更新2021/12/6


 

松 燈 だ よ り

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 NO.276       2021年          12 月

  垂迹部(すいじゃくぶ)の仏像2 

 お正月は神社に初詣される方が多いと思います。

祀られている神様のなかには本来日本の神であったのが

本地垂迹思想で仏教と習合して信仰を集めた神様もありました。

僧形八幡神(八幡大菩薩)


 
 かつて北九州で神武朝から続く豪族の宇佐氏(うさうじ)の氏神といわれています。

のちに大和朝廷の西方の守護神となり、

平安時代以降は武神として多くの武士に信仰されることで全国各地に八幡宮がつくられました。

日本の神であったのが本地垂迹が広まって

僧形八幡神(八幡大菩薩)として僧侶の形として崇拝されました。

殺生の宿命を負った武士だからこそ、命の尊さを大切にする仏教思想に傾注したのではないでしょうか。

 八幡大菩薩は僧衣をまとい、日輪の頭光背をつけ、

右手に錫杖、左手に念珠を持った姿をしています。

 八幡宮(神社)は全国に約44,000もあり、日本で一番多い神社です。

大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社として、

京都府八幡市の石清水八幡宮と福岡県福岡市東区箱崎の筥崎宮(はこざきぐう)の三社を

日本三大八幡宮といいます。(最近は筥崎宮の代わりに神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮をいいます)

三宝荒神(こうじん)

 

 仏教の三つの宝とは仏・法・僧のことです。

「仏」:悟りに至った釈迦   「法」:釈迦の教え  「僧」:法を学ぶ仏弟子の集まり

 荒神はその守護神として信仰されています。

 しかし、本来は仏教とは関係なく土着の神であったものが、

平安時代以降には神仏混淆(こんこう)の神として修験道で信仰されるようになりました。
 
そしてこの神は、不浄や災難を除去する火の神ともされ、

家の中で最も清浄な場所である竈(かまど)の神(台所の神)として祀られました。

竈の神すなわち竈神(こうしん)が三宝荒神と呼ばれるようになったと思われます。

荒神さまには防火、福徳、除災を祈願して参詣します。

下は兵庫県宝塚市の清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)


 

NO.275       2021年          11 月

 お十夜

永享三年(1431)のことです。京都に真如堂という不断念仏の道場がありました。

 平貞国が出家を考え真如堂にこもり、三日三晩昼夜念仏の行をおこないました。

すると夢枕にひとりの僧が立って、「信仰心篤いが、出家するのは少し待ちなさい」と告げられました。

そのとき家では、兄の貞経が上位に背いたということで謹慎の身となっていたのです。

自分がもし出家していたなら家は断絶しているところでした。

 結局、貞国が家督と要職も継ぐことになり、「これも日頃お念仏を称えているおかげだ」と、

さらに真如堂にこもり七日七夜お念仏を称えました。

これが、三日と七日合わせて十日十夜の念仏行、「お十夜」の始まりだといわれています。

 そして『無量寿経』にある「この世で十日善いことをすることは、

仏の世界で千年善を行うことより勝る」という教えをもとに、

明応四年(1495)後土御門天皇の勅許を得て鎌倉の光明寺で十夜会を厳修され、

それが全国の寺院で旧暦の十月五日夜半から十五日朝までの十昼夜勤められるようになりました。

現在では1日や2日だけのお十夜が多いようです。

 仏の国では誰もが善人で善い行いがあたりまえの世界です。

しかしこの世では人の心にちょっとした隙間があり、それが膨らんで欺瞞に満ちた行動を起こしたりしがちです。

詐欺、偽装、中傷などすべて自分勝手な行いです。

ネット社会になってますます増えてきたのではないでしょうか。

昔はセキュリティやコンプライアンス(規範や倫理を遵守すること)ということばはあまり聞くことがありませんでしたが、

「この世は悪行があたりまえ」のような人を信用することが難しくなってきたように思います。

だからこそこの世で一つの善い行いがそれだけ貴重で尊いということになります。

お十夜は先祖供養も一つの目的ですが、お勤めと念仏を通して一年をふり返り自分の心の隙間を修復する法要です。

今年もコロナ禍のため法話がなく残念ですが、どうぞご参拝下さい。


 


NO.274       2021年         10 月 
 
垂迹部(すいじゃくぶ)の仏像 

 垂迹とは 、仏や菩薩が衆生を済度(さいど)するため、仮に神や人間などの姿となって現われること。

特に日本に古くから伝わる固有の神々は、

仏が衆生教化救済のために現われたもの(権現 ごんげん)とする考え方。

本地垂迹説ともいいます。

 天台宗が盛んになった平安時代は『法華経』が尊ばれました。

法華経の前半は人びとに分かりやすく説いた「迹門しゃもん」の教えといわれ、

後半はその真意を説いている「本門ほんもん」とされました。

この迹門と本門の関係を神と仏の関係に当てはめたものと考えられます。

このころから仏教本来の仏ではない神々が取り入れられ、融和することによって土着化が進みました。

鎌倉時代には仏前に御神酒を供えたり、神前で読経することも広く行われたようです。

 「権現」とは文字通り「権(か)りに現れた」という意味で、

「仏が化身(けしん)してかりに日本の神として現れた」ことを示しています。

 これは日本だけの現象ではなく、

インドや中国でも仏教がその地の神々を取り入れて発展してきた歴史があります。

一方で、仏教が独自性を失ったという考え方もあります。
 
蔵王権現(ざおうごんげん)

 日本の修験道の本尊で、正式名称は金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)、

または金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)です。

日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺(きんぷせんじ)本堂(蔵王堂)の本尊として知られています。

「金剛蔵王」とは究極不滅の真理を具現化し、あらゆるものを司る王という意味です。


  金峯山寺の本尊 蔵王権現

 蔵王権現は、修験道の開祖である役行者が、吉野の金峯山で修行中に現れたという伝承があり、

釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものとされています。

そのため金峯山寺の蔵王堂には三体の蔵王権現が並んで本尊として祀られています。

 宮城県と山形県との県境にある蔵王山は、古くは刈田嶺(かったみね)または、

不忘山(わすれずのやま)と呼ばれていましたが、吉野から蔵王権現が勧請されて、

平安時代に修験者が修行するようになり蔵王山とも呼ばれるようになったといわれています。
 




  NO.273       2021年         9 月 

   8月18日施餓鬼法要を厳修いたしました。

例年は融通念佛宗の近隣六ケ寺の法助を得て行いますが、コロナ禍のため当院の3名で執り行いました。

    
  ①                                ②

 


 ①は正面で、仏法僧の三宝と釈迦牟尼仏、観音菩薩、地蔵菩薩、阿難尊者の位牌を祀っています。

その右側は今年初盆回向をする経木塔婆です。

 ②は外陣で、天井に五如来と七如来の幡(ばん、はた)を掲げています。

外に餓鬼棚(③)が見えます。上の棚には「天地幽顕水陸諸霊」の位牌を祀っています。

四すみに「若人欲了知 三世一切仏 応観法界性 一切唯心造」の幡を掲げています。

下の段には清浄水の入った桶があります。

コロナの影響で2年続けて参拝者なしでのほうようとなりました。

はやくワクチンが行き渡り感染が終息することを願っています。

 彼岸 

 9月20日(月)から26(日)まで秋の彼岸です。23日(木)が中日になります。

 延暦二十五年(806年)三月十七日、勅命により各地の国分寺で崇徳天皇追善のため、

金剛般若経による法要が行われたのが彼岸会(ひがんえ)のはじまりといわれています。

 彼岸とは、文字通り彼(か)の岸ですが、河を渡った悟りの世界、安らぎの理想の世界をいいます。

その彼岸という幸ある世界(西方の極楽浄土)へ死後赴きたいとの願いをこめて、

古くから彼岸の中日(春分・秋分の日)に真西に沈む夕陽を拝む風習がありました。

彼岸会はこの浄土信仰と強く結びついて発展し、先祖供養も行われる日本特有の法要になったと考えられます。

 私たちが願う極楽浄土とは何でしょう。

 ここで「イタカ」という詩を紹介します。(2011年9月号に掲載)

 作者はコンスタンディノス・ペトルゥ・カヴァフィス(中井久夫訳)

イタカに向けて船に乗るなら

頼め、「旅が長いように」と、

「冒険がうんとあるように」

「身になることもうんとあるように」と。

・・・・・中略・・・・・

祈れ、「旅が長くなりますように」と。

「未知の港に入る楽しい夏の朝が何度も何度もありますように、

フェニキア人の貿易港に幾度も行けますように」。

・・・・・中略・・・・・

エジプトの街をあちこち訪れろ。

賢者から知識を貰って蓄えろ。

イタカを忘れちゃいけない。

終着目標はイタカだ。

しかし、旅はできるだけ急ぐな。

何年も続くのがいい旅だ。

途中で儲けて金持ち、物持ちになって年取ってからイタカの島に錨を下ろすさ。

イタカで金が儲かると思うな。

すばらしい旅をイタカはくれた。

イタカがなければ出帆もできまい。

イタカがくれるものはそれで充分さ。

イタカが貧しい土地でも

イタカがきみをだましたことにならない。

きみは経験をうんと仕込んだじゃないか。

こんな叡智を得たじゃないか。

それを考えると

イタカの意味がいずれ分かる。

イタカという、島の意味がな。





   NO.272       2021年         8 月 
  
  迎え経木、送り経木
 
お盆には霊が帰ってくるといわれます。

そのため、どうぞお帰りなさいと迎え火を焚いたり、迎え提灯を吊したりします。
 
そして盆飾り(盆棚)には、迎える故人の戒名や法名を書いた経木(経木塔婆)を立てます。
 
この経木が迎え経木です。
 
8月10日(火)~12日(木)の経木受けでお渡しするのがこの迎え経木です。

お盆のお参りの時に読み上げて供養します。

立て方は、右から先祖代々そして亡くなられた年代順に左へと並べます。

最後左端に三界萬霊です。

  


順序にこだわらず中央に近しい方を立てられてもいいでしょう。

 お盆が終われば、精霊送りとなります。16日の京都大文字の送り火は有名です。

今は少なくなりましたが、家庭では炮烙(ほうろく)の上でおがらを焚きました。

 道音寺の精霊送りは、迎え経木を送り経木として18日までに持参していただきます。

 そして18日の施餓鬼法要で最後に阿弥陀経をあげながらそれぞれの経木を送ります。


  NO.271       2021年         7 月

天部の続き4

妙見菩薩

 

日本では妙見さんで親しまれています。

菩薩とありますが、毘沙門天などと同じ天部に属します。

 中国において道教の北極星信仰・北斗七星信仰と仏教が習合して、日本に伝えられました。

道教では北極星(北辰)を天帝と見なし、仏教に取り入られてからは、

善悪や真理をよく見通すことができる「優れた視力」を持つということから「妙見」と言われました。 

中国の5、6世紀にはすでに妙見信仰はあったようで、

唐の時代にはその妙見信仰が盛んになり、

関連の経典や行法が流布していました。

 日本には飛鳥時代に朝鮮半島を経て伝えられ、当初は渡来人の多かった関西以西の信仰が主でしたが、

朝廷の渡来人の東国への移住政策により東日本にも妙見信仰が広がりました。

 一方、平安後期ごろ陰陽道にも取り入れられ、72種の護符を司る鎮宅霊符神として信仰されました。
(鎮宅霊符とは主に家内安全の護符)

この鎮宅霊符神と妙見菩薩が習合した神社として、能勢の「妙見さん」や大阪交野市の小松神社があります。

  妙見菩薩の容姿の特徴としては、左手に北斗七星をのせた蓮華を持っています。

 御利益としては、家内安全、海上安全、眼病平癒、長寿など





 NO.270       2021年         6 月

天部の続き3

閻魔天(えんまてん) 

 閻魔大王、閻魔さまです。

インドの古い神話の中の神で、サンスクリット語では「ヤーマ」といいます。

一対という意味があり、「ヤミー」という妹と双子でありました。


  


もとの容姿は柔和な顔で牛の背中に乗り、片手に杖を持っていて、

その先端には人間の頭がつけられています。

ヤマは死の世界の王となります。そこは死者の楽園でした。

生前によい行いをした人は死後に天界のヤマの世界に行くとされ、

それは理想的な人生だと考えられていました。
 
後世になると、ヤマは冠をかぶり赤い衣をまとった怖い容姿になり、住む世界は天界とは反対の地下となります。

そして死者の霊魂を黄泉の世界に連れて行き、そこで生前の行いを厳しく裁く裁判官となりました。

 中国では道教の影響もあり閻魔大王となって地獄の主となります。

日本に伝わりますと、地獄でも人を救うという地蔵菩薩の化身であるという考え方も生まれました。


 韋駄天(いだてん)

 インドの古い神でサンスクリット語で「スカンダ」といい、シバ神の子とされています。

仏教にとり込まれて、四天王の増長天に仕え仏法を悪から護る神となりました。

 

 宇治萬福寺の韋駄天像

 あるとき、足疾鬼(そくしつき)という鬼が大切にされていた仏舎利を奪い取り、逃げました。

たいへん足の速い鬼で、誰も追いかけることはできません。

そのとき韋駄天が目にも止まらぬ速さで追いかけ捕まえて、取り返したと言われています。

その逸話から足の速いことを「韋駄天走り」というようになりました。

 京都の泉涌寺(せんにゅうじ)にも同じような逸話があり、謡曲「舎利」が創られました。あらすじは、

 「出雲の僧が都に上って泉涌寺の仏舎利を拝んでいると、そこに一人の男が現れ、

舎利のいわれを語り始めました。

男と一緒に舎利を拝んでいると周りの様子が一変します。

男は『この舎利を前から欲しいと思っていた。自分は足疾鬼の執心だ』と名乗るが早いか、

舎利を奪うと天上に逃げ去りました。

僧が舎利を取り戻そうと祈っていると、そこに韋駄天が現れ、

すぐに天上界の最高所まで疾鬼を追いつめ舎利を取り戻したのです。

疾鬼はすぐさまその場から逃げ失せたといいます。


 天上界の最高所は須弥山(しゅみせん)の頂上で、有頂天(うちょうてん)といいます。

須弥山の高さは8万由旬。1由旬は約160kmですから、

    160km×80,000=12,800,000km

 一瞬(1秒以内)にこの距離を移動することは、光速(1秒間に30万km)より速い瞬間移動ということになります。

とにかく韋駄天は速いのです。


 荼吉尼天(だきにてん)、稲荷(いなり)

 お稲荷さんは、インドの古い神話の中の魔女「ダーキニー」がもとになっています。

髪を振り乱し裸身で空を駆け巡り、人の生首をつないだ首飾り、

人骨の腰帯を着け、人肉を食べるという恐ろしい魔女です。

 仏教では、大日如来がその彼女の悪を取り除き改心させ、荼吉尼天として立ち直らせたといいます。

日本では平安時代に荼吉尼は稲荷と習合し

稲荷の本身である狐の化身として信仰されるようになりました。 

 

 稲荷というのは「イネナリ」のことで、稲の実りを意味する農耕の神をいいます。

稲荷が狐の化身とされるのは、狐は山の神、田の神、あるいはその使いと考えられ信じられてきたからです。

 京都の伏見稲荷大社は渡来人の秦氏によって創建されました。

そして真言密教の根本道場である東寺の建築に際して、

秦氏が稲荷山から木材を提供したことで稲荷神は東寺の守護神となり、

真言密教の荼吉尼天と習合したと考えらます。

 江戸時代には江戸を中心に稲荷信仰が広がり、現在でも稲荷神社は関東に多いようです。

稲荷はもともと農耕の神でしたが、商工業の発展とともに産業全体の繁栄を祈る信仰になりました。

※習合(しゅうごう):宗教などで異なる教理などが融合すること

  (参考:『仏像の見方がわかる小事典』松濤弘道著 PHP新書)



 NO.269       2021年         5 月
 
 天部の続き2

鬼子母神(きしもじん) 子育て安産の神。

 

鬼子母神は夜叉(やしゃ)の娘でした。

夜叉はサンスクリット語では「ヤクシャ」と呼び、動物の姿をした悪鬼で、

出没しては家畜や人間に危害を加えてその精気を飲み込むというので

たいへん恐れられていました。

後に仏教に取り入れられて守護神八部衆の一つに数えられました。

 その娘の鬼子母神も邪悪で、手当たり次第に子供をさらっては食べてしまいます。

鬼子母神には子供が500人いました。

それにも関わらずそういう蛮行を繰り返すので、鬼子母神を懲らしめいさめようと、

お釈迦様は一番下の子を隠してしまいました。

嘆き悲しむ鬼子母神はお釈迦様のところに来て子供の行方を尋ねました。

 大切な子を失った親の気持ちがわかるだろうとお釈迦様が諭したところ、

自分の蛮行に気づきそれを悔いて、以後は人の肉に似たザクロを食べるようになったと言います。

そして仏教に帰依してからは、子育てと安産の守護神になりました。

子供を抱きながら、右手にはザクロを持っています。

大黒天(だいこくてん) 家業を守る神

 「大黒さま」としてよく知られています。サンスクリット語では「マハーカーラ」といいます。

「マハー」は偉大な、「カーラ」は暗黒を意味することから、大黒と名付けられました。

もとはヒンズー教のシバ神で、恩恵と破壊の二面性をもつといわれています。

 日本では特に前者のほうが強調されるようになりました。一般に打ち出の小槌を持ち、袋を担いで米俵の上に乗っています。

七福神の一つとして信仰されています。

   
 大黒様

 密教では青黒い三面で、中央の顔は三眼、手は六本、

右下の手は人の髪の毛をつかみ、左下の手は羊の角をつかんでいます。

恐ろしい忿怒の姿です(右下)。

これは邪教から仏法を護る神としての姿と考えられます。

(参考:『仏像の見方がわかる小事典』松濤弘道著 PHP新書)

  
三面大黒天(摩怛羅天曼荼羅図)
https://www.ensenji.com/2017/11/14/

 

NO.268       2021年         4 月

 天部の続き1
 
 
 吉祥天(きっしょうてん)

 吉祥は「きちじょう」とも読みます。めでたい兆し。よい前兆をいいます。

サンスクリット語ではシュリーといい、吉祥天は「偉大な」の意味の「マハー」をつけて「マハーシュリー」といわれます。

もとはヒンドゥー教で美と富と豊穣と幸運を司る女神ラクシュミーが仏教に取り込まれたものです。

 吉祥天女とも呼ばれ鬼子母神の娘で、毘沙門天の妃となり天女の姿で頭に宝冠をつけ、

如意珠(にょいじゅ)を左手に掲げています。

 天下泰平、五穀豊穣、国家安泰に効験があるとされ平安時代には多くの信仰を集めました。

 中世以降は女性神の弁財天の信仰が高まり、吉祥天は下火になりました。

 右写真は、京都府木津川市の浄瑠璃寺に安置されている吉祥天女像(国重要文化財)です。
 
 
 弁才(財)天(べんざいてん)

 弁天ともいわれます。もとはインドの農耕に関わる水の女神で、

古い聖典『リグ・ヴェーダ』にある聖なる川「サラスヴァティー」の名前に由来しています。

それが仏教に取り込まれ、音楽、学問、智慧などの徳があるとされています。

 また、財が得られる財福の天女ともいわれ、

それが強調されるようになると弁財天と表されることが多くなったようです。

 容姿は二通りあり、音楽性を備えた琵琶を持つ姿と、

もう一つは、悪を懲らしめるため八つの腕に刀や矛などの武器や宝珠をもつ戦闘神として姿があります。

 古い弁才天像は後者の方で、後に前者の優しい容姿をした弁才天に変わったようです。

 上は藤沢市江の島の江島(えのしま)神社の木造弁才天坐像(国の重要文化財)です。

 琵琶湖の竹生島には宝厳寺があり、ここにも秘仏弁才天が祀られています。

文献で「琵琶湖」という名前がよく知られるようになったのは江戸時代の元禄期以降のことですが、

その由来の一つは弁才天が持つとされる楽器の琵琶の形に似ているからだと言われています。

 そして、ここの弁才天は江島神社 (神奈川県 江の島)の弁才天と

大願寺・厳島神社 (広島県 厳島)の弁才天とともに日本三大弁才天に数えられています。




    
仁王

 仁王はサンスクリット語では「ヴァジュラパーニ」と呼ばれ、

執金剛神(しゅこんごうしん)または金剛力士と訳されています。

「ヴァジュラ」とは金剛、すなわち最も堅い壊れることのない金属のことです。

 寺院を外部の悪から守るため、

手に金剛杵(こんごうしょ)という武器をもち忿怒(ふんぬ)の形相で入り口の門に立ちはだかる守護神です。

もとは一体でしたが、両側に立つことにより二体になり、それを仁王門というようになったと言います。

上は東大寺南大門の仁王像です。

左の口を開けたのが阿形(あぎょう)、右の口をきりっと閉めたのが吽形(うんぎょう)と呼ばれています。

「阿吽(あうん)の呼吸を合わせる」というのは、仁王像からきています。

(参考と引用:「仏像の見方がわかる小事典」松濤弘道著 PHP新書)



NO.267       2021年         3 月

お水取り

 奈良の春は東大寺二月堂の「お水取り」によって訪れると言われます。 

これは3月1日から14日間に行われる「修二会」という一連の行事の一つとなります。

二月堂の修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」です。

「悔過」とは過ちを悔い改めることで、これを仏教では懺悔(さんげ)といいます。
 
私たちの月参りのお勤めの中にも懺悔文(さんげもん)があります。

仏様の御前で昔からの罪を悔い改める偈文です。

         我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
     皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
        従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
        一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

無始:遠い昔からの                       
                  貪:貪欲(とんよく)=むさぼり  瞋:瞋恚(しんい)=いかり 癡:愚痴(ぐち)=愚かさ
   
私が昔より造ってきた数々の悪い行いは、すべて遠い昔からの、
貪欲(とんよく)、瞋恚(しんい)、愚痴(ぐち)によって
身体と言葉と心に生まれた結果です。
私はそれらすべてを今ここに悔い改めます。


 ところで、悔過法要は他にも

薬師寺の修二会花会式(はなえしき)として薬師如来に献花する「薬師悔過」や、

大原勝林院では阿弥陀如来の御前で懺悔法要する「阿弥陀悔過」などが知られています。


  

  「十一面悔過」は二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の御前で私たちの犯した過ちを悔い改め、

そして鎮護国家・天下泰安・万民豊楽・五穀豊穣などを祈願する行事なのです。

 天平勝宝4年(752)に始まり、以来今日まで途絶えたことがないと言われています。

2月20日より練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11名の僧侶によって別火(べっか)と呼ばれる前行があり、

3月1日から14日まで本行が勤められます。

 「お水取り」は3月12日深夜(13日の早朝)に観音菩薩にお供えする「閼伽水(あかみず)」を

若狭井(わかさい)と呼ばれる井戸からくみ上げ、二月堂に運ばれます。

そのとき連行衆の道明かりとして11本の大きな籠松明(かごたいまつ)をもった童子(どうじ)が先導します。

その松明の火の粉を浴びると御利益があるということで、

例年は深夜にもかかわらず多くの参拝者で賑わいます。

旧暦の時代では二月一日は新月、十五日は満月です。

月が満ちるのに従って行が進み、満月となって満行します。

 今年は新型コロナの影響で12、13、14日は二月堂の拝観は中止されるそうです。


  NO.266       2021年       2 月
  
  四天王 (2014年 9月号の記事から

 よく知られている天部の仏像として四天王があげられます。

 古代インドの宇宙観では世界の中心に

須弥山(スメール山)という高い山がそびえていると考えられていました。

 仏教では、その須弥山の中腹の四方四州(東・西・南・北)に四天王が住み、

帝釈天に仕えて共に仏法を守護しているといわれています。

そのため四天王は、邪鬼を踏みつけ、怒りをもった形相(忿怒形 ふんぬぎょう)で鎧をまとい、

武器などを構えた姿をしています。

       
   
    持國天          多聞天                 増長天         広目天

   東方を守護するのが持國天です。国の持続を支えるといわれています。

右手は悪や災いを切り裂くための剣をかざしています。家内安全の守り神ともされます。

 南方は増長天で成長するという意味で伸びる力を保持しています。

右手に金剛杵(こんごうしょ)を持ち、心の中の煩悩を打ち砕きます。

左手には災いを突き砕くため、先が三つに分かれた槍のような戟(げき)と言われるものを構えています。

商売繁盛などよい方向に伸びることを助けるとされます。

 西方は広目天です。特殊な能力を持った眼(千里眼)があり、人々に真理を見抜く智慧を与えて視野を広くさせ、

仏法への帰依を促します。右手は拳を握りしめ、左手は戟を突き立てるように構えています。

 奈良時代の広目天は右手に筆、左手に巻物を持った姿で造られています。

(東大寺 戒壇院など) 智慧をもてば心身ともに健康になります。無病息災の仏神とされます。

 北方の守護は多聞天です。単独で祀られる時は毘沙門天と言われ、毘沙門様としてよく知られています。

サンスクリット語の名称「ヴァイシュラヴァナ」を訳すと

「仏法をよく聞く者」という意味になるので多聞と名づけられたそうです。

左手には聖なる仏舎利を捧げ、右手には悪魔を打ち破る宝棒(ほうぼう)を持っています。

日本では無病息災、福徳の仏神として知られています。

 四天王が退治しようとしているのは外からの邪鬼だけではありません。

むしろ、その邪鬼は私たちの心の中に潜んでいるのではないでしょうか。

邪鬼というより邪気かもしれません。私たちの中には意志の強い人もいますが、

人間はおしなべて弱い心の持ち主です。

邪気があるから煩悩に惑わされたり、周りに流されたり、間違いを犯したりしてしまいます。

邪気はなかなか消し去ることはできませんが、邪気が邪鬼にならないよう、

邪気を四天王に預けて裸の心になり、仏の前で手を合わせてはいかがでしょう。

邪気を静めることはできるはずです。

  
  
NO.265       2021年       1 月

幸せの数

 昨年、Kさんの中陰のお勤めを終えてふとサイドボードに目を向けると、

「幸せの数」と書いた画用紙が貼られてありました。




 Kさんの優しく穏やかな人柄はこういうところにあったのかと、あらためて思いました。

 人は誰でも幸せになりたいと思います。

財産があり何でも好きなモノが手にはいれば満足な気持ちになりますが、

それは幸せを感じることとは違うようです。

 「幸せの数」というのは幸せを感じるときを表しているのではないでしょうか。

 (一) 愛する家族がいること

 (二) 大切な友達がいること

 人と話しを弾ませると脳は活性化されるといいます。

心が沈んだ状態であれば、それによって前向きな気持ちになるでしょう。

多くの人と交流することで自分自身の存在を見つめ直すことができるはずです。

そして大切な友達も生まれるでしょう。

 ひとりぼっちの人でも、話しが苦手な方でも、

「おはようございます」とか「今日は寒いですね」などの一言から始めましょう。

 (三) 暖かい服があること     .

 (四) おいしいご飯を食べられること

 (五) 安心して眠れる蒲団があること

 それぞれの後に「ありがとう」をつければ分かりますが、

これは感謝の気持つことが幸せ感につながるということです。

「ありがとう」という言葉は、言う本人も言われる人も幸せになります。

小さな感謝でも幸せが得られます。笑顔で「ありがとう」です。

 (六) 趣味を楽しめること .

 (七) 感動する心があること

 心をはずませることです。感動は心と身体の栄養源とも言われています。

感動すると体内の細胞が活性化し、その結果集中力が増し、気力が高まるそうです。

 (八) 今朝この地球上で目が覚めたこと

 (九) もったいない先祖に感謝     .

 この地球上で生を受けたことへの感謝、また今生きていることへの感謝です。

 自分のルーツをたどっていくと、たくさんの枝分かれがあり、

それぞれの存在によって今の自分があります。

かけがえのない命を授かったのです。

先祖への感謝であり、大げさに言えば宇宙の大きな力(=神?)への感謝です。

 満天の星空を眺め宇宙の不思議と偉大さを思うとき、幸せを感じるのはそういうことかも知れません。

 小さな日常、そこに幸せがあります。

禅語に「日々是好日(にちにちこれこうにち)」という教えがあります。

雨でも曇りでも毎日は新鮮でいい一日だということです。