。泊まった宿は食事付きで一番大きな所を選んだが、人情味があ
まり感じられなかった。翌13日も晴れ、小形、小亀、谷口、萩原サン等は経ヶ岬経由で網野へ
と向かい(谷口サンは前日も経ヶ岬を往復)、岩井、佐竹、濱中サンと岡島、柏瀬、藤山、丸谷サン
はKTR宮津駅へ向かった。

<2019年4月度行事>
京北路と常照皇寺の観桜ラン 岩井春隆
今月の出来事は何でも"平成最後の・・・"となるが、夕凪CCのクラブランもご多分に洩れず"
平成最後"で 4/14に予定していた。しかし全国的な雨の予報が好転せず4日前に延期ならぬ
夕凪CC始まって以来の前倒しを決定。今回は京北(けいほく)方面の桜見物がメイン。中でも
天皇家と縁が深い常照皇寺には天然記念物の九重桜もあり、大阪市内のソメイヨシノは散り
かけているので、次週にずらせたら晴天の保証は無く、満開の桜を見逃すという判断。早速、
参加者を募ると岩井、小亀、谷口、萩原、藤山、丸谷、森サンの7名が参加。4/138:59 JR山
陰線・日吉駅に降り立つとクルマで来た藤山、丸谷サンの出迎えを受けた。天気は上々、空気
が清々しい。早速、各自愛車を組み立てて出発。駅は立派なのに店らしき物は無い。早速先
週、下見をしてくれた藤山、丸谷サンの先導で出発。山陰線に沿って少し南に下るが、GPSの
スイッチを入れ忘れ、待ってくれた丸谷サンとトンネルを抜けるが先行の5名が見当たらない。
やむなく左折し日吉ダムの右岸側上部に上って行くが、走り始めてすぐの上り坂は堪える。ダ
ムの上で5名と出会う。下見で桂川を堰き止めた日吉ダムの右岸側に崖崩れが2ヶ所有ると
いうのは分かっていたが、右岸側は陽当たりが良いし、崖崩れでクルマは皆無の筈。ダムから
湖周の道を700b程進んだ所でまだ復旧されていない1ヶ所目の崖崩れ現場に到着。側壁の
ワッフル状のリブの入ったコンクリートがそのままズレて道路に落ちている。藤山サンが確認に
行って先週と一緒という事で各自注意して愛車を担いで乗り越える。そこからは右手下に天若
湖を見てごく僅かな上り道を快適に走り、やがて三叉路で左側が工事現場。我々はここを右折
する。ここで遙か右手に世木(せぎ)ダムが望まれる。日吉ダムができた為に水没した様に見
えるが、今でもこのダムから南西方向に山をくり抜いた新庄発電所導水路で桂川の下流に清
水を送っている由。桂川沿いに更に行けば大山トンネル。入り口と路面はしっかりしているが
照明が貧弱。LEDライトを頼りに通り抜け、既にダム湖と云うよりも桂川を右に見て600b程
で2ヶ所目の崖崩れ。ここは太い杉が何本もあり結構派手な崩れ方だが問題無くクリアーし更
に大きく右手にうねる桂川沿いに走れば中地の日吉橋。ここからR477となり少し行って左手
の集落の奥が既に廃校となった旧宇津小学校。その昔、子供の声で賑わったであろう小学校
は建物だけで人気は無く、立派な桜が我々を迎えてくれた。柏原で国道と別れ右にハンドルを
取れば魚ヶ渕。ここにも道端に立派な桜の大木。見上げるのは我々と大型単車のお兄さんや
クラシックなスポーツカーのオジサン。腹が減ってきたと思ったら時間は11時でここまで来れ
ば周山まではあと少し。途中で爆音のオジサンに抜かれ、周山の手前で桜越しに茅葺き風の
家。花見客で賑わう周山の道の駅「ウッディ京北」で昼食を仕入れ桂川の左岸を北上する。途
中、京北下町菅野集落で写したのが表紙の写真。田舎に来ると「こんにちは」と挨拶をすれば
必ず「こんにちは」と返ってくる。やはり自転車の旅は捨てたものではない。最近のサイクリスト
(ローディ達)は個人主義か出会っても知らん顔で寂しい限り。旧京北町は集落毎に立派な枝
垂れ桜の古木があり、その桜も山桜やソメイヨシノ以外のきれいな品種が多い様に思う。藤山
サンが昼食にピッタリな良い所があると連れて行ってくれたのが京北鳥居町・山国神社脇の公
園。穏やかに流れる桂川右岸の雁木(水面の高さに応じて荷物の積み下ろす為の階段)に座
っての昼食。気持ちの良い日射しの中での友人達との食事は最高だ。昼食後農道を走ってR
477に戻り、5q程行けば常照皇寺への入り口。ここも桜の並木が迎えてくれる。少し坂を上
がった駐車場の八重桜は5分咲き位か?この寺に寄るのは20年振りくらいで桜のシーズンは
初めてだ。折角来たので拝観料を払って中に入るが、400〜500円というややこしい表示。5
00円玉しかなかったので差し出すと「ハイ いらっしゃい」という感じでさも当然という感じ。「10
0円の釣りをくれ」とは云わなかったが、ペテンに引っかかった様な感じ。庭園の天然記念物の
九重桜等も6分咲きくらいだった。さあここからは日吉駅に戻る後半戦。常照皇寺から少し坂
を下って右折、ここから井戸峠(435b)で汗を流し、先程の周山に流れ込む弓削川端の上中
へ。ここの八幡宮社には大きな枝垂れ桜(出会い桜)があり少し上った所から見上げると青空
に映え圧巻だった。すぐ上の京北第三小学校の校庭には杉の巨木があったが、昨秋の台風2
1号で一番下の大きな枝が無くなっていた。周山街道を少し下って下中で右折、350bの名も
無き峠を越えると田原川沿いの下り道。向かい風がきつかったが途中の中佐々江の御霊神
社も枝垂れ桜が見事。更に田原町殿の多冶神社で小休止。ここはソメイヨシノが主だったし山
陰だったのでやはり色も印象も薄かった。15:37無事に日吉駅に帰り着いた。(走行距離約5
8q)久し振りにきれいな桜を堪能できてその余韻と共に車中の人となった。案内の藤山サンを
始め、皆さんお疲れ様でした。

<2019年3月度行事>
日生(ひなせ)のカキオコと島巡り 仲林茂樹
3/17の午前7:30 JR大阪駅でなんとか自転車を輪行袋に入れ、播州赤穂駅経由で日生ま
で。本来、前週の3/10に福井県の三方五湖へ観梅に行く筈が、寒の戻りで雨模様。本日は
急遽天気の安定した瀬戸内へカキを味わいに変更した。新快速では途中駅で他のサイクリン
グクラブの人たちも乗車してくるという、他の乗客からしたら「何台自転車乗っているのだ?」と
いう突然のハプニング。大阪では見たこともない手動のドアー開閉ボタンをポチポチ押しなが
ら、とりあえず日生駅に到着。駅前で手伝っていただきながら自転車を組み立てて、先ずは駅
の裏手の"uma2"でカキオコを食べました。日生のカキは新鮮で熱を入れてもそのままの大
きさで、かなりのボリューム。他にカキの焼きソバと漁師焼きというカキの鉄板焼きも食べてサ
イクリング前の腹ごしらえも十分に先ずは近くの海産物市場へスタート。ところが突然の通り雨
で市場内で雨宿り。その後ぐるりと日生湾を右手に見ながら、カキの養殖に使用されるという
帆立貝の貝殻を発見。この貝殻は北海道から、わざわざカキの苗床になるために搬送されて
きたのかと、なんとも言えない悲哀と同時に、日生のカキの旨さを思い出しながら備前?日生大
橋へのスロープを上り鹿久居(かくい)島へ。橋の中央では眼下に養殖の筏が沢山見えまし
た。鹿久居島へ渡り、下り坂を一気に下ったところで最高速度45q/h。このまま一気に上り坂
を上って行きたいところでしたが長い急坂。鹿久居島の峠まで息を切らせながらギアをローに
入れてゆっくり上がり、頂上でのんびり休憩。大阪と比べて日生は気温が数度低いのにもかか
わらず、頂上では背中が汗でびっしり。汗が冷たくなった頃に、スタートして頭(かしら)島大橋
を渡って向かいの頭島へ。中央にある"たぬき山展望台"に到着、展望台で写真撮影といって
も周りはなんとお墓だらけ。お墓の中心に展望台を設置するというなかなかの挑戦的観光スポ
ットでした。眼下に見下ろすお墓はそうそうあるものではない。記念写真撮影後(心霊写真では
ないと信じたい)、頭島から鹿久居島を引き返して再度本土へ。(表紙写真)日生から更に東に
向かって浜山、深谷、方磯、古池と経由して福浦まで、岡山と兵庫との県境である古池で小休
止、何故か打ち捨てられた別荘地があり,バブルの夢のあとなのか、別荘詐欺の跡地なのか
などと考えながら兵庫県へ。福浦では,塩田の跡地と流下式製塩装置があり、何度も塩田を
再開し、そのたびに頓挫し、ついには、完全に終了させたという石碑を見ながら頑張るもんだ
なぁと。最後は科学と輸入には負けるかと思いながら、次は赤穂線に並走して走るはりまシー
サイドロードをひたすら東に向かって走り、天和駅付近で通り雨。民家の無人販売所で雨宿
り、幸いにもすぐに雨はやんで新田を経由して播州赤穂駅に到着。播州赤穂駅から大阪駅ま
での新快速では暖房と座った気持ちよさでついつい睡眠状態でした。大阪駅で解散、3月なの
に日生はたまたま寒かったのか、それとも海沿いはもともと寒いものなのか分かりませんが、
皆さんお疲れ様でした。

<2019年2月度行事>
大川峠から加太/和歌山城へ 福元博通
2/10過去最強クラスの寒波襲来という寒さにも拘らず参加者18名という盛況で冬の大川峠
を越えて和歌山城までのサイクリングを楽しんできました。私は南海難波駅からのメンバーと
一緒に8:25発の区間急行に乗車、途中の天下茶屋駅、堺駅から乗車のメンバーも合わせて
出発地点の淡輪駅に集合したのは井川、伊藤元、岩井、尾崎、佐竹、鮫島、正田、谷口、仲
林茂、仲林邦、萩原、福元、前田、丸谷、森田隆、森永サンとゲスト参加の岡島サンと土田サンの
計17名。コース説明の後10:00にスタート、「みさき公園」の大観覧車を見ながら波しぶきに
濡れた海沿いの道(表紙写真)を走り、漁村の迷路のような裏道を抜け深日港へ。「オークワ」
で早々と昼食を調達し、本日最大の難所大川峠へ向かいました。多奈川第二火力発電所を右
に見ながら、しばらく走ると有料の海の釣り堀「とっとパーク小島」。「大川漁港」を過ぎ大川峠
と大川トンネルへの分かれ道に差しかかり、峠組(13名)とトンネル組(4名)の二手に分かれ
て出発。大川峠は現在、人と自転車の専用道路でゲート脇から峠を登り始めます。いきなり勾
配のきつい坂道で「フー、フー」と一気に息遣いが荒くなってきました。永らく車が通っていない
ので、ところどころ道路のセンターあたりに背の高い雑草が生えていて海沿いの崖のところは
灌木が生い茂り、せっかくの眺望が木々の間から時折見られる程度。いくつかの尾根を越え
て、峠頂上に差しかかると今度は一転して急な下りのコース。一気に下りたいところですが、途
中に360°のヘアーピンカーブもありスピードを抑えながら慎重に下って行きました。峠越えで
体も暖まり、峠道の出口で先行メンバーと落ち合うとホッとしてリュックを降ろして近辺の写真
撮影。直ぐに出発して近くの公園広場でトイレ休憩。その後、背中に手をやると「しまった、リュ
ックが無い!」、慌てて取りに戻るという大失態。(^_^; まだ近くだったので良かった。「加太(か
だ)海水浴場」入り口で待っていた鮫島サンも合流して最終的に18名。時間は丁度昼時、加太
漁港の一角に風が遮られた場所を見つけて昼食タイム。お日様に照らされポカポカと気持ち
が良い。向かいの長い堤防に釣り人がたくさんいました。昼食タイムの後、出発して直ぐに森
田サンがパンク。いつものように世話好きのメンバーが集まって無事に修理が完了し再出発。
先導役の丸谷サンがナビで道を探しながら進みますが、加太集落の袋小路に何度か迷いなが
らも紀の川に架かる105年前に造られた「河西(かせい)橋」を渡って紀ノ川左岸へ。この橋
は、元々旧加太軽便鉄道が紀ノ川に架けた紀ノ川橋梁だったのが、ジェーン台風(1950)で橋
脚が破損、現在は人と自転車、バイク専用の橋。すぐ上流側には新しい橋の建設が始まって
いました。午後のコーヒータイムが出来そうな場所を探して「和歌山市民会館」横で店開き。昨
年暮れの大蔵海岸の事もあったので敷地前の歩道で喫茶ゆうなぎの準備開始。強火力のバ
ーナーが揃っていたので、瞬く間にお湯が沸きコーヒーを淹れるのが追われるぐらい。回を重
ねるごとにチームワークも完璧、ワイワイガヤガヤと楽しいコーヒータイムのひと時でした。そ
の後は、直ぐ近くの和歌山城の城内を散策し、全員の集合写真を撮って解散。「南海・和歌山
市駅」と「JR和歌山駅」から帰阪するグループに分かれて帰路につきました。寒い中参加され
た皆さま、お疲れ様でした。

<2019年1月度行事>
山城國一の宮・上賀茂・下鴨神社へ 岩井春隆
1/13 正月気分も抜けた第2日曜日。今月もクラブランは好天に恵まれ集合地の京阪・中書
島駅頭には井川、伊藤元、岩井、尾崎、川中、小亀、佐竹、福元、丸谷、森田隆、森永サンの
11名が集合。コースと安全事項の説明後、9:15 GPS完備の丸谷サンと今回京都通を披露した
佐竹サンに導かれて中書島駅を後にした。人の多い道を避け、月桂冠大倉記念館や「鳥せい」
の脇を走る。丸谷サンは「鳥せい」横の名水「白菊水」を水筒へ。魚屋通りから京阪本線を渡っ
て府道35号・京町通を北上。老舗の料亭「魚三郎」には鳥羽・伏見の戦いの弾痕が今も残
る。京都らしい京町通を更に北上、御香宮、丹波橋、墨染から1 本東の府道201号に移る。
墨染駅、藤森駅、深草駅辺りは明治41年(1908)から第二次世界大戦後の昭和20年(194
5)まで陸軍第16師団が駐屯した"軍都"であった由。その為京阪本線の両側には広大な陸軍
の敷地があり、戦後に京都教育大、京都医療センター、京都聖母学院、龍谷大学、警察学校
等平和的な施設が誘致された。この辺りの府道35号は"師団街道"と名を変え、東西に府道2
01号と結ぶ道路は現在でも"第一軍道"、"第二軍道"の道路標識があり、更に藤森駅の南東
側府道201号には"軍人湯"というお風呂屋さんもあって違和感を覚えた。更に北進して、東
山橋から少し戻って東福寺へと向かう。冬の東福寺辺りは閑散としている。臥雲橋を渡り広大
な境内へ。森永サンが有料の通天橋の更に上にも橋があると言うのでついて行ってみると、洗
玉澗渓谷を跨ぐ偃月橋(えんげつきょう)という小さな橋があった。日本100名橋にも数えら
れ、秀吉の正室である北政所(ねね)が対岸の龍吟院へ参拝の為に架けられたと言う説も。
10:40再度臥雲橋を渡り(表紙写真)大和大路を北上する。六波羅蜜寺、六道珍皇寺近くで
は幽霊子育飴を買って、建仁寺、八坂の塔辺りから将軍塚青龍殿へ上がるプランであったが
時間は既に11時半。鮫島サンからは現在地を問う電話が入るし、今回将軍塚は諦めて八坂神
社から一路東大路通を京都大学吉田キャンパスへと向かう。昼前とあってどの食堂も長蛇の
列。隠れた名所京大の学食も満席か?と胸騒ぎ。東一条通を右折すればすぐに京都大学吉
田キャンパス正門。ところが鮫島サンの姿が無い。とにかく自転車を置いて、カフェレストラン
「Camphora」に入ると予想に反してガラガラ状態。ホッとしてビーフステーキカレーを注文。鮫
島サンを探して大学の門まで出てみるとすぐに発見。早くから来ていたが京都大学の門に圧倒
されて入れなかった由。無事日本の最高学府での食事を終え、2ヶ所ある山城国一の宮を目
指して出発。京大キャンパスを北へ通り抜け、出町柳から糺の森を通り抜けて下鴨神社(賀茂
御祖神社)へ参拝。次に上賀茂神社へ向かうべく鴨川左岸河川敷を遡る。北大路橋を越えた
辺りで丸谷サンが水道を見つけ、福元マスターの喫茶ゆうなぎの開店。毎度の事ながら野外で
頂く本格珈琲は有り難い。時間は14時前でまだ日射しが暖かいが後1 時間もすれば寒くな
ると言う訳で「出町柳駅で待ってるわ」という鮫島サンと別れ上賀茂神社(賀茂別雷神社)へと急
ぐ。何れも奈良・葛城の高鴨神社にルーツがあるという。今回は2社を回り本年の無事をお願
いした。出町柳駅では三々五々京阪・特急で無事帰阪した。皆様、寒い中お疲れ様でした。

<2018年12月度行事>
播磨國・加古川から明石へ海沿いに 岩井春隆
1 2/9 JR加古川駅 9時過ぎ。井川、伊藤元、岩井、尾崎、川中、小亀、佐竹、正
田、仲林、福元、丸谷、森、森田隆、森永サンの14名が師走のクラブランに集合。いよ
いよ季節風(北・西風)の季節。今月は普段余り行かない播磨灘〜神戸間の海沿いをそ
の季節風を利用しての楽ちんクラブランを計画。本日は大筋のコースは小生の立案で、
細かくは丸谷サンがGPSにデータを入れて準備をしていたが、神戸出身の森永サンが参加
されたので、急遽リーディングをお願いした。彼も地元ではないが大阪の人間よりはこ
の辺りが詳しい。10:00柔らかい日射しの中、加古川駅を出発し、駅の南側に広がる旧
市街の寺家町(じけまち)を通り抜け、聖徳太子創建と伝わる鶴林寺へ。すぐに別府
(べふ)川があり、(後ほど立ち寄る)加古川が発祥の地である多木化学(株)の貨物や
旅客の鉄道があった線路跡が4q程の遊歩道になっている。途中の静態保存の気動車
「キハ2」を見て、別府辺りから多木浜洋館(あかがね御殿)へ。多木化学の創業者、
多木久米次郎が大正7年頃から昭和8年にかけて建てた屋根や壁面が銅(あかがね)張
りの4階建ての迎賓館。正面は凝った積み方のレンガ塀。内装が凄いらしいが要予約と
言う事で今回は外観のみ。ひとしきり門前で写真を撮ったりしていたら1 1時を回
り、今日は寒いのでどこかの店に入ってと探すが店がない。仕方が無く兎に角明石に向
かって海沿いの道を急ぐ。二見港を過ぎ、江井ヶ島辺りでも中々食堂らしき店が見当た
らない。コンビニがあったので天気が良いし浜の陽当たりの良いところで食べようと各
自昼食を仕入れ江井ヶ島漁港の東で公園を見つけて三々五々弁当を開く。目前は播磨灘
と淡路島。左手には遠く明石海峡大橋が望まれ、風がなくてポカポカした一寸高台にな
った所での昼食は最高のローケーションだった。午後の部は海沿いの道を500mほど
行った所にある明石原人の腰骨発見地、更に1qほど行けば明石象(アケボノ象)の歯
や骨の化石の発見地。象の体高は1.5mしかなかったというが、長年気になっていた
所を見られて森永サンに大感謝!いずれも播磨灘に面した狭い道路沿いで、海側には1.
5mほどの低い堤防。陸地側には住宅やマンションが多く建ち並んでいる。走るほどに
明石海峡大橋が近づいて、やがて明石川を渡れば明石港。明石焼き(玉子焼き)を食べ
ようと有名店に寄るが待ち人多し。諦めて更に東進して大蔵海岸へ。ここは松林と一部
ウッドデッキがあり、明石海峡大橋が雄大に舞子と淡路島を結んでいる。(表紙写真)
ここで福元サンの登場、皆でお湯を沸かしお商売物のコーヒーを頂く寸前、女性警備員が
現れ、「公園内での火気はちょっと」と言うので国道2号線まで移動して続行。冷えた
身体にコーヒーが染み渡る。時間は15時前、ここで本日のクラブランはお終い。大阪
まで走って帰るという尾崎サンを見送り、垂水まで走って日没を見るという井川、小亀、
福元、森田隆、森永サンと別れ、帰阪の伊藤元サン以外の岩井、川中、佐竹、正田、仲林
邦、丸谷、森サンは明石・魚棚で玉子焼きを食べて今年の締めとしました。寒い中お疲れ
様でした。

<2018年11月度行事>
CCウインディさんと"葛城の道"合同ラン 岩井春隆
11/11 1年置きの恒例、CCウインディさんとの合同ラン、今回は夕凪CCの担当で秋の葛城山
の東側に広がる丘陵地帯で実施した。集合地は大阪と京都から直通列車で出会える近鉄の
橿原神宮前駅。天気は朝から上々。駅頭には夕凪CCとCCウインディさん共に同数の1 1名
ずつにゲスト参加に輪音を主宰する角田裕サンを加えた23名。簡単なコース説明と注意事項
連絡のブリーフミーティングの後、丸谷サンの先導で出発。(9:35)最後尾は佐竹サンにお願いし
た。角田サンは今回のコースをホームグラウンドとしているが、学校の先輩である丸谷サンに遠
慮?してか前に出てこない。私は今年1/14のクラブラン以来、複視症状の為まともにクラブラ
ンを走っていない。目の方は不完全ながら回復傾向にあるが9ヶ月ほど殆ど脚を使っていない
ので最後まで完走できるか一抹の不安がある。橿原神宮の深田池の端を走り橿原神宮西口
(駅)という紛らわしい駅を経て忌部山という歴史を感じさせる山の手前を左折、曽我川を遡っ
てJR掖上駅へ。(10:15)少し休憩して日本武尊の琴引原白鳥陵に寄って富田から大口峠(約
137m)を上り返して戸毛から下市街道をJR・近鉄の吉野口駅へ。(11:10)小休止後、奉膳(ぶ
んぜ)から谷間を少し上り栗阪/小殿辺りのコンビニで昼食を購入。今日で2回目の仲林茂樹
さん、奥さんのミニベロを借りて荷物も背負って頑張って付いてくる。国道24号線の東側に並
行する旧下街道(11:40)を五百家(いうか)、船路と小さな集落を抜けて上って行く。途中のオジ
さんはコンクリート造りだろうか、ヤギやパンダやブタやら人物等々沢山のオブジェを並べ我々
を迎えてくれた。右手の築堤に国道24号線が現れ、進むに従ってドンドン接近して前方に古
い家が見えだしたらその横が風の森峠(約258m)。ここで国道24号線を渡って(表紙写真)少
し上ったら正面に金剛山(1125m)、その北に水越峠の凹みと葛城山(959.2m)が我々を待ってい
たかの様に鎮座している。今日は少し霞んでいるものの雲一つ無い上天気。各自道端や、あ
ぜ道に陣取って昼食とする。ここはこのコース一の場所で、昼食には持ってこいだ。この辺り
は京都の上賀茂神社や下鴨神社の鴨一族発祥の地。先ず地名が"鴨神"で近くに高鴨神社
があり、櫛羅には鴨山口神社、御所市街には鴨都波神社もある。身体を休め腹もくちくなった
ので全国の鴨神社の総本社の高鴨神社へ移動。ここは交通の便が悪い為にいつ来ても人が
少なく心が落ち着くお宮さんで標高は290mほど。更に少しダラダラと上って伏見辺りが本日の
最高地点。(307m)さあ今まで貯金した標高をこれから引き出してと極楽寺辺りまでダウンヒ
ル。すぐに南郷、井戸、長柄と集落を結ぶ細い下り道を辿り、豊田で左折。真西へ広域農道を
潜れば葛城一言主神社。ここは一言だけで願ったら何でも叶うという。神社脇の急坂を上って
山沿いに北進すれば行基が開いたという九品寺。もう少し早ければコスモスが満開だったらし
いがさすが1 1月では見る影もない。寺の前の奈良盆地の南の縁が見下ろせる広場で小休
止。CCウインディさんの女性達手作りのケーキやクッキーを頂く。お湯を沸かそうと両クラブか
ら出てきたガスストーブは何と7つも。ここでスタンド付きの自転車を三脚にしての集合写真。
時間は早14時を過ぎ、後は櫛羅から御所市街を走り抜けて畝傍山を時計回りに回って橿原
神宮前駅に帰着。(15:40)天気に恵まれ楽しい一日でした。皆さんお疲れ様でした。

<2018年10月度行事>
第49回 全国サイクリングクラブラリーin 近江路 岩井春隆
10/13-14、 夕凪サイクリングクラブが18年振りにお世話する全国サイクリングクラブラリー
(以下、全国CCR)が琵琶湖大橋東詰めの湖畔で行われました。今回当方の参加者は井川、
伊藤元、今泉、岩井、尾崎、小形、川中、小亀、佐竹、鮫島、正田、仲林夫妻、西宗、萩原、濱
中、藤山、丸谷、森、森田隆サンの20名。この内前回の経験者は4名のみ。当初の参加者は
夕凪CCの20名を含めて1 35名。これだけの大人数が泊まれて、懇親会ができて、ほぼ同
数の自転車を屋内に収容でき、更に料金がリーズナブルな宿舎を琵琶湖周辺で探すというの
は困難を極め、最終的に私が勤めていた会社のOB会に旅行社を紹介してもらいました。さす
が"餅は餅屋"ですぐに見つけ出してくれて昨年の全国CCRで告知できました。当初1 20名く
らいと思っていた人数が最大135名となり、直前に諸事情で9名のキャンセルが出て最終的
に1 26名となりました。夕凪CCの20名のスタッフは初日の昼頃にホテルに集合、各クラブ
に渡す栞(しおり)、名札、自己紹介カード、記念品(キーホルダー)の準備や袋詰めの内職を
行って皆さんの到着を待ちました。ホテルの入り口では数名が誘導、内部はクラブ毎に決めた
場所へ自転車を誘導、と想定通りに事が運び、受け付けは井川サンと体調不良で参加出来な
かった森田達サンのピンチヒッターの仲林サンのご主人も加わってクラブ代表者に一式を渡して
もらいました。1 7時からの代表者会議では来年度の浦和サイクリングクラブさんが担当する
第50回ラリーを最後に打ち切るという"噂"について討議した結果、今回もこれだけの人数が
集まっており今後とも続けるべき、という声が大勢を占め、第51回ラリーをヨコスカサイクリン
グクラブが担当すると言う事で結論を見ました。
懇親会はフレッシュな?尾崎サンと井川、仲林邦サンの司会で抱腹絶倒でした。2次会は前田サ
ン、森田達サンに他クラブからの差し入れの日本酒、末廣サン特製の記念カマボコ等で楽しい時
間を過ごしました。翌日も雲があったものの青空が覗き、
18_のワイドレンズで記念撮影をして参加者の皆さんをお見送り。後片付けをして西宗サンは
実走で大阪まで、濱中サンは石山駅まで走り去り、自動車で帰る川中サンは鮫島サンと帰阪。他
のメンバーは当日参加の森永サンを加え近江八幡を目指して琵琶湖岸を北上。小生もミニヴェ
ロでついて行ったがすぐに後輪がパンクして川中サンに救援依頼。皆さんは近江八幡市街から
安土町方面へ走り、昼食後に解散。井川、伊藤元、佐竹、仲林夫妻、藤山、森サンはここで分
かれ、今泉、尾崎、萩原サンは彦根。相模原市に帰る小形サンを送って小亀、正田、丸谷、森田
隆、森永サンは米原まで走った由。 今回は無事第49回全国サイクリングクラブラリーを終える
事ができました。皆さん有り難うございました。

<2018年9月度行事>
滝畑ダムから蔵王峠を越えて 福元博通
9/16、雨で1週間日延べされてのクラブラン。今月は「滝畑ダムから蔵王峠を越えていくコース
を楽しんできました」と書きたいところですが、途中で足が攣ってメンバーの足を引っ張ってしま
ったほろ苦いサイクリングでした。南海/近鉄線「河内長野駅」に集合したのは尾崎、小亀、佐
竹、萩原、藤山、丸谷、森田隆、森永サンと私の9名。尾崎サンは寺田町から走って来ました。本
日のコースリーダーの森田サンからコース説明を受け、駅前ロータリーから「旧高野街道」を走
りだします。この辺りは昔の面影が残る風情のあるコース、走り始めて直ぐにある「天野酒造」
に寄った後、石川沿いに「滝畑ダム」を目指します。しばらくは登り基調のコースが続き、「滝畑
ダム」では暫し休憩しながらダムの景色を堪能。断崖の岩肌に彫刻された「仏さま」をカメラに
収めましたが、上手く見分けがつくでしょうか?ダム上流の「光滝寺キャンプ場」では、連休とあ
って大勢の人がBBQを楽しんでいました。キャンプ場を過ぎると蔵王峠までの林道の様相が
一変してきます。先日の「台風21号」で折れた木の枝が散乱しているところへ、山肌からしみ
出した水でじめじめとした危険な道が続いているのです。上流からマウンテンバイクに乗った3
人が下ってきました。「この先の道が倒木で通行止めになっている」との事です。ミニパトカー
のお巡りさんにも「通れませんよ」と言われましたが、そこはいつもの「行けるところまで行こう
か」精神のメンバー揃い。倒木して通れないところは自転車を連携した手渡しで越えて行きまし
た。(表紙写真)峠までは急こう配の道が更に続いていますので、自転車から降りて押して登っ
ていくのですが、このあたりから私の足に異変が起こってきました。両足の筋肉が攣って一歩
も登ることが出来なくなり、汗を大量にかいて意識も少しボーとしてきました。気温はそれほど
高くはないのですが、湿度が非常に高い感じでした。どうやら軽い「熱中症」のようです。着てい
たジャケットを脱いで、涼しい所で休憩しながら水分補給をしたら少し楽になりました。今年の
夏は異様に暑かったので、8月中は一度も自転車に乗れていませんでした。いきなり厳しいコ
ースに挑戦して、湿度の高い気象条件や服装の関係もあって「熱中症」の症状になったのだと
思います。メンバーには迷惑をかけてしまいましたが、私のリュックを担いでくれたり、痙攣止
め薬を分けてもらったり、私のペースに合わせて伴走してくれたりと親切にしてもらいました。ひ
ょんな所で「輪友」の友情を感じて嬉しく思いました。ようやく「蔵王峠」に到着して小休止。ここ
からは一転して、麓まで急カーブの続く下り坂、慎重にスピードをセーブしながらも爽快に下り
ました。途中短野(みじかの)の展望台からは「紀の川流域」の素晴らしい景色を眺望すること
もできました。気が付けば、さっきまでの辛い足の痛みをスッカリ忘れていました。そんなこん
なでコースをショートカットして途中の「JR中飯降駅」から帰阪しました。又一つ、勉強させて頂
いたクラブサイクリングでした。参加されたメンバーの皆さま、お世話になりました。

<2018年8月度行事>
小浜から若狭路を三方へ 岩井、尾崎、藤山
小浜駅から小浜市街、若狭一の宮、神宮寺、新平野駅へ 【岩井】
8/12 7:45大阪駅を定刻に発った敦賀行き新快速には井川、岩井、尾崎、小亀、佐竹、鮫島、
萩原、藤山、丸谷、森田隆サンの1 0名が乗車。帰省シーズンに入っているが在来線は普段
の混み具合で全員座れた模様。終点の敦賀駅で小一時間待って、1 1:46小浜駅に到着。前
夜からキャンピングカーで来ている川中サンとゲストの大島サンが合流。暑い中、各自愛車を組
み立て川中サンの先導で"いずみ町商店街"へ。「京は遠ても十八里 鯖街道"起点」という石版
が埋め込まれているが開いている店は少なく、シャッター通りを抜けて港にある若狭フィッシャ
ーマンズワーフへ。ここは逆に人が多過ぎて各自持ち帰り寿司を買ってエネルギーを補給した
が値段は観光地価格。腹もくちくなったので先を急ぐ。大阪から在来線で小浜まで片道4時
間、何せ走る時間に余裕がない。天気予報では午後に雷雨の恐れと言っていたがまだ青空が
覗く。小浜駅迄は来た道を戻り、丸谷サンの先導でR27から旧若狭街道を少し走って、遠敷(お
にゅう)から京都まで最短コースの針畑越道に入る。(表紙写真)この辺りは若狭國一の宮や
旧国分寺跡がある神聖な地。若狭國一の宮は若狭彦神社(上社)と若狭姫神社(下社)に分
かれており、今回は先ず下社から。昔のポンプ式の井戸があり手や顔を洗うとホッとした。
1.5q程南下すると上社、更に鬱蒼とした森の中に同じ様式の本殿があったが周りは簡素。
室町時代頃から祭祀の中心が下社に移った由。次に寄った神宮寺は東大寺のお水取りの
際、お水送りを行っているが、元は上社の行事だったとか。この辺りで大きな雷鳴が轟き、空
模様が怪しくなってきた。遠敷川の右岸を走っていると「川中サンがパンク」の声。"夕立が来る
前に鮫島サンを近くの新平野駅へ"と、自動車で帰る川中サンに電話をして「後は大崎サンと2人
で対処して欲しい」とここでお別れ。(こんな場面以前にもありましたっけ?)新平野駅で岩井、
小亀、鮫島、萩原サンの4名が分かれ、まだ走るという6名を見送った。川中サン等は夕立前に
車へ滑り込みセーフだったとか。
新平野駅から三方駅へ 【尾崎】
4名と別れた元気印の井川、尾崎、佐竹、藤山、丸谷、森田隆サンの6人衆は間違いなく雨が
降るであろう雷曇に向かってペダルを漕ぎ出す。佐竹サンは先週に井川、丸谷サンとこの辺りを
走ったそう。
途中、無悪(さかなし)の踏切で4名が乗車の電車に全員で手を振るが気付いてもらえなかっ
た由。いよいよ雲行きがおかしくなり、ついに天然シャワーの洗礼。皆、急いで無悪の若狭トン
ネルへ駆け込みましたがトンネル内での雨宿りは危険の為、抜けきってから近場の地下道に
逃げ込みました。暫しの休息だけど、帰りの電車の時間を考慮して小雨の中に再び漕ぎ出し
ます。小生泥除け無しの自転車の為、前も後ろもズブ濡れ。三方駅にて輪行する事にしまし
た。途中コンビニに寄った丸谷サンと藤山サンは結局、電車の時刻に間に合わず・・・。パンツま
でビチャビチャとなり大きなレジ袋をもらって座りました。敦賀駅では先行の4名と再会して、1
7:49発の新快速で帰阪しました。
三方五湖から美浜駅へ 【藤山】
せっかくここまで来たのに、このまま帰ったら雨に打たれる為だけに走ったみたいでツマラナ
イ。雨も上がった事だし丸谷サンと相談の結果三方五湖を全部巡って帰る事に。丸谷サンは3日
前にも走っているので心強い。最初の三方湖に着く頃には天気も回復、素晴らしい景色が待っ
ていました。そこから湖畔の道を走り菅湖に差しかかる頃には青空も出て気温も心なしか涼し
くなり、この景色を見ずに帰っていたらきっと後悔していたと思います。水月湖、日向(ひるが)
湖、久々子(くぐし)湖を見て美浜駅から敦賀経由で帰阪しましたが、家に帰ると日付が変わっ
ていました。

<2018年7月度行事>
京・荒神口から志賀越道で近江路へ 藤山省造
梅雨が明け、猛暑が続く三連休の中日(7/15)京阪・神宮丸太町駅に井川、小亀、佐竹、正
田、仲林、福元、藤山、森田隆、丸谷サン。ゲスト参加でCCウインディのFサンの10名が集合、
井川サンと佐竹サンは、この暑さの中をなんと大阪から自走!超人なパワーを感じます!私だっ
たらこの時点で終わっています。(笑)ところが、ここで井川サンの娘さんから「四国から帰阪した
が、家に鍵を忘れて実家に入れない」と電話があり、井川サンが急遽帰阪、結局、佐竹サンのブ
リーフィング後、9名で神宮丸太町駅を出発。本日のクラブランのテーマ「志賀越道」を忠実に
辿る為一旦、鴨川を西に渡って京七口の荒神口からスタート、再び戻る形で鴨川の荒神橋を
渡って滋賀越道を北東へ。左京区吉田本町辺りで道が変な方向に曲がっている?突き当たり
は京大のキャンパス。聞くと志賀越道は本来ならこの京大キャンパスを斜めに通っていたが、
元治元(1864)尾張藩の下屋敷が出来た為途切れた由。途中道に迷うが、凖地元のFサンに
案内して頂いて元の道へ。京大を回り込む形でさらに滋賀越道を進み、やがて白川沿いに県
道30号を「田ノ谷峠」に向けて徐々に登って行く。カンカン照りの割には、先日来の大雨のせ
いか山からの水が所々道路に流れている、この時点で既に汗だくだがその光景に少し涼しさ
を感じる反面、 山に相当な量の水が浸み込んでいると言う事は崖崩れの危険性も有ると言う
事で違う意味での涼しさ?も感じていた(笑)。途中休憩をしていたら正田サンが何やらサドルを
弄っていたので、見るとサドルが滑り台のように先が上を向いていた。聞くと最近シートピラー
を取り替えたが、飼っているアゲハチョウの世話で時間が無くなり調整をしないままクラブラン
に来てしまったらしい。教訓です!皆さん自転車の整備は走る前日までに、ちゃんとやってお
きましょう!中でもブレーキは命にかかわる部分なので特に重要、下りでブレーキが故障すれ
ば命取り!チェックは怠らず!そして自転車等に不具合があった場合は勇気を出して声をか
けて止まってもらいましょう!そう言う私も今年の関西友好クラブラリーに参加した際、前ハブ
のクイックが破損して迷惑をかけていますが・・・。m(_ _)m話が逸れましたが、そこから少し登っ
てコンビニで各自、水分補給と休憩を取り、さらに登って比叡山ドライブウェイの入り口、 田ノ
谷峠に到着。やはりここは京都市内より5〜6℃も気温が低く29℃で涼しく感じました。田ノ谷
峠で トイレ休憩後は琵琶湖を見下ろす豪快なダウンヒル。西大津バイパス南滋賀ランプまで
下り、車の多い国道は避けて、鮫島サンの待つ「おごと温泉駅」に向かうが、坂本比叡山口駅手
前で、あまりの暑さに仲林サンが離脱、石坂線の穴太駅から帰られました。その後、少し走って
坂本比叡山口駅前の日吉大社で休憩後、「おごと温泉駅」で鮫島サンが合流し雄琴のスーパー
で各自昼食を購入。夕凪伝統?の野外で食事も この猛暑では誰も賛同せず、そのスーパー
の"冷房の利いた"フードコートで昼食を摂る。昼食後、Fサンが予定通り帰られた。途中の道案
内有難うございました。その後夕凪一行は、「衣川廃寺跡」(国指定史跡)を見学。琵琶湖の浮
御堂で記念撮影をして(表紙写真)、堅田から琵琶湖大橋を渡り、今秋、夕凪CCが主管する
全国クラブラリーの会場である「ホテル琵琶湖プラザ」に到着。駐輪場の再確認と打ち合わせ
をして(麦茶も頂き)、再び琵琶湖大橋を渡ってJR堅田駅で解散となりました。 参加の皆様暑
い中お疲れ様でした。

<2018年6月度行事>
JR環状線に沿って大阪市内一周 丸谷光昭
6/3 梅雨直前の抜群の好天に恵まれ、JR天王寺駅東口に井川、伊藤元、尾崎、川中、
小亀、佐竹、鮫島、正田、嶋、仲林、西宗、萩原、藤山、前田、丸谷、森、森田隆、森永サン。
ゲストに岡島、角田サンの20名が参集。久し振りの大所帯で賑やかである。岩井サンがお見送
りに参上。本日のコースリーダーは西宗サンにお願いする。久し振りに参加された前田サンはTO
EIにオーダーされたフォーサイドの頑丈なキャリアを装着した渋い萌黄色のキャンピング車を
お披露目。皆さん穴が開くほど注目。ブリーフィング後9:10、天王寺駅東口をスタートし旧庚
申街道の陸橋を渡る。(表紙写真)次の寺田町駅を過ぎ、細い商店街の奥にレトロな銭湯「源
ヶ橋温泉」へ案内したのはスミ旦那。続いて佐竹サンの案内で桃谷まで北上、鶴橋小学校南東
の「百済川」(現在の平野川)に架けられ、文献上日本最古の橋が通称「つるのはし」と呼ばれ
たことが現在の「鶴橋」の地名になったという史跡。さらに北へ御幸森天神宮を東に入るとコリ
アンタウンの商店街である。ほかの商店街とは比べ物にならない賑やかさでエキゾチックな香
りと強烈な色彩が眩い。通りを抜け平野川沿いに北へ。しばらく行くと京橋駅南口に建つ爆撃
被災者慰霊碑。ここから桜ノ宮までは小亀サンが解説しながら進める。桜小橋の貨物線廃線
跡、関西鉄道桜ノ宮線の廃線跡など。昼近くなったので、とりあえず近くのスーパーで昼食を求
め、都島本通3丁目にある鵺(ぬえ)塚に寄る。謂われはさて置き古代日本船と銀杏の葉をあし
らったレリーフを鵺が両側から抱えるユーモラスな大阪港の紋章があった。大川(旧淀川)べり
の木陰で昼食タイム。川にはボートが浮かぶのどかさ。食後は川沿いに南下し旧大阪市長公
邸跡近くにある水防碑の前で、正田サンが明治18年の大水害時に江戸時代から度々行われ
てきた「わざと切れ」と言われる方法で浸水した水を川に戻したと熱弁を振るう。明治の造幣寮
の応接所であった泉布観に立ち寄り、ここから福島までは前田サンに案内して頂く。国道1号線
を西へ。梅田を通り、真っ昼間の北新地の中を走る。夜に豹変する北新地は明るいとムード
がないですね。な〜んちゃって♪邪念を捨て前田サンに付いて行くと、赤穂浪士ゆかりの寺とさ
れ矢頭長助、右衛七親子の墓が建てられている浄祐寺。続いて下福島公園の野田藤を見て
安治川沿いの中央卸売市場に進入。巨大な市場の中を20名が隊列を組んで走る。市場を抜
けて安治川トンネルで川の南に上がり、少し東に行くと江戸時代初期の政商で航路開拓や治
水工事に功労があったとされる河村瑞賢紀功碑が建てられている。一息入れ九条の商店街を
抜け、大正橋を東に渡って安政大津波の碑が建つ袂(たもと)で小休止。ここで嶋サンと角田
サンが帰宅された。今回大阪市内をぐるっと廻ってみて水都といわれるだけあって川と水路と橋
が交錯。東洋のベネチュアと喜んでばかりはいられない、災害とも隣り合わせと実感した次第
です。あと少しでゴール。環状線と関西本線が合流する今宮駅を通り新今宮駅へ向かう途中、
信号で2グループに別れてしまい藤山サンと連絡をとって天王寺公園前にて集結、解散となっ
た。梅雨前の気持ちの良い一日、皆さんお疲れ様でした。案内頂いた諸兄、有難う御座いまし
た。

<2018年5月度行事>
能勢・水と緑と風のクラブラン 井浦澄夫
天気は晴れ。空気は乾燥していて、5月にしては少し肌寒いがサイクリングには最高のコン
ディション。井浦、伊藤元、尾崎、川中、小亀、佐竹、仲林、福元、丸谷、森、森田隆サンに千里
から自走して来た森永サンを加え1 1名が妙見口駅に集合。予定ルートのブリーフィングを済
ませて9:45にスタートしました。駅前から続く「花折れ街道」1 kmはいきなりの上り坂。体を
慣らしながら、まずは最初の峠を越えます。国道477号線に入ると左手遙かに知明湖(一庫
ダム)や能勢の山並みが広がります。山は新緑の時期を終え、夏の緑に変わりつつあります。
皆さん景色を楽しむ余裕があったかどうか、休む間もなく2番目の峠を目指します。大槌峠を
越えると両側に田植えを終えたばかりの水田が広がり、カエルの合唱と鳶の声がのどかに響
きます。心地良い風が、峠でかいた汗を乾かして、やっと余裕が出てきたのか、「能勢はいい
なぁ」とか「最高のサイクリング日和やなぁ」とか、会話が始まりました。程なく野間の大ケヤキ
に到着。なんと、樹の周りには大きなレンズを付けた5-60台のカメラが、樹の一点を狙って群
がっていました。これらのレンズ、1本1 00万円としてざっと5-6000万円の砲列です。アオ
バズクが子育てをしているのを撮ろうと集まって来たのです。この人ごみに辟易して2km程北
の能勢氏歴代の墓所である「清普寺」へ避難することにしたのですが、川中サンがトイレに行っ
ていることに誰も気が付かず、置き去りにしてしまいました。(^_^;) 清普寺を見学して大ケヤキ
に戻ると、川中サンに加え大阪市内から自走してきた尾崎サンも合流、総勢1 2名になりまし
た。ダム湖北端から約3kmは湖畔の道をフリーランです。満水状態の湖面を見下ろしなが
ら、それぞれのペースで走ります。龍化渓流の吊り橋で一旦集合、橋を渡り国道173号に絡
みつく様な旧道を縫うように道の駅「能勢くりの里」を目指します。途中のコンビニで昼ご飯を仕
入れて、道の駅に到着。12:20、ほぼ予定通りです。昼食の後、今シーズン最後の喫茶ゆう
なぎ。いつものように福元サンのおいしいコーヒーを楽しませていただきました。近年、能勢はた
くさんのサイクリストやレーシングチームが走っており、この日も4グループが休憩、さすがにラ
ンドナーは皆無で、絶滅危惧種であることを痛感させられます。「夕凪は雨の日は走らんの
に、なんで泥除けがいるねん?」なんて声も聞こえて来たりして…。帰路は、日生中央駅までざ
っと1 0km、食後はいきなり峠を2つ越さなくてはなりません。緩やかな丘の斜面をゆっくりと
登って行きます。もう少し急な坂であれば誰はばかることなく降りて歩くのですが、心憎いほど
自転車には打って付けの斜度で、意地でも歩くわけには行きません。ヒイヒイ言いながら何と
か2つの峠を越えると、あとは一気に阿古谷(あこたに)を下ります。寒天干し場や乗馬クラブ
のお馬さんを横目に、風を切って谷を駆け抜けると、紫合(ユウダ)というところに出ます。放出
と並んで、関西の読みにくい地名として必ず登場する名前です。ここまで来ると駅はもう丘の上
に見えており、最後の坂を上って、14:25日生中央駅へ到着。全員揃ったところで解散しまし
た。その後、尾崎、小亀、佐竹、森永サンは自走で帰路につきました。

<2018年4月度行事>
花冷えの関西友好クラブラリー 小亀哲治
4/7 9:10、佐竹サンと藤山サン、伊藤元サンと私の二組に分かれ、大阪駅始発米原行き新快速
に乗り込んだ。米原駅で乗り換えて9時28分余呉駅着。ところが藤山サンの愛車の前輪クイッ
クシャフトのネジ山にトラブル。急遽佐竹サンのエンド金具用のクイックを借りて、10:10霧雨の
中余呉湖を左回りに走り出す。所々、満開の桜を見ながら余呉湖観光館に着く頃には本降り
に。ここで小雨になるのを待って余呉川沿いに南下、旧R8の賤ヶ岳隧道を越えると琵琶湖が
眼下に広がった。湖岸を左に回り込み、12:20丸子舟を展示している道の駅「あぢかまの里」
に到着し昼食とする。30分後、雨が上がって出発。R303号の岩熊トンネルを越えた辺りで1
3時だというのに電光掲示板の気温表示は8℃。予報は最高気温13℃の筈。「おお寒っ!」
13:30海津大崎の入口に到着。ここまで30q。左に湖岸、湖面に遊覧船。近くは両側に満開
の桜。風が吹くと花びらが舞い、ゆったり走る心地よさ。これぞ毎年この季節に行われる関西
友好クラブラリーの醍醐味だ。14時、海津に到着。それぞれ思い思いに約5qの海津大崎を
堪能し、マキノ・サニービーチ沿いの風車街道を走る。コーヒータイムで14:20、西浜という湖岸
で湯を沸かす。この時は暖かい陽差し、花吹雪とコーヒーを楽しんだ。約30分休憩し、宿に向
かって走り出すが陽差しの中で小雨がぽつりと・・・。今津を過ぎて16時、安曇川駅前の関西
友好クラブラリー会場"丸三旅館"に到着。今日は追い風だったので良かったが、雨が降った
りやんだりの中を54q。早速風呂で温まり、18時から交歓会。4名で今秋の全国クラブラリー
をアピール。終了後、3人は部屋に戻り、私だけ二次会へ。丸三旅館は夕食(近江牛らしい)
が美味しく、風呂も温泉ではなかったが、広くて綺麗。なお、記念品はさすがに彦根サイクリン
グクラブさん、"ひこにゃん"のピンバッヂ。翌日は少し寒いが眩しい朝日の中、8:30に記念撮
影をして再度今津に向かって北上。9:15、"琵琶湖周航の歌資料館"に入る。開館20周年記
念で入館料は無料。大正6年に作られたこの歌は誰もが知っているボクも好きな歌。約30分
程見学し建築家のウォーリズ通りへ。ここは昨年6月にクラブランで来た。旧郵便局、教会、資
料館と散策し、旧江若鉄道近江今津駅舎を回って10:15、マキノに向かう。向かい風の中1
1時、メタセコイヤの並木道に到着。駐車場で水を補給し、並木道の側道でコーヒータイム。準
備が整ったところでガスライターの故障でガスに火が着かない。4人ともタバコを吸わないので
ライターが無い。もはやこれまでと諦めかけた時、何と偶然にも藤山サンのブログ仲間のサイク
リストが通り掛かり奇跡の火でコーヒーを楽しめた。そしてメタセコイヤ並木道を約2q北上、
折り返して知内川に出るべく南下するが早速、道に迷い山林を担ぎ山道を押して何とか知内
川を見つける。ここからは川沿いのサイクリングロード。下りで追い風、ウグイスの囀りをあと
にして一気に13時10分、近江今津駅へ到着。本日の走行距離は38q。昼食代わりのつま
みを仕入れ、15時30分大阪駅着の新快速で無事帰阪した。寒い中皆さんお疲れ様でした。
彦根CCさん今回はお世話になりました。

<2018年3月度行事>
大垣から木曽三川界隈へ 丸谷光昭
3/1 1朝の寒さはまだ残るが天候はまずまずの様子。集合場所のJR御堂筋北口には井
川、伊藤元、今泉、小亀、佐竹、正田、仲林、福元、藤山、森永サンがすでに待機している。青
春18切符を使い濃尾平野を散策するコースである。満員の乗客の中、大垣駅に予定通り9:
19着。一昨日から川中サンがキャンピングカーで既に来ており同乗の森サンと出迎えを受ける。
各自自転車を組立て、10:00ちょうど出発。まずは石田光成の居城、大垣城から。こぢんまり
としているが上品な佇まいである。出発に当たり近くの豊富な自噴泉である「大垣の湧水」を水
筒に注ぐ。城を取り囲む水門川に沿って南下。車が通らない安心の土手のルート。養老大橋
を西に渡り、揖斐川に並行して流れる牧田川沿いにやがて根古地に至る。
●穀倉地帯ゆえの悲しい事件の舞台へ
東から木曽川、長良川、揖斐川の三川には大小380もの川が網の目の様に流れ込んでお
り、また江戸前半期には下流域に新田開発がなされたため川幅が狭く水の流れが悪く繰り返
す洪水に治水の必要があった。幕府は再三の陳情に黙っておれず、宝暦3年(1753)薩摩・島
津藩に三川治水の「お手伝い普請」を命ずる。1200kmも離れた薩摩から家老の平田靭負
正輔(ゆきえ まさすけ)を始めとして947名の藩士、借金と合わせて40万両の資金を調達。
今の価値では400億円くらいだという。幕府は工事規格や工期に厳しく、藩士への待遇は余り
にも冷酷なものであった。食事は一汁一菜、風呂もなく板敷に煎餅蒲団、密談を防ぐため全員
分宿せられる。空腹に耐えかね生水をがぶ飲みして下痢と悪疫に苦しめられる。更には幕府
方による嫌がらせ、工事の妨害などでついに割腹者、病死者続出。しかし割腹は御上への抗
議と捉えられる為、公にはされず、「下(しも)のものにて怪我」と伝えられる。先ず天照寺の西
にある「根古地薩摩工事義歿者墓」に手を合わす。続いてお寺に参るが生憎住職さんは留
守、近くに居た寺関係者の許可を得て本堂に入れて頂く。大水の折、出土した甕棺(かめか
ん)が展示されており余りの小ささが痛ましい。
正午近くなったので近所のスーパーで各自弁当を買って、次の予定地の「薩摩藩工事役館
跡」の休憩所で昼休みとする。ここには工事惣奉行を勤めた家老の平田靭負の辞世の句碑
と、杖と巻物を持ち凛々しく指揮をとる像が立っている。
薄曇りだがちょうど良い気温の中、揖斐川に懸かる今尾橋を西に渡ると平田靭負の偉業を
偲んで明治の初めに名付けられたという平田町(海津市)に入る。さらに義没者を祀る常栄寺
を通り南進する。大江川沿いにしばらく走ると水路の向かいに海津歴史民族資料館の建物が
見える。見学時間は限られるが、輪中(わじゅう)での人々の暮らしぶりや縄文時代からの営
み、それに各時代の治水事業の様子が展示されてある。
●川沿いの道を颯爽と
大江川は時に幅を広めたり狭めたり蛇行しながら、しかも海抜が0mに近いせいか流れが分
からないくらいゆったりしている。首筋に当たる風が心地よい。川を離れて石亀に入ると、正面
遠方に木曽三川公園タワーが小さくキノコの様な形に見え出した。この直線路には鹿児島県
から移植された「カイコウズ(海紅豆)」、アメリカデイゴとも呼ばれる鹿児島の県木が植えられ
整備されたので、カイコウズ街道と呼ばれているがそれらしい木は見当たらなかった。さあ、あ
と4kmで到着だ。追い風に助けられ皆さん快調に走り、14:30公園に到着。園内は乗車禁
止。輪中家屋が数棟移築されてあるので見学。母屋の軒には船が吊り下げられ、有事の際の
移動手段が確保されている。この地方の水に対する真剣で真摯な生活ぶりが覗える。
●展望タワーから見えたもの
高さ65mのタワーからは360度の景観。今日走ってきた道がはるか彼方に見え、南に目を
やれば伊勢湾に流れ込む三川がよく分かる。(右写真)長良川と揖斐川を締め切って分流させ
た国内最大の土木工事といわれる薩摩藩による「油島千本松締切堤」が真下に。記念に植樹
された日向松の大木の並木がうねるように伸びている。近世に至っても改修工事が続くが、昭
和43年(1968)の伊勢湾台風により壊滅的打撃を受けるに至った。
●治水神社に参詣
平田靭負を祭神として祀られた治水神社が今日の締めくくりだ。遠くまで足を延ばし少々疲
れたため、15:50養老鉄道・多度駅で打ち切り。 皆さんお疲れ様でした。

<2018年2月度行事>
旧三木鉄道と播州平野 正田俊夫
前夜にコースをたどりマークしようと平成9年修正とある5万地勢図を取り出すとなんと平成2
0年(2008)に廃線となり、本日訪れるはずの旧三木鉄道がまだ健在だ。集合地の阪急・梅
田駅に7:30、愛車を分解し皆と合流。すでに構内にいる仲間が迎えてくれる。新開地駅では
伊藤元サンが乗換の間に小用を足すがこれが1列車遅れる事に。鈴蘭台駅では中尾サン、ゴン
ちゃん、ゲスト参加のI 倉サンが合流。終着の小さな広野ゴルフ場前駅には先行していた丸谷、
藤山サンがお出迎え。ここで全ての仲間13名が集まる。前もって下見をされた佐竹、丸谷サンが
コース及びその後の具合が気になる岩井サンの眼の経緯を説明。時間はかかるが改善する見
通しのある事を聞いて一同ホットする。10:00になり、丸谷サン、佐竹サンの先導で三木市に向
かっていざ出発。三木市立金物資料館を見学となる。目に飛び込んで来たのは炎を吹いてい
る炉だ。古式の製鉄法、タタラ(踏鞴)の実演と言う。先ずは館内のビデオで学習だ。金物関係
の仕事をしていた森田サンの目が輝いている。入口で渡された漢字表に目をやると鋤(スキ)、
鍬(クワ)はまだしも、鉞(マサカリ)、鑢(ヤスリ)などはお手上げだ。係りの女性から説明があ
るが、中でもギムネに興味を覚える。ドリルのビットに似た螺旋状になった、木に穴を明ける道
具だ。これの出来る行程が実物で示され、想像もつかぬ先人のアイデア、技術に感心。資料
館の見学を終え表の炉に再び向かうと砂鉄を鞴(ふいご)で溶かす作業中だった。真っ赤に流
れ出るのが"ノロ"と言い久し振りに耳にする言葉だ。若い時分、鋳物屋に勤めた頃と重ねる。
資料館を辞し美蓑川に懸かる末広橋の欄干には先程のギムネが意匠のモニュメントが三木
金物を誇らしくしている。三木市立金物資料館の建設費用は小林ギムネ製作所社長の故小林
元二氏の遺志を汲んで後を継いだ恒美氏が三木市に寄贈したとかでひょっとしたら関係があ
るのかも。すぐ近くの旧三木鉄道の旧駅に今は線路が撤去され観光用の足踏み自転車が組
み込まれたトロッコが走っており無料だそう。これを表紙にしようと一同カメラに収まる。(表紙
写真)前後にペダルが有るのはタンデム、ペダルが横に並んでいると?とゴンちゃんに意を向
けると無言。その後解体新書のシーラントの話を振ると、いよいよ饒舌になり今月号のニュー
スにあったニップル(乳首)にも及ぶ。さらに北へ走りJR粟生(あお)駅へ。ここで仲林サンがリタ
イヤ。後輪のタイヤのサイドが劣化しバーストの恐れがあるため空気圧を低くして走って来た
が、いよいよここまでと別れを決める。粟生駅の駅舎はモダンなアーチが重なるデザイン重視
だ。コースに戻って播磨中央自転車道を行く。向かい風が容赦なく吹き、先行と後続が離れ気
味。そんな中、本日ラレーをお披露目の川中サン、自分の意思に反して自転車が勝手に一人走
ってくれるのを実感してか常に前組にいる。新車に気を良くしているそうだ。北条市街で各々食
事に。有志のみ楽しみにしていたスポットである五百羅漢を見に行くが、膨らんでいたイメージ
からは少し肩すかしをくらった思いだ。戻って来ると福元サンのコーヒーブレークに間に合った。
至福の時だ。少し酸味の気品の味。小亀サンはどうやらバーナーの具合が悪そう。3:45、東笠
原町(法華口駅近く)で所要の為、JR粟生駅に向かう川中、丸谷、森田サン等と別れ、加古川
右岸自転車道を南下する。途中ゲスト参加のI 倉サンがマラソンランナーだったと知りビックリ。
フルで4時間を切ったそうですごい。権現ダムではロックフィルの壁面にソーラーパネルが張ら
れ、前回来た時とは趣が違っていた。市街に入る前に加古川を右岸(西)から左岸(東)側へ
「水管橋」を渡る。人と自転車だけが通れるのだ。この水管橋は昭和55年に(1980)に完成
した工業用水送水管で、全長426m、直径1.2mの送水管が2本。権現ダムや平荘湖の水
を2万t/日も臨海部の工業地帯に送っているという。横から見ればアーチが幾重にも連続し、
河口に近い分長い。橋好きの私には今日の締めくくりが最高のものとなる。加古川駅で解散と
なるが、本日は朝から強風にもて遊ばれ、実質☆☆☆☆と思えた一日だった。ランドナーの美
学を貫く殿(しんがり)を努めた藤山サンありがとう。

<2018年1月度行事>
大和國一の宮・大神神社へ初詣 岩井春隆
1/14 今年最初のクラブランは2014年から摂津國、河内國、和泉國、紀伊國と旧令制の國の
"一の宮"巡り。5年目の今年は日本国発祥の地である大和國(奈良県)の大神(おおみわ)神
社へ詣でた。今号はページに余裕があるので沿道の歴史を少し詳しく・・・。集合地の近鉄奈良
駅東口には井川、伊藤元、今泉、岩井、小亀、佐竹、正田、福元、藤山、丸谷、森、森永サンと
ゲスト参加の大和郡山市のKサンの13名が顔を揃えた。コースは猿沢池からほぼ真っ直ぐに
南下、桜井に至る上街道や上ッ道、伊勢本街道とも呼ばれる奈良盆地を南北に縦断する歴史
が香る古道。奈良盆地には並行して上、中、下の街道が3本あるが上街道は一番東側、更に
東の山沿いの小径は"山辺の道"。新年の挨拶とコースの説明等を済ませ、近鉄奈良駅を出
発し(9:05)行基広場から東向商店街を歩いて三条通りから猿沢池へ。本日の奈良北部の
天気はまずまずで青空がのぞく。ここで90度右折して猿沢池沿いに古い街並みが残る奈良町
へ入る。近年ここ奈良町は観光スポットとして注目されている。更に上街道は平城京の南の縁
か京終(きょうばて)町に差し掛かる。JR桜井線が上街道の西側を付かず離れず並行して走
り、今でもこの辺りから家並みは疎らになる。出発して約5q、やがて子授け・安産祈願の帯解
寺。空海が彫ったという帯解子安地蔵尊が本尊で1 100年程前、文徳天皇妃の染殿皇后が
子授けを祈願し成就したので帯解寺の寺号を賜ったとか。帯解寺から少し南下した所に龍象
寺というお寺があり、ここにも行基が彫ったという日本第一子安地蔵尊を本尊に子授け・安産
祈願を謳っている。本家と元祖の様な関係か?更に上街道を南下し櫟本、西名阪自動車道を
潜ると天理市街。ここで一旦上街道から外れて長い上り道の商店街を歩いて久し振りに東の
山麓にある石上神宮に詣でる。(10:45)ここは物部氏系の神社で第1 0代・崇神天皇7年
(BC91)にこの地に鎮座したという。元々本殿は無く拝殿の後方の禁足地に神剣等のご神体
が埋まっているとの伝説があり、明治7年に発掘したところ、果たして神剣「布都御魂」等が見
つかり大正2年に本殿が造営された由。さて昼食は石上神宮のすぐ南にある神宮外苑公園。
入り口は狭いが中は広く、天気が良ければ陽だまりが暖かいのだが・・・。三々五々集まって
昼食を摂り、今月も福元サンに淹れて頂いたメキシカン珈琲を愉しむ。さて先を急ごう。(12:2
5)外苑公園の少し南から再度上街道へと西進して下るが、方向感覚を失ってちょっとウロウ
ロして丹波市(たんばいち)町の"陽屋根"(ひやね)へ到着。(12:45)出発からここまで約16
q。天理市は昭和29年に丹波市町を中心に周辺町村と合併して誕生したが、平安時代には
丹波庄の上街道(伊勢本街道)沿いに丹波市という"市"が月に6回立った(六斎市)というのが
この"陽屋根"の場所。かつて"陽屋根"はもう一つ並んでおり、牛馬の給水施設や旅館、商
店、遊郭もあった地域の中心地だったというが、今は静かな時間を刻んでいる。今回の予定コ
ースの半分を過ぎ、上街道を更に南下する。(13:00)三昧田町辺りで東に大きくRを描き再
び南に進路を取れば大和(おおやまと)神社。祭神は日本大国魂神で昼食時に寄った石上神
宮と同じ崇神天皇7年(BC91)に、倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめ)が見た夢のご
託宣で創建された由。(最初はこの地では無かったらしい)戦艦大和と同名の縁で祭神の分霊
が艦内に祭られていたそうで戦艦大和ゆかりの神社という石碑があった。ここから更に上街道
を南下しすぐに第1 0代崇神(すじん)天皇陵。一説によると初代神武天皇から第9代開化天
皇迄は実在せず、崇神天皇が初代天皇だとか。更に南下をすると国道169号がJR桜井線を
越えているので迂回すると前方に表紙写真の箸墓古墳。被葬者は公式には前ページでふれ
た倭迹迹日百襲姫命。彼女は巫女(シャーマン)と考えられるので一説には卑弥呼の墓の可
能性もあるとか。この辺りは竜王山や三輪山の麓に数々の古墳が点在する纒向古墳群や纒
向遺跡が広がる。しかし遺跡は人家や田畑の下にある為発掘は遅々として進まない。さあここ
まで来れば本日の目的地の大神神社まであと少し、箸中で纒向川を渡って暫く行くと三輪山が
間近に望まれる。32bの巨大な鳥居があり、初詣の為かこの大鳥居を潜って大神神社に向
かう自動車で溢れ返っている。自転車の我々はスイスイと二の鳥居まで進み駐輪、拝殿にて
今年の安全を願った。ご神体は拝殿の先にある三輪山で原初の自然崇拝を留めている。大
神神社の祭神は大物主大神で三輪山に住む蛇神。大物主大神(大国)といえば神話の時代に
ヤマト政権と争ったという出雲の神であり、三輪山に出雲神を祀る様に具申したという倭迹迹
日百襲姫命の話しは、前述の大和神社の伝承と時代やストーリーが一部重複している点で何
かがありそうだ。その後、近鉄・桜井駅まで走り、古代の日本の歴史に包まれて本年のクラブ
ラン初走りを無事終わる事が出来た。本年も無事故で行きましょう。

<2017年12月度行事>
雪の天引峠を越えて亀岡へ 岩井春隆
2017年の締めくくりの年末サイクリング。今年は寒さが厳しそうだし季節風を受けて東向き
に走れるコースを検討。5万図を見ていて何年か前にトンネルを潜った天引(あまびき)峠が閃
き、コースは兵庫県の篠山市から天引峠を越えて京8都府の亀岡市へ。また昨年暮れ、丸谷
サンが白井田サン等と亀岡市内の「丹波七福神めぐり」を走っているので相談した結果、ジョイン
トしてのコースで決まった。12/10 集合地のJR大阪駅には伊藤元、岩井、尾崎、小亀、佐竹、
正田、福元、丸谷、森田隆サンの9名が揃い福知山線で篠山口駅へ向かう。前線が南下中、今
夜は雨の予報でどんよりとした空模様。9:03予定通り篠山口駅に降り立ったが青空の下、穏
やかな冬の日が広がっていた。白い息を吐きながら各自愛車を組み立てる。私は数日前から
の風邪で喉をやられ声が出ないが熱は無いので参加した次第。出発前のコース説明は丸谷サ
ンにお願いし走り出す。先ずは篠山市街を目指し、篠山川を渡って篠山城址西側、堀端の御
徒士町武家屋敷跡を走る。河原町の妻入り商家群も見て、今回は京口橋を渡って篠山市街を
後にR372に並行する旧山陰街道を東進する。旧家の日陰の残雪が気になった。コンビニで
昼食を仕入れる。すぐに右手に丹波富士と呼ばれる高城山。山頂には八上城址があり、明智
光秀が丹波を攻めた際、織田信長の力攻めの命令で和議の為に差し出していた母親を殺さ
れたのが"本能寺の変"の一因という説も・・・。青空の下3qほど鄙びた旧街道を走れば足利
尊氏ゆかりの日置の磯宮八幡神社に国の天然記念物の裸榧(ハダカガヤ)の巨木。渋皮の
みで殻の無い榧(カヤ)の実はほんのり柑橘系の香り。そこから徐々に高度を増す旧山陰街
道を更に東進、小さなピークを越えれば福住の交差点。丁度お昼時、樹齢7-800年の安田
の大杉の下で昼食とする。前線が近づいているのか少し曇って来たので約40分後に福住の
町を出発、安口(はだかす)、西野々を過ぎると前方に天引トンネルが口を開ける。我々は手
前の細い旧道へとハンドルを切るがピークに近い左に湾曲する山陰には約5aの雪が約100
bに亘って積もり自動車の轍が残っていた。(表紙写真)しかしそこから兵庫県/京都府境の天
引峠迄は積雪が途切れ、少し積雪のあった頂上を過ぎると杉の枝が落ちているのみ。西側か
ら越える天引峠は篠山市と園部町との標高差の違いで長い急坂を下る。その後天引の集落
からは上りと下りを繰り返して亀岡盆地の西端へ。途中の神前辺りだったか日本猿を2匹間近
に見た。桂川に掛かる月読橋を渡り、盆地東端に南北に位置する「丹波七福神」を巡る。やっ
と亀岡盆地に下りてきたのに札所のお寺は山の中。今回はコースの関係で逆回りとなり、東光
寺(福禄寿)、極楽寺(寿老人)と回って次の5番札所の耕雲寺(恵比須天)はかなり標高が高
く、福元サンに淹れてもらった珈琲を愉しみながら西側下には亀岡盆地が広がる。サイクリング
ならではの贅沢な時間。陽が傾き始め、時刻は既に16時になろうとしている。「丹波七福神」
は5ヶ所を残したが日を改めての再訪を期しJR亀岡駅へ向かった。

<2017年11月度行事>
交野「星のブランコ」から八幡市へ 藤山省造
10月のクラブランは毎週末の台風来襲でまさかの中止、やっと悪天候から開放された11/12
は久しぶり?のクラブランで「ゴンちゃん(今泉サン)と行く交野自転車散歩」。自走組の私は岩
井サンのマンションに7:00に集合。TOEIランドナーを岩井サンに改造してもらっていた仲林サン、
佐竹サンと清滝街道から東高野街道を走って、8:00集合場所のJR片町線(学研都市線)の星
田駅に到着。予想外?の早すぎる到着にもかかわらず既に輪行組が3名ほど自転車を組んで
いました。手持ち無沙汰な自走組の私たちに岩井サンが持ってきた1枚の古い写真。なんと41
年前の同じ星田駅(当時は国鉄片町線)での三洋CCとのスナップ。(三洋CCのS田サン撮影)
瓦葺き平屋の駅舎と超スリムな岩井サンの若かりし勇姿?(右端は奥さん)何処かしら俳優の
大泉洋を思わせる風貌、なかなかのイケメンに一同盛り上がる。(笑)もうすぐ65周年を迎える
夕凪CCの歴史を伝える1 枚の写真でした。集合時間の9時には伊藤元、井川、今泉、岩井、
小亀、佐竹、鮫島、正田、仲林、萩原、藤山、前田、丸谷、森、森田隆、森永サンとゲスト参加の
K田サン、K貝サン、F村サンで、なんと19名の大所帯。1 0月は走れなかったせいなのか、皆さん
ストレスがたまっていた様です。そして9:1 0ゴンちゃんのコース説明のあと交野市内を散
策、武家屋敷の様な町並みの路地を抜け星田公園に到着。徳川家康が本能寺の変の後、明
智光秀の手から逃れるため身を潜めたと言う「家康ひそみの藪」や「旗掛けの松跡」などを見
学。そこからブドウ畑の中を走って "大阪みどりの百選"指定の「源氏の滝」に到着。4年前くら
いに前に来た時は確か滝の前に柵があって近づく事が出来なくなっていたのですが、安全対
策が終わったので取り払われたのでしょう。この源氏の滝は一時期自転車から離れていた私
が再開するきっかけとなったマウンテンバイクで、何度か訪れていた懐かしい場所でもありま
す。名前の由来は源氏物語とは関係なく、開元寺というお寺がここにあって、もとは「元寺瀧」と
書いて"げんじのたき"と言われ、修行場だったそうです。そこからしばらく走って河内磐船駅前
のスーパーで昼食を調達、磐船街道を上って10:50昼食予定の星田園地に到着。園内は自
転車が持ち込めないので各々入り口に自転車を駐めて、名物の吊り橋「星のブランコ」まで歩
く事に・・・。腰痛の鮫島サンとお守りの森永サンはレストエリアで昼食。ここの道はハイキングコー
スの坂道で、うん百段の階段もあり、脚に堪える、堪える!皆さん汗だくになりながら「星のブラ
ンコ」に到着。記念撮影をしてようやく昼食にありつくが、他のハイカーさんも沢山いたので自
然と二手に別れての食事。この日の気温は10℃、東屋の日陰で食事をした私たちは汗が引
いたのもあって寒さに耐えながらの食事、一方、日向でお弁当を広げていた岩井サン達は余裕
で上着を脱いで居られるほど、「シマッタこっちに来ればよかった」と後悔。昼食後は展望台ま
で少し登って枚方市から京都タワーまで見渡せる眺望を堪能。その後、鮫島サンと森永サンが待
つ麓まで降りてきて出発準備。お二人には一緒に食事出来ず少し寂しい思いをさせてしまいス
ミマセンでした。鮫島サンはここから下って帰られるという事で、ここでお別れ、お疲れ様でした。
13:30私達はさらに磐船街道を上り新磐船トンネルの手前で旧道に入り磐船神社で小休止。
ここから"くろんど池"に向かう予定でしたが時間の関係でパス。そこから北田原町の農道や小
さな峠のある集落を通り、高船まで車の少ない"ええ道"を上りきって笠上神社に到着、ここか
ら京都府に入る。見晴らしのよい笠上神社前で休憩を取り。そこから一気に下ってR307か
ら、府道22号で一休寺に向かうが少し手前で後続がはぐれてしまう。どうやらR307をまっす
ぐ行ってしまったらしく、丸谷サンに電話をして正田サンと私が迎えに行って無事合流、一休寺の
紅葉を堪能。入山料を払って中に入らなくても参道の紅葉で十分楽しめた。時間も押してきて
一休寺を出発したのが15:45、太陽が傾くと共に気温も下がり始める。府道22号を北上し八
幡市に入って四季彩館から流れ橋(上津屋橋)へ。昨年3月のかさ上げ工事で流れにくくなっ
た筈の流れ橋が1 0/22の台風21号で流れてしまった様です。流れ橋を見た後は木津川サ
イクリングロードを走って1 7時前に京阪八幡市駅に到着。ゴンちゃんならではの起伏にとん
だ良いコース&ええ道でした。ゴンちゃん、リーディングお疲れ様でした。参加の皆様お疲れ様
でした。余談ですが、輪行の用意をしていなかった私はここから自走で帰る井川サン、佐竹サン、
森永サンと私に付き合ってくれた丸谷サンの5人で淀川CRを走り、京阪・樟葉駅から佐竹サンが
輪行。枚方で完全に日没になり、井川サン、森永サンと別れ、丸谷サンを京阪・枚方市駅まで見送
って、更に一人で暗い淀川CRを走って19時前に帰宅しました。
私の走行距離は95q、脚が攣るし疲れました。

<2017年10月度行事>
第48回全国サイクリングクラブラリー 岩井春隆
10/7 日の出前の5:20、前日からの雨が僅かばかり残る中、家を出て新大阪駅で小亀、佐
竹、正田、丸谷サンと大阪組が勢揃い、7:17ひかり508号で大阪を後にする。名古屋駅で東
京の森田達サン、弟君でゲスト参加の横浜の悦弥サンとも落ち合い、JR武豊線の亀崎駅には予
定通りに9:18の到着。無人駅だが日本一古い現役の駅だとか。旧市街は駅から東へ600
b程。昔は江戸廻船の停泊地や漁港で栄え、今はひっそりとした街だが5月の亀崎潮干祭で
は干潮の波打ち際に5輌の大きな山車を引き下ろす由。神前神社に旅の無事を祈願し半田
市街へと走り出す。亀崎から南は埋め立て地ばかりで運河に分断されなかなか前に進めな
い。やがて真っ黒なミツカン酢の工場が幾つも見え、31輌ある山車が5年に一度勢揃いする
「はんだ山車まつり」会場。しばし雰囲気を味わって半田の街を後に南下する。天気が回復し
時々薄日が射す中、スシローを見つけ昼食。その後は武豊町から知多半島の田園地帯を横
断し西岸へ。海沿いの道を北上する。やがて焼き物で有名な常滑の市街に入り、駐車場の先
に煙突が沢山見え、焼き物散歩道は小径が連続して段々と上って行く。路面や壁面に土管や
焼酎瓶が埋め込まれており、再度ゆっくりと来たい所。(表紙写真)今日はまだ先が長いので
後ろ髪を引かれながら常滑を後にする。7q程北上すると新舞子。チャペル風の建物や遊歩
道があり小休止。ここから5q程は名鉄常滑線に沿った自転車向きの小径で快適に朝倉町。
ここで再度10q程走って知多半島の根元を東へ横切る。少しアップダウンを繰り返して東浦
町の「あいち健康の森プラザホテル」に到着。今回の参加者は98名、懇親会で旧交を深め
た。 10/8朝から天気が良く集合写真を撮ってラリーはお開き。小亀、丸谷サンはNCTC京都サ
ンに合流する為に別れ、自転車で道を走ってみる会と名古屋サイクルフレンズさんの見送りを
受けて、岩井、佐竹、正田、森田兄弟の5名で徳川家康誕生の地、岡崎へと向かう。名鉄・刈
谷駅前でペンギンCCのY岡サンに出会い、安城市を走り抜け美矢井橋から矢作川右岸堤防に
出る。川を遡ると遙か先に岡崎市街。秀吉が蜂須賀小六と出会ったという像のある矢作橋で
休んでいると横浜CCの方々と再会。その後カクキューの八丁味噌の里を見学し、岡崎城の庭
でアウトドアランチ。今日は旧東海道を熱田神宮まで行く予定だったので、横浜に帰る悦弥サン
と別れ、矢作橋を再度渡ってすぐの旧東海道へ。約1qで国道1号に合流し2q先のY字路を
右へ。途中で地元の人に旧国道1号/旧東海道を確認したのに。(先ほどのY字路は間違いで
更に300b名古屋寄りのY字路が正解。)GPSで現在地を確認するが表示の地名が5万図に
はなく、Gスタンドで聞いてようやく旧東海道へ。旧1号線としても使われていたと思うが松並木
があり、交通量も少なく最高の道。(P2の写真)しかし時間は既に16時前。残念ながら名鉄知
立駅(池鯉鮒宿)で自転車を袋に収め豊橋でもう1泊する佐竹サンを見送り、正田サンと名古屋で
東京に帰る森田達サンの3名で知立を後にした。夏に逆戻りの暑い2日間でしたが皆さんお疲
れ様でした。

<2017年9月度行事>
雄ノ山峠を越えて紀伊国へ 岩井春隆
9/10 今月に入って暑さの峠を越えたか少しは秋の気配が感じられるようになった。
集合地のJR日根野駅には井川、岩井、尾崎、川中、小亀、正田、萩原、福元、藤山、前田、
丸谷、森田、森永サンとゲスト参加の角田裕サンの14名が集合。出発前のブリーフミーティン
グで萩原サンから「息子夫婦に女の子が生まれ、お爺ちゃんになりました。」との発言あり、少子
化の止まらない日本で希望の子の誕生は尚更おめでたい。本日のコースは大阪と和歌山を結
ぶ峠でかつては熊野街道と紀州街道が合流して越えていた由緒ある雄ノ山峠。だが現在は
府・県道64号線で余り話題に上らず、同じくこの峠を越えるJR阪和線と阪和自動車道からチ
ラッと見えるマイナーな峠道。サイクリングでもここを越えたという話は聞かないし、私も3年前
が最初だった。県境には日本で最後の公式仇討ちの場もありクラブランに取り上げたいが後
半をどうするか。丸谷サンに相談すると江戸期の宝永4年(1707)新田開発の任にあった伊澤
弥惣兵衛為永が庄屋の次男である大畑才蔵を抜擢して作らせた小田井用水路にある登録有
形文化財を巡ってはどうかということになり、「水探訪」という小冊子も入手して頂き当日配布で
きた。さて9:30、GPSにコースを入力している丸谷サンを先頭に出発。阪和線に沿って新家、
信達大苗代と南西方向に進む。ここに海営宮池が有り、この池の北端部で旧熊野街道に合流
する。ここからは旧熊野街道の道なりに進むだけ。往時は信達宿があり古い街並みが続く。市
が立ったのであろう信達市場という地名も残る。ここに野田藤で有名な梶本家の屋敷があり、
幅30b、奥行き27bの野田藤が茂っている。それも昭和62年に先代当主の故昌弘翁が植
えた1本の藤の木が育ったと言うから驚き。現在は地元の保存会が毎年"藤祭り"を開催して
いる由。因みに今年は4/17〜26まで行われ、4万房も咲いたそうだ。旧熊野街道を更に南
西に進むと和泉鳥取駅。ここからいよいよ雄ノ山峠に向かって右手に阪和線、左手に阪和自
動車道を見てダラダラとした坂を上って行き、自動車道の高架下を潜ると旧山中宿の入り口。
府道64号線から外れて400b程街並みが続くがかつての面影はあまり無い。山中渓駅前で
小休止したが交通量も殆ど無く寂れている。更にダラダラと上って行くと小さな境川が府県境。
境橋という橋があり、大阪府側(旧和泉国)にライオンズクラブ寄贈の石碑がある。それによる
と安政4年(1857)土佐藩士の廣井大六が同藩士の棚橋三郎に斬り殺され、翌年遺児の廣
井岩之助が江戸幕府から"仇討ち免許状"を入手、紀州・加太(かだ)に潜んでいた棚橋を捜し
当て紀州藩に仇討ちをしたいと申し出た。しかし徳川御三家の領内での仇討ちを嫌ったのか、
「棚橋三郎を所払いとするので仇討ちは境橋の和泉国側ですべし」との事でこの地で本懐を遂
げたという。ところが別の資料では仇討ちの地、和泉国日根郡というのは徳川幕府の天領で
廣井岩之助は堺奉行所に拘束された後、土佐藩に引き渡されて翌年病死したという。さあ雄ノ
山峠はまだこれから先で道を急ぐ。道はあまり交通量もなく相変わらずのダラダラ坂。谷幅は
結構広く、右手に阪和自動車道を見て11:30雄ノ山峠(180b)に到着。急坂を下って左手
に分岐する熊野/紀州街道に入れば山口王子跡で紀伊の関もあった様だ。湯屋谷、山集落を
過ぎ時刻はお昼前。どこで昼食を摂るか相談した結果、根来にある"小田井用水路"が最終的
に根来川に流れ込む地点を見てから決めようと県道7号線を東進する。根来交差点に食品ス
ーパーがあり、少し南に下れば根来川。見当を付けて橋の付近で探すと小さな流れ込みがあ
り、現橋本市高野口町の紀ノ川の小田頭首工(取水口)から延々32.5qに亘って1/5000の
勾配で紀ノ川右岸流域592haに農業用水を潤した残り水が根来川に注いでいた。この事業を
310年ほど前に人力だけで成し遂げたのは驚きだ。さて今回は先にお尻を見てしまったが、
食品スーパーで昼食を仕入れてランチタイム。まだまだ日射しが強いが日陰は見当たらない。
近くに木陰のある空き地を見つけ各々座り込むが丸谷サンは少し上を見てくると言って走り出
す。「ええとこ有ったで!」と連絡があったが時既に遅し、広げた弁当を仕舞う訳には行かずゴ
メンナサイ。食後は紀の川市と岩出市の境にある木積(こづみ)川の上を立体的に交差する木
積川渡井(とい・水路橋)という水路橋。大正2年(1913)に現在の橋長6bのレンガ造りとな
ったが、それ以前は木製で度々壊れた由。その昔、上淡路街道と呼ばれ現県道7号線の旧道
だったと思われる小径を辿り粉河の町へ。粉河駅で小休止後大和街道を走って次は名手(な
で)の町へ。ここには旧名手宿本陣があり、紀州藩主の参勤交代時の宿舎、また花岡青洲の
妻の実家でもあり見学する。2q程行くと穴伏川を渡る龍之渡井(たつのとい)。この渡井は当
時18b余の谷を両岸の岩盤を利用した橋桁無しの木製であったがここも度々の大水で損傷
を受け、大正8年(1919)現在の橋長20.5bのレンガ造りのアーチ橋に架け替わった。現
在は背後の背ノ山の下を昭和40年(1965)に出来た水路トンネル(886.4b)を流れている
が、それ以前は背ノ山の南麓を迂回していた為に漏水が度々起こったそうだ。更に4q程行っ
た畑の中に小庭谷川渡井。ここも当初は木製で明治42年(1909)に橋長9.3bのレンガ造
りに掛け替えられた。笠田(かせだ)駅前から大谷、新田と走り、妙寺付近で左側に流れる七
郷井用水路は小田井用水路からの分水だ。やがて中飯降(なかいぶり)の中谷川水門。(表
紙写真)水門と呼ばれるが、実際には伏越(ふせごし)といわれる中谷川の河床をトンネルでく
ぐり抜ける逆サイフォン。当初は木製でトラブルが多かったので明治45年(1912)長さ13.3
b,中谷川の河床部は幅(直径)4.4bのカマボコ型のレンガ造りトンネルに改築された。ここ
で時刻は16時。日没が早いのでJR和歌山線の中飯降駅で解散。岩井、川中、正田、福元、
前田、森田隆サンは電車で橋本へ、他の井川、尾崎、小亀、萩原、藤山、丸谷、森永、角田裕サ
ンは走り足らなかったのか小田井用水の取り入れ口の小田頭首工に寄って帰った。今回は逆
コースだったが、次回は頭から尻尾へと走りたい。皆さんお疲れ様でした。

<2017年8月度行事>
旧北陸本線軌道跡で山中峠越え 岩井春隆
8/13 真夏の定番コース、福井県嶺北のJR今庄駅から旧北陸本線の軌道跡や山中隧道を
中心とした真夏でも涼しいトンネル群を潜って嶺南の敦賀へ抜けるというプラン。今月はお盆
の入りのせいか参加者は小亀、丸谷、森田驍ウんと私(岩井)と少ない。大阪駅には藤山サンが
見送りに来てくれ、差し入れを頂く。7:45発の敦賀行き、永年の経験で新快速の席を確保。
佐竹サンは尼崎から座ってきた由。琵琶湖岸を北上するにしたがって空模様は怪しくなり敦賀
には9:50着。福井行きに乗り換え、列車は北陸トンネル(13,870b)吸い込まれる。果たして
今庄はどんよりと敦賀より更に悪く、愛車を組み立て始めるとポツリと来た。昔は駅前の店で
昼食を買ってすぐに出発できたが、現在はR365脇のコンビニまで遠回り。9/17に行われる
「街道浪漫今庄宿2017」のポスターが駅に貼ってあったが今庄宿のメインストリートの人影は
少ない。かつては北陸道・北国街道の合流点、越前で一番栄えた宿場町。本日のコースであ
る旧北陸本線でも難所の山中越えの鉄道基地であったが1962年に現在の北陸トンネルが
開通してからは単なる通過駅に。空が少し明るくなり、11:09町外れの"文政の道標碑"に寄
って、鹿蒜川に沿う旧道を走り出し南今庄、新道と北陸道の痕跡を辿る。新道の集落を抜けて
今は県道207号となっている旧北陸本線の軌道跡に合流するが、この県道を渡って南西に延
びる谷筋を上っていけば北陸道の木ノ芽峠。13年前の9月にクラブランで越えたがまた興味
が湧いてきた。現代の北陸自動車道を潜って少し行くと大桐駅跡の看板。ここにスイッチバッ
クの機能を持った大桐駅があり、勾配25‰(パーミル 25/1,000)の旧北陸本線を往復13本の
列車を54年間運行したとあった。過去谷間に土手を築いたのだろう同じ勾配の道が左に大き
くアールを描いて上って行く。大桐の集落を左手に見て少し上ると北陸新幹線トンネルの工事
が始まっていた。落石防止のロックシェードがあり、やがて最高部の山中隧道が口を開けてい
た。ここにもスイッチバック遺構があり、左横の行き止まりの隧道は長い貨物列車対策で戦後
に掘られたもの。自動車の行き違いで少し待って山中隧道に入るがヒンヤリとして生き返った
心地だった。伊良谷隧道、芦谷隧道を通過し少し開けた所で昼食とする。暑いが少し風もあっ
てサイクリングでないと味わえない満足感。見下ろすと敦賀湾が望まれる。曲谷隧道、第二観
音寺隧道、第一観音寺隧道(表紙写真)を抜け水津PAに入るが大した事無く、曽路地谷隧
道、鮒ヶ谷隧道を抜けてR8にでるべく急坂を下る。途中で今泉サンから電話が入り敦賀の金ケ
崎宮にいるとの事。全速力で海沿いのR8を金ケ崎宮まで走り合流。明け方の3時半に大阪を
出て走ってきたとの事。その後、6月ソロランで越前海岸から敦賀辺りを走った丸谷サンの案内
で敦賀に散った水戸の天狗党終焉の地を訪ねる。水戸藩の尊皇攘夷急進派の天狗党は兵を
集め、武力で実現しようと京を目指したが、冬の敦賀・新保宿で武田耕雲斎一行が降伏、350
人余が斬首されたという。ちょっとブルーな気持ちで気比の松原に寄って6名でJR敦賀駅に向
かった。

<2017年7月度行事>
竹内街道を近つ飛鳥へ 岩井春隆
7/16 大阪市営地下鉄「新金岡駅」脇の駅前広場には、伊藤元、伊東、今泉、岩井、尾崎、川
中、越内、小亀、佐竹、正田、萩原、福元、藤山、丸谷、森永サンとゲスト参加の岡島サンが集ま
った。しかし、もはや熱帯という感じのクソ暑いクラブランに沢山の参加者で有り難い。(表紙写
真)本日は地元の萩原サンに案内をお願いし、先日4月に"日本遺産"に認定された竹内街道
(丹比〈たじひ〉道)を走って、涼しい大阪府営の"近つ飛鳥博物館"で涼もうという企画。「近つ
飛鳥」は後の反正天皇が難波宮から天理市の石上(いそのかみ)神宮へ向かった際、近い方
(河内国羽曳野の飛鳥)を「近つ飛鳥」、大和国の飛鳥地方を「遠つ飛鳥」と名付けたと古事記
にある。萩原サンに竹内街道が二上山と三輪山を結ぶ"太陽の道"や大陸との交流ルートだっ
たという話しを聞いて、近くの大泉緑地公園の南端をかすめる竹内街道に入り道なりに東進す
る。南北に走る下高野街道と交差し、阪神高速を過ぎた岡1丁目に加島サドル製作所。シャッ
ターが開いていたので見学させて頂いた。今は革サドルを作っていないとの事だったが、プラ
スティックのベースに革やビニール、ジーンズ等を張ったオリジナルサドルの注文もOKだと
か。お礼を言ってすぐに中高野街道とも交差し羽曳野の丘陵地帯を行く。私がサイクリングを
始めた半世紀前は一面田畑ばかりで鄙びていたが今は無秩序に開発されて最悪。日本武尊
陵(白鳥陵)でその謂われを聞き、近鉄・古市駅で旧集落に入り、東高野街道脇の西琳寺へ立
寄る。境内には塔の巨大な礎石があった。すぐ横の広場で鮫島サンと嶋サンと合流、石川を渡
り駒ヶ谷へ。この辺りはブドウ畑が多い。飛鳥川に沿う道は国道166号と言いながら、駒ヶ谷
は飛鳥集落付近の道幅が狭い。近くに聖徳太子墓所の叡福寺があり、大阪の聖徳太子ゆか
りの三太子の一つで上ノ太子。源氏の頭領である八幡太郎義家の誕生の地もすぐ近く。太子
町の六枚橋を渡ったスーパーで昼食を仕入れる。ここからは山田から葉室に向かうが、途中
から自転車で両脇の草を押しのけながら急な小径でショートカット、お昼前に葉室公園へ。「萩
原氏、お主もなかなかやるのう」 只、日陰が少なく暑かった。適度な日光浴の後いよいよ本日
の目的地「大阪府立 近つ飛鳥博物館」へ。道はわずかアップダウンを繰り返して山を背にして
凜と立つ博物館に到着した。平成6年(1994)開館の建物は安藤忠雄設計のコンクリート打
ちっ放し、「平成の古墳」といわれるだけあって入り口の細い通路は古墳の羨道を思わせる。
「近つ飛鳥」と呼ばれるこの辺りは4つの天皇陵、聖徳太子や小野妹子の墓所、隣接する29
haもある「近つ飛鳥風土記の丘」等々興味深い地だ。博物館を見学、正田サンは宇治金時をご
賞味。博物館を辞して西端を少し上ると新興住宅地。そのまま下って喜志大橋で石川を渡った
所で川中、鮫島、嶋サンと別れ、道明寺の北から長尾街道を西進、途中津堂城山古墳や吉
村家住宅寄って三々五々家路に着いた。暑い中、萩原サン、参加者の皆さんお疲れ様でした。

<2017年6月度行事>
入梅前の大阪市営渡船巡り 岩井春隆
6/4本日は伊藤元サンに走行リーダーをお願いしてクラブランとしては7年振り。現在の大阪に
未だに渡し船が残っているなんて・・・。朝から晴天、家から走って集合地の四ツ橋モニュメント
に着くと嶋サンが待っていた。その後、井川、伊藤元、伊東、今泉、小亀、佐竹、正田、西宗、
萩原、藤山、前田、丸谷、森、森田隆、森永サンが集まり、"輪音"の首謀者、スミダンナこと角
田裕サンもゲスト参加。さて参加メンバーが揃ったので伊藤元サンを先頭に四ツ橋筋を渡ったま
では良かったが、途中で5名ほどが信号ではぐれてしまった。本体は行ってしまうし、伯楽橋を
渡って右斜めに入って直進、道なりに川口3から源兵衛渡の交差点へ。ここで先に行った本体
が九条の文化財?を見てきたと言ってやって来た。交差点は源兵衛渡とあるが、実際には人
と自転車専用の安治川(川底)トンネル(西区側)がある。源兵衛渡は1944年トンネルの完成
で廃止。(隣に自動車専用トンネルもあったが1977年に廃止。)エレベーターで川底まで下っ
て水平に81m程歩きエレベーターで地上に出る。(此花区側)ここからは安治川右岸を走りユ
ニバーサル・スタジオ・ジャパンの横を走って@番目の天保山渡船場に向かうが時々USJから
歓声が聞こえてくる。天保山渡は岸壁間距離が400mで現存の渡しの中では最長、乗船時間
が長いし潮の香りがするので船旅気分がする。USJが出来てからは対岸の港区に住む外国
人の従業員が自転車を持ってこの渡船で通勤している。今回もきれいなおネエさん達とすれ違
った。港区に渡って先ずは標高4.53bの天保山で小休止。日本で2番目に低い山で二等三
角点もある。次に森田隆サンの提案で八幡屋公園のジャカランダという木の花を見にグリーンヒ
ルズ(内部は中央体育館)のラセン状の道を上ったが見つからなかった。(今年は遅れている
様で頂上まであがると眺めは良かった。)次はすぐ近くの「みなと通」にある「夕凪」交差点を通
る筈が、すっかり忘れて尻無川を渡るA甚兵衛渡船場へ。(同94b)対岸は大正区、スーパ
ーで昼食を仕入れ千島公園へ。この公園にある小山は地下鉄建設残土で大正山ならぬ昭和
山。蚊と戦いながらの食事を済ませ、次は南北に流れる木津川を対岸の西成区へB落合上
渡船場(同100b)で渡り、(ここで嶋サンと西宗サンが所用でお別れ)すぐ下流にあるC落合
下渡船場(同138b)で戻って来る。更に大正区側を1.2`下るとD千本松渡船場がある。
(同230b)再度西成区に戻り、木津川左岸を走って住之江区のE木津川渡船場へ。(同23
8b)下船すると再度大正区。すぐ近くに木津川運河を渡る一番短いF船町渡船場。(同75
b)鶴町の島ではIKEAに寄って50円也のソフトクリームを楽しみ、本日最後のG千歳渡船場
へ。(2番目に長い同371b)下船後はJR大正駅近くの「ナニワ銀輪堂」へ立ち寄り、木津川
に架かる大正橋東詰にある安政南海地震の津波を伝える石碑文前で解散した。
伊藤元サン、参加者の皆さんお疲れ様でした。

<2017年5月度行事>
タケノコサイクリング 2017 藤山省造
5/4 巷ではゴールデンウィーク後半に入るこの日、夕凪CCプライベートランClub la Franceで
行く タケノコサイクリングが2年ぶりに復活。全国的にお出かけ日和のこの日は快晴、気温も
夏日の予報、そんな中、集合場所の地下鉄谷町線・太子橋今市駅に集まったのは、岩井、伊
東、岡島、佐竹、角田裕、谷口、丸谷サンと私、藤山の8名。向かい風の中でしたがのんびり和
やかに世間話をしながら淀川左岸を遡上、枚方大橋下で川中サンと待ち合わせの筈が一向に
姿が見えません。岩井サンが電話をして、どうやら勘違いで樟葉辺りまで行ってしまった由、待
ち合わせを鮫島サンと合流予定のJR長岡京駅に変更し再出発、枚方大橋を渡って今度は淀
川右岸を遡り、水無瀬辺りから旧西国街道へ。ここで谷口サンに電話が入り、止まっている間に
岡島サン、丸谷サン、佐竹サンが行ってしまう。後で聞いた話では、先行の3名は事前の打ち合わ
せ通り水無瀬神宮で名水百選にも選ばれた「離宮の水」を汲むべく待っていたらしい。それを
知らない伊東、谷口、角田裕、藤山サン等は西国街道を北上。その後をこれまた電話をしてい
た岩井サンが追っていたらしい。4名が水無瀬神宮の分岐を通り過ぎたので、一緒にパスする
つもりで通り過ぎたところへ丸谷サンから「離宮の水で待ってるで!」の電話があって後戻りした
そう。その後岩井サンから「JR長岡京駅で待つ様」と連絡が入り一安心。結局、鮫島さん、川中
さんが待つJR長岡京駅で全員(10名)集合となりました。そこから更に旧西国街道を走って筍
弁当を予約していた[スーパー神崎屋]に到着(向かいはタケノコ専門店)、お昼もまわって既に
お腹はペコペコ、今回は予約もしてバッチリと思いきやレジで別々に勘定したため、さらにお腹
がペコペコに(笑)!新緑が眩しい。向日神社敷地内の勝山緑地で各々筍弁当を広げ、旬の
味覚に舌鼓。食後は岩井サンが「離宮の水」(最初だけで、後はトイレの・・・)でコーヒーを淹れ
てくれて自転車旅の話で盛り上がるClub la France様御一行!!そして、お腹も膨らみ本日の
目的も達成、再び旧西国街道を戻り、輪行で帰られる川中サン、岡島サン、鮫島サンとお別れして
残りの自走組は旧西国街道を走り角田裕サンの案内で円妙寺橋梁の"ねじりまんぽ"へ、更に
旧西国街道を走って奥田之端(おくでんのはた)橋梁と2つの"ねじりまんぽ"を見学して芥川手
前のコンビニで小休止、芥川右岸を下って淀川右岸に入り、ここで伊東サンが枚方大橋で淀川
左岸へ。更に下って鳥飼大橋で左岸に渡ったところで谷口サンが別れ、豊里大橋で岩井サンとも
お別れし角田裕サン、佐竹サン、丸谷サンと私でイトーサイクルに立ち寄って解散となりました。こ
のタケノコサイクリングは毎年恒例にしてほしい行事で私もミーティングで話題にしようと思って
いたところでした。過去にもあったアナゴの押し寿司や綿宗の鰻丼などのグルメポタも大人の
遠足的なClub la Franceの恒例行事にしては如何でしょうか?
まだ"用無し"(洋梨)に成っていない私が言うのも何ですが、よろしくお願いします。
という事で楽しいタケノコサイクリングでした。
旧老ノ坂を越えて亀岡へ 岩井春隆
5/14 9時前の阪急・桂駅西口には伊藤元、今泉、岩井、尾崎、小亀、正田、藤山、丸谷、
森、森田隆、森永サンとゲスト参加の白井田サンが三々五々集合した。少しモヤっているが太陽
が昇れば消えるだろう。本日のコースリーダーは昨年一緒にこのコースを走った丸谷サンにお
願いし、出発前にコース説明と安全を確認して阪急線に沿って少し南下。やがて旧山陰道へと
右折する。古民家が残る街並みを行き物集女街道を渡れば樫原(かたぎはら)宿。ここは2つ
の街道が交差する交通の要衝で樫原陣屋跡(本陣跡)があった。R9を渡り人家がまばらとな
って旧山陰道は徐々に勾配を増して行き沓掛町を過ぎる辺りで再びR9を渡って京都霊園に。
一度走っているので迷う事も無くスムーズに一行は進む。左手は霊園の土手、右手には京都
縦貫自動車道との間を上りやがて自動車道の新老ノ坂トンネルの入り口付近へ。ここから先
が老ノ坂だ。我々はチェーンを越えて自転車を押して山道を上る。(表紙写真)R8が開通する
までは京と亀岡・山陰を結ぶ大動脈だったのだろう。明智光秀が軍勢を引き連れて夜中にここ
を越えた(我々とは逆コース)というが現代人では不可能だ。正田サンは自転車を担いで楽しん
でいる様子。やがてクリーンセンターへのスロープの下が峠の最高地点、藤山サンがベストショ
ットを狙っている。2度目ともなると結構すんなり越えた感じ。ここから少し下ると左手に首塚大
明神。平安時代初期に源ョ光、坂田金時等が丹波の大江山の鬼(酒呑童子)退治を命じら
れ、鬼を討ち取って首級を京に持ち帰る途中、ここに埋めて首塚としたとか。ここから亀岡盆
地へ下るが舗装はされているものの濡れた急坂を竹の落ち葉が一面に覆っており、恐々下っ
たが滑る事は無くホッとした。R8に並行して櫨(はぜ)が生える小径を抜けて王子から県道40
2号を亀山市街へ。丸谷サンに付いてJR亀岡駅で観光案内所に寄るが、伊藤元、小亀サンは直
接イオンへ行ったので一時行方不明に。その後全員イオンで昼食を仕入れ亀山城のお堀端で
ランチタイム。日陰に座ると涼風が気持ち良い。正田サンがョ山陽作の漢詩「本能寺」を吟じて
くれて思わず拍手がでる。現在亀山城は宗教法人「大本」の所有だが申請をすれば見学が可
能。構内図の前にいると恰幅の良い紳士が事務所を教えてくれた。受け付けを済ませ、10分
間ほどのビデオを見た後は一部を除いて城内の散策は自由。昭和初期の大本事件で日本政
府により壊滅の憂き目に遭ったが、その後信者等が石垣を積み直し修復したとか。城内に点
在する石垣等を見て回っていると神官が来られたが、何と先ほどの紳士であった。石垣等の
説明を頂き、亀山城を辞した。ここからは年谷川の谷筋から東掛に抜ける予定だったが、この
辺に詳しい白井田サンの助言で、曽我部町を経由して東掛に出た。東別院町の辺りにピークが
有り、一部採石場辺りで路面が荒れていたが安威川に沿って長いダウンヒルを楽しんだ。安
威付近で白井田サンとお別れし阪急・茨木市駅に向かった。今泉、尾崎、藤山、森永サンは実走
で家まで帰られました。皆さんお疲れ様でした。

<2017年4月度行事>
第44回関西友好クラブラリー in野洲 岩井春隆
4/8 数日前から雨模様の予報が出て、出町柳から山中越えの予定を急遽京津線で逢坂を
越えて浜大津に向かう。関西友好クラブラリーで雨が降ったのは記憶が無い。参加者は伊藤
元、岩井、小亀、佐竹、森サンの5名で井川サンは所用の為急遽キャンセル。小糠雨降る浜大津
で先ずは昼食。愛車を組み立て、雨のあがった湖岸の小径を一路瀬田の唐橋へ。相変わら
ず空模様はパッとしないが琵琶湖最南部の湖岸を走るのも良いものだ。近江大橋の下を潜
り、膳所城址を過ぎると近江八景の一つ、"粟津の晴嵐"の記念碑、更に少し南に琵琶湖と瀬
田川(淀川)の境目を示す看板があった。瀬田川大橋を潜って歴史に登場する瀬田の唐橋。こ
こからは琵琶湖を左に見て北上、6q程行けば"矢橋の帰帆(やばせのきはん)"の名前だけ
拝借した矢橋帰帆島。湖周道路の帰帆北橋を越えると右手にUFOの様な建物が見えてきた
が新興宗教の施設らしい。この辺りから又小雨が降り始め湖岸のレストエリアの東屋へ。玉砂
利が埋め込まれた遊歩道を走ったら物の見事にタイヤがスリップ。スリックタイヤみたいなトレ
ッドの無いタイヤは要注意。雨が止むまで暫く休み、川沿いに草津市街から三上山(近江富
士)を目標にR8で今夜の宿泊地である近江希望ヶ丘YHを目指す。小雨の中、CCウインディ
の皆さんの出迎えを受けて到着。部屋はローマンCTCサンと同室だった。明日は天気が回復す
ると言う予報に期待して眠ったが、翌朝集合写真を待っている内に更に降り出し、とうとう室内
で撮る事になった。正田サンと10時に野洲駅で待ち合わせをしたので時間調整して出発した
が、見送りのCCウインディの皆さんを待たせてしまったかも知れない。m(_ _)m。すっかり雨が
あがった下り道を飛ばして野洲駅へ。ペンギンCCの皆さんはクラブランと言う事で駅前に集合
していた。東近江路は昔から碁盤の目状の農道が多い。今日の目的地は野洲市の東北方向
なので殆ど地図を開けずに近江八幡の鶴翼山を目指して東海道本線の琵琶湖側を走り出
す。広大な農地の中に人家はまばらでやがて五之里集落の妻之神社で小休止。小さな神社だ
が丁度桜が満開で朝の太陽に映えて美しい。驚くべき事にお宮を取り巻く石の柵に刻まれた
名前の大多数が岩井姓。気分を良くして隣の永原集落に入ると土安(てやす)神社。その昔、
この地方の荘司の娘(祇王、祇女の姉妹)が平清盛に仕えていて、祇王が故郷の水不足を清
盛に訴えたところ三上山の麓から野洲川の水を分水した由。祇王と言えば祇王が出家した京
都の祇王寺と重なってくるが、ここの祇王寺とは直接の関係はないだろう。日野川をR8で渡っ
た辺りで弁当を仕入れ近江八幡市加茂町辺りで立派な桜並木を見つける。空模様が再び怪し
くなって来たのが気懸かりだが親水水路脇のベンチで花見と洒落込む。が、薄ら寒い曇り空で
はどうも気乗りせず、食後は早々に近江八幡市街へ向かう。先ず地上駅に愛車を駐めロープ
ウェイ(往復\880)で八幡山とも呼ばれる鶴翼山頂(271.9b)へ。十数年振りか、あの時は
雪で真っ白だった。日牟禮八幡宮は4/14-15の八幡祭りの準備に追われていた。八幡堀の桜
を眺めつつ春の近江路を満喫してJR近江八幡駅に向かった。参加された皆さんお疲れ様でし
た。
NCTC京都さんと鎌掛峠合同ラン 岩井春隆
4/16 先週末は雨に祟られたが、今回も週間予報に一喜一憂の一週間だった。結果的には前
日になって晴れのご託宣が出て雨具を置いての参加となった。NCTC京都サンとは6年前、
2011/5に今回と全く同じコースを走ったのが合同ランの最初で、2年前の2015/5には夕凪CC
が担当して堺東から竹内街道経由で平石峠を越えて大和八木迄走っている。今回夕凪CCか
らは伊藤元、伊東、今泉、岩井、小亀、佐竹、正田、萩原、福元、藤山、前田、丸谷、森田隆、
森永サンの14名。NCTC京都サンからは9名が参加で総勢23名の大所帯。集合地の東近江市
の近江鉄道八日市駅頭には21名が揃ったが、乗換のJR近江八幡駅での乗り越し精算と近
江鉄道の切符購入で手間取り、佐竹サンと丸谷サンが乗り遅れる事態に。私は近江鉄道の駅員
がくれた乗車証明書で乗車出来たのですんでの所でパス。連絡時間の短い乗り継ぎには、昼
得切符の様な乗り越し精算が要る切符は不向き。森永サンは大阪で大阪―京都間の昼得切符
と京都―近江八幡の回数券をチケット屋で買ってきて難なくパスしたそうな。八日市駅前の道
を東進、近くの平和堂で昼ご飯を買って表サンを先頭に更に道を東進して神田町を右折してす
ぐ左折。田んぼには水が張られ田植えの準備が出来ている。そのまま更に6q程東進すれば
R421(八風街道)に合流。先週に引き続いて近江路は桜が丁度見頃。約4q走ると平地とも
暫くお別れ、少し上り下りがあって右に入る脇道がある。ここを上れば池田牧場だ。この脇道
の反対側は愛知川で永源寺がある。息を切らせて急坂を上り池田牧場に到着。ここでも桜が
我々を出迎えてくれる。6年前に見た土田サンのサンジェがリストアされて輝いている。少し休ん
で更に150m程上って下ったところが和南、和南川を渡って次の原集落との間の小さな峠の
近くで織田信長が狙撃されたという。そこから延々と標高差140m上った地点が本日の最高
地点の西明寺。(標高約410m)時間は12:20。グラウンドとトイレがあり、東屋とベンチに
三々五々座っての昼食。日射しもあって回りは今を盛りと桜が咲き競っている。今年はあちこ
ちで桜を見たが、ここのが一番印象深かった。ここで自己紹介をして岡島サンのカメラで集合写
真。ここから音羽集落まで西明寺川に沿ってあっという間の約168mの下り。音羽を過ぎて鎌
掛峠へ上り始めた瞬間、後変速機の具合がおかしい。レバーを引いても変速せず、かといっ
てペダルは回る。下りてみるとカンパヌーボーレコードのプーリーケージが外れて落ちてい
る???一瞬どうなったのか理解が出来ない。「まだ坂があるし、どうして最寄りの駅まで行こ
うか」なんて頭を駆け巡る。岡Jサンが駆けつけてきてくれてチェックすると、心配したテンション
バネは無事でプーリーケージの固定ボルトが緩んで外れた事が判明。ところがプーリーケージ
回り止めの小ネジに手持ちのドライバーは厚すぎてマイナス頭に入らない。そこで登場したの
が藤山サン。彼のVOLVOの携帯工具には薄いマイナスドライバーがあり、後は組み立てるだ
け。手を真っ黒にして直して頂いた岡Jサンに大感謝。後変速機が元通り組み上がり、鎌掛峠を
上ると後ギヤーの一番奥のローギヤーにチェーンが掛からず、又トップにするとトップギヤーか
ら外に外れる症状が出だした。【帰ってからプーリーケージネジ部の厚さを計ると4.4mm、単
に緩んだだけでは無く、相当前からゆるみ続けてついに脱落。そういや最近チェーンラインが
おかしいと・・・。更に、そういやこの後変速機はスポルティーフができて33年くらい前からプー
リー以外は注油だけで一度も後変速機を分解掃除していなかった・・・。】 話が横道に逸れてし
まったが、岡島サンのお陰で無事再度走り出す事が出来た。同行の皆様申し訳ありませんでし
た。その後はチェーンラインのズレ以外は問題なく、鎌掛峠を越え先行の数名が待つ上駒月
の分岐に到着。更に少し先の水口町今郷のコンビニで小休止。ここからは今郷、新城と歴史
の新しそうな地名が続き、旧東海道で水口町の旧市街へと入っていく。昨年の4/20に川中、
佐竹、丸谷サンと水口曳山祭りを見に訪れたが観光色が無く、鄙びて見応えのあるお祭りだっ
た。水口町からは昨年4月に関西友好クラブラリー実施の為に何度も下見に訪れたので詳しく
触れないが、旧東海道を辿ってJR草津駅に16:45無事全員到着した。水口〜草津間は向か
い風があり、参加の皆様お疲れ様でした。
★命を預ける愛車のメインテナンス、くれぐれもお忘れ無く!

<2017年3月度行事>
早春の湯浅から御坊へ 丸谷光昭
3/12名のみの春もどうやら終わりを告げる様に今日は朝から快晴となった。JR天王寺駅発
6:50発の湯浅行快速には井川、伊藤元、岩井、尾崎、小亀、小亀周吾、佐竹、嶋、萩原、
福元、藤山、丸谷、森、森田隆サンの14名が乗車。湯浅駅には8:37到着。参加表明が無か
った森永サンがひょっこり現れる。新大阪から別の車両に乗っていた由。早速駅頭で愛車を組
み立て始めるや、何と森田隆サンがJR堺市駅にサドルを忘れたとの事。森田隆サン止むなく本
日断念となった。気をとり直し、9:15湯浅市街を北上し、湯浅醤油の老舗「角長」(かどちょう)
に立ち寄り、溜り醤油と醤油飴をゲット。広川のシロウオ漁を見て少し南下して広村堤防を見
学する。安政元年(1854年)の大地震の折、浜口梧陵は高台の稲むらに火を放ち、村の人
たちを安全な場所に誘導したという。そして荒れ果てた村の復興と長さ600m、高さ5mの堤
防の築造に尽力。ここからひろかわビーチ駅横を通って西広へ抜ける筈が、小浦回りの海沿
いの道に入ってしまった。唐尾、三尾川としばらく海沿いに走り、やがて山道に入って衣奈(え
な)へ。1990年頃に開通した新道のトンネルを抜け戸津井の手前の岬で白崎の白い岩山が
見えだした。坂を下りた所が白崎海洋公園で以前石灰岩を掘り出した鉱山跡が白一色の異様
な形相の公園になっている。昼前で小腹が空いたのかそれぞれ何やら頬張っている。何人か
で公園内を一周し、また海沿いに由良港の網代地区に入る。時間はちょうど正午頃、町の東
にあるスーパーで各自食料を買って、5年前のツーリング時と同じ公園で昼食とする。北向か
いにMES-KH I 由良ドックがあり、大きな貨物船が入港していた。食後はぽかぽか陽気のな
か更に南へ。余り大きくは無いがしつこくアップダウンが続き、本日の最大の坂道、日ノ御埼灯
台への分岐点、三尾に着く。小休止のあと全員で登るはずだったが5名が裏切り、9名でヒル
クライムを断行。私と藤山サンは遅れて出発。息も絶え絶えでやっとの思いで先発組と合流。高
度170m。今年、父君と同じ大学に進まれるラガーの小亀ジュニアは若さと力で楽々登ったと
想像する。ここからは四国の山並みが望め、太平洋の大海原が湾曲して見える。灯台回りを
散策後、下りはあっと言う間でズル組と合流、煙樹ヶ浜を目指す。美しい松林が広がる南国の
浜辺で、いつも御馳走に預かる福元サンが喫茶 ゆうなぎを開店。尾崎サンが自発的に水汲みに
行ってくれる。ここで伊藤元サンの前輪が松葉か何かを踏んでパンク、早速修理に取り掛かる。
珈琲をひとしきり楽しんでも修理が終わった気配なし。「直った!」の声で駆けつけ見たがまた
直ぐに空気が抜けてペチャンコ。結局佐竹サン持参のチューブと入れ替えて事なきを得た。JR
御坊駅まであとひと踏ん張り。松林の中を東に抜け、近代化が進む御坊市街を走りJR御坊駅
に17:15全員無事到着。急いで分解を始めるが、和歌山行き18:11発に乗る予定を「行け
そうや!」と急遽17:35発に変更し何とか間に合った。もう少し余裕をもって旅を終えたいもの
ですね。皆さんお疲れ様でした。

<2017年2月度行事>
神戸八社巡りと神戸空港島へ 森田隆夫
2/12の夕凪CCクラブラン ちょっとマシな冬晴れの天気、今日の神戸八社巡りの参加メンバ
ーは井川、伊東、今泉、岩井、尾崎、川中、小亀、佐竹、正田、萩原、福元、丸谷、森サンと本
日のコースリーダーで生まれも育ちも神戸の森永サンと紀行文作成の小生、森田隆の15名。
尾崎サンは自宅より実走して来るとか。先ず最初の見所はJR神戸駅の線路上にある、東海道
本線と山陽本線の起点/終点となる標識を確認。こんなのが有るのは知らなかった。駅前でブ
リーフミーティングの後、森永サンを先頭に震災で赤レンガの外壁だけが残った第一銀行旧神
戸支店で現在は地下鉄「みなと本町駅」の入り口を見ながら南京町(中華街)を抜け八宮の本
社となる生田神社へ。なかなか立派な神社で建物の色使いがちょっと中華風?に見えます、
一宮より順に二宮、三ノ宮駅の語源となった三宮。この地では幕末に神戸事件があり生麦事
件と同じように大名行列を外国人兵士が横切った為、武士が外国人に切りつけたそうです。さ
らに坂道を登って日本最初のイスラム教モスク。坂を下り中国の関羽を祀る関帝廟。四宮、次
の五宮は本日最も標高の高い62b。坂を下って八宮と合祀されている六宮に詣って、午前中
に大半を巡り終えますが神戸はやっぱり大都会。人の多い道を自転車で走るのはストレスが
たまります。ラーメン店での昼食後、最後の七宮神社を巡り、旧神戸信号所/神戸ハーバーラ
ンドからメリケンパーク、ポートアイランドへ。神戸大橋の下で喫茶 ゆうなぎのコーヒータイ
ム。福元サンいつも有難うございます。対岸の六甲連山を見ると白い雪雲に覆われて、雲の流
れた後は雪の六甲連山。こんな六甲を見るのは私もあまり記憶に有りません。いい眺めです。
休憩後、大阪まで走って帰る尾崎サンを見送って、我々は神戸空港島へ。全長1187bの空港
大橋(神戸スカイブリッジ)の上では大阪湾の向こうに弁天町のオーク21、天保山の観覧車、
赤い港大橋、南港ATCのコスモタワーの後ろにあべのハルカス、私がよくトレーニングに使う
堺浜のシャープの工場まで確認出来ます。私は堺浜や南港では双眼鏡持参で行きますが、神
戸のビル群が見えるもののビル名まで同定するに至りません。このすばらしい眺めでようやく
気分すっきりです。この感覚は自動車では得られません。空港西端の神戸空港島西緑地をま
わりポートライナー空港駅でクラブラン終了。全員ポートライナー神戸空港駅から輪行で三ノ宮
駅へ。森永サン、コースリーダー有難うございました。

<2017年1月度行事>
紀伊国一の宮から和歌浦へ 岩井春隆
1/9 新春早々、予定の1/8が生憎の雨天で翌日に延期してのクラブラン。恒例、近畿都府県の
旧国一の宮を巡る企画も大阪府の摂津国、河内国、和泉国に続いての4回目、和歌山県の
紀伊国一の宮。摂津国には2つの一の宮があったが、ここ紀伊国にはなんと3っつの一の宮
がある。本日の参加者は井川、伊藤元、伊東、今泉、岩井、尾崎、川中、小亀、佐竹、高嶋、
藤山、丸谷、森永サンとゲスト参加の岡島サン。高嶋サンは久し振りの参加。日射しは上々だが、
午後は天気が下り坂の予報。JR和歌山駅東口を9:47頃出発。紀伊国巡りの最初は和歌山
駅から2q程の日前宮(にちぜんぐう)へ。木立の香がする小径を通って大きな石造りの鳥居
をくぐる。この日前宮は二社に別れている。今日はえびす詣りの初日の宵えびすで参道の両
側に立てられた市戎神社(日前宮の末社)の真っ赤な幟の間を行く。突き当たりのT字路に立
て札が有り、右は國懸(くにかかす)神宮、左は日前(ひのくま)神宮。先ず右手の國懸大神を
祀る國懸神宮へ。次に左手の日前大神を祀る日前神宮に詣り、今年一年の無事を祈願する。
両社は鬱蒼とした森の中にあり、神聖な感じがする。次は元々日前宮の地にあったという伊太
祁曽(いそきそ)神社へと向かう。日前宮のある秋月から南へ2q少し住宅が散在する中を8
q程走って竃山付近で東進。福飯ヶ峯という小山を左に見て阪和自動車道をくぐる辺りから少
し山手に入る。しかし標高差は15m位で何の事は無い。ピークから13m下って吉礼、再度口
須佐の20mくらいの坂を越えれば2つ目の一の宮、五十猛命を祀る伊太祁曽神社。この神社
が日前宮の秋月からこの地に移ったのは1 1代垂仁天皇16年(紀元前14年頃)と言われて
いるが、その背景には当時の権力争いが想像される。ここでも今年一年の無事を祈願する。
さあこれで紀伊国一の宮の初詣は完了、もう1つの丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)は宿
題としよう。後は口須佐から奥須佐、阪和自動車道をくぐって和歌浦へ向かうが、途中武内宿
禰の誕生地とされる井戸に寄る。武内宿禰は景行、成務、仲哀、応神、仁徳天皇に300年間
程も仕えたという謎の多い人物で大和朝廷の創世記に大きく関わり、来月の神戸八社巡りクラ
ブランにも関係している。薬勝寺、仁井返、本渡と鄙びた田舎道を走り、内原から紀三井寺前
経由で国体道路を2q程北上してオークワセントラルシティへ。空模様は益々悪化し小雨が降
り出した。ショッピングセンター内で食事を済ませて少しは雨がマシになったが、冬の雨は気が
進まず、残念ながら後半の和歌浦から雑賀崎は中止とした。南海本線組と阪和線組に分か
れ、井川、伊東、今泉、尾崎、佐竹、高嶋サンと小生は国体道路をJR和歌山駅へ。と、ここまで
は良かったが、ホームに下りると何と人身事故の為に熊取駅―鳳駅間が完全に運休。日根野
駅から一旦関西空港駅迄行ったものの埒が明かないのでりんくうタウン駅から南海本線に乗
り換えての帰阪。その際にもらったのが前ページの振替(代行)乗車票。和歌山駅から先に列
車に乗った高嶋サンは熊取駅で2時間も再開を待ったそうです。

<2016年12月度行事>
師走の京都レトロ建築巡り 岩井春隆
12/1 1 JR京都駅中央口には東海道線で来た井川、伊藤元、伊東、今泉、岩井、尾崎、川
中、越内、正田、萩原、福元、前田、丸谷、森田隆、森永サンとゲスト参加で本日のプランナー
角田裕サン。彼は南大阪で「輪音」というグループを主宰されている。別名・煉瓦教の教祖様。京
阪・七条駅からは小亀、佐竹、藤山、森サンが、その他ゲスト参加で北大阪CCの木村サン、ロー
マンCTCのS田サン、地元京都のペンギンCCからはI田、Y岡サン。いずれも夕凪CCとは古くか
ら交流のあるクラブ。今回のプランは昨年の初秋頃だったか、角田裕サンから「いつも参加させ
てもらっているのでお返しに京都のレトロ建築巡りのガイドをしますが如何?」と打診があり、
夕凪CCは冬の間近場を軽く走っているので渡りに船となったもの。駅前で自己紹介後、24名
の大所帯が角田裕サンを先頭に塩小路通を西へと漕ぎだした。最初に寄ったのは龍谷大学の
大谷校舎。明治12年築の歴史を感じさせる。次に西本願寺の堀川正面を東進し、珠数屋町
には一風変わった洋式建築の伝導院。突き当たりが東本願寺。一旦北上して東本願寺を回り
込み高瀬川と鴨川の間に昭和8年築の任天堂旧社屋。再度高瀬川左岸に戻って北上する。
今回GPSの軌跡を見ると角田裕サンは親心からか真面目に高瀬川を行っているが、もう1本東
の道を行けば旧五/六/七条新地が合併して(新)七条新地→後に五条楽園となったところが
見られたのに・・・。高瀬川沿いに五条大橋、四条大橋と遡り、三条大橋までの中程に角倉了
以翁顕彰碑。日本で最初の映画上映の地(明治30年)、少し行くと南車屋橋がある。(表紙写
真)自転車を押して三條通りの商店街を行き明治23年築の邊徳時計店へ。御池通から御幸
町通を北上、ヴォーリズ設計の御幸町教会から京都御所をかすめて丸太町通を東進、鴨川を
渡って京大付属病院や医学部を横切っていよいよ京都大学の心臓部へ。目的は京大の学食
「カンフォーラ」の "総長カレー"。京都の大学は自転車に乗った怪しげなオッちゃん、オバちゃ
んでもフリーパスで入れてくれる。時間は正午前で皆さん座席に座れたが、ちょっと遅れると危
ない所。日曜日とあって京大生はアルバイトの学生さん達で殆どの客は我々と同年代。カレー
を堪能?して立て看板を見て、福元サンの喫茶ゆうなぎを開店すべく、水とトイレを求めて鴨川
右岸を走る。荒神橋の少し上流で店開きしたが寒風の中、北山がきれいだった。再度賀茂大
橋に戻り今出川通を同志社大学へ。この頃は最高に晴れ渡り、青空をバックにレトロ建築が
美しい。記念撮影をして室町通を南下、明治37年築の京都府庁の旧本館へ。次に京都御苑
でトイレを借りて、聖アグネス教会から大丸ヴィラ。いよいよ本日のレトロ建築巡りも終盤で丸
太町通りを西進。この辺から地元PCCの飯田サンにバトンタッチして西日暮通から二条城の西
を通って壬生川通りを南下し島原遊郭跡へ。立派な大門が残り七条新地跡より格式が高そ
う。現在残っているのはこの1867年築の大門(東門)と揚屋の"角屋"、置屋の"輪違屋"の
み、他は住宅地に代わっていた。これにて2016年度の行事が無事終了。三々五々家路に着
いた。角田裕サン、I田サン、参加者の皆さんお疲れ様でした。(走行距離約26.4q)

<2016年11月度行事>
錦秋の"葛城の道"を行く 岩井春隆
11/13 朝から抜けるような青空の下、奈良県橿原市の近鉄・橿原神宮前駅に井川、伊藤元、
今泉、岩井、尾崎、小亀、正田、福元、藤山、前田、丸谷、森田隆サンとゲスト参加のモゼールサ
ンとスミダンナこと輪音の角田裕サンの14名が顔を揃えた。本日は藤山サンをリーダーに、往く秋
を惜しんで金剛山、葛城山の山懐に抱かれた"葛城の道"(葛城古道)を走るという趣向。木村
サンは西隣の大和高田市にお住まいだとか。9:40黄金色に輝くイチョウ並木の道を橿原神宮に
向かって走り出す。今年は天候不順でスカッとした青空は久し振り。"葛城の道"は夕凪CCで
も過去幾度となく走っているが、今回は時計回りに走るというので期待感が湧く。橿原神宮南
側の深田池、橿原神宮西口駅を西進し、曽我川沿いに南下する。JR和歌山線の掖上駅辺り
から小さな峠を越えて、国見山をぐるりと反時計方向に富田で弁当を調達してから下市街道に
入り、大口峠を越えて近鉄吉野線の葛駅がある戸毛の集落へ。この下市街道は長尾街道の
終点、葛城市長尾から御所市街を経由して下市へ通じる街道で2009/6のクラブランでも通っ
ている。古瀬への古い街並みを3q程行けばJR和歌山線と近鉄吉野線が接続している吉野
口駅。小休止をしてK215を上りだす。地図では朝町となっているがゆるい上りの川沿いに6
q余りも集落が続き、左右が開けてくると栗阪の集落、少し奥まった所に葛木御歳神社があっ
た。ご祭神は五穀豊穣の御歳神で全国の御歳神、大年神の総本社で、正月の年神様にお供
えのお下がりを「おとしだま」と呼んだのが今の「お年玉」の起源とか。葛城川に沿って更に旧
道を五百家、船路と行けば上りが段々きつくなる。右手に並行するR24の土手が見えだしたら
風の森峠まであと少し。R24を渡って少し上れば景色が開けて眼前に金剛山がそそり立つ。
少し行けば「風の森」の石碑が立つ三叉路があり丁度お昼時、雄大な景色を見ながら三々
五々道ばたに陣取っての食事となる。今日は湿度も低く本当に爽やかだ。日没が早いので長
居はせず12時半頃には店じまいして高鴨神社へ。鴨族の守護神を祭っておりこの辺りの地名
は鴨神。全国に約400社ある賀茂社の総社で縄文・弥生時代から続く歴史があるという。高
鴨神社の標高は290m程。一旦下って伏見辺りが307mで本日の最高地点。ここからドンド
ン下って行くが、眺望の利く所が随所にあり、大和三山や市街地が望まれる。南郷、井戸と集
落を抜け標高150mの長柄まで下ってきた。ここは西からの富田林街道(水越峠)と奈良盆地
南部や吉野との交易で栄えた集落、今も造り酒屋や洒落たカフェが散見される。(表紙写真)
ここから先導を木村サンに交代して3q程行けば一つだけ願い事を叶えてくれるという一言主神
社。イチョウの大木から乳房が垂れている。更にハイキング道を3q程で九品寺。千体地蔵が
あるが我々はその手前の石仏を勘違い。九品寺の前に広場があったので福元サンの喫茶ゆう
なぎを開店。美味しい珈琲で気分一新。更に山沿いの道を北上し南阪奈道路へ。一寸迷った
が現徳寺の蓮如上人が松に柿の木を接いだという「松柿」を見て下市街道起点の長尾で解
散。藤山サン、木村サン、皆さんお疲れ様でした。尚、尾崎サンは生野区まで実走し、17:40頃帰
宅した由。自転車は速いですね。
晩秋の香落渓を行く 丸谷光昭
暫くの小春日和の陽気も束の間、一転真冬並みの寒気が入り込み曇り空の今日の行程が
少し気にかかる。季節が本格的に入れ替わるこの時期の服装が一番厄介である。今回の
Club la France は藤山サンに立案&コースリーダーをお願いした。室生寺から峠を越えて青蓮
寺川沿いに名張までのツーリングである。近鉄上本町駅から佐竹、前田サンと私が乗車。次の
鶴橋駅で岩井、小亀、森、森田隆、森永、ゲストの中元サン達が乗り込んだ。行楽シーズン最後
の祝日とあって列車はハイキングや登山と思しき中高年で満員。9:14室生口大野駅に到
着、先行の藤山サンが既に到着していてスタンバイ。9:41、いよいよ本日のツーリングの始ま
り。南に少し降りると川向こうの崖に穿かれた高さ30mの弥勒磨崖仏。先へ進もう。室生川に
沿ってウォーミングアップを兼ねてやがて室生寺に着く。太鼓橋を渡った山門の楓はほぼ紅葉
が終盤で冬の支度である。早々に少し上流の古い龍穴神社に立ち寄る。雨乞い神事の龍神
が祀られていて境内の杉の巨木からもこの社の歴史を感じる。ここから田中元上田口までの1
2qは比較的ゆるい登り坂が続き、やがて本日のクライマックス、標高688mの栂(とが)坂峠
に取り付く。斜度7%程の坂道を各自それぞれのペースでぺダリング。579m地点でR369の
石楠花トンネルへ入るルートの分岐に来るが安全を優先して全員旧道の峠を目指す。息が上
がり出した頃、後方から何やらうら若い女性達の声がするではないか。あれよあれよという間
に、20歳そこそこの女性達3人と男性が1名、我等を尻目にすいすい抜いて行ってしまった。
歯を食いしばり息絶え絶えで1 1:45やっと栂坂峠のピークへ。先行組は青年たちと何やら
談笑をしている。若者達は近畿各地からそれぞれ輪行して来て榛原駅からスタートしたらし
い。ひと時の交流を持ち、元気を取り戻してここからは急坂を転がり落ちるように下る。山粕を
過ぎ掛の集落に入る頃、左前方に本日第2のクライマックス、鎧岳が姿を現した。青蓮寺(しょ
うれんじ)川に出る。丁度少し陽も射し出し、この辺で昼食とすることにする。河川敷公園になっ
ており、水もトイレも有るしちょうど良い具合。R369向かいの道端ではアマゴの塩焼きを販売
しており早速頬ばる。オレンジの斑点のあるアマゴは美味かった。ゆったりとした時間の中で
は握り飯でも最高だ。13:00気を引き締め第2ステージへ。左手に1016mの国見山、その
麓には覆いかぶさってくるような見事な岩壁の屏風岩、正面には鎧岳、兜岳が座し圧倒的な山
容である。暫く行くと伊賀見辺りで当初予定の蕎麦屋さん「黄色いのれん」(旧清酒販売・新宅
本店)が有ったがやはり売り切れ。少し下って対岸の隠地にトイレと休憩所があったので喫茶
ゆうなぎの開店。各自持ち寄った珈琲やクッキーでリフレッシュ。この辺りから渓谷はいよいよ
深く、両側に迫りくる岸壁は荒々しく迫ってくる。香落渓(かおちだに)と呼ばれる有数の景勝地
で、車での観光客も大勢繰り出していた。寒さの増した晩秋の渓谷を下りてゆくと、静寂な水面
の青蓮寺湖に出た。ダムサイト付近で最後の休憩をとり、15時過ぎ近鉄名張駅に全員無事
到着した。 藤山サン、皆さんお疲れ様でした。

<2016年10月度行事>
CCウインディさんと北摂合同ラン 岩井春隆
10/16 正に錦秋の季節。朝からほぼ快晴でサイクリング日和。家から走ってJR茨木駅(14)
には結構早く着いてしまった。東口にウインディさん側参加者は5-6人集まっているが、夕凪C
Cは今泉サンと私の2人だけ。集合時間の10時近くなっても誰も現れず・・・。今回はレギュラー
メンバーが仕事やお祭り、体調不良等で欠席と連絡が入り、又他にも☆が4つだったので敬遠
したかな?と思っていると、今泉サンが「西口を見てきます。」と行ってくれたら伊藤元、井川、尾
崎、小亀、正田、福元、前田、森永サンの8名が北摂に近い西口で待っていた由。本日の参加
者の自己紹介とコースリーダーK原サンの走行の注意を聞いて出発。茨木市役所から北上、レ
ンガ造りのJR東海道線のガードを潜り、安威川を遡って北上する。今日のコースは能勢妙見
までの上り基調。桑原の手前から、府道(F)46は右方向に新道に導かれ真新しいコンビニで
小休止。(41)ここからドンドン高度を増し長大な橋の上に出た。東北東には阿武山、見下ろ
せばロックフィルダムの下になる生保の集落。府道茨木亀岡線も完全に水没する為、この橋
は付け替え道路の一部となる。上り勾配の橋を渡れば小さなトンネル(1 10)があり、更に上
ってやっと忍頂寺。(316)ここからF1 を100m程下り、脇道に入り急坂を上って千提寺のキ
リシタン遺物資料館。(285)豊臣秀吉・徳川家康が禁教令を発した為千提寺付近の住民は
大正8年(1919)に発見されるまで代々密かに信仰を続けていた由。ここからF43を標高差3
0m程上れば先程の忍頂寺近くの忍頂寺スポーツ公園のレストラン「やまなみ」(310)へ。座
った途端、井川サンが「先程のキリシタン遺物資料館にリュックを忘れた!」。ウインディの河合
サンに同行頂いて無事井川サンの手元に。午後の部はここから上音羽までの山越えのショートカ
ット。(表紙写真)F1 10を更に1 q少し上って小さなピーク。(449)ここから一旦4qほど
下り、金石橋(306)で余野川を渡って本日の最高地点、能勢妙見を目指しF4を上りだす。川
尻の集落を過ぎ、脇道から窪地に下りると「川尻北の谷磨崖仏」(383)。苔むして天正17年
(1 548年)の銘文がある。F4に戻り天台山、光明山の脇をすり抜け更に高度を増す。T字
路(530)を左折し、F605で能勢妙見への最後の1 qはかなりなものであった。鳥居近く(6
23)でウインディさんに紅茶と手作りケーキを振る舞って頂き、今までの疲れを癒やす。能勢
によく来たのは40年以上も昔の事。空模様が怪しくなってきたので記念撮影を撮り下山する。
先程ヒイヒイ言ったF605、T字路からはF4を駆け下り、少し上って野間トンネル(478)。ここ
から野間中迄では距離約2.5q、標高差約241m。上りは弱くなったが下りは体重のアシス
トを活用?、何人かを追い抜いて野間稲地交差点。(257)後ろで「あ〜気持ち良かった!」の
声に振り返ると正田サン。樹齢約千年の野間の大ケヤキはすぐそこ。亀岡経由で京都に帰る5
名程と別かれ、野間川沿いに一庫ダムサイトへ向かって下り、ダム近くで時雨に遭ったが無事
能勢電鉄の山下駅(85)に到着、来年の再会を期して解散した。葛原サン、ウインディの皆さん
有り難うございました。尚、尾崎サン、森永サンは雨には遭わず走って帰られました。
(文中:4桁の数字は西暦、1〜3桁は標高)

<2016年9月度行事>
高槻市・唐崎の段倉から旧西国街道/大阪空港へ 岩井春隆
9/25 今月は天気の予報がコロコロと変わってヤキモキさせられる事が多い。今回も当日の
朝になって天気予報を見ると、何と午後に雨の予報。正田サンに相談すると「行ける所まで行っ
てみよう」といつものペース。1 週間の延期、おまけに午後の降水確率が60%の集合地のR1
、京阪本通 1 の交差点。8時を過ぎた頃から参加者が集まり始め、いつもより少ないが今
泉、岩井、小亀、佐竹、正田、前田、丸谷、山根、森田隆、森永サンとゲスト参加の松原の角田
サンの1 1名。空模様は薄日が射して午前中は大丈夫と見た。8:30過ぎ淀川に架かる豊里
大橋を右岸へ渡って堤防上の小径を京都方向に向かう。本日は先約の為参加していないが、
藤山サンが先月4日に見に行った情報を流してくれた高槻市の淀川河畔、唐崎地区にある段倉
を目指す。豊里大橋から淀川を2q程遡り、神崎川が枝分かれする少し手前の寂光寺(江口
の君堂)へ。仁安2年(1167)の秋、西行法師が旅の途中、江口の里で一軒の粗末な家で雨
宿りを乞うが遊女の妙(たえ)に拒まれ、そこで西行が『世の中を 厭うまでこそ 難からめ 仮の
宿りを 惜しむ君かな』と詠むと、『世を厭う 人とし聞けば 仮の宿に 心を止むなと 思うばかり
ぞ』と返し、その贈答歌が縁になって後に妙は仏門に入ったという。その死後江口の人々が江
口の君堂を建てて普賢菩薩の化身であった妙の冥福を祈った。出発早々時間を食ったが、少
し行くと神崎川の分水地点。阪神地区では汚い川の代表格だが、この辺りはまだ水はきれい
だ。ここから鳥飼大橋、鳥飼仁和寺大橋、淀川新橋と3つの橋を潜ると三島江がある。大阪夏
の陣での協力により、淀川で食物を売る特権を得た「くらわんか舟」発祥の地。そこから3q程
遡ると唐崎地区。ここに件の段倉がある。段倉は水害の多かった北河内にも有るが、ここの
段倉は城郭の様に格段に規模が大きく秀美だ。ここで鮫島サンが合流し、芥川を遡って高槻市
街の西外れから旧西国街道に入る。時刻は1 1時近く、丸谷サンの情報で阪急オアシスに寄
って昼食を調達、本当の継体天皇陵と言われる今城塚古墳に向かうが残念ながら木陰が少
なく、内堀跡で三々五々座り込んで久し振りに日光浴をしながらの昼食と洒落込む。正午過
ぎ、最近日没が早くなってきたので先を急ぐ。安威川、茨木川を越えてR171を渡って椿の本
陣とも呼ばれている郡山宿本陣跡へ。これから少し上りがあるので今月で81歳の鮫島サンは
次の豊川でモノレールに乗車。この辺りから現在の西国街道であるR171と絡み合う様に石
橋まで続いている。新御堂筋を越えると江戸城での刃傷事件を赤穂藩へ知らせた萱野三平の
実家。「晴れゆくや日頃心の花曇り」という辞世の句が悲しい。石橋から大阪空港の北端に出
るが、北西に向かって飛び立つのでよく見えない。そこで着陸地点の南端、千里川畔に移動し
着陸を待つ。16時前で着陸便が少なかったが、大型機が降りると轟音と風がすごくてスリル
満点。着陸時の写真を撮ろうとミラーレス一眼に魚眼コンバーターを付けて写したのが表紙の
写真。佐竹サンの挙動が不自然だが?暫く着陸を楽しんだ後は猪名川左岸を下って、朝見た
神崎川の下流を十三に向かった。 皆さんお疲れ様でした。
第47回全国サイクリングクラブラリーin いわき 岩井春隆
9/10 早朝の地下鉄・御堂筋線「梅田駅」ホーム。酔っ払いか柱の陰に若いお兄さんが倒れ
ている、と思った瞬間、踏み出した右足が前方へ滑りだし、背負ったリュックと肩に掛けた輪行
袋、リアーバッグの全重量が左脚にかかってホームのタイルにヒザのお皿を打ち付けた。幸い
倒れなかったので服や荷物には汚れなかったが、これからの福島県いわき市へ全国サイクリ
ングクラブラリー(以後・全国CCR)に向かうというのに・・・。新大阪駅で正田サンと落ち合い予
定の7:03発の「のぞみ208号」に乗り込む。席について先程打ち付けたヒザを見ると見事に
お皿の真ん中を擦り剥いている。簡単に手当てをしている内に列車は発車、京都駅で乗ってき
たCCウインディの藤原サンと出会い情報交換。東京の新橋駅には9:26到着。ここで常磐線に
乗り換え、9:44発の「ひたち7号」に乗り込む。ここでローマンCTCの末廣サンに会う。常磐線
は初めてなので車窓の風景には興味が尽きない。12:07泉駅に到着。青空も見えて初日の
サイクリングは申し分ない。ここにはCCウインディ、ローマンCTC、ペンギンCCや彼らを案内
するとおぼしきヨコハマミナトCCの面々も集合している。今回、全国CCRには夕凪CCとして大
阪からは正田サンと私の2名。関東からは東京の森田達サン、弟さんで横浜在住の森田悦サンと
相模原の小形サンの5名が参加。我々はいわき駅から海沿いに北上する予定で皆さんと別れ
出発、先ず昼メシと小名浜港へ向かう。幸い左ヒザは痛みが有るものの走行は大丈夫。この
紀行文を書くに当たってYouTubeで東日本大震災時の小名浜港を襲う津波を見た。沢山の船
が傾いたり港湾施設が浸水、津波の恐ろしさを再認識した。5q程走って小名浜港。海に向か
って広い土地が開け「いわき・ら・ら・ミュウ」で昼食を摂り14:20走り出す。魚市場から町田と
海岸沿いに川畑へと走り、中之作から折戸で隧道を潜ったのが運の尽き。海から離れて山間
部へ6q程走って、さすがにおかしいと村の人に海岸部への道を教えてもらって塩場へ。この
辺りでは津波で地図にある筈の街が消えていた。遙か前方に塩屋埼灯台が望まれ、付近はま
だ復旧工事継続中。4q少しでヨコハマミナトCCの皆さんに迎えられて「いわき新舞子ハイツ」
に到着。(17:00)自転車の車輪を雑巾で拭いてもらって体育館へ。(後日ネットで見るとこの
ハイツは、海岸に近い割には建物1階のみの浸水で済んだそうだ。)部屋に入ってすぐに各ク
ラブの代表者会議。来年は名古屋の「自転車で道を走ってみる会」が担当し、再来年の第49
回目は夕凪CCが担当する事となった。今回の参加者は主催者側資料で106名。懇親会の後
の二次会は参加者の自転車を眺めながら・・・。9/1 1朝、空模様を心配したが本日中の雨は
心配なさそう。今日は、いわき駅発で磐梯熱海駅に向かう大移動。8:41を逃すと午後の13:
13まで列車が無く、その為ラリーの記念撮影はおろか朝食も食べずにヨコハマミナトCC数名
の方の見送りを受けて7:00頃出発。いわき駅迄約10q、途中の中山で横浜に帰る森田悦サ
ンと分かれ先を急ぐ(泉駅にクルマを置いている)。結局7:36分に到着、ゆっくり輪行袋に収
めて8:41にいわき駅を発つ。途中の郡山駅で磐越西線に乗り換え1 1:00磐梯熱海駅に到
着。愛車を組み立て駅近くの蕎麦屋さんで昼食。この磐梯熱海温泉は平泉を平定した源頼朝
が工藤祐経にこの地を与え次男の伊東祐長が治めた際、領地に故郷伊豆国の地名を付け、
熱海温泉もその一つという。12:30、さあ昼飯も食ったし、ここから暫くR49を走って猪苗代
湖の東端、中山峠への上りが始まる。太平洋岸のいわき市と日本海岸の新潟市を結ぶ動脈
であるが交通量は余り多くない。2日目なので森田達サンに少し疲れが見られる。小形サンは1
6?のバイクフライデーで元気満々。暫く行くと旧二本松街道・中山宿跡への入り口。ここに19
97年に廃止となった「旧国鉄中山宿駅跡 スイッチバック」の看板があり見学に行く。中山宿は
明治元年の戊辰戦争で会津藩兵が撤収の際に焼き払い、その後鉄道が開通して寂れてしま
った。再度R49に出て道は更に高度を増し右に回り込むと中山隧道入り口(500b)。1989
年までは山を迂回する中山峠を越えていた。中山隧道猪苗代湖側の標高は520m、猪苗代
湖は高原となっており下る事も無く到着。ここからは湖岸を行くが "山"はまだ見えない。少し
走って猪苗代湖畔駅辺りで磐梯山の全容が姿を現したが優美な山とは言い難い。太古には富
士山の様な姿であったそうだが、度重なる山体崩壊で現在の姿になったという。左手に猪苗代
湖、右手に磐梯山を見ながらR49を走り、入江から小径に入る。右手に真っ白な花の咲く蕎
麦畑を見ながら自転車道路を行くがやがて小径は途絶えR49に戻った所に野口英世の記念
館。しかし色々逸話のある人物とかでパス。時刻は15時を回り、R49を快走して先を急ぐ。昨
日負傷した左ヒザが少し痛む。銚子ノ口で湖を後にして坂を上り切った所で森田達サンを待って
いるとワンボックスカーが停まり、何と奈良の伊藤サンが若松の栗原サンと現れた。まだ奈良に
帰らず暫くこの辺りを走るという。栗原サンに会津若松へは旧R49(現市道I-9号)が良いとアド
バイスを頂き、白虎隊を含む会津軍が破れた戸ノ口原古戦場近くを通り、強清水から標高差
約260bのダウンヒル。旧国道は結構幅員があり、快適なワインディングロードを楽しんでど
んどん下る。会津若松市街は遙か下に望まれる。今夜の宿は街の東側の東山温泉だが、結
局市街地から100mも上る事になった。9/1 2 朝一、天気予報を見ると今日も晴れ模様。今
回は雨を覚悟していたが降り出しが遅れ本当にラッキー。帰りは会津若松駅を13:23に発つ
ので時間はたっぷり、昨日ヒーヒー言って上ったホテルから鶴ヶ城を目指してのダウンヒル。鶴
ヶ城・・・、NHKの大河ドラマ「八重の桜」で官軍の砲撃で穴だらけになっていく姿を見て、是非
会津若松、中でも鶴ヶ城を訪れたいと思っていた。什(じゅう)の掟に従って正規の藩兵でない
16〜17歳の少年達も白虎隊として若い命を散らした戦い。天守は明治7年(1874)に解体さ
れ、今の天守は昭和65年(1965)にコンクリート造りで再建された物。又、平成23年(201
1)には解体以前と同じ新潟県阿賀野市の安田瓦(赤瓦)に葺き替えられた。天守最上階が展
望台になっており、会津若松の盆地を見渡せば秋風の下、攻め来る官軍を迎え撃つ会津の人
の悲壮感が偲ばれた。
楽しかった3日間の旅。ヨコハマミナトCCの皆さん、夕凪CCの皆さんお疲れ様でした。

<2016年8月度行事>
真夏の奈良で鰻まむしを食す 岩井春隆
8/7 本年の土用の丑は先月30日、少し遅くなったが、今日は大和郡山市八条町の鰻料理
の「綿宗」さんで、鰻のまむしを食べて暑気払いをしようという趣向。前号の紀行文にある様今
回は事前予約もバッチリ、集合地のJR法隆寺駅には井川、伊藤元、岩井、川中、小亀、越
内、佐竹、正田、嶋、谷口、萩原、藤山、前田、森、森永サン。ゲスト参加は地元大和郡山の
近藤サン。尾崎サンは寺田町から自走で到着。越内サン、嶋サン、谷口サンは久し振りの参加。駅
頭で簡単なコース説明と安全の注意後9:25出発したが、すぐに左折するのをミスってウロウ
ロ。OCAの初詣で何度も通った道なのに、人のお尻について走っていると印象が薄くてあきま
せんナ。地元の近藤サンのアドバイスで正しい道に戻り、大和川を渡って広瀬神社の裏口から
境内へ。7/12付け読売新聞に"かぐや姫"の伝説があるとあり、調べると南方5qに位置する
讃岐神社(竹取翁は讃岐出身)にも同様の言い伝えがあるという。ところが広瀬神社の境内に
は全くそんな説明文は無く、長い参道を通って広瀬神社を後にし、曽我川に沿って南下。ここ
から先はGPSを持つ森永サンに先導を願って、近鉄・田原本線を潜ったり、細い村々の間道を
縫う様にして巣山古墳脇の讃岐神社へ。ここは小さな神社で地名は三吉(みつよし)だが、か
つて一帯は讃岐出身の斎部(いんべ)氏が移り住み散吉(さぬき)と呼ばれていた由。井川サン
からお手製の竹輪にキュウリを入れた物を頂く。ここにも"かぐや姫"の事を記した看板すら見
当たらない、と思ったら長い参道があり我々の入った入り口は又々裏口だった様で、参道南端
付近には讃岐神社の謂われと竹取物語関連の看板があった。斎部氏は持統・文武朝廷に"竹
細工"を献上する為に讃岐から移ってきたとの事で"竹"との関連はあるものの、作者不詳の
物語である故に直接的な説明は無かった。さあ、時刻は1 1時を少し回ったので「綿宗」さん
へと向かうべく交通量の余り多くない道を東進、田原本町の大網、黒田、石見と走り、西代で
下ッ道(中街道)に入り、4q程北進して正午丁度に到着、大広間に通される。色々とお宝の並
ぶ涼しい部屋でホッとしてお目当ての"鰻のまむし"の登場を待つ。肝吸いの後、やがて運ば
れて来た"鰻のまむし"はずっしりと重く超弩弓!大阪は白飯にタレがかかっているが、奈良県
のはご飯がタレ色一色。食が細い人には?だが、今日の我々にはウエルカム。一段目を食べ
ても、まだその下に二段目があって全員ぺろりと平らげ、すぐに横になる人もいて「ああ幸
せ!」。「綿宗」さんは1 1 0年の歴史を誇り、皐月の盆栽も有名とか。女将の見送りを後に
近藤サンの先導で大和郡山へ。郡山市街に入ってすぐにガソリンスタンド跡に若者がやってい
る今風のかき氷屋さん。入り口にはテレビで見た公衆電話BOXの金魚鉢。(表紙写真)若者
達との会話を楽しんで、次は源九郎稲荷神社へ。元々吉野にあって、吉野に逃れる静御前を
守った白狐に源九郎義経が鼓と名前を贈ったという神社。次は近くの薬園八幡神社へ参拝
し、時間は14時半。暑さが厳しく本日はここで解散とし、JRと近鉄の郡山駅に別れ帰路に付
いた。近藤サン色々と有り難うございました。


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