音速パンチ 2006.02.22 VIZL-166(初回盤) \1,500 VICL-35933(通常盤) \1,260 SPEEDSTAR RECORDS ●ジャケット+デザイン 今回のアートワークは深い青色がテーマカラーなんでしょうか。 そこに無数の光を散らして、まるで果てない宇宙のようです。 カメラマンはお馴染みのNAKAさん。 そして、今回はスタイリストさんのクレジットもあって驚き。 (今までなかったのは、Coccoが自分で選んだり、衣装の深井さんに作ってもらったりしてたから?) ファッション関係は無知なのもので、名前を見てもわからなかったのですが この島津由行さんという方、調べてみたら有名な方なんですね。 NAKAさんと何度か一緒にお仕事をしているようなので、紹介でかな。 で、そのジャケットの写真。 Coccoはなにもない新地で座り込んでいる。 しかし、裏ジャケットでは裸足で立ち上がっているという、なんともニクイ演出。 帯の”誰も行けなかった場所へ。 未開の地に立つCoccoが、今、スタートを切る。” に最初は「おいおい、こんな大袈裟なかっこいい煽り文句つけちゃって!」なんて笑いながらいたけれど この”誰も行けなかった場所”が、Cocco(そしてCoccoチーム)が目指す ”ずっと夢見ていた場所”のことなんだろうと思うと、涙が出てきそうです。 『焼け野が原』にした、まだまだ使うことができた立ち位置(せっかく耕した土地)を葬り 遠くはなれた”未開の地”から再び、嘘をつかず歌を愛しながら(美しい花々でいっぱいにしながら) 裸足で全力疾走していく決意を表しているようで、まったく涙腺緩ませる人たちで困ります。 そのあとパカリとケースを開けて、ディスクの『音速パンチ』の字体が 大変コミカルな形をしていたものでちょっと吹きだしてしまいましたが、ね。 1.音速パンチ 作詞・作曲/Cocco 編曲/根岸孝旨 「さすがネギさんだね!」と普通に喜んでいる場合じゃないくらいの、 前評判通りの”ハイパー・ダンス・ロックチューン”。 今までのCoccoのイメージからはかけはなれている、打ち込みが全面に出ている楽曲に 発売前から、そして発売後もファンは驚かされることになりました。 (以前のサウンドにも、実は打ち込みは多用されていたのですが 隠し味程度の活躍だったので、ここまで目立って登場だとびっくりしますよね) しかし、そこは根岸氏のことですから打ち込みを多用はしていても、生音もしっかり重視しています。 そこは今まで通りのぶ厚いCoccoサウンド、ということで 打ち込みがよっぽど嫌いじゃなければ、以前のサウンドにも劣らない、 むしろ生音と機械音の融合により更にパワーアップしているCoccoを感じられると思います。 イントロはまさに打ち込み大活躍、どういう曲なんだ?と思っていたら いきなりザクザクした渋いギター、そしてドラムの挿入、そしてテンポの速いメロに乗るCoccoの声と言葉。 可愛らしい音から一転、いきなり図太い音を響かせる楽器たち。何度聴いてもゾクゾクさせられます。 私がとくにお気に入りなのは、ギターの「デッ↑デッ↓デッ↑(表現し辛い・・・)」という音。 『サア 始マリノ〜』からの刻みも良いのですが、 『〜迄ニ 冷タクナッテ ソウ〜』あたりから聴こえる、あのギャングみたいな音!にもう夢中です。 今作は短いですがギターソロもあり、サビでのグラデーションのようなギターといい、 ギターが実は裏の主役なのではと思えてなりません。 さて、歌詞。 今作は表記(漢字とカタカナ)と表現(心情と語りかけで展開される)による ”今までのCocco”とは一味違う雰囲気を、見た目からも内容からも感じるものとなっています。 それ故、あーでもないこーでもないと何度も解釈をしては壊し、 新しい謎や、出来上がった解釈の矛盾点にツッコミをくり返す日々でした。 けれど、はっきりとひとつ断言できることといえば Coccoは『音速パンチ』の中で”再び、スタートする決意”を記しているはずだということ。 そのヒントを中心に、自分のなかで固執してしまった認識を解体していくうち ふと、”これはもしかして、歌手Coccoの立場から発せられる想いなのでは”と思いあたりました。 今までCoccoは「沖縄女・こっこ」として、どの歌詞でも、その個人的な想いを綴り その想いを外へ開放してくれる手段として「歌手・Cocco」を表舞台に立たせていたように、私は思っていたのですが それはあくまで活動中止までの手法で、あのゴミゼロも、SINGER SONGERも大部分を占めていたのは 「沖縄女・こっこ」であって、「歌手・Cocco」はその間ずっと眠りつづけていたのではないのかと。 そう考えると、今作で『始マリノ』そして『初メテノ接吻』を求め 『ヤサシイ腕デ』Coccoを囲う壁を『ブチ壊して』と望み Coccoを奮い立たせる言葉を『耳元デ囁イテ』、『背中合ワセノ儘 窃カニ』Coccoを『突イテ』動かして、と 恐れることをやめた、自分のなかにいる「こっこ」への呼びかけているのではないかと思えてなりません。 そして同時に、この呼びかけはCoccoチームへの壮大なラヴコールとも取れます。 『風ガ吹ク 此ノ辺』を埋めるには、『甘エタ願イ』を叶えるためには、絶対的に”音楽”が必要なのだから。 2.どしゃ降り夜空 作詞・作曲/Cocco 編曲/長田進 サウンドプロデューサーとして長田氏が初参加した楽曲。 聴いていちばんに「どうして今までやらなかったのさ!」と言いたくなる仕上がりに感動。 ギターの響きが非常に硬派かつ色気があり、 Coccoの切なくも、妖しげな世界観を一層盛りあげていたのは彼だったんだなと痛感させられます。 ただクールなメロディというだけではなく、サビでの繊細な音の重なり合いが まさに”雨”の情景を目のまえに浮かび上がらせている。 地面で弾けるしずくの輝き、生温かい感触、空白を埋めるすべらかな轟音、 その古くて懐かしいフィルムを見るような、現実と幻の区別もつかなくなる恍惚感。 そういった歌詞にも通じる感覚が、ピシリと伝わってきます。 歌詞では、まず最初に『皆殺し』という言葉が気になりました。 (『死んだイルカみたいに〜』も凄い表現でわっ、と思いましたが。比喩なんでしょうが、そういえば、Coccoってちょっとイルカに似てる) 以前に読んだファンのレポートにて、Coccoが大阪で唐突に敢行したストリートライヴでうたわれていた楽曲にも この言葉が使われていたという記述があったのを思い出したためです。 楽曲の誕生と発表の時差にこだわっていたCoccoが、そんな過去の曲を持ってくるだろうかという疑問もありますが 今回の復活を考えると、Coccoはすでにそんなこだわりを越えて、いつだって未来永劫うたっていたい想いを これからの歌に込めているのかもしれない、という可能性もある。 とすると、当時現場にいた方の記憶か、もう本人や周囲のコメント頼りになってしまうわけですが・・・果たして。 (活動中止直後の想いが込められているとしたら、ぴったりすぎて涙が出てきますよ) 私はCoccoの表現する”雨”は、すべからく”想い出”とリンクしているものだと感じていましたが この詞では、Coccoはどしゃ降りの雨を”夢”に見立てています。 どこか寂しげで物悲しい雰囲気の雨も、冷たいしずくではなく”夢”なのだとしたら、とても素敵だ。 けれど、その夢が叶えたい、叶えられない夢だとしたら、喜びだけの恵みの雨とは少し事情が違ってきます。 ここでCoccoをびしゃびしゃにしている夢は、そして想い出にまみれてびしょ濡れ夢は 恐らく沖縄のことであり、音楽のことであろうことは想像できます。 どんな無茶な夢でも、抱えきれないほどに背負ってしまう性格というのは 言葉にすると”夢見がち”と軽い響きですが、それを諦められずに生きていくことは容易ではない。 どうにもならない現実に『泣き腫らした目』で、そんな雨に打たれていることを考えると もう泣き面に蜂状態ですが、ここでふと私はラストの『今 届くのなら〜私を消して』に、 悲しみや苦しみではない、もっと違う不思議な手触りを感じてしまいます。 『私を消して』の言葉で終わる詞というと、『ブーゲンビリア』収録の『Rain man』を思い出しますが あの言葉に潜んでいる自暴自棄な気持ちと、『どしゃ降り夜空』でうたわれているこの言葉では 込められている想いは全く違うように思えてならないのと、同じように(昔と今のCoccoの変化も手伝っていると思いますが) 『どしゃ降り夜空』に虚しさや焦燥を重ねるには、あまりにもこの歌は甘やか過ぎるのです。 だって”どしゃ降りの雨”は夢なのですから、それに包まれ『私を消して』と思わず感じてしまうのは まるで愛する人に抱かれながら”このまま時が止まればいいのに”と願ってしまうのと、そっくりな気がしませんか? 3.流星群 作詞・作曲/Cocco 編曲/根岸孝旨 前奏からもう、ぐわあっと込み上げてきます。 まさにヤラレタ、いやノマレル!と瞬時に感じました。 『もくまおう』的な、可愛らしくもあり、勇ましい楽曲のなので ファンにはたまらない人気曲になるだろうなと思っていたら、やはり各所で大好評。 まずドラム。 このリズム。 行進曲のような軽快な音! これだけでも胸がきゅっとなって、同時にワクワクしてしまうのに クリアに響くギター、散りばめられるキーボード、朗らかであたたかいベース、 まさに”流星”な効果音を絶妙なタイミングで差し入れるプログラミング、 丁寧に丁寧に鳴っているのに、あっという間に駆け抜けていく光がたっぷりと詰まった、まさに極上のサウンド。 思わず「え、もう終わっちゃうの?」と惜しくなり、何度も何度も再生ボタンを押したい衝動にかられます。 演奏の盛りあがりと共に、Coccoのボーカルもどんどんパワーを増していく。 一番、二番と、しなやかに、やわらかく、限りなくやさしい声でうたいかけるのに ラストあたりの『廻れ 天体よ〜』のサビからは、まさに絶唱。 どこまでも真直ぐで、力強い、まさにCoccoだと痛感する、わけもわからないまま体中がざわっと騒ぐ感覚。 これがあったからファンになっちゃったのよ、という これがあるから聴くのをやめられないのよ、という方々多数な、 他ではなかなか味わえない、Coccoの持つ強烈な武器だと思います。 詞は、今までのCoccoを辿っていけば 驚くほどすんなりと、これはあのことなんだろうな・・・と感じられる言葉で溢れています。 『やわらかい うばら』は、歌をうたうことで生まれる痛みと、あたたかさ。 『わがままな歌』は、無謀でも無茶でも諦めきれない夢や想いを託した、Coccoが抱える歌。 『海を見ていた〜痛めつけた』は活動中止前のCoccoが、ずっとくり返した悲しい行為。 『悲しみの上(英訳では『On the sad』)』『木の葉舟』『夜は明けてしまう』は 『Rainbow』で登場する『悲しみの海』を漂う『舟』であり、『夜明けが 来るのを 只 待っていた』末に見た、朝の光だ。 (ちなみに、2003年にシークレットゲストとして登場したライヴイベント「RUSH BALL」でのMCで、 Coccoは「ここに来るには、小さい、”葉っぱみたいな舟”しか用意できなかったけど、 その舟を動かすために、沢山の人が息を吹きかけたり、手で風を起こしてくれました」という発言をしている) これだけでもぐっと迫るものがあるのに、 この歌は、ただ新たなる出発をうたっただけではなく ”ひとりぼっちだけど、今戦っているのは自分だけじゃない。みんな、ひとりじゃない”という 言葉にすれば安っぽくなってしまうけど、そんな、Coccoなりの”応援ソング”だと思うのです。 廻る天体のなかの、ひとつひとつの星は輝いて走り 外からは、それは流星群として、まるで肩を並べながら共に流れ、ただただ美しく見えるだろう。 けれど、本当はひとつひとつ独立して、どんなに挫けそうなときも独りで、必死に輝きながら走り続けている。 そんな厳しい道を越えた先に 『いつか どこか 辿り着いた時に』、初めて、お互いの手を取り合いながら、満面の笑みで泣きながら 懸命に走り抜けた者だけにしか味わえない、達成感や高揚感、歓喜の声を響かせるのだとしたら こんなにドラマチックで感動するシーンはないだろう。 ああもう、勝手に自分でその場面を想像しては泣きそうになるくらいだ。 そしてラストのサビでは Coccoが、恐らくゴミゼロや、それによって直面した沢山の世界の悲しみに気付いたことによって はっきりと意識するようになった”世界のどこかで泣いている誰か”に向けて 歌を放つことで、繋がりを、そして愛を届けたいと願っていることが伝わってくる。 (SINGER SONGERの『Baby,tonight』でCoccoは、『ごめんね〜自分の愛のことしか考えてない』と 結局は、自分の周りの大切な人を守ることで精一杯になってしまう、と正しくも はがゆく非力な自分をうたっているけれど、だからこそ、『初花凜々』で『ハローハロー』とまだ見ぬ世界中のあなたに呼びかけ、 この声が届いた人を大切な人にしてしまえばいいんだ!とばかりにうたったのでしょう。) シュッと長い尾を引いて、その欠片がきらきらと光っているような エンディング(キーボードのクレジットにCoccoの名もあるけれど、この音を担当したのかな?)が いつまでもぬくもりを残しながら体中を満たし、充実した気持ちにしてくれる、まさに名曲。 BACK |