第44回日本SF大会HAMACON2レポート

 

 今回の大会は、7月の16日(土)と17日(日)の二日間、2000年のZERO-CON以来5年ぶりに横浜で行われた。
 前回の岐阜に続き都市型の大会であるが、2007年のワールドコンを2年後に控え、運営方法などにワールドコンの方式を導入している、云わばワールドコンの予行演習的な大会でもある。

行程

行程であるが、3連休のうちの2日を使っているため、終了の翌日は一日の余裕がある。という訳で、ここ最近のコミケでの東京行きから車で行くのは予想以上に楽であるという事に気が付き、今回は横浜までを車で行く事になった。
なお、SkyRay兄さんと一緒の行動であるため、15日の夜に大阪のベースキャンプへと移動。16日の午前3時過ぎにガソリンを補給して奈良方面より京滋バイパスを経由して、名神・東名での横浜行きとなる。ちなみに、所要時間は会場であるパシフィコ横浜のあるみなとみらい地区まで6時間少々、9時半ごろには無事到着した。
ちなみに、駐車場はパシフィコでなく近場の\1500/日の駐車場。パシフィコの駐車場は30分\250である為に、一日止めると怖いことになる。
燃費を考えながら2500回転程度に抑えるようにしていたので、途中での給油はせず。恐らくは16km/Lはいっていると推測。

会場到着

会場に到着すると、一階では献血の受付をしているものの、残念ながら限りなく徹夜に近い状態の上、朝飯も足柄で月見(今ひとつだった)を一杯手繰っただけなので、下手に血を抜くと途中で落ちそうなので流石に献血は無理。残念ながらそのまま受付列に並ぶ。

トラブルがあったのか受付開始も遅れ気味だし、今回はいろいろとありそうな予感。そして、受付の時にタイムテーブルがまだできていないとの発表がある。困ったものだがトラブルがあるとなんかワクワクしてしまう。
で、受付を済ませた後、スーベニアブックを確認して企画をチェックすると、オープニングまでの時間にディーラーズルームをチェックしてみると、やっぱり宇宙作家クラブのブースには都築由浩氏が。少し車のお話をして、いつもどおりに
裳華房のポピュラーサイエンスを一冊購入する。
その後、もう出ていたコミケカタログを購入したりしているうちに時間になったのでメインホールへ。

オープニング

実行委員長の挨拶により始まるが、投影された画面に表示されたエラーもそのまま投影され、会場中の笑いが止まらない。

そして、大会前より告知されていたオープニングアニメコンテストの大賞作品が今回のオープニングアニメとして上映される。しかし、なんというか、真面目に作っているし、アニメとしての出来も良いんだけど、なんというか開始のつかみとしては弱いというか。かのDAICONFILMは言うまでもないし、一発ネタ的な短いけど参加者を爆笑させたゆ〜こんのウルトラQ風の映像のほうがオープニングとしては強かった。
上映終了後、ゲストオブオナーである野田昌宏氏・水野良氏・福井晴敏氏による挨拶が行われた。
続いて、オープニングアニメコンテスト及び星雲賞の授賞式へと移行するが、その前にいつもおなじみの暗黒星雲賞の説明がされる。とりあえず、今回は自由部門でタイムテーブルだろうけど、エンディングの授賞式ではあんな結果となるとは。
そして、準備の後にオープニングアニメコンテストの授賞式が開始される。
実行委員長より発表があったが、今回応募があったのは2本、しかもその一つはアニメではなく特撮。予想上に少ない
次は星雲賞の授賞式。今回から葉書だけでなくWebよりの投票も開始したのだが、それにより3割ほど投票率が上がったという。

自由部門
ノンフィクション部門
アート部門
コミック部門
メディア部門
海外短篇部門
海外長編部門
日本短篇部門
日本長編部門
ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展日本館展示
前田建設ファンタジー営業部
新海誠
川原泉 ブレーメンII
プラネテス
シオドア・スタージョン ニュースの時間です
グレッグ・イーガン 万物理論
飛浩隆 象られた力
笹本祐一 ARIEL
受賞のコメントもいろいろあったが、オチになるのが笹本氏のフロリダからのコメント。
「全20巻が完結し、それが星雲賞長編部門という望み得る最高の賞をいただいて、やっと自分の居場所が出来たような誇らしい受けしい気分で一杯です」という言葉とともに「人生最高の晴れ舞台にそこにいないという忸怩たるものがありますが、しかし星雲賞をすっ飛ばしてもシャトルの取材に引っかかっているのが世間が期待する笹本でしょう。とアメリカの凄い食事に耐えております」とのメッセージに会場は爆笑に包まれる。だから、星雲賞の授賞式でギャグを飛ばすとエンディングの時に…
そして、代理で受賞された編集の方のコメントは「笹本先生がロケット打ち上げに奔走するようになって、原稿の発信場所が内之浦だとか種子島だとか途中の中継基地の福岡空港とかいろいろな場所メールや連絡が入ってくるようになったが、ついに代読の原稿がまでがアメリカから届こうとは夢にも思わなかった」と。なんてお約束な…
最後に、去年お亡くなりになられた矢野徹氏が、ファンとしてプロとして精力的に活動していたという事で、星雲賞特別賞を受賞された。
とりあえず、まだ柴野拓美賞の授賞式があるもののここでメインホールを出る。

押井守「立喰師列伝」を語る!!

16日14時からのコマでは恐らく特に混みそうな企画であったが、見やすい席を確保することが出来た。
企画は、大森望氏を司会にして開始されたが、まずは出演者の紹介。押井守監督、山田正紀氏、沖方丁氏の紹介となる。ちなみに、押井監督は別として、全員が出演者であるとの事。
そして、SF大会用に作られたイメージ予告編のような映像が上映されるが、これは使えるスチルカット用の素材を編集して作ったもので、音楽は川井憲次書下ろし。
なお、この映像は後日公開される事になるが、メイン出演者は小説の立喰師列伝と同じでそれ以外にも押井監督の知人などの関係者が多数出演し、監督の飼っている犬や猫も出演するらしいという事が判明。
上映後、立喰師の事の話となるのだが、ヤッターマンの頃に初めて出したもので、アウトローの象徴であり、市民社会の埒外にいる人間たちであるが、それをはっきりと意識したのは「紅い眼鏡」において「立喰禁止法」なる法律を作り月見の銀二というキャラクターともに立喰師を作ったのが始まりともいえるとの事。
その後、「立喰師列伝」についての企画を立ち上げ、企画書を出したものの読んでももらえないという状態が続き、「THEスニーカー」で小説が連載されたことで動き始めたという。
ちなみに、丁度イノセンスの上映時期に立喰師列伝の単行本が発行され、イノセンスのキャンペーンのなかにこれが入っていたのだが、曰く「元々択捉経済特区のシーンでトグサとバトーが肉まんを立喰しているシーンがあったので、関係なくもない」と。つまり、道端で飯を食っていたらそれは立喰であるという。
そんな冗談も含めながら、押井監督は戦後の空気が残る時代を生きていたので、傷痍軍人や主人を戦争でなくした母子家庭が普通にあり、そんな「道端で飯を食う」という言葉をキーワードに押井監督が見た戦後史を描くというのがテーマであるそうだ。
そして、この映画は戦後史を描くだけでなく、監督自身の個人史としてこれまでに知り合った人達への一種感謝の気持ちを埋め込み、なおかつ、監督の家族である犬や猫の記憶を留めるためでもあるという。
前作のイノセンスは監督の愛犬として知られているバセットハウンドのガブリエルの為の映画だったそうだが、今回はもう一頭の愛犬ダニエルの為の映画でもあり、自分の中での最大の企画でもあると。
そして、IGの石川氏からは「作れるだけありがたいと思え」と言われて、予算はイノセンスの1/20だけで公開規模も何十分の一だそうだが、監督は経済的に苦しい映画を知恵と勇気で作るのは好きで、出演者は99%を知り合いにして、ギャラは交通費と弁当代だけだという。
また、続けて立喰いのはなしになっていくのだが、押井監督や山田正紀氏が立ち食い蕎麦などのの世代であるのに対して 押井監督のコンビニにたいする屈折した思いが語られる。
昔のアメリカのテレビドラマにある、明るくて清潔で好きなものを選べるスーパーというのが夢を見て大きくなったのに、今好きなものが買えるコンビニに行っても面白くもない。その愛憎の念が深く、それを食い倒してぶち壊したいという思いから立喰師を生み出し、作中で出てくる「ハンバーガーの哲」や「フランクフルトの辰」などであり、何気なく行く立ち食い蕎麦屋やコンビニにも戦後を生きた日本人のさまざまな想いがたぎっている。そして、立ち食い蕎麦の湯の中には怨念がグラグラたぎっていてその湯でゆがいた蕎麦を食っている。という想いを感じて欲しいと、独特の切り口で語る戦後史についての押井監督の想いが伝わってくる。
そして、また製作の話となるが、本来はビデオシリーズとしての企画だったのが、プロデューサーの都合により映画として作られることとなった。それは何故かというと、シリーズを作るより映画一本でカタをつけた方がダメージが小さいからだという。しかし、押井監督は交換条件として低予算ながらもフィルムで作る事にして、アーカイブとして残せる作品にした。そして、映画にする事で、出演者を集め易かったという効果まであり、出演するスタジオジブリの鈴木敏夫氏は、オールヌードまで披露したとの事。
その次は、出演者からの製作現場の話となるのだが、スチルカットを素材としてデジタル加工するものなので全員の写真を撮るのだが、山田正紀氏は待ち時間が非常に長かったのに撮影時間5分で終わったという言葉に大森氏は待ち時間はほとんど無かったというと、押井監督は主役級ほど準備に時間がかかるとフォローを入れる。
そして、ここで森岡浩之氏が出演者であるからといって登場する。ちなみに、役は牛丼の牛五郎の手下で体重(スケール体重)から選ばれたという。
他にも、丁度会場にいたSFJAPANとアニメージュの大野編集長が登場する。役柄はテキ屋だそうだが、あとから見てみると、テキ屋を演じていたのは殆どが雑誌の編集長だそうだ。更に、ここで、押井監督からの「グラビアページで取ってくれるんだよね」の言葉に、8月発売のアニメージュにこれが掲載されると発表される。
そして、ここで、9月発売のアニメージュにパブリシティDVDが付くので先ほど上映された映像を収録すると突然決定されるが、JASRACにお金を払えないので、川井さんには今回の曲は登録しないでくれとどこまで冗談なのかわからない言葉まで飛び出し、更には押井監督にイノセンスの解説の原稿催促までしていった。
また、製作状況についても話に移るが、技法的にはミニパトに近いそうなのだが、スチル写真をデジタル加工して動かすというアニメーションなので、生命感のない実写映画を見ているような不思議なものになって一種異様な迫力があるとの事。また、現在は撮影したブルーバック画像のブルーを抜いているのだが、ソフトで自動的にはまだ出来ないので5000枚以上を人海戦術で処理しているという。
また、予算が無いというので学生を動員したり、撮影スタジオに東京造形大学を借りており、そのお礼として講演を行ったなどの話が出る。
そして、ここからは出演者に対してプレッシャーを与える話となるのだが、まだこれから編集で生き残るかどうかはこれからだけど、それは出演者の貢献次第、沖方さんは奥様だけの出演だったらどうしようと冗談が出てくる。ちなみに、沖方丁氏は奥さんと出演したそうなのだが、なんと、沖方丁氏はドラクエの衣装、奥様は劇中の映画ポスターという事でセーラー服での撮影だったと暴露される。
その後、押井監督の戦後に対する想いが語られた後に質疑応答が行われたところで、時間となり出演者全員から、コメントとして「これだけ貢献して作品を愛しているのでカットしないで下さい」という陳情で終了した。

野田昌宏が語るテレビ裏話

1日目最後の枠は、野田昌宏氏と「ノッポさん」こと高見映氏によるテレビ製作の裏話。
まずは、野田氏と高見氏の関係の話となるのだが、野田氏と高見氏の年齢差が一つというのを知る。そして、野田氏から見た高見氏がどんな人かという説明が、進んでいくが、「ノッポさんがしゃべった日 」の中で、野田氏の事をボスと呼んでいた事を書かれていたことから、野田氏が偉い人と若い人からも尊敬されるようになったとかも。
そして、高見氏からは、原稿を書く中での信頼に足る人が野田氏であるという話となり、そこから、番組制作についての話となる。
かつて、野田氏は「子供に歌謡曲を歌わせる」ということから低俗番組といわれていた「
ちびっこのど自慢 」を手がけていたのだが、「セサミストリート」がNHKで放映された頃にフジテレビでも作ろうとして、野田氏が白羽の矢を立てたのが高見氏だという。しかし、高見氏曰く、いろいろな脚本家やタレントを使ってもなかなか決まらなかったが、たまたま他の会社で作っていたビデオを、野田氏のところに持っていた人がいた事が出会いとなったというのが真相との事。
ここで、野田氏が仕事をする心構えとして、「才能がある人が目の前にいるのならそれをパクる位の精神が無ければ成功できない」と言い、高見氏をはじめとして優秀な人物を集めることが出来たからこそ、ポンキッキは成功したと言う。
また、製作時の話へと戻るが、高見氏が始めて会った時にポンキッキの試作ビデオを見せられた時に高見氏は「つまんねぇ」といって表情をしていたのだがばれていたという話や週の後半を「できるかな」に費やして週の前半を「ポンキッキ」に使っていたのだが、ポンキッキの3枚か4枚の原稿を5本書くのに15日を使ったけど、野田氏に原稿料を値切られたという高見氏の発言に、野田氏は「値切ったけどね」と言い会場は爆笑。ただし、これには続きがあり「1本あたりは値切ったけど3本の原稿を5本分に水増しして」と言う。また、高見氏は原稿製作の為に原稿料以上の資料代を費やしたが、その原稿は野田氏相手の真剣勝負であり、野田氏が笑ってくれれば成功で、野田氏はいつも笑ってくれた。と言うと、景気付けや元気付けの為に笑っても、高見氏にはすぐにばれてしまう。というのが野田氏の弁。
また、高見氏は野田氏相手だから仕事が出来たのであって、野田氏がプロデューサーを降りてから原稿を書くのが面白くなくなって、高見氏もポンキッキの仕事を辞めたという。
その他にも、高見氏の生い立ちへの話や、原稿を書く時の話等、ただの裏話ではなく、仕事をするための心構えなどの話へと続き、ノッポさんのタップダンスが披露されたりと、とても貴重な90分であった。

1日目終了後

1日目終了後、駐車場へ車を取りに戻りホテルへ。
ホテルはかのヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテル。贅沢この上ないが、単純に駐車場の料金を考えると大して変わらないというかこっちのほうや安く付くという理由でしかないけど。
とりあえず、ホテルの入り口のところで駐車場について聞こうとすると、ドアボーイの人が兄さんの座る助手席を開けようとするが、やっぱり失敗する。こういう車でホテルの玄関に乗り付けるのが悪いのか、ドアボーイが知らないだけなのか。多分前者だろうけど。
チェックインをして部屋に入ると、豪華な部屋には驚くばかり。海側で景色もいいし部屋も広いし、値段だけの事はある。でも、落ち着いて荷物を広げるとどこでも同じように巣を作る悪癖は変わらない。
そして、部屋から下を見ると、ドンブラコンの為にやってきたマリーンシャトル号と沢山の参加者が。ちなみに、兄さんは船が駄目だと言うので参加は断念。「キティーホークはひびきクラスの船なら大丈夫だけど」と残念がる。と言いつつも、考えてみれば足柄のSAで蕎麦を手繰っただけなので、どちらも空腹であるが、食事については何も考えておらず、なんとなしに「中華街へ行こうか」とみなみみらい線で中華街へ行く。
ちなみに、私は横浜中華街については何も知らず、兄さんは遥か過去の記憶にある程度なので、知らないも同然。そんな訳で、スーベニアブックと一緒に入っていた「ヨコハマ便利帳」を参考に適当に店を探して夕食。予想以上に美味い飯で満足。ただ、生のライチを買って帰れなかったのが心残り。
電車で再びホテルに戻り、そのまま就寝。

海底牧場707番地の1 海洋SF対談&707番地の2

2日目最初の企画は海底牧場707番地、JAMSTEC の西村氏を司会に小松左京氏と谷甲州氏、上田早夕里氏。 また、小松氏のマネージャーの乙部順子氏も御一緒に「日本沈没」のリメイク映画などの話を中心に行われた。
まずは、ゲスト各氏の紹介となるが、その中で上田氏の「SFでは出版社が出し辛い」という話となり、そこからSFにおけるジェンダーへの話へとだんだんずれてくれるのだが、そこからエロの話となり、小松氏が最近は「渡辺淳一を読んでも勃たないもんね」とかいうとなぜかそういった方向でなぜか話が盛り上がり、「さよならジュピター」にまで脱線しているのだかしていないのだか分からない状態に。
そして、原始地球の海洋の話へと自然と修正されるのだが、そこでお題である「日本沈没」の話へと戻る。
まず、日本沈没のリメイクについては、阪神大震災の後、文庫が再販されるとともに松竹からオファーがあり99年に公開するという動きがあぅたのだが、大森一樹監督で行うという予定が、社内の内紛で力を集中できずに実現できずにいたものの、2004年ごろから東宝配給という形で動き出しているという。
小松氏からの立場としては、基本的には原作と映画は別物というスタンスであり、21世紀版になるという事から、根本を変えるのは困るが時代の変化に伴う設定の変更やキャラクターについての変更は構わないが、不安を掻き立てるような作りではなく、災害を乗り越えていくという希望のあるものにするという事を小松氏側は求めているという。
また、当時では表現できなかったビジュアルを今回はCGをフルに使ってビジュアルイメージを広めるというのが要望として出ているそうだ。
「さよならジュピター」の頃には三菱重工が持っていたクレイのコンピューターを使わせてもらい、2ヶ月近くソフト代20万のみで夜間に学生を動員して、ミネルバのワイヤーフレームなどのCG製作に使用していたという裏話や、昔出たばかりの16bitコンピューターを借りていて最近まで使っていたという話まで出てくる。
そして、当時は殆ど気にされていなかった「日本が沈むと韓国はどうなるんだ」という疑問から、韓国側の地質学者などとの交流がある事から、小松氏が小野寺俊夫役に草g剛を提案したのが、プロデューサー側からもイメージと案外良いという結論に達し、決定したという。
更に、甲州氏からの質問として「旧作では小松先生は出ていたけど今回は出られるのか」という問いに「作家クラブの何人かに出て欲しいという要請がある」という乙部氏の答えに、小松氏が「谷甲州は出るよ」と追い討ちをかける。更に小松氏の、甲州氏がとある作品を書いているという発言に対して、甲州氏はうろたえる。
他にも、上田氏からのリクエストとして「ハイパーレスキュー隊員として出演する柴咲コウとの絡みでレスキューロボットを出せないか」という発言が出る。上田氏が神戸育ちというのもあるそうなのだが、関西では今レスキューロボットの関心が高くデモなどを行っているが、まだ技術的にまだまだというものが多く、ここで理想的なレスキューロボットの形を提示して開発者や一般人にも提示し、一般へのアピールとして開発を推進できるように映画で出して欲しいという意見が出てくる。あの地震を体験した方の視点としてもっともな意見だ。
そして、ここで日本が沈没のメカニズムという話となるのだが、地殻を構成する岩の質から日本を沈めるのは難しいがという話になり、地殻の図を見ながらのどのようにプレートが動いていくかという説明の中で、もし日本が一度沈んでしまっても、また隆起していくという説が出てくるなど、海洋地質から見た説明というのは面白い。
また、ここで「わだつみ」は出るのかという質問が出たのだが、「しんかい6500」のような有人探査艇ではなく、「かいこう」のような無人探査艇を出すとの事。他にも、JAMSTECが日本沈没の製作の話を知って、理事長の命令で司会の西村氏が日本沈没に地球深部探査船 「ちきゅう」を売り込んだという裏話や、探査艇として「しんかい6500」を使いたかったのだが、6500はフル稼働状態なので退役した「しんかい2500」吊り下げ金具がなかったり、台車がなかったりするのでJAMSTEC全面協力でいろいろとやっているという。ただ、石油価格の高騰や予算が無い事から「ちきゅう」を動かすのは…というようなどこかで聞いた様な話も。
他にもさまざまな話が出たのだが、あらゆる話題に対して精通する小松氏は、2001年の大会でもそうだったのだが本当に驚くばかり。
終盤は殆ど小松先生のお話となったが、時間となり1コマ目は終了した。
なお、最後に出た話だが日本沈没の第二部が進行中であるという発表がされた。
続けての企画では、西村氏とゲストの甲州氏による地球深部探査船 「ちきゅう」の開発秘話と運用に関する話が行われる。
まもなく就役という話なのだが、運行会社のゴタゴタや他の船に搭載されている同型のデリックが落下するという事故により、承認が得られず、やっと工事が終了したばかりなのだが荷重試験ができないというなんだか危なっかしい話も出てくる。
船についてはその掘削部等の話がメインとなるが、掘削中の石油やガスなどの噴出や爆発等への事故への対策として、掘削部付近での作業者は5人程度でり、居住部や他の区画とは独立しているなどの説明となる。
他にも、掘削部の櫓については、将来的には増設を考えている為のスペースがありこれが実現するとマントル層までの到達が可能となるそうだが、その為にはあと100億程かかるとか。
他にも、探査時の制御については、アンカーを使わずに6基スラスター制御で海底と繋がっているのはドリルパイプのみだけど、石油価格の高騰で運行経費が…という話や、深度1000メートル以下ならアンカーを使ったほうが安い等のこの手にはつき物の話が出てくる。
また、非常時についての対策をどうするかという話では、脱出艇の位置や、居住区を最前部、機関部を最後部に配置する事で居住区画そのものをシェルターにするなどの、他では出てこない質問と答えが出るのがSF大会らしい。また、深海から地層への掘削時に問題となる圧力の問題などの説明が続く。
続いては、船内設備の説明となり、掘削したサンプルのラボはP2レベルの防護が行われているという話になるが、実際の石油掘削では白亜紀時代の地層まで掘って石油などを掘り出しているし、深海の地層の中には結構水が出入りしているので、それ程危険なものではないのではないかという話も。
また、その他の居住区については大きさの割りに狭いものだそうで、なぜそうなったかというと当初の設計時にはもっと小さいものだったのが、設計中に大柄の掘削機が出現した事により船も大型化したものの、予算的な問題などからあちこちに無理が出ているとか。
また、他にも1ヶ月間陸地の見えない所での業務となったり、二交代制で1ヶ月の仕事となるので船内は完全な禁酒である等、中で働く人に対してはなかなか過酷な環境らしい。
そして、最後に西村氏の掘ってみたい場所が熱水噴出孔下の地殻であり、何故かという説が発表されたところで時間となり、終了した。
前田建設ファンタジー営業部 特別プレゼンテーション
最後の企画は、マジンガーZの格納庫の設計見積もりを行い、星雲賞ノンフィクション部門を受賞した前田建設ファンタジー営業部の特別プレゼンテーションである。
いきなり「建設会社がこのような壇上に上がると『許すな圏央道』とか『ノーモア超高層』とか辛い立場のことが多いのでこのようにフレンドリーな皆様の前でお話しするのは慣れていない」とウケを取る。メットをかぶってのトークにこういったウケの取り方をするとは、なかなかの芸人っぷり。
まず、ファンタジー営業部の説明であるが、よく聞かれる事として「ファンタジー営業部は実在の部署なのか」「前田建設は実在する会社なのか」という質問が多く、どっちも実在か架空かと思われている事が多いという。ちなみに、会場の近所にある高層マンションは前田建設の施工物件だと紹介された。
そんな話もあったが、ファンタジー営業部の目的として、思い描いた21世紀との差と物づくりの面白さ・建設業界の談合等の悪いイメージの払拭・そして、前田建設の技術力や実績のアピールと他社との差別化を図るとの事である。
なお、ファンタジー営業部の部員は社内有志5人による自主活動であり、世界観を壊さないという約束で版権元の了解を得、建設以外については他社を巻き込んで行っているという。
「題材についてはファンタジーに、解決方法は現実的に」という事から現在の技術がどれだけ現実に近づいたかを検証していっている。
そして、これまでの経緯や出版についての説明が行われた後に今回のプレゼンテーションが行われた。
今回の内容は「銀河鉄道999発射台の設計検討と見積」
なぜ、999にしたかというと、若い世代からは「マジンガーZが分からない」という意見があり、第一弾よりも少し年代を新しく(1973年から1978年)にする事で少し若い世代をターゲットにしたものの、すでに999もクラッシックになっていたというオチが。また、前回は掘削土工であったので、今回は地上に作るものとして建設の花形である橋を選定。他にも前回の一般向けから専門職をやや強めにして、同業者からも一目置かれるようなものにする。そして、アニメファンだけでもなく鉄道ファンにもアピールするという目的で選定したという。
しかし、999のメーテルの絵を東映から買いたかったからという真の目的もここで明らかに。
ちなみに、現実においても、999編を作成中に前田建設は香港のストーンズカッターズ橋を受注し、世界最長(1600m)の斜長橋を日立造船や現地の建設会社による共同作業で建設しているそで。これまで言われていたダムの前田からの得意分野の拡張をを図るというアピールがされる。
そして、ここからが設計についての話となっていくのだがここで検討する場合のルールが示された。
原則としてあくまでも現実的な施工方法を用いる
1.透明な材料は使わない
2.他の星の設定は使わない(地球のみ)
3.キャプテン・ハーロックのアルカディア号を重機代わりに使わない(惑星ロボダンガードAも)
4.銀河鉄道物語(2004年)の設定は使わない
これは、検討中にあまりの細さにアクリルなどで補強したいという誘惑に捕らわれたものの、これをやるとなんでもできるのでやらなくなってという。また、地球以外の惑星を使うと混乱してしまう為。999にはハーロックが出てきたりクロスオーバーしているので世界観を壊しはしないけど、反則なので使わない。そして銀河鉄道物語は版権元が違うので使わないという事をルールとして検討していくという。
それにしても、要所要所でウケを取っていく。
そんなこんなで、実際の検討が開始されていくが、これらは前田建設のホームページでも公開されているので詳しくは参照していただきたい。
それにしても、ホームページの記事でも工法等の説明がされているが、実際に説明をしながらのプレゼンテーションなので、実に分かりやすい。それにそこで上手く得意や分野の技術アピールも入っており、実際の業務で説明をしているからこそ、ジョークを交えたプレゼンテーションができるのだろう。
また、ここで明らかになったのはレール部分の設計に関して出てくるJR東日本の石橋忠良氏という方は、阪神大震災の時に落ちた桁をもう一度載せても良いかという判断を下し、中越地震で破損した上越新幹線の復旧の陣頭指揮を取ったというトップ中のトップで、話を通して貰って若い人を紹介してもらおうとしていたのに、全部この方が答えてくれたという。ちなみに、ファンタジー営業部に出てこられたのは業界的にはセンセーショナルな出来事だったとか。
他にも、現在香港で999の実写化が進んでいるそうで、もし制作費と見合ってここで受注が取れればファンタジー営業部も遊んでいるばかりじゃなく会社からも認められると、ウケを取ってきたり。
そんな訳で、施工方法の説明と見積もりが完了した。
そして、このファンタジー営業部の活動による反響とその他の活動についての話となるが、「マジンガーZ編」の出版の後、土木学会誌にでも紹介されたのが、土木業界なのに一番最後だったとか、韓国語版が出版されて、翻訳はどうするのかという問題のほかテコンVの格納庫見積もり依頼の話があったりしたという。
他にも、新入社員説明会で学生から質問があったり、SF大会だけでなく大学などからも講演依頼などが来たりもしている。勿論、こちらではもっと専門的なところに突っ込んでいるそうだが。
それ以外のファンタジー営業部での活動として、「ガンダムエース」等での記事を書いたりしているそうである。
最後に、今後の展望と空想科学と技術の距離という話となるのだが、現在ホームページで進行中の「グランツーリスモ4編」の他、グッズ製作等も行っている。
また、今後のプロジェクトの選考ポイントとして、皆がよく知っていてすぐに思い浮かぶものの中から、建設業で現在の技術+αで出来、なおかつ版権がクリアでき他社とかぶらないものを考えていかなければならないそうだ
その中から、若い世代向け・土木ではなく建築・女の子向け作品や実写というのがポイントであるという。
なお、リクエストのあったサンダーバード基地やガンダムのジャブロー等は版権の問題でアウトになっているとの事。
そして、ファンタジー営業部から見た空想科学と技術の距離というものが示されて終了した。

クロージング

企画も全て終わり、あとはクロージングということなので、メインホールへ。
メインホールに入ると、丁度マスカレードの表彰式が始まったところ。発表によるとマスカレードの参加者は6組だったそうで。どうやら、実行委員会賞は、音響トラブルにより迷惑をかけたマジカルエミのコスプレをされている方へ贈られる事になったらしい。ちなみに、商品はマスターグレードのパーフェクトジオング。
そして、ゲストオブオナー賞も大人の事情で選ばれたそうだが、ここで野田氏が見もふたもないボケをかましてくれるので会場は混乱する。で、受賞したのは「ふしぎ星の☆ふたご姫」のコスプレをしている姉妹。というか、毎年おいしいところを持っていっているような…
ここで、参加者が6組という事から、残る4組に審査員による個人賞が贈られる事になるが、やっぱり大人の事情が出てきたり。
福井晴敏氏からの賞は、ローレライのコスプレをしている二人に、贈られ賞品は亡国のイージスのポスター。
水野良氏からはゲームデザイナーという事もあり、FFのコスプレをしている方に。賞品はFF11オンラインに水野氏がプレイしているキャラ名を添えて贈られた。
野田昌宏氏からは、「参加者の住所が昔通っていたフジテレビの場所の近くで心に引っかかったから」という理由で贈られたが、ここでまたボケをかますので、また混乱と爆笑に。ちなみに、受賞された方はアップルシードのコスプレで、野田氏からガチャピンのムックのメダルが贈られた。
そして最後に、実行委員長賞は大人の事情で選ばれた方(何のコスプレかは分からない)に贈られた。
なんだか、いろいろな意味でネタっぽかったような気も。
マスカレード授賞式が終わるとクロージングへと突入。まずは、シール企画賞の授賞式であるが、三連覇のはず。
そして、暗黒星雲賞の受賞。今年は横浜という事もあり赤い靴が賞品となっていた。
部門別では、企画部門がタイムテーブルに贈られる。という訳で、責任者として実行委員長が受賞した。
ゲスト部門は来なかったゲストとしては初受賞であろう笹本祐一氏が受賞した。勿論、星雲賞と暗黒星雲賞の二冠である。
コスチューム部門では、司会のお姉さんこと毛利摩生さんが受賞。オープニングではナデシコ映画版のルリのコスプレで、クロージングではステルヴィアのコスプレを披露するだけでなく、トラブルに対しての臨機応変なフォローと司会がウケを取ったからというのもあったからだけど、その中に一つふとももというのがあったそうで。
そして、自由部門でもタイムテーブルが受賞という、世にも珍しいダブル受賞となった。
最後の幸運部門は、時刊新聞社の方が受賞されたが、流石に時刊新聞社だけあって、ステージに上がるや取材をする辺りが楽しい。ちなみに、この方はWikipediaの暗黒星雲賞の項目を書き込んだ方だそうだ。
続いて、センス・オブ・ジェンダー賞の発表、オールタイムベスト地球・海洋SF賞の発表が行われた後、2006年に行われる第45回日本SF大会「ずんこん」の説明が行われるが、ここで司会のお姉さんにらいねんのスタッフ申込書が贈られる。
そして、2007年に行われる第46回日本SF大会にして世界SF大会の案内が行われた後、ゲストオブオナー諸氏と実行委員長の挨拶により本大会は終了した。

帰り道

帰りは、花火大会があるためにみなとみらい地区の道路が18時で閉鎖される。という訳なので、終了後即座に車へと戻り、みなとみらいを出発、横浜青葉ICへと向かう。
といっても、大阪を出てからガソリンを補給していないので途中で補給しないといけないのだが、行きは幾つもあったのに帰りはガソリンスタンドがない。それに、帰りにあるスタンドは結構高いので悩むが、うちの近所にあるスタンドと比べればまだ安かったりするので、背に腹は変えられず給油。
給油後更に高速道路へ向かって動くが、道路は渋滞しており、何をトチ狂ったのか町田への転進を決定。しかし、市内全域が渋滞しているようなものであり、結局は青葉から乗った方が早かった。
横浜町田より東名に乗った後、港北PAでこの日最初の食事。ラーメンセットを食うが悪くない。
その後、一路大阪へと向かって走り続けるが、兄さんに「お前疲れてきているぞ」という指摘があったので150キロほど走ったところで交代。
新城PAで運転を交代したところで、中間目的地である上郷SAで、SB直営店のカレーを食し、更に西進。草津PAで最後の交代をして、午前2時頃に大阪へと到着した。
なお、私はここで力尽きたので兄さんの部屋で一晩寝たうえで、昼頃に兄さんの部屋を出発して帰還した。ちなみに、帰りの燃費は結構加速で踏んだりしたけど、16.5km/Lを記録した。燃費としては最高記録。
さて、来年のずんこんは宮城県松島。流石に距離が遠いからどうなることやら。

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