空色の扉  番外編


【 予感 】


あのときと同じ目だ。
振り返って一瞬だけ見せた、不思議そうな怪訝そうな瞳の色。

そう思った。



「ああ、いたいた!樹梨。」

入学式の会場から続々と出てくる学生たちの波にもまれながら、歩いていると聞きなれた声とともに肩を叩かれた。

「アキちゃん。」

「ちょっとよそ見してる隙にどっか行っちゃうんだもん、焦ったよー。」

少し口を尖らせながら、彼女は樹梨と肩を並べて歩き始めた。

「で? 答辞の彼はどうなったの?」

「うん、無事に渡せたから…大丈夫。」

「そう、良かったね!…って、どうかした?」

どこか覇気のない、何か考え込んでいるような様子を目ざとく感じ取ったアキは、樹梨を覗き込んだ。

「なに? もしかしてそいつに余計なお世話だとかなんとか暴言でも吐かれたの!?」

「そ、そんなことは…ない…と思う。」

君に心配される筋合いはない、とは言われたけれど。

「わたしが、ちょっと馴れ馴れしくしちゃったから。だって、こんなところで会えるとは思ってなくて…。」

嬉しかった。また出会えたことが。



式次第に彼の名前を見つけたとき、息が止まりそうになった。
実際、しばらく呼吸するのを忘れていたかもしれない。

けれど、同姓同名の他人ということもありうる。確かめたい。

答辞を読むのなら、通路に面した席に座っているはず。
そう考えて、式開始直前にもかかわらず、アキに席を代わってもらって目を走らせた。

(いた…!)

彼は意外と近くに座っていた。

横顔が少し見える程度だったが、樹梨の視線は彼に釘付けになっていた。


あの日、テニスコートのフェンス越しに出会った彼。
いや、出会ったなどとは言えない状況だったけれど、あのとき確かに彼は樹梨の姿をその瞳に捉えていた…はず。

けれど。

「よく考えたら、覚えてるはず…ないよね。」

「覚えてるって? さっきの人、知ってるの?」

樹梨は独り言のように呟いたが、その言葉をアキは聞き逃さなかった。

「だれ?同学年ってことはわたしも知ってる?」

「うん…知ってる…かな。 アキちゃん覚えてる? 高2の夏、一緒にテニスの大会を見に行ったときのこと。」

「県大会のこと? 覚えてるも何も…。」

突然相手コートに走り、棄権しろとかなんとか叫びだした樹梨を、慌てておいかけたアキは、
殺気立った相手チームの親衛隊の中から、樹梨を引っ張り出したのだ。

「あのときはホントビックリしたんだから。あんなことする子だなんて思ってなかったもん。で、それがどうしかした…。」

そこまで言って、アキはハッと気付き、大急ぎで式次第を取り出した。

「一橋って…ええ?うそ!あのときの!?」

アキは目をまん丸にして、歩みを止めた。
二人の後ろを歩いていた学生たちが、一瞬立ち止まり、迷惑そうによけて行く。

「すごいじゃん、樹梨! 運命の出会いっ…じゃなくて運命の再会!? てか、最初の段階で樹梨にとっては運命の人だったってことっ?」

アキは、やたらと「運命」を連呼しながら興奮している。
そんな彼女とは対照的に、樹梨は視線を落とした。

「そんなんじゃないよ…。」

アキが言うように、最初は樹梨の心臓も跳ね上がった。
彼の答辞を、親友が話しているように、どきどきしながら聞いていた。

式が終わって、彼を追いかけるまで、そんな高揚感に包まれていた。…けれど。

「心配される筋合いはないって。…言われちゃった。」

「へ…? なにそれ…。」

「わたしが一人でドキドキしてただけ。」

あははは…と笑おうとしたが、うまく笑えない。

「他に何か話さなかったの?あのとき叫んだのは私ですって、自己紹介とかは!?」

問い詰めるように覗き込んでくるアキに、樹梨は力なく首を振った。

彼は何も覚えてはいないのだろう。

当然と言えば当然かもしれない。
彼は大事な試合の真っ只中にいて、不調に陥った体を必死に、仲間にさえも隠して全力で臨んでいたのだから。

見たこともない女生徒にいきなり棄権しろと叫ばれても、迷惑以外の何物でもなかったはず。

あのとき一瞬振り返った彼の目に浮かんでいた、怪訝さを含んだ色。
その光景が、昨日のことのように思い出される。

「同じ目だった。あのときと。」

彼の中で樹梨は、なんだこいつ?くらいの感覚で、通り過ぎたに過ぎないのだろう。
あの日も。今日も。

「なにそれ、なにそれー!!」

トーンの下がる樹梨とは対照的に、アキは興奮状態を怒りに変えた。
周りを歩いている学生たちが、何事かと視線を向けつつ通り過ぎていく。

「あ、あのアキちゃん、落ち着いて…。」

「なに呑気なこと言ってんのっ。あの後、樹梨がどれだけ落ち込んでたかっ。」

「え、そうだった? でも…。止められなかったって、わたしが勝手に思ってただけだし…。」

「そうだとしても! こっちはあんなに気にしてやったのに、向こうは何にも知らないわけ!?」

あの後、アキは何の接点もない他校生の彼のことをいろいろ調べてくれた。
結局、部活にもその後の試合にも姿を現していない、ということしかわからなかったけれど。

そうこうするうちに受験期に入り、ふたりともそれどころではなくなっていった。

「もういいよ。ずっと忘れてたんだし。突然現れてちょっとびっくりしただけだから。」

学部も全く違うから、これからも接点はないだろう。
あちらは恐らく理工系、こちらは看護系。

「…う〜。」

アキは納得できないという顔をしていたが、樹梨が必死で笑顔を見せようとしているのを見て、口を閉じた。


入学式の式場を後にして歩いていた学生の波も、それぞれの学部に向かって分かれて行き、周りはいつのまにか女子学生の姿が大半になっていた。

「一橋…翔。」

式辞に書かれた名前を、もう一度読んでみる。
彼も、樹梨たちとは違う方向へと歩いて行ったことだろう。

空を見上げるように、来た道を振り返ってみる。



「理工系って言えば…。意外なヤツが一緒に受かったよね。」

しばらく黙っていたアキが、ふと気がついたように口を開いた。

「ああ、晴馬くん?」

「そうそう。能天気に見えて、意外と頭よかったんだね。…って。あれ、もしかして…。」

ケラケラと笑ったアキが、なにげなく後ろを見て動きを止めた。

「どうしたの。……えっ?」

同じように振り向いた樹梨の目に、何かが猛スピードで走ってくるのが見えた。

「樹梨ちゃ〜〜ん! やっぱり樹梨ちゃんだ〜!」

「は、晴馬くん!?」

「ストッーープ!!」

飛びつきそうな勢いで至近距離まで来た彼の前に、アキが立ちふさがる。

「うわぁ!…って〜アキちゃんもいたんだ。」

「あんたねぇっ。」

「どうしたの晴馬くん。理学部はあっちの方でしょ?」

ぷくっと頬を膨らませるアキの陰からヒョイと顔を覗かせて、晴馬は再び樹梨を見た。

「え、そうなの? 道理で女子の姿が多いと思ったー。」

「なに、あんた。また迷ったの?」

「あはは…そうみたい。」

相変わらずだなと呆れる二人だったが、対して晴馬は何も気にしていないらしく、嬉しそうな顔をした。

「ま、いいや。それより、せっかく会えたんだし!オリエンテーリングが終わったら、みんなでカラオケにでも行こうよ!」

「え、でも式服だし…。」

樹梨も含め、皆スーツ姿だ。
出来れば早く帰って着替えたい。

「いいじゃん、行こうよカラオケ!ね、樹梨。」

だが、いつもなら真っ先に面倒がるアキが珍しく賛成した。

「パ〜ッと騒いで、ヤなことは忘れちゃえ!」

「アキちゃん…。」

彼女なりの気の遣い方なのだろう。

「そうだね。」

樹梨はにっこりと笑顔を見せて頷いた。

「よっし、決まり! じゃ、正門のトコで待ってるから。」

晴馬が親指を立てる。
 
「それはいいけどさ〜。あんたの方向音痴は健在みたいだけど。ちゃんとたどり着けるの?
高校と違って大学は広いから、一緒にいてくれる友達をさっさと見つけたほうがいいんじゃない?」

アキが、からかうように晴馬を小突いた。

「余計なお世話だよっ。あ、そう言えば、同じ学部の中に賢そうなヤツがいるんだ。後姿しか見てないんだけどさ。
ほら、さっき祝辞読んでた…。」

「祝辞?」

その言葉に二人は同時に首をかしげた。
祝辞ということは、在校生だろうか。

「先輩のことをあいつ呼ばわりするなんて、相変わらず恐いもの知らずだね。」

くすくすと笑う二人に、今度は晴馬が首をかしげる。

「先輩って? …ま、いいや。仲良くなれたら、その時はまた紹介するから!」

そういうと晴馬は走ってきた方向へくるりと踵を返した。
あまり油を売っていては、オリエンテーションの開始時間に間に合わなくなる。

さすがにマズイと思ったのだろう。

「じゃ、ふたりともまた後で!」

そう言って全速力で駆けて行く晴馬を見送った二人は、再び自分たちの学部に向かって歩き始めた。

「大丈夫かな、晴馬くん。場所わかって走って行ったのかなぁ。」

「さぁね〜。ま、なんとかなるんじゃない?」

心配そうに言う樹梨に、アキがカラカラと笑い飛ばしながら応じた。
それを見ていると、本当にどうにかなるだろうと思える。

晴馬も、先輩だろうが何だろうが、おかまいなしに「ダチだ!」と言って連れて来そうな気がする。

「どんな人を紹介してくれるんだろうね。」

「え?」

「ううん、独り言。」

桜色の風景の中、これから始まる大学生活に思いを馳せ、いつしか樹梨の足取りも軽くなっていた。


〜FIN〜


( 2012. 9. 17 )








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