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ヴィルヘルム街は、ブランデンブルク門やポツダム広場から1ブロック東を南北にのびる通りで、ナチ時代には、帝国首相官邸、ゲシュタポ本部など、多くの国家機関が置かれ、権力の中枢を形成していました。

それらの建物はほとんどが戦争で破壊され、戦後も東ドイツによって長らく放置されてきましたが、ドイツ統一後、この地区では急速に再開発が進められています。

かつての航空省と宣伝省の建物は、ほぼ原型をとどめており、現在ではそれぞれ財務省と環境省が使用しています。















帝国首相官邸

ベルリン郊外には、1936年にオリンピックが開催されたスタジアムが残っています。

観客席に屋根が設けられるなど、若干の変更はあるものの、ナチ時代とほとんどかわらない姿で、今日まで使用されてきました。周囲には、ナチ時代の彫刻もそのまま残っています。

現在、このスタジアムはサッカー・クラブ、ヘルタ・ベルリンの本拠地となっています。2006年ドイツW杯では、決勝戦の会場として使用されました。
















    ベルリン・オリンピック

ドイツの首都ベルリンには、帝国首相官邸をはじめとする主要な国家機関が集中していました。

そのほとんどは戦争で破壊され、跡形も残っていませんが、航空省や宣伝省、オリンピック・スタジアムなど、一部の建造物は破壊をまぬがれ、形や名前をかえていまなお使用されています。

ベルリン

potzdamer
Platz


ヴィルヘルム街

上:旧宣伝省。現環境省。 
中:旧航空省。現財務省。
左下:ヴィルヘルム街。南向き。
右下:トポグラフィー・オブ・
   テラー。屋外展示場。
上:高層ビルが立ち並ぶ
  ポツダム広場。
下:ポツダム広場の近く  
  に建設されたホロコ
  ースト記念碑。


 


ヴィルヘルム街を北から南へ歩くと、東側の少し奥まった場所に、かつての宣伝省の建物があります。そこから首相官邸を超えてさらに南へ行くと、西側にかつての航空省の建物があらわれます。この2つの建物には、現在では連邦政府の省庁が置かれています。航空省の南側、かつてのゲシュタポ本部跡には、ナチスの犯罪を紹介する屋外展示場があります。

ブランデンブルク門から東にのびる目抜き通りが、ウンター・デン・リンデンです。ここにも、ナチ時代の痕跡が見られます。


オリンピック・スタジアム

ウンター・デン・リンデン

この建物の前の広場で

「焚書」が行われた。


ノイエ・ヴァッヘ

左:K・アルビカー作
  「円盤投げ選手」。
右:J・ヴァッカーレ作
    「御者」。
上:首相官邸があった
  ヴィルヘルム街と
  フォス街の角地。
下:ヒトラーが死んだ
  地下壕の跡地




上にあげたもの以外にも、ベルリンには数多くの史跡が残っており、なかでもテンペルホフ空港は、ナチ時代の典型的な建築です。

国防軍総司令部跡には、ヒトラー暗殺を企てて処刑されたシュタウフェンベルク大佐らを追悼する記念碑と、抵抗運動に関する展示室があります。

その他

テンペルホフ空港のターミナル。E・ザーゲビールの設計。戦後ベルリン封鎖時の「空の橋」の舞台となったが、現在は主空港の座をテーゲル空港に譲っている。
左上:メーデーの集会が開かれた
   ルストガルテンと旧博物館。
右上:ウンター・デン・リンデン。
左下:旧衛兵所ノイエ・ヴァッヘ。
   コルヴィッツの彫刻がある。
右下:「焚書」が行われたベーベル
   広場。
国防軍総司令部跡の「ドイツの抵抗の追悼施設」。シュタウフェンベルク大佐らが処刑された中庭には、彼らを追悼する記念碑がある。
「ヴァンゼー会議の館」。1942年はじめ、「ユダヤ人問題の最終的解決」を討議した会場となった。内部は資料館となっている。