とある日の演奏日記


2002年4月14日   「臍の王ライブ」 (臍の王神社 春祭り)

毎年四月の第二日曜に開かれるこのフリーライブ。今年は第二日曜が14日とちょっと遅かったことと、3月が暖かかったために桜は完全に散っていた。(いつもの年は見事なほどのお花見ライブなのだが・・・)
      
この日はとても暖かく夏を思わせる陽気の中、横井さんは蛇味線で八重山の民謡を披露。ここ数年演っていなかったというが、ポカポカお日さんの下でとても良い雰囲気。いきなり会場全体が和む、和む。
         
                                          PHOTO by 墨 清志

その後、DYLAN'S CHILDRENが入り乱れて演奏。さらに、詩人の上田假奈代 さんが臍の王神社に奉納朗読。
さらに神主でもあり、このライブの主催者でもある喜多さんのバンドの、大人で、何とも洒落っ気のあるビートルズナンバー。
毎年振る舞われるタイカレーと、今年はたこ焼き、んで、ビール。そしてもちろんGOOD MUSIC。
ピクニック気分の楽しいライブでした。

                       
 主催者の喜多さんは大阪の音楽人の間ではなかなかの有名人。中崎町のスタジオ「ぐび」のオーナーでもあり臍の王神社の神主さんでもあるのです。いい加減ビームだしまくりのなんとも面白い人。


2002年3月21日   「結婚式 2」
                 上田假奈代 (愛の詩)と
                 ドクトルミキ(ギターと歌)のラブライブ

ライブの善し悪しを判断するバロメーターの一つにお客さんの集中度、があると思う。
この日のライブはお客さんの集中度が非常に高かった。
僕(石山)は第2部のラストにハープで演奏者としてステージに上がったのだが、ステージの上から見ると客席の全員がステージに集中していた。そのうちの何割かの人たちは食い入るようにステージを見つめていた。
ライブから一ヶ月近くたった今でも、あの日のお客さんの目が忘れられない。

     
假奈代 さんの声の持つ不思議な魅力、そこにたっているだけで人を引きつける存在感。ミキさんの端正で渇いたギターと、低く響く歌声は会場の空気をセピアに染める。
そして、会場になった「天人(あまんと)」は、100年前の町屋を廃材一つ出さずに再生したという何とも独特のアートスペースだ。そのすべてがうまく溶けあった素晴らしいライブだった。
個人的には年に一度見られるかどうかと言うほど素晴らしかった。
このライブを見なかった人はかなり損をしたね。(石山雅人)

    
ALL PHOTO by 墨 清志

築100年の長屋を改造したライブスペース。ウェディングドレスを着たかなよさんは美しく、黒スーツ黒メガネのミキさんはブルースブラザーズだった。・・・二人にライトがあたる。赤い毛糸であやとりをするウェディングドレスのかなよさんの横で「この先は話さないよ」を唄うミキさん。まるでお芝居のワンシーンの様だった。少し切なかった。白いオーガンジーのベールが、かなよさんの声に微かにふるえる。詩と詞とメロディー・リズム・声・声・声・声・声・・・。渦巻く「天人」は春の夜の異空間のようだった。外では桜が咲いていた。ライブ行く途中電車の中で読んだ夏目漱石の「夢十夜」。その夜の「天人」はまるで「十一話目」のようでもあった。こんな「とき」にたくさんで会いたい。切なくされたい。吸い込まれたい。心ふるわされたい。百八つでは足りない。煩悩。
「結婚式2」というタイトルの今回のライブ。ウェディングドレスのかなよさんとスーツのミキさん。結婚式というよりも、闘う詩人、闘う唄うたいの競演であった。少し切なくもあり、すがすがしくもあった。・・・とても、とても素敵なライブ。よかった。・・・(とよ)

2002年2月16日   石山雅人&ドクトル・ミキ
               with ウィルキンソン中野

クルーズ。
この日は客席に白人さんが数人。客もあまり聴いてくれる体制ではなかった。
まあ、あまり気にはしない。それにしても外人さんは喋る声がでかい。
控えめな声量で喋るということを知らんのだらうか?それとも俺達に魅力がな
いと云うことか?
それでも演奏が終わると一人の白人さんが声をかけてくれる。
「おばちゃんのおにぎり」が面白かったと。
「唄うまいですねー」とも。
Dr.ミキの名曲、「Friday Night,Rainy Night」じゃないが、どこかで誰かが
聴いていてくれるものだ。
どんな状況の中でも精一杯自分の表現をしよう。


2002年2月10日   ドクトル・ミキ&石山雅人
              with ウィルキンソン中野 時々スガハラケイスケ



久々登場、スガハラケイスケ!
神戸垂水、コズミック。この日はケイスケが久々にLIVE。
Dr.ミキ、石山雅人、ウィルキンソン中野の3人のユニットにピアニカ、パーカッションで参加したほか、約40分のソロLIVE。LIVEをやっても「印象に残らない」と言われることの多いアマチュア・ミュージシャンが多い中、この男は周りを唖然とさせてしまう。この日もそうだった。しかも新曲、未発表曲もたっぷりとやってくれた。
   「そんな所だね東君」
   「ちょっとだけ」
   「2000年夏、とうとう気の狂えなかった僕ら」
   「青いシャツ着て」
   「イカレポンチ」
   「ピノキオ」
   「どっか行こう」
   「オムレツ」
   「壊れゆくもの」
   「チーズ・ルーム」
   「オットセイは中央線に乗って」
   「岸里玉出」
ほとんどの曲が2分台で終わる彼は、約30〜40分のステージで12曲も歌ってしまう。とんちんかんな彼の人柄はステージの上では可愛らしくもあるのだが、彼の奇妙な詩には確かに「心の薄暗いところ」が常に影を落としている。



2001年12月22日   石山雅人&ドクトル・ミキ
               with ウィルキンソン中野



今回は、劇団「楽市楽座」の座長さんである長山現さんが僕らのライブに足を運んでくれました。さらに、長山さん自身のホームページにライブの感想を綴ってくれたので、その文章を紹介します。

 (前略)そんな中、ゲストブックにもあるとおり、石山雅人氏とドクトル・ミキ氏のライブに行ってきました。これが、とってもよかった。ライブというのにはなかなか行けない私なのだが、行ってよかったのでした。石山氏の「おばちゃんの握り飯たべてたら泣けてきた」なんか、ほんと涙がにじんでしまったし、ドクトルの「いっぱいエッチなことしようよ」というエッチな唄には、そそられてしまいました。ああいう、歌詞が訴えてくるライブもいいもんだなあとあらためて思った。ジョンレノンの「ハッピー・ニューイヤー」も、日本語の歌詞がぐっと来たし、ラストの「やる気なし」という唄も、そうそう、そういうことほんとにあるのよ、ほんとよ、と感じて聞かせていただきました。これから何か嫌なことがあった現場なんかでは、思わず「やる気なーし」などと唄ってしまうかもしれない。ホントに唄ってクビにならないようにしなくては。
普段、僕らが聞いているレコード音楽っていうのは、いわゆる「ラジオ・ミュージック」であって、ほんとのあたりまえの音楽というのは、こういうふうに誰かが目の前で唄ったり演奏したしり自分でやったりするもんなのかもしれないと、つくづく思う。ジョン・ケージが4分何秒っていう曲で、何も演奏せずにただ耳をすまそうっていうのをやったのだが、ホント音楽は身近なのだ(ちょっと違うか?)。

                                    長山 現

             長山さんのホームページ「長山現の散歩道」へはこちら




2001年5月5日     ディランズ・チルドレン/ソナム・ツェリンズ

                          中之島祭り 野外ライブ記

 持続は力とはよく云ったもので、長いこと唄など作って唄ってると色んな事があり、また色んな人と知り合うものだ。今年の一月の終り頃から、ビクター音楽カレッジからの派遣で、「作詞作曲入門」と云うカルチャースクールの講師を三か月ほどやったんだけど、最後の方で生徒さんの作品発表会みたいなのがあり、その会場で劇団キオのプロデューサーのマキクニヒコさんと知り合った。住吉区の人権文化センターに教室があり、当日は一階のロビーを使ったのだけど、マキさんは丁度その日、上の階の大ホールのコンサートのP.A.で来られてて、やっぱり中野君とP.A.の準備をしていた僕に声をかけてくれはったのである。で、このホームページの事を話したら、じゃ友部正人好き?と云う話しになって、そのひと月あと天王寺である友部正人のライブ、あれ僕達がやるんだよーとマキさんがおっしゃり、うひゃーと云う事になったりした。ただその四月八日は、ディランズチルドレンもJR野崎の「へその王神社春の大祭ライブ」に、みんなして唄いに行く事になってたので友部正人のライブ行けなかったのですが。 で後日マキさんの方から、五月の中ノ島祭で唄わない?とのお誘いがあったのでしたよ。
 
             ドクトルミキとスガハラケイスケ
 
 中ノ島祭は今年で30回目で、いろんな出店やステージがある楽しいイベントだけど、僕達は初めてだ。でもマキさんの作るステージは、僕達も以前出た「帝塚山音楽祭」の宣伝用と云う事で、ほんと世間は狭いのでした。連休中、松本へ石山君夫妻が旅行に云ってて、練習は無し、ぶっつけ本番。ただ結婚やら、子供の誕生やらでしばらくライブから遠ざかっていたスガハラ君も、久しぶりに唄う事になり、のんびり楽しくやれたらなあと思うドクトルミキでありました。 

 ソナムツェリンズ   ハルモニウム 
 
さて五月五日子供の日の本番当日。中ノ島公園の、平日はよくOLやカップルが昼にべんとー食べてる、背のたかーい銅像の下の花壇の真ん中がステージで、正午過ぎ、最初は京都から来たナイスな若者3人組「ソナムツェリンズ」から演奏。アコースティツクギター1本、インドの古道具屋で買ったと云う小さな箱型オルガン、すごい低音の出る不思議なタイコと云う編成で、それに肩の力の抜けた少し切ない唄声。昔、金子マリが唄っていた気のする「スポットライト」なんかのカバーもあり、とても良ひ感じのバンドなのでした。あとで聞いたらみんな23才、スガハラ君と同じで、でも独身。女の子達チャンスやど。京都の「ソナムツェリンズ」な。
 
    ウィルキンソン、ミキ、石山      スガハラケイスケ

 で彼等が一時間やって僕達と交代。ドクトルミキ=唄にアコースティツクギター、石山雅人=唄にハーモニカとアコースティツクギター、中野信行=エレクトリックベースと云う最近お馴染みな編成で、ドクトルミキの「ドクトルミキのテーマ」からスタート。天気は若干薄曇りだったが、お客さんは皆リラックスして聞いてくれてはるのを感じてよしよし。2曲めから石山雅人の唄で「君のノートは唄であふれてる」「やせっぽちのジャック」彼の亡くなった父親への思いが感動的な「おばちゃんのおにぎり」(大学生活で大阪にいた石山君が、故郷の父親の危篤の知らせに急いで新潟へ帰る時、友達のお母さんが彼におにぎりを作り、持たせてくれた事からこのタイトルに。) それに去年惜しくも夭折した どんとの名曲「トンネル抜けて」。4曲とも横でドクトルミキが心をこめて、ギターで合の手フィンガーピッキングいたしました。中野君のベースも唄っておりました。満場の拍手のなか、ここで一旦3人は引いてスガハラケイスケ登場。エキセントリック大王久々のソロ1曲目はあの「おっとせいは中央線に乗って」。彼が唄いだすと大半のお客さんはどう反応していいのか分からなくなり、それを見るのがとってもステキ。世界は不可解なもんやねんで、お客さん。2曲目「角川ブルース」のあと、石山雅人がハーモニカ、中野信行がベースで入り3人軽やかに「岸の里玉出」。唄ったあと、お客さんに向かって「今の唄に出て来た女の子と結婚して、この間子供まで出来ちゃいましたあー!@$#□★◎▽」と高らかに勝利宣言。.....あんたはエライ。

 ドクトルミキとソナムツェリンズ   ソナムツェリンズと石山雅人、スガハラケイスケ

 さてスガハラケイスケドクトルミキが入れ替わって後半。意味不明な新曲「明日(あす)はきのう」からスタート。屈折ロックの決定版..かどうかは置いといて、2分50秒で終わるのがナーイス。次がまた新曲「ソラの思ひ出」。幼年時代の追憶を元気に唄って見ました。風で歌詞がめくれて、いち部その場で詞を作ってしまひました。そして去年の五月に作った「そいつはヘビー」をしんみり唄い上げる。石山雅人のハープもむせび泣いておった。で、しんみりついでに昼日中からま、いっか、と云う事で最後は「エッチな唄」で叙情した。中野信行のベースハーモニックスがラスト部分、中ノ島公園に響き渡り、とどこうりなくコンサートは終わると思いきや、アンコールがあってみんな目くばせ、最後はやっぱり石山雅人入魂の作「やる気なし」を3人してロックするのであった。「わしはうっとおしい仕事(ライブとちゃうで)はやる気ないんぢゃあー!」と気合いをいれてシャウトする石山雅人に21世紀の衆生の叫びを見、この日のメインは一応終了。そのあとソナムツェリンズとのセッション大会に突入するのであったが、中野君はこの後神戸で他のライブがあり撤収。ドクトルミキ石山雅人スガハラケイスケ(すみっこで控えめ)、ソナムツェリンズの計6人が即興で「わしはブルースが大好き」「俺のせいじゃない」「皿ばっかり洗うのブルース」を唄い、グランドフィナーレはボブ ディランの「アイ シャル ビー リリースト」(いとうたかお訳詞版)を、ドクトルミキが高らかに熱唱して幕をとじた。

 スタッフの女の子とギター弾き    なごむソナム
 
 ところでマキさんはこの日別の仕事が入ってしまったそうで、お会いできずじまいでした。でも楽しい時間を下さってありがとうございました。それから来て下さったお客の皆さん、感謝であります。そしてソナムツェリンズのみんな、またどっかのライブで会おうなー!。P.A.の皆さんにもグラッチェー!。最後にタダでフランクフルトいっぱいくれたお店のみなさん、おいしかったよーん。     (ドクトルミキ 記 ちょっと赤面)





2001年2月25日      ドクトル・ミキwithフレンズ / 佐藤 ユミ

                                IN コズミック・カウボーイ

 224 ドクトル・ミキ、石山雅人、ウィルキンソン・中野の3人は明日のLIVEのために中野君宅で今年初の練習。それにしても中野君は楽器をたくさん持っている。ギター、ベース、マンドリン、バンジョーなど弦楽器だけで15〜6本。他にキーボード、機材類など、これぞMUSICIANの部屋といった感じ。なんせ玄関を開けるとベース・アンプがドーンと居座っているのには驚いた。
 
25日、競演の佐藤ユミちゃんの人気もあって、30人ほどのお客さんが集まる。ユミちゃんは神戸、三宮などのストリートで唄っているところを「コズミック・カウボーイ」のママさんに声をかけられこのお店でLIVEをやることになった,弱冠二十歳ながらディランや、ウッディ・ガスリーの曲をレパートリーにしているなかなか魅力のある女の子だ。
 この日は、彼女をはさんで,withフレンズは2回のステージ。1曲目は、ブルース・ナンバー「ドクトル・ミキのテーマ」から、ドクトル、石山が2曲ずつソロで唄い、そして再び3人での演奏と、なんだかステージを入れ替わり立ち替わりしたせいか少し長めの1stとなってしまった。石山の「君のノートは歌であふれてる」に続き、しっとりと重たいワルツ、ドクトルの「It’s So Heavy」でしめくくる。お客さんの反応はまずまずといったところか。盛り上がると言うよりはじっくりと聴いてくれた感じだった。
             石山、ユミちゃん、ウィルキンソン、ミキ 
 さて、神戸、垂水の人気者、佐藤ユミの出番だ。彼女のギターはまだまだお世辞にもうまいと云える物ではないけれど、歌い出すとガラッと変わる声、そしてなんと言っても唄っているときの表情には華がある。彼女のオリジナル「振り子時計」、上田正樹&有山淳司の「大阪へやって来てから」、そして彼女の尊敬するディランの「労務者なれど」等を披露する。とくに、この「労務者なれど」を選曲するあたり、彼女のシンガーとしての視線に感心させられた。ユミちゃんの将来が楽しみだと思わせる1曲だった。

 この日最後となる、withフレンズの2回目は、ドクトル・ミキのナッシュビル・チューニングが美しい2曲、日本語の「イマジン」、石山雅人が唄う、我らがアイドル、どんとの「トンネルぬけて」と気持ちの良い演奏が出来た。ここからは定番のナンバーが続く。まず石山の、日本語の「STAND BY ME」、ドクトルの名曲「名もない少女」「エッチな唄」。なかなか受けが良かったように思う。ママさんがカウンターの中から声をかけてくれる。

 そして、この日の最大のクライマックス。佐藤ユミちゃんを交えて彼女のレパートリーである「Mr.ボージャングル」「Hey,Hey,Hey」をwithフレンズと一緒に演奏。ドクトル・ミキの端正なギター、石山雅人のブルース・ハープ、ウィルキンソン・中野のハートフル・ベースをバックに彼女はのびのびと唄いきった。時々目配せしながらの演奏に、彼女は「しあわせ〜」と叫んでいた。そして、ラスト、石山のR&R「やる気なし」。ユミちゃんもコーラスで「やる気がないのがー」と唄ってくれ客席はめちゃめちゃ盛り上がった。やってるこっちも気持ちいいぜい。思いがけずアンコールが。ユミちゃんのVo.で「I Shall Be Released」を4人でキメる。これぞ、ディランズ・チルドレンというライブだった。こんな気持ちよいライブがもっともっと出来たらいいのにねー。ユミちゃん、また一緒にやろーぜい!!   

                                                                           


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