聖ポール天主堂跡

沢木耕太郎の「深夜特急」の中に、この史跡のことが書かれている。 彼の大学時代のスペイン語の教師はよく授業を脱線して、マカオのことを語った。
マカオは日本との貿易基地として栄えた土地だったが、日本でのキリスト教弾圧が強まるにつれて日本との交易が難しくなっていった。 そして、東アジアでのイエズス会の伝道の拠点であり、マカオ市民の精神的拠り所だった聖ポール天主堂は、 マカオの衰退と運命をともにするかのように焼失し、前面の壁1枚を残して潰え去った。 その壁の前に立った時の感動を小太りのおっさん(スペイン語教師)が息もつかずに喋り続ける姿を、 沢木耕太郎は印象深く覚えていたのである。
そして、実際にその壁の前に立った彼は、子供たちの格好の遊び場となっている歴史的な壁を見て、 「わがスペイン語のオッサンならずとも、心が波立ってこざるをえない。」と書いている。
それからまた、四半世紀を経て、私はここを訪れた。
今は、中の発掘も終わり整備されて、壁の裏側には頑丈そうな支柱も取り付けられている。 沢木耕太郎が見た、かくれんぼをする子供や買い物帰りに近道をして通り抜けをするおばさんの姿はない。 だが、舞台装置のような姿の巨大な壁は威風堂々として、その歴史を知らなかったとしても人の心に迫り来るものがある。 見上げた窓の向こうには絵に描いたような青空と白い雲があった。
帰りは来た道とは違う方の道から降りた。どうやらこちらが本筋だったらしい。 石畳の坂道の両側に店が並んでいて、人通りも多い。少し歩いて、ふと私は前にも来たことがあるような気になった。そんなはずはない。そうだ。 長崎だ。長崎にもこんなところがある。大浦天主堂だったか、 どこだったかはっきりとはしないけれど、丘の上にある教会か何かから石畳の坂道を降りた。 観光客に混じって、丘の上にある学校に通う制服姿の学生の姿も見たような光景だ。
マカオは長崎みたいなところ。そんな私の印象もそんなに間違ってないんじゃないだろうか。 長崎はマカオを拠点にしてやってきた伝道師や貿易商の影響を強く受けている筈だ。


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