春風の贈り物 3


「あ、あの…忍人さん!ひとつお願いがあるんですけどっ。」

一瞬、戸惑いを見せた後、千尋は思い切ったように顔をあげた。

「な、なんだ。」

内面の動揺を抑えながら、何事もなかったように彼女に向き直る。
だが千尋の方は、戸惑ったように視線を泳がせた。

「……?」

「あ、あの!これからは名前で呼んでもらえませんかっ。」

「…名前?」

「さっきずっと呼んでくれてたみたいに…その、千尋って。」

言葉に出したことで開き直ったのか、今度は真正面から忍人を見上げてくる。

「たが…。先程のあれは便宜上仕方がなかっただけだ。本来、主君である君を名前で呼び捨てにするなどあってはならぬことで…。」

そう諭していると、千尋がみるみるうちにしゅんと俯いていく。

「あ、いや……そうは言っても風早や那岐の例もある…といえばあるが…。」

とはいえ、彼らには常識を逸した特別な事情があったのだ。
…と、自分で自分に突っ込みたい。

が。

「君が望むなら、職務を離れているときなら…。」

気が付くと勝手にそんなことをしゃべっていた。

「ほんとですかっ。」

これ以上はないというほど分かりやすく、千尋の表情が明るくなる。
これはもう、後には引けない。

「あ、ああ。」

忍人が頷くと、千尋は笑顔で頭を下げたあと、踵を返して船の中へ消えていった。

「全く…相変わらず落ち着きのないことだ。」
 
苦笑を浮かべながら忍人も船に向かう。
腕の中にはまだ、彼女の温もりが残っているような気がした。

「しかし…。」

職務を離れて彼女に接する、とは一体どういう状況なのだろうか。
ここまでの道中も、名目上は護衛という職務のうちだったと言える。

同意はしたものの、私的に接するという状況を全く想像できない忍人だった。




翌日。

回廊の一角で、千尋とそれを囲む一団に出くわした。

「うん、いい出来だと思いますよ。ねぇ、那岐。」

「まぁ、千尋にしては上出来なんじゃない?スイーツっていうより羊羹みたいだけど。」

その言葉に千尋は不服そうな顔をした。

「ええっ、チョコプリンのつもりなんだけど…。」

「チョコ…?」

「プリン…?」

それを聞いた風早と那岐が、手をピタリと止める。

「なんだよ、名前なんてどうでもいいじゃねぇか。うまいもんはうまい!さすがカリガネが手伝っただけのことはあるぜ。」

「うむ。神子の言う菓子は想像するのが難しかったが、努力の甲斐あって良いものが出来たと思う。」

その横では、サザキとカリガネが満足そうに頷いていた。

「これのどこがチョコなんだよ。使ってるの小豆じゃないの?」

「だって板チョコなんて売ってるわけないし…。でも気持ちはチョコなのっ。」

そのとき、ふと視線を上げた千尋が忍人を捉えた。

「あ、忍人さんっ。」

千尋の声に他の皆もこちらを振り向く。

「姫、昨日言っていた菓子は無事完成したのか。」

彼女に近づいて声をかけると、千尋は少しはにかんだ様子で忍人を見上げた。

「はい。おかげさまで。あの…忍人さん、良かったら食べてもらえませんか。」

そう言うと千尋は小振りな箱を差し出した。

中には、透明感のある小豆色をした円錐形に似た菓子が入っている。
更にその周りには可愛らしい花が添えられていた。

「これを俺に…?」

「はい…ご迷惑じゃなかったら…。」

「食べ物の差し入れを迷惑だと思う輩など、滅多にいないと思うが。」

首を傾げると、千尋はハッとした表情になったあと、すぐにごまかすように笑った。

「そ、そうですよね、何言ってるんだろ私…あ…はは…。」

彼女の様子がなにやら気になるが、差し出された菓子の可愛らしさに気持ちが温かくなるのを感じる。

「ありがたく頂戴しよう。」

そう言って受け取ると、千尋は嬉しそうににっこりと笑った。


「風早。さっき千尋、あれをチョコだって言ってたよね。」

「言ってましたね…。」

「今って如月だよね。」

「如月ですね…。」

「ふーん、そういうこと。」

「…そうみたいですね…。」

少し離れたところで二人の様子を見ていた風早と那岐が、禅問答のようなやり取りをしている。

「去年までは俺にもくれてたのに…今年はないのかなぁ…。」

「あっても義理だろ。最悪さっきの試食で終わりかもね。」

「試食…。」

那岐の容赦ない言葉に、風早がわかりやすくうなだれる。

「風早、どうした。あの二人を仲良くさせたかったのではなかったのか?」

その様子を見ていたカリガネが、単刀直入に問うた。

「仲良くなったらなったで気に入らないんだよ。面倒くさい親心だよな。」

「なんだ、なんだぁ?姫さんと忍人の噂ってマジだったのか?」

一瞬蚊帳の外に置かれていたサザキが、那岐とカリガネの間に乱入する。

「うるさいなぁ、耳元で叫ぶなよ。」

「サザキ、こういうことは繊細な問題だ。ひっかき回すな。」

「ひっかき回すたぁ心外だな。ここは大人なサザキ様がしっかり見守ってやろうじゃあないか。」

顎に手をやってうんうんと頷きながら二人に近づく。

「おい、忍人。姫さんと無事くっついたんなら次は…。」

「あ、馬鹿っ、ちょっと待てってっ。」

那岐が慌ててサザキの腕を引っ張った。

「次は物理的に…あー、例えばだな…まずは手を…。」

「サザキ。」

那岐の手を無造作に振り払って話続けようとするサザキを、カリガネが後ろから羽交い締めにした。

「ぐぇっ…。」

「くっつく、とは?」

そんな彼らの様子を見ていた忍人が、眉を寄せつつサザキに問うた。
険しい顔をしながらも、その両手には可愛らしい箱が大切そうに抱えられている。

「なんかあれ、すごく妙な感じだな。…ていうかもう違和感しかないんだけど。」

払われた手をひらひらと振りながら、那岐が言う。

「いつものポーカーフェイスなのに、態度から気持ちがだだ漏れしてますね…。」

那岐に応えた風早は、そう言って更にうなだれた。


「ちょっとサザキ、くっつくとかそんなんじゃないからっ。」

忍人の横にいた千尋が、顔の前で慌てて両手を振った。

「姫、君にはなんのことかわかるのか?」

「え?ええと…。わたしは忍人さんにチョコ…じゃなくてお菓子を受け取って貰えただけで充分ですからっ。」

そう言うと千尋はぐるっと踵を返して走り去って行った。

「……?待て、姫。全く答えになっていないぞ。」

思わず追いかけようと忍人が一歩踏み出したとき。

「その菓子を持ったまま全力疾走なんてしないでくださいね、忍人。」

「菓子が崩れる。」

カリガネと、なぜかジト目の風早に釘をさされた。

「…っ…。」

二人の言葉に、なんとか2歩目を踏み留まる。

手の中にある菓子箱に目をやると、花に囲まれた菓子が微かに揺れていた。
その可憐さに無意識に頬がほころぶ。

「そうだな、大切な菓子だ。」

彼女の厚意を嬉しく思う、今はそれだけで良いと思われる。

「ありがとう……千尋。」

その名を小さくささやくと、彼女の満面の笑みが見えた気がした。

                                 〜Fin〜





《おまけ》

「そう言えば、君たちも同じものを貰ったのか?」

「うっわ、それ聞く?」

那岐がのけぞるように後退った。

「忍人、そこは一番触れちゃいけない部分でしたね〜。」

風早は遠い目をして呟くように言う。

「……?」

そんな反応を不思議に思いながら視線を移すと、カリガネが持っている大きめの箱が目に入った。
そこには忍人が貰ったのと同じ菓子がいくつか無造作に入れられていて、数個の匙(さじ)が挿されている。

サザキがその中のひとつを取って口に運んでいた。

「おーい、おまえら、もういらないのか〜?俺が全部食っちまうぞ。」

「ふっ…なるほどな。」

なぜだかわからないが、忍人以外はひとまとめにされているらしい。

「な〜んか腹立つな。その勝ち組って感じのドヤ顔。」

那岐が微妙に意味のわからないことを呟きながら、菓子に手を伸ばす。

「サザキ、もう少し遠慮しなよ。僕もまだ食べる。」

「あ、俺も食べますからねっ。」

「大丈夫だ、まだたくさんある。遠夜や布都彦たちにも分けてやらないと。」

カリガネが皆をなだめるように言っている。

「というわけで忍人、君だけ仲間外れですから。部屋に戻って一人で寂しく食べてください。」

風早が精一杯のイヤミと強がりを混ぜた笑顔を見せたが。

「そのようだな。では遠慮なく一人で堪能するとしよう。俺はこれで失礼する。」

元より、そんなイヤミなど痛くも痒くもない。

「なんか鼻歌でも歌ってそうな後ろ姿だな。」

那岐のそんな声を背に聞きながら、自然と頬が緩むのを感じる忍人だった。


おしまい。

















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