魂の記憶 8
「なんだこれはっ。ほとんど役にたたないではないか。」 山道を歩きながら忍人は、風早が置いていったと思われる竹簡を背後へ放り投げた。 「もう一晩、野宿しろというつもりか。」 以前、千尋が書いた地図がまるで読み取れなかったのも納得できる。 この師にしてこの弟子あり、だ。 「わたしはもう一晩くらい、野宿したって大丈夫ですよ。」 忍人が放り投げた竹簡を拾いながら、千尋が能天気に応じた。 「そのような呑気なことを言ってる場合か。」 手持ちの食料も火を起こす道具も、残り少ない。 まだ夜は冷え込むのだ。そんな状態で野宿などしたら凍えてしまう。 それに、もしうまく野宿できたとしても。 もう一晩、あんなふうに一緒にいたら、今度は彼女に何をしてしまうかわからない。 「夕べも痛み止めの薬湯を飲んでいなかったらどうなっていたか…。」 「なんのことですか?」 千尋が無邪気にそう問いかけてきたが、答えられるはずもない。 忍人は千尋を促すと再び歩き始めた。 「でも忍人さんの怪我も、早くちゃんと治療しなきゃいけないのに…。風早ってばなんで起こしてくれなかったんだろ。」 「……。有体に言ってしまえば、嫌がらせだな。」 「え、どうしてですか?」 千尋が目を丸くして忍人を見た。 「大切な君を取られたくないんだろう。」 「取られるって…。………え?…………ええぇ!?」 忍人の言葉の意味を時間差で理解したのだろう、千尋は一瞬で顔を真っ赤にして仰け反った。 「とはいえ、まずは中つ国を再興しなければ何も始まらない。」 彼女のそんな反応に、忍人自身も頬が熱を持つのを感じたが、それを隠すために前を向いてひたすら歩く。 「そ、そうですよね、あはは…。」 忍人が平常を保って見せたからか、千尋は小さく咳払いをしてから話しかけてきた。 「……あの忍人さん、ひとつお聞きしたいんですけど。実は昨日から気になってて…。」 「なんだ。」 「破魂刀のことです。」 「ああ、あれが何か?」 あれは忍人にとって、奥義のようなものだ。 「あの技、今までも見たことあったけど、あんなにすごいとは思いませんでした…。」 千尋が持っていた刀からも力を発動させたので、身を持って感じたのだろう。 「忍人さん、あれは…あの技の力の源は何ですか?」 「そうだな。簡単に言えば俺自身だろうな。」 技を使ったあとの体力の消耗が半端ない。 「それって…忍人さんの生体エネルギーを使ってる、ってことですね?」 「言葉の意味はよくわからないが。」 当たらずとも遠からず、といったところだろう。 忍人は雑談程度と思って歩みを進めていたが、それを聞いた千尋がピタリと足を止めた。 「忍人さん、お願いがあります。」 「……?」 仕方がないので、忍人も歩みを止めて振り返る。 「これから先はもう、二度と破魂刀は使わないでください。」 「どういうことだ。」 これから激しくなっていく戦を勝ち抜くためには、使える力を出し惜しみするべきではない。 忍人は眉を寄せて、千尋を見た。 「わたし最近、なぜか忍人さんの体調が気になって仕方なかったんです。」 「ああ、そのようだな。」 ほとんどが、ありがた迷惑な心配だったが。 「昨日、破魂刀の力を肌で感じて、なんとなくわかったんです。あれは忍人さんの体力を内側から削っていくじゃないかって。」 「……。」 千尋には敢えてそういうことを言っていなかったが、さすがに聡い。 「今ならまだ間に合います。お願いします。」 「間に合う、とは?」 忍人は、特に他意もなく聞き返したが。 その言葉に千尋は、一瞬、虚を突かれたような顔をした。 「え?ええと…。なんだろ…?」 「君はところどころ意味不明なことを言うな。」 真面目に論破してくるのかと思いきや、いきなりコケる。 「と、とにかくっ。もう使わないって約束してください。じゃないと私、中つ国を取り戻しても女王にはなりませんからっ。」 「……はっ?ちょっと待て千尋、それはどういう脈絡だ。」 コケるどころか、今度はぶっ飛んでいる。 「俺の破魂刀と君の女王就任がなぜ同列になるんだ。」 「どっちも同じくらい大事なことだからですっ。」 全くもって理解不能だが、千尋は、こんなふうに言い出したら何を言っても聞かない。…が。 「承服しかねる。昨日の荒魂の時のように、他に手段がない場合もある。あのまま何もしなかったら、いま君は無事でここに立ってはいなかったぞ。」 聞かないとわかってはいるが、簡単に頷くわけにもいかない。 「あれは例外ですっ。私は忍人さんが無事である限り、自分の命も絶対に守ります。」 「………。」 千尋は、絶対に引くものかという意志をみなぎらせている。 忍人は小さくため息をついた。 「全く…虎狼将軍とさえ仇名される俺を前にして、そこまで自分の主張を曲げないのは君くらいだな。」 だが、これから国を背負って立つには、このくらいでちょうどいいのかもしれない。 「わかった。一応、君の要望は考慮しよう。」 「ほんとですかっ。」 千尋が嬉しそうに目を輝かせる。 「だが全面禁止だと言うなら、俺が納得するに足る相応の理由を持ってこい。」 その笑顔を眩しく感じながらも、ここで流されるわけにはいかないと、忍人は緩みそうになる頬を無理やり引き締めた。 「ええ〜〜。」 「ええ〜ではない。上に立つ人間が感情論だけで下の者を納得させられると思うのか?」 「わかってますけど…。でも忍人さんがあの剣のせいで体調崩すことがあったら、私は女王になる前に行方不明になりますからっ。」 そう言い放つと千尋は一人でさっさと歩き出した。 どうやらこの件に関しては、忍人が何を言おうが聞く気はないらしい。 「女王就任を盾に取るとはな。」 忍人はその後ろ姿を眺めながら苦笑した。 「さて、どうしたものか。」 どんどん進んでいく彼女の後を、付かず離れずの距離で歩く。 すると下り坂になっていた道で突然、千尋が沈んだ。 「……なっ?」 慌てて追いつくと、彼女が尻もちをついて顔をしかめていた。 「痛ったぁ……。」 平坦な場所と同じ感覚で歩いていたせいで、足を滑らせたらしい。 「何をしているんだ、君は。」 半ば呆れながら手を伸ばす。 「全く…。人の心配をする前に、自分の心配をしろ。」 「はい…。」 もっともだと思ったのか、千尋はえへへと照れ笑いを浮かべながら、忍人の手を取った。 その手の温かさが心地良い。 「行くぞ。」 この山を越えた辺りが、恐らく天鳥船の停泊地だろう。 千尋と二人きりの時間もそこで終わる。 名残惜しさを振り切るように、つないだ手をギュッと握ると、彼女は嬉しそうに笑った。 ~fin~ |