Daisuke Tano′s Website
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ミュンヘンは、ナチ党発祥の地で、当時「運動の首都」と呼ばれていました。ミュンヘンはまた「芸術の都」として、大ドイツ芸術展や退廃芸術展が開催された地でもあります。
ここには、党本部のあったケーニヒ広場や芸術の家など、ナチ時代を代表する建造物が数多く残っています。
ミュンヘン
ミュンヘン市街
アルテ・ピナコテーク
ケーニヒ広場
旧植物園
ナチズムの犠牲者広場
ミュンヘン大学
芸術の家
王宮庭園
オデオン広場
マリエン広場
総統館
褐色の家
英霊寺院
「総統館(フューラーバウ)」は、ミュンヘンにおけるヒトラーの官邸で、ミュンヘン会談が開催された場所です。P・L・トローストの設計で建てられたナチスの代表的建築で、古典主義的な様式が見る者を圧倒します。現在は音楽学校の校舎となっており、鷲の紋章が取りのぞかれ、広場との間には建物を隠すかのように木が植えられています。
通りをはさんで反対側にある同じ形の建物が「党本部(フェアヴァルトゥンクスバウ)」で、現在は考古学博物館となっています。
1923年のヒトラー一揆の殉死者をまつった「英霊寺院」は、かつては衛兵が守護し、毎年11月9日に殉死者を追悼する式典が催される神聖な場所でしたが、現在は台座をのぞいて消滅し、木々が鬱蒼と生い茂っています。
もともと党本部としてナチ政権成立前に建てられ、ナチ時代には突撃隊の本部が置かれた「褐色の家」は、トローストの設計ですが、他の建物と様式が異なります。現在は跡形も残っていません。
ケーニヒ広場
オデオン広場
ドイツ芸術の家
上にあげたもの以外にも、ミュンヘンには数多くの史跡が残っています。
王宮庭園には、「退廃芸術展」の開催されたギャラリーと、第一次大戦の戦没者慰霊碑があります。旧植物園には、J・ヴァッカーレの彫刻「ネプチューンの泉」が、アルテ・ピナコテーク前には、戦争中に受けた弾痕が残された彫刻「御者」があります。
ナチス関連の追悼記念碑も多く、ナチズムの犠牲者広場には、シンティ・ロマの犠牲者を追悼する記念碑が、ミュンヘン大学構内には、学生抵抗グループ「白バラ」のメンバーを追悼する記念碑があります。
その他
ナチ党本部のあった広場。バイエルン国王ルートヴィヒ1世によってギリシア様式の建物が建てられたこの広場は、ナチ時代にP・L・トローストの設計で大きく改造され、いくつもの党関連施設が建てられた。全体が左右対称になっており、中央の軸にそって総統館、党本部、褐色の家、英霊寺院などが配置された。また、広場には大理石のプレートが敷き詰められ、「プレートの海」などと呼ばれた。党関連施設以外のギリシア様式の建物は、ルートヴィヒ1世によって建てられたものであるが、広場の印象を高めるために利用された。英霊寺院と褐色の家をのぞいて、現在も建物が残っている。
英霊寺院
褐色の家
オデオン広場は、1923年のヒトラー一揆でナチ党員がバイエルン州警察と衝突し、多数の死者を出した場所です。ナチ時代には、広場に面する将軍廟の脇に、殉死者を追悼する記念碑が建てられ、衛兵が見張りをしていました。その前を通るときは、ヒトラー式挨拶をするきまりになっていました。また、毎年11月9日には、ここで追悼式典が催されました。この式典では、古参党員が市街をオデオン広場まで行進し、殉死者を点呼した後、さらにケーニヒ広場の英霊寺院に向かい、黙祷を捧げました。
オデオン広場での集会
敬礼する通行人
殉死者を追悼する記念碑
追悼式典を描いた
ナチ時代の絵画。
P・ヘルマン作。
ナチ芸術の見本市として「大ドイツ芸術展」が開催された会場。トローストの設計によるギリシア神殿を模した古典主義建築。現在は「芸術の家」という名の現代美術館になっている。
ドイツ芸術の家
列柱が特徴的。
大ドイツ芸術展開催の
際の「ドイツ芸術の日」
のパンフレット。