更新2018/12/5





 

松 燈 だ よ り

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NO.240       平成30年       12月

分別(ふんべつ)、無分別

 11月17日(土)に今年最後の行事である「お十夜」がありました。

そのとき吉村明山師から法話をいただきました。その一部を紹介致します。

 「分別」を辞書で引くと、「道理をわきまえていること。常識に従って物事の是非を判断すること。

また、その能力」とあります。分別のある人は、人生の経験から常識のある人で、善いイメージをもちます。

逆に無分別は分別のないことで悪いように考えます。

 しかし、仏教では「分別」を良い意味 ではとらえていません。  

 「分別」を「ぶんべつ」と読むと、「ゴミを分別する」等のように使います。

その時の意味は、「種類によって 区分や区別すること」です。

 「ふんべつ」も「ぶんべつ」も物や事をその人の判断によって「分ける」「区別」することになります。

「分ける」にあたって、その人の主観が入りその人の基準で選別されます。

たいていの場合は何かと比べて善悪や大小などを判断しています。

仏教では、それが私たち人間(凡夫)の知恵で、それによって煩悩というのが生まれて人は苦悩するといいます。

 例えば、「国語のテストを返してもらったら80点であった。

喜んでいたけれど、平均点が90点と聞かされて落ち込んでしまった。

次に数学が40点であったので帰ったら叱られるかなと思っていると、平均点が30点であったので安心した。」

 これは平均点を基準に比較して一喜一憂しています。

ありのままの見方をすると、80点は大体理解できているわけですからむしろ喜ぶべきで、

40点は理解不足であることを知るべきです。

 世の中には「一般には」とか「常識」という言葉であらゆる物や事に「平均点」が存在します。

それは人間社会にとってある意味大切なことかも知れませんが、人はそれと比べることによって三つの煩悩

   「貪欲(とんよく)」:必要以上に求める心、むさぼり
   「瞋恚(しんい)」 :妬み、怒り
   「愚痴」 :誠を知らない無知、無明(むみょう)、愚かさ

に苦しめられるのです。

 それに対して仏の智慧は「無分別」です。

物や事を比較することなく、ありのまま受け止めて、差別や区別もありません。

人として「無分別」の智に到達することは難しいかも知れませんが、近づくことはできます。

 最近、発達障害や障害を持つ方の見方が変わってきました。

少しずつですがそれを個性としてありのままに受け止めるようになってきたのです。

 世の中は多数意見に流されることがおおいですが、少数意見や小さなものにも常に眼を向けてかなければなりません。

 



NO.239       平成30年       11月

コミュ力
 「コミュ力」とは「コミュニケーション能力」のことです。
 仕事をする上で、取引先との打ち合わせや交渉をするとき、また上司や同僚との付き合いなど、
 互いの意思疎通を図ることは大切なことだとされています。会社などの採用試験ではコミュ力が
 一番重視されているといわれ、その能力を向上させる学習教室もあるそうです。
 このコミュニケーションの本質について、岡田美智男さん(豊橋技術科学大学教授)は朝日新聞
 に投稿されていました。(2018年5月23日 耕論「弱さを補い合って成立」)
 岡田さんは「社会的ロボットおよび関係論的なロボット」を研究されていて、人との関わりの中での
 次世代ロボットの開発を進められています。著書には『弱いロボット』があります。

 自らではゴミを拾えないものの、子どもたちの手助けを上手に引き出しながら結果としてゴミを拾い
 集めてしまうゴミ箱ロボット(右の写真)やモジモジしながらも相手の手助けを借りつつ、ティッシュを
 手渡そうとするロボットなど、人とロボットとの社会的相互行為の研究によって生みだされたものです。
  記事によると、
 「ロボットが人間の言葉を100%理解しても、一本調子の返答だけでは、冷たく機械的な印象で、
  会話に思えません。ところが、わざと『言いよどむ』ように調整すると、一生懸命話す生き物らしさ
  が出て不思議と耳を傾けたくなります」
 「その理由は、正確・完結に答えるロボットよりも、むしろ言葉に詰まったり、言い直したりするロボット
  のほうが現実の人間同士のやりとりに近いと感じるからだと思います。」
 「ふだんは意識しないけれど、人間は不完全さをお互い補い合い、コミュニケーションを成立させて
  いるのです。」

  岡田さんたちは、二人の女性がハワイ旅行の思い出話しをしているときの会話を書き言葉に代えました。
 言い間違えたり、話しがそれたりで意味不明でした。
  ところが、その場では不完全なまま相手に委ねられた言葉であっても、相手の解釈によって補われ、
 コミュニケーションが成立するのです。
 岡田さんは次のように締めくくられています。
 「コミュニケーションとは二人の持ちつ持たれつの間で立ち現れる関係だと考えるべきです。」
 「つまりコミュ力とは、不完全な私たちが、お互いを補い、支え合うなかで生じる関係の力です。
  言い方を変えれば、自分の弱さ、不完全さを上手にそして適度に他者に開示することによって、
  相手の手助けを引き出していく力とも言えるでしょう。」
  補い合い、支え合いという関係性は対話だけではありません。この世の中全てに通じるでしょう。
 紅葉が美しいのは、赤、黄、橙、緑などいろんな色が混じり合って互いに引き立て合って生まれる
 からですし、おいしいお料理もいろんな食材と調味料、香辛料などがうまく合わさるからです。
  生物学者の岡田節人(おかだときんど)(故人)さんは細胞をシャーレで培養する時、同じ数の
 細胞を一つずつの細胞の距離を離した場合と近づけた場合の増え方を比べてみました。
 同じ条件下で近づけた方がずっと元気に育ったそうです。
  細胞は人間と同じく「寂しがり屋」だと、そして互いに協調する性質をもっていると結論されました。
 次のページに塔 和子(とう かずこ)さんの詩(一部)を紹介します。
 塔 和子さんは 1929年 愛媛県に生まれる。1943年 ハンセン病を発病、瀬戸内の国立療養所大島青松園に入所。
 1999年 高見順賞受賞。詩集多数。『塔 和子全詩集3巻』(編集工房ノア)

胸の泉に 塔 和子
  かかわらなければ 
  この愛しさを知るすべはなかった
  この親しさは湧かなかった
  ・・・・・
  人はかかわることからさまざまな思いを知る
  ・・・・・
  かかわったが故に起こる 幸や不幸を 
  積み重ねて大きくなり くり返すことで磨かれ
  そして人は 人の間で思いを削り思いをふくらませ
  生を綴る
  ああ 何億の人がいようとも
  かかわらなければ路傍の人
  私の胸の泉に
  枯れ葉いちまいも 落としてはくれない



NO.238       平成30年       10月

善をなす

 月参りのお経の中に、懺悔文(さんげもん)と七仏通戒(しちぶつつうかい)という偈文があります。

 懺悔文は文字の通り、懺悔(ざんげ)して悔い改めることを誓う偈文で華厳経にあります。

  我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞうしょあくごう)
  皆由無始貪瞋痴 (かいゆむしとんじんち)
  従身語意之所生 (じゅうしんごいししょしょう)
  一切我今皆懺悔  (いっさいがこんかいさんげ)
  
     (わたしが昔からつくる幾つもの悪い行いは
      すべて遠い過去からの貪欲、瞋恚、愚痴が原因で
      身体と口と心が働いて生まれます。
      これらすべてを今わたしは懺悔いたします。)

     無始(むし):始まりのない遠い過去
     貪欲(とんよく):欲しがって飽くことを知らない。
     瞋恚(しんい):自分の心に反するものを怒り恨むこと
     愚痴(ぐち):道理がわからない愚かさ

 この世で生きていく中で私たちはどうしても貪欲、瞋恚、愚痴から離れることはできません。
聖人でないかぎり、煩悩をなくすことはできないでしょう。しかし、放っておくとどんどん膨らんできます。
そうならないためにも、この偈文をとなえて振り返ることが必要です。

 次に七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)です。  
  諸悪莫作
(しょあくまくさ)
  諸善奉行 (しょぜんぶぎょう)
  自浄其意 (じじょうごい)
  是諸仏教 (ぜしょぶっきょう)

(もろもろの悪を為すことなく 諸々の善をすすんで行い、
自らその心を清めなさい。これが諸仏の教えです)
 
  七仏:諸々の仏 通戒:共通の教え

 この偈文には次の逸話があります。
 唐の時代、大きな松の樹の上で座禅する道林禅師という高僧がいました。
あるとき有名な詩人で政治家の白楽天(白居易)が尋ねてきました。いつものように座禅する道林をみて
「危ないぞ」と声をかけました。禅師は「それは、そっちだ。煩悩が燃えさかっている。危ないぞ」
と返したのです。
むっとした白楽天は禅師を困らせようと
「それじゃ聞くが、お釈迦様の教えとはどういうものか」と質問しました。
道林禅師はこの七仏通戒偈をとなえました。
白楽天は笑いながら「なんだ、そんな当たり前のことなら三歳の子供でもしってるよ」
といって過ぎ去ろうとしました。すると樹のの上から「ところがな、八十歳の老人でもなかなかできるもんじゃない
よ」と言葉がかえってきました。
さすがの聡明な白楽天もちょっとしたおごりがあったのか、頭を一撃されたのです。

 先の「懺悔文」にありますように、人はなかなか煩悩から抜け出せません、いろんなわだかまりもあるでしょう。煩悩に身をおく自分を知り、常に戒める気持ちをもつように説いているのです。 
 「悪しきをなさず、善きを行う」。これはあたりまえのことです。行動がともなわなければなりません。煩悩まみれの世の中であるからこそ、「善きを行う」ことは価値があるのです。
 『無量寿経』のなかに

 善を修すること十日十夜すれば、他方の諸仏の国土において善をなすこと、千歳にするに勝れり。

 諸々の仏国土は、善をなす者が多く、悪をなす者は少なく、自然に福徳が積まれ、悪を犯すことがない所なのだ。ところが、この世にだけは悪が多く、自然に善をなすなどということはなく、人々は苦しみ求めて次々に偽り欺き、心も体も苦しんで、苦を飲み、毒を食している。
(「浄土三部経 上」岩波文庫 訳注:中村 元、平島 鏡正、木野和義より )

 それゆえ、この世で徳を積み、清浄な心で善を実行すれば、仏の世界で善を行うより何万倍もの価値があることになるのです。
 これがお十夜の法要の意味するところです。

             
                       ハナミズキの花芽


NO.237       平成30年       9月

彼岸

 中国では古くから清明節(せいめいせつ)という大切な祭日があります。

二十四節気のひとつ「清明(せいめい)」の日に、家族揃ってお墓参りをします。

故郷から離れた家族もみんな帰ってきます。

 清明とは「天地に清く明るい空気が満ちる時期」といわれ、春分から約15日後の4月5日ごろになります。

清明の日と前後一日の三日間は祝日となり、墓参の後は日本の花見のように、

清らかで明るい春の息吹を楽しむ宴会が盛大に催されます。日本のお盆のような行事です。

 また、秋の中秋節は旧暦の八月十五日に行われ、この日は祝日となり、月を愛でて、月餅を食べます。

日本の月見の起源となった行事です。

 清明節も中秋節も二千年以上前の古い慣わしから生まれた行事で、仏教的な意味はありません。

そして中国では秋分の日には特別な行事はありません。

 日本では春分の日と秋分の日は休日です。昭和23年(1948)国民の祝日に関する法律で制定され、

春(春分の日)は自然をたたえ、生物をいつくしむ日とし、秋(秋分の日)は祖先をうやまい、

なくなつた人々をしのぶ日とされています。もちろん仏教的な意味はありません。


まだスイレンの花が咲きます

日本ではお彼岸が春と秋にあり、春分の日、秋分の日を中心に七日間は墓参や法要を行う仏教行事になっています。

 彼岸はもともと「日願(ひがん)」「日天願(にってんねがい)」ともいわれ、

これは日本古来の太陽信仰に由来すると言われています。今でもある地域では、

彼岸に午前は日迎えとして東に向かって歩き、午後は日送りといって西に歩いて行く風習があります。

 太陽信仰によって春には豊穣を祈り、秋には収穫を感謝する行事ができあがったと思われます。

 また、仏教が伝わる以前から、半年ごとに先祖の霊を迎える風習もありました。

 その後、中国から暦や風習などが伝えられ、日本の太陽信仰、祖霊崇拝と習合して、春分、秋分にお祭りをするようになりました。
 仏教行事となったのは、延暦二十五年(806)桓武天皇が弟の早良(さわら)親王の怨霊を鎮めるために、

諸国の国分寺に七日間 『金剛般若經』の転読を命じました。

これが彼岸会(ひがんえ)の始まりとされています。そのため、インドや中国にもない日本独自の仏教行事です。

 「日願」が「彼岸」となり、仏教的な意味づけがされるようになったと思われます。

 「彼岸」とは「此岸(しがん)」の対語です。

この世の娑婆世界が「此岸」で大きな河を隔てた「彼岸」が悟りの境地である西方極楽浄土となります。

彼岸の中日は(春分、秋分)は太陽が真西に沈みますので極楽浄土の方向がわかります。

平安時代後期から彼岸に四天王寺に詣で、西門から難波の海に沈む夕日を拝んで

極楽浄土に往生することを願う信仰がありました。

四天王寺の西門は石造の鳥居で、その先に西大門があります。

極楽に通ずる門の意味から、通称 極楽門とよばれています。


西大門

み仏の み手のいとゆふ 見ゆるかな
        西に入日(いるひ)の かげのうちより

                                                      熊谷直好
( 仏様の御手の陽炎が見えるでしょうか。西に沈む陽の光りの中に)
       
 到彼岸(彼岸に到る)とは、悟りの境地に到ることです。

仏道を修行し、成就することが求められます。お彼岸を心静かに過ごされますように。




NO.236       平成30年       8月

迎え火・送り火

 盂蘭盆会 遠きゆかりと ふし拝む
                                         高浜虚子
ふし拝む:ひれ伏して拝む、遠くから拝む

 亡き人の来る夜ときけど君もなし
           わが住む里や魂
                   
和泉式部
(亡き人が来る夜といいますが、貴方は来られません。私の住む里は魂のない里でしょうか)

中国や韓国でもお盆やそれに似た行事があります。

 韓国では「秋夕(チュソク)」といって、旧暦八月十五日、中秋の名月の日を中心に前後3日間、

墓参りとその周辺の清掃を行い、家では祖先の祭壇に酒や餅、果物などお供えして祀る大切な行事があります。

 中国では日本と同じく仏教の『盂蘭盆経』に由来するお盆があります。

「中元節」といって旧暦七月十五日に墓参や先祖の供養をします。また日本の「お中元」の由来にもなっています。

 日本では各地で様々な形でお盆の行事がありますが、韓国や中国にはみられない、

おがらを庭先や玄関先で焚いて、迎え火や送り火とする風習があります。

 一般に迎え火は帰ってくる亡き人の霊が迷わないように目印として焚くといわれていますが、

これは後付けの説明のようです。これはおそらく仏教が伝わる以前の、火にまつわる日本独特の風習と思われます。

 民俗学者の柳田國男氏は『年中行事覚書』のなかで次のように書いています。

  〇魂迎えの夕の墓参りに、必ず燈をともして行くということも、単に精霊の路
   を照らすためのみではなかったらしい。土地によっては今はほとんど何の理
   由かも忘れてしまっているが、児女が半ば戯れに近く、背中を出して負うま
   ねをしたり、あるいはもっと厳重に必ず両手を背後に組み、転ばぬよう帰っ
   て来る風、もしくは墓所近くの小石を一つ拾って、懐にして来る信州東筑摩
   の風習、新仏は墓地をさることがむつかしいからといって、瓢(ひさご)を
   携えて往って代わりに墓所に置いて来る岩手県の慣行の如き、共に幼い考え
   方であるが、参る人が伴のうて還るという古い信仰を保存しているかと思う。
  〇だからこの黄昏(たそがれ)に、まず、石碑の前の燈籠を点じ、その火を提
   灯に移して家に持ち来り、家中の灯をこれに改めて、盆の間だけ消さぬよう
   にするという仕来りには意味が深く、仮にこの明かりでお出でやれお帰りや
   れということに今はなっていても、本来の火の光りに対する我々の考えは別
   であって、やがて、日を拝みまた雷火を崇信した古い神道と、筋を引いて遠
   く火の発見の時代まで、遡って行かれるものであるかも知れぬ。蝋燭(ろう
   そく)や燈蓋(とうがい)の普及する以前には、一切の照明は松明(たいま
   つ)でなければならぬから、迎え送りの門火の苧殻までが必ず小松明であっ
   たということはすなわちまた精霊の火の運搬せられたことを語るものであろう。

 このことから、火は霊魂そのものであり、またその供養のため灯すものなのです。

お盆のお墓参りは、霊を家に連れて帰るためであり、霊は実体が無いためその証しとして燈火を持ち帰ったのでしょう。

本来はお墓でのお迎えであったのが、近年、墓所が遠いこともあり、家で迎え火や迎え提灯という形が生まれたのかもしれません。

 亡き人が帰ってこられる大切な日々、その霊魂と私たちの心とが静かに対話できるよう、お盆の準備をしてみましょう。



NO.235       平成30年       7月

星降るお盆

 毎年お盆の8月13日頃はペルセウス座流星群が極大になる時期です。 

今年は11日が新月になりますから、月明かりがなく観測条件が最良ということです。

星がよく見えるところでは1時間に40個ほど、放射点から流れる星を見ることができるでしょう。

 大阪市内でも天気が良ければ午前0時頃から午前3時ごろまでいくつか見ることができるかも知れません。


8月13日(月)の午前0時頃
国立天文台 天文情報センターによる画像

 ペルセウスはギリシャ神話に出てくる勇者の一人です。

見た者はすべて石になってしまうというメドウサの首を切り落としたことでよく知られています。

その時、ほとばしる血の中から現れたのが天馬ペガサスです。

ペルセウスはその首を持ち帰る約束があったので、袋に収めてペガサスにまたがり帰路を急ぎました。

エチオピアを通ったとき、海岸にアンドロメダ姫が鎖で縛られているのをみつけました。

アンドロメダの父はエチオピア王ケフェウス、母はカシオペアです。

その頃ティアマトというクジラの化け物はエチオピアの海岸に津波を起こすなどの暴挙を繰り返していました。

それを鎮めるための神託(神のお告げ)がアンドロメダ姫を生け贄(いけにえ)にすることだったのです。

王は悲嘆の中、なくなく海岸に娘を鎖でつないだのです。

 いよいよティアマトが現れアンドロメダに近づいたとき、ペルセウスはいきなりその目の前に袋からメドウサの首を出し、

ティアマトを石にしてアンドロメダを救いだしました。

その後二人は結婚し、その子はエチオピア王になったといいます。

 登場した人物などはすべて秋の星座になっています。ティアマトはクジラ座に、

メドウサの首はアルゴル(悪魔)という明るさが変わる変光星としてペルセウスの左手に輝いています。

 ところで、「人は亡くなったらお星様になる」とよく子どもに言うことがあります。

その根拠はよく解りませんが、「自然、宇宙に帰る」、

嬉しい時も悲しい時も「いつもこちらを向きながら見守ってくれている」からでしょうか。

 その星が流れ星になって、お盆にあわせて地球のそれぞれのもとに帰ってくるのでしょうか。


NO.234       平成30年       6月


金峯山寺

竹林院から歩くこと約20分ほど、金峯山寺の石段に到着し、そこを登れば正面に蔵王堂(国宝)が見えます。


蔵王堂(国宝)

堂内に入ると、金峯山寺の樋上孝教(ひのうえきょうこう)師より詳しいお話がありました。

 吉野山から大峯山にかけて古くは金峯山(きんぷせん)と呼ばれ、

修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)がこの地で修行し、

修験道の本尊蔵王大権現を感得されたと伝えられています。


役行者

そのお姿を山桜に刻み、大峰山の山上ヶ岳と山麓の吉野に祀られました。

これがそれぞれ大峯山寺蔵王堂と金峯山寺蔵王堂となり金峯山寺の始まりとされています。

 役行者は「役小角(えんのおづの)」がその本名といわれ、もとは葛城山に住み博学で、仏法僧の三宝に深く帰依し、

密教的な苦修練行によって不思議な修験の術を得たといいます。

また、鬼神を改心させいろんな仕事を与えました。

役行者は「もうおまえたちは鬼ではないよ」と言ったそうです。

行者像の左右にはその鬼の夫婦である前鬼と後鬼が従者として配されています。

その子孫は今も下北山村に修行者のための宿坊を開かれています。

 蔵王堂の御本尊は三体の金剛蔵王大権現(ざおうだいごんげん)で秘仏になっており、

ご開帳の折にしかお姿を見ることはできません。下はJRのポスターです。


   金峯山寺本尊 金剛蔵王大権現

「権(ごん)」は「仮り」、「仮りそめ」という意味があります。

権現(ごんげん)とは世の人々を救うため仏や菩薩が仮の姿で現われた仏神のことです。

三体(高さ約7m)の本地仏、すなわち本来の仏は中央が釈迦如来、右が千手観音、左が弥勒菩薩で、

それぞれ過去世・現世・来世の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現されました。

その荒々しく激しい怒り(忿怒 ふんぬ)の姿はこの世の諸悪を打ち砕くための相です。

特に苦しみや悩みの根源となる煩悩は心の奥底にある三毒(貪り、怒り、無知)から生まれるといわれます。

その三毒を克服しようと思っても私たちの甘い心ではなかなか難しい。

その難しいところを強く厳しく打ち砕いて下さるということです。

平成30年は「国宝仁王門大修理勧進」「神仏霊場会発足10周年記念」ともに節目の年となっており、

秋期秘仏ご本尊特別御開帳は11月3日(土)~11月30日(金)

です。是非ご参拝下さい。



NO.233       平成30年       5月

十牛図

 四月、フレッシュマンが自立にむけ一歩踏み出しました。初々しい姿をよく見かけました。

ところが五月病といって、環境の変化に伴いゴールデンウィーク後に心身とも疲れが噴き出して

会社や学校を休みがちになる人がいます。

なまけ病でも精神的に弱い人ではありません。むしろ生真面目で物事をよく考える人に多いようです。

自立しようと「自分」を見直す、すなわち自分探しに迷ったからではないでしょうか。

 仏教の禅では「自分」を考えるのに十牛図または牧牛図があります。

修行あるいは「悟り」への段階を絵図によって表したもので、古くから仏教国で広く流布し、

視覚的に直感的に「悟り」の境地を感じることができると言われています。

もとの成立は不明ですが、中国宋の時代、廓庵(かくあん)禅師の下図のような十牛図がよく知られています。



それぞれ次のように説明されています。

 ① 尋牛(じんぎゅう) 牛を尋ねる(探す)旅に出る。

          牛というのは自分のことで、ほんとうの自分とは何なのか、

自分探しの旅になります。

 ② 見跡(けんせき) 牛の足跡を見つける。     .

仏教の経典にめぐりあい道理を理解し、

その教えの存在(足跡)を知ります。

しかし、まだ表面的な理解であって、

真偽を見抜く力を持っていない。

 ③ 見牛(けんぎゅう) 牛を見つける。        .

             仏教の教えをさらに身につけていけば、           .

自己を見つけることができる。    .

 ④ 得牛(とくぎゅう) 牛を得る。            .

             牛は見え隠れし、気性も激しかったが、        .

なんとか捕まえることができた。

                       経典を身につけることができて、やっと自分に向き合えることができた。

その自分は煩悩や苦悩の中にいた。
 
    ⑤ 牧牛(ぼくぎゅう) 牛をおとなしくさせ、飼い慣らす。

                教えを自分のものにすれば(悟れば)真実が見えてくるが、

迷いの中にあっては妄想となる。

       すべては自分の心より生じていることを知る。

  ⑥ 騎牛帰家(きぎゅうきか) 牛に乗って家に帰る。

             自分自身を探しあて、ようやく自分の居場所に帰る。

        ⑦ 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) 牛を忘れ、人だけになる。

                         自分自身を探しあてれば、「自分以外に自分は無い」ということに気付く。

   ⑧ 人牛俱忘(じんぎゅうぐぼう) 人も牛もいなくなる。

              人も牛もこの世のすべてのものは、お互いの関係性に

             よって成り立ち、実体のないもの(空)である。    .

            色即是空         .

    ⑨ 返本還源(へんぽんげんげん) 本に返り源に還る

               自分探しの前に戻る。本当の自分というのはもともとなく。

           探す必要はなくなった。ここにいるのが自分である。

そしてここが自分の居場所である。 

 ⑩ 入鄽垂手(にってんすいしゅ)             .

                   鄽(てん)とは店のことです。入鄽とは町に入るという意味だそうです。

垂手とは手をぶらりと下げる。    .

                  「町に出て何もしないで帰って行く。」ということになります。     .

 以上が十牛図の説明です。                             .

迷いの中自分とは何かを問いかけながら、自分探しの旅に出たのですが、

結局今の自分以外に自分は無いと悟りもとに戻ったのでした。

 でも、元の木阿弥ではありません。

迷い苦しみながら元の位置に戻ったことはその人の糧になっています。

常懐悲感 心遂醒悟 (じょうえひかん しんすいしょうご)

   「日頃悲しい思いをしたものは いつか心が覚醒する」

そしてその人は同じ苦しみを持つ人に寄り添えるでしょう。

⑩の入鄽垂手はおそらくそのことを言っていると思われます。

「何もしない」けれど、苦しみ悩みを持つ人の心の支えになる。カウンセラーのような。

仏教で言えば菩薩でしょうか。






NO.232       平成30年       4月

自立

   たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやる
          いつかおまえも飛んでゆくから

                                                                        俵 万智 歌集『たんぽぽの日々』より


      フリー画像(http://gahag.net/008346-girl-dandelion/)より

 この歌集の中で俵さんは次のように書かれています。

「たんぽぽんの綿毛は、たんぽぽんの子どもたちだ。地面に根をはってい
 る母親は、子どもたちのこれからを、見とどけてやることはできない。
 ただ、風に祈るばかり。
 たんぽぽの母さん、せつないだろうなあー
 そんなことを春の斜面で思うようになったのも、自分が子どもを持って
 からのことだ。そしてまた、『見とどけられない』という点では、実は
 たんぽぽも自分も同じである。
 いつかは、この子も、この綿毛のように飛んでゆく。そう思いながら吹
 いていると、それはもうただの遊びではなく、息子と自分の時間が限ら
 れたものであることを、切実に感じるひとときとなった。息子と一緒に
 いられる時間を、だから私は『たんぽぽの日々』と感じている。」

 四月は子どもにとって、入学式や入社式などがあり、少しずつ親から離れていく時期になります。

学校や社会に飛び出して行きます。

「友達はできたかな」「勉強についていけるかな」「ちゃんと仕事ができてるかな」「周りとうまくやってるかな」・・・

と親は心配します。そのため、時には自分の思いどおりに育てようとして、事細かく口出ししてしまいます。

 『発句経』に次の言葉があります。

  これはわが子、これはわが財(たから)と考えて
  愚かな者は苦しむ。
  おのれさえ、おのれのものでないのに、
  どうして子と財とが
  おのれのものであろうか。


 子どもや財産も自分の所有物ではないと言っています。またさらに自分自身も自分のものでないとさえ言っています。

自分自身も周りとの関わりで成り立っているわけですから自分勝手なことはできないからです。

 子どもも自分の子どもに違いありませんが、親とは違う感じ方考え方を持っています。

別の人格なのです。親の考えを押し付けることはできません。思い通りにはならないということです。

 子育てとは自立心を養う手助けです。そのためには、付かず離れずです。

決して放任ではありません。愛情をもって見守ることでしょう。

 とはいっても子育ては難しいですね。他人のことは客観的に見ることができても、いざ自分のこととなると・・・。

 正しい愛情を注げば大丈夫。大人になったら分かるはずです。禅語につぎの言葉があります。

     春来たらば 草自(おの)ずから生ず

 自然の営みには一つの周期があり流れがあります。暑過ぎても寒過ぎても春になれば草は自然に生えてきます。

焦ることはない。時が来るのを待てばいいということです。




NO.231       平成30年       3月

御回在



 2007年、新幹線に置かれている雑誌『ひととき』の12月号に、御回在の特集記事が載りました。

御回在を詳しく説明していますので一部をそのまま掲載します。前宗務総長吉村暲英師の語り調子の文章になっています。

 御回在のはじまりは元和(げんな)四年(1618年)、第36世の法主・道和上人のとき。徳川家康が天下統一して間もないころですわ。

家康は本山の大念佛寺を砦にしたため、えらい戦火をあびたんです。のちに家康はおわびに修復なども行ったようですね。

また青銅何百貫を寄進したなんてこともございます。
 
道和上人は徳の高い人でして、家康はいろいろ教わったと伝えられています。家康は寺禄300百石を寄進すると申し出たのですが、

道和上人は「ありがたい申し出ではあるけれど、それをいただいて僧侶が堕落すると困る」というんですね。

「僧侶はすべて清貧たるべし」という教えですわな。

 断ったかわりに、回在念仏の弘通(ぐづう 教え広めること)を許可してくれと頼んだ。

 回在というのは「在所を回る」と、こうゆう意味なんですわ。

在所とは檀信徒といるところ、お寺のあるところ、つまり融通念仏の教えのあるところでございます。

 だれもがみな南無阿弥陀仏を唱える。そして念仏が相互に融通したその足元に、極楽浄土が築かれる。

 御回在は、本山から十一尊天得如来をもって、

十一尊にちなんで十一人で鉦をカンカン叩きながらまわるんです。僧侶が七名、「禅門」という在俗のものが四名。

禅門の一人は運転手。むかしは末寺を泊まりがけで回りましたが、いまはマイクロバスを使います。

如来さんをかたげる(担ぐ)人、鉦を叩く人、浄財を寄進してもろうてそれをあずかる人、そんな役目が決まっているんです。

 七名の僧侶のうち、紫の衣を着ているのは「唱導師(しょうどうし)」。これは説教師で、在所在所の末寺でお勤めしたあと説教するんです。

黄色い衣を着ている人は「目代(もくだい)」というて、御回在をとりしきる役目をしてるんですね。それとお勤めの最高責任者なんです。

   そして「収納(しゅのう)」という、いわゆる会計の坊さんがひとり。

あと四名は黒い衣を着た若手で、「僧中(そうじゅう)」とよびますが、お勤めの戦力になっているわけですね。

 家々でご本尊を箱から出して広げることを「お掛かり」というんです。

        
お掛かり                                 立回向

  お掛かりなしのところは立回向(たてえこう)というんです。

箱から出してかけるんではなしに、仏壇なら仏壇のまえに立てかけて、僧中ふたがお勤めをする。

短いお経をあげたあと、過去帳をざっと読み上げる先祖回向、それから家内安全、除災与楽の回向をします。

 「お頂戴」はどこでもやりますよ。「シンタイケンゴ ナムアミダブツ!」と。


お頂戴

何を頂戴するのかというと、如来さんの(仏さんの)お力です。それによって守っていただくということですね。

 さらにお祓(はら)いという信仰も生まれてくる。

具体的には井戸と竃(かまど)、つまり水と火の祓い。大切につかわせてもらう、粗末にあつかわない。

ありがたいもんやけど、これほどこわいもんもない。

自然の恵みに対する素朴な感謝と畏(おそ)れがお祓いとしてあらわれてくるんです。

人間は「畏れ多い」というきもちをもたないことには傲慢になりますからね。

 融通念仏はなんというても簡単ですから。口に「ナムアミダブツ」を唱えたらそれでええ。

しかし、この簡単な行いが、あんがいむずかしいんですね。
 
この口は、どんなんが好きかというと

「人の悪口いうのが好き」   「愚痴や不平不満をいうのが好き」   「噂話をするのが好き」・・・。

じつはなかなか唱えにくい。

唱えにくい人たちに、南無阿弥陀仏を唱えなさいというて歩き、それによって南無阿弥陀仏のこころをうえつけていく。

むかしの人はえらかったですな。

 支えおうてこそはじめて人間がなりたっとる。これがほんとうの融通の姿やと。
 

 道音寺の御回在は毎年3月10日です。今年は午前9時から回ります。

11時前に本堂に帰院され、そこで本尊天得如来のご開帳とお勤めがあります。

その後ご導師から法話があります。ご近所やお知り合いの方をお誘い合わせのうえ、ぜひご参拝下さい。 



NO.230       平成30年       2月


悟りとは

 先月は「発心」についてお話ししました。目標に向って始めようと心を決める第一歩でした。

仏教での目標は仏の悟りの境地に至ることです。

 この悟りの境地に至るまで、52段あるとされます。

 1段目を初信、2段目を二信・・・と1~10段目までを「信」で表します。

次11段目~20段目を「住」、それぞれ10段ずつ、次は「行」「回向」「地」と50段目を「十地」と言います。

51段目は仏の悟りにほぼ近づいているということで「等覚(とうがく)」といい、

そして最後の52段目は仏の悟りで「仏覚(ぶっかく)」、

またはこれ以上の悟りは無いということで、「無上覚(むじょうがく)」ともいわれたり、

般若心経にある「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」ともいわれます。

 このうち40段目までは、状況によって一度油断をしてしまうと何段も後退することがあり、

これを「退転(たいてん)」といいます。

また、41段目以上になれば、何事があっても気を許すことなくその段から下がることはないとされます。

これが「不退転(ふたいてん)」です。

 どのような目安で段階が決まるのか分かりませんが、まず「信」から始まります。

 徳川家康に仕え、戦略の勇者であった鈴木正三は次のことばを残しています。

   
 自身を信ずというは、自身即仏ならば、

    仏の心を信ずべし

    仏に欲心なし

               仏の心に瞋恚なし   
瞋恚:怒り恨むこと

    仏の心に愚痴なし

    仏の心に生死なし

             仏の心に是非なし   
是非:善し悪し

    仏の心に煩悩なし

    仏の心に悪事なし


 自分を信じるということは、仏の心を信じるべきである。

人の心はちょっとしたことでも欲得や感情で左右されてしまいます。

戦略家として自身を戒めることばでしょう。

 2月は韓国平昌(ピョンチャン)で冬季オリンピックがあります。

よく選手に「自分を信じて」と励ましますが、まさにそれに通じるものがあるように思います。




NO.229       平成30年       1月

発心(ほっしん)

   新しき 年のはじめにおもふこと 
             ひとつ心につとめて行かな

                                                   斎藤茂吉
      つとめて行かな=努力していこう

 「発心」は仏教用語で「発菩提心」のことです。悟りを得ようとする心を起こすことをいいます。

華厳経には「初発心時、便成正覚」(初めてさとりの心を起こすときに、

たちまち仏のさとりを完成する)とあります。 これは、悟りの心を起こすことがまず最初で、

一番大事なことだと説いているのです。 けっして、すぐにさとりの境地に達するということではありません。

何事も「よしやってみよう」と思うことから始まります。それがないと物事は前に進みません。

発心は最初の一歩です。これがないと次の一歩がありません。

さとりの境地へは延々と歩み続けなければなりませんが、

それぞれの一歩は前の一歩があったから進めるのです。

突き詰めて考えれば最初の一歩が大事だと言うことになります。

 ところで、私達凡夫は、いろんな煩悩の中にいます。

辛い苦しいことがあればすぐ投げ出してしまいたくなります。三日坊主もあります。

人間である以上、だれでもそんな経験があるのではないでしょうか。

行きつ戻りつしながら、迷いながら私達は生きています。

 また一方で、その道を究めたと思い込み他の意見を聞かなくなってしまうこともあります。

独りよがりの考え方に陥ってしまい、かえって前に進めなくなってしまうのです。

 このようなとき、「初心忘るべからず」という有名な言葉があります。

これは能を大成した世阿弥の『花鏡(かきょう)』という伝書に次のようにあります。

       初心忘るべからず
       この句、三箇条の口伝あり
          是非(ぜひ)の初心忘るべからず
          時時(じじ)の初心忘るべからず
      老後の初心忘るべからず


    
 是非=(若い頃の、入門時の)良い悪いの   時時=人生の時々の

 (能の)入門時の善し悪しの判断ができるころの初心、人生のその時々の初心、

そしてさらには老いて後も初心があるといいます。

それは肉体が衰えても、その人にふさわしい芸があり、それに挑むべきだというのです。

 
精神的に若い人は肉体的にも若く見えます。たいていは何かを続けられているか、挑戦されている方です。

 この一年、何か一つ挑戦しましょう。

(参考:NHKテレビテキスト100分de名著『世阿弥 風姿花伝』土屋惠一郎著)