野の花を君に
「う〜ん…。」
にぎやかな通りに面したとある店の前。
さすがに商都だけあって活気に満ちている。
行き交う人々の気配を背に感じながら、レインは綺麗に飾り付けられたショーウインドウを覗き込んでいた。
「この街へ来ればなんとかなると思ったんだが。」
ファッション雑貨の店だろうか、女性が好みそうなドレスを着たマネキンと一緒に、バッグや靴、アクセサリー類が飾られている。
しかし。
「もっとちゃんとリサーチしておくべきだったぜ。」
彼女がどんなものを喜ぶのか、今なにを欲しがっているのか、全く見当がつかない。
「はぁぁぁ…。」
ウインドウに手を付き、覗き込んだ体勢のまま突っ伏すと、ガラスに当たったサングラスがカチンを音を立てた。
「あれ? もしかして、レイン…?」
そのとき、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
(げっ…。ジェイド!?)
反射的に顔を上げると、少し首をかしげながらこちらを見ているジェイドの姿が、ガラスに映っていた。
その様子は、まだレイン本人かどうか計りかねているように見える。
ここはごまかして逃げてしまおう。
「いや、人違いだぜ。俺はそんな名じゃ…。」
「ああ、やっぱりレイン! 声ですぐわかったよ。どうしたんだい、サングラスなんか掛けて。それに、その格好は?」
だがジェイドは、俯き気味に振り向いたレインを見て、にこやかに笑った。
「いや、だから人違い…。」
「もう暖かい季節なのに、そんなコートを着て。暑くないのかい?」
レインはあくまでも別人設定を通そうとしたが、その努力はあっさりと無視された。
「というか、黒いサングラスに黒いコートって…。」
ジェイドは少し思案顔になったが、すぐに何か思いついたらしく、ポンと手を打った。
「ああ、わかった! ジェットのコスプレだね!?」
「…は?」
「う〜ん、財団のお膝元だから、そういうことしたくなるのも、わからないではないけど…。」
そこで言葉を切ったジェイドは何とも言えない曖昧な笑みを浮かべた。
「あのさ、あんまりっていうか…。全然、似合って…ないよ?」
「お、大きなお世話だっ。それに、誰がコスプレだっ。」
「…?違うのかい?」
「当たり前だっ。これは…その…変装だ。」
レインはムッとしながら、ぼそぼそとそう言った。
ここ商都ファリアンには見知った顔も多い。
ただでさえ、慣れない用事で来ているのだ。
声を掛けられてややこしい事態になるのは避けたい。
だから極力目立たないように、と思ったのだが。
「変装? ふーん、そうのなかい? 事情はよくわからないけど…。」
ジェイドは首をかしげながら、レインをまじまじと見た。
「な、なんだよ。」
「変装ってさ、人目を避けるためにするんだよね?」
その通りだが。
「でも…。すごく目立ってるよ、レイン。」
「……え?」
固まったレインに、ジェイドは申し訳なさそうな笑みを向けた。
「君のその赤い髪に、黒のコートとサングラス。なんていうか、ビビットな配色?」
「…ビビット…。」
「うん。いつもの赤い服もインパクトあるけど、君のその髪に黒いロングコートって、かなり斬新だよね。」
「斬新…。」
普段なら褒め言葉なのだろうけれど。
「それに、そんな格好でこんな可愛い店のショーウインドウを覗きこんだり、突っ伏したりして。すごく挙動不審。」
「え。」
その言葉に、慌てて通りの方を振り向くと、行き交う人々が怪訝そうな目でこちらをチラチラ見たり、何事か囁きあったりしながら通りすぎていた。
「ま、マジかよ…。」
唖然とするレインに、ジェイドは全く悪気なく、にこやかにとどめのひと言を発した。
「うん。その変装、ものすっごく逆効果だったね。」
そのとき。
レインの背後から、またしてもイヤになるほど聞き覚えのある声が聞こえた。
「おや? あなたはもしや、レイン博士…?」
振り返らなくてもわかる。
幼さを残した顔立ちのくせして、やたらと小生意気なセリフを吐くヤツだ。
「なんなんですか、その格好は。…あ!もしやあれでしょうか、研究者としての私の大傑作であるアーティファクト! ジェットのコス…。」
「…プレじゃないからなっ!」
『さすがにレイン博士も、彼の出来には舌を巻いたと見えますね』とかなんとか誇らしげに言うエレンフリートを遮り、レインはくるりと踵を返した。
「あ、レイン、どこへ行くんだい。買い物はー?」
「帰るっっ。」
「その格好で?」
「……。」
その言葉にピタリと立ち止まったレインは、おもむろにコートを脱ぎ捨て、エレンフリートに投げた。
「うわ…っ?」
Illustation by まりも
「エレン、おまえの自慢のアーティファクトにやるっ。」
「は? ちょっと待って下さい、レイン博士。彼はああ見えて、こだわり派なんですよ? 人から与えられた…しかもお古なんか、身に付けたりは…っ。」
「じゃ、おまえが着ろ。」
「はい??」
目を白黒させているエレンフリートに再び背を向けたレインは、足早にその場を離れようとした。
「レイーン、夕食までに帰って来るんだよー。今日はご馳走だからねー。」
その背に、ジェイドの新婚さんみたいなセリフが追いかけてくる。
その声にコケそうになっていると、道行く人たちの、先ほどとはまた違った、妙な視線が降ってきた。
ここは何も言わずに逃げるのが一番だ。
*
「やっぱり似合わないことなんか、するもんじゃないな。」
足早に街を出て、そのままの勢いで歩いていると、いつのまにか郊外の高原に来ていた。
蕾をつけた草や開き始めた花が、あちらこちらに群生している。
レインはため息をつくと、その草原の中に寝転がった。
真上から陽射しが降り注いでいるが、サングラスをかけたままなので、苦にはならない。
彼女の大切な日に何か特別な贈り物を、と思って出てきたが、邪魔が入っただけで何の収穫もなかった。
だが、もう一度街に戻る気にはなれないし、どうしたものか。
そのときふと、野の花にしては豪華な蕾をつけている花が目に入った。
バラの一種だろうか。
意外に茎もしっかりしているようだ。
それを眺めていたレインは、ふと思い立って、その花に手を伸ばした。
「手作りってのも、悪くないな。」
普段の研究を通して、物を作る作業には慣れている。
「よし…。」
レインは身を起こして小さなナイフを取り出すと、数本の花を切り始めた。
「レイン…?」
遠く霞んだ意識の向こうで、誰かの声がする。
懐かしいような感覚に手を伸ばすと、温かなものが触れた。
同時にその感覚が全身へと広がる。
その心地良さにしばらく身を預けていると、不意にその温もりが腕からするりと抜けて行きそうになった。
「行くな…。」
思わず力を込めて腕の中に閉じ込めると、その温もりが何故か強張るように固まった気がした。
「レ、レイン…っ。」
同時に耳元ではっきりと、心地良く馴染む声が聞こえた。
その声に、急速に意識が覚醒する。
「ん…?」
ゆっくりと目を開くと、青い空が見えた。
先ほどの高原で、いつのまにか眠っていたらしい。
右手には、野バラに他の草花を編みこんで作った髪飾りがあった。
意外とうまく出来たと思う。
彼女の柔らかな髪によく似合うことだろう。
そう、こんなふうに…。
(……ん??)
髪飾りを持った手の向こうに、彼女と同じ色の髪の毛が見える。
そういえば、草原に寝ているはずなのに、とても体が温かい。
いや、体というよりは腕。
厳密には胸の中…。
覚めきっていない頭でそんなことを漠然と考えつつ、何気なく視線を下げたレインは、そこでピキッと固まった。
「ア…アンジェ…!?」
「あ、あの…えと…お、おはよう…?」
一気に目が覚める。
「う、うわっっ…!?」
寝転がっているレインの腕の中で、アンジェが困惑した笑みを浮かべながら、見上げていた。
「ななななんでっ。」
思わずのけぞりかけたレインは、ふと、自分の腕が彼女の身をしっかりと捕えていることに気づいた。
「あ、いや、これは…そのっ。わ、悪いっっ。」
慌てて抱擁を解くが、なぜこんな状態になっていたのか、全くわけがわからない。
「あ、あのね、レインが変な格好して出て行ったって聞いたから気になって。」
レインに解放されたアンジェは、身を起こしてそそくさと髪を整えた。
「変な…格好…。」
彼女にまで言われるとさすがに少しばかりヘコむ。
これ以上、傷を広げないように、そこには敢えて触れないでおこう。
「あ、その…なんで、ここがわかったんだ?」
顔を赤らめて横を向いている彼女に、レインも同じように頬が熱を持つのを感じながら視線をそらせた。
「レインを探しに出たら、お買い物帰りのジェイドさんに会ったの。それで、レインがこっちの方へ歩いて行ったって聞いて。」
レインがジェイドに会った時、彼はもう帰路に着くところだったらしい。
足早に街を出たレインの後を追いかける形になったのだろう。
「寝転がってるレインのこと、すぐに見つけたんだけど。珍しくサングラスなんてかけてたから…。」
レインがよく眠っていると思ったアンジェは、ちょっとした悪戯心を起こした。
レインからサングラスを外して、自分でも掛けてみようと思ったらしい。
「そしたらレインがいきなり…その…。」
「そ、そういうことか…。」
懐かしい感覚に思わず手を伸ばして引き寄せた…。夢うつつだったが、確かにそんな覚えがある。
だが、まさかアンジェ本人だったとは。
無意識とは恐ろしい。
いや、いっそのこと、いつも無意識でいられたら楽なのか?
(…って!何考えてるんだ俺は…っ。)
「あの…レイン?」
ひとりで赤くなったり青くなったりしているレインを見て、アンジェが怪訝そうに覗き込んできた。
「い、いや、なんでもない。」
「あ、そうだ、これ…。勝手に取ってごめんなさい。返すわね。」
アンジェはふと思いついたようにそう言うと、レインが掛けていたサングラスを取り出した。
そのままレインの顔に掛けようとした彼女の手が、頬に触れる。
「……っ。」
レインは慌てて彼女の手からサングラスを奪った。
彼女も無意識の行動なのかもしれないが、そんな動作は男を知らない無垢なお嬢様だ。
「あ、ご、ごめんなさい。」
アンジェが慌てて手を引っ込めたが、彼女の細やかな指の感覚が頬の上に残る。
「いや…。」
こんなことでドギマギせず、思いのままに彼女を抱きしめてしまえたらどんなに楽だろう。
「はぁ…。ああそうだ、これ…。」
レインは小さくため息を吐いて気持ちを切り替えると、例の髪飾りを取り出した。
「……?」
いきなり差し出されたそれを見て、彼女が首をかしげている。
「街まで行って、何がいいかといろいろ迷ったんだけどな。」
そのせいで、変な格好だとかコスプレだとか言われ、妙な視線まで投げかけられてさんざんだった。
とはいえ、おかげでこの高原で野バラを見つけることが出来た、とも言える。
「ここに咲いてた花で作ったんだ。一応、おまえに似合いそうな花を選んだんだが。」
似合うに違いないと思うが、アンジェ自身が気に入るかどうかは別の話だ。
そう思うと急に不安になってきた。
「その…。気に入らなければ捨ててくれて構わない。」
「レイン…?」
何が言いたいのか伝わってないのだろう、彼女は首をかしげたまま見ている。
「これを私に…?」
そこでレインはふと、大切なことを言い忘れていることに気づいた。
「ああ。俺からの心ばかりの品だ。その、誕生日の…。」
「え…。あっ。」
彼女は今日が自分の大切な日であることに気づいてなかったのだろうか、それを聞いて目を丸くした。
「もしかして忘れてたのか?」
レインは彼女の様子を見て苦笑いした。
それならば、尚更きちんと言っておかねばならない。
「じゃ改めて。アンジェ、誕生日おめでとう。」
そう言って改めて髪飾りを差し出す。
それを聞いたアンジェは、ぱぁっと表情を明るくした。
「ありがとう、レイン!」
「生花だからな、あまり長くは持たないと思うが。」
「ううん、大切にするわ。」
アンジェは満面の笑みを浮かべ、その髪飾りを大切そうに両手で包み込んだ。
そんな彼女を見ていると、心がほっこりと温かくなる。
「…さてと。そろそろ帰るか。」
いつまでも見つめていると、また妙な衝動に襲われないとも限らない。
また頬が熱を帯びてきそうで、レインはコホンを咳払いをしてごまかすと、アンジェから視線を外して立ち上がった。
「ジェイドがご馳走作るって言ってたぞ。今日はパーティでもするつもりなんじゃないか?」
「あぁ、それであんなにたくさんのお買い物を?」
ジェイドの姿を思い出したのか、アンジェが頬を緩ませて小さく笑った。
「アンジェ。」
それを見たレインは、思わず彼女の手をつかんでいた。
「レイン…?」
アンジェが少し驚いたように見上げてきたが、レインはそのまま歩き出した。
自分といるときに、他のヤツのことを考えて微笑まないで欲しい。
幼稚な独占欲で、大人気ないとも思うけれど。
何も言わずに歩き始めたレインに、アンジェは少し戸惑っていたようだが、すぐに歩調を合わせてきた。
彼女が早歩きになっていることに気づいて、レインが歩調を緩めると、彼女はレインの手をキュッと握りしめた。
「……っ。」
そんな仕草に、気持ちが高ぶる。
今、自分はどんな顔をしているのだろう。
黄金色を帯び始めた陽の光と、手に持っていたサングラスを掛けたおかげで、たぶん表情は見られずに済んでいると思うけれど。
「しばらく、こいつの世話になるかな。」
「え…?」
何気なく呟いた言葉に、アンジェが反応する。
「いや、こっちの話。」
サングラスに軽く触れたレインは、彼女の手を改めて握り直した。
〜Fin〜
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