バランスと合理性 私が子どもの頃、いちばん長い期間お世話になったピアノの先生は、とても優しいけれどある意味しっかり待ってくださる方でした。先生の方針で、普段から曲の「暗譜」が常について回りました。ハノンを移調して弾いた記憶もあります。とにかく基礎の時を、ずいぶん時間をかけていただいて育ちました。のちに、厳しい先生に別の特訓を受けることに^^; でも貴重な時代だったと思っています。 その頃ですが、ピアノの他に、音程を正しく歌う練習(ソルフェージュ)に、五線ノートを使った復習や、聴音に、楽曲分析、伴奏付けなどもしていただいて、ずいぶんいろいろなことを教わりました。ピアノの発表会だけでなく、歌う会もあってひとりひとり独唱しました。レコード!鑑賞会があったり、名曲全集のレコードを先生から購入して、それからずいぶん長い間、しっかりした情報源でした。
なのに、私がしている現在のレッスンは、ピアノの曲数がどれだけ進んだか~ など目先のことに気を取られてはいないかと、いつも気を付けているところです。進むのは大事なことだと思います。でも、ピアノの学習には、狩猟のように獲物を捕らえるような要素と、畑を耕し、種を蒔いて~ というように時間をかけて育てられ、育っていく要素があり、なかなか時間がかかるものです。
しかも学習の場はレッスン室だけにあるのではなく、美しい演奏をどれだけ聴いたか、美術や文学や旅行や・・さらには人生経験による気持ちの幅が演奏に現れると言われています。そういう意味では、音楽性は大人になっても伸び続けると聴きます。
小さい生徒さんにとっては、実生活が少しずつ大人に近づく過程で、講師やおうちの方に頼った練習から、少しずつ自主的な練習に変わっていくことに、いちばん大事にすべき歩みがあるのかもしれません。 2017年4月19日 |