海と空と心にグラデーション3



ドリーム小説
ふと気がつくと、耳元で波の打ち寄せる音が響いていた。
したたかに打ち付けた頭の横で、砂がジャリッと音を立てる。

(…ってぇ。)

そう言ったつもりだったが、声にならない。
背中から倒れこんだので、手を付いて身を起こそうとしたが、これまた動けない。

どうやら全身を押さえ込まれ、おまけに口まで塞がれているらしい。

「……?」

ゆっくりと目を開くと、視界いっぱいにの顔が映った。

いや、顔と言うよりも目。ぎゅっと閉じられた目と柔らかそうな前髪がそこにある。







何が起きたのか咄嗟に理解できず目を丸くしていると、少し遅れて気付いた彼女が、
次の瞬間、目を見開いたかと思うと、慌てて身を起こした。

「……あっ。」

口元を手で覆い、目を丸くしたまま瑛を見つめている。

「えっ? あっ!? いや、違っ…ご、ごめんっっ!」

に押し倒されたままなので、思うように動けない瑛は、両手を顔の前でぶんぶんと振った。

だが。

「て、瑛くんの…バカーー!!」

ビタンッッ。
涙目になったの平手打ちが、瑛の頬に炸裂した。






☆   ☆   ☆






海から微かな潮風が吹き寄せている。

もうすぐ凪に入るのだろう。
頬を撫でつつ通り過ぎていく空気の流れは、昼間の海風とは違ってとても柔らかい。

水平線はいつのまにか黄金色に染まり、規則正しく打ち寄せる波打ち際も、昼間とは違った輝きに包まれていた。
いろんなことがあった一日も、もう終わろうとしている。

「そろそろ帰ろっか。」

海岸線を一緒に歩いていたが、瑛をちらりと見上げて言った。

「ああ、そう…だな。」

彼女に平手打ちにされた頬をさりげなく触ってみる。
さして力も強くない女の子にビンタされたくらいでは、痛みなどとっくに消えてなくなっているが、
の手と、そして、唇に残った柔らかな感触がやけに生々しく残っている。




あの後、ハッと我に返ったは「ごめんっっ!」と叫んで、慌てて瑛から飛びのいた。

「い、いや、俺の方こそ…。」

この場合、原因を作ったのは明らかに瑛の方だ。
男と女の立場を考えても、平手打ちされたのを差し引いても、ここは素直に謝るしかない。
瑛は自由になった体を起こしたが、を直視することが出来ず、視線を泳がせながらボソリと言った。


「その……ごめん…。」

「う、うん…。え〜…と…じゃ、これでおあいこ。」

だがそんな瑛に拍子抜けしたのか、あるいは、気まずくなった雰囲気をなんとかしなければと思ったのか、
はいきなり自分の頬を両手でパンッと叩いた。

「え? うわっっ…両ビンタって。痛そ…。」

「…あ、はは?…もう少し手加減すればよかった…。」

「ぶっ、バカじゃないの、おまえ。」

思いがけないの行動に、思わず表情が緩む。
ともあれ、彼女の気遣いに内心、とても感謝する。

(こういうヤツだから、きっと俺は…。)

瑛は自然に浮かんでくる笑みを隠し、砂を払って立ち上がりながら、の前にスッと手を伸ばした。

「……?」

彼女がきょとんとした顔でそれを見た。

「ほら、つかまれよ。」

苦笑いしながら促すと、くすぐったそうな顔になったが、差し出された手をそっとつかんだ。
そんな彼女が、妙に可愛く見える。

「思い切りやったのか、ほんと…。」

を助け起こしながら、赤くなったその頬に無意識に触れようとして、瑛はハッと思いとどまった。

「ゴホン…ほんとバカなヤツ。」

彼女が立ち上がったので、つないでいた手もさりげなく離す。

「ありがと。」

「あぁ、いや…うん。」

どうしたことか、両頬に妙な熱を感じる。
それをに悟られたくなくて、瑛は体ごとあさっての方へ向いた。

「え〜と…。あ、そうだ、展望ブリッジにでも行ってみるか。」

「あ…うん。わたし、高いところ大好き!。」

「あ〜、バカの高のぼりか。」

「え、ひっどーい、さっきからバカバカって。」

が抗議の声を上げているが、瑛は先にどんどん歩き出した。

───顔を見られたくなくて。






その後は何事もなかったかのようにいつもと同じような時間が流れ、
夕刻になって何となくまた、この砂浜に戻ってきたのだが。

(しまった、寄り道する場所まちがえた…。)

何もなかったフリをして歩けばよいけれど、昼間のことが思い出されて、やはりどこか気まずい。

『帰ろうか。』

がそう言ったのは、同じように気まずさを感じたからなのか、それともただ単に夕刻になったからなのか。
その真意はわからないが、もう少しこのままの時間を過ごしていたいと感じていた瑛には、
少しばかり酷な言葉だった。

(煉瓦道あたりにしとけば良かったな。)

「…送っていくよ。」

「え…。あ、うん、ありがとう。」

ごく自然に言葉が出たが、そういえば今まで送って行ったことなどなかった。
いつものように別れようとしていたのだろう、は一瞬戸惑った様子を見せたが、すぐに嬉しそうに笑った。

「………。」

その笑顔を見ていると、彼女は全く何も気にしていないようにも見える。
安心する一方で、なんとなく物悲しくなるのは何故だろう。

「はぁ〜…。」

思わずため息が漏れる。

「どうしたの、瑛くん、疲れた? そういえば今朝もなんか変だったし…わたし一人で帰れるよ?」

気を遣っているらしいが、思い切り的を外している。

「……おまえ、幸せなヤツだな。」

思春期のオトコゴコロも意外とフクザツなのだ。






☆   ☆   ☆






「あ、わたしの家ここなの。送ってくれてありがとう。」

他愛無い会話をしながら歩いていたが、ふと立ち止まってそう言った。

「あぁ、そっか…。いや、どう致しまして。」

「じゃ、また明日、学校でね。」

「ああ。……あ、あのさっ。」

手を振りつつ門をくぐろうとしていた彼女を、思い切って呼び止める。

「ん?」

「あの…またどっか…行こう、な。」

「……?うん。」

は頷きながら、すこし首をかしげた。
これまでも何度か、今日みたいに一緒に出かけて来たのに、
今日に限ってこんなことを言うのは変だと、自分でも思う。

けれど。

今朝出会った、赤城とかいう男の顔がチラついた。

「あのさっ。ショッピングとか行きたかったら、付き合ってやるから。」

だから、ひとりで出かけるなよ。
ヘンなヤツにつかまると困るから。

こちらは心の中でつぶやく。

「う、うん。……?」

「約束だからな。」

「瑛くん、やっぱり今日は変だね。」

がくすくすと笑った。

「うるさい。」

気恥ずかしくなった瑛は、くるりときびすを返した。

「……じゃ、な!」

駆け出しながら、後ろに向かってヒラヒラと手を振る。

「うん、またね!」

その背にの軽やかな声が響いた。




(またね…か。)

角を曲がってから足を緩めた瑛は、その言葉を心の中で繰り返してみた。
赤城が今朝、に言ったものよりもずっと現実味のあるその言葉に、優越感とほのかな幸せを感じる。

「来週は森林公園にでも行くかな…。」

そこで昼寝をしたい、と言ったら彼女は怒るだろうか。

(…って、を誘って昼寝するのか? う〜ん、やっぱり今日の俺、なんか変かも。)

夕日はいつの間にか沈み、茜色に染まった空は天頂へ向かうにつれ、
オレンジから青、濃紺へとグラデーションを描いている。

(夏の花火大会もいいなぁ。)

美しく彩られた空を見上げて、ふとそんなことを考える。

夜空に咲く色とりどりの大輪の花。
少し遅れて響く打ち上げ音。
縁日のざわめき。

髪をアップにした浴衣姿の彼女。

(浴衣か…あいつどんなの着て来るかな?)

まだ3ヶ月も先の話で、約束をしたわけでも浴衣を着てくると決まったわけでもないのに、
考え始めるとなんだか気分が浮き立ってくる。


だがその時、唐突にメールの着信音が鳴った。

(誰だよ。)

無理やり現実に引き戻された瑛は、不機嫌そうに携帯を取り出すと、無造作に開いた。

(え。)

からだ。
慌てて本文を開く。

『今日はごめんね。でも相手が瑛くんだったからいいかな〜なんて。だから気にしてないでね。
それから、今度は瑛くんから誘ってくれるのかなぁ。楽しみに待ってます。
追伸:もしかして…やきもちとか?(笑)』

「……は?」

なんだこのメールは。
何が言いたいのかさっりわからない。

(………。)

いや、わからないこともない…かもしれない。

それにしても、たぶん昼間の事件のことを言っているのだろうが、
「瑛くんならいいから気にするな」とは、どう解釈すればいいのだろう。

「こっちはずっと気にしてるんだけど?」

瑛を男として意識していないということか、それとも逆の意味の…。

「…って、なに考えてんだ俺。」

頬が熱くて汗が出てきた。
ともあれ、もっとわかりやすく言って欲しい。それに…。

「やきもちって何だよ、やきもちって。」

『バカ。』  ──送信。

瑛は一言だけ返信すると、携帯をパタンと閉じた。

けれど。

「やきもちか…。」

当たらずとも遠からず、なのかもしれない。
赤城に宣戦布告されてから、対抗心がむくむくと首をもたげているのを感じる。

「やきもちで結構。はば学のヤツなんかに負けてたまるか。」

今は自分の方が断然優位に立っている。このまま突っ走るのみだ。

瑛は、手にしたままの携帯を見た。
は何と返信してくるのだろう。
返信してこなかったら、明日、後ろからこっそり近づいて、誰にもわからないような早業でチョップを食らわせてやる。

振り返ったときの彼女の表情が楽しみだ。

噴出しそうになるのをこらえながら、再び空を見上げると、
先ほどより僅かながら紺色が濃くなった夕空に、一番星が輝いていた。


明日もいい天気になりそうだ。



〜fin〜





2話目からこちらは少しばかり、二人を取り巻く景色を意識して書いてみました。
昼間から夕方にかけての海、暮れていく夕刻の空。

刻々と色を変えていく海と空、そして瑛の心の変化、ということで、
「海と空と心にグラデーション」です☆
(普段つけるタイトルはわりと適当なんですけどね、これはちょっと凝ってみたv)


これを書き終わったときは、これだけの短編のつもりだったのですが、
話の中で瑛が言った「花火大会もいいなぁ〜」というセリフを馬鹿正直に受けて、
ついつい続きを書いてしまいました(笑)

そのうちこちらにもUPしますので、またご覧いただけると嬉しいです☆

( サイト掲載日 2008.12. 1 )