ありアース2001.5.12
私は子供の頃、蟻を見るのが好きでした。
母が昆虫好きだったせいで、虫を気持ち悪いと思った記憶はありません。
私にとって蟻というのは、社会性を持った生き物として、 人間に似ているような気がして親近感や生きていくことの悲哀とかを感じさせる存在です。
小学校高学年くらいのころ、夕方遊び帰りに近所の家の前を通ると、 その家のおばさんが狂ったように殺虫剤を撒いていました。 何事かと足を止めて見ると、 おばさんはハネムーン飛行に飛び立とうとしている女王蟻とオス蟻に必死で殺虫剤をかけていました。
「なんでそんなことをしてるの?」と尋ねると、 羽蟻を殺さないと家が食われると、おばさんはヒステリックに答えました。
とんだ誤解です。彼らはこれからどこかに飛び立ち、 新しい土地で新たな地中の王国を作ろうとしていただけで、 おばさんの家を食う気なんてさらさら無かったのですから。
私はそのことを真面目に訴えましたが、取り合ってはもらえませんでした。
なんで今ごろそんなことを思い出したのかと言うと、 テレビ番組でハンセン氏病訴訟を扱った後に流れたCMが「ありアース」の宣伝だったからです。
関係ないだろうとお思いでしょうが、私の中では、羽の生えた女王アリたちを殺すおばさんと、 ハンセン氏病に罹患した人々を不当に隔離してきた非罹患者の社会が重なって見えたからです。
無知と、外見への偏見から来る迫害。
おばさんは、蟻についての知識が無く、羽が生えているという外見だけで判断して、 害の無い女王蟻に向かって狂ったように殺虫剤を噴射していたわけです。
これは、大した伝染力も無い感染症の一つであるハンセン氏病患者に対して、 病気に対する無知と、その患者さんたちの外貌の変化に対するいたずらな恐怖心から、 本来、看護するべき人々を隔離した上、彼らに強制労働まで強いた日本という国に暮らす人間の日常生活の一コマとして、 象徴的です。
でも、そういう感覚も私だけのものなのかも知れません。
昔は蟻が家に上がるというのは、食べ物の始末をしていない証拠で恥ずかしいことだったはずなのに、 今や家に蟻が上がるのは蟻の存在自体がいけないのだと言う発想で、 土の中の蟻の巣にまで撒く蟻殺しの薬の宣伝を堂々とテレビに流しているのですから、 蟻は害虫であるという認識が一般的なものになってしまっているのでしょうか?
だとすると、この文章自体、私の真意とは別の所で、 「蟻とハンセン氏病患者の人を同じに扱うとは何事か!」と批判を受けてしまうのでしょう。
でも私にとって、蟻というのはコツコツと真面目に生きる我々庶民の鏡のような存在です。
あのコマーシャルを見ていると、会社のために働いて働いて真面目にやってきたのに、 自分の力の及ばない強大な権力のようなものに会社自体がおしつぶされて討ち死にするサラリーマンの 悲哀を連想してしまう私は、 あのおばさんにとって、訳の分らないことを訴えるガキだったように、 皆さんにとって、変なたとえをするおばはんなのでしょうか。