Dr.ミキの FAVORITE THINGS

『石山の言うことなんて聞かないもんね』


         「遠い声 遠い部屋」 トルーマン・カポーティー 新潮文庫

 カポーティーの名を知らなくても、映画になった「ティファニーで朝食を」の原作者と云えば、ふうーんと思う人も多いはずだ。映画の「ティファニー」は、ハッピーエンドのおしゃれなラヴ・コメディになっていたが、原作の「ティファニー」はもっと苦い。オードリー・ヘップヴァーンの演じていたホーリー・ゴライトリーは、映画と違い行方不明になってしまうし、語り手である「私」も、行き場の無い哀しみを背負ったまま、物語を終わる。そのカポーティーの処女作がこの「遠い声 遠い部屋」である。主人公の少年は突然の母の死で、顔も知らぬ「父」の待つ遠い南部の田舎町へ一人旅立つ。「ヌーン・シティ」と云う眠ったような田舎町から、更に馬車に揺られ、病んで寝たきりの父の待つ「ドクロ館」へ到着すると、そこには何やらえたいの知れぬいとこのランドルフ、黒人女中の若い女性ズー、アイダヴェルとフローラヴェルの双子姉妹、ズーの父親(だったと思う)のジーザス爺さんなどが待っており、二階で眠る父の部屋からは、赤いボールが音を立てて転がり落ちてくる。
 少年時代と云う緩慢な牢獄をメタフォーにしたような設定と、人々の繰り広げる絵巻が、読むものを白昼夢の世界へと誘う。ズーは首府のワシントンが雪と信じて、アコーディオンを毛虫のように腰からブラブラさせて家出をするが、金をとられひどい目にあって連れ戻されてくる。主人公の少年もカーニバルのこびとの美少女に「連れて逃げて」と乞われるが、雷雨の中、人の存在の孤独さを思い知って「ドクロ館」へと連れ戻される。これは友人に貸したまま返ってこない本の一冊なのだが、心の中にそのまばゆさが今もそっくり残っている程だ。日本語の訳も非常に素晴らしい。この作品を23〜4才で書き上げた天才カポーティーも今は故人となったが、いつか写真誌に載っていたカポーティーの写真、壁に貼ろうとちぎって取っておいたのを無くしてしまい今も後悔している。この本から3曲唄が出来たくらい思い出深い小説である。もう一度買わなくっちゃといつも思っている。   




    「The Missing Years」 ジョン・プライン Oh Boy Records SC−9102

 ジョン・プラインは僕にとって、ディランとトム・ウエイツと並び、アメリカのシンガーの中でよく聞いたシンガーだった。心斎橋の阪根楽器へ行っては、せっせとジョンの洋盤LPを探してコレクションしていた。セカンドアルバムの「原石のダイアモンド」の、赤い光を浴びてアップになった、まだ若き日のジョンの哀しみと孤独の眼差しが、二十代になったばかりの僕の心につき刺さっていた。彼の名曲「思い出の品々」を訳し、ライブで藤本(橋本裕)とコーラスをして唄い、田中研二さんに誉めてもらった記憶があるが(そうそう田中研二さんもジョン・プラインのファンだった。)今はとても懐かしい。
 さてこの「The Missing Years](日本題名『失われた時間』)は92年度のグラミー賞コンテンポラリー・フォーク部門賞をとったアルバムだ。アメリカの平凡な市民の苦しみや、喜びを唄って味わい深い人なのだ。アメリカのテレビ番組「New Countory]に彼が出演したときのビデオを注文して買ったのだけど、なんちゅーか、小柄でキュートなおっちゃんでありました。彼のヘアースタイルを真似て、自分で髪をカットしてみたり、自分のD・18をジョンのギターのようにネックのヒール近くにピンをつけて、ストラップの取り付け位置を変えてみたり、若くてミーハーだった僕はこっそり色々やっておりました。このアルバムでは3曲目の「メンフィスっ子の罪」や、ブルージイな「グレイト・レイン」、すごくジェントルな「ウエイ・バック・ゼン」などが特に気に入っている。昔いとうたかおはLPでこの人の曲をそっくりパクっていたし、田中研二の「チャーリー・フロイドのように」の「君が代ヴギ」は、ジョンのアルバム「スィート・リヴェンジ」のエンディングのロック風「ナイン・ポンド・ハンマー」を意識したものなのだ。そしてジョン自身、自らのスタイルを確立した大物ディランズチルドレンの一人なのだ。ぜひチェックして欲しい。
 


    「うたかた/サンクチュアリ」 吉本ばなな 福武書店

             吉本ばななは僕にとって、羨ましい人である。何故ってお父さんが吉本隆明なんだよ!さねよしい子も友達だし。ま、いいか。この人の小説は可愛いと思う。キティちゃんの可愛さなんぞでは無く、本物の猫の可愛さみたいにリアルで不思議なのだ。「うたかた」の主人公は鳥海人魚と云う名の女の子だ。(とりうみにんぎょ、だぞ。スゴ。)母親と二人暮らしなのだが、父親とは死別した訳では無く、ただ母親と初めから結婚していない上に、ずっと別居なのだ。つまりずーっと恋人同士の父と母の間の娘で、人魚の母さんはいつもボーっと父さんに恋をしている(う、素敵やな。)と云う関係なのだ。それでその父親と云うのがやたら声がデカク、じゃりん子チエの花井センセを若くしたような、つまり父=吉本隆明のイメージなのだ。その父親と同居している少年(これがまた、ややこしい事に、父親の知合いの女性の子供で、人魚とは血のつながりは無い。)その名も嵐(あらし)君に恋をする。「人を好きになることはほんとうに悲しい。
 「恋、たとえるならそれは海の底だ。」本の帯にも、文中にもそうあるのだが、愛よりも「恋」と云う物のあの感じを、女性の心でしっかり捕らえた美しい物語で、そこに父親=吉本隆明のゴーカイかつ知的なイメージがあって、とても香り高いお話になっている。スカッとしたラストも良い。
 もう一つの「サンクチュアリ」は仲々ヘヴィーな話しだ。美しい友子と云う女性が何故、自殺してしまったか、主人公の智明君が段々理解していく物語なのだが、この智明君がまたかっこよくてイイ奴なのだ。男から見るとかっこよすぎて困る。かもしれない。パタンと本を閉じ、ふえーとため息をついてベッドにもぐり込み「ボクとは全然ちゃうわー」と枕を濡らすのみである。(なお安価な文庫本のほうが入手しやすいです。)



    詩集「宿恋行」 鮎川信夫 思潮社

             今でも何か或る度に、鮎川信夫ならどう云うかな、とよく考える。代表的な戦後詩人で86年に亡くなった人であり、有名な「荒地グループ」の中心的詩人だった。田村隆一も中桐雅夫も死んでしまった。北村太郎は元気なはずだが、T・S・エリオットの精神を受け継いだ「荒地」は、もう遠くなってしまった多くのシンガーと別にして、この鮎川信夫は僕の最も大きなアイドルだった。この人の言葉の深遠さはどこからやってくるのか?
  十代から二十代にかけてこの事は僕の大きな興味だった。そして一編の詩が、一冊の小説や文学と匹敵しうると云う事を教えてくれた詩人だった。石原吉郎や吉本隆明も好きだが、十代の頃に受けたショックと云う点では、鮎川信夫が一番だった。
  詩人は身近な愛や悲しみだけでなく、常に世界の状況と関わっているものだ。だから、世界の政治的状況に無関心で在ってはならない、といつも語っていた詩人なのだが、非常に個人的な謎に満ちた詩作品も多く、ミュージシャンにもぜひ読んで欲しい。ソ連の崩壊を予言したような「ソルジェニーツィン」。詩人の運命を描いた「必敗者」。ギョッとさせられる「Who I Am」。思わず、自分なりににアレンジして曲をつけずにいられなかった「跳躍へのレッスン」。どんな大きなノイズや叫びをも包み込む沈黙を感じさせる詩集だ。そしてそれは、彼の死後発刊された詩集「難路行」も同様だと思う。シンガーの詞も、詩には違いないが、桁外れに重みの異なる詩世界も存在する...と、僕はいつも痛感している。唄はどこまでそんな表現に肉薄できるだろうか?
 余談であるが鮎川信夫は生前、忌野清志郎の詩集「エリーゼのために」を高く評価していたし、ジョン・レノンの死を悼んだ「ジョン・レノンの死に」と云う詩を残したりている。見える人には、全て見えてるもんだなと、若かった僕は舌を巻いたものである。



   「出家とその弟子」 倉田百三  新潮文庫

 抹香臭いタイトルであります。ナウなヤングには関係なさそうと思える。ところがどうして、もし君が苦しい恋に悩み、生きることに虚しさ覚えているならば、砂に水が染みるように読めてしまう本なんである。出家とは浄土真宗の始祖、親鸞上人の事なんですが著者の倉田百三(くらたひゃくぞう)は大正時代の作家で、どっちかと云うとキリスト教よりの人だったらしい。丁度、法華教信者だった宮沢賢治の書いたものがキリスト教的なのと逆で、女の子が唄を書くときよく、「私」じゃ無くて、「僕」と書くのに近いのかも知れません。もっとも僕は割合キリストと親鸞の気分的ファンなので(ぜーんぜーん無宗教だけど。強いて云うなら音楽信者。)この本に親鸞が出てくると知った瞬間読んでましたけど。強くて優しくて賢くて深くて、それでいて悲しみをいつも持っていた人=親鸞、きゃあーといつも思ってしまうのでした。物語はかって遠い雪国で縁の在った少年が、親鸞に弟子入りし、成長して唯円というお坊さんになるのですが、なんと若い娼婦=かえでに恋をしてしまい、悩苦しむ。そして唯円と恋仲のかえでと仲の良い姉さん的な娼婦=浅香のいい人がなんと、親鸞に勘当されている実の息子=善鸞だったりして、その善鸞はまた自分が昔、不倫をして父である親鸞や不倫相手の夫まで深く傷つけた事と、仏法への不信でもう悶絶状態でみなさんめちゃくちゃ人間的なのでした。
 やがて唯円とかえではめでたく結婚し、かえでも勝信という尼僧になるのですが、親鸞の臨終に駆けつける善鸞ははたして勘当をといてもらい、仏法への帰依が出来るのでありましょうか〜というクライマックスが仲々息詰まるんだよこれが。それと自身も悩み苦しみつつ登場人物を諭し、いたわる親鸞上人が良いのです。かえでとのことで絶望している若き善鸞に、親鸞は云うのです。「運命がお前を育てているのだよ。」 この本は戯曲として書かれたものの、殆ど上演はされず、よむ戯曲として大正時代から版を重ねとります。たまにはこういうのも読むように。ほいでもってまたブルースするんじゃ。わしも、あんたも。



   「チャーリーフロイドのように」 田中研二

 もう随分と前、’82〜3年だったか、梅田の映画館の前でばったりと田中研二さんに会った。田中さんは「バイクでニュージランドを一周してきてん。」と立ち話をしながらニュージーランド仕込みの手巻タバコをその場で器用に巻き、喫っていた。「東京に引っ越すからまた葉書をだすわー」と云い僕の住所を手帳に書いて人混みに消えた田中さんから、結局葉書は来なかった。コミックソングみたいに思われている「インスタントコーヒーラグ」の作者の田中さんは僕にとって一番身近なヒーローだったし、それは今でもそうなのだ。子猫をもらいに鴫野のアパートまでお邪魔したり、’80年に今はジャズギターを弾いている橋本裕と田中さんと、田中さんの友人の源ノ助さんと僕との4人で(その頃僕はまだ本名の篠原三樹で唄っていたし、橋本も養子に行くはるか前で藤本裕だったが。)森ノ宮の青少年会館を借りて「現代民謡の鬼才達」という大げさなタイトルのコンサートをやったり、ともかく僕より10才年上の大人のフォークシンガーだった田中さんの記憶は、僕の中では特別なものなのだ。その田中さんのファーストアルバムにして70年代初頭の自主製作盤「チャーリーフロイドのように」がCDで復刻された。大阪における最も禁句な3文字を連発する「わいせつを語るブルース」やナマコにたいする苦悶の唄「食卓」など愉快な唄も勿論楽しいけど、「市街電車」とか「すすき川の流れるところ」「ごきげんよう」と云った男の孤影の唄にやはりぐっと来てしまう。本当に当時のフォークシンガーの中で一番文学性を持った人だった。田中さんは今オーストラリアに住んでいて、自分の若き日の復刻CDに味わい深いライナーノートを寄せているけれど、それ以上に嬉しいのは、未発表作品の音源が数曲収録されていることだ。特に「クリスマスイヴ」が素晴らしい。唄を作り唄う若者達にぜひ聞いてもらいたい。涙の出るほどおかしな唄や、良い香りのする愛の唄を。そして夜のしじまに点る孤独の唄を。



           

   「POOR BOY’S ROCK’N ROLL」 石山雅人

石山雅人の作品集「POOR BOYS ROCK’N ROLL」を聞くときはモノラルのラジカセで聴くと感じが出る。90年代の後半、僕らの機材はまだまだアナログ中心で、一所懸命仕上げるもののピュアオーディオ向きの音にはならなかったものだった。「なんにしろ、作った唄を形にして残しておかなあかん。」どっちかというと無口な石山君が熱っぽく云う。僕も確かにそう思う。あっというまに時に追い抜かれ、覚えていたはずの唄を10年もたたないうちに失う事もあるのだ。彼のファンなら例えば「スタンド・バイ・ミー」がはいってない〜と思うかも知れないけど、このカセットを聞いていると’99年の石山雅人が確かに保存されているのだ。ライヴでの彼は音圧とビートの盛り上りと共に、胸のすくシャウトをキめるタイプなのだが、このテープには少しシャイな、一人部屋でブルースに思いを馳せる時の彼がいるのだ。唄を作る人なら彼の作品の微妙なバランスに注目してみて欲しい。「黒いサングラスに寝癖のままで/僕ら笑い出した/空に刺さるほど/暗い方へ/暗い方へ」(「なまけ者の太陽」)「3か月待ち続けた誰かのコンサート/やっと今夜願いがかなうと女が云った/激しいリズムにのせられて踊り狂ってる/汗まみれの瞳にひとときだけのやすらぎを」(「夜の風景」)」選挙演説の親戚みたいな流行歌の文句にうんざりしてるなら、この世界がどんな所か良く知っている彼の唄に、手荒く慰められると思う。逆に恐がりで臆病なお子ちゃまには、彼の作品は強すぎるかも知れない。そもそも10代で彼はいっぱしの唄の作り手だった。それはまた彼がタフな聞き手でもあったからだ。クラスに一人はいた、徒党を組まぬ不良少年が今もギヴソンのJ−200をかき鳴らし唄っているのだ。そして僕は気づく。昔、僕が書いた「闇の中の太陽」という唄の中の、恋人を片手に抱き、さまよう男は彼だったのだと。2001年からの石山雅人の活動も見守って行きたいと思う。


  「日曜日ひとりででかけた」  ふちがみとふなと  (吉田ハウスレーベル/YHL001)

 詩人の上田假奈代さんが、ぜひ聞いてみてと勧めてくださったCD。
ボーカルの淵上純子と、ベーシストの船戸博史のふたりによるバンドなのですが、ウッドベースと唄のみという構成には驚愕。やられました。
二人のミュージシャンの濃密な関係と、勿論センスと技術がないことには、こういう音楽は成立しないと思うが、ちゃんと成立しているのである。
 淵上純子の声は強靭でいて、繊細。哀しみと狂気をはらみ、雨の降りそうな休みの日にぴったりなタイトルチューン「日曜日ひとりででかけた」、ノスタルジックな古曲「上海」、 それに曲馬団でおなじみな「天然の美」、ルーリードの「Walk  on  the  wild  side」まで(英語の朗読!また発音がいい。)やっています。
13曲中7曲が淵上純子の手による唄で、日々の喜びと哀しみを切々と唄い上げる「Nalala」がとくに素晴らしい。船戸博史は関西で大活躍のベーシストだが(さねよしいさ子の大阪ライブで拝見。)当然ウッドベースの持ち味を活かし切り、生き物のようにベースを唄わせています。ギターなんぞなくたって、確信と唄だましいとがあれば、そこに音楽が成立するという証である。仲々出来るこっちゃありませんが。
ちなみに2月23日、京都烏丸大池の文化博物館にて、ふちがみとふなとの演奏と上田假奈代の詩の朗読による共演が実現。詳しくは假奈代さんのHPを見よう。(当HPでリンクしてます。)                   


   「博学と無学」   ふちがみとふなとカルテット (吉田ハウスレーベル/YHL003)

 前述のふちがみとふなとに加え、大熊亘のサックス、千野秀一のピアノ、を加えたカルテットによるアルバム。
当然コード感は増強され、色彩感あるサウンドになってはいるものの、淵上純子の唄はやはり強く、感動的です。まさに音楽と詩です。僕の好きなミュージシャンで、エグベルト・ギスモンティという、ギターもピアノも凄い人がいるのですが、その人がサックスのヤン・ガルバレクを招いて作った「マジコ (魔法)」というアルバムの静謐さを連想しました。
けれども、人間の肉声が持つしなやかさとクールなソウルが加わって、よりバラエティーに富んだアルバムだと思います。
 1曲目の「フミオさんへ」は短い詞なのですが、素晴らしい広がりを表現していて、心塞ぐことの多いこの世界の、雨の日の暗く美しい光を唄い、「フミオさんへ」というタイトル自体が内容とあいまって、もう詩だと思う。
 今回はカバー曲は無く、アルバムタイトルの「博学と無学」のみ詩が山之口獏のもの。
船戸博史が2曲、作曲して少しメロディーのニュアンスを変えているほかは、全9曲すべて淵上純子の作品。音楽で戦っている人には分かるだろうけど、批評家への絶望をシャウトする「汚い言葉で」や、身につまされる「宮大工の娘」「キリギリス楽士」、同性憎悪か非常にコワレた「ふくよかな女」などが続き、ラストは「日曜日ひとりででかけた」にも収録されていた「ナ・ララ」が、今度はピアノの伴奏のみで唄い上げられしみじみと幕を閉じます。
  CDの帯にも書いてあるけど「優しくて怖い」唄なのです。十日えびすの夜、僕はこれを聞きながら歩いていて本当に心にしみました。