カウントダウン 1997.3.21 VICL-12027 SPEEDSTAR RECORDS \1,200 ● ジャケット+デザイン 直球。 オシャレさも、自分を格好良くだったり、可愛らしくだったり、そういう風に見せようとする意識を全く感じない。 「ちょっと周りの草むらで自由に遊んだあとに、名前を呼ばれてパシャリ」みたいな雰囲気。 髪も乱れており、おそらくノーメイクの顔。 濃い太い眉と、大きな目と鼻とくちびる。十字架のネックレスと、白い服。 それだけでもこれだけインパクトがあるって凄い。 本当に力のある表現者は目が強烈だ、という話を聞いたことがありますが まさに、Coccoはそれだと思います。 逆に、気取らない素のアーティストとしての存在をアピールするために わざとこんな大胆なジャケットを持ってきた、という気も同時にします。 そういえば帯の十字架はCoccoの私物のものなんでしょうか? こう、細かいところまで(名前が刻まれたネックレスやタイトルロゴデザインなんか) ものをしきつめるのは、ちょっとくどいかなと私は思いました。 でもCoccoはシングルは必ず自分が写っているもの、アルバムは自作の絵、 とシンプルさを一貫して追求していますね。 そして歌詞カードとCDの色。 どぎついほどのピンク。ショッキングピンクといえばCoccoのトレードマーク(の色)として定着してますね。 桃象やいつも履いてる靴や、その他でもよく見かけるので本人の好きな色なんだろうな(でも確か白が好きって言ってたような?) Thanks toが沢山載ってあるのも面白いところ。 最後に、いつもアルバムのラストに書いてあるメッセージのようなCoccoの言葉。 この言葉をみたら、私はCoccoがそんなに復讐心に燃えていたとは感じないな。 もしかしたら「復讐」そのものじゃなくて、復讐心から生まれる原動力で誰もできないことを成し遂げてやろうっていう野心だったのかもしれない。 少なくとも、誰かを不幸にするような復讐を考えていたわけではないと思う。 誰も傷つけないけれど、傷つけられないことで感じる痛みを味あわせようと思っていたのかもしれない。 1. カウントダウン 作詞・作曲:こっこ 編曲:根岸孝旨 ピアノの静かなイントロから、つぶやくように囁くように(詞の内容からすると怒りを押し殺してやさしく言い聞かせるように)うたう声。 そこから急転直下のサビ。 感情の動きをメロディでわかりやすく表してるなという感じ。 静から動というパターンは、Coccoの歌ではもうスタンダードな構成ですね。 激しい音にピアノやバイオリンなどのきれいな音を重ねるのも、「凶暴だけれど純粋」という世界をあらわす方法として上手いなあと思います。 私はCoccoの音楽を聴くようになって、バイオリンの音色に惚れこんでしまいました。 いちばんテンション高くというか、体中の血がとてつもなく速く流れるような気分になるのは、やはり最後のサビ前の間奏ですね。 つられて自分も叫びだしたくなるような不思議な気持ちにさせられます。 Coccoのコーラスも、どの歌よりも目立っていて気持ちがいい。高いパートがするすると這い上がってくるような。 歌詞は、いかにも初期のCoccoっぽい。 他のものには見られないような『あの女』と具体的に名指ししていたり(英詞では"bitch"と訳されていて憎み具合がわかって面白い) 詞全体の美しさよりも感情を優先している表現など。 でもちゃんと起承転結していて、歌詞自体の完成度はすでにできていて凄い。 この歌は歌詞やサウンドのせいでもあると思うのだけれど、よく「怖い」と評されていたりすることが多い。 もちろん私も歌詞うまいな、面白いな、と思ったあとに「恐ろしい女だなあ」と思ったものですが 聴いていくうちに、怖いといよりも切なかったり可哀想と思う気持ちのほうが強くなってきました。 ヒステリックに男性を責めている様は、一見するとそこまでしなくても・・・と感じるけれど その裏に隠されている、愛した人の裏切りを悲しむ心のほうが濃い気がするんです。 その弱さを出さないように、怒り狂うことで自分を保ってるんじゃないかなと。 私には気丈に振舞おうと、強がって泣くのをこらえている女の子としか思えないんですよね。 また、もしかしたらこの恋人の不実は"浮気"ではなく"本気"だったのかもしれない。 そのことに、「わたし」は気付いてしまったのかもしれない。 だからピストルまで用意して殺す準備をしていたのかもしれない。 考え出せばキリがない。 最終的に思うことは、きっと「わたし」は恋人を撃ち殺せなかっただろうということ。 ピストルを向けて、引き金をひく寸前のところで歌は終わっている。 ほとんどの人は裏切り行為をおこなった恋人は撃ち殺されているだろうと考えているみたいだけど、 最後の決心は付かなかった、というよりも元から殺すつもりなんてなかった、 ただ本当に愛しているのは君だけだと言い切ってほしかった、愛を確信したかった、それだけだと思う。 Coccoの歌にただよう悲しみは 最後の最後で決心が付かなくて、愛する人が去っていく後姿を見つめることしかできなかった そうして愛する想いだけが取り残された、そんなどうしようもない想いが溢れている気がする。 それは憎しみや痛みよりも強いのだろう。 だから、こんなに底知れない苦しみが、切ないくらいに真直ぐ伝わってくるんだと思う。 2. 遺書。 作詞:こっこ 作曲:成田忍 編曲:根岸孝旨 人気曲。 やさしく穏やかで、サビでは変わらずの爆音なんだけれど、遥か遠くを見つめるような無限の広がりがあります。 旋律と言葉がひとつになり、言霊というのはこんなものをいうのだろうと深く感じます。 この歌はなんといっても歌詞に重点を置かれます。 なにせタイトルが「遺書。」だからインパクトも相当。 実際、私も、この歌詞の話を聴き興味がわいて「ブーゲンビリア」をすぐに借りてきたくらいです。 すごい衝撃的でした、こんな表現方法があるのかとカルチャーショック。 もっと探せば、遺書を題材にした歌詞は以前からあったのかもしれないけれど こんなふうに、アンダーグランドではなくあくまで歌謡曲の枠のなかで発表して 音楽通だけにしかわからないような音楽にしなかったところは、Coccoの残した功績のひとつだと思う。もちろんこの歌に限らず。 (Coccoはフェーバリットで森田童子を上げていたから「たとえば僕が死んだら」なんかは影響しているのかな。 でも昔から遺書のようなもの"自分はこの日まで生きていました"という証、を残す癖があったらしいから自然なことなのかも) しかし、実は私、この歌を聴くことは少ないのです。 はじめのうちこそ感動して、Coccoの歌の中でもベストな存在だったのですが 徐々に気恥ずかしいというか、なんだか微妙な気持ちになっていったわけなんですね。 おそらくこの歌の、夢見る少女のような雰囲気に自分が対応できなくなったのだろうなと。 Coccoの歌詞の中でも特別に乙女さというか、女の子!を感じる歌詞だと思うんですよ。 『いつか私が死んでしまったらその時は海に返してね、そしてまた誰かに愛されるときがきたら、 そのときはどうか幸せでいて、でも誕生日だけは私たちのあの丘で私を想って泣いて』 というある種、究極にわがままで可愛らしい想いを、私は無条件で受け入れる時期を通り過ぎてしまったんだなあと。 きっと次にこの想いを理解できるようになるのは、心から愛する人に、愛し愛されるときなんだろうと思います。 Coccoは思春期の女の子が持つ気持ちを、大人になっても曲げずにきちんと持ち続けている人だからこそ書けたんだろうな。 『幸せでいて』の箇所の英訳ではより強く『Please Please』と繰り返していたり、 歌のラストではほとんど泣き声のようなハミングを響かせていたり、 そんないじらしいところが、余計にこんな夢見る少女が書いたような詞に、リアルで切実な願いを感じさせているのだろうなと思います。 3. Way Out 作詞・作曲:こっこ 編曲:根岸孝旨 Outの「O」の真中が×になってるのが好きです。 オープニングとエンディングはラジオみたい。 チューニングを合わせていたら不意に飛び込んできた叫び、というのは 感情が揺らいで、それを戻そうと必死になっているときにだけ聞こえる訴え、というのが狙いなんでしょうか。 音のほうは、もう好き放題にやってるなといった感じ。 Coccoの歌って、流行系の歌とは違うふうにみられているけれど 根岸さんのアレンジがいいのか結構とっつきやすいというか、アンダーグラウンドな世界にまでは行ってないと思うんですね。 でもこの歌は渋いというか硬派な気がする、カップリング枠だからシングルには持っていけないような雰囲気にしたのかな。 Coccoはこの歌ではかなりインディーズのときのような激しい歌唱です。 もう、うたうというよりも完全になにかに取り憑かれて叫んで吐き出している、すごいものを。 その代わり歌手としては幼さや拙さがだいぶ目立っているように思います。 歌詞の方もCoccoにしては平凡な印象。技術や表現よりも、感情を優先して書き殴ったような。 でもそれが逆に相乗効果で、この歌をより生々しく響かせているように思います。 この歌詞では、いつもCoccoが求める「あなた」ではなく「誰か」と曖昧な言葉を使っているせいか それだけとり乱している姿がみえてくるようで、聴き手に迫ってくるような勢いがあり、聴くたびに息も忘れてどきどきしてしまいます。 BACK |