45歳の12月、それまですごく元気だった私の心臓が急におかしくなりました。
出産以外では入院の経験もなく、大きな病気とは全く無縁だった私が
心臓にペースメーカーを植え込まなければ生きていけない体になってしまいました。
これは、その時の記録です。

タイトルの目次
<入院> <手術> <ペースメーカー> <術後> <心臓カテーテル> <結果> <入院生活> <大部屋> <退院>
<医療費> <退院後> <精神的ダメージ>  <前兆> <確定申告> <完全房室ブロック> <身体障害者1級>
<障害年金> <ペースメーカーチェック> <その後>

<入院>

45歳の12月、もうそろそろクリスマスやね〜♪って時の話。
朝起きたら、どうも心臓がおかしいことに気づきました。
心臓が、プルルン!プルルン!と痙攣しているような 気持ち悪〜い感触。
これは医者に行った方がいいかなぁ?
食材の買い出しのついでにクリニックへ寄ってみよ〜。

玄関を出て一歩歩くと激しい息切れ。 たった一歩しか踏み出していないのに
まるで全速力で何Kmも走ったあとのように息が上がる有様。

これはヤバイ。ただごとではないぞ。
でも昨日は普通に元気やったのに、急になんで???
必死で下まで降りて自転車に乗る。 やれやれ、自転車なら少しは楽ね〜♪

と思ったら大間違い。自転車を漕ぐのも命がけ。
ペダルを踏むのにこんなに足の力が必要だったなんてビックリ。
ちょっとした、ゆるやかな上り坂は当然無理だけど、 平坦な道でさえも思うように進んでくれない。

なんとかクリニックへ辿り付き、症状を聞いてもらったところ
「更年期かも知れませんね〜」
やっぱりそうか。とにかくこの息切れを何とかして欲しい。 飲み薬かなんかでスグに治るといいなぁ☆ミ

りょーが生まれてから一度も健康診断を受けていないことを 話すと
念のために心電図とレントゲンを撮ることになった。 そしてドクターに言われた。
「更年期じゃありませんでした。心臓に異常が見つかりました」

心臓に異常?!
異常って何よ?怖いやん、その言い方。

「とにかく今すぐ大きな病院に移します」と言われ ベッドで横になって待つように指示される。
ドクターは大きな病院に電話をかけて話している。
救急車がどうのこうの、意識はしっかりしているとか、 早い方がいいですよね、とか…。

なんというか、私、そんなに悪いの? 実感がないんですけど。
買い物どうすんの? りょーが学校から帰るまでに戻れるやろか?

結局クリニックがタクシーを呼んでくれて
そのタクシーに乗せられた私は否応も無く救急病院へ運ばれた。
救急病院の診察室に入ると医者に言われた。

クリニックの先生からお手紙はいただきました。
今日はこのまま入院していただくことになりますので
ご家族の方に連絡を取ってくださいね。

入院?!
出産以外は入院の経験がない私が入院?!

ビックリしたけどちょっとワクワク♪
入院でもしてゆっくり休みたいなぁ☆なんて思ってたし、 夢が叶ったような感じ♪
三日ぐらい?それとも一週間?旦那もりょーも大変だね。
でも日頃の私のしんどさを実感してもらえるいい機会かも♪

この時私は、ことの重大さに全く気づいていないのでした。


<手術>

入院することを旦那にメールで連絡。
歩くこともままならない私は車椅子に乗せられ 院内検査巡りの旅。
レントゲン・エコー・心電図・採血・血圧・尿、車椅子でゴーゴー!
一通りの検査をこなして行き着いたところが救急病棟。 なんでやねん(--)

ここって救急車で運ばれた人が来るとこでしょ? ドクターもグリーンの手術着みたいなん着てるけど?
海外ドラマのERみたいでカッコイイヾ(--;)ぉぃぉぃ
ビニールを張っただけの固い小さなベッドに寝かされ
点滴、心電図、血圧計など体中に色んなチューブを繋がれて
ピッ、ピッ、ピッ、という機械音が静かに響く。

検査の結果が全て出たようで、2時間前に病院に到着した旦那が やっと呼ばれる。
私はベッドに寝たまま、旦那は医師の前に座って話を聞く。
こんな私の姿を見て、旦那はきっとビビるだろう。 大丈夫なことをアピールするように「デヘヘ」と笑って見せる。
が、旦那の顔はひきつっていた(^^;)

私の病名は「完全房室ブロック」
普通の人の脈はくは一分間に約70回。でも私は48回。 つまり私の心臓は止まりかけているんだとか。
もう少し放っておけば、おそらく一週間以内に心不全を起こし そのままあの世へ行っていたかも知れないんだとか。

うーむ。
つまり私は死にかけていたのだな?
実感ないなぁ(^^;)

血圧もかなり高いけど、脈が遅いせいでその症状は表れず
当然、自覚症状もなかったらしい。
取り合えず、脈が速くなる薬を点滴で入れているので
少しは呼吸も楽になっているはずと説明された。

ただ、いつどうなるかわからない状態なので 今日はこのまま入院。
明日の午前中、心臓の手術をします。と言われた。
え?今日いきなりの入院でも面食らってるのに 明日手術ですと?!しかも心臓?!

人生というのは、いつ何が起こるかわかりませんねぇ。
初めての手術が心臓とは、ご先祖様もビックリですね。
心の準備もできないまま、怖がる暇も与えられず、 翌日私は手術台の上におりました。


<ペースメーカー>

私が緊急で受けることになった心臓の手術。 それは、ペースメーカー植え込み手術。
携帯電話を近づけたらえらいことになるとかいう あのペースメーカー。
植え込むって体に?きえーっ!なんとか逃げる方法はないものか。

でも逃げたら命が危ない。 ここは大人しく、ペースメーカーを植え込まれるしかない。
無…無念じゃ。サイボーグになってしまうなんて。
普通はもっとお年を召してから
使い物にならなくなった心臓の動きを助けるために ペースメーカーを入れるらしい。

私のような40代で、何故ここまで心臓が衰えているのか
他に心臓の病気が隠れているかも知れないそうだ。
それはまた後日調べるらしい。もう検査はうんざりだけどなぁ(><;)

ペースメーカーを植え込むと携帯は要注意。
他にも色々注意事項はあって、MRIの検査もできなくなるらしい。
だからといって、今は特に異常がないのに、念のため ペースメーカーの手術の前に
MRIで脳を調べましょーって 医師がムチャクチャなことを提案したので
旦那と私は、大人しく承諾書にサインをした。
どないやねん。

というわけで、先にMRI初体験。 「工事中みたいにうるさいですよー」と言われ
渡されたイヤホンを耳に装着するとクラシックが流れてくる。
検査が始まってしばらくすると、イヤホンのクラシックなんて ブッ飛んでしまうほどのやかましさ。
うるせー!!
普通の耳栓でいいんじゃね?音楽鳴らしてる意味ないし(--)b

そしていよいよペースメーカー植え込み手術。 手術室も初めて入ります。緊張します。
局所麻酔だそうです。全身麻酔の方がいいよぉ(TT)
電気メスを使うそうです。 アクセサリーとか電気を通すものは外すように言われた。
やばい。結婚指輪がハマってる。

結婚してから太ったぜ。簡単に外せるだろうか?
病院に来てから点滴だの採血だの手首は針を刺されまくり
今も点滴つけてるし、私の手は思い切りむくんでおります。
石鹸つけたり、みんなで引っ張ったり 指輪を外すために30分も費やす。
そのせいで時間もかかり、外で旦那とりょーは 心配していたらしい(^^;)

結局、結婚指輪は外れないまま 「電気メスはやめよう」というところまできたのだが
ドクターはどうしても電気メスを使いたかったようで 小さく切ったゴム手袋で結婚指輪をくるんでしまい
絶縁状態にしてからやっと手術。

やっと手術か。私も疲れ果てて緊張もほぐれまくり。
病院に入ったらすぐ、指輪を外しておくぺきだったなぁ。 などと思っていると
プスプスプスプス…おお、この電メ、よう切れるわ、 とドクターの声(^^;)

多少痛かったり、多少気持ち悪かったりしながらも ペースメーカー植え込み手術は2時間ほどで無事に終わる。
脈も普通の速さに調整され、遅い脈に慣れていた私はちょっと動悸を感じたりする。
溶ける糸で縫合してくれたので抜糸はないそうだ。ラッキー♪
手術のあとで怖いのは感染症。 点滴で抗生物質を入れながら、その日の夜は熱が出る。
術後の出血も止まらず、動悸もする。

手術は失敗したんだろうか?私の人生ここまでか? 生命線短いもんなぁ。旦那にもりょーにも苦労かけるなぁ。
医師や看護師達が入れ替わり立ち代わり見に来てくれて
「大丈夫ですよー」「ペースメーカーはちゃんと動いてるよー」
いくら声をかけられても、私の涙は止まりませんでした。

きっと精神的にもかなり参ってたんだろうなぁ(^^;)


<術後>

手術から一夜あけて、傷跡の出血もどうにか止まった。
ペースメーカーは、左胸の鎖骨の裏あたりに埋め込む。
そこから出ているリード線を静脈の中を通して 心臓まで到達させる。
心臓が正常に動かなければ、 ペースメーカーが「動け」という指示を出し
それがリード線を通じて心臓に届き、心臓が正常なリズムを刻む。

もし万が一、心臓が自分の力で正常に動けるようになれば
ペースメーカーは指示を出すのをやめるらしい。 よくできた機械だなぁ。
でも、ペースメーカーのない時代に私が生きていたとしたら
間違いなく45歳で死んでたわけだ。
まさに、生かされている、そんな感じがする。

さて、手術のあと、左腕を動かしてはいけない。 ペースメーカーが外れてしまう恐れがあるからだ。
一週間、左腕が動かないようにベルトで固定された。
わき腹が痒くなる。まだ冬だからましか。
夏だと大変だなぁ。絶対あせもになるし、ただれたりするかも。
一週間経って、ベルトを外してもらった時はホッとした。

体は看護師さんが拭いてくれるし、髪も洗ってくれる。
看護師さんの仕事ってすごい。私が男なら、きっと惚れてる(おい)

取り合えずベルトは外れたものの
ペースメーカーが体の中できちんとくっつくまで2ヶ月はかかります。
だからそれまでは、左腕を上にあげてはいけないそうです。 これが結構不便。
服を着替える時、シャンプーする時、髪をとかす時などなど。
でもペースメーカーが外れちゃうと再手術になるわけだし
それだけは絶対に避けねばならない。

ところで、ペースメーカーって結構薄くて小さい。
ペースメーカー手帳を見てもサイズは書いていないので 詳しくはわからないけど
触らせてもらった感触を思い出すと 多分厚さは3ミリぐらい。
大きさは3センチ四方の正方形だった。
でも、そんな小さなものでも
寝起きする時には重い。多少動くのがわかるから気持ち悪い。
傷口が避けて飛び出してきそうな恐怖にかられる(エイリアンかよ)

んなわけで、寝起きする時は時間がかかる。
まず手でペースメーカーをそっと押さえながら 横向きになり
少しずつ角度を増やしながら、寝る時は減らしながら 体への衝撃がなるべく少なくて済むように
スローモーションで寝起きするのだ。
そんなことを試行錯誤しながら、 それなりに入院生活にも慣れてきた7日目
「手術の傷跡も治ってきたことだし〜」というわけで
いよいよ、心臓にどんな病気が隠れているのか 検査をすることになった。

これが「心臓カテーテル」という検査でして、 便利だけど危険な検査。
検査中に事故が起こって、命を落としても文句は言いません。
と、サインを書かされるのです。 もう二度とごめんです、こんな検査(--;)


<心臓カテーテル>

ペースメーカーの手術も無事に成功し、 私の心臓は70前後という正常な脈を刻みだした。
入院してからずっと体につけっぱなしの うっとうしい心電図の装置も異常を知らせることはない。
高血圧の薬もよく効いて、血圧も落ち着いている。
なぜペースメーカーに頼るほど心臓がイカれてしまったのか
心臓に、どんな恐ろしい病気が潜んでいるのか。
それを調べるために、いよいよ心臓カテーテルの検査を する日がやってきた。朝食抜き(つらい…)

「明日手術です!」と言われ、逃げることもできなかった ペースメーカー植え込み手術に比べて
カテーテルに関しては逃げようと思えば逃げられた。 怖がる暇も十分あった。
怖い怖い怖い。  死ぬかも死ぬかも死ぬかも。  逃げたい逃げたい逃げたい。 
そんな気持ちでカテーテル検査室に入る。
足か、手首か、肘に穴を開けて、そこから動脈の中に管を通し
心臓の中まで管が入ったら、血管造影剤を流し込み レントゲンを撮る。1時間ぐらいかかります。

穴を開けるとか、動脈に管を入れるとか、 もうそれだけで失神しそうなくらいに怖い。
医師って、患者を生きた人間だと思ってたらできない職業かも。
血管造影剤を流し込んだ時に血栓などが見つかれば その場で血栓を取り除く。
つまり検査から治療に変わるのだ。 ただ、傷口は穴を開けてるだけなので、
心臓をメスで開くような 外科手術とは違い、回復するのも退院するのも早くなる。
カテーテルは内科的治療なのだそうだ。

ただし、血栓を取り除く時、その血の塊がヒュンッ! と血管内を飛んでって、
心臓や脳の細い血管にスポッ!と詰まり 血流を止めて脳や心臓の機能が止まると、
患者は即死。 ということも稀にあるのです。
私の場合、多分心臓に血栓があるのではないか? と先生は疑っている。
ああ、遺書でも書いておくべきだったかなぁ…。

実家の母が脳のカテーテル検査をしたことがあるけど
その時は全身麻酔で眠ってる間に終わっていたらしい。
でも私は心臓なので、レントゲンを撮る時に 息を吸って止めたり、息を吐いて止めたりと
検査に協力しなくてはならないので、局所麻酔です(TT)
穴をあける場所は手首に決まった。これは一番楽なパターン。
足なら、術後24時間は動けない。 肘なら、術後4時間ぐらいは動けない(多分そのくらいだったと思う)
手首は、術後1時間ほど安静にしてるだけ。

穴を開ける右手首に局所麻酔。この麻酔が痛いんだよね(><;)
左手には点滴。感染予防の抗生物質です。 全く、入院すると両腕は注射の針でボロボロになるね(--)
カテーテルが動脈の中を動いてる様子はよくわからないけど
事故があっては怖いので微動だにしない私。
「はい、心臓まで来ましたよ〜」 え?もう?意外と早いのね〜。

「造影剤入れま〜す。少し温かいですよ〜」
心臓の辺りが、お湯を入れられたようにボワ〜ンと温かくなる。 「はい、息を止めて〜!」
心臓の上辺りでレントゲンの機械がせわしなく動き、 あらゆる角度から撮影を行う。
これ以上息止めたら窒息するぅ〜!と思ったところで 「はい、ゆっくり吐いて〜」

思い切り吐きたいのに、ゆっくり吐くのかよ。きついぜ。
息を吐くと、心臓にあった温かいものがヒューっと 膀胱の方へ流れて行き
「あ!オシッコちびった?」と心配したけど ちびってなかった。
これを何回かするんだけど、 息を吸ってから止めるならまだしも、
吐いてから止める時は ほんとにきつい。高齢者とか重症患者にはきっと無理よね。

カテーテルの検査ってこんなものか。
大体わかってきて少し落ち着いた時、事故は起こった。

吐ききって息を止め、ゆっくり吸い込んだ時、 心電図の機械がピピピピッ!とけたたましく鳴る。
医師が4、5人、私の頭の方へ飛んできて 「大丈夫!大丈夫!」「息して!」「息吸って!」と叫んでいる。
何が起こったのかよくわからない私。 目は見開いていてまわりは見えている。 体は硬直して全身がつっぱった感じ。
体の中から強い圧力を感じていて、ヘリウムガスでも入れられた 風船のように、
そのまま天井へ浮かんでいきそうな感じ。

息してって?息ってどうやって吸うんだっけ?吸えないよ。
別に苦しくないなぁ。このまま息を吸わないでいると死んじゃう?
そうか。恐れていたことが起こったんだ。 私はこれで終わりなんだ。旦那やりょーに申し訳ないなぁ。

「息吸って!」と医師に肩を叩かれ、ふと我に返り 大きく息を吸い込む。
そのあとはもうハァハァゼィゼイ。大きな息が続く。 汗が吹き出て顔も紅潮する。
やばい。死にかけたんだ、私。
私が落ち着くのを待って、検査は最後まで続いた。
もうやめて欲しかったけど、また後日というのはごめんだし 我慢した。

検査のあと、やたらと気分が悪くなり、血圧も100を切る。
座ってるだけでもクラクラとめまいがするので
車椅子で検査室に来ていた私は、ベッドに寝かされて病室へ戻った。
もうあかん、もうあかん。気持ち悪い、気持ち悪い。
と思っていたら、お腹がグーッと鳴った。そういや朝抜きだ。

お腹空いた。気持ち悪い。頭痛い。
昼食が出てきて、少しずつ食べていると元気になってきた。 気分が悪かったのは空腹のせいか?(--)
看護師さんは極度の緊張のせいだ、と言ってくれたけど。

あとで医師から説明があった。
私の心臓に細ーい血管が1本あって、そこへカテーテルが一瞬 スポッとハマってしまい、
一時的に血流が止まったらしい。
すぐにカテーテルを引っ張って抜いたので大事には至らなかった。
医師達も見えないところを手探りで、恐る恐るの検査なので ご理解いただきたい、
ということだった。

ま、何ともなくて助かったけど、勘弁してくれよって感じ〜(--)

※現在(2008年)は<64列マルチスライスCT>という検査を従来のCTスキャンと同じくらいの料金で
痛みもなく、安静にする必要もなく、命を落とす危険もなく、日帰りで受けられます。
点滴で血管造影剤を体内に入れ、CTスキャンするだけの簡単な検査です。
心臓だけなく脳の検査もできます。ガンや血管内部の血栓も見つかり
レントゲンではわからないような小さな骨折まで見つけることができます。


<結果>

カテーテルって手首に穴を開けるので、 止血バンドも独特だ。
プラスチックの小さな浮き輪みたいなもので、 その中には空気がパンパンに入っている。
それを血が止まるほどグルグルと、きつく手首に巻きつけるのだ。
そして2時間置きだったかな? 数回に分けて少しずつ、注射器で空気を抜いていき
ペシャンコになったら翌朝までそのまま放っておく。

そりゃあ自殺する時に切る所だもんね。 そこに穴を開けるんだもんね。
そのくらいでないと、血は簡単には止まってくれないよね。
私の出血も無事に止まったけど、手首の中がだるいし痛い。
検査から12日経った今もまだ痛い。(結局、痛みがなくなったのは検査から一ヵ月後だった)
手首の中に傷がついているのか? 何か器具が残っているのか? そう思うくらい痛い(><;)

さて、カテーテル検査の結果が出た。
先生に呼ばれ、撮影したレントゲンを見ながら 説明を受けるのかと思ったら、ビデオ映像だった。
はい、これが造影剤を流す前です。 はい、これが造影剤を流してる時です。
自分の心臓が動いている様子。 ペースメーカーのリード線が心臓の中に入ってる様子。
パソコンの画面に鮮明に映し出されるのだ。 すごいねー。世の中変わったもんや

私の心臓の血管は、血栓が詰まっていることもなく、 きれいなもので
心臓の病気が潜んでいる様子も全くなく、 結局なんで心臓がダメになったのか
その原因はわからないということだった。

わからない。わからない?それでええの?
ペースメーカーを埋め込んだのに、原因がわからない?
まぁ、13年間健康診断に行かなかった私が悪いわけやけど、 なんか腑に落ちん(--)


<入院生活>

クリスマスは病院で迎えた。
クリスマスシャンパンやら生クリームやらモントンのケーキの素やら
ちょこちょこ買い揃えて準備してたのになぁ。
りょーはクリスマスも何もないね。 可哀相なことをしてしまったなぁ。

病院ではミニクリスマスコンサートがあった。
手術の翌日からぼちぼち歩き始めた私。
病棟内は歩いてもいいけど、病院内を歩く許可はまだ出ていなかった。 つまり他の階に行ってはいけないということ。
コンサートはロビーでするみたいだから私は行けないわね(--)

と諦めていたら看護師さんが声をかけてくれた。 「行かれるなら車椅子でお連れしますよ〜」
え?!いいんですかっ?! 車椅子で連れてってもらえるなんて夢のよう。
コンサートはマジックショーや腹話術のような大道芸あり
医師や看護師によるコーラスや演奏あり、 専門家の楽器演奏などもあり、十分に楽しめた。
私以外にも車椅子で来ている人、自分で歩いて来ている人 たまたま通院に来ていた人、色んな人がいた。
鼻に管を通している人、点滴を提げてる人 トイレに行けないので尿の袋を提げてる人もいた。
入院している子供もいた。

コンサートは楽しかった。
病院でのコンサートなんて、そんなに体験できるものではないし いい経験をした。でも、
入院が長くて、毎年病院でクリスマスを迎える人もいる。
病院にいても、ちゃんとクリスマス気分を味わえるように
病院のスタッフの方たちの心遣いは嬉しいし有り難い。

でもやっぱり、誰だって自宅で家族と一緒に過ごしたいよね。
そう思うと涙がにじんできた。 笑って拍手したりしながらも目がウルウルしてくる。
日頃から家族のために走り回ってる主婦にとって 入院生活はパラダイスだけど
やっぱり健康が一番だよね(TT)


<大部屋>

4人部屋だった。
大部屋といっても、ベッドの周りをグルリとカーテンで 囲んでしまえるので
個室と大して変わらない。 窓際だったので景色が良かった。
夜は夜景がきれいだった。 でも夜中は救急車がひっきりなしに来ていた。

毎朝毎晩、体温と脈拍と血圧を測る。 6時半起床の9時消灯。
点滴だの採血だの両腕をボロボロにされ
手術のあとは膀胱にカテーテルを通して24時間安静。
そんな時は入院していても時間の経つのが早い。

でも点滴が外れ、歩ける距離が増えてくるとやっぱり入院は暇。
有料テレビも飽きてくる。楽しみは食事だけ。
旦那に頼んで、まだ読んでない本やら、お絵かきロジックやらを 持って来てもらい
やっと暇つぶしができるようになった。

私のいた病棟の患者さんは、ほとんどが心臓の病気の人達。 年齢は大体70代以上。
「お宅、若いのにどないしはったの?」なんて聞かれる。
狭心症や心筋梗塞なんかで意識不明のまま運ばれ カテーテルで治療を受けた人がほとんどだ。
ペースメーカーを埋め込んだと説明すると 驚かれるし怖がられる。
こっちも怖いかも知れんけど、そっちも怖いやん、って思う(^^;)

ペースメーカーの術後の夜、熱が下がらず出血も止まらず
夜中までバタバタしていた私のベッド。 私も不安で怖くて泣いていた。
そんな時、私の部屋の患者仲間である ウメばあさんとカメばあさんが、ひそひそ話を始めた。
「若いのに可哀相になぁ。
なんやらメーターとかいうのん埋め込んで 血が止まらへん、言うてはるわ。可哀相になぁ。」

「あ〜なんやらメーターなぁ。
そうそう、あるある。ヘルスメーターやろ? 若いのに大変やなぁ。可哀相になぁ。」

ヘルスメーター?!

誰がそんなもん体に埋め込むねん?
ペースメーカーや、ペースメーカー(--)


<退院>

あれよあれよと言う間に入院、手術を余儀なくされた私も 10日目にやっと退院できる運びとなった。
あんなに大変だったのに10日で退院なんて早いなぁ。 でも今の病院はみんなそうらしい。
手術の傷が治ればすぐ退院。追い出されるのだ。

もう少し入院して、ゆっくりのんびりしたかった。傷口もまだ痛いし。
入院したのが12月18日だから、退院は12月28日。 世間は師走で大忙しの時期だけど
病院でお正月を迎える なんとことにならなくて良かったと思ったり
病院でのおせち料理も食べてみたかったなぁと思ったり
病室に獅子舞のサービスが来たりするんだろうか?と思ったり。

退院の前に、色々と説明を受けた。 ペースメーカーが体内に癒着するのは手術から二ヵ月後
左腕を上げることができるのは三ヵ月後。
癒着するまではシャワーのみにすること。毎日一回、自宅でも血圧と脈拍を測ること。
おかしいと思ったらすぐ病院に来ること。

ペースメーカーについて。
絶対ダメなものは電磁波や磁石関係、そして雷。
危険なものは体脂肪計・電磁調理器・IH炊飯器・電気風呂・磁気ネックレス
大型テレビのブラウン管・盗難防止装置・MRI・放射線治療器・体外徐細動装置(AED)
携帯電話。肩凝りの磁気治療器は使ってもいいけど、ペースメーカーの近くには
貼らないように気をつけなくてはならない。
携帯に関しては、ペースメーカーが埋まっていない方の手で使えば特に問題はないらしい。
約25センチ離すこと。最後にレントゲンを撮り、ペースメーカーのチェック。

ペースメーカーって医療器具だけど電化製品みたいなもの。
一個、大体170万円ぐらいするらしい。保険は効くけどね。
ペースメーカー屋さんがアタッシュケースを抱えて 病室に入ってきた。
「それでは検査させていただきまーす」と言って 私のペースメーカーの上に、ポン!と機械を置く。
ちゃんと動いているかどうか外から操作できるようだ。

ちょっと鼓動が早くなりますよー、遅くなりますよー、 スイッチオフにしますよー。
自由自在に操られる私のペースメーカー。
スイッチをオフにされた時は苦しかった。
急に心臓が岩のように重くなって、思わず「うー…」と 唸ってしまった。
入院した時の状態と同じだね。 でも、こんなにしんどかったっけ?
先生いわく、今は普通の脈に慣れてきてるから 余計にしんどく感じるそうだ。

どーでもいいけど
ペースメーカー屋さんが私を殺そうと思ったら簡単だね。
ということはわかった(--)


<医療費>

結局、今回の入院・手術でかかった費用は66万円だった。 66万円あればヨーロッパ旅行ぐらいは行けるね。
でも高額医療の手続きをしたので、自腹を切るのは10万で済んだ。 それでも高いけど。
ボーナスが出たあとで助かった。
医療保険にも入ってたなぁ。いくらもらえるかなぁ?
まさかこんな目に合うとは思ってなかったから 一番安い保険に入っちゃったよ。しまったなぁ(><;)

ペースメーカーを入れて三ヶ月もすると元気になるらしい。 食事制限もなく、運動も普通にできるようになるそうだ。
ただ胸の部分を激しくひねるような、ゴルフのような動きのある スポーツはやめておいた方がいいらしい。
じゃあ野球もテニスもダメ?
球技なんかで、ペースメーカーが埋まってるところに ボールが当たったりするのもダメみたいだし
できるスポーツなんてほとんどないやん。

スポーツは別に好きじゃないから、する気もないけど(どんだけ〜)

ま、見た目はわからないし、そこそこ普通に生活できるってこと。
それなのに、あぁそれなのにです。 ペースメーカーは身体障害者1級になるのです!
身体障害者手帳は手続きの途中なので、まだもらえていないし どんなふうなのかよくわからないけど
交通費とか高速道路とかは半額になるらしい。うひひ。
え?転んでもタダでは起きないって? あったりまえでんがな( ̄ー ̄)

でも国がそういうふうに認めてるってことは やっぱりそういうことなんだろうな。
なんだかよくわからないけど複雑〜〜〜〜〜。


<退院後>

退院したら遊びに出掛けても大丈夫ですか? と先生に聞いたら、全然大丈夫ですよ〜と返ってきた。
なので、予定通り、大晦日にはUSJカウントダウンパーティーへ 出掛けた。無茶しよんなぁ(^^;)
大事を取って、キャンセルした方がいいかなぁ?とも思ったけど
先生の許可が出たことと、クリスマスは散々だったりょーのため。
どっちみち乗り物には乗れないし、 しんどかったらホテルの部屋で休んでいればいい。

病院では体力回復のため歩き回っていたので 入院前の状態に戻っている自信はあった。
でも建物の中と外では全然違ったので衝撃を受けた。
建物の中ってまっすぐに作られてるんだってことがよくわかった。
外の道は、まっすぐに見えても高低があるようで すぐに息切れがしたり、動悸が早くなったりして歩けなくなる。

これはかなりショックだった。
先生は大丈夫って言ったのに、全然大丈夫違うやん。 杖か車椅子が必要やん(><;)
旦那とりょーがアトラクションを楽しんでいる間
私はお店の中に座って、お茶を飲んだりスイーツを食べたり 別行動にしてもらった。
これはこれで楽しかった♪

自宅では洗濯はなんとかできる。今までの倍の時間がかかるけど。
料理を作ることもできる。今までの倍の時間がかかるけど。
でも固いもの、カボチャとか大根とかは、一人では切れない。 まだ腕に力が入らないのだ(TT)
掃除機をかけるのもまだ無理。 カテーテルのあとの右腕がいつまでも痛い。
左腕は三ヶ月過ぎるまで上げてはいけない。 自転車に乗るのも三ヶ月が過ぎてからだなぁ。
ということは当然買い物にも行けない。 重い荷物を持つのもまだ無理。

これからは毎日、食材の配達を頼むことにした。
少しお金がかかるけど、抜糸するまでの間だ。しょーがない。
あとはもう日にち薬。 日に日に痛みやだるさも少なくなってきている。
毎日血圧を下げる薬と、心臓の血管を広げる薬を飲み 血圧と脈をはかる。
半年に一度、ペースメーカーのチェックに行く。 約10年後に一週間入院して電池交換手術を受ける。

旦那とりょーはかなり変わった。 家のことをかなり手伝ってくれるようになった。
「洗濯なんか洗濯機がしてくれるやん」と言っていた旦那が
「洗濯が一番大変や」と言ってくれた。
なんでもかんでも私に頼っていたりょーが
「俺するで」と声をかけてくれるようになった(^^)

皆さん、年に一度は心電図の検査を受けてくださいね。


<精神的ダメージ>

ペースメーカーを埋めたあとの傷口はいつまでも痛い。 ブラジャーなんてできませんよ。擦れて痛いです。
夏じゃなくて良かった。太ってるわりにはグラマーじゃなくて良かった。
でもノーブラでも、歩いたりすると洋服が擦れて痛いです(TT)
だから、傷口に折り畳んだガーゼハンカチとかティッシュとかを貼って外出したりします。
これ、結構精神的なストレスになります。
術後3ヶ月は腕を上に上げてはいけないと言うのも、かなりストレスです。
同じ時期まで湯船に使ってはいけないというのもね。冬のシャワーは寒いですよ。
シャンプーする時も腕を自由に動かせないので不便です(--)b

カテーテルの検査で死にかけた私。あれも結構ダメージ受けてます。
たとえ一瞬でも血流が止まったわけですよね。大丈夫なんだろうか?後遺症はないんだろうか?
カテーテルのあとがいつまでも痛いのも気になります。

結局、時間が経つにつれて、体は徐々に回復してゆくのですが、精神的にはなかなか立ち直れません。
ちょっと血圧が上がったり、ちょっと脈が速くなったりすると、敏感に感じ取るようになってしまい
不安感でいっぱいになります。落ち着こうと深呼吸をしている間に手足がしびれて硬直し
顔も硬直して口がひょっとこのように尖がってきて、もう息をするだけで精一杯になり
とうとう救急車で運ばれてしまいました。過換気症候群です。

過呼吸症候群とも言いますね。息を吸わずに吐き過ぎたことによる二酸化炭素欠乏症です。
紙袋などで鼻と口を覆い、自分の吐いた息をゆっくり吸い込めば治るそうです。
話に聞いたことはあったけど、あんなに恐ろしいものだとは思いませんでした。
心身症の一種で精神的なものらしいけど、私も家族もマジで死ぬと思いました(><;)
救急車で運ばれたのもショックでしたね。生まれて初めての経験だったので少しは嬉しかったのですがね(おい)

でも、それからしばらくは体調も悪くなりました。
なぜか血中のカリウムが欠乏し、信じられないくらいの脱力感。歩くことも話すこともできなくなり
入院する前よりも最悪な状態の私。カリウム剤を飲んだらスグに元気になったけど(^^;)

その次はカリウムが十分足りてるのにも関わらず脱力感で歩けない、話せない。
少し下痢してたので点滴してもらったりポカリスエットを飲んだり。
この時は全く良くならず、日が過ぎていくにつれて少しずつ元気になっていきました。
精神的なものだったのかも。

その次はめまいです。頭の血がスーッとひいていくような貧血のような感じ。
後ろから頭を引っ張られるような感じもあり、1点を見つめていると目がチカチカして
頭がクラクラするような感じも。病院で検査しても血圧は正常。血液検査の結果も異常なし。
耳鼻科か眼科か?自律神経失調症かも…と思っていたら、勝手に治りました。

手術とか入院とかって精神的ダメージが大きいんですね。退院する時にもっと精神的なケアをして欲しかったなぁ。
傷が治ったから「はい、さよなら〜」じゃなくてさ、入院している時は医師も看護師もいるから安心だけど
退院した主婦は、日中家で一人ぼっちなんだよね。
出産のあとは保健婦さんの訪問があるけど、出産以外でもそういうサービスがあるといいなぁ☆

あとで調べてわかったことですが
病気、手術、検査、治療、将来に対するショックや動揺、不安によって起こる
精神不安定や体調不良のことを<ペースメーカー症候群>というらしいです。

心臓がダメになるところだったけどペースメーカーのおかげで助かった。
これから病院と縁を切ることはできないけど、時が経つにつれ以前と同じような生活に戻れる。
そんなふうに前向きに考えて、明るく生きていきましょう(^^)v


<前兆>

思い起こせば前兆があった。血圧が高いなぁと思ったことがあった。
でも病院で調べたら普通だったのよね。他の病院でも調べるべきだった。
マラソン大会に出た時、ちゃんとトレーニングをしていたにも関わらず、少し走っただけでもう息切れがして
「まじ?!」ってビックリした。
うつぶせになって本を読んだりすると、心臓が圧迫されるような感じで苦しかった。
あとでわかったけど狭心症の症状によく似ていたかも。体の左側を下にして寝たら苦しい時もあった。
呼吸をするのがいちいち苦しい時もあった。

まさか心臓が悪いなんて思ったこともなかったから、あまり気にしていなかった。
一番いけないのは13年間も健康診断を受けなかったことだけどね。
喫煙をして、夜遅くまで起きて、朝は早く起きて、特に運動もせず、甘いものが大好きで
大食いでバイキングが大好きだった。
頼まれたらイヤでも引き受けて、やるからには徹底的に、無理をしてでもやるタイプだった。

これからは改めましょう。無理はしません。無理しなゃできないことは、わがままだと思われても断ります。
タバコはやめます。夜は早く寝ます。毎日適度な運動を続けます。食事は腹8分目でやめておきます。
甘いものも程々にします。今回の病気は「ええかげんにせぇよ」という神様からの忠告だと受け止めて反省します。
自分のためにも家族のためにも命は大切にしないといけませんね(^^)


<確定申告>

高額医療費を請求するのは社会保険事務所。確定申告で医療費控除を申請するのは税務署。
管轄も違うし、翌年の所得税にも影響がある、ということで医療費控除を申請しようと思った。
暮れに入院し、医療費は高額医療費で戻った分を引いても軽く10万を超えている。
しかし、年が明けてから個人的に入っていた医療保険から保険金が戻り
病院に支払った医療費は無かったことになった。

こんなふうに年をまたいだ場合はどうするの?
税務署に電話をかけて聞いてみた。

治療が終わっている病気に対する払戻金の場合は
年をまたいでいても差し引きし、10万円を超えていなければ申請はできません。
ということだった。

ふーん、そうなのか。 言われてみれば確かにそうね。


<完全房室ブロック>

原因がわからないと言われ、自分でも色々と調べてみた。
心臓は、収縮を繰り返しながら体の隅々まで血液を送るポンプの役目をしている。
まず心房が収縮する。心房が収縮したことを知らせるために微量の電気的興奮が起こり
それを察知した心室が収縮する。こうして心臓は心房、心室が交互に収縮しながら全身に
血液を送っている。

なんらかの原因で、電気的興奮が起こらない状態に陥ると
心房の収縮を心室に知らせることができなくなる。なので心室はジッとしている。
でも、いつまでもジッとしていると体中に血液を送り出すことができず死んでしまう。
危機を感じた心室は自分で動きだす。ただ、心房の収縮の周期はわからないので無視。
死なない程度に動き出すのだ。死なない程度なので、結果的に脈拍は大変遅くなる。

この、心房と心室の間にある電波を出す連絡係が故障した状態を<房室ブロック>と言う。
心房と心室の間にブロック塀を作ったのか、連絡が取れないようにブロックされたのか
ま、そんなような意味だと思う。
この房室ブロックには4つの段階があり、時々連絡電波が出る初期の段階から
全く電波が出なくなる重症段階まである。
私の場合は、一番重症な段階<完全・房室ブロック>というわけだ。

ブロックを起こす原因としては、不整脈があげられている。そして不整脈の主な原因は
喫煙・高血圧・ストレス・睡眠不足・運動不足・食生活などがあげられている。
生活習慣を改めれば、そんな病気にはならないかも知れない。
でもなってしまった場合は、心電図を24時間つけて検査をする。
睡眠中に数秒間の心停止が確認されると房室ブロックが疑われるのだ。
これって無呼吸症候群なのかなぁ?また違うのかなぁ?

私は出産を機に太ってからいびきをかくようになった。そして、時々呼吸が止まっていると
旦那に指摘されるようになった。その時に心臓も止まっていたのかも…。
眠っている間は大丈夫でも、日中、心停止が起こると心不全を起こしてブッ倒れてしまう。
私も、いつ倒れてもおかしくない状態だった。

私は多分、血圧が高かったんだと思う。血圧が高いと心臓に負担がかかるからね。
でも健康診断をさぼっていたので、薬による治療も受けていなかった。
無呼吸症候群でも心臓に負担をかけていたんだと思う。
おまけに生活習慣もムチャクチャだった。よく助かったなぁと思う。
今となっては、神様ほんとにありがとう、というわけだ。


<身体障害者1級>

ペースメーカーを植え込むと身体障害者1級になる。
でも本物の肢体不自由な方と同じようには扱ってもらえない。
内部障害者なので外から見てもわからないし、ペースメーカーは特に、普通に動ける。
当たり前といえば当たり前ですね。

都道府県・市町村など自治体によって色々な援助があります。
私の住んでるところでは●本人だけバス料金半額●本人が乗ってる時だけ高速料金半額
●一ヶ月2000円までタクシー代援助●障害者用タクシー1割引●駐車禁止除外ステッカー
●自動車税・取得税の減免●福祉金年間約3万円●医療費は一ヶ月につき千円まで自己負担
●運転免許取得費の助成●公共施設利用時の無料やら半額やら●所得税・住民税の減税、以上です。

電車も半額になるのかと喜んでいたら、一人で乗車できる場合は全額負担(><;)
NHK受信料無料や水道料金の割引も世帯主が障害者の場合のみ!
障害者が世帯主だったり子供だったりする場合は手厚い援助があるけれど
それはほんとに援助なしでは大変だもんね。

あとは携帯電話とか映画館とか遊園地とか、民間の障害者向けサービスもあるので
窓口で障害者手帳の掲示はした方がよいです。

郵便局では<青い鳥郵便葉書>というのがあります。
重度の障害者(1級・2級)、重度の知的障害者(療育手帳A、または1度・2度)の方を対象に
官製はがきを20枚、無料でいただけるというシステムです。
平成20年は、4月1日から6月2日までの間に最寄の郵便局から申し込むと
自宅まで郵送してくれるということでした。
年に一度だと思うんですけど、来年もあるのかどうなのか詳しいことは
いまいちよくわかりません(^^;)

そうそう、預貯金の非課税もあったわね。マル優ですね。350万円まで非課税になります。
ただし、全ての金融機関の預貯金の合計ですよ。
あっち銀行で350万、こっち銀行で350万の貯金があるなら700万として計算されますよ。
ま、私には関係ない話ですね〜。ふん!( ̄‥ ̄)


<障害年金>

障害者手帳は地方自治体の管轄だけど、年金は国の管轄です。
ペースメーカーの場合、障害者手帳では1級になるけど
社会保険庁では3級扱いになります。

厚生年金が適用される場合は3級まで障害年金が毎月振り込まれるけど
国民年金が適用される場合は2級まで。つまりペースメーカーは申請しても無駄です。

で、私の場合、サラリーマンの妻、扶養家族であり専業主婦なので国民年金扱い。
つまり障害年金をもらえる立場にはないのでありました。残念
家計が苦しくなったらパートに出るしかないなぁ(><;)


<ペースメーカーチェック>

ペースメーカーのチェックは私の場合、半年に一度です。
正常に動いているかどうか、電池はあと何年持つかを調べるのです。
もし不整脈などがあれば、それが何年何月何日に起こったのか ペースメーカーは記憶しています。すごいヤツです。

ベッドに横になって、ペースメーカーを植え込んだ場所に器具を置き
ペースメーカー屋さんがペースメーカーの調子を調べてくれます。
脈の速さを遅くしたり、早くしたりして様子をみます。これは気持ち悪いです。
検査なんだから、しょーがないけど。

この時に自脈も調べます。自脈って、やっぱり自分の脈の略かなぁ?
「自脈ゼロです」とか言ってたよ。ゼロだって。傷つくなぁ。
それって、ペースメーカーを外したら心臓が止まるってことですか?
怖すぎる。

命を救うためにペースメーカーを植え込んだんだから、当然だけどね。

患者さんの日常生活に合わせて、多少脈拍の上下設定を変えたりすることもあるようです。
心臓移植とペースメーカー、どっちがどうなんだろう?
ペースメーカーは人工物だし、延命措置に近いのかなぁ?

手術から2ヵ月半、ようやく手術跡の痛みが少しだけましになったような気がします。
でも自分の体の状態、ペースメーカーを植え込んだという事実を受け入れることができません。
朝起きて、全部夢だったらいいのに…と思ったりします。
いつになったら受け入れられるかな?半年かな?一年かな?気長に待つしかないですね。


<その後>

手術から三ヵ月後は元の生活に戻れる。
医師からそう言われたけど、とんでもなかった。

三ヵ月後…カテーテル検査のあとの手首の痛みがようやく取れた。
ペースメーカーを埋め込んだ部分はまだ痛いし違和感もある。
少しは歩けるようになったけど、早く歩けないし、長い距離は歩けない。
動悸や脈拍は敏感に気になる。
ブラジャーをすると紐の部分が傷口に触れて痛い。家ではノーブラ。
外出する時は、タンクトップの上にブラジャーをする。
あるいは、紐の下にガーゼハンカチを当てる。

五ヵ月後…ペースメーカーを埋め込んだ方の腕はようやく自由に動かせる。
でも気を付けて、ゆっくり動かさないと筋肉が痛む。
少しの距離なら普通の速さで歩けるし、ゆっくりなら長い距離も歩けるようになった。
でも手術前のように歩くことはできない。信号で小走りができるようになった。
ブラジャーの紐はまだ痛い。ヌーブラとか買う?わざわざ?もったいない。やめとこ。
いつかは治るし。
腕の筋肉が痛くて自転車は敬遠していた。ハンドルさばきに不安があったもので…。
痛くても少しずつ動かすようにしていたら、かなり腕が動くようになった。
自転車に挑戦してみた。乗れた。やったぁ!歩くよりも全然楽〜♪
食材の配達は終了。自分で調達しに行ける(^^)v

半年後…針で刺されているかのようにチクチク痛んでいた傷跡も少しずつ気にならなくなり
代わりにムズムズと痒みがやってきた。治りかけのアレですかね?でも怖いから掻けない(--)
自転車なら、よほど急な上り坂ではない限りどこへでも行けるようになった。

八ヵ月後…退院してから2回目のペースメーカーチェック。正常に動いているようです。
ただ、痒くても怖くて掻けなかったはずの傷跡に、掻きむしった跡があるそうです。
どうやら眠っている間に、無意識に掻きむしったようです(><;)
傷跡に小さな虫がウジャウジャうごめいているかのようなムズムズとした激しい痒み。
その翌日、妙にヒリヒリするような痛みがあり不思議に思っていたのですが
その犯人は私だったわけですね。サイテー。自己嫌悪。
痒みが完全におさまるまで、眠る時は傷跡をガーゼなどで覆うことにしました(++)

一年後…ようやく術後の傷が引きつったり、チクチク痛んだりすることは、ほぼなくなった。
左胸にペースメーカーが入っているという違和感も感じなくなった。
慣れたのか、それとも体に馴染んでしまったのかどっちだろう?
まぁいいか。気にならないに越したことはない(^^)
一年前、入院した時のことがよみがえる。
結局、房室ブロックの直接的な原因はわからなかったので
またあんなふうになるんじゃないかとトラウマのような不安が私を襲う。
でも大丈夫。定期的に診察を受けてるし、高血圧の薬も飲んでいる。
去年の私と今年の私は全然違うのだ。自分にそう言い聞かせる日々が続く。
やっぱり、私には精神的フォローが必要だなぁ。つくづくそう思うのであった(><;)

一年半後…傷跡にブラのヒモが擦れると痛い。いつまで痛いねん、しつこいなぁ(--)
昨年、父が心臓の手術を受けた。大手術だった。傷跡も30cmぐらいで私の5cmとは
比べ物にならない。なのに父の傷跡は白くなり、ほとんど跡も残らず、痛くも痒くもない。
私の傷は赤くミミズバレのようになっている。何故?
答えは、術後のサポート。
術後当日の夜、早速絆創膏を外してオープンな状態にしていた私に対して
父は退院後数ヶ月もの間、絆創膏をしっかり貼っていた。
医者から言われたそうだ。
絆創膏はうっとうしくても外さないようにね。
ここでしっかり傷口をふさいでおかないと、傷口が広がってくるとあとでミミズバレになって
傷口が大きく残るし、痛みがいつまでも残っちゃうからね。
緊急入院、緊急手術だった私には病院も医者も選ぶことができなかった。悔しい。

二年後…もうすっかりペースメーカーの存在を忘れた。と言っても過言ではないくらい
ほぼ気にならなくなった。血圧や脈拍を測るのを忘れたりすることもしばしば(^^;)
電気屋の入り口にある盗難防止装置の間を通る時に「おお、そやそや」と思い出すぐらい。
数年後の電池取替え手術まで、しばし気楽に生きていこうと思います(^^)v


心臓に負担をかけること…喫煙・睡眠不足・高血圧・肥満・ストレス・運動不足・過激な運動
(週に三日ほどの少し汗ばむ程度の有酸素運動がちょうど良い)