平成22年度



 

松 燈 だ よ り


                 

 
                                
NO.144       2010年       12月

一日不作 一日不食

『事納め』は12月8日でしたが、『仕事納め』は年の暮れにあります。無事に一年の仕事を終えて胸を
なで下ろすとき、私たちはある種の満足感に浸ることができます。「終わりよければすべてよし」と。
しかし今年はどれだけの人がそのような充足感を味わうことができるでしょうか。長引く不況に、円高や
異常気象が追い打ちをかけ、日本社会はなかなか低迷から抜け出せません。大学生の就職内定率
(10月1日現在)は過去最低で57.6%だそうです。若い世代は将来の「夢」や「生きがい」を持つことが
難しくなっているといいます。
 禅語に「一日不作 一日不食」という言葉があります。これは「一日働かないと 一日食べない」という
ことです。「働かざる者食うべからず」という労働を強いるようなものとはまったく違います。
 唐の時代、百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という禅僧がいました。八十にもなる懐海は高齢にもかか
わらず毎日作務(さむ)を続けていました。それをみかねた弟子達は「どうか作務をお控えください」とた
のみましたが、懐海は聞く耳を持ちません。しかたなく弟子達は作務の道具を隠してしまいました。それ
以来懐海は食事を摂ろうとしません。弟子が「どうしてお召し上がりにならないのですか」と尋ねると、
「一日作(な)さざれば一日食らわず」と応えたそうです。弟子達は詫びて道具を返し、懐海ももとの生
活に戻ったそうです。
 禅僧にとって作務(働くこと)は仏道の修行なのです。それは作務だけでなく食事をすること、寝ること
、休むことなど、生活そのものが修行なのです。懐海禅師にとって生活そのものが「生きがい」だったの
です。
 たしかに今の若者にとって、霞がかかった先の見えにくい日本社会です。夢や目標をもち、それに向
かって頑張っている人もいますが、目標や生きがいを見つけるのに焦っている人も多いのではないでし
ょうか。自己を見つめるため四国八十八カ所を巡礼する若いお遍路さんも少なくないと聞きます。
 「一日不作 一日不食」、一日々々の生活が大切でその積み重ねの中で何かが見つかるかも知れま
せん。気休めにならないかも知れませんが・・・。
 多くの有名な人たちも苦しい生活を経験したり、そんな生活で一生を終えた人もいます。

      いのちなき砂の悲しさよ 
      さらさらと 
      握れば指のあひだより落つ        石川啄木
      
      はたらけど
      はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり
      ぢつと手をみる               石川啄木

      猫の子がちょいとおさへる落葉かな   小林一茶

 よくお寺の廊下などに看脚下(かんきゃっか)と書いた札が立てられています。「脚下を看(み)よ」、
自分の足もとを看なさいということです。靴を揃えなさいという注意書きとして使われていますが、脚下
とは私たちの生活のことを意味しています。「身近な生活の中に大切なものがある。それに気づきなさ
い。」ということです。「一日不作 一日不食」もそうですが、一日々々を大事に生きることがきっと将来
につながると思います。  
(参考:『ほっとする禅語』渡會正純著、『禅語遊心』玄有宗久著)





NO.143      2010年      11月                 
                            
天網恢々(てんもうかいかい)
 「天網恢々、踈(そ)にして失わず」
 この言葉は、『老子』と呼ばれる八十一章からなる書物にあり、書き手の「老子」は紀元前五世紀の中国、春秋時代
の末から戦国時代始めの頃の人物ではないかと考えられています。老子の根本思想は「道(どう)」と呼ばれており、
中国の民間宗教である「道教」のもとにもなっています。「道」は日本の道(みち)や道徳の意味とはちがってもっと奥
深く、なにか宇宙の根源的なものを表しているそうです。インドのバラモン教の「ブラーフマン」、キリスト教などの「神」、
仏教の「空」に通じるものを感じます。その『老子』の第四十章には現代の宇宙論と思われるような表現もあります。
  「天下の物は有より生じ、有は無より生ず

 『老子』は「道」のすがたについて次のように言っています。
  「道の物たる、ただ恍(こう)ただ惚(こつ)。忽たり恍たり、その中に象
   あり。恍たり忽たり、その中に物有り」
   道というものは、おぼろげでなんとも奥深い。そのぼんやりとして、有る
   のか無いのかわからない状態の中になにか実体がある。

 恍惚は英語ではエクスタシーと訳されますが、本来はぼんやりとして有るのか
無いのかわからない状態をさします。有吉佐和子さんの小説『恍惚の人』はこの
言葉が典拠になっているそうです。
 日本の禅宗や文化にも『老子』の影響をうかがうことができます。
 例えば、柔道の極意となっている「柔よく剛を制す」という言葉は第七十八章
にあります。
  「弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下、知らざる莫(な)くして、
   能(よ)く行なう莫し」
   弱いものが強いものに勝ち、柔らかいものが剛(かた)いものに勝つ。
そのことは世の中で知らないものはいないが、行えるものはいない。


 また『老子』は「道」の作用は「柔弱」であると言っています。「柔弱」とは柔らかくしなやかであるということです。
力ずくで物事を強引に推し進めようとするとさらに強固な壁に遮られうまくいきません。「柔弱」であること、すなわち
しなやかな考え、しなやかな行動によって解決の道が開けるというのです。
 私は以前私立学校に勤めていました。ある先輩の英語の先生が実は田中心外という書道家でした。彼はその道
に専心するため退職することになり、私に二枚の色紙を下さいました。一つは「佛」、もう一つは「無為」と書かれて
ありました。当時は「無為」の意味がわからなかったのですが、これが『老子』の思想の中心だったのです。
第三十七章に
  「道は無為にして、しかも為(な)さざるは無し」
   道は何もしないけれども、すべてのことを行っている
 
 「無為」は、「為さない」「何もしない何もおこらない」ということですが、
『老子』には「しようとする意志、意図がない」ということを含ませています。ですからつぎのような意味になるでしょう。
   「道」すなわち宇宙や自然は意図をもって存在しているのではないが、
   現実に自然が存在し、自然の活動が行われてこの世の中が存在している。
   善いことも悪いこともすべて自然の為せる業である。
 さて、冒頭の「天網恢々・・・」は第73章にあります。
  「天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、召かずして
   自ずから来たり、?然(せんぜん)として善く謀る。
   天網恢々、踈(そ)にして失わず」
天の道は、争わないのにうまく勝ちをおさめ、何も言わないのにうまく
   応答し、招かないのに自ずと到来し、果てしもなく大きいのにうまく計
   画されている。天の法網は広々と大きく、目は粗いけれど何事も見逃す
   ことはない。

 先ほどの「道は無為にして、しかも為(な)さざるは無し」とよく似た意味になるのですが、「お天道様は何もしなくても
お見通しだ」ということです。それから今では「悪いことをすれば必ず天罰が下る」という意味でよく使われます。
 その他「大器晩成」「千里の道も一歩から」「和光同塵」など、たった八十一章の『老子』から引用されている禅語は
たくさんあります。しかも、いまでもその言葉は私たちの生活の中に生きています。
 その「恢々」とは広辞苑によると、「広く大きいさま。ゆったりとしたさま」となっています。私の好きな「宇宙の星」
すなわち「天に張り巡らされた無限の網」そのもののようです。
 昭和33年、「星は何でも知っている」(作詞:水島哲 作曲:津々美洋)という曲を平尾昌晃が歌ってヒットしました。
     星はなんでも知っている 
     夕べあの娘が泣いたのも
     かわいいあの娘のつぶらな 
     その目に光る露のあと
   ・・・・・
昼はお天道様、夜は星空、なんでもお見通しなんです。誰にもわかってもらえないような悩みも苦しみも
(引用と参考:NHKラジオテキスト『老子荘子を読む(上)』蜂屋邦夫著)





NO.142      2010年      10月
お十夜
 いつもの勤行に「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」というお経があります。

     諸悪莫作 諸善奉行 自浄其意 是諸仏教

     諸々の悪しきをなさず 諸々の善きを行う 
     自らのこころを浄くす これ諸仏の教えなり

 「悪いことはしてはならない 善いことをしましょう」というのは、言われなくても当たり前のこと、わざわざ声を
出して唱えるべきことではないかもしれません。これには次のようなお話があります。
 詩人で政治家の白楽天(はくらくてん 白居易)が道林禅師を訪ねて大きな松の木の下を通りかかりました。
ふと上を見上げると、その木の上で禅師が座禅をしているではありませんか。思わず「ああ危ない!」と声を出
してしまいました。すると、「危ないのは君だ。心の中に煩悩の火が燃えさかっておる。」と反対に禅師に注意さ
れたのです。むっとした白楽天は話をかえて「では釈尊の教えとはいったい何か」と問いをぶつけました。それ
に応えて禅師はこの七仏通戒偈を唱えました。
 白楽天は「そんなこと三歳の赤子でも知っている。」と嘲笑まじりにつぶやいてその場を通り過ぎようとしまし
た。「ところが、八十歳の老人でもなかなか実践が難しいのじゃ」と禅師は追い打ちをかけます。白楽天は自分
の思慮の浅さにはっとして、思わず足を止めたといいます。
 私たちの住むこの娑婆世界、自分を利するため、また、身分や立場を守るため、人は悪いと思っていながら
過ちを犯してしまいます。それは欲と無縁と思われる80歳を過ぎた人でさえもそうなのです。まして、家庭や職
場で中心となる人、守るものが多い人にとって、煩悩の火は燃えさかっていて「危ない」のです。

浄土三部経の一つ「無量寿経」のなかに、次の一節があります。

   為徳立善 正心正意 斎戒清浄 一日一夜 勝在無量寿国 為善百歳 
   所以者何 彼仏国土 無為自然 皆積衆善 於此修善 十日十夜
   勝於他方諸仏国土 為善千歳 所以者何 他方仏国 為善者多 為悪者少
   福徳自然 無造悪之地 唯此間多悪 無有自然


  徳をなし善をたてよ、心を正し意を正しくして、斎戒(戒をたもつこと)清
  浄なること一日一夜すれば、無量寿国に在りて善をなすこと百歳するに勝れ
  り。 所以(ゆえ)はいかに、かの仏の国土、無為自然(じねん)にして、
  みな諸々の善を積みて毛髪のほどの悪もなければなり。また、この世におい
  て善を修すること十日十夜すれば、他方の諸々の仏国土において、善を為す
  こと千歳するに勝れり。所以はいかに、他方の仏国、善をなす者多く悪をな
  す者少なし。福徳自然にして、造悪の地なければなり。ただ、この世間のみ
  悪多く、福徳自然なることなし。

 煩悩に汚れたこの娑婆世界では、悪い行いにはつい手を出してしまい、善を行うことはめったにありません。
彼の仏国土(浄土)で善を行うことは日常茶飯事で当たり前のことです。この世で一日一夜の善行は、仏国土
における百年の善行にまさるというのです。このことから、室町時代の中頃に十日十夜の念佛会が始められ、
それが全国の寺院に広まったといわれています。
 現在でも「お十夜」とか「十夜会」といっていますが、実際には一日から三日間の念仏会になっています。今
年の道音寺のお十夜はつぎのとおりです。

<お十夜> 11月6日(土) 2時より
       ・十夜会法要 
             経木回向 一霊 300円
       ・法話 礒田良孝 師 3時頃
       ・施粥(招福小豆粥) 4時頃


 宗旨宗派にかかわりなく、是非ご参詣下さい。
 法要とお念仏、ご先祖の供養、そして礒田良孝師の法話によって一つの善を修することになります。またそれ
だけでなく、無心にお念仏を唱えることは清浄なこころを呼び覚ますのではないでしょうか。広く澄みわたる秋
の空のように。
 (参考と引用:NONBOOK「法句経入門」松原泰道著 岩波文庫「浄土三部経(上)」)


NO.141     2010年      9月
距離
 ふつう距離というのはふたつの間の位置関係ですが、ここにお話しするのは二人の間の位置関係です。
 落合恵子さんのエッセイ(2010.8.28.付朝日新聞朝刊より)に「測れない距離」というのがありました。
それは友達から「距離の問題なのよね」という電話からはじまりました。その彼女はある女性とのおつきあい
で悩んでいたのです。会った当初、素敵な人でもっとよく知りたいと思い自分から距離を縮めていったそうで
す。しかし、今度は距離があまりにもなくなることに息苦しさを感じるようになり、また自分の勝手さに腹を立
てながらもう一人の自分をもて余しているというのでした。
 いつもの深夜の電話でした。その彼女とはふるくからのおつきあい。息苦しくなるとお互い無意識に、とき
には意識的に距離をとってきたのかもしれません。その彼女にしてあげられることをあれこれ考えている落合
さん。新たに距離の問題が生じているのでした。
 人は社会的な生活をしている以上、人間関係が生まれてきますし、避けては通れません。落合さんはそれ
をビターチョコレートの味にたとえ、「苦くて、甘いソレ。それが人間関係というもの。あるいは距離そのものの
味なのかも。」とおっしゃっています。
 人間関係は友達関係だけではありません。家族関係、仕事関係、師弟関係など様々です。「つかず離れず」
が大事だと言われることがありますが、それではどれだけの距離を保てばよいのでしょう。この距離を測る物
差しはなく、その時々の経験的判断に委ねるしかありません。失敗することも少なくないでしょう。二人の間の
ことですから、近づいたり遠ざかったりする相手と距離を保つことはほんとうに難しいことです。それが息苦しさ
や、煩わしさにつながります。
 精神科医の斎藤茂太さんは次のようにいっておられます。
 「人間関係はわずらわしさの種を背負い込むことのようにもみえるが、それにみあうだけの、いや、お釣りが
くるほどの喜びを手にすることができる」と
 やはり、ビターチョコレートは食べた方がいいのです。

 さて、もし親しい人が亡くなったら、その人との「距離」はどうなるのでしょう。「無限の彼方」に行ってしまう
のでしょうか。そうではないと思います。亡くなったとき、人は大きな喪失感と悲しみに包まれます。涙を流し、
手を握りしめたり、顔をなでたり、抱きついたりします。それはできるだけ離したくないという思いからです。そ
のとき心の「距離」は一番短くなります。
 宮沢賢治の妹トシは肺結核で亡くなりました。亡くなる日の朝から外はあめゆき(みぞれ)が降っていました。
トシは賢治に「あめゆきをとってきてください」と懇願します。その時の賢治の詩を抜粋します。
(現代仮名遣いで)
   ほんとうにきょうおまえはわかれてしまう
   あぁあのとざされた病室の
   くらいびょうぶやかや(屏風や蚊帳)のなかに
   やさしくあおじろく燃えている
   わたくしのけなげないもうとよ
   この雪はどこをえらぼうにも
   あんまりどこもまっしろなのだ
   あんなおそろしいみだれたそらから
   このうつくしい雪がきたのだ
  (トシ 「こんど生まれてくるときは、こんなに自分のことばか
      りで苦しまないようにします。」)
   おまえがたべるこのふたわん(二椀)のゆきに
   わたくしはいまこころからいのる
   どうかこれが天上のアイスクリームになって
   おまえとみんなとに聖(きよ)い資糧(しりょう)をもたらすように
   わたしのすべてのさいわい(幸い)をかけてねがう

 このあとも、トシの死について賢治の心の葛藤が綴られていきます。もはや二人の距離感は0に近いです。
たいへん危険な心の状態ですが、その後の詩には次のような変化がみられます。
   ・・・・・・
   感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
   それをがいねん(概念)化することは
   きちがいにならないための
   生物体の一つの自衛作用だけれども
   いつでもまもって(護って)ばかりいてはいけない
   ほんとうにあいつはここの感官をうしなったのち
   あらたにどんなからだを得
   どんな感官をかんじただろう
   なんべんこれをかんがえたことか
   ・・・・・・
 ここではすこし距離をおき、冷静になっています。そして、中有(ちゅうう 中陰)のことを考えているようです。
 中陰とは人が亡くなった後、次の生を受けるまでの四十九日間をいいます。この間、よりよい生を受けられる
ように、極楽に往生できるように(この二つは相矛盾することなのですが)七日ごとにお勤めをします。またそう
願うことにより、私たちは身近な人の死を心に受け止めていくことができます。亡き人との適度な距離を保つた
めの大切な期間でもあるのです。
 この「距離」には息苦しさはありません。法事のときなどはもちろんですが、ちょっとしたときに昔のことなどを
思い出します。
 やっぱり、ビターチョコレートの味でしょうか。
(参照と引用:新潮文庫 「新編宮沢賢治詩集」 天沢退二郎編)


NO.140     2010年     8月
玉音放送
 今年も8月15日が巡ってきます。昭和20年(1945)のその日、昭和天皇の玉音放送によって日本の敗戦と
終戦が全国に伝えられたのでした。
その内容は新聞の紙面に詔書(しょうしょ)として次のように発表されました。
(抜粋)
 朕深ク 世界ノ大勢ト 帝國ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ 時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ 忠良ナル
爾臣民ニ告ク
 朕ハ 帝國政府ヲシテ 米英支蘇 四國ニ對シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨 通告セシメタリ
・・・・・・・・・・
帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ 非命ニ斃レタル者 及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内為ニ裂ク
 且 戰傷ヲ負ヒ 災禍ヲ蒙リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ
 惟フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス
 爾臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル
 然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス
・・・・・・・・・・
(抜粋の口語訳
 http://homepage1.nifty.com/tukahara/manshu/syusensyousyo.htmより)
私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実か
つ善良なあなたがた国民に申し伝える。
 私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを
通告するよう下命した。
・・・・・・・・・・
日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに
想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々
の再起については、私が深く心を痛めているところである。
 考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私は
よく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、
未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。
・・・・・・・・・・

 この玉音放送は言葉が難しいのに加え、ラジオの雑音などで、じっくりと内容を聞き取れた人は少なかったの
ではないでしょうか。ただ、戦争に負けたということだけは少なくとも多くの国民には理解できたようです。
 放送のあと、戦争が終わってほっとした人、心の中にぽっかり穴があいた人、負けたということを信じられずに
に茫然としている人、ただただ涙している人。なかには、無条件降伏したことで自決しようとした人も少なくなか
ったようです。
戦争は、多くの人の心から冷静さを奪います。善悪も無くなります。そしてあたりまえの日常の生活を奪います。

 「昭和万葉集(講談社)」から
夫とのる最後とならん夜の汽車に温かき牛乳わけてのみたり 神戸照子

焼けへこみし弁当箱に入れし骨これのみがただ現実のもの  正田篠江

腰を腹を陣痛毎にさすりやりぬ空襲警報のただ中にして   滝沢 専

征く日まで夫の握りし鎌の柄の手ずれ親しみわれは稲かる  亀田君子

あかだもの葉末ゆすりて吹く風の涼しき夏にまた逢へるかも 湯川秀樹

 「戦後はもう終わった。いまは日本の財政危機、経済危機。日本の将来について考えることが他にもいっぱ
いある。」と言われるかも知れません。たしかにその通りです。しかし、今私たちはこころ豊かでしょうか。
昭和20年代、30年代、物は不足気味で、今のような便利な生活もありませんでした。でも、人々は明るくこころ
はずっと豊かだったと思います。
 いま、国の予算を削るのに、私たちはメディアをとおして強い関心を持っていますが、私たち自身の生活は
どうでしょう。たとえば、食べ残しや賞味期限切れなどで一年間に捨てられる食料は全消費量の約20~30%
といわれています。ムダは食料だけに限りません。私たちは経済発展を通じて大量消費を続けてきました。
(大量消費に支えられた経済発展かもしれません。)それが豊かさだと信じて。そのため、物の価値が低くなり、
人の価値までも無くなってしまったのではないでしょうか。
 この8月はいろんな行事があります。自分のこころに向き合う機会でもあります。




NO.139    2010年     7月
餓鬼予備軍
 施餓鬼(せがき)法要とは文字通り餓鬼に施す法要です。生前に欲が強くて物惜しみをし、常に自分の損得
だけを考える者は、死後その報いとして、餓鬼道(餓鬼の世界)に落ちるといわれています。餓鬼の世界では、
食べるもの飲むものを口にしようとするとそれがことごとく炎に変わり、何も食べることはできません。そのため
極度の飢餓状態で、お腹がぷくっとでていて、目はぎょろっと異様に大きく、体は骨と皮だけです。餓鬼とは常
に飢えと渇きに苦しむ亡者なのです。「鬼」は中国で「死者の霊」を意味することから付けられたものだそうです。
故事によりますと、お釈迦様の弟子である阿難(あなん)はあるとき焰口(えんく)という餓鬼に、「多くの餓鬼に
食べ物をお供えし、三宝を供養しないと、おまえは三日以内に死んでしまい、私のような餓鬼になる。」と言わ
れました。お釈迦様は阿難に「餓鬼棚に食物をお供えし、修行僧に法要を営んでもらいなさい。そうすればその
供物は無量の供物となり多くの餓鬼が救われます。」と諭され、阿難はその通り餓鬼を供養しました。その功徳
のおかげで阿難は大変長生きしたといいます。
 今日、施餓鬼は先祖供養が中心となっていますが、本来の餓鬼の供養だけでなく、縁が途絶えてしまった霊
や、私達の食物になって仕方なしに殺されている動物達の霊、そしてこの宇宙全体の霊(天地幽顕水陸諸霊
あるいは三界萬霊)も供養します。
 ところで、煩悩には百八つあるとされていますが、そのなかでも最も悪の強い煩悩として「貪欲(とんよく)」、
「瞋恚(しんに)」、「愚癡(ぐち)」があげられます。これらは、人を死に至らしめる毒にもたとえられて、「三毒」と
も称せられます。
「貪欲」・・・欲が強くて自分の欲するものを貪り求めることです。
「瞋恚」・・・「怒り」という意味で、自分の気持ちにそわないことがあれば反
      感や嫌悪感を抱くことです。時にはそれが感情的な言葉や行動に表
      れます。
「愚癡」・・・「愚痴をこぼす」の愚痴です。世間に暗い「愚かさ」の表れです。
      無知、無明が原因で、貪欲や瞋恚を生み出しているといいます。
 これら三つをまとめて、「貪瞋癡」と略して(とんじんち)と呼んでいます。
 さてどうでしょう。私たちは知らず知らずこの三毒に毒されているのです。私たちは餓鬼予備軍なのかもしれ
ません。時には自分の心を鏡に映し出して見る必要があります。亡き人への思い、他者への慈しみをもつこと
で自分自身を振り返ることができるのではないでしょうか。「心の鏡」それが施餓鬼法要のもう一つの意味では
ないかと思います。


NO.138    2010年     6月

倶会一処(くえいっしょ)
 四月から、道音寺墓地の整備を行っています。代々住職のお墓が墓地内にところどころあり、それを一所に
移してお祀りする計画です。その中で、龍住上人の墓石は五輪塔でできており、墓地の中心にあって、いまま
で墓地全体を護っていたと言われています。天明四年(1784)に建てられたもので、五輪塔部分は砂岩のため
傷みが激しく、この機会に五輪塔を新しくして建立することになりました。また併せて、それを合祀墓(永代供養
墓)にするべく工事を進めています。
 近年、代々お墓を継承していくことが難しくなってきました。そのため、どなたでも納骨でき、いつまでも半永
久的にみんなにお参りしていただけるような合祀墓としました。もし、お墓が無縁さんになった場合でも、墓中
のお骨を合祀墓に移すことができます。完成は六月中の予定です。(図1)
 五輪塔は文字通り五つの部分からなっています。(図2)上から宝珠・半円・三角・丸・方形(四角)の形をして
おり、それぞれ空・風・火・水・地を表しています。そして、それぞれの意味を表す梵字(上からキャ・カ・ラ・バ・
アと発音する)を刻字しています。
 風・火・水・地は古代インドやギリシャなどでは四大元素と呼ばれ、この宇宙をつくる元になる要素と考えられ
ていました。それに仏教の空が加わり、五大元素となったとも言われています。もとは仏舎利を納めるストゥー
パ(卒塔婆)と呼ばれる容器でしたが、日本では、平安中期頃から供養墓として多く作られるようになったそう
です。


       
          図1                            図2

 その五輪塔の正面には、「倶会一処(くえいっしょ)」と刻んでいます。この四文字は阿弥陀経のなかに、
つぎのようにあります。
    応当発願、願生彼国。所以者何。得与如是諸上善人、倶会一処
 (まさに願をおこして、かの国に生まれんと願うべし。ゆえはいかに。
  かくのごときのもろもろの上善人と、ともに一処に会うことをうれば
  なり。)
   信心を獲得した人は、浄土に生まれたいと願うべきである。
   そのわけは、浄土に生まれた者は、みな、浄土という一処に
   おいて、このような善き人々と、ともにあいまみえることが
   できるからである。
(参考と引用:「浄土三部経(下)」岩波文庫)
 親兄弟、夫婦、友など、愛する人たちとの死別はつらく悲しいものです。その愛別離苦を乗り越えて、再び
浄土において共に同じ縁を結ぶことができますようにという願いを込めています。
 また、五輪塔の左右と背面に良忍上人が阿弥陀如来から受けたという妙偈
  「十界一念 融通念仏 億百萬遍 決定往生」を刻んでいます。
 十界とは六道の他に声門、縁覚、菩薩、仏の四世界を加えた十世界のことで、この世の総ての世界をいい
ます。南無阿弥陀仏を念じる一念は、総ての世界の念仏衆生の一念と融通し、億百萬の広大な念仏の功徳
を生みます。その広大な功徳によって、念仏衆生は必ず往生することが定まるのです。

 この五輪塔合祀墓は、六月の吉日に開眼を行い、納骨を始めます。
 納骨の冥加金等は次のとおりです。
   * 納骨料(法要を含む)    3万円
   * 戒名・法名刻字料
        檀信徒の場合     5万円
        檀信徒でない場合   7万円
 刻字しない場合は納骨料だけになります。
 納骨した後で、お骨を移動することはできません。
 宗派に関係なく納骨できますが、檀信徒でない方は、菩提寺と相談して下さい。 墓地使用料、
年間管理料などはありません。
 開門中はいつでもお参りできます。



NO.137    2010年     5月

人間の乗り物
「人間はDNAの乗り物ではなくて DNAが人間の乗り物である」
これは、先日(4月21日)に76歳で亡くなられた免疫学者の多田富雄さんの言葉です。多田さんは、
免疫反応を抑制するサプレッサーT細胞を発見し、国際的にも免疫学の分野で活躍されました。
ご自分の専門だけでなく執筆活動では大佛次郎賞や日本エッセイスト・クラブ賞などを受賞されました。
また、青年時代から能楽に造詣が深く、自ら小鼓を打ったり、新作能を作ったりされました。新作能では、
脳死の人を主題にした『無明の井』、朝鮮半島からの強制連行を主題とした『望恨歌』、広島の被爆を
主題とした『原爆忌』などがあります。
いずれも社会的弱者の目線にたった作品です。
 さて、イギリスの動物行動学者であるリチャードドーキンスは、彼の著書『利己的遺伝子』の中で
「生物は遺伝子(DNA)の乗り物である」と表現しています。「生物進化の過程で選択や淘汰は遺伝子
に対して働くものであり、中心的な役割を果たすのは種や個体の存続ではなく遺伝子そのものである。
生物個体のとる行動は遺伝子の視点から見れば利己的なものとなり、その個体の遺伝子を存続させる
ためと説明できる。」
 「たとえば、南極のペンギンは氷棚の上で海面を見つめて長時間じっとしていることがある。これは天敵
のアザラシが海中にいないか覗っているのである。そのうち待ちきれなくなると、押し合いをして他の個体
を海に突き落とそうとする。もし率先して飛び込む「利他的」な優しい個体がいれば、彼の中の「利他的優
しい遺伝子」と共に真っ先に食べられてしまう可能性が高いだろう。この場合利益を受けるのは他の個体
である。真っ先に飛び込まない性質、真っ先に飛び込まない遺伝子が利益を享受する。」
(引用:「利己的遺伝子」 ウィキペディア(Wikipedia))
「遺伝子は自らのコピーを残し、その過程で生物体ができあがる。生物は遺伝子によって利用される「乗り
物」に過ぎない。」ですから利己的遺伝子論からすると、「人間もDNAの乗り物に過ぎない」ということにな
ります。
 しかし冒頭にありますように、多田さんは敢えて「人間はDNAの乗り物ではない」と書かれました。
それは、免疫学を通じて自己を深く追求し、生命という複雑なシステムの不思議を毎日まのあたりにされて
いたからでしょう。DNAの生命のプログラムは完璧に完成されたものではありません。その中にいろんな
矛盾や曖昧さを包含しています。それでも60兆個の細胞は、その一つひとつがお互いに連携を取りながら、
それぞれ複雑な役割を担っているのです。体の中でそれらの細胞達が24時間休むことなく働いて、私たち
の命を守っているのです。私たちは何も気づいていません。それはみごとと言うほかありません。
 多田さんは2001年に出張先の金沢で倒れました。脳梗塞でした。右半身不随、声も失いました。一時は
失意のどん底に突き落とされたそうですが、ある日、動かなかった足の指がぴくりとしたのです。その時体の
中に新たな生命のうごめきを初めて感じたそうです。それからリハビリに精を出し、多田さんの「知」を求める
精神はますます覚醒され、執筆活動や創作活動を以前にもまして続けられたのです。

     私の麻痺は重度だから、いくらリハビリしても回復はおぼつかないで
    しょう。脳の一部は死んでしまったのです。神経細胞は二度と再生しま
    せん。誰かに起こりうることは自分にも起こります。突然の不幸に苦悩
    し、絶望して一時は自死まで考えましたが、今ではせっせとリハビリに
    通っています。
    ・・・中略・・・
     こんな苦しいリハビリの訓練を続けるのは何故だろうかと、時々考え
    ます。リハビリなんかやめて、電動車椅子にバリアーフリーの部屋、
    介護保険などを使って、安楽に暮らせばいいではないかといわれます。
     でも私はそうしないつもりです。いくらつらくても、私はリハビリを
    楽しみにしています。週に四日間、歩行訓練と言語機能回復のために、
    病院に通うのが日課になった。私にも家人にも大変な負担です。そんな
    ことをしても、目立って良くなる気配は見えません。終わりのない、不
    毛の努力をなぜ続けているか。その理由を書いておきます。
     一茶の句に、「露の世は 露の世ながら さりながら」というのがあ
    ります。そんな心境なのです。死ぬのはもうちっとも怖くないのですが、
    しいて死ぬつもりはありません。むしろ生きるのが問題なのです。その
    ほうがずっと苦しいはずです。それも生きるのをいとおしんで生きるの
    です。露の命だっていいではないか。生命の導くままに生きるのだ。
(多田富雄と鶴見和子の往復書簡「邂逅かいこう」より)
 しかし、多田さんはなんといっても「知」の巨人です。私たち凡夫のほとんどは、多田さんのような精神的
強さを持ち合わせていません。私たちはどうすればいいのでしょうか。
 その答えは、冒頭の言葉の後半部分、「DNAが人間の乗り物」にあるように思います。 
 DNAは乗り物です。超高級車もあれば軽四輪もあります。(一卵性双生児以外)まったく同じものはあり
ません。それぞれ性能は違いますが、それは乗り方次第です。その性能をよく理解することが大切です。
法句経には
「おのがこころを師とすべし、おのがこころをおきて他に師を求めざれ」とあります。自己をしっかり見つめ、
自分自身をよりどころとし、他人をよりどころにしてはならないということ。独りよがりになってはいけません
が、自分が生まれ持った個性を大切にし、他人の意見に流されることなく自分の考え方をしっかりもちなさ
いということです。
また、阿弥陀経には
「(極楽浄土の)池中の蓮華、大きさ車輪の如し。しかも青色には青光、黄色には黄光、赤色には赤光、白
色には白光ありて、微妙香潔なり」とあります。
 それぞれの個性を輝かせることが美しいのです。ただ私たちは免疫細胞ではありませんので、「自己」と
「非自己」の見極めに苦労するかもしれません。



NO.136   2010年    4月

妖精の粉
 「妖精の粉」といえば、ピーターパンにでてくる妖精ティンカーベルを思い出されるかもしれません。ティンカー
ベルにその魔法の粉をふりかけられると、空を飛べるようになり、いつまでも子どもの心でいられる不思議な世
界「ネバーランド」に行けるのです。
 それはディズニーアニメのお話ですが、ところが今その「妖精の粉」が注目されているのです。
 ホビーショップで働くリー・スピーバクさんは、模型飛行機の高速で回るプロペラに誤ってさわり、指を切断して
しまいました。その切断部も飛び散って失い、接合することができませんでした。そこで治療に用いたのが、
ピッツバーグ大学で研究されているピクシーダスト(pixie dust 妖精の粉)と呼ばれるものです。それを切断さ
れた患部にふりかけると二日ほどで効果が現れてきたそうです。そして約一ヶ月経つと、ほぼ完全に指が再生
したのです。細胞組織、神経、爪、皮膚はおろか、なんと指紋までも。
 「トカゲのしっぽ切り」という言葉があります。上に立つ人が自分たちの身を守るため、下の人に責任を押しつ
けて切り捨てることをいいます。これはトカゲには長いしっぽがあり、そのしっぽが人間などの動物に捕まえら
れたとき本体の安全を守るため簡単にしっぽを切り離すことに由来しています。問題は、そのしっぽが何日か
経てばもとの状態に再生することです。イモリも手足が切断されても、根元が少し残っていれば同じように再生
します。人間などのほ乳類は最も再生能力が低いとされています。ところがその人間の指がマジックのように
簡単に再生するのです。ほんとうに魔法の粉としか言いようがありません。その粉は豚の膀胱からつくられる
そうです。その粉が何らかの信号を患部に送って、骨髄の中の再生に必要な幹細胞を呼び集めているのでは
ないかと考えられていますが、そのメカニズムはまだよくわかっていません。
 幹細胞は未分化の細胞で、いろんな組織の細胞に分化する能力を持っています。例えば指を切断してしまっ
た場合、表面を覆う皮膚細胞は増殖して皮膚をつくりますが、骨や筋肉、神経の細胞は再生しません。そこに
幹細胞を注入すればそれが増殖し、骨や筋肉、神経の細胞に分化して組織が再生するというわけです。
 ですから、幹細胞による治療は各国で研究が進められています。
 しかし、技術が発展してよりよい治療法が開発される反面、倫理的な大きな問題も発生してきます。アメリカ
などでは子どもの病気を治すために別の赤ちゃんを作り、その赤ちゃんから幹細胞を採取して子どもに移植し
ています。その赤ちゃんは「救世主兄弟」と呼ばれ、すでに200人以上生まれているといわれています。体外受
精によって受精卵を複数作り、兄姉と遺伝子が適合するものだけを選び出して妊娠・出産するのです。
 技術の発展とともに私たちの倫理観を変えなければならないのでしょうか。
 1978年イギリスで最初の体外受精児が生まれたとき、試験管ベイビーとして大きなニュースになりました。
人が人工的に出産をコントロールするということに抵抗を感じた人も多かったと思います。それから40年が経
ち、日本の体外受精で生まれた赤ちゃんは6万人になっています。しかし、複数の受精卵を母胎に戻すと負担
が大きくなり母子ともに危険なので、日本では複数の受精卵から一つを選ぶそうです。
 試験管ベイビーが珍しくなくなっているのと同じように、数十年後「救世主兄弟」もそうなるのでしょうか。また
、安全性も確認されないまま、先の幹細胞による医療技術を美容整形である豊胸手術や顔のしわ除去などに
も応用されいるのです。人間が望むことはきりがありません。技術が進歩すればさらにその先を望みます。
 仏教では「人生は苦である」と考えます。なかでも「生」「老」「病」「死」は私たちの人生の中で最も大きな苦と
しています。ところで「苦」とはインドのもとの経典の中の言葉「ドォフカ」を中国で漢字に訳したもので、本来「思
うがままにならないこと」を意味しているそうです。当時は現代のような医療設備や技術、薬などありませんで
した。人々ははやり病と闘うより、ただやり過ごすことしかできなかったでしょう。また同じく「老」も「死」も思うが
ままにならないのです。
 禅語に「病中も山野」とあります。自然の野や山が修行の場であるのと同じく、病に伏すのも修行の一つであ
るというのです。文藝評論家の故亀井勝一郎氏は病から学ぶことがあるとして、「病の三功徳」を提唱されてい
ます。

 一、生命力の自覚、病気の抵抗力としての健康性や、精神の抵抗力が自覚できる。
 二、自然と人生に対する繊細な感情が磨かれる。こころを柔軟にする訓練の
   絶好機で、もののあわれを知ることが出来る。
 三、何ものかに祈ろうと、思い立つ心が生じる。

 人生には「妖精の粉」はありません。「生」すなわち生きるということは「思うがままにならない」ことだらけなの
です。それにつきあたったら、抗うことなくそれも修行と素直に受けとめれば、何か気づくものがあるはずです。
功徳があるはずです。

  われ病みて六年(むとせ)のくらし支え来し 触るれば固き妻の手のひら
                           山形県 斎藤忠雄

 (参考と引用:「法句経入門」渡辺泰道著、「大安心の書」ひろさちや著
        NHKスペシャル「人体“製造”~再生医療の衝撃~」)



NO.135   2010年    3月

悪くない人生
 朝日新聞2月21日付紙面「いつか咲く」より、その記事を紹介します。
 Kさんは、母が17歳の時に生まれました。お父さんは継父で、Kさんが10歳の時に亡くなり、また新しい
お父さんがきました。しかし、その継父は酒ばかり飲んで定職に就かず、短気ですぐに手をあげる人でした。
Kさんは「自分が働かないとこの家は壊れる」と思い、新聞配達で生計を支えていました。そして、受験勉強
して公立の工業高校に合格しましたが、入学の手続きをしなかったため、学校から電話がありました。「行か
ないんでしょ。」と母から言われ、「いかねーよ」と応え、結局進学を断念しました。それ以来一人で生きていく
ことを決めました。博多に出て、住み込みで日本料理店につとめました。将来はいっぱしの料理人になろうと
いう夢をもち、誰もいない板場で黙々と包丁さばきの練習もしました。その甲斐あって3年経って東京の有名
店で働くことが決まりました。しかしその直後、右手が動かなくなり、原因がわからないまま夢どころか仕事さ
え失ってしまいました。「これがおれの人生なんだ」とやけになり、街をさまよい、良くない仲間とふらふら仕事
を変えました。
 東京に流れついたときは19歳でした。その3カ月後あるところで黒沢という女性に巡り会いました。初めて
会った「真っ白な人」でした。うそをつかない。裏切らない。そんな当たり前のことがうれしかったのです。2年
後結婚し、新しく生きようと決めたのです。でも中卒では求人がなく、派遣とバイトをかけ持って毎日の暮らし
をしのぎました。彼女がいたからがんばれたのです。
 こんどは自分に自信をつけるため、少ない時間をつくって資格の勉強をしました。学ぶことで世界が広がり、
税理士事務所で働くことが出来るようになりました。そして、簿記一級にも合格しました。その時26歳になっ
ていました。しんどい思いをいっぱいし、ずっとがむしゃらな日々を送ってきて、「無学と貧しさは、悲しいぐらい
つながっている」とあらためて感じたのでした。
 いまKさんは、自分の経験を人のために役立てたいと、職に就けないで惑う若者のために無料の相談活動
を仲間と一緒にしています。Kさんだからできる親身の相談。何度も何時間もかけて話し込みます。そして良
い報告をもらったときは知らずに笑顔がこぼれていました。「一人じゃないからね」と相談者にはこう伝えてい
ます。それによってKさん自身も、一つずつ確かなものが積み上がっていくように思えたのです。
 前向きに生きることをあきらめなかったら、回り道でもいつか、自分なりの幸せをもつことができる。
 「最高の人生を送ることは難しいけれど、悪くない人生を送ることはできる」と。
 人は誰でも素直な気持ち、前向きな気持ちをもっています。しかし、世の中の煩悩や我執によってなかなか
表に出てきません。無学や貧しさなど不遇な環境が加われば、善の気持ちはさらに心の奥底に閉じ込められ
てしまいます。そのとき人は、すべてを否定的にとらえ、やけっぱちになり、場合によっては悪いことに手を染
めてしまうかもしれません。Kさんが立ち直れたのは奥さんがいたからです。彼女がKさんの前向きな気持ち
を表に引き出したのです。
 最初Kさんは奥さんによって、奥さんのために頑張ることができました。つぎに、迷う若者のために力を尽くし
ました。その結果Kさんは本当の幸せを手に入れることができました。「悪くない人生」が実はその人にとって
「最高の人生」ではないでしょうか。
 次のような詩があります。
    ぶどうに種子があるように
    私の胸に悲しみがある
    青いぶどうが 酒になるように
    私の悲しみよ よろこびになれ

                    高見 順
     (参考:法句経入門 松原泰道著)

NO.134   2010年   2月

春を祝う
 2月3日は節分、2月14日は旧暦の正月です。各地の神社仏閣では節分の行事が行われ、各家庭
でも豆まきをして、今年の福を呼び込みます。まさに年越しの行事です。
中国や韓国、北朝鮮、そしてベトナムなど隣国では1月1日よりも旧正月をずっと盛大に祝います。中国
では春節、韓国ではソルラル、ベトナムではトなどと呼び、一年で最も大切な祝日と考えられているか
らです。
 「年越し」を広辞苑で調べてみました。
 ①「旧年を越して新年を迎えること。大晦日の夜」  ②「節分の夜
 とありました。「節分の夜」を年越しとするのは、おそらく四季の移り変わりで、春を一年の始まりと考え
たからでしょう。厳しい冬の寒さから、暖かい春を迎える。一年の始まりとしてはいい季節と考えられます。
 旧暦では立春から立夏の前日までを「春」としています。「立秋」「立冬」もあるように、節分は本来4つ
ありましたが、「年越し」の特別の意味をもつために、春の節分だけが残ったのでしょう。冬のまっただ中
なのに、年賀状に「迎春」とか「初春」と書くのは、その旧正月の春を祝うことからきているのです。
 ところで、旧暦は月の満ち欠け(朔望 さくぼう)で日を決めます。新月(朔)から次の新月まで約29.53日
12ヶ月にすると354.36日となり、天文学上の1年(1太陽年)の365.24日より約10.9日少なくなります。
放っておくと一月が真夏になったりしますので、季節からのずれを修正するためには3年または2年に1回
閏月(うるうづき)を入れて一年を13カ月にする必要が生じます。だいたい19年に7回閏月がはいった
現在の旧暦(太陰太陽暦)がつくられました。すでに中国では宋の時代元嘉22年(西暦445年)にその元嘉
暦が施行されています。これが朝鮮や日本に伝えられたのです。天の意志に従うことを大切にした中国では、
暦法は単にカレンダーをつくる技術ではなく、天体の諸現象を数理的に詳しく取り扱う天下の大典と考え
られていたそうです。
 さて、2月の暦には「立春」と「雨水(うすい)」があります。これらは3月の「啓蟄」「春分」などとともに、
「二十四節気」または「二十四気」とも呼ばれ、旧暦と季節とのずれを知る目安になるものです。
この雨水は新暦の2月19日頃ですが、旧暦ではこの日より直前の新月になる日(朔日 さくじつ)が旧暦
の一月一日にあたります。すなわち旧正月です。前述のとおり今年は2月14日になります。2月4日の立春
の方が先にきますので、旧暦では年が明けないうちに(十二月のうちに)春が訪れることになります。(年内
立春と言われています。)また、旧暦での昨年は正月と十二月に二度立春が来たことになります。
 古今和歌集の冒頭には、年内立春を歌っています。
  年の内に 春は来にけり ひととせを
           こぞ(去年)とや言はむ 今年とや言はむ

                            在原元方
「年内に春がきたから、この年をもう去年というのだろうか、それとも明けて今年というのだろうか」

鎌倉時代には次の歌があります。
  めづらしき 年にも有かな 一とせに
      二たび春の 光みつれば
   (隣女和歌集)

 この歌の「めづらしき」を、「まれである」「めったにない」と誤って解釈しがちですが、ここでは「賞賛すべき」
「すばらしい」という意味です。閏月が入ると一年は13カ月になりますので、必然的に立春が二度きます。
これは「珍しい」ことではなく、前述のとおり19年に7回ほどはそうなります。反対に旧暦では立春のない年も
あるのです。また、年内立春も珍しいことではなく、新年立春よりもすこし多いほどです。ややこしいお話をつき
合っていただきました。
 袖ひぢて むすびし水の こほれるを
    春立つけふの 風やとくらむ
     紀 貫之
(夏に袖をぬらしながらすくった水が秋から冬にかけて凍り、それを今日の立春の風がとかすのだろうか)
 厳しい冬も辛抱して耐えて過ごせば、必ず暖かい春がやってきます。春の来ない一年はありません。
人生も耐え忍ぶ心をもてば、春の陽光が氷を融かすように、いつか必ずどこかに光が見えてきます。
   (参考と引用:丸善「こよみと天文・今昔」内田正男著
                   誠文堂新光社「天文年鑑2010年版」)



NO.133  2010年   1月

気持ちのし
 平成22年、西暦2010年の始まりです。今年一年、皆さんはどのような初心を立てられたでしょうか。その参
考に由美かおるさんの生活の秘けつを紹介します。(昨年の12月17日付け朝日新聞朝刊の紙面から)由美さ
んは15歳でデビューし、以来40年あまりということですから、私とあまり変わりません。なのに、スリムで姿勢
も正しく、テレビではアクションシーンもたくさんこなされています。その若々しさのため、また美容健康ブームも
手伝って、次から次へと講演の依頼があるそうです。その講演会ではアンチエージング(老化の防ぎ方)をテー
マに「西野流呼吸法」を紹介されています。これは「西野バレエ団」の西野皓三氏が提唱された呼吸法で、深
い呼吸で血液の循環をよくし、内臓の働きを高め、脂肪を燃焼させるといいます。
 記者が「しかし、それでも年齢とともにしわも増えるのでは」と尋ねると。由美さんは「気持ちのしわは努力と工
夫で減らせますよ」と答えられました。
その秘けつとして
「相手のミスを責めない」
「見返りを求めない」
「遅刻しない」
「新しいことに挑戦する」
「思い立ったらスタートを切る」
など次々とあげられました。簡単なようで実行はなかなか難しい。さらに難しいことに「それらを40年続ける
こと」と付け加えられました。
 参考になりましたでしょうか。 由美さんの秘けつはどれも平凡で当たり前だけれど、私たち凡夫は煩悩や
我欲があり、ついつい損得勘定をしてしまうので実行するのが難しいのです。
 「宗教は生活である」 これは曹洞宗 沢木興道(さわきこうどう)老師の言葉です。特に仏教は御利益信仰
でもなく、学問や思想などのような観念の遊びでもなく、仏像や伽藍などのような芸術でもなく、まして渡世の
職業でもない。たった一度の、かけがえのないこの生命の今を、最高に洗練された生き方で生きる。
「その生き方を具体的に教え導くものが宗教である。」といいます。(NHKテキスト「典座教訓を読む」より)
 由美さんの秘けつには仏教に通じるものがあります。「煩悩や我欲を押さえなさい」と暗に言っているからです。
平凡な生活の中で当たり前のことをする。そこに私たちの仏教があります。
 「よいことは素直に学ぶ」も秘けつの一つでした。今年由美さんの秘けつに挑戦してみましょう。心の老化
を防ぐためにも。