更新2024/5/27


 

松 燈 だ よ り

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NO.306  2024年   6月号 

 つとめはげむこと
 
『ダンマパダ』の第二章より

 
 つとめはげむのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。
  つとめはげむ人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は、死者のごとくである。

  このことをはっきりと知って、つとめはげみを能(よ)く知る人々は、つとみ
  はげみを喜び、聖者たちの境地を楽しむ。

 
 (道に)思いをこらし、堪え忍ぶことつよく、つねに健く奮励する、思慮ある
  人々は、安らぎに達する。これは無上の幸せである。

  心は奮い立ち、思いつつましく、行いは清く、気をつけて行動し、みずから制し
  法(のり)にしたがって生き、つとめはげむ人は、名声が高まる。

  思慮ある人は、奮い立ち、つとめはげみ、自生・克己(こっき)によって、激
  流もおし流すことのできない島をつくる。

  ・・・・・・・・・・・

 
 
この世に人としてどのように生きていけばよいのか。「自分のすべきことを考え、自覚し、
つとめはげみなさい。なんとなくただ生きていくのは意味の無いことだ」と言っています。
欲望、煩悩を振り切って、自分の目的に向かって努力することが、幸せにつながるということ
なのです。
 しかし、そのように「つとめはげむこと」ができる強い人は、ほんの一握りかもしれません。
多くの人は煩悩やいろんな悩みのなかで生きています。解決できない問題を抱えている人もい
ます。
 なぜ人は生まれて、生きて行かなければならないのか。そして人は「生きる意味」「生きる
目的」を見つけようとします。
 精神科医で作家の樺沢紫苑(かばさわ・しおん)さんは「『人間の真の存在意義』を人間は
知ることはできない。生きる意味を探求するのが人生。生きる意味を求めて、思索を深め、行
動し、苦悶することにこそ意味があります。 そこには、必ず自己成長が起きるからです」と
おっしゃっています。
 また、機械を動かす部品に少しの遊びがあるように、人の心にも遊びが必要です。きちきち
に造られた部品では機械は動きません。人の心も同じです。心に余裕がないと、いつか動かな
くなってしまいます。そして、一人で悩まないで、誰かに助けてもらうこと、話を聞いてもら
うことも必要です。
 融通念仏の教えに「一人一切人 一切人一人」とあります。私たちは一人ではありません。
そばに支えてくれる人たちがいます。英語でも「One for all All for one」とあります。
 悩み苦悶しながら、少しの余裕ももって、苦しいときは他人に頼ることも、そして力一杯
「つとめはげみ」ましょう。




NO.305  2024年   5月号


ものごとは心にもとづく

 原始仏教聖典のうちで『ダンマパダ』という経典があります。最もよく知られた経典で、私たちが生きていうえでの心構えや指針が示されています。古代インドのパーリ語という口語的な言語で書かれているため、一般庶民には分かりやすい経典だったようです。
 「ダンマ」は「真理」とか「生きる道筋」、「パダ」は「ことば」という意味があります。中国ではそれぞれ「法」、「句」と漢訳され、経典としての意味を付け加えて『法句経』と言われました。
 その中のいくつかを紹介します。

 最初に次の「ことば」があります。

 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
 もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。
 車を引く(牛の)足跡に車輪がついて行くように。
 
 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
 もしも清らかなこころで話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。
 影がそのからだから離れないように。

 「かれは、われを罵(ののし)った。かれは、われを害した。
 かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した」という思いをいだく人には、
 怨みはついに息(や)むことがない。

「かれは、われを罵(ののし)った。かれは、われを害した。かれは、われにう
 ち勝った。かれは、われから強奪した」という思いをいだかない人には、
 ついに、怨みは息む。
 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、
 ついに怨みの息むことがない。
 怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。


 
心の持ち方で世の中の姿が変わってしまうということです。
 物事を肯定的に捉える人は、何事にも積極的で他人のために尽くす人です。その結果周りの人から信頼され、良い人間関係を築くことができます。充実した幸せな
人生を送ることができるでしょう。
 反対に、自分の利益だけを第一に考える人は、信頼されず人間関係も悪くなるでしょう。何事にも否定的になって、結果的に幸福感を味わうことのない人生となるでしょう。

 「われらはこの世において死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。このことわ
 りを他の人々は知っていない。
 しかし、人々がこのことわりを知れば、争いはしずまる。

 たとえ、ためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その
 人は怠っているのである。―――牛飼いが他人の牛を数えているように。彼は修
 行者の部類には入らない。

たとえ、ためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、
 情欲と怒りと迷妄を捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執着することの
無い人は、修行者の部類に入る。

 「失敗は成功のもと」や「トライ アンド エラー」という言葉があります。
失敗や良くないことがあっても、力を尽くせばいずれそれが何かの糧になるでしょう。
         (
参考と引用:中村元『真理のことば』岩波現代文庫より


NO.304  2024年   4月号


六方を拝する(6) (中村元氏の岩波現代文庫『真理のことば』より)

 最後に上方は修行者とバラモンです。バラモンとは祭司のことで、インドの身分制度のなかで最高位にあたります。今回は宗教家に対する心構えです。
 ブッダは言います。

 良家の子は上方に相当する修行者・バラモンとに奉仕すべきである。
   ⑴ 親切な身体の行為
   ⑵ 親切な口の行為
   ⑶ 親切な心の行為
   ⑷ 門戸を閉ざさぬこと
   ⑸ 財物を給与すること

 宗教家(修行僧・バラモン)に対しては常に親切な態度で接することを説いています。
 「身体の行為」とは行動で示すこと、「親切な口」とは丁寧で優しく話をすること。
 「心の行為」とは目や耳で感じることではなく、常にに尊敬の念をこめて接することです。
 ⑷はどんな時も、常に⑴~⑶の心得で出迎え、受け入れるということです。
 ⑸は布施して宗教施設を守り、宗教者の生活を支えることです。

 これに対し宗教家についてブッダは

  修行者とバラモンは、次の仕方で良家の子を愛するのである。すなわち、
  ⑴ 悪から遠ざからしめ
  ⑵ 善に入らしめ
  ⑶ 善い心をもって愛し
  ⑷ 未だ聞かないことを聞かしめ
  ⑸ すでに聞いた事柄を純正ならしめ
  ⑹ 天への道を説き示す

 宗教家は、良家の子が悪に染まらないよう、善の方向を指し示し、愛をもって善の心で指導します。
 ⑷知らないことを教え ⑸知っていることも間違いの無いように教えます。
 当時、善を行うことによって天の世界に生まれると信じられていました。そのため、⑹宗教家は良家の子を天の世界に導かれるよう教え諭します。

 以上六つの人間関係に於いて、人として為すべきことを実践し、六つの方向に思いを込めて礼拝することを示しました。形式的に方角を拝むのではないと諭したのです。



NO.303  2024年   3月号

六方を拝する(5)
 東、南、西、北と続いて、次は下方を拝します。第5回目は下方の使用人です。

 主人(雇い主)の使用人に対する心構えです。(中村元氏の『真理のことば』より)

   次のしかたで下方に相当する使用人に奉仕しなさい。

  ⑴ 能力に応じて仕事をあてがう
  ⑵ 食料と給料を与える
  ⑶ 病時に看病する
  ⑷ すばらしい珍味の食物を分かち与える
  ⑸ 適当な時に休息させる

 使用人に対しても奉仕の心を持ちなさいと言っています。雇ってあげているというのではなく、

人として対等な立場で接することです。

 ⑴は人の長所をよくみることです。その人の能力を見極めて仕事をしてもらうのです。

使用人にとってはやり甲斐が生まれます。

 ⑵については当時は食事付きの住み込みがほとんどだったでしょう。カーストという階級制度がありましたから、

場合によっては粗末な食事で給金もないところもあったかも知れません。

 ⑶⑸は現在では労働者を守る法律として労働基準法や労働安全衛生法があります。

しかし、現在でも雇用主の利益のためそれを無視したようなブラック企業があります。

当時にしてはブッダは画期的なことを言っています。

 ⑷は会社持ちで忘年会やリクレーションをすることではないでしょうか。

 このような気持ちを使用人に向ければ、彼等もそれに応えてくれるでしょう。

大きな組織になると難しいかも知れませんが、社員は家族であるという社風が大切です。

それが偽りのない信頼される会社だと思います。


NO.302  2024年   2月号

六方を拝する(4)

 アーカイブのお話で中断しましたが、方角を礼拝する心構えをお話ししていました。

東方は父母、南方は師、西方は妻、配偶者でした。

 第四回目は北方の友人や同僚です。(中村 元『真理のことば』より)

   次のしかたで北方に相当する友人や同僚に奉仕しなさい。
  ⑴ 施与(せよ)する
  ⑵ 親しみのあるやさしい言葉をかける
  ⑶ 人のためにつくす
  ⑷ 協同する
  ⑸ 欺かない


  ⑴の施与は布施のことです。自分の持っているもので友人や同僚にとって有益なものを与えることです

自分だけのものにしないで皆に分かち与えることです。

 いつかまた自分に返ってくる。他を利することはめぐり巡って自分を利することにつながるのです。

  ⑵は「愛語」と呼ばれています。人に愛情のこもった言葉、心のこもった言葉をかければ、

その人は明るくなり、元気になり、やる気が起こります。

  しかし、嫌がらせの言葉では気分が悪くなり、落ち込み、自信を失ってしまいます。いわゆるハラスメントです。

  ⑶は「利行(りぎょう)」といいます。人のために尽くすことです。⑴の施与は「与える」ですが、

利行は与えるだけでなく積極的に「行動する」ことになります。

  ⑷は「ともに心と力をあわせ、助け合って仕事をすること(広辞苑より)」です。

協同体とか協同組合などという言葉もあります。仏教ではこれを「同事(どうじ)」といい、

⑴の「布施」、⑵の「愛語」、⑶の「利行」をあわせて「四摂事(ししょうじ)」といって重んじています。

  ⑸の「欺かないこと」とは真心をもって誠実に人と接するということです。

  そして、⑴から⑸のような接し方をすれば、仲間から次のようなときに力になってくれます。

   *無気力になったとき 
   *生活が苦しくなったとき 
   *怖い思いをいだいているとき
   *逆境に陥っているとき


 など、いつでも救いの手を差し伸べてくれます。

   このようにして、北方は護られ、安全であり、心配がない。




NO.301  2024年   1月号

先月号につづき2000年1月号を紹介します。

1999年から2000年に移るこの年は、コンピュータに登録されている年代が下2桁である場合、

いろんな障害が発生するのではないかと言われ2000年問題と言われていました。

アーカイブ2

 心配された2000年問題も、大きな混乱もなく無事に収束したようです。

 そして、 1900年代は過去のものになってしまいました。その1900年代の前半には大きな世界大戦が

二度あり、 戦中戦後の日本にとっては非常に悲惨な苦しい時代でした。

 今の物質的に恵まれた世の中からは理解できないかもしれません。

 その後、日本人の勤勉さにより荒廃した国土は奇跡的な復興をとげました。科学技術の爆発的な進展も

あいまって、物質的に豊かな、GNP (国民総生産) が世界一の国にもなりました。

 アポロによる人間の月面着陸のニュースなどからも、「2001年宇宙の旅」 も夢ではありませんでした。

世の中が将来に向かってどんどん進んでいき、 人間の知恵は自然を超越できるかのごとく、みんなが挑戦的な

前向きな時代でした。

 そのころ私達は何かを忘れていたのではないでしょうか。 夜空から天の川が消え、 都会では星は数えるほど

になりました。 田圃は消え、池にメダカやあめんぼうの姿もなくなりました。1900年代も終わりに近づいて、

やっと自然の異変に気がついてきたのです。

 また、民族や宗教の衝突で各地で今もなお絶望的な悲惨な闘いが続いています。

2000年代は、当初から悲観的な難しい時代の予感があります。でも、未来への夢や希望を捨ててはいけません。

宗教や民族の違いはあってもそれぞれに特有なすばらしいもの持っています。 互いの交流のなかで影響を受け

ながらも、それぞれ独自のものを育ててきました。 独自性を過度に強調しすぎると危険ですが、それを互いに尊重し

助け合って、調和共存していくことが大切なのではないでしょうか。

 さらにそれは人間と自然との関係においてもそうです。 最近「共生」という言葉をよく耳にしますが、 2000年代は

まさに 「共生」がキーワードとなるでしょう。 般若心経の中のよく知られた 「色即是空、空即是色」 は、 そのことを

いってるのではないかと勝手に解釈しています。

 人間は元来煩悩や苦悩をもっています、 それは永久に無くならないでしょう。 しかし、それがあるからこそ宗教や

芸術が生まれ、すばらしいものをつくりあげてきました。

 地球の上で人間は決して破壊的な、悲観的な存在ではないと思います。