「浜辺の歌」と「舟唄」と「うみ」

子どもの頃聴いた唱歌を聴くと誰もが懐かしいかと思えば、ただただ軽く扱う人がいて、もったいないと内心つぶやきつつ、世にある歌のジャンルがあまりにも広いので、興味を持たれる歌も様々で当然だと思います。

あした浜辺をさまよえば

林古渓の作詞で、大正5年(1916年)発表の「浜辺の歌」があります。一番二番まではよく歌われます。いわくつきの三番があったことを何年か前まで知りませんでした。現存の三番では、病気がすでに癒えただとか、会えない愛し子は今はどうしているだろうか? といった意味のことが歌われます。一番二番の歌詞に登場の「昔のこと」「昔の人」とは、療養生活に入る前に交流のあった懐かしく大切な人との想い出であったのではないかと想像します。優しい歌は今でもたくさんありますが、なんでしょ? この詩に登場する、赤裳を着ていたとされるおそらく女性と一緒に癒されそうな、内面の強さを持った歌だと私は思います。

お酒はぬるめの燗がいい

話は突然阿久悠作詞の演歌になりますが、八代亜紀の「舟唄」は、「ダンチョネ節」から本歌取されていることをごく最近知り、鳥肌が立つほど驚きました。「ダンチョネ節」にはいくつかヴァージョンがあるそうですが、八代亜紀の「舟唄」のサビと同じ「沖のカモメ~♪」から始まる歌詞をある場所で聴いたのです。戦争中に戦闘機に乗る兵士の歌で、時代を反映して死と隣り合わせの内容です。広く知られていますように八代亜紀の歌になったときには平和な男女の話になっています。ただし、そのようにはならない現実があるらしい、哀しい歌のようです。昭和54年(1979年)発表の歌ですが、年配の方には、八代亜紀の「沖のカモメ~♪ ダンチョネ」を聴くたび、戦闘機の「ダンチョネ節」にリンクされてきた方がいらっしゃるのでしょうか。

うみはひろいなおおきいな

あと、昭和16年(1941年)発表の文部省唱歌「うみ」。林柳波作詞です。小さいお子様が歌いやすいシンプルな歌で、子どもの生徒さんの歌の教材にしていたことがあります。戦後、歌詞が平和ヴァージョンに書き変えられた唱歌がある一方で、これは表面は?平和なので変えられてはいないようです。三番の「うみにおふねをうかばせていってみたいなよそのくに」って、太平洋戦争直前だけど、観光だったらよかったです? もちろん、これからも平和な旅以外の意味があり得ない日本であってほしいものです。

2016年10月11日
  パスピエピアノと歌の教室