桜葉の夏木立


梅雨の晴れ間、すっかり葉桜になった桜の並木道に、木漏れ日が揺れている。
花梨とともに彼女の世界にやって来て、初めて迎える豊かな緑の季節だ。

(いや、あいつと迎える初めての・・・だな。)

小さな川沿いの並木道から少し奥に入った、草の上に寝転がって、勝真は目を閉じた。
桜の葉が風に揺れているのだろうか、葉の間を縫って落ちてくる日の光が、顔の上でゆらゆらと動くのを感じる。

この世界にやってきた頃は、人の多さや、車や電車というものの存在に驚いて、
なんてせわしない世界なんだ、と思ったものだが、
少し郊外に足を運べば、このように時間がゆったりと流れている場所もあるらしい。

(悪くないな・・。)

もとより、彼女が暮らしているこの世界に、不満があるわけではなかったが、
こういう場所に身を置くと、やはり、ホッとする。

梅雨の中休みといったところか、爽やかに晴れ上がった空の下、
遠く聞こえる小鳥のさえずりと、時折、ふわっと流れていく風が心地よい。



「・・・んっ・・・?」

不意に、頬に冷たさを感じた勝真は、眉をひそめつつ、慌てて目を開いた。

「花梨・・・?」

寝転がったまま見上げると、勝真の横に片膝をついて腰を下ろした彼女が、缶ジュースを勝真の頬にくっつけていた。
一瞬眠っていたのか、彼女が近づいてくる気配に、全く気づかなかったらしい。

「うふふ・・・。目、覚めましたか?」

「ああ。・・・寝てたか?」

先ほど、花梨が木の幹につかまるようにしながら、少し身を乗り出して川の流れを見ているのを
横目で見つつ寝転がったのだが、その彼女は、いつのまにかコンビニの袋を抱えている。

「うん、気持ち良さそうに。だから、その間にいろいろ買って来ちゃった。」

言いながら、花梨は、缶コーヒーを取り出した。

「はい、勝真さんは温かいコーヒー。寝起きだしね。」

「ああ・・・悪いな。」

夏を目の前にした季節は、少し動くと汗ばむくらいだが、草の上に寝転がっていると、やはり体が冷えてくる。
彼女のこういうちょっとした心遣いはありがたい。

「それから、お弁当・・・。ほんとは、早起きして作ろうと思ったんだけど・・・っていうか、作ったんですけど・・・。」

そう言いながら、微妙にテンションを下げた花梨は、買い物袋の中から、ごそごそとコンビニ弁当を取り出した。

「作ったのか・・・どうして持ってこなかったんだ?」

味気ないコンビニ弁当より、彼女の手作りの方が、数倍嬉しいのだが。
だがその言葉に、花梨は手を止めて、ぼそっと一言呟いた。

「・・・・タイムリミット・・・。」

「・・・たいむり・・・? ・・・ああ、時間切れってことだな。」

勝真は、この世界に来てから得た知識をフル回転させて、その言葉の意味を探し出し、嬉しそうに言い当てた。

「・・・・・・・・。」

だが、そんな勝真とは対照的に、花梨は、どよ〜んと縦線を背負っている。

「あ・・・悪い・・・。つまり、間に合わなかったってことか。」

「早起き・・・しようと思ったんだけど、起きられなくて・・。
あ、それでも、いつもより30分は早く起きたんだけど・・・。」

毎日作っていて手馴れているならともかく、一日だけの、しかも彼氏に食べさせる気合の入った弁当を
たったの30分で作るのは、不可能に近かったらしい。

「ま、そうだろうな・・・。」

落ち込んでいる花梨には悪いが、思わず笑みがもれてしまう。
だが、次の花梨の台詞に、勝真は眉をひそめた。

「もともと、早起きは苦手だし・・・。
それに今日は、久しぶりの勝真さんとのデートだから、緊張しちゃって、夕べなかなか眠れなかったし・・。」

そういえば、心なしか目が赤い。

「なんだよ、俺に会うのに今更、緊張するのか?」

出会った頃ならともかく、心を通わせた後なのに、そのようなことを言われるなんて、心外だ。
或いは、彼女は、勝真が思っているほどには、心を許していないのだろうか。

だが、そんな勝真を見た花梨は、慌てて言葉を繋いだ。

「あ、そういうんじゃなくて・・・えと・・・気が高ぶっちゃって、なかなか寝付けなかったっていうか・・・。」

何度もトイレに起きたし・・・などと、子供のようなことを言いながら、頬を赤らめている。
要するに、緊張といっても、期待が高すぎてのものということらしい。

思えば、勝真はこちらの生活環境を整えるために、ごく最近まで、忙しく走り回っていた。
その合間を縫って、彼女とも会ってはいたが、このようにゆっくり会うのは、本当に久しぶりのことである。

慣れるまで、ずっとバタバタしていたが、その間、花梨には少なからず、寂しい想いをさせていたのかもしれない。

「そうか・・・すまなかったな。」

頬を赤らめたまま、視線をそらせている花梨が、とても可愛く見えて、
勝真は、無意識に彼女の肩を抱き寄せた。

柔らかな髪の毛が、頬をくすぐる。

「か・・・勝真さんっ・・・?」

驚いた花梨が、反射的に身を固まらせたが、勝真は構わず、その細い顎を手に取った。

甘く、そして柔らかな感触───。

「・・・・っ・・・・。」

その微かな吐息に、このまま襲ってしまいたくなる。
だが唇を首筋にずらそうとした瞬間、頬に尋常ではない熱を感じた。

「あ・・つっ!?」

慌てて身を離すと、花梨が勝真の頬に、先ほどの缶コーヒーを押さえつけていた。




                                      Illustration by 紫翠様 (自由京)


「・・・だ・・・めですって・・・ばっっ・・・! こんなとこで・・・ばかっっ!」

ほんのり赤かった頬を、真っ赤に染めて、こちらを睨んでいる。
どうやら本気で怒っているようだが、そんな表情もまた愛らしい。

「なにか、問題があるのか?」

花梨の肩を抱いたまま、もう一方の手で、缶コーヒーを握る彼女の腕を抑えた勝真は、ふっと笑って見せた。

「お・・おおありですっ・・・人がいっぱいいるのに・・・!」

「・・・・・・誰もいないが?」

すっかり葉桜になった並木道は、花見シーズンには大層な人出だったのだろうが、今は人影もまばらで、
時折、ウォーキングを兼ねて散歩している熟年夫婦が通るくらいのものだ。
それも今は、ぱたりと途絶えている。

「あ・・・あれ・・・??」

「いくら俺でも、そのくらいはちゃんと見てるぞ。」

きょとんとした顔で周囲を見回している花梨に、勝真は勝ち誇ったような笑みを見せた。

「あ〜熱かったな・・・。やけどしたんじゃないか?」

彼女の身を抱いたまま、大げさに言ってみる。

「ご・・・ごめんなさいっ。 あ、アイスクリームも買ってきたから、それで冷やして・・・。」

そう言いながら花梨は、勝真につかまれた腕を解こうとした。
だが、それを遮った勝真は、彼女の頬に自分の頬を寄せた。

「おまえの頬でいい・・・。」

腕を放し、代わりに彼女の背を両腕で抱きしめる。

「で・・もっ・・・冷たくないし・・っ・・・。」

心臓を跳ね上がらせているのか、花梨の頬は、どんどん熱を持つ。
そんな彼女が可愛くて、もう少し困らせてみたくなる。

「口付けてくれたら、治るかもな・・・。」

「な・・・なにを・・・っ・・・。」

「目・・・閉じててやる。」

視界を遮ると、彼女の息遣い、戸惑い、胸の鼓動までもが、ダイレクトに伝わってくる。

花梨は、一瞬止まっていたが、覚悟(?)を決めたのか、寄せていた頬をスッと引いた。
次の瞬間には、彼女の息遣いを唇に感じる。

「花梨・・・。」

離したくない────。
彼女ぬくもりに酔いそうになる。

だが、それもつかの間、花梨は唐突に、勝真の腕から逃れようと身をよじった。

「・・・・・・・・?」

反射的に、離すまいと力が入る。

「か・・勝真さん、離してってば・・っ!」

「どうしたんだ、急に。・・・嫌だ・・と言ったら?」

甘い夢から唐突に引き戻されて、少々気分を損ねた勝真は、ムッとして答えた。
だが、その時・・・。

「うふふ・・・若いって、いいわねぇ〜。」

「覗くんじゃない、みっともない。」

少し離れた道の向こうから、老夫婦らしき男女の声が聞こえてきた。
女性の方はくすくすと笑っているようだが、その女性の腕を男性が引っ張っているらしい。
しばらくして、足早に立ち去っていく気配がした。

「・・・・・・・・・・。」

「も・・・ばかぁ・・っっ。・・・なにが、『ちゃんと見てるぞ』・・・ですか!」

力の抜けた勝真の腕からすり抜けた花梨は、勝真の体を押しやると、ぷいとそっぽを向いた。

「・・・いや・・・今のは不可抗力・・・。」

なにせ、目を閉じていたのだから、見えなくて当然だ。
しかも、勝真からは死角になっていた。

「それに・・・今のは俺からしたわけじゃないし・・・。」

「知りませんっ!」






穏やかに降り注ぐ陽光の元、楽しいランチタイム・・・のはずだったが、
へそを曲げた花梨は、ずっとそっぽを向いたままだったので、ただひたすらに黙々とコンビニ弁当を食べ、
今は、緑の並木道を、微妙な距離を開けて並んで歩いている。

「いい天気だなぁ。」

「・・・・・・・。」

友達以上恋人未満・・・のようなこの距離は、ちょっと気になるが、
とりあえず、気づかないフリをして明るく話してみる。

「・・・緑もきれいだし。」

「・・・・・・・。」

気を取り直して。

「寒くない季節ってのは、いいよなぁ。」

「・・・・・・・・・・勝真さんは冬でも寒くないでしょ。」

・・・・・・・取り付くシマもない。

口付けの現場を見られたのが、恥ずかしかったのはわかるが、そこまで怒るようなことだろうか。
最初は悪いことしたなと思ったが、ここまでツンケンされると、さすがにムッとしてくる。

「ああ、そうだな、京の冬はさして寒くはなかったからな。ここの冬は知らないが。」

「ここに来たときは、冬の前だったでしょ。」

・・・・・ぁ・・・そうだった。

京の冬に比べると雪も少ないし、ほとんど寒さも感じなかったので、印象に残らなかったらしい。
花梨の態度に気分を害している、という姿勢を見せたかったが、イマイチ決まらない。

「京にいた方が良かったかもな。こんなに人も多くなかったし。・・・・・・つまらんな。」

大して深い意味もなく、そう呟いたのだが。
その時、横を歩いていた花梨が、ピタリと歩みを止めた。

「・・・? どうした?」

「・・・・勝真さん・・・帰りたいですか・・・。」

花梨は、うつむき、少しくぐもった声で、そう問うた。

「やっぱり勝真さんは京で、馬に乗って駆けてる方が似合うのかも・・・。」

微妙に涙声になっている。

「は?・・何の話だ。」

勝真は、2〜3歩先で歩みを止めていたが、その言葉に、改めて花梨の方を振り向いた。
さっきまでと態度が180度違うので、調子が狂ってしまう。

「だって・・・なんだかストレスが溜まってるようだし・・・。
あのまま、向こうの世界にいた方が良かったんじゃ・・・。
わたしが・・・こっちに帰りたいって言ったから・・・。」

こちらの世界では、どこに人の目があるかわからないので、勝真といい雰囲気になっても、すぐ周りが気になってしまう。
そんな自分がイヤで、勝真に当たってしまったが、こんな調子ではいつか愛想を尽かされるんじゃないか・・。

そんなことを、うつむいたまま途切れ途切れに言いながら、彼女は眦から、ぽたりと雫を落とした。

「おまえ、何を言ってるんだ?」

勝真は黙って聞いていたが、やがて、髪をかきあげながら小さくひとつ溜め息をついた。

いや、『何をやってるんだ』・・か。

勝真に怒ってるのかと思いきや、自分に対して腹を立てていたとは。
気持ちの表し方が、不器用すぎる。


花梨を京に引き止めようと思えば、引き止められた。
だが、それをせずに、自分が彼女の世界に行くと決めたのは、勝真自身だ。

確かに人の多さに辟易することは多々あるし、花梨を思うように抱き寄せられない苛立ちもあるかもしれない。
だが、そんなことよりも、もっと大切にしたいものがある。

「全然、わかってなかったんだな・・・。」

勝真は、今度はふうっと大きくため息をついた。

うつむいたままの彼女から視線を外して上を見上げると、
高く晴れ渡った空に枝を伸ばした木々の若葉が、穏やかな風に吹かれて、柔らかく揺れていた。

(いや、わかっていないのは・・・。)

自分の方だったのかもしれない。
忙しく動き回って余裕のなかった勝真を、彼女は彼女なりに責任を感じて、見ていたのかもしれない。

「花梨、ひとつだけ言っとく。・・・俺は、お前を幸せにしたいから、ここにいるんだ。それを忘れるな。」

勝真にとって大切なのは、花梨が自分の傍で幸せであること。
そして・・それは、勝真自身の幸せ。
花梨が幸せでなければ、自分がここにいる意味がない。

忙しい日常や、ちょっとしたすれ違いのせいで、忘れてしまうところだった。

「ちなみに、『つまらない』と言ったのは、さっきおまえが言ったように・・・、
抱き寄せようとしても、おまえが周りを気にして、すぐ逃げるからだ。」

勝真は、視線を空から戻したものの、花梨からも逸らせたままで、少し口を尖らせて言った。

例え捕まえることが出来たとしても、花梨は、人の気配に敏感になっているせいで、勝真に酔ってはくれない。
そのあたりは、彼女も気にしていたようだが。

「どうでもいいが、なんで、いつまでも泣いてるんだ。」

勝真は、腕組みしつつ首をかしげた。

「俺が今言った言葉の意味、わかってないのか?」

「そうじゃなくて・・・・途中から・・嬉し・・涙・・・。」

花梨は、顔をぐちゃぐちゃにしながら、バッグを開けて引っ掻き回し始めた。
どうやら、ハンカチを探しているらしい。

「ああ・・・なるほど・・な・・。」

その姿が妙に可愛くて、申し訳ないが、笑いが込み上げてくる。

「ほら・・・。」

勝真は、ポケットから自分のハンカチを取り出して、花梨に差し出した。
ついでに、その肩を抱き寄せる。
いくら人目が気になるといっても、このくらいなら許容範囲だろう。

花梨も、涙で周りが見えない分、大胆になっているのか、勝真の胸にぎゅっと寄り添ってきた。

「・・・・・・・。」

思わず、その顎を引き上げて唇を盗みたくなったが、とりあえずこの場合は我慢する。

(しかしなぁ・・・。)

いつまで我慢しなければいけないのだろう。

(今すぐ、一緒に住むってわけにもいかないし。)

京だったなら、あのまま自分の屋敷に移り住ませれば済んだし、年齢的にも何の問題もなかった。

(う〜ん・・・。)

ちょっぴり、後悔が頭をもたげる。
口付けでさえ、こんな調子なのだから、その先に進むのは至難の業のような気がする。
ま、屋外でそのようなことをしようとは、さすがの勝真も思ってはいないが。




だが────。
彼らのような恋人たちのための解決方法は、こちらの世界には、いくらでも用意されているのだ。

そのことに勝真が気づくのは、それから、さほど時間を要しないのだった。(笑)


〜fin〜





すっかり遅くなりましたが、4万打記念創作です(^^;
春頃に書き始めたので、若葉の季節をイメージしていたのですが、
UPしようと思ったら、いつの間にか季節は梅雨・・llll。
ま、梅雨にも晴れ間はあるよね〜(^0^;と無理やり納得させてのUPです。

それはさておき、珍しく現代モノになりました。
花梨ちゃんにお弁当を作らせたりして、
よくある少女漫画のようなデートを書いてみよ〜と思ったのですが。

ふたを開けてみたら、花梨ちゃんはコンビに弁当を持ってくるし、
勝真さんは、ところ構わず迫るし・・・。
ま、迫るのはいいけど、ちっとも甘くならないし・・lllll。

これは、リベンジが必要かしら?なんて思ってます。
どうなるかは、全くの未定ですが(笑)


(2006. 6.28)


<後記>
コピー本でリベンジ果たしました!
あちらは、京編で話の内容もかなり変わってますが、
設定はED後で、イメージ的には似たような感じです☆
ご興味がおありでしたら、お手に取っていただけると嬉しいです♪
(2006.10)


おかげさまでコピー本を完売しました☆
完売から1年以上経ったことだし、サイトにUP致します。
(2009.10)



































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