ブーゲンビリア 1997.5.21 VICL-60037 SPEEDSTAR RECORDS \3,045 ● ジャケット+デザイン Cocco自作のブーゲンビリアの絵。 歌詞カードの紙質が画用紙のようなので、直接描いてあるようなリアルさ。 ピンクのところが花のように見えますが、実はそこは苞という部分で、白いのが花なんですよね。可愛い。 ちなみにブーゲンビリアの花言葉は「情熱」。 他にもいろいろありますが(「私はあなたを信じます」なんて素敵)全てまとめれば「情熱」の一言に尽きます。 Coccoのアルバムといえば帯の言葉、アルバムを簡潔にまとめるキャッチフレーズのごとくいつも鎮座しています。 あんまりにも普通の煽り文句ではないので(○○で話題の〜、新しい時代の〜など)、私は最初にみたときに副題なのかと思いましたよ。 歌詞カードは黒+赤(桃)+白と統一されていて、Coccoの世界の色といえばコレ、という三色です。 CDはまわりが真黒な配色なのに対し、真白というのが面白い。 ケースから離したときに、その下に描かれている輪っかのブーゲンビリアも良い。咲き誇って空を目指しているような。 見た目からして、もう詰ってますよー!という雰囲気がガンガンします。 そういえば歌詞カード内の写真はCocco撮影なんですよね。 これブーゲンビリアなんですよね?最初ツツジみたいだなとか思ってました・・・ぼやけているので。 そして最後のメッセージ。 私はいちばん「ブーゲンビリア」の言葉がしっくりしてて好きです。 本当にこればっかり考えながら作ったんだろうなと思えるし、 Cocco自身もこのことを目的に、夢中で初めてのアルバム製作に勤しんだんだろうなって想像してしまいます。 そのせいか、最も統一されているアルバムという印象がありますし。 それにしても参加してるミュージシャンが立派な方ばかりで驚きの連続。 経歴が長く、多種多様な歌手と仕事をしている人が多く関わっていることに この人たちがいたからCoccoサウンドはしっかりと支えられたんだなと感謝するばかりです。 個人的に「ブーゲンビリア」を見て思うのは、なつかしいなということ。 初めて触れたときの興奮に、レンタルだったので仕方なく自筆で歌詞を全部メモした記憶があったり (そのメモしたものを同級生にも見せたのですが、ろくに読んでもらえなくてがっくりしたり) やっと新品を手に入れ、むさぼり聴いたのが原因か、ケースのCD収納場所が緩んでしまいしっかり入らなかったり。 驚くほど何度もこのCDに接してきたんだなとしみじみ感じます。 これが人形とかだったら絶対髪の毛のびてます。 1. 首。 作詞:こっこ 作曲:柴草玲 編曲:根岸孝旨 タイトルインパクト絶大。 パンクとかヘビメタとかビジュアル系とか、そういうイメージ持つようなぶっ飛んだタイトルだと思います。 その割りには「。」が可愛らしかったり。 最初見たときは大概の人が恐がったりイロモノ扱い決定したみたいですが、私はすげー!とワクワクした気が。 曲は底から湧きあがってくるようなバイオリンの音色にまたしても驚かされます。 音を小さく設定していたのかと勘違いして音量上げたら大変なことになります(私がそうでした) でもそのミスと相まってか、いきなり頭を殴られたような衝撃と恐怖と興奮が一緒になったかのような なんだかもう分からないけれど、体の中の重いものを無理やり引きずり出されたような気分になりました。 サビからはじまるというのもCoccoの歌にしては珍しい。 過激なんだけれど、柴草さん作曲のせいかどことなく優雅さを感じさせます。 楽器隊はかっちりキレイに鳴らされているなと思うのですが この歌はCoccoの歌唱がインディーズに近いので、完璧さと生々しさが存在していて不思議な感覚が。 とくに『引き裂いて、引き裂いて、引き裂いて、壊したい。』のなだれ込みなんかはくらくらしてきます。 はじめはこの曲、もっと大人しい感じだったらしいのですが (それがしっくりこなくて悩んでいたところ、根岸さんがこうしたらいいんじゃない?と助言し、 納得いくものができたらしく、次からCoccoが「ネギって人呼んできて」ということになったんですよね) この激しいバージョンとはまた違ったものがあったなんて、ちょっと興味があったりします。 勝手になんちゃってジャズみたいな落ち着いたものだったんじゃないだろうか、とか思ってます。 私的には、この歌がCoccoの詞のなかでいちばんシンプルだと思っています。 そして私の目指す理想でもあったりします。 大好きだったり、美味しかったり面白かったりする歌詞とはまた違うのですが、 分かりやすく簡潔で美しく正直で、体と心が少しのズレもなく重なりあっている愛の歌だと。 巷でのラヴソングで不満に思うのは、体を置き去りにして心ばかりを優先する嘘っぽさというところなのですが この歌はきちんと体と心、両方から溢れる感情をありのままに表現していてかっこいいなと思います。 それにしても改めて英訳詞を読んでみるとすごいですね。 『キスをして〜それだけ。』の部分なんかとくに直接的。 2. カウントダウン 作詞・作曲:こっこ 編曲:根岸孝旨 ピアノの静かなイントロから、つぶやくように囁くように(詞の内容からするとやさしく言い聞かせるように)うたう声。 そこから急転直下のサビ。 感情の動きをメロディでわかりやすく表してるなという感じ。 静から動というパターンは、Coccoの歌ではもうスタンダードな構成ですね。 激しい音にピアノやバイオリンなどのきれいな音を重ねるのも、「凶暴だけれど純粋」という世界をあらわす方法として上手いなあと思います。 私はCoccoの音楽を聴くようになって、バイオリンの音色に惚れこんでしまいました。 いちばんテンション高くというか、体中の血がとてつもなく速く流れるような気分になるのは、やはり最後のサビ前の間奏ですね。 つられて自分も叫びだしたくなるような不思議な気持ちにさせられます。 Coccoのコーラスも、どの歌よりも目立っていて気持ちがいい。高いパートがするすると這い上がってくるような。 歌詞は、いかにも初期のCoccoっぽい。 他のものには見られないような『あの女』と具体的に名指ししていたり(英詞では"bitch"と訳されていて憎み具合がわかって面白い) 詞全体の美しさよりも感情を優先している表現など。 でもちゃんと起承転結していて、歌詞自体の完成度はすでにできていて凄い。 この歌は歌詞やサウンドのせいでもあると思うのだけれど、よく「怖い」と評されていたりすることが多い。 もちろん私も歌詞うまいな、面白いな、と思ったあとに「恐ろしい女だなあ」と思ったものですが 聴いていくうちに、怖いといよりも切なかったり可哀想と思う気持ちのほうが強くなってきました。 ヒステリックに男性を責めている様は、一見するとそこまでしなくても・・・と感じるけれど その裏に隠されている、愛した人の裏切りを悲しむ心のほうが濃い気がするんです。 その弱さを出さないように、怒り狂うことで自分を保ってるんじゃないかなと。 私には気丈に振舞おうと、強がって泣くのをこらえている女の子しか思えないんですよね。 また、もしかしたらこの恋人の不実は"浮気"ではなく"本気"だったのかもしれない。 そのことに、「わたし」は気付いてしまったのかもしれない。 だからピストルまで用意して殺す準備をしていたのかもしれない。 考え出せばキリがない。 最終的に思うことは、きっと「わたし」は恋人を撃ち殺せなかっただろうということ。 ピストルを向けて、引き金をひく寸前のところで歌は終わっている。 ほとんどの人は裏切り行為をおこなった恋人は撃ち殺されているだろうと考えているみたいだけど、 最後の決心は付かなかった、というよりも元から殺すつもりなんてなかった、 ただ本当に愛しているのは君だけだと言い切ってほしかった、愛を確信したかった、それだけだと思う。 Coccoの歌にただよう悲しみは 最後の最後で決心が付かなくて、愛する人が去っていく後姿を見つめることしかできなかった そうして愛する想いだけが取り残された、そんなどうしようもない想いが溢れている気がする。 それは憎しみや痛みよりも強いのだろう。 だから、こんなに底知れない苦しみが、切ないくらいに真直ぐ伝わってくるんだと思う。 3. 走る体 作詞:こっこ 作曲・編曲:根岸孝旨 最初のピー!という音がスタートの合図のよう。 そこからドラムが力強く鳴ると、なんだかはやく逃げないと、という気に無性にさせられる。 この曲でのドラムは、まるで馬車馬を走らせる鞭のように響いているなあといつも思っています。 ギターはLed Zeppelinの「Immigrant Song」を思い出して、あの雄たけびが聴こえてくるようです(嘘です) シンセサイザーがとても目立っていますが、曲自体からデジタル臭はあまり感じませんね。 逆にノイズ音が、壊れながら全力疾走している「私」の姿をあらわしているかのようで、イメージを掻きたてられます。 歌詞は、ほんとにもう突っ走ってるなあと。 逃避行とか駆け落ちとか、そんな言葉が浮かんできます。 恋は盲目と少し似ているけれど、それよりも「私」の思い込みなんかが多く含まれている気がする。 もしかしたらそのせいで、Coccoの歌って悲しい結果なものが沢山なのだろうか。 べつに逃げる必要なんてないのに、誰かが、何かが二人の関係を壊しにやってくるという 危機感を常に抱いてしまう性分なのかもしれない。 だれかに奪われるくらいなら、と心配をして結局自分からとんでもない方向に行ってしまったり。 その思い込みが魅力だったりするのだけれど、本人にしたらちょっと辛いですよね。 そうは感じていなくて、これが私の愛なんだ、と弊害には思っていなさそうとも思いますが。 ラストの部分の 『無理に扉を開けたりすれば悲しい結末が待っているだけと教えられたけど、そのむこうには風が吹いているから、きっと大丈夫』 というところでも、破滅に向かっているように聴き手は感じるのに 「私」だけは、その先に望む自由が待っているかのごとく希望を見つめていて、同じような考えを抱きます。 4. 遺書。 作詞:こっこ 作曲:成田忍 編曲:根岸孝旨 人気曲。 やさしく穏やかで、サビでは変わらずの爆音なんだけれど、遥か遠くを見つめるような無限の広がりがあります。 旋律と言葉がひとつになり、言霊というのはこんなものをいうのだろうと深く感じます。 この歌はなんといっても歌詞に重点を置かれます。 なにせタイトルが「遺書。」だからインパクトも相当。 実際、私も、この歌詞の話を聴き興味がわいて「ブーゲンビリア」を借りたくらいです。 すごい衝撃的でした、こんな表現方法があるのかとカルチャーショック。 もっと探せば、遺書を題材にした歌詞は以前からあったのかもしれないけれど こんなふうに、アンダーグランドではなくあくまで歌謡曲の枠のなかで発表して 音楽通だけにしかわからないような音楽にしなかったところは、Coccoの残した功績のひとつだと思う。もちろんこの歌に限らず。 (Coccoはフェイバリットで森田童子を上げていたから「たとえば僕が死んだら」なんかは影響しているのかな。 でも昔から遺書のようなもの"自分はこの日まで生きていました"という証、を残す癖があったらしいから自然なことなのかも) しかし、実は私、この歌を聴くことは少ないのです。 はじめのうちこそ感動して、Coccoの歌の中でもベストな存在だったのですが 徐々に気恥ずかしいというか、なんだか微妙な気持ちになっていったわけなんですね。 おそらくこの歌の、夢見る少女のような雰囲気に自分が対応できなくなったのだろうなと。 Coccoの歌詞の中でも特別に乙女さというか、女の子!を感じる歌詞だと思うんですよ。 『いつか私が死んでしまったらその時は海に返してね、そしてまた誰かに愛されるときがきたら、 そのときはどうか幸せでいて、でも誕生日だけは私たちのあの丘で私を想って泣いて』 というある種、究極にわがままで可愛らしい想いを、私は無条件で受け入れる時期を通り過ぎてしまったんだなあと。 きっと次にこの想いを理解できるようになるのは、心から愛する人に、愛し愛されるときなんだろうと思います。 Coccoは思春期の女の子が持つ気持ちを、大人になっても曲げずにきちんと持ち続けている人だからこそ書けたんだろうな。 『幸せでいて』の箇所の英訳ではより強く『Please Please』と繰り返していたり、 歌のラストではほとんど泣き声のようなハミングを響かせていたり、 そんないじらしいところが、余計にこんな夢見る少女が書いたような詞に、リアルで切実な願いを感じさせているのだろうなと思います。 5. Rain man 作詞・作曲:こっこ 編曲:根岸孝旨 英詞でギター1本のシンプルな曲。 この静けさが余計に、ぽっかり空いた穴を表現していているなと思う。 悲しいとか寂しいとか、もうそんな感情もなくて、ただ生きていることがしんどくてたまらない、と 起き上がる気力もなくした、脱力感無力感でいっぱいになってる気がする。 この曲、Coccoはだいぶ大人っぽくうたっていますが 個人的にもっとやわらかめ、幼めにうたった方がよかったんじゃないかなと思っています。 内容と合わないのでそれもどうかと思いますが 声がのびるところなんかで、ちょっとCoccoの歌声がしっくりしていない感じがして。 歌詞はかなり自暴自棄ぎみ。 「Rain man」という同名の映画がありますが、ストーリーなどを見るとあまり関係はなさそうです。 「雨を連れてくる人」としてレインマン、と単純に呼んでいるだけで たとえばそれが恋人とか、他の希望になりうること、とは関係ないとも思います。 とにかく楽にしてほしい、いっそ私を消してくれたらいいのに、とそればかり考えている。 その気持ちは他のどんな喜びよりも勝っていて、平和な日常はむしろ胸をかき乱すだけなんだろうな。 この絶望感は、愛する人に去られたりしたことが原因ではなく 呪いのように時々ふっと横切る憂鬱なんじゃないかと私には思えます。 でもふと思うのが、嵐が起こることによって自分の存在を消してほしいということだけではなく もしかしたら雨が降ることによって泣くことを思い出したいだけなのかもしれない。 6. ベビーベッド 作詞・作曲:こっこ 編曲:根岸孝旨 随分ヘビィです。 歌の内容とリンクさせるため、おどろおどろしい雰囲気にしたんでしょうがちょっと重過ぎな印象。 雰囲気は嫌じゃないんですが、どうも何でも挑戦しちゃえとした結果っぽく思えます。 どういうのがCoccoに合うかわからない、未知数のときに試行錯誤して作ったような。 でもアコースティックギターと、間奏で入るバイオリンの音はきれいなので好きです。 荒い空間の中に美しい切れ込みをいれたようで。 曲が単調なので、バイオリンの音にはとくに凝縮されたドラマを感じます。 この曲、編曲を変えたらまったく違う魅力を放つかもしれない。 歌詞の方はちょっと作りすぎかな、と。 歌なんて結局は創作したもの、と捉えれば別にどうということもないのですが そこはリアルさをいつも聴き手に感じさせるCoccoですからね、わざとらしいなと少し思ってしまうんですよ。 まあ『もしも』のお話ですから、どっちかというと私は本当に、「Coccoは子供をこんな風に愛すんだろう」と信じている人が怖いだけなのかも。 それにしても『きしむ肌を教えて』の英訳が『I'll teach him to make love』なのは・・・ 想像した通りなんですが、こうもそのまんまだと逆に面白いかも。昼メロを楽しむような勢いで。 7. SING A SONG〜NO MUSIC,NO LIFE〜 作詞・作曲:こっこ 編曲:根岸孝旨 前曲とのギャップが強力。 大体のアルバムで勝手に決めているのですが、ここからが後半戦という気がしています。 この歌では、歌を素直に「大好き」と言い切れていなかった当時のCoccoが こんなに音楽への愛に満ちた歌をうたっていた、ということに私はいちばん感動をおぼえます。 (結局は、うたうことでしか生きていけない運命なのよ、という覚悟にも思えますが) メロディもここまで突き抜けた楽しげなものは(童謡系のものを除いて)もっと後にならないと聴けませんし、 歌のお姉さんのような語り掛ける歌唱も、きっと笑いながら楽しんでレコーディングしたんじゃないかなと思います。 ラストの囁きは切ないけれど『思い出して、あなたを愛している』という歌詞は いつも『忘れてしまえばいい、そうすることであなたも私も解放してあげよう』と言っていたCoccoにしたら、希望を含んだ言葉だと思う。 内容的には洋楽にありがちな音楽賛歌に思えなくもないですが。 にしてもCoccoはほんとにアメリカナイズした物言いや行動が多いですね、それが自然にみえるからこれまた凄いけど。 歌詞カードに描かれている挿絵も可愛いので、聴きながら、読みながら、どちらでも楽しめます。 また、コーラスメンバーの面白さも密かに注目ですね。 8. がじゅまるの樹 作詞・作曲:こっこ 編曲:根岸孝旨 マリンバとタンバリンとリコーダーのみで演奏される童謡のような曲。 楽器の出す音が軽いので、気の抜けたぽやんとした雰囲気を醸しだしていますが 中身の私小説さがぐっと歌全体を不思議な渇きでつつんでいます。 このような歌でのCoccoの声は、「歌」を伝える者としての才能がとても分かりやすく表れていると思う。 Coccoは技術や声量で聴き手を圧倒させるのではなく、 声色を使い分けたり、歌詞にさらに現実味をつけさせる歌い方で、沢山の人を惹きつけたんだろうな。 ストーリー性のある歌詞は、思わず読みはじめると夢中になってしまいます。 他のものと比べると、だいぶ素直な気持ちを書き連ねているなという感じ。 『このままどんどん駄目になっていく私を、誰かに止めてほしい』という、若者の心情なんかとも共通するものがありますね。 家族とのあたたかい日々というのはやはりCoccoの原点なのでしょう。 そこに愛があればあったほど、独りきりになってしまったと気付いたときの愕然とした絶望はきつい。 でも『朝が来た時 私は生きてるのかしら?』という自問自答には、訪れるだろう朝になにかしらの期待をしているようにも思える。 それと英詞を読んでみると面白い発見が。 私は最初『チクチクおひげ』は"あごひげ"のことだろうなと思っていたのですが(一度はやられますよね、ジョリジョリ痛い) 実はこれ"くちひげ"のなんですよ。 Coccoのお父さん、くちひげがあるだなんてなかなか素敵なパパじゃないかなんて変に感心した記憶があります。 この歌以外のクレジットでもそうですが、『ポッキー苺・つぶつぶ反対』と『乳無し隊1号』が妙に笑えます。 乳無し隊1号はきっとCoccoのことなんでしょうね。 9. 眠れる森の王子様〜春・夏・秋・冬〜 作詞:こっこ 作曲:根岸孝旨 編曲:石田小吉 この曲だけ、インディーズの方でプロデュースをしていた石田さんが編曲をなさっています。 デジタルっぽいインディーズ版に比べ、『ブーゲンビリア』の楽曲に合わせたのか生楽器がだいぶ目立っています。 ノイズが煩いくらいだったので、きちんと整頓されているこちらの『眠れる〜』の方が個人的に好きです。 イントロのピアノがこれからくる嵐の予兆みたいで、不気味で良いです。 Coccoがうたうメロディラインは綺麗なのにバックの音が暴力的で変になりそう。 少しの隙間も感じさせないほど敷き詰められているので、歌詞と重なって呼吸困難のような状況に陥りそうです。 なんとなく他の楽曲より大人の女性というイメージがあります。 愛と狂気のはざまを行ったり来たりしているのはいつものことですが、 「あなた」を"思い出している"内容な気がして、今その人と一緒に過ごしているようには思えないんですね。 全力で激しく愛した日々の記憶が急に甦り、その妄想と現実とを渡り歩いているような。 今そばにいる「あなた」と森で共に眠りにつきまいましょう、永遠になるために、という感じもしますが 記憶の中のその人をもう甦らせないために、眠らせてしまいましょう、という気もしてきます(どことなく『眠り。』の詩を思い出しますね、これだと) この歌の聴きどころはやはり、Coccoのボーカルだと思います。 絞りだすような歌い方がとにかくかっこいい。 とくに『あなたと私は〜錘を磨ぎましょう。』のファルセットから地声にうつるところなんかは、もう本当にぞくぞくする。 狂ってるポーズとか、演技、でもない微妙な表現を実現している歌声だと思う。 食べられてしまいそうな恐怖が、逆に気持ちよさに向かっているような、混乱した中にある快感といったような。 ラストの息づかいはセクシャルに思う人もいるみたいですが 私は森のなかを必死に進んでいるCoccoの姿が見えてくるようで、そういったふうな想像は持ちませんでした。 というか、私はCoccoがセクシャルな内容の歌をうたっていても、女性的ないやらしさといったものを全然感じないんですね。 厚い化粧や豪華な服などで見繕ったり、「女」を意識させる部分をあからさまに見せつけたりしてないからなんだろうな。 本人のイメージは限りなく「女性」ではあるのだけれど。 10. やわらかな傷跡 作詞・作曲:こっこ 編曲:根岸孝旨 ファンの中でも人気の、まさに名曲。 こんな歌をどうしてベストアルバムにいれなかったのか!と強く思います。 『カウントダウン』のプロモーション用のCDにもC/Wとして入っていたようですし ("かきむしられ、癒される"の見事なキャッチコピーと共に、恐らくCoccoが描いたであろう花を片手に歩く女の子の後姿の絵がある) この歌がもっと当初から世間に知られていたら、Coccoの「怖い」という負のイメージもなかったんじゃないかなと思います。 まずアコースティックギターの美しさ。 陽射しのまぶしさ、うららかな季節、爽やかな風、そういったものの存在を感じます。 そこから徐々に演奏が広がっていく様は、坂道をかけ上がった先に現れた鮮やかな風景の美しさ。 そして恋に落ちたふたりは、あらゆるものが生まれる匂いに芽を出した新緑の美しさ。 とにかく、美しいものであふれている歌だと思う。 エレキギターの音も、鋭さではなく柔らかさを、シンセサイザーも切なさではなくあたたかさを、 それぞれどの楽器も、限りなくやさしい。泣きたくなるほど。 それは痛みからではなくて、母親が子供を、恋人が愛する人を、ぎゅっと抱きしめるような純粋さからだと思う。 どうしようもないほど真直ぐなものは、感情を起こすまえに人を泣かせる。 まさに、心にふれる声を持つCoccoじゃないと伝えられない歌だと思います。 歌詞もとにかく素晴らしい。 これほど、日本語を誇らしく感じる詞もめったにないと思います。 非の打ちどころもない、他の言葉がはいる隙間もない、邪魔な言葉なんてなにひとつもない完璧さ。 ひとつひとつが本当に絶品で愛らしい。 もちろん使われている言葉が良いというわけではなく、その色とりどりの言葉を違和感なくひとつにしているところが凄い。 この詞は、悲しいもの限定で、Coccoの歌は沢山の人の心を打っているのではないという最高の証明だと思います。 もしかしたら、悲しい詞だと感じる人もいるかも知れないけれど 「わたし」は傷跡が腫れあがっても、飛び立つ時を待っていたのだから 最後に「その時」を迎え飛び立ったであろう「わたし」の未来は不幸では絶対ないはず。 きっと大切な想い出を胸に抱えているのなら、過ぎ去ったその日々は胸のなかの傷跡になるだろうし、誰しもが痛みを経験すると思う。 決して物語を説明しているような詞ではないのに、ラストは映画かドキュメンタリーを観たあとのような気分になります。 統一感、風景描写、比喩表現、どれをとっても本当に素晴らしい。 誉めまくりの自分がちょっと恐くて恥ずかしいくらいだけど、いてもたってもいられなくなるほどお薦めしたい。 この歌は聴かないと音楽人生損しますよ。 11. ひこうきぐも 作詞・作曲:こっこ 編曲:根岸孝旨 静かでふわふわした温度の曲。 初期の歌だなといった感じ。 Coccoはこの歌をライヴでうたうとき、泣いてしまいますね。 もしかしたら、この歌のなかでうたわれているのは、「初めて見たとき、遺体が綺麗すぎて泣いた」と語っていた、 Coccoにとって初めて触れた"大切な人との別離"なのではと思えます。「あなた」は、幼い頃のお友達でしょうか。 そういえばユーミンの「ひこうき雲」も同じような雰囲気をもつ歌ということで、上げる方が結構いますね。 こういった歌を聴くと、Coccoの声の良さがわかります。 大人じゃないとうたえない歌詞なんだけど(子供は感傷的にはならない、それを感じた時点で大人だと思う) 子供らしさ、少年少女らしさを失った声がこの歌をうたっても説得力がないと思うんです。 もちろんそれを失くした声は、リズム感や声量やテクニックを存分に手に入れる立場になるのだけれど、最近はそれが過剰すぎて 口ずさむような素直な、基本の歌をうたいこなせないという歌手が多いような気がする。 技術は磨けても、感性は心の問題だからとても難しい。 そこを無視しないで、いちばん歌をうたうことで重要な「心」を自然に育ててきたCoccoは、 テクニックを自慢したり披露するためにうたうのではなく、歌に込められた感情を残らずみせつけて圧倒させるという 本来の意味で歌をうたいこなせる技をきちんと習得している貴重な存在だと思う。 歌詞はめずらしめ。 Coccoの詞は、いつも「あなた」に向かって書かれていますが "私は今こんな気持ちでいっぱいです"という、自分の胸の内を洪水のごとく吐き出しているのが多分ほとんどで、 「あなた」のことについて、こんな人だったあんな人だった、と具体的に書いているのはごく僅かだと思います。 そのためかこの歌詞は、『日記』のように仕上がっておりCoccoらしい特徴が薄いように感じます。 あともう一つめずらしいのは英語が混じっていることですかね。 英訳詞のタイトルは『Winter Cloud』。 "冬の雲"としたのは、あの季節の、寂しく心細い様子を表現しているのでしょうか。 詩『冬のにおい』の『誰かの死んだ朝は いつも冬のにおいがした。』という一文を、思わず連想してしまいますね。 ひこうき雲は発達して広がると、天気が不安定になるとのことですので 「あなた」が高く飛んで遠くに行ってしまえば、私に雨が訪れるという意味が密かにあるんじゃないかなと思っているので気になります。 12. 星の生まれる日。 作詞・作曲:こっこ 編曲:根岸孝旨 シンセサイザーと少しのピアノだけで構成されている曲。 なので、ちょっとCoccoの他の歌に比べれば手触りが違うかも。 これも歌の内容にあわせて、こういうぼんやりとしたアレンジにしたと思うのですが 生楽器の音と一緒にした方がメリハリがついてもっと輪郭のはっきりした曲になったかも、と思ってしまいます。 Coccoは声を伸ばすメロディをうたうには、不安定なボーカルが目立ってしまうので その分バックで引き締めるような編曲にすればあんまり気にならなかったかもしれないのになと。 その間延びしてる雰囲気が、全体的に退屈なものになってしまったのは勿体無いと思う。 歌詞については、やっぱり比喩表現が独特で羨ましくなってしまう。 肋骨を梯子に見立てていたり、幸せと罪でロープを編む、なんかはよく考えつくなあと感心してしまいます。 テーマは『許す』ことだと思うのですが、私には誰かを許す、ではなくて私を許すために、という気がしてなりません。 死んでしまった「あなた」を星にしてあげるために自分を踏み台にして、縛った手を離してあげて、と自己犠牲を描いているようで 本当はすべて「わたし」に向けてうたっているように思えるんです。 初めは、「ひこうきぐも」で亡くなったあなたのことを続けてうたっているのかなとも考えたのですが、 誰かに向けられるための詞というよりも、Cocco自身が望む自由への方法が書かれているかのように思える。 (自由になるための方法という解釈は、英訳詞のタイトルからも『How A Star Is Born』=『星はどのように生まれるのか』からも感じます) でももしかしたら、その願いを敢えてあなたに譲る、という歌詞なのかも。 だとしたら究極の自己犠牲だ。 そういえば、私はこの歌のイメージは「夜明け」なのですが 『西の空へ放してあげましょう』ということは、どちらかといえば夕方の方が正しいんですよね。 Coccoは「あなた」を夜の闇が訪れれば最初に輝く一番星にしようと、わざわざ西を選んでいるのかなと考えると納得。 BACK |