更新2022/11/2


 

松 燈 だ よ り

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NO.288       2022年          12 月

 ブッダの教え「慈しみ」
(『ブッダの生涯』仲村元(前田專學監修)岩波書店より引用)

 古い経典に「慈しみの経」というのがあり、南アジアの仏教徒はいつもこのお経を唱えているそうです。

スリランカでは、毎朝5時30分に宗教放送があり、そこでこのお経をパーリー語で読んでいます。

究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、つぎのとおりである。

能力あり、素直で、正しく、言葉優しく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならない。

足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく生活も簡素で、

諸々の感覚器官が静まり、聡明で高ぶることなく、諸々の人の家で貪ることがない。

他の識者の非難を受けるような下品で卑しい行いを決してしてはならない。

一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

いかなる生類であっても、怯(おび)えているものでも、強剛なものでも、

ことごとく、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、

微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、

遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、

これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

何人(なんびと)も他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。

悩まそうとして怒りの想いをいだいて、互いに他人に苦痛を与えることをのぞんではならない。

あたかも、母が自分の独り子をいのちを架けても護るように

そのように一切の生きとしいけるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころをおこすべし。    

また全世界にたいして無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし。上に、下に、また横に、

障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし。・・・

眠らないでいる限りは、この慈しみの心遣いをしっかりとたもて。・・・




NO.287       2022年          11 月

ブッダの伝道 -教えを広める-

 9月の『松燈だより』で、ブッダはブッダガヤーと呼ばれる地の大きな菩提樹の下で

沈思瞑想に入りついに悟りを得たことをお伝えしました。またこれを成道(じょうどう)と呼びました。

 その悟りのひとつが「無明(むみょう)」からすべての苦悩が生じる十二支縁起説でした。

 あるときブッダが瞑想していると二人の商人が近づいてきました。

神の指示でやって来たといいます。そして二人はブッダとその教えに帰依し、最初の信者となったのです。

 しかし、瞑想するブッダは自分の悟った真理を他人に広めていくことにためらいを感じていました。

 第一に、十二支縁起の理法は一般の人にはなかなか理解しがたい教えである。

 第二に、たとえ理解できたとしても、それを生活の中で実践し、          
欲望や煩悩を完全に制御することは不可能に近いと思われる。

 第三に、教えを広めても理解してもらえなかったら、苦悩と疲労だけが残る。  .

 伝道することへの迷いのなか、真理を自分だけのものにしようと思ったとき、

梵天(ぼんてん)が現れて教えを広めるようブッダの背中を押しました。

 「この世の中には、ブッダの教えを理解できる人達が必ずいる。不浄な教えがはびこるなかで、

この世が栄えるためには汚れのないブッダの教えを聞かせるべきである」と。

 梵天とはヒンズー教のブラフマー神のことで、世界を創造する最高神として崇拝されています。

 その梵天がブッダに三回懇請したといいますから、

ブッダも積極的な気持ちになり伝道の決意を固めました。

 最初に教えを説いたのは、苦行を棄てたときに立ち去った五人の旧友である修行僧でした。

彼等をようやく説得して教えを伝えたところ、悟りたいという気持ちになり再びブッダに仕えたのです。

その場所はインド北部ベナレス郊外のサールナートにある「鹿の園」(鹿野苑 ろくやおん)とよばれる園でした。

        それがブッダの最初の説法でした。 これを「初転法輪 しょてんぼうりん」といいます。



   
梵天            説法するブッダ(狭山 龍雲寺境内

どのような内容の教えだったかは伝承により異なるようですが、ひとつは「中道」とよばれるもので、

ブッダは近づいてはならない二つの極端な生き方を示しました。

一つは欲情のなすがままに快楽にふける生き方です。

強欲で常に満足することはありません。意味の無い生き方といえるでしょう。

もう一つは極端な禁欲の生き方です。

自分の心身をいじめ苦しめる苦行です。

 二つの生き方も、本来は何か生きるための別の目的であったものが、

それそのものが目的になってのめり込んでしまうのです。

ブッダも苦行をしましたが、苦行そのものから得られるものはありませんでした。

何事も極端に走らず、目的を見失わずに打ち込むことが大切であるとブッダは説いています。

 ただ、世の中には依存症という問題があります。

これらは、特定の物質や行動を続けることにより脳に変化が起きることで

症状が引き起こされる病気です。

本人のこころの弱さのために起きている現象ではありません。(厚生労働省)

その場合は周囲が早く気づいて治療を受けさせることが必要です。


NO.286       2022年          10 月

お十夜
 
今年のお十夜は11月5日(土)2時から厳修いたします。

コロナ禍で2年ほど参拝の自粛をお願いしていました。

今年は法話と本堂内での小豆粥の飲食はありませんが小豆粥を持ち帰っていただきます。

 お十夜は15世紀中頃の室町時代にはじまります。

今から580年ほど前の足利義教が六代将軍として執権についたころ、

京都に平貞国(伊勢貞国)という仏教への信仰心が篤い武将がいました。

伊勢氏は政所(まんどころ)執事という幕府の要職を代々まかされ、

家督を継いでいた兄の伊勢貞経もその要職にありました。

 その頃の将軍足利義教の執政は、有力守護家の弱体化、将軍への権力集中を強引に図り、

公家や寺社に対しても延暦寺の僧侶を斬殺するなど、

「万人恐怖」と評されるほどの 専制政治を行っていたとされます。

そのため、反乱や企みそして農民の土一揆など、社会は混乱と不安が渦巻いていました。

 そんな中、阿弥陀仏に深く帰依していた貞国はこの世の無常を思い悩み

、自分が弟であり家督は兄が継いでいるので、出家して仏道に生きようと思い立ったのです。

永享三年(1431)のことです。京都に真如堂という不断念仏の道場がありました。

『真如堂縁起』によると、比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を安置してあり、

念仏行者や庶民、女性からも信仰を得ていたといいます。

 貞国はその真如堂にこもり、昼夜念仏の行をおこないました。

そして三日目、枕にひとりの僧が立って、

「信仰心篤く、阿弥陀様に帰依していることはよくわかる。しかし、出家するのは少し待ちなさい」

と告げられました。気になった貞国は家に帰ってみると、

兄の貞経は上位に背いたと言うことで、吉野に謹慎させられていました。

もし、自分が出家していたなら家は断絶しているところでした。

結局、貞国が家督と政所執事の要職も継ぐことになったのです。

 「これも阿弥陀様を信じて日頃お念仏を称えているおかげだ」

と感謝の念でいっぱいになり。さらに真如堂にこもり七日七夜お念仏を称えました。

 これが、三日と七日合わせて十日十夜の念仏行、「お十夜」の始まりだといわれています。

 そして明応四年(1495年)、後土御門天皇の信頼が厚い浄土宗の観誉祐宗が勅許を得て

鎌倉光明寺で十夜会を厳修し、それが全国の寺院で行われるようになりました。

旧暦の十月五日夜半から十五日朝までの十昼夜のおつとめです。

 また、浄土三部経のひとつ『無量寿経』の一節には

 「この世で十日十夜のあいだ善をなせば、仏国土で千年の間善をなすのに勝る。

仏の世界ではだれでもが善をなし、悪をなす者がいない。それが当たり前の世界なのだ。

しかしこの娑婆世界では悪が多く善をなすものが少ない、善を行うことはそれだけ貴いものなのだ。」

とあり、 この世で行う善行の貴さを説いています。

この一節がお十夜をつとめるもう一つの根拠となっているのです。





 NO.285       2022年          9 月

 ブッダの成道

 成道とはブッダが究極の悟りを開き、お釈迦様になられたことです。

 前回(6月号)まで、ブッダの行いや修行、そして悪魔の誘惑などについてお話し、

そして最後にブッダガヤーと呼ばれる地に赴き、

大きな菩提樹の下で沈思瞑想に入いられたところで締めくくりました。

 この瞑想のあと、悟りを開かれたといわれます。ブッダ35歳でした。

 

成道のブッダ(お釈迦様)(大阪狭山市 龍雲寺)

 では悟りとはどのようなもので、何を悟られたのでしょうか。

仏典によって異なっているようですが、本質的な部分は同じようです。

 ブッダは成道の内容を次のように語っています。

「智慧と見識が生まれ、汚れのない無上で完全な安穏である安らぎを得ました。

心の解脱は揺るぎないものであり、これが最後の生です。

もはや輪廻による生まれ変わりはありません。」

 悟りに至った智慧と見識とは、仏教の根本理念である「縁起」です。

 古い経典の中に、縁起の記録があります。少し長くなりますが、
   
 無知(①無明むみょう)によって生活作用(②行ぎょう)があり、

生活作用によって識別作用(③識)があり、          
.

 識別作用によって名称と形態(④名色みょうしき)があり、   

 名称と形態にょって六つの感受機能(⑤六処ろくしょ)があり、

 六つの感受機能によって対象との接触(⑥触そく)があり、  

 対象との接触によって感受作用(⑦受じゅ)があり、      

 感受作用によって妄執(⑧愛)があり、              

 妄執によって執着(⑨取しゅ)があり、              .

 執着によって生存(⑩有う)があり、               

 生存によって出生(⑪生しょう)があり、             

          出生によって老いと死(⑫老死)、憂い、悲しみ、苦しみ、嘆き、悩みが生じる。

このようにしてすべてこの苦しみの集まりが生起する。     

 これにより、すべての苦しみ悩みなどは突き詰めれば「無知無明」から生じると考えました。

そして、逆に無知でなくなれば、最終的にすべての苦しみや悩みが無くなるということになります。

これは十二の縁がつながったもので、十二支縁起説と呼ばれています。

 しかし、最初から十二の縁起を考えていたのではなく、

お釈迦様が亡くなられた後の経典編纂の過程で増えていったと考えられています。

 無明とは物事を広く深くみないで、自身も分からないまま自分を中心とした心の動きをいいます。

物事の真理や道理をみぬく智慧がないといえます。

 ブッダはこの無明が人々を苦しめていると考えました。

無明によって所有欲が生まれ、失うことを恐れ、迷い、悩み、

果ては他人をも苦しめることもあります。

 普通の人間である以上無明を完全になくすことはできません。

しかし無明を気づくことによって、苦しみが薄らぎ少し気持ちが楽になるのではないでしょうか。

ブッダの悟りはそこにあると思います。

(参考と引用:『ブッダを語る』前田專學著 NHK出版)


NO.284       2022年          8 月

 リメンバー・ミー

 
          メキシコ「死者の日」の飾り
https://www.five-penguins.com/south-america/1510/2/

 上の写真はメキシコの「死者の日」の祭壇です。

死者の日は日本のお盆のような風習で11月1日と2日に行われるお祭りです。

亡き人の霊が戻ってくる日とされ、家族や友人達が集って故人を偲び、

昔のことを思い出して語り合い、歌い踊ります。

飾りはオフレンダと呼ばれマリーゴールドの花をちりばめます。

街中が花の香りで満たされ、バンド演奏、仮装パーティー、墓地にも派手な装飾など、

とにかく明るく楽しく死者といっしょになってお祝いします。

日本の盆踊りに似ているかも知れません。

 この「死者の日」を扱ったディズニーのアニメ映画に『リメンバー・ミー』(原題は『ココ』)があります。

「私を忘れないで。思い出して。」という意味です。

 主人公はミゲルという12歳の少年です。ミゲルが死者の国に迷い込みます。

死者の日が近づくと死者の国の住民(亡くなった人達)は現世に戻っていきます。

死者の国と現世に通じる道には関所のようなものがあり、

現世で自分の写真が飾られていたら(忘れられていなかったら)通ることが許されます。

死者の国で知り合ったヘクターは離れた土地で21歳で毒殺され、

家族からは家出をして家庭を見放したと見なされていました。

死者の日の祭壇に写真が飾られず、いつまで経っても現世に戻ることができません。

ヘクターは愛する一人娘ココを一目見たかったのです。

現世ではココは100歳近くになっていて、声を出すことも難しく、昔の記憶も遠のいています。

 死の世界では長年忘れ去られた死者は、死の世界からも消え去ってしまいます。

「二度目の死」を迎えることになるのです。ヘクターも今年帰れなかったら消え去る運命なのです。

 ミゲルはココが自分の曾祖母であることから、ヘクターは高祖父であることを知ります。

ヘクターのために写真を持ち帰ろうとしますが失敗してしまいます。

 しかし、なんとか自分だけが現世に戻ることができました。

 ミゲルは死者の日、ヘクターが作曲した『リメンバー・ミー』をココの前でギターを弾きながら歌います。

すると今まで目を閉じて何の反応も示さなかったココが目を覚まし、

子供の時に父ヘクターが歌ってくれた『リメンバー・ミー』を歌い始めました。

そして父を思い出して長くしまっておいた写真を取り出し祭壇に飾りました。

やっとヘクターは現世のココのもとに帰ることができたのです。

 これは十分なあらすじではありません。

アカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞している感動的な作品です。一度ご覧になって下さい。

 お盆には「リメンバー・ミー」という亡き人の気持ちがあります。

そのことを思ってこれからもお盆を迎えてください。


NO.283       2022年          7 月

七夕

 七夕の伝説は古い中国のお話です。

 昔々、天の川のほとりに神様の着物の布を織る織女(しょくじょ)と

その対岸に牛飼いの青年、牽牛(けんぎゅう)が暮らしていました。

二人は仕事一筋の働き者で、結婚相手となるような異性と出会うことはありませんでした。

それを天帝(てんてい 天の神様)が見かねて、二人をお見合いさせました。

 それは運命の出会いというのでしょうか、無二の結婚相手でした。

二人は互いに愛し合い、幸せな日々を過ごしました。

 しかし、二人のそのような楽しい生活は、今までの仕事中心の生活を忘れさせてしまい、

二人とも怠け者になってしまったのです。

 織女が機(はた)を織らないので、神様たちの新しい着物はできず、

牽牛が牛の世話をしなくなったので、牛も病気になってしまいました。

 怒った天帝は仕事に集中させるため、

二人が二度と会うことがないよう再び天の川の両岸に別れさせたのです。

 ところが、二人は悲しみのあまり泣き暮らし、かえって仕事が手につきません。

これは思いもよらぬことで、あまりにもかわいそうと思った天帝は、

真面目に働くことを条件に、一年に一度七月七日の夜に会うことを許しました。

     一年(ひととせ)に 七日の夜のみ 逢ふ人の
           恋も過ぎねば 夜は更(ふ)けゆくも
                                                  柿本人麻呂

(一年に七夕の夜だけ逢う人の、恋の時もまだまだなのに、夜が更けていきます。
                      恋もまだ尽きていないのに夜が明けてきました。)

 織女(おりひめ)星はこと座のベガ、彦(ひこ)星はわし座のアルタイルです。

もう一つはくちょう座のデネブで天の川の中に夏の大三角形をつくっています。

 もともと七夕は旧暦の七月七日の行事でした。

新暦の7月7日の夜空では大三角形はまだ高い位置にはありません。

ベガが頭の真上に上るのは23時を過ぎてからです。

今年、本来の七夕である旧暦七月七日は8月4日になります。

この頃になると21時半ごろベガは真上にきています。

星を眺めることを考えると七夕は旧暦七月七日に実施するのがいいのかもしれません。

 七夕は古くは日本古来の禊(みそ)ぎの行事でした。

乙女が「棚機(たなばた)」という織り機で着物の布を織って棚に供えて、

けがれを払い秋の豊作を祈るものでした。

 その後仏教が伝わると、盆を迎える行事として七月七日の夜に行われるようになり、

そのとき盆の精霊棚と幡を棚幡(たなばた)といいました。

「七夕」を「たなばた」と当て字でよむ由来はそこにあるそうです。



NO.282       2022年          6 月

ブッダの生涯

 4.ブッダの出家と悪魔の誘惑

 出家してからブッダは高名な仙人のもとを訪れました。

その仙人は信仰、精進、思念、精神統一、智慧によって無の瞑想の境地に達したといわれています。

 仙人のもとで修行し対話をすることによって、仙人も驚くほど短い期間でブッダは同じ境地に達したのでした。

 さらにまた道を求めて新たな仙人を尋ね、修行を積み、

そこでも同じようにその仙人の悟りの境地をすぐに達成してしまいました。

 しかし、仙人達の境地では

「寂静と安穏の境地、そして宇宙の真理を悟る境地には至らない」と思うようになりました。

ブッダにとって納得できるような悟りの境地ではなかったのです。

その後「善なるものと最上の寂静」を求めてブッダは各地を遊行しました。

ヴェルヴェーラーのセーナー村に入ったとき、

「ああこの土地は美しく清らかだ。努力するのにふさわしい」と思い、ここで苦行することにしました。

 古くからインドでは出家者の苦行は修行の実践の中心でした。

わずかな水と豆だけの断食修行では、痩せ細って骨と皮だけの身体となっていました。

 
富田林市 黄檗宗 龍雲寺にて

 この苦行中に悪魔がブッダを誘惑します。いたわりの言葉で近づいてきます。

 「あなたは痩せて顔色も悪く死が近づいているよ。命あってこそいろんなことができる。

努めはげんでも何にもならない。努めはげむ道は行いがたく達しがたい」
 
ブッダは応えます。

「悪しき者よ。私には信仰があり、努力があり、智慧がある」

「身体の肉が無くなると、心はますます澄んでくる。念(おも)いと 智慧と禅定はますますたかまる」  

 それでも悪魔はブッダにつきまといます。八つの軍勢を使って誘惑します

。第一の軍勢は「欲望」、第二は「嫌悪」、第三「飢え」、第四「妄執(もうしゅう)」、

第五「怠惰、睡眠」、第六「恐怖」、第七「疑惑」、第八「名誉、強情」

 7年間にわたって悪魔の軍勢はブッダの心に攻撃をかけましたが、

ブッダはことごとく智慧をもって打ち勝ちました。

 悪魔はつぶやきます。

「7年もの間、事あるごとに誘惑したが、ブッダは少しも動じなかった。彼の智慧に打ち負かされた」
 
意気消沈した悪魔はあとかたも無く消え失せてしまいました。

 後世、ブッダはこの極端な苦行でも納得できる悟りを得られないと考え、苦行を放棄したとあります。

 断食修行の途中ネーランジャラー河で沐浴したとき、

ブッダの姿をみたスジャータという娘が乳粥を与えてくれました。

気力を回復したブッダは苦行から離れました。

ところで、「スジャータ」といえばよく知られているコーヒーフレッシュの商品名ですが、

この娘の名前に由来しています。

 
スジャータホムページより


 ブッダは苦行を放棄したというより、もうすでに心の中には悟りに至る道筋があったと思われます。

 それは悪魔が消え去る前にブッダは次のような思いを語っているからです。

 「よく念いを確立し、教えを聞く人々を広く導くため国から国に遍歴しよう」

 「彼らは私の教えを実行し、怠ることなく専心している。

欲望の無い境地に赴く ことができるであろう。」

 スジャータの与えた乳粥がブッダの次の行動を起こすきっかけになったのでしょう。

 しかし、同行していた5人の沙門は「彼は苦行を棄てた。堕落者だ」とみなし、

ブッダのもとから去って行きました。

 体力も回復したブッダは、その後ブッダガヤーと呼ばれる地に赴き、

大きな菩提樹の下で沈思瞑想に入りました。

(参考と引用:中村元、前田專學監修『ブッダの生涯』岩波出版、
            前田專額著『ブッダを語る』NHK出版)



NO.281       2022年          5 月

   ブッダの生涯

3.四門出遊

 シャカ族のスドーダナ王(浄飯王)は、アシタ仙人の予言を受け、

大切な王子(ブッダ)を出家させまいと宮廷の中で何不自由なく過ごさせていました。
 
しかし29歳になったあるとき、外の世界を見たいと御者のチャンダカを連れて、

東の門からはじめて城を出ました。

 すると、杖をつきながら歩く人を見ました。足元がおぼつかなく弱々しくみえました。

今まで見たことのない人でした。

「あの人はどうしたんだい」とブッダはチャンダカに尋ねました。

「あの人はずいぶん年を重ねた人、老人です。若様はまだお若いですが、

すべての人は年を重ねていくと体力がなくなり、

身体は痩せ細り皮膚は皺だらけになって目や耳は衰えていきます」

「それが老いです。老いは避けることができず誰もがあの人のようになるのです」

「いつの日か私たちも若様もすべての人に老いがやって来るのです」

 ブッダにとってチャンダカのその言葉はあまりに衝撃的でした。

そしてすぐに城内に引き返したのでした。

 またある日、今度は南の門から外へ出ました。

すると、道ばたでうずくまっている人に出会いました。

身体は痩せ細り、うつろな目は濁っています。また始終咳をして苦しそうです。

「あの人はどうしたんだい」ブッダは尋ねました。

「若様あの人は病に苦しんでいる病人です」「病人?」

「私たち誰もが、年齢や男女の区別なく病に苦しむことがあります。これも避けることはできません」

 やはりブッダにとっては驚きでした。すぐ城内に引き返し悩みました。

 しばらく経ってから今度は西の門から出ました。

十数名の人が楽器を打ち鳴らし、ゆっくりと厳かに歩いているのが見えました。

「チュンダカあれは何だね」とブッダは尋ねました。

「若様、あれは葬送の儀式です。死人(しびと)との別れなのです」

「死人とは一体何だね」

「死が訪れた人のことです。死人はこの世から永遠に去り、別の世界に行ってしまいます」

「母や父も彼と二度と会うことはできません。彼もまたもう誰とも会うことはかないません」

「悲しいことですが、誰でも最後に必ず死が訪れます」

 いずれいつかは自分もこの世から姿を消してしまうと思うと、

ブッダは悲しみのあまり涙がでてきました。そしてまた城内に戻りました。

 生きることの悩みを感じるようになったブッダは、あるとき北の門から出てみることにしました。

今度は髪を剃って坊主頭になった人に出会いました。

彼は質素な布をまとっていますが、穏やかな顔をしています。

「チャンダカ、彼は一体なにものだ」と尋ねました。

「若様、彼は出家者です」「出家者?」

「若様、出家者とは、よき教えを実践し、心の静寂を常に保ち、

よき孝徳をもち,あらゆる生命への哀れみを持つ者です」

 ブッダにとって彼の姿は質素であるけれど神々(こうごう)しく見えました。

 ブッダは16歳でヤショーダラ姫と結婚し、ラゴラという子供もいましたが、

城内に戻ってからは出家者のことが頭から離れず、

自分も出家しようという意思を固めてゆきました。


 NO.280       2022年          4 月
 
 ブッダの生涯

2.ブッダの誕生(2)

 中村 元(はじめ)氏は1985年4月から9月まで、NHKラジオ番組「こころをよむ/仏典」の講師をされました。

講義のもとになったのは『スッタニパータ』という最も古いと考えられている経典です。

そこにはブッダの誕生について次のように書かれています。

  ある日中の休息の時、アシタ仙人は見ました。

帝釈天をはじめ30人ほどの神々が嬉々ととして大きな声だして歌をうたい、楽器を奏でて踊っているではありませんか。

アシタ仙人にとって、このような神々の喜びや、光景を見たのははじめてでした。

アシタ仙人は神々に尋ねました。

「神々が歓喜に包まれているのはどうしてですか。何事があったのですか」
 
神々は答えました。
「比べることができないほどの見事な宝である、かのボーディサッタ(菩薩=未来の仏)が、

もろびとの利益安楽(りやくあんらく)のため人間世界にお生まれになったのです」

「シャカ族の国のルンビニーという聚楽(じゅらく)に」

「だから私たちは嬉しくて嬉しくて、この上なく歓喜に浸っています」
                                                                     聚楽:都市のこと
 
ブッダはシャカ族の王子として生まれたのでした、父はスッドーダナ王(浄飯王 じょうぼんおう)です。

  アシタ仙人は急いで人間世界に降り立ち、スッドーダナ王の宮殿に向かい、

「王子はどこにいらっしゃいますか。私も会わせて下さい」と懇願されました。

 アシタ仙人は、火炎のように光り輝き、空行く星の王(月)のように清らかで、

雲を離れて照る秋の太陽のようにひかり輝くその児をみて、

歓喜にあふれ、たかまる喜びでわくわくしました。

   

 ところがアシタ仙人は顔をくもらせ涙を流しました。

周りの人が尋ねてみると、「私は不吉なことを思っているのではありません。

この方は最高の悟りに達するでしょう。そしてその教えは、清らかな行いは広く世の中に広まるでしょう」

「ところが私の命は限られています。この方の教えを聞く前に私はこの世を去るでしょう。

それ故に、今その悲しみにひしがれているのです」そう言って仙人はその場を去りました。

 仙人はそのあと、自分の甥ナーラカに「悟りを開いて真理の道を歩むブッダのことを耳にしたら、

すぐにそのもとへ行き、その教えをたずね、ブッダのもとで清らかな行いを行いなさい」と勧めたのでした。

 しかし、スドーダナ王(浄飯王)は、大切な王子ブッダを出家させまいと、青年になっても宮廷の中だけで何不自由なく過ごさせたのです。


 
 NO.279       2022年          3 月
 
ブッダの生涯 

  1.ブッダの誕生(1)

 ブッダ(お釈迦様)は、紀元前400~500年ほど前、

ネパール王国のインドに近いルンビニーという都市で生まれました。

 そして青年になって出家し、修行と仏道の伝道の旅に出て、

クシナーラーの地で亡くなるまで弟子達とともに仏教を弘めました。80歳でした。
  
 
 
 その偉大な尊師とその偉業に対して、後の人びとはブッダを神格化した言い伝えをつくりました。

日本でもよく知られている次の伝説です。

 「お釈迦様は生まれてすぐに七歩あるいて、左手を上にして天上を示し、右手は下にして天下を示されました。

そしてさらに『天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)』と声をあげられました」

 この姿をした小さな仏像が「誕生仏」です。

     
                             https://tanosii-kamakura.jp/より


 旧暦の四月八日にお生まれになったことから、

この日(今は新暦の4月8日)に各地の寺院で

「灌仏会(かんぶつえ)」、「花まつり」という行事が行われています。

花で囲まれた御堂の中の誕生仏に甘茶をかけて、誕生を祝います。

   ところで「天上天下唯我独尊」の意味ですが、

そのまま受け取ると、「この世界で私一人だけが尊い」ということになります。

 一般には、お釈迦様が言いそうにない不遜なことばです。

日本のある宗派では「すべて一人ひとりの命は、それぞれ最も尊い」と訳しています。少し無理があるようです。

 仏教学者の中村元(なかむらはじめ)博士は、ある仏が生まれるときに同じような言葉が発せられ、

後にお釈迦様が唱えたことになったようだと説明されています。

  イエスキリストの誕生を祝うクリスマスは盛大なイベントになっています。

「花まつり」の賑やかさクリスマスの千分の1かもしれません。

  しかし、日本にはいまでも仏教が心のどこかに残っているように思います。

   次回から、「ブッダの生涯」について、岩波現代文庫『ブッダの生涯』(中村元著、前田專學監修)

その他を参考、引用して連載して参ります。



NO.278       2022年          2 月

お釈迦様の命日

 お釈迦様の誕生日は旧暦の四月八日とされています。

その日は「花まつり」として、誕生仏に甘茶をかけて祝います。 それは多くの方がご存じでしょう。

 一方、お釈迦様の命日すなわち亡くなられた日は旧暦の二月十五日といわれています。

80歳だったそうです。

 今は新暦の2月15日に、涅槃会(ねはんえ)として、涅槃図(後述)を掲げて、

お釈迦様の遺徳をしのび報恩のための法要が行われています。

 涅槃とはニルヴァーナという梵語を漢字にあてたもので、

原語は「吹き消された」「生命の火が消えた」という死去の意味がありますが、

仏教では涅槃はお釈迦様の特別な死のことをいいます。

一切の苦悩、束縛、煩悩から解放され、悟りの境地に達し、最上の安楽な世界に入ることを意味しています。

 お釈迦様が亡くなるとき、弟子のアーナンダ(阿難)に

「2本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間に、頭を北にして床を用意してくれ、横になりたい」と頼みました。

大パリニッパーナ経によりますと

、「お釈迦様は右脇を下にして、足の上に足を重ね、正しく念(おも)い正しく心を定めていた」とあります。

 

 上図はそのときの様子を描いた涅槃図です。

お釈迦様の周りには、阿難をはじめ弟子たち、帝釈天や四天王、夜叉や阿修羅、諸菩薩など、

そして長者や動物たちが集まり、お釈迦様の死を嘆き悲しんでいます。

その日は旧暦の二月十五日ですから満月が描かれています。

お月様さえも隠れずに完全な姿で見守っているようです。

 お釈迦様の涅槃の姿は、「頭北面西(ずほくめんさい)」といわれ、

日本では亡くなった方を、北枕にして寝かすという風習につながりました。

 余談ですが、『平家物語』に「沙羅双樹の花の色」とあり、

「沙羅双樹」という名前の木があるように勘違いしますが、「2本のサーラの樹」という意味です。

 また、日本のツバキ科の沙羅の木と、サーラの樹とは別物です。

インドのサーラの樹は高さ30mにもなる熱帯の常緑樹で旧暦の二月以降に淡い黄色の花を咲かせるそうです。




 NO.277       2022年          1 月

アルデバラン
 
星といえば、この1月の夜はよく知っている冬の星座でにぎわいます。
 
ちょっと気になっている歌があります。

NHK朝の連続ドラマ『カムカムエヴリバディ』の主題歌『アルデバラン』です。

どうしてこの名がついているのか。作詞作曲は森山直太朗さん。

 「アルデバラン」は牡牛座一等星。地球から見える太陽以外の恒星のうちで13番目に明るい星です。

オレンジ色に輝き牡牛の右目に位置しています。英語でブルズアイ(牡牛の目)と呼ばれています。

  「アルデバラン」は広辞苑によると、アラビア語で「後に続くもの」という意味があり、

同じ牡牛座にある「すばる(プレアデス星団)」のあとに西から昇ってくるので名付けられたといわれています。

日本でも「すばるの後星(あとぼし)」と呼ぶところもあるようです。

 ギリシャ神話で「プレアデス」は7人姉妹の女神です。月の女神アルテミスに仕えていました。

 プレアデス姉妹が森で遊んでいたとき、狩りをしていたオリオンの目にとまりました。

すぐにオリオンは彼女たちを気に入り、後を追いかけました。

危険を感じたアルテミスは彼女たちを鳩の姿に変えて守ろうとしましたが、

オリオンが執拗に追いかけるのでアルテミスの手に負えなくなりました。

それを見かねた大神ゼウスは彼女たちを夜空の星々にしてオリオンから引き離しました。

それでも諦めきれないオリオンは自らも星になってプレアデス姉妹を追いかけようとします。

ゼウスはその間に立ちはだかりました。牡牛座は大神ゼウスの化身です。

その目が一等星アルデバラン、赤く輝いてオリオンを監視し、

プレアデス姉妹を守っているように見えます。(下の星図)




 どうして森山さんは曲名を『アルデバラン』としたのか。

私の勝手な思い込みですが、「プレアデス」は私たち、

「オリオン」は不安な未来、その間に友や支えてくれる人たちがいる。

歌詞の中の「不穏な未来」「ペテンな時代」「不確かな明日」であっても「手を叩いて」幸せを祈ってくれる。

「アルデバラン」の輝きをみてそう感じたのではないでしょうか。
 
 以前にも紹介しましたが、正岡子規に次の短歌があります。

     真砂なす 数なき星の 其中に 
                吾に向ひて 光る星あり