新しい扉
早春。
まだ雪はそこここに残っているが、よく見ると雪の合間から小さな芽が覗き始めている。
龍神の神子によって穢れを祓われた京は、新しい季節を迎え、清浄な気に満たされていた。
少しずつ強くなり始めた日の光と、微かに優しさを含んで通り過ぎていく風が、この身を暖かく包み込んでいる。
────まるで神子のようだなと思う。
この暖かな風は、眠っていた草木の意識を呼び覚ます。
呼び覚まされた草木はやがて、蕾を膨らまし、新葉を茂らせ、花開かせることだろう。
そんなふうに、自分に感情を与え、生きる喜びを教えてくれた彼女と、
これからの人生を共に歩いてゆける喜びを今、素直に感じている。
「泰継殿ではありませんか。このようなところでお会いするとは、お珍しいですね。」
振り向くと、泉水が緊張混じりの笑顔を見せて立っていた。
「ああ、このような場所は得手ではないが、どうしても外せない用向きがあったゆえ・・・。もう退出するところだ。」
この者も変わったなと思う。
以前は、このように自分から声を掛けてくるなど、考えられなかった。
人の言葉に敏感に反応する様子は変わらないが、以前よりも自信というものを身に付けつつあるらしい。
「そうですか。お役目ご苦労様です。ところで神子はお元気ですか?」
泉水が心もち笑顔を和ませながら、問い掛けた。
龍神の神子としての役目を終えた彼女は、泰継と共に生きるためにこの世界に残った。
今はまだ、紫姫の屋敷にいるので、泉水も会いに行こうと思えばいつでも行けるのだが、
泰継に対する遠慮があるらしい。
「ああ。問題ない。神子としてやることがなくなったゆえ、退屈だと時折不平を言っているが。」
泰継は、微かな苦笑まじりに答えた。
その様子を見ていた泉水は、少なからず驚かされた。
以前ならば、『そのようなこと、自分の目で確かめればよかろう。』などと冷たく言い放たれ、
会話も何もあったものではなかったが、神子との絆は、泰継を少しずつ人らしく変えているようだ。
本音を言えば、泰継は未だに苦手な相手ではあるが・・・。
「そうですか。では何か気晴らしになることをして差し上げれば・・・。」
とりあえず、社交辞令的に話してみる。
「気晴らしか・・・。」
神子にとって気晴らしになることで、自分にできることとは何なのだろうか。
泰継はふと考え込んだ。
「そうですね、例えば・・・笛などお聞かせしてはいかがでしょう。」
彼のそんな様子を見ながら泉水は、深く考えずに口にした。
しかし・・・。
「笛? それはおまえの得意分野であろう? 私にはそのような才はない。」
「あ、いえ、その・・・」
わずかに睨まれて、泉水は少し焦った。
「そ、そうですよね、で、では歌を贈って差し上げるというのは・・・。
神子に対する想いを言の葉にのせて・・・。」
何とか取り繕わねばと、咄嗟に口にしたが、言ってからしまったと思った。
「・・・・・。翡翠ならば得意であろうな。」
声のトーンが心なしか冷たい。
「も、申し訳ありません・・・。 あ!馬で遠出されては!? 神子は快活な方ゆえ、きっとお喜びに・・・。」
完全に墓穴を掘った。
「泉水。喧嘩を売っているのか?」
それは、勝真の十八番だろう。
泉水の心の中を「ひええええええ〜〜〜」という文字が覆い尽くした。
感情を消し去った表情の泰継ほど、コワイものはない。
和んだ雰囲気も束の間、すっかり以前のままの「天地の玄武」。
人並みに会話できる日は、まだまだ遠いらしい。
「泰継さん、どうしたんですか。」
泰継は、ここへ来てからずっと、憮然とした表情を続けている。
どうも何か気に食わないことがあったらしい。
それにしても、以前なら喜怒哀楽の「喜」も見せないが「怒」もめったに見せなかったのに。
一言で言えば、「何考えてんだかさっぱりわかんない人」だった彼が、
少なくとも自分の前では、感情表現をしてくれるようになった。
泰継本人には自覚はないらしいが、自分と出会ったことで彼が変わっていくのだとしたら、素直に嬉しいと思う。
でも、せっかくいろんな表情を見せてくれるなら・・・・。
「泰継さん、お顔、コワイですよ。」
花梨はすっと泰継に近づくと、その頬を両手で挟み、ふるふると擦った。
「み、神子!? 何をする・・・!」
いきなり目の前に、どアップで現れた花梨に泰継は狼狽した。
つぶらな瞳、細い顎のライン、そして形の整った唇。
「は、離せ・・・!」
微かに頬が熱を持つ。それを見せまいと、泰継は横を向いた。
「泰継さん、照れてますね?」
「照れる・・・?」
横を向いたままで、花梨の方にチラッと視線を投げると、彼女はにっこりと笑いながらこちらを見つめている。
・・・全く、この娘には適わない。
こんなふうに、一体どのくらいの、人としての感情というものを教えられただろう。
泰継は、無意識のうちにくすりと笑っていた。
「うん! その方が数倍素敵!」
花梨が胸の前でパチンと手を合わせながら、にっこりと笑った。
春を予感させる日差しが優しく降り注いでいる。
その日差しを受けて、庭の隅や木々の陰に残る雪が、時折きらりと光る。
「神子、笛の音は好きか?」
そんな庭に目を遣りながら、泰継がふと問い掛けた。
「笛・・・ですか?」
いきなり何を言い出すのだろう。
花梨が首を傾げていると、泰継はゆっくりと振り向いて、更に問い掛けてくる。
「他の姫たちのように、男から歌を贈られたいと思うか?」
「う、歌・・・?」
そりゃあ、素敵な恋歌を贈られたら嬉しいだろうとは思うが、現代人の自分としてはやはり、
歌や文で愛を囁かれるよりも、本人と一緒に過ごしているほうが数倍楽しい。
だが、花梨の答えを待たずに、泰継は更に問いを重ねた。
「では、馬は?」
「・・・・は???」
笛と歌は何となくわかるが・・・馬??
一体どういう脈絡なのだろう。
「あの・・泰継さん? もう少しわかりやすく言って欲しいんですけど・・・。」
「わかりやすく? 私はただ単に好きか、と尋ねているだけだが?」
た、確かにそうかもしれないが・・・。
いや、そうじゃなくて・・・・。
しばらく頭を抱えていた花梨は、問いを変えることにした。
「じゃあ、泰継さん。どうしてそんなこと聞こうと思ったの?」
どうして・・?
今度は泰継が言葉に詰まった。
そういえば、笛や歌や馬が好きかなどと言うことは、本当はどうでも良いことだ。
何か、神子の気晴らしになることをしてやりたい。
神子の喜ぶ顔が見たい。
枝葉を取ってしまえば、それがすべてだ。
「私はおまえに何をしてやることができるのだろう。おまえが私に与えてくれる喜び、それはかけがえのないものだ。
だから私も、おまえにこれと同じ喜びを与えてやりたいと思う。」
「や、泰継さん・・・。」
どうしてこの人は、こんなセリフを、こんなにもさらっと言えるのだろう。
そして、何の混じりけもない無垢な瞳で、なんてまっすぐに見つめてくるのだろう。
胸の奥がドキンと音を立てた。
「神子、どうした・・・?」
花梨の内面の変化に、泰継が敏感に反応してくる。
「な、なんでもないです!」
今度は花梨が赤くなる番だった。軽く口を尖らせてそっぽを向く。
そして・・・。
そのまま、先程の泰継の言葉を胸の中で抱きしめてみる。
(泰継さんが私に与えてくれる喜び・・・。かけがえのないもの・・・。)
それは─────。
「泰継さん・・・。いま私が一番欲しいもの・・・何か教えてあげましょうか?」
花梨があさっての方を向いたまま、ぶっきらぼうな調子で言う。
だがそんな外見とは裏腹に、彼女の気は相当に乱れている。
人並みな言い方をすれば、「動揺している」とでも言い換えるのだろうか。
とはいえ、その「動揺」を必死に隠そうとしている様子なので、
泰継は、黙ったまま彼女を見つめていた。
「・・・あ、あの〜・・・?」
その沈黙をどう取ったのか、花梨がバツの悪そうな顔で泰継を振り向いた。
「どうした? 教えてくれるのではないのか?」
泰継は、きちんと正座をし直し、背筋を伸ばして花梨を見つめている。
「・・・す、隙がない・・・。」
「隙・・・? 何の話だ。」
「い、いえ・・・。えーとですね、私がいま欲しいものは・・・。」
もうやけくそだ。
「泰継さん。」
「なんだ。」
「・・・だから、泰継さん。」
「・・・・?」
やはり、というかなんと言うか・・・予想通りの反応である。
こうなったらもう、行動で示すのみ。
花梨はくるりと泰継の方に向き直ると、いきなりその胸に抱きついた。
「だから・・・・泰継さんが欲しいの!」
「・・・・・。」
何が起こっているのか理解するのに暫く時間を要した。
ふと気が付くと、花梨が自分の胸に顔をうずめて、幸せそうに目を閉じている。
「うん、泰継さんの香りがする・・・。」
別に、このように触れ合うのが初めて、という訳ではない。
だがその時はいつも、泰継が花梨をそっと引き寄せる形で抱きしめていた。
こんな風になんの前触れもなく、彼女の方から抱きついてくるなど予想外の出来事だ。
「!!・・み、み、神子、何をする・・・!!」
突然のことに驚いた泰継は、思わずのけぞり、後ろに手を伸ばした。
だが、ちょうどそこにあった几帳の裾に手をついたため、身体を支えるはずの手が床の上をすべり・・・。
ガッシャ〜〜ン。
花梨に押し倒される格好で、几帳もろとも倒れこんでしまった。
「こ、こら、神子! 離れろ!」
Illustration by はな様 (花めぐり)
したたかに打った後頭部に手をやりながら起き上がろうとしたが、
どういうつもりか、花梨は泰継の衣にピッタリとくっついたまま離れようとしない。
「泰継さん・・・こんなふうに、毎日、くっついたまま『おやすみなさい』って言えたらいいね。」
泰継の胸に顔をうずめたまま、花梨がぼそっと呟く。
「神子・・・?」
「私が泰継さんに望むのは・・・笛でも歌でも馬(?)でもなくて・・・そういうものです。」
つまり、泉水でも翡翠でも勝真でもなく、この自分を欲してくれる、ということ・・・。
几帳の中に埋もれたまま、泰継はそっと花梨の背に手を回した。
「・・・・神子、では私の庵で共に暮らすか?」
特に意識してはいなかったが、いずれはそうなるだろうと漠然と考えていたことだ。
その時期が少し早まったと思えば良い。
その言葉を聞いてやっと顔をあげた花梨が、頬をわずかに紅潮させて、こくんと頷いた。
「泰継さん・・・。」
「ん?」
「幸せに・・・なろうね。」
「ああ・・・。」
押し倒された格好のまま、その頬を手で包み、ついでに耳に指を伸ばして鼓膜をふさぐと、
泰継は彼女の唇を引き寄せた。
───────甘い香りがする。
その時、ばたばたと足音が近づいてきた。
「神子さま、何やら大きな物音がしましたが、どうかなさ・・・・ひゃ!?」
泰継が、閉じていた目をそっと開き、横目で様子を伺うと、
慌ててやってきたらしい紫姫が、部屋の入り口で呆然と立ちすくんでいた。
「あ・・・し、し、失礼致しましたーーー!!」
顔を真っ赤にした彼女は、次の瞬間ハッと気を取り直すと、ものすごい速さで引き返していった。
(コケなければ良いがな・・・。)
紫が去ったのを見て、花梨の耳にかけていた指と、そして唇をそっと離す。
「神子、いや、花梨。続きは私の庵に越してきたから・・な。」
頬を赤らめた花梨が、恥ずかしそうにゆっくりと頷いた。
「これはこれは、泰継殿。そちらから歩いてきたということは、神子殿の所からの帰りかな?」
「こら、話を逸らすなよ!」
聞きなれた声に顔を巡らせて見ると、四辻の角で土塀にもたれて、にっこりとこちらを見ている翡翠と、
その彼に何やら文句をつけているらしい勝真の姿が目に入った。
「だから、硬いことは言いっこなしにしないか? 私たちの仲じゃないか。」
「気色悪い言い方をするな! それに今の俺は八葉ではなく、京職として言ってるんだ!」
どうやら、治安に引っかかることをした翡翠を、勝真が見咎めているところだったらしい。
暫く二人を眺めていたが、押し問答で決着がつきそうにない。
泰継は、無視してその場を離れようとしたが、ふと思いつくと懐から形代を二枚取り出し、小さく呪を唱えた。
そして、彼らの方へヒュッと投げる。
するとそれらは、空中でみるみる形を取り、二人の上に落ちた。
「・・・? なんだい、これは・・・。」
翡翠が珍しく、きょとんとした表情でそれを見つめている。
「見てわからぬか、筆と紙だ。それで歌でも詠め。揉め事ばかり起こしていては幸せにはなれぬぞ。」
「幸せとは・・・。君の口からそのような言葉が聞けるとは思ってもみなかったよ。」
泰継の行為の意味を半分だけ理解した翡翠が、おかしそうにくすくすと笑った。
「だが、泰継殿。私は良いが、彼にこれは・・・どういう意味があるのかな?」
翡翠の視線の先には、後頭部と背中を馬の蹄に押さえつけられて、ぺっちゃんこになった勝真がいた。
「おーい、勝真殿。生きてるかい?」
「元は紙だ。問題ない。」
泰継がしれっとして言う。
「や、泰継・・・てめえ・・・俺になんか恨みでもあんのか・・・。」
顔を泥まみれにした勝真が、やっとの思いで起き上がった。
「勝真、おまえはその馬で遠乗りでもして来い。今の私には、『歌』も『馬』も必要ないのでな。・・・では失礼する。」
泰継は、くるりと踵を返した。
「ちょ、ちょっと待てーー!」
勝真が何か喚いているが、別に感謝の言葉を貰おうなどとも思わないので、その場を後にする。
それにしても、なんだかとても気分がいい。
花梨、この感情はなんと表現すれば良い?
・・・・・・優越感?
ああ、たぶんそうなのだろう。
彼女が越して来るのなら、庵も少し手を加えておかねばならぬな・・・。
泰継は、傾きかけた陽の中を北山へ向かって歩き出した。
〜fin〜
久しぶりの泰継さんメインのお話でした(^^) 私にしては珍しく、こじんまりと纏めることが出来たかな♪ それは良いのですが、仲良し玄武組を書きたいと常々思っていたので 泉水さんにご登場いただいたのですが・・・ なんでああなるのかしら・・・(;;) またしても、泉水さんにはごめんなさい〜です/// 次こそは、仲良し玄武組を・・・!って前にも言ったような(苦笑) 泰明さん激LOVEのはなさんへの捧げモノですが、「2」キャラメインサイトなので、 泰継さんで書かせていただきました(^^; 5555キリリク創作でした☆ (2004.3.1) 追記:イラストは、はなさんにこの話を読んでもらって描いて頂いたものですvv 捧げ物といいつつ、コラボ創作になってしまいました♪ はなさん、ありがとうございましたvv |