薄紅の宴 4


「あ、え、えと…。」

その沈黙をどう解釈したのか、千尋が視線を泳がせた。

「す、すみませんっ。お水かけたり、眠りそうなふりしてたり…。あ、酔ってたのはほんとだけどっ。」

千尋が忍人から離れようと身を起こす。

「どこからだ。」

「え?」

「どこから、ちゃんと覚えている?」

「ええと…お水をかけちゃったところから…?」

その答えに忍人は思わず頭を押さえた。
彼女を抱きしめて、いろいろ囁いていたこと全てか。

「……参ったな。すまない、姫。忘れてくれ。」

相手が正気だったと知ると、どうしていいかわからなくなる。
だがそれを聞いた千尋は、顔を曇らせた。

「どうして? わたしは忍人さんが同じような気持ちでいてくれたこと、とっても嬉しかったのに…。」

うつむき加減になった千尋は、無意識に足を一歩後ろに引いた。

「同じ…?」

だが、忍人が聞きなおそうとしたとき、床に転がっていた水飲み用の器が、忍人から離れようをした千尋の足に当たった。

「きゃっっ。」

まだ酔いが残っていたのか、千尋の体が呆気なく傾く。

「危ないっ。」

背中から倒れこんでいく彼女を支えようと手を伸ばしたとき、忍人もその器に足を取られた。

「な…っ。」

忍人は、辛うじて千尋の身を抱きとめると、床に倒れこむのは阻止しようと体をねじった。
次の瞬間、ダンッと派手な音がした。

咄嗟に身をひねったおかげで、傍にあった寝台へ、忍人の背中側から倒れこんだようだ。

「…つっ…。姫、大丈夫か…?」

「ご、ごめんなさいっっ。わたしったら何度も迷惑ばっかり…っ。」

忍人を寝台へ押し倒した格好になった千尋は、慌てて身を起こした。

「す、すみません…っ。今夜はもう寝ます。これ以上一緒にいたら、また何するかわかんないしっ。」

「…ああ、そうだな。しかし…君に押さえつけられたままでは、俺は起き上がれないのだが…。」

「え…?」

その言葉に千尋が自分の状況をよく見ると、両手で忍人の肩を押さえてつけていた。
そして目の前には彼の顔がある。

「あ…っ。ごめんなさっ…。」

千尋は慌てて離れようとしたが、その腕を忍人がつかんだ。

「姫…。」

「忍人…さん?」

千尋が、忍人の意外な行動に驚きながらも、頬をほんのり染めている。
そんな彼女を忍人は、無意識に引き寄せていた。

酒の影響が残っているのか、それともいつもと違う雰囲気の彼女に酔っているのか。

だが、そんなことはどうでもいい。
彼女をもっとこの腕の中で感じていたい。

「姫、少しだけ…目を閉じていてくれ…。」

忍人は、千尋の背に腕を回して、彼女をゆっくりと引き寄せた。
その動きに合わせるように、千尋が戸惑いながらもそっと目を閉じる。




「千尋〜、まだ起きてるかい? 二日酔いによく効くっていう薬湯を持ってきてやったからお飲み〜。」

その時、なんの前触れもなく大きな声が聞こえたかと思うと、岩長姫がヒョイと姿を現した。

「遠夜の特製で、よく効くって評判…。」

だが彼女は、部屋の中を見て、目を点にした。

「……へ?」

千尋が寝ているとばかり思っていた寝台の上には、忍人と千尋。

目をぱちくりとさせた岩長姫がよく見ると、忍人は何故か前髪を濡らしていて、その衣服も、彼にしては少しばかり着崩れている。
一方の千尋も、着ているシャツのボタンが二つ三つ外れかけ、床には、彼女が身に付けていた上着が無造作に脱ぎ捨てられている。

そして極めつけは、どう見ても、忍人を押し倒している千尋と、彼女の背を支え今にも抱き寄せんばかりの忍人の構図。

「あ…んたたち、何やって…。」

「……?」

二人は揃って、突然現れた岩長姫をぼんやりと眺めていたが、次の瞬間、忍人が我に返った。

「し、師君っ。」

その声に千尋もハッと気づき、慌てて立ち上がった。

「ご、ごめんなさい、忍人さんっ。」

「いや…。」

忍人も動揺を隠しながら、身を起こして横を向いた。

どちらかというと、謝らねばならないのは自分の方のような気がする。
彼女を引き寄せて、いったい何をしようとしていたのだろう。

「…あぁ〜。 なるほど、そういうことかい。いや〜あたしとしたことが、しくじったねぇ。」

そんな二人を見ていた岩長姫が、全て納得したという顔でニヤリと笑った。

「忍人。あんただけは送り狼になるようなヤツじゃないと思ってたけど…。やっぱあんたも男だねぇ。」

意味ありげな笑みを浮かべたまま、忍人に近づいて耳打ちするようにそう言う。

「いや、俺はもう帰ろうと…っ。」

「いいじゃないか、今更隠さなくったって。 大丈夫、今夜はこの部屋に誰も近づかないように言っといてやるから。じゃ、あたしゃ、さっさと退散するよ。邪魔したね。」

そういうと彼女は、器用にウインクをしてみせると、部屋から出て行った。

「いや〜、人は見かけによらないもんだよ。あの忍人がねぇ。あ、おまえたち、今夜は二ノ姫の部屋の護衛は要らないって、皆に伝えて来な。なんてったって、最強の護衛が一晩中くっついてるんだから。はっはっはっはっ。」

そんな声が聞こえてくる。

「一晩中…って?」

ふたりして呆気に取られていたが、千尋がぽつりと呟いたのを聞いて、忍人は青ざめた。

「お、お待ちください、師君っ。なにか大きな誤解が…っ。」

よく考えたら、誤解ばかりでもないのだろうが、そんなことを皆に触れ回られては非常に困る。

「姫、すまない。今宵はこれで失礼する。」

「あ、はい…。」

忍人は、足早に出入り口へ向かったが、ふと足を止めて千尋を振り返った。

「ひとつ、言い忘れるところだった。…姫、俺の記念日を祝ってくれて…ありがとう。」

それを聞いた千尋が、嬉しそうにニッコリと頷く。
宴はともかく、彼女とは意味のある時間を過ごせたように思う。

「ではまた。…おやすみ。」

忍人は彼女に微笑みを返すと、部屋を後にした。




「師君、忍人を見ませんでしたか?」

次の日の朝。
忍人を探していた風早は、岩長姫を見つけて尋ねてみた。

「ああ、あいつなら、どっかそこらへんで眠りこけてんじゃないかい?」

「忍人がですか?」

「だってさ〜。聞いとくれよ、風早。あいつ、夕べ一晩中、あたしを追っかけまわして、誤解だ〜とか余計なことを言うな〜とか…。もう、鬱陶しいったらありゃしない。」

「はぁ…。……?」

岩長姫が言うのだから、嘘ではないのだろうが、普段の忍人からは想像しにくい。

「やっといなくなったから、さすがに疲れたんじゃないかね。」

一方、一晩中追い掛け回されていたという岩長姫の方は、意外と元気らしい。

「何が誤解なんです?」

風早は、首をかしげながら彼女を見た。

「誤解なんかじゃないよ。忍人が寝台の上で千尋を抱き寄せてたから、気を遣ってやっただけじゃないか。」

「……。えぇっ?」

その時、パタパタと足早に近づいてくる足音がした。

「ですから、それが誤解だと! 夕べから何度同じことを言わせる気ですかっ。」

本当に一晩中、追いかけ回していたのだろう。
そこへ現れた忍人は、さすがに疲れているらしく、こめかみを押さえている。

「いーや、あたしゃ、この目ではっきりと見たよ。だいたいねぇ、抱こうとした女を放り出してくるなんて、男のすることじゃないよ?せっかく気を利かせてやったのに、あんた何考えてんだい。」

「お、忍人…っ。君、千尋にそんなことを…?」

「風早、俺は何もしていないっ。」

しそうになったのは事実だが、していないのもまた事実だ、とかなんとか忍人が珍しく必死な様子で風早に訴えている。

だが、忍人の意識が風早に向いた隙に、岩長姫がそそくさとその場を離れた。

「あ、師君っ。」

それに気づいた忍人が、慌ててその後を追う。

「いい加減、余計なことを言って回るのはお止めくださいっ。」

「あんたこそ、いい加減、自分のやったこと認めな。往生際の悪い男だねぇっ。」

「ですから、何もしていないとっ。」

なんだかんだと言い合いをしながら、去っていく。
一晩中あんなことをやっていたのだろうか。


「なんなんだ、朝から騒々しい。」

そこへ那岐が迷惑そうな表情で現れた。

「二日酔いで頭痛いんだから、静かにしてくれよ。」

あのまま寝てしまったのだろう、制服姿のままだ。

「よくわからないけど…。忍人が千尋を押し倒してた、とかなんとか…?」

本当は逆だし、ただの事故なのだが、こうして噂に尾ひれが付いていく。

「あの忍人が…? なんかの間違いだろ。」

だが那岐は、興味なさそうに肩をすくませた。

「どうだろうねぇ。それより那岐、制服、着崩しすぎですよ、もっとちゃんと…。」

「もう脱ぐよ、これ、コスプレだろっ? とりあえず部屋に戻るっ。」

朝から説教されてはたまらない…と那岐は慌てて背を向けた。
それを見送りながら、風早は先ほどの忍人を思い出して、苦笑いを浮かべた。

「間違い…ではないでしょうねぇ。あの忍人があんなに必死になるんですから。う〜ん、さしずめ…未遂ってとこですかね。」

放っておけば大した噂にもならないだろうに、打ち消そうと必死になるから、岩長姫に余計なことをしゃべらせている。
それだけ、忍人に余裕がないということだろうが。

「ま、千尋を意識し始めたなら、結構なことですね。でも…。」

風早は、懐に入れたままにしていたメガネを取り出してかけた。
含みをある台詞を言う時の必須アイテムだ。
いつもの衣装にメガネでは微妙に似合わないけれど、気分の問題だ。

「俺がお育てした大切な姫ですからね、そう簡単に渡すつもりはありませんよ。」

フッと笑いながら、メガネのふちをちょいと持ち上げると、朝日を受けて、レンズがきらりと光った。


忍人の恋(?)、前途多難。



〜Fin〜







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