更新2020/12/4


                   

            
2020年(令和3年)

 

松 燈 だ よ り





NO.264       2020年       12 月 
 
  梵天、帝釈天

 梵天(ぼんてん)、帝釈天(たいしゃくてん)などは、天部の神々と言われます。

天部の天とは古代インドで神を意味する言葉「デーヴァ」を中国で「天」と訳したことによります。

 仏教が成立する前から、インドではバラモン教が栄えていました。

仏教はインドに古くからある慣習と融合しながら、

バラモン教やその後のヒンズー教の神々を受け入れて仏教の守護神として位置づけました。
 
梵天はヒンズー教の神「ブラフマー(創造神)」のことで、

崇高な宇宙の根本原理「ブラフマン」を神格化した最高神にあたります。

悟りを開いたブッダが説法するのを迷っていた時に、

「教えを説きなさい」と背中を押した(梵天勧請)といわれています。

梵天は中国の貴人の姿をしており、左手には鏡や香炉、蓮華のつぼみなどを持って、

髪の毛は頭上で集めて束ねています。

密教では三つの頭と6つの腕をもち、三羽のガチョウの上に座る姿で表されています。

下右は興福寺の梵天像です。帝釈天と対になって釈迦如来の脇侍としてまつられることがあります。

 しかし、もともと宇宙の創造という哲学的な神であるため、庶民の気持ちとはかけ離れていて、

インドでも日本でも梵天信仰は深まらなかったようです。

      


 上右は同じく興福寺の帝釈天です。

帝釈天はインドラ神のことで、バラモン教(前期ヒンズー教)のヴェーダ聖典の中心に位置する神です。

 フーテンの寅さんにでてくる柴又の帝釈天はよく知られていますね。

 インドラは王や帝王の意味があり、中国では天帝とも呼ばれています。

武勇の神であり、「釈」は「シャクラ」(強力な)の音をとって帝釈天と訳されたようです。

その姿は梵天と似ていますが、戦いの神であるため衣の中に甲冑を着けています。  

手には金剛杵などを持っています。右は興福寺の帝釈天像です。

 密教では身体に甲冑を着け、三つの牙を持つ白象にまたがり、

頭上に宝冠を戴いて手には金剛杵を持つ例が見られるようです。

 一見柔和な表情をたたえていますが、仏法守護の大将軍であり、

いざというときは四天王を従えて勇猛に悪に立ち向かいます。

 また、およそ50万人ほどの妻を娶っているといいます。

それ故、恋愛運とか家族繁栄につながることで人気があるようです。

  (参考:『仏像の見方がわかる小事典』松濤弘道著 PHP新書、
     『お経と仏像でわかる仏教入門』釈徹宗著 洋泉社、
   『ヒンドウー教の世界(上)』森本達雄著 NHK出版、
   『インド哲学へのいざない』前田專學著 NHK出版)



NO.263       2020年       11 月

 密教とお不動さん

 仏像には如来や菩薩のほかに不動明王、愛染明王、孔雀明王など明王(みょうおう)という諸尊があります。

明王の「明」とは宗教的な智慧や知識を意味しています。

密教では真言や陀羅尼(だらに 暗唱される呪(じゆ)文(もん))を「明」や「明呪(みょうじゅ)」といい、

それを誦持(じゅじ 常に唱えることができる)することを大切にしています。

「明」を誦持し、それにより呪力(じゅりょく)を持つ者を「呪明者」といいます。

明王はその呪明者達の王ということになります。
 
密教とは「秘密仏教」のことで、仏教成立以前のヒンズー教の影響を強く受け、

古代インドの伝統的な呪術的信仰に根ざしています。

 日本での密教は、空海によって伝えられた「真言仏教」をさします。

密教の中心経典は『大日経』と『金剛頂経(こんごうちょうきょう)』です。
 
『大日経』は大日如来(大毘盧遮那仏如来)の悟りにいたる道筋と人の考えが及ばないほどの変化、

そして仏と行者が一体となって妙果を得ることなどが記されています。

この内容を図示したのが、胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)です。

 『金剛頂経』は大日如来の悟りの内容が明かされています。

そして、瑜伽(ゆが ヨーガ)の観法を通じて自分の心を見つめ、如来と一体化して、

自身に本来そなわっている如来の智慧を発見するための実践法が記されています。

こちらも、金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)として図示されています。
 
要するに密教の教主大日如来は全宇宙にあまねく広がる絶対的真理(法 ダルマ)そのものであることを曼荼羅は示しています。




     金剛界曼荼羅 金剛界曼荼羅の一部



 しかし、いずれにせよ私たち凡夫にとって、

これらに描かれている悟りの境地を理解するのは容易なことではありません。

そのため、如来は菩薩という姿で世の中に入り衆生達に正しい教えを広めようとします。

 多くの衆生はそれによって救済されますが、一方、慈悲による説法だけでは聞く耳を持たない者もいます。

また悪の方向に導く者もいます。衆生の周りには教えとは真逆の悪が存在するのです。

 このような悪から衆生を目覚めさせ、悪を根絶するために、大日如来は明王を世に送ります。

明王は忿怒(ふんぬ 激しい怒り)の形相と明呪をもって、悪に染まった衆生を畏怖させ、悪の根源を粉砕します。

 『大日経』にはアチャラ・ナータという守護尊が記されています。

サンスクリット語のアチャラとは「動かないもの」を意味し、ナータは「守護者」のことです。

「不動明王」と呼ばれていますが、その経典の中には「不動如来使」として大日如来の使者であると記されています。
 
「南西の方角に不動如来使がいる。智慧の刀と羂索(けんさく)を持ち、頂髪は左肩に垂れ、片目をつぶり、

怒りの表情で身に猛炎あり、盤石の上に座っている。額には波のような皺(しわ)があり、童子の姿である」

 また、『大日経疏』には

「不動明王は、法身仏(ほっしんぶつ)としての大日如来の衆生救済の大願のゆえに、

この世にこうした忿怒の姿を表し、・・・」とあり、不動明王は単なる使者ではなく、大日如来の化身であると説いています。

 平安末期の民間歌謡『梁塵秘抄』には

 「不動明王恐ろしや 怒れる姿に剣をもち 索を下げ   後ろに火焔燃え上るとかやな
 
前には悪魔よせじとて 降魔(がま)の相

と歌われています。

 日本において、不動明王は悪を退治してくれる「お不動さん」として、親しみをもって広く信仰されてきました。


(参考と引用:『観音・地蔵・不動』  速水 侑 著 講談社現代新書)
 




 NO.262       2020年       10 月

毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と大日如来

 「毘盧遮那」はインドの古い言語(サンスクリット語)「ヴァイローチャナ」を音写したもので、

「光明があまねくを照らす」という意味です。

太陽のようにすべての人々を救いとるため光り輝いているということです。

毘盧遮那仏は盧舎那仏ともいわれています。
 
『華厳経』によれば、私たちの住む世界は小世界であり、それらが10億集まって中世界があり、

また中世界が1000集まって大世界があり、大世界が1000集まって大千世界となっています。

これが華厳経でいう宇宙です。『梵網経』では毘盧遮那仏は千の釈迦如来を従えながら蓮華台に座しておられ、

その蓮の花弁千枚の一枚一枚には百億の国があり、一国に一釈迦如来が在(おわ)すとあります。

 唐招提寺金堂の本尊である盧舎那仏座像には、その光背に千の釈迦如来(現在864体)が配置されています。

 よく知られている盧舎那仏は奈良東大寺の大仏様です。



 光背には釈迦如来16体が配置され、

座られている蓮台の蓮の花弁一枚一枚にも釈迦如来が彫られています。
 
 また右手は手のひらを立てて前に向けておられます。これは「施無畏印(せむいいん)」といって、

様々な恐怖を取り除き、すべての人々を差別なく救いますという印相です。

左手は、手のひらを上に向け膝の上に置かれています。(立像では手のひらを前に向けて下に垂らします)

 これを「与願印(よがんいん)」といって、人々の願いを聞き届けることを約束しています。

  

 上左写真は河内長野の天野山金剛寺の大日如来座像(国宝)です。

本来、大日如来は摩訶毘盧遮那仏と名づけられています。

「摩訶」は「偉大な」「大いなる」という意味があり、

盧舎那仏がさらに発展した仏として宇宙そのものを表しているといわれ、密教での中心尊にあたります。

 写真の大日如来は左手の人差し指を右手の拳で握る「智拳印(ちけんいん)」を結んでいます。

その左手は衆生を表し、それを包む右手は仏を象徴しています。

「煩悩即菩提」(煩悩がそのまま悟りの縁になる)という教えを示しているとされ、

この智拳印の大日如来は仏教の智慧の世界である「金剛界」の大日如来といわれます。

 一方、上右写真の法界定印を結ばれている大日如来もいらっしゃます。 

一切を抱擁する慈悲の世界の「胎蔵界(たいぞうかい)」大日如来といわれます。

 大日如来には三つの相があり、時には如来として働き、また菩薩として娑婆世界で人々を救い、

また明王として忿怒の相で邪気を祓います。

変化自在の人々を救うためでしょう、一般に如来は質素な様相をしていますが、

大日如来は頭に宝冠を、首には瓔珞(首飾り)、腕には臂釧(ひせん 腕輪)があり、菩薩のような姿です。

(参考:PHP新書『仏像の見方がわかる小事典』 松濤弘道 著)
 
「煩悩即菩提」は煩悩を積み重ねることが良いということではありません。

煩悩は誰でも持っています。それに流されないよう、

自分を見つめ直しそれを機縁に立ち直ることが大切だということです。





NO.261       2020年       9 月
 
釈迦如来

 
インドのルンビニーで生まれたシャカ(釈迦)族の王子ゴータマ・シッダールタ太子が出家し、

修行を繰り返してブッダガヤーで悟りを開き、ブッダとなられました。

それでシャカ族の釈迦に尊称の「ムニ」をつけて釈迦牟尼(しゃかむに)と呼ばれるようになりました。

 ブッダが80歳のとき、鍛冶屋のチュンダのために説法した後、

次のマッラ国クシナガラに向かう途中で激しい腹痛をおこして、サーラの二つの樹(沙羅双樹)の間に横になり、

弟子たちに囲まれながら息を引き取られました。

 ブッダが死を迎える前に弟子達に

   「自灯明、法灯明

の言葉を遺しました。  

ここで「灯明」とは「拠り所」となるものです。「法」は「おしえ」「真理」です。   
 
 

法隆寺の釈迦如来像

 「自らを拠り所とし、法(おしえ)を拠り所としなさい。他のものに頼ってはいけません。」

と弟子たちに諭しました。暗にブッダ自身の遺骨や偶像を造りそれを崇拝することを否定したのです。

当初弟子たちもその言葉に従いました。
 
しかし、あまりにも偉大なブッダであったため、まず遺骨の分配が行われました。

そして遺骨(舎利)を納めて祀る仏塔(ストーパ)が各地に建立され、信仰の対象となっていきました。
 
入滅後500年間は遺言通り偶像は造られませんでしたが、

紀元1世紀ごろ、ガンダーラ地方などでブッダの像が生まれました。

初めての仏像です。文化交流の要所であったため、瞬く間に各地に広がりました。
 
仏像としては、誕生、出家、入滅などブッダの生涯を表現したものと、覚者として人々の救済を目的としたものに分けられます。

日本では後者の仏像が主になります。

○ 誕生仏 (右写真)         
 .          . 
           ブッダが母のマーヤから生まれたとき、すぐに自ら七歩すすみ右手を上に、

               左手を下にして、「天上天下、唯我独尊」(てんじょうてんげ、ゆいがどくそん)と

言葉を発したといわれています。        


         意訳すると「この世の中で私という存在は唯一人であって尊い命である」

     その故事から生まれた仏像です。            


誕生された4月8日の花祭りのときによく祀れます。

  ○ 説法印の釈迦如来像           
           .  

        人々に説法を行っている姿を表しています。          
 .

    (3ページ法隆寺の釈迦如来像など)

     右手は施無畏印(せむいいん)といって、手のひらを前に向け、

すべての人に差別無く救いの手を差し伸べています。

          左手は与願印(よがんいん)で、左の膝の上に手のひらを上に向けて置き、

人々の願いを聞き届けることを約束しています。  
 .

○ 禅定印の釈迦如来像                       .

             結跏趺座(けっかふざ)の座禅を組み、悟りの境地に達している姿を表しています。

両手はおなかの前で禅定印(下写真)を結んでいます。
 
  

○ 涅槃の釈迦如来像                        
.
    下はブッダ入滅の様子を描いた涅槃図です。

  

涅槃とは吹き消すこと、消滅の意味があります。

仏教では煩悩を断じて絶対的な清寂に達した状態、

理想の境地をいいます。(広辞苑)      








NO.260       2020年       8 月
 

薬師如来

 七月二十八日、奈良東大寺では流行病(はやりやまい)の除疫を祈願する解除会(けじょえ)

という法会が行われました。
 
 延喜元年(901)から続く、旧暦六月の晦日(みそか)頃に行われる法要です。

僧侶達が直径2mほどのかやで作られた「茅(ち)の輪」をくぐってから

大仏殿の盧舎那仏(大仏さま)の前でお勤めをされます。

そのあと、参拝者達も無病息災を願って、その「茅の輪」を左回り、右回りと2回くぐります。

 今年は新型コロナが猛威を振るっているため東大寺では例年1日のところを、

8月8日まで「茅の輪」を設置されるそうです。

 
ところで、病気を治して下さる仏様として「薬師如来」がいらっしゃいます。

 
     
     

親しみをこめて「お薬師さん」とも呼ばれています。

 『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(『薬師経』)によりますと、

薬師如来は「瑠璃光如来」とも「大医王如来」ともいわれ、

東方の無数の仏国土を越えたところにある「浄瑠璃浄土」の仏様です。

そこは七宝からなる浄土といわれています。

菩薩の時に十二の誓願(誓い)を立てて仏となり、

現世利益(げんぜりやく)の仏として知られています。

現世利益とは生きてる間に受ける神仏の恵みのことです。

 その七番目の誓願には

若諸有情 衆病逼切 無救無帰 無医無薬 
  無親無家 貧窮多苦 我之名号 一経其耳
  衆病悉除 身心安楽 家属資具 悉皆豊足 
  乃至証得 無上菩提」


 とあります。

有情:衆生、人々  :多くの、様々な  逼切:逼迫していること

(訳)
 
もし諸々の衆生が多くの病にひっぱくして苦しめられ、
   救う人なく、頼る人なく、医者も薬もなく、親も家もなく、
   貧しくて苦しみが多いなら、私の名を一度その耳に聞けば、
多くの病をことごとく除き、心身安楽にして、
家族や生活道具もそろい、すべて豊かになり、
 そしてさらには最高の悟りを得られるようにしましょう。


 薬師如来は奈良時代に広く信仰され、

薬師寺は天武天皇の皇后(後の持統天皇)の病気平癒のため建立されました。

また、平安時代以降も、感染症が蔓延すると当時の人達はなすすべもなく、

ただ神仏に祈るしかありませんでした。

そのため各地に薬師堂が建てられ、

医療の仏様である薬師如来の信仰が盛んになったと思われます。

 初期の薬師如来の姿形は釈迦如来と同じでしたが、

日本では平安時代以降、左手に薬壺(やっこ)をもち、

  右手は施無畏印(畏れを除く印)または薬師三界印をとっています。


  
 
薬師如来は向かって右に日光(にっこう)菩薩、左に月光(がっこう)菩薩を

脇侍に従えられています(薬師三尊)。

日光菩薩は日光遍照菩薩ともいわれ、広くこの世を照らす太陽の光を象徴し、

苦の根源である無明をも滅除してしまいます。

 月光菩薩も月光遍照菩薩といわれ、柔和な月の光を象徴しています。

その光は、執着の熱をさまし煩悩から解き放つ力があるとされています。

 また、『薬師経』によるとその信奉者に十二人(十二誓願の数と同じ)の武将がいました。

薬師如来とその信者を守護する十二神将(じゅうにしんしょう)と呼ばれています。

後に、十二の数によって、十二の時、十二の月、十二の方角を守っているといわれるようになりました。

また、資料によって異なりますが、それぞれ十二支に対応されています。

 クビラ(コンピラ)大将:亥  バサラ(金剛力士)大将:戌
 
 メキラ大将:酉 ・・・・・など

 十二神将はそれぞれさらに7000人の武将を率いているといわれています。

そのことから薬師如来には8万4千人の守護者がいることになります。

 コロナを撃退してくれたらいいのですが。





NO.259       2020年       7 月


 地蔵菩薩2

 8月23、24日は地蔵盆です。

   


地蔵堂の前に子どもの名前の書いた提灯を奉納し、その子の健康と幸せを願います。

関西地区でみられる仏教行事ですが、地蔵信仰が遅れて伝わった関東や東北にはほとんどないそうです。
 

地蔵菩薩は日本古来の民俗信仰と習合し、そのなかで子どもの守り神という信仰も生まれました。

それ象徴する物語は「西院(賽 さい)の河原」です。


 中世のはじめまで、七歳ぐらいまでの子どもが亡くなった場合、

親を残して先立つのは親不孝者ということで、仏事を行わず山野や川に捨てられていました。


 しかし、徐々に幼児の死についての考え方が変化し、

亡くなったわが子が迷わないように子どもを救う守護神として地蔵菩薩に祈願するようになりました。


『西院の川原地蔵和讃』では

 ・・・・

 十より内の幼子が 広き河原にあつまりて、
 
父を尋ねて立ちまわり 母を焦がれて歎きぬる

 
あまり心の悲しさに 石を集めて塔を組む


一重積んでは父を呼び 二重積んでは母恋し


・・・・
 
しばし泣き居る有様を 地蔵菩薩のご覧(ろう)じて


 汝が親は娑婆にあり 今より後はわれをみな

 
父とも母とも思ふべし 深く哀れみ給ふゆゑ

 
大悲の地蔵にすがりつつ 我も我もと集まりて


 泣く泣く眠るばかりなり


・・・・

このあと、子どもが積んだ石塔を地獄の鬼が金棒で打ち崩しますが、

地蔵菩薩がその法衣に子どもを隠して鬼から守ってくれます。


 子どもだけでなく、

平安時代末期の『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』には次の歌があります。


 毎日恒沙(ごうじゃ)の定(じょう)に入り 

三途の扉(とぼそ)を押しひらき 

猛火の炎をかき分けて 地蔵のみこそ訪うたまへ


「毎日 数限りないほどの瞑想に入っては、
三途の扉を押しひらいて、
地獄の燃えさかる炎をかき分けて、
地蔵菩薩だけが訪ねて下さる」


 当時、罪多き人は死後地獄に赴くのは必定という考え方があり、

一般民衆には強い地蔵菩薩信仰があったようです。

(参考と引用:講談社現代新書『観音・地蔵・不動』速水 侑著) 





NO.258       2020年       6 月

  
地蔵菩薩1

 地蔵のサンスクリット名はクシチガルブハと言い、

「クチシ」は大地を、「ガルブハ」は胎とか内蔵することを意味します。

『地蔵十輪経』というお経には、「よく善根を生ずることは、大地の徳のごとし」とあります。

大地は生きとし生けるものを包み込み、そして育(はぐく)みます。

地蔵はそのような大地を象徴する菩薩なのです。

 また、釈迦が没してから弥勒菩薩が現れるまで、

無仏末法の娑婆世界で苦しむ衆生を救うように仏にゆだねられた菩薩であるといわれています。

いつでもあらゆる処にいろんな姿で現れ、六道輪廻(※3)で苦しむ人々を救い出します。

六道のうち最も苦しい地獄での救済こそ地蔵菩薩の本願といわれています。

 十二世紀末の『沙石集』には次のようにあります。

 
「地蔵は慈悲深いゆえに浄土には住まず、

この世と縁尽きぬゆえに入滅もせず、

だだ悪趣を住みかとし罪人を友とする。

  釈迦は信者の能力が備わった時に現れ、

弥陀は信者の臨終の際に来迎する。

しかし、地蔵は信者の能力を待たず、

臨終に限らずいつでも六道の巷に立ち、

昼も夜も縁なき衆生を救いたまう」



 このように地蔵は苦を取り除く(抜苦 ばっく)菩薩です。

八月の施餓鬼法要の礼拝では「南無大悲地蔵王菩薩」と唱えます。「悲」とは抜苦を意味します。

そして病や苦しみを人々の代わりに地蔵が受ける「身代わり地蔵」という信仰に発展し盛んになっていきました。

 一般に菩薩は宝冠をいただき、瓔珞(ようらく)をつけて着飾った姿をしていますが、

地蔵菩薩は修行僧の姿で、左手に宝珠を右手は錫杖を握っています。

        
放出墓地の六地蔵



声聞(しょうもん)形と呼ばれています。

人々に親しく交わるため、あえて身近な僧の姿をとっています。

(参考と引用:講談社現代新書『観音・地蔵・不動』速水 侑著)

(※3六道輪廻)六道(ろくどう りくどう)とは生をうける六つの世界で、

天上界:天人の住む、何不自由のない世界。最も寿命が長い

       人間界:私たちの世界                        
.

修羅界:戦い好きで、何に対しても攻撃的な世界     
.

畜生界:人間以外の動物などの世界           
       
餓鬼界:食べ物がなく、常に空腹である世界。      
           
欲望に限りがなく常に満たされない世界。.
       
地獄界:耐え難き苦しみを受ける世界          .

      

 私たちは生死(しょうじ)を繰り返し、

現世での行いなどによってこの六つの世界を繰りかえします。

       墓地に六地蔵がありますが、それぞれの世界で新たに生を受けた人々を救済するため祀られています。





NO.257       2020年       5 月

勢至菩薩

勢至菩薩の原語はマハースターマプラープタ。

 勢至菩薩は観音菩薩のように単独で祀られていることはあまりなく、

ほとんどは阿弥陀三尊として観音菩薩と共に脇侍に祀られています。

 多くは胸の前で手を合わせた合掌の姿です。(下は道音寺本尊の右脇侍)





 観音菩薩は慈悲の菩薩ですが、勢至菩薩は智慧をもって苦悩する衆生を救済します。
 
岩波文庫『浄土三部経(下)』(中村元・早島鏡正・紀野一義訳注)の『観無量寿経』によると。
(文章を少し改変しています)

 大きさは観世音菩薩と同じで、円光は直径百二十五由旬(ヨジャーナ)で二百五十由旬を照らします。

また全身から放つ光は十方の国に及び紫金色に照らして、すべての人々はこれを観ることができます。

この菩薩の一つの毛孔から出る光を観ただけでも、十方の無量の諸仏の清らかな光明を観たことになります。

それ故この菩薩を<無辺光>と名づけられています。
 
また、この菩薩は智慧の光であまねく一切の衆生を照らし、

三途の世界から離れさせ、無上の力を持たせます。

それ故この菩薩を<大勢至>と名づけられています。


由旬(ゆじゅん):原語はヨジャーナ。距離の単位、帝王が1日で進軍する距離。
             牛車が一日に進む距離などと考えられています。           .
 1由旬は10kmから60kmまでいろんな説があります。
 
無辺:無限の                                       .

  三途:悪行を重ねた人が趣く三つの世界。地獄界の火に焼かれる火の途(みち)、
  畜生界の互いに相食む血の途、餓鬼界の刀剣に斬られる刀の途。

大勢至:大いなる力を得たるもの                              .

 下は万部おねりの勢至菩薩です。



  今年は万部おねりをはじめ5月、6月中の法要や勉強会、行事がすべて中止になりました。

なにもかもが多くの人にとって初めてのことでしょう。

それも人間の世界にだけ混乱が生じています。

自然が人間に与えた試練かも知れませんが、乗り越えるためには

なにより互いに協力し合うことが必要だと思います。





NO.256       2020年       4 月

 観音菩薩2

 『般若心経』のほかに『観音経』もよく唱えられるお経です。

正式には『妙法蓮華経 観世音菩薩普門品第二十五』といいます。
 
法華経では、仏(仏)すなわち世尊(お釈迦様)が多くの弟子や菩薩等を前にして説法されています。

その内容が二十八品(章)に分かれていて、『観音経』はその二十五品にあたります。その冒頭です
 
  爾(そ)の時、無尽意(むじんに)菩薩即ち座より起(た)ちて、

偏(ひとえ)に右の肩を袒(はだぬ)ぎ、

合掌して仏に向かって是(こ)の言(ことば)を作(な)す。

 「世尊よ、観世音菩薩は何の因縁を以て観世音と名づくるや」と。

仏、無尽意菩薩に告げて曰(い)わく、

「善男子、もし無量百千万億の衆生あって、諸(もろもろ)の苦悩を受けんに、

是の観世音菩薩を聞いて、一心に称名(しょうみょう)せば、

観世音菩薩、即時に其(そ)の音声を観じて、皆解脱(げだつ)することを得ん」と。


 二十四品を説かれたあとで、無尽意菩薩が立ち上がって観世音菩薩の名前の由来を尋ねました。

「偏に右の肩を袒(はだぬ)ぎ」とはインドの礼儀作法で、お釈迦様への最高の敬礼を表しています。

 「もし多くの衆生がいろんな苦悩をかかえている時、観世音菩薩がいらっしゃると聞いて一心にその名を称えれば、

観世音菩薩はその音声を観じて皆を救って下さる。

それ故、観世音と呼ばれているのです」と世尊は答えました。

どのようにして衆生を救うかというと、

それぞれの衆生の世界で「南無観世音菩薩」の音声を観じたなら、

その時と場合に応じて姿を変え即座に衆生を救います。

観音経では、仏身、梵王(ぼんおう)身、比丘(びく)身、童女身、阿修羅(あしゅら)身等々、

三十三の姿に現じて衆生を救済することを説いています。

 三十三観音霊場は観音経の三十三身にもとづいています。



 道音寺に祀られている三十三体の観音菩薩です。


中央のお厨子には道音上人が祀られています。

 観世音菩薩は本来清浄なお姿でありながら、

苦悩や汚辱に満ちた世界に降りたち、姿を変え衆生を救われます。

そのため大慈大悲の観世音菩薩とも称されます。

「慈」とは「与楽」すなわち安楽、安らぎを与えること。

「悲」とは「抜苦(ばっく)」すなわち苦悩を取り除くことです。

 観音経の最後の偈句は

  具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼
  ぐいっさいくどく  じげんじしゅじょう  ふくじゅかいむりょう  ぜこおうちょうらい

 観音菩薩は一切の功徳をそなえられ、限りない慈しみの眼もって衆生を見ておられる。

その幸せをもたらす功徳の海は限りがありません。それ故まさに信を起こして礼拝するべきなのです。

(参考:NHK出版 NHKこころをよむ『観音経』鎌田茂雄 著)



NO.255       2020年       3 月

観音菩薩1

 菩薩とは菩提薩埵(ぼだいさった)ともいわれ、もとは梵語のbodhisattvaを漢字で表したものです。

悟りを求めて修行し、特に自分だけでなく他者のためを思って行動する人のことをいいます。

 阿弥陀如来や釈迦如来など如来は完全な悟りの境地に到った人をいいます。

菩薩はまだその一歩手前の修行の人です。他人を先に考えるその菩薩のことを詠んだ古歌があります。

     人をのみ渡し渡しておのが身は
           岸に渡らぬ渡し守かな

 観音菩薩のインドの原名はアバローキテーシュバラで、アバローキタ(観じられる)と

イーシュバラ(とらわれることなく自在である)からなる名前です。

 『法華経(妙法蓮華経)』を訳した鳩摩羅什(くまらじゅう 西暦350頃~410年頃)は

「観世音菩薩」と訳し法華経第二十五品の観世音菩薩普門品のなかで詳しく観音菩薩について書いています。

一般にこれがよく知られている『観音経』です。

 また西遊記にでてくる三蔵法師の玄奘(げんじょう 602年 - 664年)は

般若心経のなかで「観自在菩薩」と原語にそって正確に訳しました。

 観音経が広く流布したため、「観音菩薩」「観世音菩薩」の名前が一般的になったと思われます。

 中国や韓国をはじめ東南アジアの各国で観音菩薩が多く祀られています。

日本でも古くから観音信仰が盛んで、各地で観音霊場か観音講があり、観音寺という寺院も多数あります。

 『観無量寿経』には阿弥陀如来をそばで助ける観音菩薩と勢至菩薩が説かれていて、

寺院の本尊が阿弥陀如来三尊であるところは少なくありません。

中央が阿弥陀如来、左脇侍が観音菩薩、右が勢至菩薩です。

観音菩薩は「慈悲」をもって衆生をすくい取るという蓮華の台を持ち、

頭の冠(天冠または宝冠)には阿弥陀如来の化仏があります。

 単独で祀られている場合はいろんな観音菩薩像があります。

聖(しょう)観音菩薩                               .

                 .

  
   正観音とも書き、一般には左手に蓮華のつぼみを持つ立像で、単独で祀られています。

上のように蓮華のほか水瓶を持つ聖観音もあります。

  
 千手(せんじゅ)観音菩薩                            .

       

上は三十三間堂の千手観音座像です。

 より多くの衆生を救うため、千の慈手と 千の慈眼を持つとされる観音菩薩です。

 合掌する両手の他に左右に二十手ずつ、合わせて四十手あり、

その一手ごとに一眼をもち、二十五の世界(25×40の世界)を救うといわれています。

 また、頭上には二十七面または十一面があります。


 如意輪(にょいりん)観音菩薩 




片膝を立てて座る六臂(ぴ)の座像が多く、あらゆる願望を叶えてくれるという

如意宝珠(にょいほうじゅ)と煩悩を打ち破ってくれる法輪を持っています。

六臂とは六つの腕のことで、特に本来の右手は頬の所を支えるようにあてて、ものを思う思惟相をしています。

その他、十一面観音菩薩、白衣観音菩薩、不空羂索(ふくうけんじゃく)観音菩薩、准胝(じゅんでい)観音菩薩、

馬頭観音菩薩などさまざまな形の観音菩薩があります。その形はすべて苦悩する衆生を救済しようとする姿です。






 NO.254       2020年       2 月

御回在  

3月10日は道音寺の御回在(ごかいざい)です。

戦前は「ごんぶったん」とも呼ばれたりして、お寺のまわりに店が出るなどにぎわいがあったそうです。

 では御回在とは?

 融通念佛宗が約400年間行ってきた行事です。

始まりは元和(げんな)四年(1618)、第三十六世の融通念佛宗法主の道和上人の代です。

 大坂夏の陣のとき徳川家康は本山の大念佛寺を砦にしていました。

そのため戦火に遇い元和元年(1615)に堂舎はことごとく焼失しました。

家康は修復や青銅などの寄進を行いましたが、さらに寺禄三百石を寄進すると申し出ると、

道和上人は「僧侶の堕落につながる」としてそれを断りました。

そのかわり回在念仏を広めることの許可をいただきました。「回在」とは「在所を回る」ということです。

在所とはすなわちお寺とその檀信徒のいるところです。

 御回在の実際は、本山大念佛寺から御本尊の十一尊天得如来をもって、

十一尊にちなんで11人で鉦をカンカン叩きながら各家を回ります。

僧侶が7名、「禅門」という在俗の人が4名(大体がお寺の役員さん)です。

僧侶は紫衣の「唱導師」(説教師)、黄衣の「目代(もくだい)」(取り仕切り役)、茶衣の「収納(しゅのう)」(会計役)と

4名の黒衣「僧中(そうじゅ)」(お勤め役)で構成されています。

 各家でのお勤めには「お掛かり」回向と「立て回向」があります。

「お掛かり」はご本尊を開帳して、「立て回向」は御本尊を箱のまま仏壇の横に立てかけて短いお勤めをします。 

ご先祖の回向、家内安全、除災与楽の回向をして最後に「お頂戴」をします。





一人一人の背中に御本尊を載せて、「身体堅固 ナムアミダブツ」といって

如来さんの力を頂戴し、人生を守っていただきます。

                                  (参考:新幹線の雑誌「ひととき」2007年12月号)


 
 
NO.253       2020年       1 月


自由は、不自由や
 
NHK朝ドラ「スカーレット」を見ている方も多いと思いますが、

その中で西川貴教さんが演じる芸術家ジョージ富士川氏が言ったことば

「自由は不自由や」は少なからずインパクトがありました。

 自由になると不自由になる。

たとえば学校で、制服の規則をなくして服装を自由にすればどうでしょう。

当初、何を着て登校すればよいか毎日悩むことになります。

かえって、自由を得て不自由になったといえます。

制服が決められていたら何も考えることなくその制服を着ていけばいいわけで、

悩むこともなく、そのため時間の節約にもなります。

でも本当にそれでいいのでしょうか。

 富士川氏は「不自由の先にまた自由がある」と言いました。

「お仕着せ」は考えることを停止してしまいます。

考えて悩んで新しいものを生むには、勇気がいります。

エネルギーと時間が費やされます。

一見不自由に感じますが、人が成長し未来を開くには大切なことです。

(ただ例として制服の一面だけを言いましたが、制服にはそれなりの効用もあります。)
 
ところで、般若心経のなかに「色即是空、空即是色」という一節があります。

どこか似ていませんか。

「色」とは物質そのものやそれらの関係によって起こる物質現象をいいます。

「空」とはあらゆる物の相互依存関係で、その関係性で変わる実体のないものと考えられています。
 
解釈が間違っているかも知れませんが、この一節を次のように考えます。

「あらゆる現象は物質などの相互依存関係で成り立っており、

それが時々刻々と変化し、また新たな現象を引き起こす。

この世のすべてはその関係性(空)で成り立っている」
 
仏教ではこの関係性のことを「縁」または「縁起」と言います。
 
もう一度、
     
「自由は不自由や、でも不自由の先に自由がある」