笹百合を揺らす風 3

「え、あの…っ。ちょ、ちょっと待って!」

覆いかぶさろうとしたアシュヴィンに、千尋は全力で腕を突っ張って、彼を押し返した。

「おまえ…さっきは俺のために泣いたとか言ってたくせに、そこまで拒否することはないだろう。さすがに俺だって傷つくぞ。」

「違うの! アシュヴィン、ずるいっ。」

「何がだ。」

「だってっ。わたしの気持ちは聞いたくせに、自分は何も言ってないじゃないっ。」

だから、これから態度で示そうとしているのだが。

「聞いておきたいの、アシュヴィンの気持ちを。ちゃんと…。」

アシュヴィンは小さくため息をつくと、手を離した。

「どんな言葉を聞きたいんだ。」

場合によっては、こちらも全力で拒否してやる。
だが、彼女の口から出てきたのは意外な言葉だった。

「国のために結婚することになって…後悔してない?」

「なぜ後悔などする必要がある。」

「そりゃ男の人は女よりは身軽だろうけど…。もし好きな人とか…いたら…。やっぱり他の女性と結婚なんて、イヤじゃないのかなって。」

「…一応、聞いておきたいんだが。その『好きな人』とは?」

「わたしの知らない誰か…。」

「では『他の女性』というのは、お前のことか。」

その言葉に千尋がコクンと頷く。

「全く柊のやつ、ロクでもないことを吹き込みおって。」

アシュヴィンは、はぁーと大きくため息をついた。

「少しは常識的に考えろ。好きでもない女のために、忙しい合間を縫って出雲まで出かけたり、広い宮の中でその僅かな気配を追って相手を探し回ったりする男がどこにいる。」

逆説的な言い方になったが、改めて口にしてみると、ひとりの女性に振り回されている情けない男のように思えてきた。

「おまえなぁ、こんなこと言わせるな。」

アシュヴィンは、苦虫を噛み潰したような顔をして立ち上がると、窓を開けた。
さきほど千尋が球根を植えていた花壇が見える。

「さっき、この庭でおまえを見つけたとき…。」

無心に土を掘っている後姿が、なぜかとても儚げに見えて、声をかけるタイミングを失った。
そこへ柊が現れ、思わず身を隠した。

「あいつの言うことも一理あると思ってな。俺は、異国へやってきて不安だらけのはずのおまえを放ったままだった。」

それはアシュヴィンの身辺が慌しかったせいではあるが、彼女を不安にさせたことに違いはない。
千尋が、自分よりも側近たちに心を許すのも致し方ない。

「おまえにはここ数日ずっと避けられていたしな。」

柊が千尋に言っていたことは、アシュヴィンが感じ始めていたことだった。

─ 彼女には、他に想う男がいるのかもしれない ─。

アシュヴィンは、ベッドに腰掛けたままの千尋を見て、小さく笑った。
そういえば、リブが「殿下は変わった」とかなんとか言っていたが、そうかもしれないと思う。

「いつからだろうな、おまえに本気で惹かれ始めたのは。」

最初は亡国の姫という存在に興味があった。
だが、何度か戦場で出会ううち、次第に彼女自身に惹かれていった。

政略結婚は、政治的な意味ももちろん大きかったが、千尋を手に入れる手っ取り早い方法だとも考えたからだ。

「少々乱暴なやり方ではあったが、おかげでおまえの周りにいる男たちを出し抜くことも出来た。」

だから元より、この結婚を後悔などするはずがない。
懸念があるとすれば、それを千尋がどう考えているかということだったろう。

「そういう話を一度きちんとしたいと思っていたが、おまえは俺から逃げてばかりだ。全く、本気でへこみかけたぞ。おまえは国のために自分の気持ちを殺して嫌々俺のもとへ来たのかもしれない、とな。」

先ほど彼女を見つけたとき、すぐに出て行けなかったのは、どこか臆病になっていたからかもしれない。
柊が「結婚は政治的なものと割り切って貴女は好きに生きれば良い」と言ったときも、千尋がどう答えるのか、それを聞くのがためらわれた。

だから、あの場はそのまま離れようとしたのだが。

「おまえは俺の名を呼んだ。」

涙をいっぱい溜めて、助けを求めていた。
それを聞いた次の瞬間、気づけば柊に剣を突きつけていた。

「おまえを全力で守ってやりたいと思ったよ。中つ国の姫としてではなく。皇子という立場も関係なく。」

「アシュヴィン…。」

「こっちに来い、千尋。」

アシュヴィンが手を差し出す。
優しい笑みをたたえた彼に引き寄せられるように千尋が手を伸ばすと、アシュヴィンはその手をグイと引き寄せた。

「もっとも、おまえの心が俺に向いてなかったとしても、いずれ力ずくででも向かせてやろうと思っていたがな。」

「そ、それって、無理やり…ってこと? ちょっと待って、さっきと言っていることが違うんじゃ…。」

千尋はアシュヴィンを見つめたまま、目を瞬かせた。

「さあな。やり方はその都度考えたさ。」

意味深な笑みを浮かべたまま、アシュヴィンは彼女を腕の中に包み込んだ。

「…ということで、ご満足いただけたかな、妃殿。」

力強く抱きしめられて目を丸くする千尋に、アシュヴィンは柔らかな笑みを浮かべたまま、そっと顔を近づけた。
半開きにされた唇が、艶やかに輝いて見える。

その腕の優しさに、千尋もごく自然に緊張を解いてアシュヴィンに身を預けた。
…が。

「……。ちょっと待ってろ。」

おもむろに抱擁を解くと、アシュヴィンはつかつかとドアに向かった。

「え??アシュヴィン?」

急な態度の変化に千尋は不安な表情を浮かべたが、彼はドアに手をかけると、それを勢い良く引いた。

「おまえたちも満足か?側近ども。」

アシュヴィンがそう言うのと同時に、数人の男たちがバラバラと部屋に倒れこんだ。

「うわ…っっ?」

「だから押すなって…っ。」

「なんだ、どうし…っ。」

那岐と布都彦が下敷きになり、その上にサザキと忍人が倒れ込んでいる。
その後ろに、かろうじて巻き込まれずにすんだらしい風早が驚いた表情で立っていたが、仏頂面のアシュヴィンと、呆気に取られている千尋を見て、引きつり笑いを浮かべた。

「…あ、はははは…?」

「みんな?どうしたのっ。」

「いえね、柊がなにやら良からぬことを企んでいる様子だったので、気になりまして。ちょっと様子を見に来ただけですから。」

「あいつなら、とっくに姿を消したが?」

笑ってごまかそうとする風早を、アシュヴィンが横目で睨む。

「だからやめようって言ったじゃないか。」

那岐がサザキを押しのけながら風早に抗議した。

「そうでしたっけ?その割には一番前を陣取ってたのは誰ですか。」

「俺は、柊の作戦とやらの成果を見届けようとしただけだ。」

いち早く立ち上がった忍人が素早く体裁を整えると、もっともらしくそう言う。

「あ、俺はただの野次馬だぜ!」

「サザキ殿、それを言ってはおしまいかと…。それより、そろそろどいて頂けないでしょうか…。」

あぐらを組んで得意げに宣言するサザキの下で、布都彦が情けない声を上げた。

「おまえたち…そんなに俺を怒らせたいのか…?」

アシュヴィンの怒りを押し殺したような不敵な笑みと同時に、ゴロゴロと遠雷に似た響きが聞こえ始めた。



「全く、揃いも揃っておまえに過保護な側近たちだ。」

アシュヴィンが放った術を、紙一重で避けた彼らは、一目散に散っていった。
忍人だけが、風早に引っ張られながら「さっさと軍を動かせ!」とかなんとか叫んでいたが。

「みんな大切な仲間だから。きっと心配してくれてたんだと思う…んだけど。」

千尋は、アシュヴィンの雷をもろに受けたドアに目をやった。

「これ、どうするの。ちゃんと閉まらなくなっちゃったじゃない。」

だが、それを無視したアシュヴィンは千尋をぐいと引き寄せた。

「仲間か。臣下と言わないところがおまえらしいが。大切、という表現は気に食わないな。そういう形容を使うべき相手は誰か、ちゃんと教えてやろうか?」

そう言ってアシュヴィンが千尋の顎に手をかけたとき。

「姫様、なにやら大きな物音が聞こえましたが、どうかなさいましたか?」

壊れかけた扉の向こう側から、リブがひょいと顔を覗かせた。

「このドアは、一体…。え、殿下っ?」

「リブ…おまえもすばらしいタイミングだな。」

アシュヴィンが、千尋の顎を持ち上げたまま、その手をふるふると震わせた。

「や、これはっ。とんだご無礼を…!」

リブは慌てて、手にしていた茶器を傍らのサイドテーブルに置いた。 

「遠夜殿が煎じてくれた薬湯を使ってお茶を淹れてみたのでお持ちしたのですが。その…リラックス効果があるとかで…。」

「あ、ありがとう、リブ! さっそく頂くね!」

「おい、千尋。」

アシュヴィンの手をそそくさと離れた千尋が、その茶をぐいっとあおった。
それを見たアシュヴィンも、ため息をつきながら茶器に手を伸ばす。

「それでは私はこれで…。失礼致しました。」

「リブ。」

長居は無用とばかりに背を向ける彼を、アシュヴィンが呼び止める。

「わかっておりますよ、殿下。 今宵は女官も近づけませんから。」

囁くように言うリブに、アシュヴィンは満足そうに頷いた。
有能な側近とは、こういうものだ。

「どこぞの側近たちとは、えらい違いだな。」

遠ざかっていくリブの気配を感じながら、手にしていた茶を口に運ぶ。
だが。

「……?」

一口飲んで、アシュヴィンは顔をしかめた。
彼が淹れただけあって、確かに旨い茶だが…これは…?

そのとき、不意に千尋が倒れこんできた。

「…おっと。どうした千尋?」

「んー…。なんかふわふわしていい気持ち…。」

アシュヴィンの腕の中に倒れこんだ千尋は、その胸に顔を埋めながら目を閉じた。
その仕草は、アシュヴィンの身を熱くするのに充分なものだった。

しかし。

「これは眠り薬ではないかっ。」

遠夜が煎じたリラックス効果のある薬湯。
リブは確かそう言っていた。
彼も、その薬湯の内容をわかっていなかったのかもしれないが。

「…たく、どいつもこいつも、どれだけ邪魔をすれば気が済むんだっ。」

大仰にため息をついたアシュヴィンは、自分に身を任せて寝息を立て始めた千尋を、そっと抱き上げた。

そのままベッドに運んで一緒に横になると、アシュヴィンの上にも少しずつ眠気が覆い始めた。
この程度の薬湯なら、気力で眠気を押し返すことなど雑作ない。
だが腕の中で幸せそうに丸まっている千尋を見ていると、このまま彼女の温もりに身をゆだねていてもいいように思えた。

「この続きは、また今度…な。」

アシュヴィンは、千尋の頬にそっと口付けると、彼女を抱きしめたまま目を閉じた。





翌朝。

「あ〜あ、姫さんもついに人妻かぁ。」

サザキが誰にともなく、そう呟くと、布都彦が首をかしげた。

「姫なら、とっくにアシュヴィン殿の奥方では?」

「あ〜もう、おまえは黙ってなよ。」

那岐がうんざりしたように答えたが、その横で風早はいつもの微笑をたたえている。

「なんだよ、あんたが一番大騒ぎしそうなのに。余裕だね?」

「ふふふ、そうですか? あ、遠夜。例のお茶の素はリブ殿に…?」

何処からともなく現れた遠夜に風早が声をかけると、遠夜はその言葉ににっこりと頷いた。

「お茶…? あんた、何したんだよ。」

意味深な様子を感じ取った那岐が、顔を僅かに引きつらせる。

「何って。二人がゆっくり休めるように、手配しただけですよ? ね、遠夜。」

『那岐も飲む?』
そんなふうに遠夜が、薬壷らしきものを見せる。

「なんだよ、これ。」

「リラックス効果のある薬草だそうですよ。ま、有体に言えば、即効性の高い眠り薬ですかね。」

風早は全く悪びれることなく、微笑んだままそう言ってのけた。

「なっ…。あんた…そのうち、アシュヴィンに半殺しにされるよ…?」

詳しいことは聞く気にもならないが、あの二人に何らかの邪魔を仕掛けたのは確かだろう。
風早の爽やかな笑みに、「こいつだけは敵に回さないでおこう」と密かに心に誓う那岐だった。


〜fin〜





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特定のカップルものを書くとしても、その二人しか出てこないのでは
なんとなく寂しいし、物語に奥行きが出なくてつまらない。
なのでわたしが書く話は登場人物が多くなるのですが、
今回はオールキャストに近いものになりました。

最後はにぎやかに纏めてくれて(邪魔してくれて?笑)楽しかったです。
というか、なかなか甘甘にならなくてすみません(^^;
更に続きを書く予定なので、そのときはリベンジを…!(たぶん//)

( 2015. 2. 11 )















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