7月7日、ロマンチックにも七夕に発売された『文藝 2004 秋季号』の感想。
ネタバレを含みますので、読み終えた方でさらにお暇ならどうぞ読んでやってください。



文藝 2004 秋季号
特集 
Love Songs from Cocco 絵本『南の島の恋の歌』によせて

まず目次のページで「ほー」と思ったのが、
『南の島の恋の歌』は突然(しかも異国の消印!)届けられたということ。
事前の打ち合わせなし?本当に?
また描きたくなったらいつでもというお誘いがあったのかしら?
それにしてもこのご時世、外国消印で大きな包みは不信がられても仕方ないぞCocco!
でも沖縄消印じゃないということは仕上げは外国で?

とかはまあ余計な検索です。嫌な性分あいかわらず。

※のちのちのお話(エッセイ)によれば、どうやらこの時期Coccoはイギリスの美術学校へ留学していたようです。驚き。



紫陽花

「紫陽花」というと『水鏡』を思い出してしまい、
Coccoにとって「紫陽花」には特別な想い出があったんだということに反応。

しかしCoccoにかかると、なにげない出来事も
とても素敵な想い出や気持ちとして表されていて、いつも感服してしまう。
生き方や性格がドラマティックで芝居じみていると感じることも時折あるけれど、
なかなか苦しいことも汚いことも、美しいことへと変えるのはむずかしい。
生まれついてのものか、育ちのせいか、
胸のうちを外へ出さなければ生きていけない表現者として、ラッキーな才能だと思う。

思わず「おっ」と笑ってしまったのが

>東京には空がないと言った何処ぞの負け犬を
>ギャフンと言わせてやれるような
>そんな空が広がっていました。


この部分。
それって高村光太郎の妻、智恵子のことですよね。
本を読んでいなくとも、私だって知識として知ってはいましたが
こういった何でもない言葉の中に、Coccoのその知識を得た時代があったんだなと
(本はあんまり読まない、目が痛くなるからとか言ってましたもんね)裏側をみたようでにやりとしてしまいます。
しかも「負け犬」とは・・・!

智恵子といえば、私は高村光太郎の詩を高校のときに学び
その際、国語の教師が智恵子のことについても教えてくれたのですが、
精神を病み奇行(高村光太郎がいないと泣いて暴れたり、近所を裸で歩いたり)が目立つようになったけれど
芸術家としての才能は素晴らしいものがあった、ということを聞き(もちろん詳しくいえば最初から病んでた人ではないです、念のため)
少しCoccoの姿と重ねたりもしましたが、
Coccoは恐らく、智恵子のような繊細さを抱えてはいると思うけれど
それを支えるだけの図太さがあると思う、もしくは生きるために身に付けた。
そこが違うということを、今回のこの一文で気付いたような気がする。

あと、Coccoは東京という場所を大切にしていると思った。
よく、純粋なものを壊してしまう無情な街として東京は槍玉にあげられるけれど

>沖縄人の私が言うのはおかしな話だけれど
>懐かしいにおいがする。

>ここはもう 懐かしい
>においでいっぱいだ。
(『南の島の星の砂』東京原画展でのCoccoによるウォールペイントより)

とCoccoが書いたということは、沖縄での想い出がかけがえのないものと変わりないように
長くて短くて辛くてでも楽しかっただろう、あの歌手生活と
沢山の仲間や協力者や友達がいる、想い出が散らばる東京を愛してるということだと思う。

活動を中止して沖縄に帰る、という話を聞いて
"Coccoは汚れた業界や東京の環境が嫌になって、傷ついてしまったからだ"という
さも自分は情報通だと言うような、知ったかぶった馬鹿らしい、
お前インタビュー読んでないだろう!という意見を、腐るほどネット上で見かけたのですが
やっぱり大手を振って言える、Coccoは東京だって美しいと思っているに違いない。
空も風も自然も、都会にあるからどうのではなくて
見る人の感性や気持ちで美しいかどうかが決まる、そう痛感した。

ずれた話で埋まってしまいました。
私も紫陽花は切花で楽しむのは邪道だと思います。
花屋で売られているのを見ると、とてつもない違和感を覚える。



色彩

十一色で描いた、ということは黒で上塗りしたのではなく茶色なんですね。
確かに、十二色で描いた前作とは違う
はっきりとした明るさが前面に出ていると思います。

私はCoccoを好きになって"向こう側"を知るということを学びました。
ニュースなどで何か問題を投げかけられたりすると、
世間の当事者や起こった出来事だけを攻撃する勢いにつられて
ついつい一緒になって一方的に責めてしまうことがほとんどで、
けれどもっと掘り起こしてみれば、そんな単純なことではなくて
自分の無責任で無知な意見に穴があったら入りたい、と恥じることが本当に多かった。
世の中は複雑なことであふれていると意識できるように、
注意深く、それは真実なのかと「確証」を求めるようになれたのはCoccoのおかげだと思います。

けれど、

>馬鹿げた真っすぐな想いだけ叫びたかった

駄目だ、と敗北を感じた。
疑い深い心も用心深い心も、これには勝てない。
考え抜かれた言葉や、知識の上での感情はどこか歪んでいる。
傷ついている者を見たら、誰がこんなことをしたんだと社会はどうなっているのだと説教するのではなく
ただ痛い、苦しい、という相手の悲しみを想える心がいつだって傷ついた者を本当の意味で救えるのだ。

Coccoは

>そんな強さを夢見ていました。

と言っているけれど、ほとんど手に入れていたと思う。
ありのままの美しさを、穢れを、受け止めていないものには絶対に書けない
周囲にも、自分にもやさしい目を向けている、あんなにも繊細で強烈な歌詞を書いていたのだから。





『寓話。』と『Rainbow』を思い出します。

『寓話。』ではどんなに強く抱いても消えてしまう、と
確かにふて腐れています。
しかしラストシングルとして発表された『焼け野が原』に初のカバー曲として
きっと濃い思い入れが詰めこまれているだろう『Rainbow』では、虹の行く先を探して舟を出した。

なにか空を見上げる合図のような、希望を感じるのでしょう。
希望を見つけようと、裸足なのも気にせず駆け出すときの、
その一瞬で湧き出す不思議な力こそ
だれかを大切に想い出せる、愛しているという感情なのかもしれない。

光の屈折、と締め括られても
底なしの愛情を一気に高める魅力を持っている虹には、降参せずにはいられないの、なんとなく伝わってくるなあ。



愛と恋と

百個くらい連続で書いてしまいそうだ、わかる!!
英語にしてしまえばどちらも「Love song」なのだけれど、「恋」と「愛」とでは微妙にニュアンスが違うんだな。
ほんとに、日本人で良かったと思う瞬間。
英語でも掛け言葉や遊び言葉はあるんだけど、ローマ字だけではとても足りない。
ひらがなも、カタカナも、漢字も、もちろん英語だって(ときには方言だってもっと他の国の言葉だって)
なんでも取り入れて、文章や詩や歌詞やタイトルや名前を書いたり決めたりしてしまう、この素直さ。

日本人はなんでも受け入れすぎて、自らの文化を壊していると言われがちになってるけどさ、
芸術として、表現として、なんだって面白いって貧欲に吸収する柔軟性は胸張って自慢できる立派なものだと思う。
じゃなきゃこんな何でもありな国になってないよ。
宗教や権力者が支配している他の国に比べれば、とてもアーティストにありがたい自由な国だ。

これからも無茶で屁理屈で、決める本人たちがそれを理解していない
表現の規制がされなければいいなと、願ってやまないよ。

それにしても恋の高鳴りを書いたこの文章、可愛いぞ。



六月二十三日 沖縄・慰霊の日

広島や長崎でも、他の地域よりも時間をかけて
原爆や戦争の悲惨さを勉強させるという話を聞いたことがあります。
沖縄も、やはりそうなんですね。

写真で、というのはとても強烈な学ばせ方だと思う。
私はビデオやなんかで戦争を目撃したときは、不謹慎な言い方だけど気持ちが悪くて
物心がついてからはずっと机と目をあわせながら、音声だけを聞いて
ますます恐ろしい想像を膨らませていたわけですが
写真の場合は、何故か凝視してしまいます。
荒い白黒写真に写る傷や目や焼け焦げた町や、今まで生きていた人間が
不思議になにか私を惹きつけているような気がするんです。
あれは念といったものなのでしょうか。

それにしてもCoccoは、長崎へは学生のときにすでに行っていたんですね。
ラプンツェルツアーのときに広島へ行って「箱舟」という歌まで作り、
広島の地のことを沖縄と同じように重要視しているなと感じたとき
じゃ長崎は?といった疑問が当然わいていました、なるほどそういう事だったのか。

この、

>日本中の爪痕にどうか
>どうかきっと
>いっぱいの花が咲いているように


のところが好きです。
よく使われる表現だとは思うのですが、やっぱり良い言葉だなと。
あんなに酷い状況から立ち上がって、今の、
家も学校も仕事場も自然の匂いもごはんの匂いも笑い声も、日本が再び持てたのは考えてみれば奇跡のようだ。
細かい問題をいえばキリがないけど、
戦争が終わっても、なかなかここまで贅沢で、独自の技術もある幸せな国を作れたところは多くないと思う。
なによりも、花を買うという習慣もあるし(花を買うということは金銭的余裕ではなく精神的余裕だ、と聞いたことがあります)



パールハーバー

いやなんというか、おじいちゃん・・・!
すごくかっこいいおじいちゃんに思えました。
かっこいい、だけの話ではないのだろうけれど。

歴史的に見れば、真珠湾攻撃はアメリカ側に筒抜けで
それをアメリカ側が戦争をはじめる材料にしようと目論んでいたと言われていますが
そんなことは関係なく、このおじいちゃんは周りで血を流す人々を見、
自分も怪我を負うという恐ろしい出来事を経験してしまったわけで
日本人を嫌いになられても仕方がないですよね。
でも、目の前のお腹いっぱいにごはんを食べて満足そうな幸せな子供を
どういった馴初めなのかは分からないけど愛してしまった日本人の奥さんを
おじいちゃんは憎めなかったんだと思う。
自らの痛みや苦悩よりも、悲しい過去を背負っているのは自分だけじゃないということを
このおじいちゃんは内心、きちんと受け入れて乗り越えようとしていたんだろうな。

許すことより、だれかに許される方がはるかに難しい。
だから平和を唱えるなら
他人を非難するときの険しい顔より、相手に歩みよる笑顔がいちばん強力なんだろう。
本能ってのは素敵だ。



Heaven's hell

「Heaven's hell」−ゴミゼロイベント、が出来るまでのCoccoの心情が素直に伝わってくる散文だなと思いました。
「道無き道」が"アンネの日記に感化されたCoccoが、アンネフランクに会いに行こうと旅をしたときに作られた"
という話は、ラブレンジャーとして合唱に参加していた方の書き込みで知ってはいたのですが
こんなにいろんな感情が入り乱れた末に、生まれた歌とは。
また違ったふうに響きそうです。いつかCD化されないかな、ちゃんと聴いてみたい。

で、本人は真面目なのか狙ったのか

>現地の露出狂が一物を披露して御機嫌に走り去って行きました。

で大笑いですよ。
おばあちゃんの涙とか、Coccoの苦悩なんてすっとびますよ。
Coccoって、最後の武道館ライブのMCでも思ったけど
真剣な話の中に思わず人が吹き出してしまうような一文がありますよね。いや、笑うところじゃないんだけどさ。

でも、この「こんな神聖な場所にも関わらず、同じ想いが集まる場所であるはずなのに」というもどかしいような、
呆気にとられる悔しい気持ちは痛いほどわかる。
私も小学生のとき、学校の授業で戦争の資料映像をクラスで見ていたら、一人のふくよかな男子が
「いいなあ〜俺もこんな武器ぶっ放してえー!」と言い放ち、訳もわからない怒りがわいてきた覚えがあります。
お前はそんなことしか言えないのかと、なんだか恥ずかしくなりました。
こんな子供の未来のために、死にたくないのに死ななければならなかった人がどれだけいたんだろう。
戦争なんて過去のもの、という意識も見え隠れして嫌な感じです。

後半は、想いが噴出したようなブチ切れ具合がCoccoらしい。

>怒りを諦めたらおしまいだ。
>その先に生まれる想いまで辿り着け。


今までも、Coccoはこの考えでずっと生きてきたような気がします。
本人がそうしようと思っていなくても、自然にその想いに向かっていたと思える。
デビューしたときは復讐心でいっぱいだったCoccoが
最終的には信頼できる仲間や、歌という力を手にできたわけだから
たぶん今回の挑戦も、何年も何十年もかかる大変な「沖縄への愛の証明」だと思うけれど
Coccoなら達成してしまうんじゃないかなと思えてしまう。
ゴールがあるものでもないし、個人で解決できる問題でもないけど、
あの底知れないパワーを爆発させながら、どんな批判も否定も吹き飛ばして
いつか「想い出の中の沖縄」を取り戻してしまう気がする。



八月十五日(終戦記念日)

「Heaven's hell」の映像の中でもこの日のことを"世界が途方もない平和を祈る日"と発言していたけれど
こうやって"終戦記念日"と堂々と書いていてくれてようやく安心できました。
何故かというと、以前に私、
『地元の人間は八月十五日を終戦の日だとは認めてない』とものすごく怒られたことがあるんですね。

それは、ゴミゼロイベントの話題でファンサイトの掲示板がにぎわってるときに
最初の投稿のタイトルが『Coccoが終戦記念日にイベントを』とかそんな感じのもので
それに対して一人の方が『その言い方はおかしい、タイトルを変えてほしい』と言ってきたのがはじまりで、
私は『でもこの日にやるということは、やはり終戦記念日を意識して決定したんじゃないでしょうか?』と何気なく書き込んだら
恐らく違う方だと思うのですが、沖縄の地元の者だという方からべらぼうな長文の返信を頂いたんです、私宛に。

とても固い文章で理解するのに苦労しましたが、要約すると
『あなたの書き込みに怒りを覚えました。憶測でものを言うのはやめてほしい。
沖縄の人間はあの戦争で地獄の悲しみを味わった。
八月十五日が終戦だなんていうのは、政府が勝手に決めたこと。
沖縄戦に対してCoccoも酷く胸を痛めているということは、地元の者しかわからない形で歌詞に現れている。
あまりにも許せない書き込みなので、もう私はこのHPには来ません。』というもの。

ツッコミどころは沢山あったのですが
(本当に全ての沖縄住民がそう思っているの?歌詞に現れてるってどの歌詞が?あなたこそ憶測でものを言っているんじゃないの?
とくに歌詞なんて本人に聞かないと、どんな意味が込められているかなんてわからないじゃないか)
ここで反論して、掲示板が荒れて、他の訪問者の方や管理人さんに迷惑が掛かることの方が嫌だったので
納得できないまま、謝罪の文章を投稿してしばらく書き込みを自粛して終わらせました。

けれど、映像で今回は文章で
Coccoは事実として八月十五日を終戦記念日として、沖縄の慰霊の日と同じように大切な日と想っていてくれるということに
あのとき訳もわからず掲示板上で批判された私の恐怖は、一体なんだったのだろうと。
今更どうしようもない話ですが、あのときの方は今なにを思っているのか気になります。まあすっかり忘れていそうですが。

今年はゴミゼロにあわせて絵本発売ということで、
実戦での愛と、表現としての愛を、ダブルで見れることになりそうで楽しみです。
独りから世界中の人へ、小さな祈りや願いが
本当に大きな成功への道を作り出せたらすごいことです。
絵本の購入者に限りCD購入ができるというのも、自分の考えを受け入れてくれる人に
その気持ちを明確に意識してほしいという目的もあってのことなのかなと思います。

なにはともあれ、うるさく言葉を並べまくりましたが、一言で尽きてしまいますね。

愛だ。





etc...

お気に入りの写真はやっぱりピースポーズの影こっこ。
あれ可愛いです、お茶目を忘れない精神が好き。
他の写真も、光をたっぷり含んだ眩しさにどきどきしてしまいます。

「ガーネット」の歌詞は先行発表なんですね。
歌詞だけだと散文とは違うので、なかなかストンと入ってこない気がします。
歌は言葉とメロディが一つになって胸にくるものなので、はやく完全なかたちでこの歌を聴いてみたい。



ガーネット

ガーネットは宝石で、日本名では「ざくろ石」と呼ばれています。
宝石言葉は愛、勝利、友情、真実、誠実など。
色や種類は様々ですが、聖者の流す血とも言われているように、深紅がまずイメージとして浮かんできます。
宝石の元祖といわれていることもあって歴史は深い。

まず、ノアの箱舟の灯火としてユダヤの伝説に登場します。
ガーネットの中には炎が隠されていて、そこから輝きを発し、永遠に続く雨が世界を曇らしたとき、行く先を照らし救いへと導いたそうな。

そしてヨーロッパの十字軍の兵士たちがお守りとしてガーネットを胸に、戦いに挑み
アジア文明では弾丸にガーネットを足して使っていたとのこと。
そのことから、ガーネットは「防御と破壊」の要素があるといわれています。

その他にも愛を秘めた石として、恋人、友情、思い出として贈られたり
治癒力や幸福、永遠の愛情を持つ人に与えたり、
妊産婦の安産や、故郷から遠く離れた旅人の運命を守ってくれるということも信じられているそうです。

そして、一月の誕生石、ということはCoccoの誕生石・守護石でもあります。


セレストブルー

セレストブルーは空の色をあらわす名で、日本名では「天色」。
"Celeste"とはフランス語で「天」を意味します。
神様がまるでそこに存在するかのような、神聖なほど澄み渡る至高の空のことをいうのだそう。
ちなみにイチジクにも同名の品種があります。




自画像の「卯の花月夜」。
表紙にもなっていますが全貌をみて驚き。裸ですね。
でも全くいやらしさを感じないのがCoccoらしい、自然にさえ思える。

空木、別名「卯の花」は初夏を訪れを告げる花、ともいわれているので、
初夏の夜のあの独特の匂いと白い花の清楚な可憐さ、唇からしたたる血(私は花の蜜かと最初思いました)
それらが相乗効果となって、ロマンチックだけど不思議な妖しさが漂う自画像です。

それにしても「卯の花」のことをいろいろ調べてみたら、初めて知ることが沢山。
古くから、万葉集などによく使われていて、日本人に親しまれている花であり
「卯の花月夜」とは昔の人々が、満月が卯の花を照らす光景を愛でることから生まれた言葉なのだそうです。
どこからこんな素敵な言葉を知ったんだろう、Coccoは。
勉強はしなかったとか、本は読まない、とかいろいろ言ってたけど
あの頭と心には、学校では学べないような教養や知識や記憶が途方もなく詰っているんでしょうね。


それでは、Coccoの新たな表現と行動に触れられる八月十五日を心待ちに
文藝 2004 秋季号』の感想を閉じさせていただきます。

あー長かった!お粗末様です。


















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