NO.132  2009年   12月

(ま)
 アーティストのオノヨーコさんは東洋の文化は「間(ま)」の文化だとおっしゃっています。
(朝日新聞 11月25日夕刊)
     会話の中に途切れる時間があるのです。
     「あなた、このコートどう思う」 「・・・うん いいね」
     答えが返ってくる前に「間」ができる。
     突然コートのことを考える前に、まず自分の世界
     から抜け出なくてはならない。その時、「間」が
     出来るのだ。
      それが東洋のリズムだ。これが西洋なら、
    「あなた、このコート・・・」といっただけで
    「いいね」と返ってくる。
      だが今は東洋も西洋もなく、世界全体がスピードの
     社会だ。
     ・・・・・・・・・
 「間(ま)」とは、音と音との間、また動きと動きの間をいいます。すなわち無音の状態とか静止の状態を
指しています。音楽や踊りではリズムを生み、お芝居などでは余韻をつくるといいます。
 お笑いの世界でも間が大切です。漫才や落語では、間の取り方によってボケとツッコミの絶妙なやりとり
が生まれます。間が悪いとどんなにネタがよくてもおもしろさが無くなってしまいます。故桂枝雀が小米と呼
ばれていたころ、阪急電車の中で、閉まっているドアに向かって一人で一生懸命しゃべっているのを見か
けたことがあります。その枝雀師匠の持論は「緊張の緩和が笑いを生む」でした。緊張と緊張の間の緩和、
すなわち「間」が笑いを生むということでしょう。
 また、お芝居や踊りでも「間」は演技者の互いの間合いや呼吸となっています。間がうまく整うと全体が
メリハリの利いたものになります。逆に間が悪いとその舞台は台無しになってしまいます。それを「間抜け」
といいます。ところで「メリハリ」は緩和と緊張のことです。これは枝雀師匠の持論に似ているように思いま
す。

 スイスの哲学者マックス・ピカートは、著書『沈黙の世界』で次のように言っています。
   「もしも、言葉に沈黙の背景がなければ、言葉は深さを失ってしまうであ
    ろう。」
   「人間の言葉は沈黙から出て、沈黙に還る」
「沈黙」と「間」はいささか違いますが、両者ともただ何もない状態という消極的なものではなく、受けて渡す
というきわめて積極的な時間空間であり、次の音や言葉そして動作を生むための大切な時間空間なのです。
 さて、オノヨーコさんは「人間の鼓動は都会のスピード社会には合っていない、自然の鼓動に合っている。」
と言っています。なるほど、日本だけに限らず世界の音楽のリズムを拾ってみると、その地の自然と強く結び
ついているように思います。動物の駆けるようなアフリカのリズム、ハワイアンの波のようなリズム、草原の
リズムなど・・・。
 しかし、IT社会にはゆったり流れる時間がありません。静止することは許されません。直ぐに答えを出さなけ
ればなりません。会社はスピードに乗り遅れると大損します。今の都会にはリズムがないように思います。
 最後に彼女は次のように締めくくっています。
    「私たちの鼓動は大自然のリズムに合っていたのだ。だから強かった。
     スピードを尊重する社会から、間を尊重する世界に変わっていくこ
     とで世界が救われることになるはずだ。」



NO.131  2009年   11月

心もよう
 仏教では生ある世界には六つあるといわれ、それを六道といいます。その六つの世界は上から順に、
「天上界」、「人間界」、「修羅界」、「畜生界」、「餓鬼界」、「地獄界」です。
   「天上界」 六道の中の最上位で天人の住む世界。苦もほとんど無く長寿
        でいられます。天を飛ぶこともでき、何の不足もなく毎日が享楽のうちに過ごすことができます。
ただし「天人の五衰」とい
 って、寿命尽きる前には五つの衰えがあって、その苦しみは地
        獄の苦しみ以上だとも言われています。
   「人間界」 私たち人間の住んでいる世界。四苦八苦の世界ですが、一方
        人生の喜びを感じ取れる世界でもあります。
   「修羅界」 阿修羅の住む世界。苦しみや怒りによって、絶えることなく
        戦いや争いが起こっています。
   「畜生界」 畜生、すなわち動物たちが住む世界。本能と欲望だけで生き
        ている世界です。自分の力で仏の教えを聞くことはできません。
   「餓鬼界」 餓鬼の世界。餓鬼は腹の膨れた鬼です。自分の欲を満たすこ
        とが永遠にできず、飢えと渇きに苦しみ、常に物を貪り続ける
        のです。
   「地獄界」 悪業をなした者に、壮絶な苦でもって罪を償わせるための世
        界。その苦で一度命を落としますが、また生きかえり永遠に何
        度も同じ苦を与えられます。
 中国天台宗の開祖である智(ちぎ)は、六道にさらに四つの境地を加えて合わせて十の世界(十界)を考えました。六道を迷いの世界とすれば、追加した四つの世界は悟りの境地で、それぞれ「声聞」「縁覚」「菩薩」「仏」となります。

   「声聞しょうもん」 仏の説法を聞いて自利(自己の解脱)を求める境地。

   「縁覚えんがく」  師無くして一人で真理を覚(さと)る境地

   「菩薩」      悟りを求めて修行し続ける人。自利だけでなく利他
             を求める境地

   「仏」 この宇宙のすべての真理、本質、実相を悟る境地
 
 智はその十界のそれぞれにはさらに「地獄」から「仏」までの十の心の境地が具わっていて、それが人の心模様をつくっていると考えました。たとえば私たちは人間界に住んでいますが、自我が強くなると名誉を欲し、他人を押しのけてでも出世しようとします。物事がうまくいかないときは、他人の成功を妬んだり、うっぷんを晴らすため周りの人たちにあたったりします。また逆に、こころの余裕があるときは、困っている人の気持ちに寄り添い、手助けになろうとすることもあります。このように周りとの関わり合いのなかで、私たちは自分の本能や欲望のおもむくままに「餓鬼」や「修羅」の状況になったり、また時には慈悲の心を顕し、「菩薩」になったりもします。その時々の心の持ち方や生の状況が、それぞれ背負っている立場や場面で変わってくるのです。
 9月の松燈だよりで「一切唯心造」すなわち「この世の本質をただ心がすべて造っている」ということをお話ししました。私たちの人生も同じです。人生の色どりはその人の心模様かもしれません。けばけばしい色彩のはでな模様、暗くうねりのある模様、明るく楽しい模様などを経験し。そういった模様が時が経つにつれ、渋みのある静かな落ち着いた色模様になっていきます。
 天野 忠さんの詩に「しずかな夫婦」というのがあります。一部紹介します。
    結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。
    とくにしずかな夫婦がすきだった。
    −−−− 略 −−−−
    戦争は終わった
    転々と職業をかえた
    ひもじさはつづいた。貯金は使い果たした。
    いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。
    貧乏と病気は律儀な奴で
    年中私たちにへばりついてきた。
    にもかかわらず
    貧乏と病気が仲良く手助けして
    私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。
    子供たちは大きくなり
    思い思いに デモクラチックに
    遠くへ行ってしまった。
    どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって
    夫婦はやっともとの二人になった。
    三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。

    −−−− 略 −−−−
    
    


NO.130  2009年   10月

ほとけのいのち 
 
 塔和子さんの詩「胸の泉に」を紹介します。

  かかわらなければ
    この愛しさを知るすべはなかった
    この親しさは湧かなかった
    この大らかな依存の安らいは得られなかった
    この甘い思いや
    さびしい思いも知らなかった
  人はかかわることからさまざまな思いを知る
    子は親とかかわり
    親は子とかかわることによって
    恋も友情も
    かかわることから始まって
  かかわったが故に起こる
  幸や不幸を
  積み重ねて大きくなり
  繰り返すことで磨かれ
  そして人は
  人の間で思いを削り思いをふくらませ
  生を綴る
  ああ
  何億の人がいようとも
  かかわらなければ路傍の人
  私の胸の泉に
  枯れ葉いちまいも
  落としてはくれない



 塔和子さんは昭和四年(1929)愛媛県に生まれましたが、14歳のときハンセン病(癩病)になり国立療養所大島青松園に入園しました。ハンセン病は皮膚がおかされ、症状が進むと末梢神経障害により知覚、運動障害がおこります。また外見上、顔面・手足の変形や潰瘍、異臭、失明などを伴います。
 映画「ベン・ハー」のなかで、主人公の母と妹が獄中でハンセン病にかかりライの谷に送られて、洞窟の中でひっそりと暮らしていたのを思い出される方も多いと思います。ハンセン病は古くから不治の病、いまわしい病として恐れられ、世界的に偏見や差別の対象となったのです。
 日本でも明治42年(1909)「癩予防に関する件」として法律が施行され、患者を隔離収容する目的で、大島療養所(現在の国立大島青松園)をはじめ全国六カ所にハンセン病療養所が建てられました。昭和6年(1931)には「癩予防法」が成立して、すべての患者を発見して原則として生涯隔離することになったのです。入所すると偽名を使い、患者の過去や家族がわからないようにしました。患者が亡くなっても、その遺骨が故郷に戻ることもありませんでした。
 1940年代後半から、特効薬プロミンが使用されるようになり、さらに数種の抗生物質も使用されるようになって、もはや不治の病ではなくなりましたが、法律上、患者は療養所に入所して治療を受けなければなりませんでした。そのため偏見や差別はなくなりませんでした。
 ある療養所では健康な子供が地元の小学校に入学する際、就学を反対する数百人の父母から罵声を浴びる事件もありました。「治る希望が出てきた矢先、世間の差別の厳しさを改めて見せつけられた」とそのときの関係者は語っておられます。(2009年9月29日付 朝日新聞朝刊記事より)
 「癩予防法」が廃止されたのは、それから50年以上経った平成8年(1996)になってからです。やっと隔離政策がなくなったのですが、この病に対する誤った知識は根強くあり、偏見や差別はまだ無くなっていません。人権問題も発生しています。また、完治している高齢者は、家族が無かったりして一般社会での生活が難しく、介護も必要であったりするなど、いまでも多くの人が療養所での生活を余儀なくされています。そのため「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」(ハンセン病問題基本法)が今年の4月に施行されました。療養所が地域に理解され、地域に開かれたものにするための法律です。最初の法律が施行されて100年目にあたります。
 さて、このような偏見、差別に合いながら、塔和子さんは療養所で歌人赤沢正美氏と結婚し、その影響で作詩という創作活動を続けてこられました。塔さんは「詩は生きることそのもの」だとおっしゃっています。確固とした信念とたくましさを感じます。
 「胸の泉に」は「かかわり」の大切さを語っているように思います。ひとりでは人生がはじまりません。他との「かかわり」をもってこそすべてが生まれます。良いこともあり、悪いこともあり、そこ(人生)から逃れることはこころを失うことにつながります。
 よく似たことばが、道元禅師の『正法眼蔵』「生死」にあります。
   「この生死はすなわち仏の御いのちなり。
    これをいとひすてんとすれば、
    すなわち仏の御いのちをうしなはんとするなり。
    これにとどまりて、生死に著すれば、
    これも仏の御いのちをうしなふなり。

(この人生は迷いや苦悩の連続であるが、これは仏のいのちである。
    これをいやがって逃避することは、仏のいのちを失うことになる。
    また、何もせずただ生きているだけでは、これも仏のいのちをうしなうことになる。)
 また教典には、「一切衆生 悉有仏性(しつうぶっしょう)」
    (すべての人はだれでもほとけのこころをもっている)
とあります。塔和子さんの「胸の泉」とは「仏性」なのでしょうか。
 塔和子さんのハンセン病は23歳で完治しましたが、現在もその後遺症とパーキンソン病のため大島青松園で闘病生活を送っておられます。
(参考:  http://www.k4.dion.ne.jp/~poet/img686.pdf
「仏教の思想6 無限の世界観<華厳>」角川文庫ソフィア)


NO.129    2009年    9月

一切唯心造
 お盆のおまいりや施餓鬼法要でよく唱えられるお経に、次の偈文があります。
  「若人欲了知 三世一切仏 応観法界性 一切唯心造」
   (にゃくにんよくりょうち さんぜいっさいぶ おうかんほうかいしょう
    いっさいゆいしんぞう)
 これは華厳経のなかにある一節です。破地獄偈(はじごくげ)または唯心偈と呼ばれ、地獄の苦しみからも救済することのできる呪文とされてきました。これについては次のような故事があります。
 昔、中国の洛京に王明幹という人がいました。戒律を守ることにも頓着せず、すすんで善行をするということもなく過ごしていました。あるとき病に伏し亡くなってしまいました。行き先は地獄でした。地獄に連れられて地獄の門まで来ると、そこに一人の僧が立っていました。その僧は地蔵菩薩でした。地蔵菩薩は明幹に「若人欲了知・・・・」の偈文を教え、何回も唱えさせました。そして、「この偈文を唱えることができるようになったら、地獄の苦しみから解放されるであろう」と明幹に告げました。
 いよいよ閻魔大王に会うときがきました。閻魔大王は明幹に「おまえは生前に何か功徳になることをしたか。」と尋ねました。明幹は「ひとつの四句偈を唱えることができます。」といい、地蔵菩薩に教えられた偈文を大きな声で唱えました。閻魔大王は感心して明幹を許し、元の世界に返すことにしました。そのときさらに、明幹の声を聞くことができた地獄の人たちもみんな地獄の苦しみから解放されました。明幹は死後三日にして蘇ることになり、ある寺の法師にこの話をしたところ、この偈文は華厳経の一節であることを教えられたのです。その後の王明幹は華厳経を信奉し、まさしく人として生まれ変わったといいます。
(http://homepage3.nifty.com/huayan/doctrine/yuisinge_y.htmより)

 さてこの破地獄偈はどのような意味があるのでしょう。訓読しますと次のようになります。
「若し人、三世一切の仏を了知せんと欲せば、
   まさに、法界の性を一切唯心が造ると観ずべし。」
 ここで三世とは過去、現在、未来のこと。また法界とは、この宇宙とその本源をいいます。意訳すれば次のようになるでしょう。
「もし人が過去現在未来のすべての仏を知りたいなら、
    まさにこの世の本質をただ心がすべて造っていると知るべきです」

 この偈文がどうして破地獄偈になったのか、実のところよくわかりません。
しかし、「私たちの心がすべてを造っている」ということはこの世の真実の一面であるように思います。
 すべてを造る「心」はどこにあるのでしょう。昔は心臓と考えられていましたが、現代医学では頭のなかの脳がそれに当たります。心の働きは脳の働きなのです。例えば、ウインドショッピングをしていて「この服がいいなあ」と感じたりします。「でも今月はいろんな出費が重なったから買うのは我慢しよう」と考えます。このような行動の選択は大脳の二つの領域によって行われていることがわかっています。食べる、眠る、怒るなどの欲求や感情は大脳辺縁系という領域によるもの、「我慢しよう」「頑張ろう」などの検討や行動の修正は大脳新皮質の領域の働きです。この二つの領域の相互作用とバランスで私たちの行動が決められているのです。もし強いストレスが働くとそのバランスが崩れて「心の病」を生じることにもなります。
 実際はもっと複雑でまだわからないことがたくさんありますが、最近は脳の働きを画像で見ることができるようになり、いま脳科学の進歩はめざましいものがあります。うつ病や統合失調症など心の病の治療に大きな役割を担っていくと期待されています。
 さて、もとに戻りましょう。私たちはこの娑婆世界で生きています。いろんな外的要因などが煩悩を生み、四苦八苦しながら生きています。なかには生活苦、病苦、家庭問題などで大きなストレスをかかえ、どうしようもなくつらい思いから将来を悲観して、自死を選ぶ人達もいます。自殺者は毎年3万人を超えて大きな社会問題となっています。これを「苦は心(脳)の働きによるもの」と一言で片付けることはできません。しかし、ストレスや苦悩の原因となる要因がどうしても取り除けない場合、心の負担を少しでも軽くすることによって一線を思いとどまることもできます。そのためには人とのつながりを日頃から大切にし、何でも話し合える環境をつくっておくことが大切です。
 「一切唯心造」。この世の中は心が造ったもの、仮の世界です。しかしその世界に私たちは実際に生きているのです。幸せな気分で見るときと憂鬱な気分で見るときとでは、同じ空の青さもまったく違います。心のもちようで、仮の世界の見え方が変わります。
 

NO.128    2009年   8月

盂蘭盆
 お盆は正式には「盂蘭盆(うらぼん)」といいます。サンスクリット語(インドの古い文語)の「ウラバンナ」
を中国で音をとって漢字に当てたものです。それは逆さに吊されることをいいます。中国では「倒懸(とう
けん)」と訳しています。手足を縛って逆さまに吊すことですから、大変な苦痛を伴います。昔は罪人の拷問
にも使われたそうです。
 「懸」という字は「縣」と同義で、「吊り下げる」や「ひっかかる」などの意味があります。とくに「懸」は下に
「心」がついていますので、「こころに吊り下げる」、「こころにひっかかる」など心の状態を表しています。
 たとえば「懸解(けんかい)」は「逆さまに吊されたものが解かれることで、苦しみがなくなること」、「懸懸
(けんけん)」は「心が落ち着かないさま、動揺するさま」などです。
 松原泰道師は「法句経入門(祥伝社)」のなかで、「倒懸」は「倒見」とおなじで、「逆さまにものを見ること」
そしてそれによって生まれる苦しみのことであるといわれています。
 多かれ少なかれ、私たちは心当たりがあるのではないでしょうか。他人が厚意でしてくれていることや、
その人のためと思って助言してくれることを、素直に受け取らず逆にひねくれた感情をもって悪い方に思い
込んでしまう。それは厚意の主にとっても本人にとっても大変不幸なことです。それで人間関係がぎくしゃく
し、苦悩が生じます。
 法句経に次の句があります。
        世には
    見れども
    見ざるものあり
    よく観るもの少なし
    網を逃れる鳥の 少なきがごとく
    こころの安らぎを
    得るもの少なし

 「世には見れども見ざるものあり」とは「見ていてもそれが見えていない」ということです。多くの人は自分
への執着が強く、あらゆる煩悩によって目隠しの状態になっていて、迷いの世界に入り込んでしまっている
のです。
 このように倒懸(倒見)は自己愛から生まれます。自己愛は生きていく上で必要ですが、煩悩の一つでも
ありそれが強くなると利己的な考え方が頭を支配するようになるのです。正しい判断ができなくなります。
そうならないためにはいろんな人と、いろんな場で、いろんな話をすることが大切ではないでしょうか。見聞
を広げることによって、自分の狭さがわかり、自己愛も抑制されると思います。
 ところで、仏教の発祥の地インドなどでは雨期というものがあります。仏教徒はその時期(旧暦の4月16日
から7月15日の間)は外出せずに一室にこもってひたすら仏道修行に励みます。これを夏安居(げあんご)
といいます。
 その夏安居が明けるのが旧暦の7月15日です。この日は特に「ウラバンナ(盂蘭盆、倒懸)の苦を救う

自恣の日」といわれています。「自恣(じし)」とは「自分の思うままに、自ら」ということです。この最後の日に、
参集の僧達が、自分から進んで互いの過ちを指摘し合い、それを素直に受けとめて悔い改める日なのです。
 松原師は「お盆は人生行路の旅人が集まって、互いにコースの誤差を正しあう日」とおっしゃっています。
 一般にお盆の行事は先祖供養を第一としています。お墓やお仏壇の前で亡き人を偲び供養することは、
素直な気持ちになって過去を省みながら、人生の先輩達に向き合うという意味も含まれているのです。
(参考と引用:松原泰道著「法句経入門」祥伝社ノン・ブック 、広辞苑)

         
NO.127   2009年  7月


七夕
 7月7日は七夕(しちせき、たなばた)です。織姫と牽牛が一年に一度、天の川を渡って出会う日です。
その逢瀬の無事を祈りつつ、笹竹に願い事を書いた短冊などをつるし、私たちの幸せも祈ります。
 ところで、たなばたは「棚機」または「棚幡」とも書きました。「棚機」は棚(横板)のついた織機のことで
すが、一方「棚幡」は精霊棚にお祀りする幡を意味しています。ですから、七夕はお盆の行事の一つとも
考えられています。(現実にはいろんな風習や行事が重なって、各地方地域で独自に発展し、いろんな
形になって行われています。)旧暦の時代、お盆は七月の十五日でした。その当時、七月に入るとお盆
に向けて準備が始まりました。「盆路(ぼんみち)」「朔日路(ついたちみち)」といって、墓地から村までの
路の草を刈り、きれいに掃除をします。そして七日は夕方より精霊棚(盆棚)の準備を始めます(七日盆 
なぬかぼん)。その日ご先祖様が馬に乗って戻って来られるという言い伝えから、「七夕馬(たなばたうま)」
の人形を藁(わら)やきゅうりで作ります。精霊棚のお飾りには笹竹を立てることもあります。七日の夕刻
なので「七夕」です。
 新暦になって多くの七夕行事は7月7日に行われていますが、お盆の方は旧暦に近づけて、月遅れの
8月15日に行われるのが一般的です(東京近郊では7月15日)。旧暦の七月十五日は、新暦でいうと
8月8日ごろから9月6日ごろの間となります。今年は9月3日が旧暦の七月十五日です。沖縄では今でも
お盆を旧暦に合わせて行っています。
 さて、今年の7月7日は満月です。旧暦の五月十五日にあたります。夜の10時半頃、織姫星(こと座のベガ
)は北東の空・天頂近くにあり、彦星の牽牛(わし座のアルタイル)は東南東の空・高度45度あたりにみえ
るはずです。天の川は条件がよくても残念ながら大阪では見えません。さらに満月が南南東の空・高度
30度、いて座の近くにありますので、月明かりでその二つの星を確認することは難しいかもしれません。
 逆に、今年の旧暦の七月七日(旧七夕)は8月26日です。その日の午後十時半頃、月は上弦の月です
がすでに西に沈んでいます。はくちょう座のデネブがちょうど頭の上で輝き、織姫星ベガも彦星アルタイル
も高度60度にあり、はくちょう座のデネブとともに夏の大三角形をつくっています。もし星が満天で、その間
にうっすらと流れる天の川を見ることができたらどんなにロマンチックでしょう。日食観測ツアーもいいです
が、そんな天の川をもう一度みたいと思われませんか。

天の川 名に流れたるかひありて 今宵の月はことに澄みけり
                         (西行 山家集)

 七夕にカササギが翼を並べて二人のために天の川に橋をかけるといわれます。

かささぎの 渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞふけにける
                 (大伴家持 万葉集)

       (参考と引用:Yahoo百科事典、天文年鑑2009 誠文堂新光社)



NO.126   2009年  6月

  先日ある法事の席で質問をうけました。観経真身観文というお経の中に数回、「八万四千」と
いう数字がでてきますが、「これはどんな数字ですか」と問われたのです。私は答えられませんで
したのでその後早速仏教辞典で調べました。
これは実際の数字ではなく、それだけたくさんの「無数の」という意味だそうです。毎日称えてい
るお経なのに気づかなかったことは恥ずかしい限りです。「八万」も「八万四千」と同じ意味だそう
です。でもどうして八万四千なのかわかりません。岩波文庫の「浄土三部経(下)」の中に日本語
訳がありますが、そのまま「八万四千」と訳されています。
 その他、お経の中にはいろんな数がでてきます。たとえば、無量寿仏(阿弥陀仏)の背の高さを
「六十万億那由他、恒河沙由旬」とあります。那由他(なゆた)とは数の単位で、仏教では千万ま
たは千億に当たると言われていますが、億が10の4乗のように、一般には那由他は10の60乗
とされています。すると一那由他は1000・・・・・・・0000と0が60個つくことになります。由旬(ゆ
じゅん)とは距離の単位で一由旬は約11q〜14qです。
もし那由他を千億とすれば、六十万億那由他由旬は約8.4×10の25乗qとなります。宇宙の
年齢を150億年とした場合の宇宙の半径は約1.4×10の23乗qですから、それを600倍も上
回ってしまいます。ですから、恒河沙(ごうがしゃ)由旬とついているのでしょう。「恒河沙」はガン
ジス川の砂ということで、それだけ無数のという意味になります。
 また仏教では時間の単位に「劫(こう)」というのがでてきます。
 古い仏教書物によると、一劫は「一辺が約四十里の岩があり、百年に一度天女が降りて羽衣
でさっと一振り岩を撫でる。その摩擦によって岩がなくなってしまうまでの時間」または「一辺約四
十里四方の城に芥子粒を満たし、百年に一粒ずつ取り出してすべてが無くなるまでの時間」とい
われています。
 「阿弥陀経」には阿弥陀仏について次のようにあります。
    阿弥陀仏成仏已来、於今十劫。
  (阿弥陀仏、仏と成りてよりこのかた、今に十劫なり)
 十劫ですから一劫の十倍です。無限の昔です。
 劫に派生して日常語に永劫(えいごう)とか億劫(おっくう)などがあり、あまりにも長い時間を表
しています。億劫は「(時間がかかりすぎてやりきれないから)面倒くさくて気が進まない」となっ
たそうです。
 とにかくお経の中の数はスケールの大きな天文学的な数で表されています。おそらく古代イン
ド人の気持ちの大きさが表れているのでしょう。 

赤の他人を信頼できますか
 さて、先月は新型インフルエンザで特に近畿地方が大騒動になりました。
いつもは季節性のインフルエンザがはやっているときでもマスクをしないのに、町の中はマスクを
している人であふれ、していないと自分だけがまるで別世界の人のように感じられます。
 このように、日本人は何かがあると、みんなが右になれと同じような行動をよく起こします。寒天
やバナナダイエットがもてはやされた時もそうでした。みんなが買いに走り、商品が店頭から姿を
消してしまうほどでした。これは日本人特有のものなのでしょうか。安全に対して敏感になり、安
心を求めようとすることは誰にでもありますが、すこし集団心理が行き過ぎているようにも思いま
した。
 ところで、北海道大学の山岸俊夫さんは「アメリカ人は日本人よりも他人を信頼する。」と主張さ
れています。これに対し違和感をもつ方は多いかもしれません。「アメリカは個人主義の国だから
、自己を主張するため人と人とのつながりは弱い。」「日本は全体を重視し互いを思いやってその
つながりは強い。」と、そういう思いが私たちにあるからです。
 しかし山岸さんは「赤の他人を信頼できるか」という尺度で「信頼」というものを定義し、実際に
実験を行いました。その結果この度合いはアメリカ人の方が高かったそうです。「アメリカ人は初
対面の人に対しても友好的でフレンドリーである。」「日本人は初対面の人との人付き合いは苦
手である。」という一般的事実を考えれば、これは納得がいきます。そして山岸さんは
   日本人が身近な人を信用するのは「信頼」でなく「安心」と定義される。
   信頼と安心は対極にあり、「信用」は曖昧に使われている。
と続けられます。日本の社会で、家族、町内会、仕事仲間などの緊密なつきあいは信頼で成り立
っている部分もありますが、どちらかと言えば「はみ出したくない」「一緒にいれば安心」という気
持ちがつよいと考えられます。内輪びいきになってしまうのは、安心に頼ろうとするからです。そ
れが過ぎると、一般的信頼の成育が阻害されて排他的、閉鎖的になります。例えば会社などの
組織で、それがかえって商品などの偽装に行きついたのではないでしょうか。
 また、赤の他人を信頼する人は単なるお人好しではないといいます。別の調査によると、他人を
信頼する度合いの高い人は「人を見極める能力」のあることがわかっているそうです。これは物
事を見極める能力にもつながります。
 昨今、次々と明るみに出る、詐欺、偽装、汚職、何を信じてよいのかわからない世の中です。
「人を見れば疑え」も無理もないことですが、最初からつながりを閉じてしまうと、行く先は身動と
れない社会になってしまいます。億劫にならずに、少しでも話をすることが見る目を養い世界を広
くすることになります。
 「安心」を求めるだけでは本当の安心は得られません。信頼を築いてこそ安心が得られます。も
ちろん全体を重視する姿勢は人とのつながりのうえで大切なことです。日本人のそのよさを生か
して、内外の信頼の絆を深めることが今の社会に必要なことではないでしょうか。
 (参考と引用:「私たちはどうつながっているのか」増田直紀著 中公新書)


NO.125   2009年  5月

菩薩の目

 金子みすゞさんの詩を紹介します。
       「大漁」
      朝焼け小焼けだ
      大漁だ、
      大羽鰮(おおばいわし)の
      大漁だ。

      濱はまつりの
      やうだけど
      海のなかでは
      何萬の
      鰮のとむらひ
      するだらう。

 金子みすゞは明治36年山口県大津郡仙崎村(現・長門市)に生まれ、書店で働くかたわら、
童謡詩を書きました。
       「鯨法會(くじらほうえ)」
      鯨法會は春のくれ、 
    海に飛魚(とびうお)採れるころ。
    濱のお寺で鳴る鐘が
    ゆれて水面(みずも)をわたるとき、
    村の漁夫(りょうし)が羽織着て、
    濱のお寺へいそぐとき、
    沖で鯨の子がひとり、
    その鳴る鐘をききながら、
    死んだ父さま母さまを、
    こひし、こひしと泣いてます。
    海のおもてを、鐘の音は、
    海のどこまで、ひびくやら。

 仙崎は捕鯨で成り立った漁村でした。日本では古くから捕鯨が各地で行われており、鯨は大き
な恵みをもたらしました。そのため各地に捕獲した鯨の供養塔などが建てられています。仙崎で
は鯨の胎児の墓もあり、捕獲した鯨一頭ごとに戒名を付けていたそうです。そして、捕鯨がなくな
った今日でも毎年鯨法要が行われています。どんな命をも大切に思うこころが日本人にはあった
のです。
 調査捕鯨船に体当たりするあのシーシェパードの人たちがこの事実を知ったらどう思うでしょう。
 金子みすゞさんの詩には、みえない命に対する共感が綴られているといわれています。このよ
うな仙崎の古くからの風俗習慣に慣れ親しんだことによって、自然とみすゞさんのこころに育まれ
たのではないでしょうか。
 ちっぽけな命に対する共感は、豊かな自然に恵まれた日本の中でこそ生まれるものかもしれま
せん。

夕立や草葉をつかむ群雀(むらすずめ)  与謝蕪村

我と来て遊べや親のない雀        小林一茶

梅雨晴れやところどころに蟻の道     正岡子規

のぼりゆく草細りゆくてんと虫      中村草田男

 さて、今の私たちの世界はどうでしょう。巨大金融会社のつまづきが原因で百年に一度の大不
況と言われています。何の落ち度もなく、地道に働いていた人が突然職を失ってしまう時代です。
人と人とのつながりはうすくなり、金融の巨大なネットワークでのみ世界全体が繋がっています。
まったく金融に縁のない人たちも、いやおうなしに呑みこまれていきます。景気回復のため、大き
いものを守るための努力はされますが、小さく弱いところは取り残され、自己責任で生きていくこ
とを余儀なくされているように思います。格差社会はさらに広がるのでしょうか。
 仏教では、菩薩が衆生を救うために行う四つの方法を四摂事といいます。布施、愛語、利行、
同事とありますが、いずれも相手の気持ちに寄り添うことから始まります。決して上からの目線で
はありません。
 金子みすゞさんはその菩薩のような目をもたれていたのでしょう。残念なことに二十六歳の若さ
でこの世を去られました。
      「さびしいとき」   金子みすゞ
    私がさびしいときに、
    よその人は知らないの。

    私がさびしいときに、
    お友だちは笑うの。

    私がさびしいときに、
    お母さんはやさしいの。

    私がさびしいときに、
    仏さまはさびしいの。


    
(参考:酒井大岳著「金子みすゞの詩と仏教」大法輪閣)




NO.124  2009年  4月

いのちの歌
 法句経(ほっくきょう)に次の一節があります。
人に生まるるは難し、いま いのちあるは難し・・・」
 人としてこの世に生を受けることは難しい、そして病気、災害、戦争をくぐり抜けて生を全うしていくこと
はまたさらに難しいと言っています。
 法句経は仏陀(釈尊、お釈迦様)の言葉を集めたもっとも古い教典だと言われています。当時、平均
寿命は短く「老・病・死」と隣り合わせで生きていた時代です。だから仏陀はいのちを大切にしなさいと
説きました。
 人としてに生まれる難しさについては、「雑阿含経(ぞうあごんきょう)」に盲亀浮木の喩えばなしがあ
ります。
 海の底に一匹の盲目の亀がいて、その亀は百年に一度海面にあがってきます。そのとき浮いている
流木にたどり着けたら人間に生まれ変われるといわれています。浮き木は大海に一つです。しかもチャ
レンジできるのは百年に一回だけです。亀の平均年齢が万年としても100回ほどしかチャンスはありま
せん。ほとんど不可能としか言いようがない確率です。
 実際、地球に生命が誕生できたのはその海があったからですが、太陽からの地球までの距離が今よ
りほんの少し遠くても近くても、何十億年もの間海が水をたたえ続けることはできなかったと言われてい
ます。また、約40億年の地球の歴史の中で、人類が誕生し文明を持ったのはほんのつい最近の出来
事になります。また、地球上には気が遠くなるほど無数の生物が生息していますから、私たちが人とし
て生まれるのは本当にまれなことなのです。
 昨今100年に一度の不況といわれ、それでも現代社会は経済やモノを優先して雇用を後回しにしまし
た。生の尊さをおろそかにしているように思えてなりません。いままで順風満帆に生きてきた人ほど、空
気と同じく、そのいのちの大切さに気づかないでいるようです。それが格差社会をさらに広げようとして
います。
 「生まれてこなければよかった」とか「私は生きる価値がない」と思う人が増えているのではないでしょ
うか。
 しかし、病に倒れた人やつらい思いをした人ほどいのちのはたらきを感じ、その大切さを知っています。
仏教ではそういう人たちに対してこそ布施をすすめます。財を与えることとか、激励や説法でもありませ
ん。ただそばにいて話を聞き、そのひとの気持ちに寄り添うだけでいいのです。


        (参考と引用:「法句経入門」松原泰道著、
              「NHKこころの時代 道元のことば」角田泰隆著)

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NO.123    2009年  3月

最後の門出
 先日、映画「おくりびと」がアカデミー賞の外国映画部門でオスカーをとりました。何となく
閉塞感の漂う社会の中、久々の明るいニュースに皆さんは春風を感じられたのではないで
しょうか。
 「おくりびと」とは納棺師のことです。遺体をきれいにし、お化粧などを施して身なりを整え
てお棺に移す仕事です。
 主人公の大悟(モックン 本木雅弘)はオーケストラのチェロ奏者でしたが、突然楽団が解
散になって、失業してしまいました。大切にしていたチェロを売り払って、妻(広末涼子)ととも
に故郷の山形県酒田市に戻ります。職を探しますが、「旅のお手伝い」という見出しの仕事を
みつけます。それは「立ち」が脱けていて「旅立ちのお手伝い」、すなわち納棺師の仕事でした。高収入につられて成り行きで、その仕事をすることになります。死人(しびと)に触れるため、
自分でも恥ずかしい仕事のように感じ、またなかなか周囲の理解も得られませんでした。
 しかし、いろんな死に巡り会い、死者の思い遺族の思いに触れながら、仕事に誇りを感じて
いくようになります。身近な人の死を通じて、最初反対していた妻や友人もその仕事の大切さ
を理解するようになり、感謝の目で大悟を見るようになります。
 人生にはいくつかの転機があり、それぞれが新たな旅立ちです。入学式、卒業式、成人式、・・・。
きちっとした服装や装束で気持ちを引き締め、その旅立ちの儀式に臨みます。そしていつか
必ず訪れる死でもって、最後の儀式の葬儀式となります。もう自分で身なりを整えることはで
きません。せめて旅立ちの姿をきれいにしたい、きれいにしてあげたい。それは自然な思い
です。その大事な仕事を任されたのが納棺師なのです。
 さて、私たちが「死」を考えるのはどんなときでしょうか。日本では人の死と接することが極端
に少なくなりました。戦争もなく平和な社会で、亡くなるのも病院、自宅での葬儀もほとんど無く
なりました。ですから若く元気なあいだは「老、病、死」を考えることは無いでしょう。
しかし、年老いたり病が進行したりすると誰でも「未知の死」に対する不安がつのってきます。
「死」=自己の消滅と考えてしまうからでしょう。
 ところで、私たち僧侶は枕経のときに「発願文」を唱えます。
 願弟子等、臨命終時、心不顛倒、心不錯乱、身心無諸苦痛、身心快楽如禅定、
 聖衆現前、乗仏本願、上品往生、阿弥陀仏国


 到彼国已、得六神通、入十方界、救摂苦衆生、
 虚空法界尽、我願亦如是、発願已、至心帰命、阿弥陀仏


  (私たちが臨終を迎えるとき、心が顛倒せず、心が錯乱せず、身心に諸々の
   苦痛が無く、身心に安らかな幸せがおとずれますように願います。
   聖なる仏様や菩薩様がまのあたりに現れ、仏様の本願によって、
   阿弥陀様の極楽浄土に最良の往生ができますよう願います。

   その極楽浄土に往生することができましたら、仏様と同じ六つの神通力を
   得て、十方の世界に戻り、そこで苦しんでいる人たちを救い摂ることを
   願(ちか)います。この宇宙が尽きることがないのと同じく、私の願(ちか)いも
   また尽きることがないでしょう。
   これで私の願(ちか)いと致します。そして心から阿弥陀様に帰依致します。)

 一般に、「死」に直面すると私たちは心が転倒し錯乱します。それはおそらく先述のように、
自己が完全に消滅してしまうととらえ、その先が全く見えないからでしょう。
 仏教では発願文のように仏の国を信じ、仏の境地に至って人を救いなさいと説いています。
宗教を信じるということは来世を信じることにもつながります。来世を自然や宇宙と考えること
もできるでしょう。来世を信じることによって心が安らかになるのではないでしょうか。
 映画「おくりびと」は、「死」は終わりでなくそんな世界への旅立ちであると語っています。いま
葬儀の形態はいろいろですが、どの場合も故人にとっては大切な門出の儀式です。その人の
人生と尊厳がその一点に凝縮しており、縁ある人たちによって荘厳に送られるべきものだと思
います。
 一僧侶として心がけねばならないことに気づかされました。



NO.122    2009年  2月

いいかげん
 先月は、鎌田實さんの「いいかげんがいい」という本から紹介させていただきました。 
 「いいかげん」という言葉は、「中途半端」、「無責任」などという感じがして、あまりいい
意味では使われません。
 しかし、もともと「かげん」は「加減」で、「さじ加減」「湯加減」など、加えたり減らしたりし
てバランスよく調節することをいいます。ですから「いい加減」は「よい加減」でバランスの
とれた状態のことなのです。
 仏教で「よい加減」に当たる言葉は「中道」でしょう。 考え方が極端に偏らないことをいい
ます。その一つのたとえが仏典に次のようにあります。
 「虎の、その子をくわえるに、急なれば傷つき、緩なれば失う
 (虎が自分の子を連れて行くのに、きつくくわえると傷をつけてしまい、緩くくわえると落とし
て連れて行くことができない)
 中道とは両極端のちょうど真ん中ということではありません。また、どっちつかずということ
でもありません。バランスのとれた状態ということです。
 人生において、快楽主義と苦行や禁欲主義とは両極端にありますが、お釈迦様は、欲を捨
てなさいとは説かれませんでした。食欲、性欲、睡眠欲、金銭欲、名誉欲などの五欲は、人生
のエネルギーのもとになるからです。しかし、それに執着し目がくらむとそのエネルギーをコン
トロールできなくなり身を破滅してしまいます。また逆に、苦行し一切の欲を断じる生活を続け
ると、人生の味わいがなくなってしまいます。煩悩があるからこそ喜びや悲しみの味付けがで
きるのではないでしょうか。よい加減は大切なことなのです。

 さて、著者の鎌田實さん自身は、いつも全力投球で頑張り屋の仕事人間だったそうです。
住民が安心できる地域医療をめざし、30代で諏訪中央病院のリーダーとして走り続けました。
頼まれると断れない、24時間臨戦態勢、すべてを完璧にこなそうとする。それがしだいに大き
なストレスとなって、48歳のとき、パニック障害になりました。とにかく不安で、動悸がし、落ち
着かない。冷や汗がでる。眠れない。「あるとき、一人でいる不安から、妻のベッドに潜り込ん
だ。抱きしめられると安心した」とあります。いままで強い自分を見せようとしてきたことに無理
があったのです。自分の弱さを認め、それを見てもらったとき心がほぐれたのです。
 仕事人間であったとき、家庭とのバランスを欠いていて、娘さんから「お父さん、嫌い。」と言
われたそうです。それで、パニック障害をきっかけに、自分の中の弱さに向き合い、家族の支
えに気づくことで、妻や娘から「変わった」と言われるようになりました。
 その経験から自分自身のために、『いいかげんがいい』や『がんばらない』などの著書を書か
れたのです。日本では、とにかく頑張ることやじっと我慢することが美徳とされてきました。そん
ななかで壊れそうな人が少なくありません。鎌田さんは次のメッセージを書かれています。
  「 人生には大きな波がある。いいときもあれば、悪いときもある。つらく
   て苦しくて、いっそ死んでしまいたいと思うときもある。でも、そんな状
   態が永遠に続くことはない。やまない雨はない。絶対に、ないんだ。
   うつ病やパニック障害になったとしても、ダメな自分だとは思わないで
   ほしい。波の大きさは人によって違う。たとえ底に沈んでも、またいつか
   波に乗れる日が来る。その波を待っているんだと考えて、ゆったりとした
   気持ちで過ごすのが一番。今は休む時間だと考えればいい。」
  「 精神的にまいっていると、食事も掃除もおっくうになり何もする気が起
   きないものだけれど、そういうときこそ丁寧な生活を送ることが大事。
   ご飯と味噌汁だけでいいから、丁寧に米をとぎ、ご飯をつくってみよう。
   それをゆっくりと味わってみよう。
    精神的につらいときは、ご飯なんてどうでもいいと思ってしまう。冷凍
   ご飯をチンしてもカロリーは同じと考えてしまう。でも、つらいときほど、
   なにも考えずに無心で米をとげばいい。
    テレビのスイッチを切って窓の外の季節を感じながら、ご飯と味噌汁だ
   けのシンプルな食事をとる。すると、自然とつながっている自分のいのち
   が見えてくる。ときにはおかずなんていらないのだ。それだけでいい。た
   だ丁寧に、一日一日を大切に暮らしていればいい。」
 『いいかげんがいい』の本の帯には次のように書かれていました。
        無理しない、こだわりすぎない、
        よくばらない、つっぱらない、
        頃合いに、融通をきかせる、
        ほどほどに、


NO.121    2009年  1月

つながり
 医師の鎌田實さんをご存じの方もいらっしゃると思います。鎌田さんは東京生まれですが、
大学卒業後、長野県茅野市の諏訪中央病院に勤務されました。そして、地域の人々との交
流を通して「住民とともにつくる医療」に取り組まれました。その経験を『がんばらない』『あきら
めない』などの著書として出されています。それらは病気や障害とつきあって生きている人達
にとって、大きな心の支えになっています。
 その中で、「自然と人とのつながりを信じた男」として、八ヶ岳が好きなある男性(59歳)につ
いて書かれてありました。彼は大腸がんでした。がんが見つかってからその進行がはやく、病
状が悪化したため緩和医療を受けるため諏訪中央病院に移ってこられたのです。
 彼は人生につまずいた子供達のための更正施設の指導員です。寮での集団生活を通して
再出発を目指す女の子達の面倒をみていました。そして毎年、その彼女ら十数人を連れて
八ヶ岳に登るのだそうです。
 「何とか社会復帰させたい」、その一つのきっかけになればとの強い思いからです。彼女らを
数ヶ月特訓して体を鍛え、筋肉を強化します。すると若者らしい体がもどってきます。それから、
何人もの福祉指導員が付き添って八ヶ岳登山を決行します。
 最初はぶうぶう文句を言っていた彼女達も、急峻な山道を登るにつれ、だんだん口数が少な
くなって、黙々と登るようになります。
「自分の人生を振り返っているのかもしれない。山頂を目指す彼女たちには、まわりの美しい
景色など目に入らない。ただ足もとの険しい道を見つめながら、これまで歩んできた十数年を省
みる。文句を言わなくなった女の子たちの額から、汗がしたたり落ちる。いい汗だ」
 そして頂上に到達したとき、達成感とともに雄大な景色をまのあたりにします。大きな自然に包
まれている自分、そして大きな宇宙の中の自分を感じるのです。
 いままでこだわっていたことがちっぽけなことだと思うようになるかもしれません。
 変わる子供達は約3割だそうです。でも、立ち直れない子供達の心の中にもきっと残るものが
あるに違いありません。
 病室の片隅には、彼女達が丁寧に折った千羽鶴がつるされていました。彼を慕っていることが
よくわかります。
 鎌田さんはもう一度彼を彼女達のもとに何とかして戻してあげたいと思いました。そうすれば命
の大切さ、命に限りがあることを教えることができると思ったからです。
 残念ながら病状はさらに悪化し、その願いをかなえることができませんでした。しかし、男性の
心は彼女らに伝わったはずです。
「いのちは永久でないからこそ、丁寧に生きなければならない。あきらめなければ、人生は君たち
を見捨てはしない。人と人とのつながり、人と自然のつながり、体と心のつながりで、いのちが育
まれ守られている。」ということを。
 また、一緒に汗を流しながら必死になって伝えようとした男がいたことを忘れることはないでしょう。
 
 今、若者にとって最悪の時代なのかもしれません。環境の悪化、不安定な雇用など、ニュースで
報じられるものは先行きの不安ばかりです。しかし、それは私たち団塊の世代の責任かもしれま
せん。不安をあおるのではなく、希望を与えなければなりません。希望は将来の原動力です。それ
に必要なのはやはり「つながり」です。メールでなく生身のつながりです。定年で退職された方は
そのチャンスです。地域に出ましょう。そこから新たな始まりがあるかもしれません。
(参考と引用:「いいかげんがいい」鎌田實著 集英社)



みんな知っている
もっと美しい本当の尊いものを

愛と誠と太陽と時々雨さえあれば
あとはそんなにほしくない
丈夫な体とほんの少しのパンがあれば
上機嫌でニコニコ歩きたい

それから力いっぱい働こう
そうして決して不平を言わずに
何時も相手の身になって物事を考え
いくら辛くても決してひるまずに

どこかに不幸な人がいたら
どんなことでも力になってあげよう
もしすっかり自分を忘れてしてあげたら
もうそれできっと嬉しくてたまらないだろう

うつむいていればいつまでたっても暗い空
上を向いて思いきって笑ってごらん
きびしくてどうしても自分が惨めに見えたら
さあもっと不幸な無数の人々のことを考えてごらん

道はどんなに遠くても お互いいたわりあい
みんな手をとりあって歩いていこう
悲しいときは共に泣き 楽しいときは共に笑い
肩をくみあって 神のみ栄をたたえよう

朝お日さまが昇るときはあいさつに
今日もやりますと叫びたい
夕べお日さまが沈むときは
夕焼雲をじっと見つめて座っていたい

心にはいつもささやかな夢を抱いて
小鳥のようにそっと眠り
ひまがあったら古い詩集をひもといて
ひとり静かに思いにふけりたい

幸せは自分の力で見出そうよ
真珠のような涙と太陽のような笑いの中に
今日もまた明日も進んでいこうよ
きっといつの日か振り返って静かに微笑めるように

偽って生きるよりも偽られて死に
偽って得るよりも偽って得ずに失えと
天国からじっと見守っているお父さんに
手を振ってみんな答えておくれ「おう」と

何度ころんでもまた起き上がればいい
なーんだこれしきのことでと笑いながら
さあ、みんな朝から元気いっぱい
さわやかな空気を胸いっぱい
大きく吸いながら

 先日、アフガニスタンで農業支援のため活動されていた伊藤和也さんが拉致殺害されました。和也さんがNGOペシャワール会に入られたのは、「アフガニスタンは忘れ去られた国である」と聞かされ、その復興をすこしでも手助けをし、現地の人と一緒に成長したいと思われたからです。少しでも現地で活動している和也さんの写真を拝見すると、「みんなに」の詩がぴったり重なるように思います。


  そう考えられたときに、過去、現在、未来の三世をつなぐ久遠の時のなが
  れも認識される。                  
     仏は常にいませども 現(うつつ)ならぬぞあわれなる
        人の音(おと)せぬ暁(あかつき)に ほのかに夢に見え給ふ


  これは『梁塵秘抄』のなかでも、よく知られている歌である。仏は常にいる
  にはちがいないのだが、現実には見えるわけではない。静かにひとり心を澄
  ませば、ほのかに夢に見えるという。
   死後の世界も形のない冥漠のかなたにあるが、そこには永遠の時の流れが
  イメージされ、個々の人間の生と死も意味づけられてきた。必要なのは「人
  生観」ではなく、「死生観」である。生と死は一体であることを忘れて、
  「命は大切だ」というだけでは空疎に響くし、「自分らしく楽しく生きるこ
  と」を強調するだけでは、生き方の底が抜けてしまう。・・・略
   そのほか、いろんな事情で人生の節目が希薄になり、死生観が貧困化して
  いる。葬儀などの儀礼を否定し、仏教を形而上の「思想」として理屈だけで
  とらえようとすることも死生観の貧困につながるだろう。釈迦の戒めにある
  ように、死後の世界をあれこれと論じてはいけない。それは「感じる」もの
  であり、詩歌や儀礼の形に表されてきた。」

 チベット仏教のダライ・ラマ14世は東京で開かれた講演会で語られたそうです。
     「わたしは仏教徒ですから来世を信じます。
             そしていつでも希望をもっています
」と。
 来世は科学で論じるものではありませんし、論じることは無駄でしょう。仏と同じように静かに「感じる」ものなのです。大原のお礼参りに参加された方は、みなさん有り難かったとおっしゃって下さいました。おそらく不思議なもの、即ち仏の世界を感じ取られたのではないでしょうか。
 (参考と引用 「日本人の死者の書」大角修著 NHK出版生活人新書より)