『ドクトル・ミキの由来』

   元々は本名の篠原三樹で活動していたが、ドクトル・ミキバンドを結成し活動を始める。
このバンドはいつしか自然消滅してしまった。しかし、知り合いの子供にドクトル・ミキのおっ
ちゃんと呼ばれるようになり、一人で活動を再開したときに、ドクトル・ミキという芸名を使う
ようになる。本人はライブのMCなどで芸名の由来を[Dr.John」から取ったなどと喋ってい
るが本当のところはわからない。ちなみに、ドクトル・ミキの他にゴージャス篠原という芸名も
考えていたらしい。

『教室の風景』

   ドクトル・ミキは色々なところでギターや作詞、作曲を教えている。生徒さんの年齢層は
幅広く、上は70代から下は小学生までいる。70代の生徒さんからは、「わしは演歌を作りた
いんじゃが・・・」と言われ、困ったドクトル先生が絞り出したのが『寝屋川恨み節』。
   小学生の生徒さんはギターを弾くには手が小さすぎるし、だいたい集中力が続かない。
生徒の集中力がとぎれると教室はしばしお絵かき教室となる。そうこうしながら、子供の集中力
が戻るのをじっと待つのである。ドクトル先生はお絵かきも得意なのだ。時には、一緒にお弁
当も食べるのだ。


『IZAMに教えたのだ』

   2000年○月×日(水)。大阪朝日放送での深夜枠の「V・I・Pぃ〜」でドクトル・ミキはTV
初出演。笑福亭笑瓶、オセロ、そしてIZAMを相手に作詞を教えたのであった。関西在住の方は
ひょっとしたら見た人もいるのでは・・・。プロの芸人さんを相手に、プロのミュージシャンを相手に
一つのテーマを決め、1曲を完成させた。そしてさらにその詞に即興でメロディーをつけるという
芸まで披露した。「松崎しげるみたい!」とIZAMを驚かせる。
   ドクトル・ミキ曰く「IZAMは美しかった。」らしい。



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