縄文杉を見に、

[屋久島まで] [登山道] [三代杉] [ウィルソン株] [縄文杉]

2001.9.21

屋久島に行く

縄文杉を見に行こうと思い立って、 鹿児島までの航空券を買った。
鹿児島から屋久島までは、 飛行機もあるが、船もある。
JASのホームページを見たら、 屋久島便はネットで購入できなかったので、 船で行くことにした。
でも、これはただの口実で、船で行きたかったのである。
やっぱり島に行くなら船のほうが断然気分が盛り上がるってものだ。
鹿児島から屋久島まではトッピ−という名前のジェットホイールが出ている。 電話で予約して船賃を銀行に振り込めば予約完了。
鹿児島空港のインフォメーションカウンターで 「屋久島に行きたいんですが、港まではどうやって行けばいいでしょうか?」と尋ねると、 きれいなお姉さんが「バスに乗って金成町で下りてください。 そこから15分ぐらい歩いて頂かないといけませんが...」 と言って、わざわざ紙に「金成町」と書いてくれた。
金成町でバスを降りて、港に向かいかけると、 そのあたりで仕事をしているらしい事務服のおばさんに出くわしたので、 念のため方向があっているのかを確かめてみた。
するとおばさんは、「こんな方に歩いて来たってだめ。バスに乗らないと行けないわよ。」 と私を叱りつけた。ああ、なんで私は知らないおばさんにいつも怒られるんだろう?
おばさんの言うバスの乗り場に行ったが、港に行けそうもなかった。 で、客待ちをしているタクシーに乗ろうとすると、運転手さんは「その道を右に曲がって、 大きな通りに出たら、左に曲がって....」と親切に道を教えてくれた。
私が行こうとしていた道を歩いて行けば良かったのである。
あのおばさんは何なんだ。
ジェットホイールは先ず種子島に着いた。種子島は随分とのっぺりとした島で、 島全体が丘陵のように見えた。 こういう所だから、ロケットを打ち上げられるんだと納得。
種子島を出て、いよいよ姿を現した屋久島は、 打って変わってアルプスの山系がそっくり島に載かっているような姿。
頂上は雲がかかって見えない。荘厳なりや。
あの雲の中に縄文杉が待っている。

登山

縄文杉は標高1300mのところにある。
そんな高いところに自分の足で登ったのは、15年程前、十勝幌尻岳に登ったのが最後だった。
ちゃんとたどり着いて、帰りのバスの時間までに戻れるかが問題だった。
民宿に着くと、その日縄文杉に行って来たという大学生の男の子がいた。 話を聞くと、彼は帰りのバスに間に合わず、 レンタカーで来ていた人に乗せて帰ってもらったとのこと。 若い男の子でさえ間に合わないというのだから、「困ったな。」と言っていたら、 宿のご主人は「帰りのバスまで11時間もあるんだから、全然問題ないですよ。」と楽観的。
たくさんのお客さんを送り出してきた人が問題ないと言うのだから、問題ないということにして、 翌日早朝、暗いうちに宿を出て、バスに乗った。
バスはバス停ごとに登山客を拾って、山を登る。終点の荒川登山口に着いた頃には、夜は白み始め、 おにぎりを食べている間に、すっかり明るくなってきた。
トロッコ道 まずはトロッコ道を歩く。枕木の上に幅の狭い軌道が敷かれている。
橋がいくつかあるが、枕木の隙間から足の下に渓流が見える。
じっと見ていると、くらっと来て足を踏み外しそうだ。 そうなると悲惨なので、見ないようにして歩いた。
でも、この山は花崗岩でできていて、川の水は流れが激しいのに全く濁っていない。 珍しい光景なのでつい見てしまう。
トロッコ道はなだらかなので、快調に歩いた。 ガイド付きツアーも何組かいて、ツアーグループのお尻にくっついて説明を聞いたりもできた。
少し疲れ、休憩をとりたくなった頃、小杉谷に着いた。
小杉谷小学校跡 小杉谷はこの山から杉を切り出す人たちの集落があった所だ。
写真にある山の中には不似合いな広い空き地は、小学校の跡。
小学校まである大きな集落だったのだ。
廃坑の町を見る時のような、栄枯盛衰の理を感じる場所である。

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三代杉

三代杉 小杉谷からしばらく行くと、三代杉がある。最初に見られる大杉だ。
屋久島で一番背の高い木だと言われているが、 それよりも、この杉のすごいところは、倒れても、切られてもまた生えてきたことだ。
左の案内板の説明によると、 最初に生えていた杉は1500年前に倒れ、その上に2代目の杉が生えていたが350年前に伐採され、 その上に今枝振りを伸ばしている3代目の杉が生えてきたとのこと。
説明を読んでもピンと来なかったが、その後、歩いていると、道端に生えた小さな杉が倒れているのに 折れたところから又生えてきているのを見つけた。
若い杉が折れてもまた再生するというのはなんとなく分るが、1000年以上も生きた杉さえ、 再生することを知って、私は脱帽した。
杉は齢1000年を越えても、まだ若木なのかも知れない。 人間とは桁の違うスケールの時を刻んで屋久杉は生きている。

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ウィルソン株

Wilson株 トロッコ道が終わり、いよいよ本格的な登山道へ入る。 階段も付けられているが、そうとうきつい。
この辺に来ると、名前なんかついてないただの杉でもかなりの大きさになってくる。
大きな杉を見上げながら歩いていると、巨大な切り株が現れた。
一緒に写っている人と比べてもらえば大きさが分ると思う。
屋久杉にWilsonなんてボールみたいな名前は変だが、 アメリカの植物学者がやってきたことを記念して命名されたとのこと。
大きさもさることながら、あんなに高いところをどうやって切ったのかと考えると、 その方も凄い。高さは4.5mあるそうだ。
伐採された木は京都のお寺に使われたとも言われていると聞いて、 屋久杉は意外に近くにいたのだと気付いた。
Wilson株の中


中は空洞になっていて、自由に入れる。部屋が一つ作れる広さだ。 屋根があれば住んでもいいが...





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縄文杉

Wilson株から歩いて歩いて、登って登って、へろへろになって縄文杉にたどりついた。
登山口を出発してから5時間、縄文杉の展望デッキに登る。
縄文杉 デッキから眺めるのはイメージが違った。
私のイメージでは、大木に抱かれて、 何千年もの時を生きた杉の息吹を感じるという状況を想像していたが、 デッキから縄文杉はイメージより遠い。
でも、これも訳あってのこと。
縄文杉が世界に知られるようになって、まず周りの木が伐採された。 縄文杉をよく見えるようにしようと、良かれと思ってしたことだが、 これがアダになり、縄文杉の周りの表土が流れて、そこを見物人が踏みつけるものだから、 根が傷んでしまった。 そこで、登山客に小杉谷から土を持って上がってもらい、 縄文杉を拝んだら、根元に土を撒いてきてもらうという作戦に出た。 ところが、別の場所の土を持ち込むのは生態系に悪影響を及ぼすという問題に気付き、 それも没。で、平成7年に現在のような展望デッキが儲けられたそうだ。
こんな高い所に、こんな立派なデッキを作るには、 随分たくさんの人が材木を持って山を登ったんだろうなと考えていたら、 帰り道で一緒になったガイドさんが、 発煙筒を焚いて、ヘリから材料を落としてもらうのだと教えてくれた。 私が馬鹿でした。
でも、これにて一件落着とはいかず、 今度はデッキに光を遮られた場所の植物の生育が悪いという問題が出てきているらしい。
縄文杉 そうなると、広く世間に知られたことは、縄文杉にとって幸せだったかどうか。 杉が人間に会いたいと願うはずないので、不幸に決まっている。
私たちが縄文杉に会いたいと思うこと自体、自然界にとっては人間の我侭にすぎないのだろう。
私も我侭をとおしてしまった一人だが。
最初はこの題名も「縄文杉を見に行こう」だったが、 書いているうちに積極的に勧められなくなり、 「縄文杉を見に、」なんていう中途半端な題名になってしまった。



蛇足だが、帰りのバスには間に合うどころか、2時間も早く降りてしまって、 他の人のガイドをしていた人の車に便乗して帰った。

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