室町将軍&鎌倉公方の相関図(仮)。何人か抜けてるので改めて描き直す予定。
春安でやりはじめた創作室町がこんな展開(南北朝進出)するとは思わなかった。






初代ズ。タカうじとタダヨシ兄弟。ヤンデレ兄と忠犬な弟



タダ・ふゆ。直義(養父)+直冬(隠し子)→尊氏(実父)のどろどろした人間関係もうそう中。
隠し子は養父を実父の代わりにしてるし、養父(弟)は隠し子を実父(兄)の代わりにしてる。


大切な人から手渡された刀剣で 大切な人の両手を切り落とした。

UHタカうじは鉄面皮。仏頂面。冷徹無慈悲で残酷な優しくて弱い人。
後醍醐帝を都から追放した時も、弟の直義タダヨシが後醍醐の息子の大塔宮オオトウノミヤを処刑した時も、
実子・直冬タダフユの救援を断り討伐の命を下した時も、弟の直義を自らが手渡した杯で毒殺した時も、
何も語らず誰にも祈らず、事実を嚥下するままに受け入れ眉一つ動かさない。できない。可哀相な人。






2代目ズ。あきらくんとモトじぃ。ネガディブ兄とポジティブ弟


泣かないで 怖がらないで ぼくのこと見て
きみひとりがぜんぶ背負わなくていいんだよ
ぼくも二本の腕があるから「それ」をわけてよ
もうひとりで苦しまないで ぼくとはんぶんこ



あなたのためならなんでもするのにどうしてぼくをしんじてくれないの?






3代目ズ。よしミッチーとうじみぃ。日本国王と鬼公方



最初に描いたミッチー。文は『智覚普明国師語録』より 幼い義満への賛辞。



私は貴方を愛おしいとおもう 貴方が私を厭わしいとおもうほどに



康暦の政変(こうりゃくのせいへん):康暦元年(1379年)、室町三代将軍・足利義満の補佐役である
幕府管領・細川頼之の失脚騒動。反頼之派が近江で挙兵すると、これに呼応して鎌倉公方・氏満も
義満を討伐せんとし上洛をもくろんだ。しかし関東管領・上杉憲春は激しく反対。ついには諌書を遺し
自刃する。憲春の諌死もあり氏満は京への軍事介入を止め以後は鎌倉府の勢力拡大に専心した。


夢の中でエンカウントする幸王丸(義満)と金王丸(氏満)の話かきたい。

さいしょはあなたが鬼になる どうか私をみつけてください ずっとまっています ずっと



ちっちゃい氏満と義満






永享組。6代目将軍ノリリンVS4代目鎌倉公方もっちー


ああようやっと私たちはじめて向かい合ってお話しできますね 私の可愛いご主人様

上杉禅秀の乱:1416年、先代からの忠臣であり関東管領の上杉氏憲(禅秀)が主君である鎌倉公方・足利持氏に対して起こした反乱。
氏憲と持氏は常から不仲であったが、持氏が氏憲の家臣を不当に罰したり管領を解任した氏憲(犬懸家)の後任を山内家に与えるなど
衝突が重なり勃発。一時は鎌倉を制し持氏を追いつめるが、幕府はこの時持氏に味方した。その後、氏憲は鎌倉雪ノ下にて自害する。
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ゼンシューの乱はもっちーのトラウマ過去。ゼンとは仲悪かったけど謀反されるとは思ってなかった。
ゼンは最初からこうなるとわかってて、別の真意があったりなかったり。もっちーには最後まで黙秘。
(敵対しまくってた将軍が鎌倉公方の味方したってのが結構奇跡だからそこらへんうにゃらうにゃら)



うえすぎゼンシュー。もっちーに仕える黒執事(関東管領
先代の満兼にはデレデレだったけど持氏にはヤンデル。
わかっていたのだ あの人の考えは。私はあの方の腹心だもの。呪いを解かずに飼い慣らす道を選んだ。そうして力を蓄えたていた。
貴方が産まれて、腕に抱いて、一目見て、私は確信した。ああ この餓鬼はあの人の全てを奪っていったのだ。あの人はもう抜け殻で
私は依り代を失ったのだと。こればかりはあの方に諭されても、どうしても許せなかった――どうしてこんなものを遺して逝ったのか。




うえすぎノリザネー。もっちーに仕える白執事。(ゼンシューの後任の関東管領)
永享の乱ではもっちーの敵になるけど、その後助命を願い出たり(→ノリリン「却下」)
主君殺しの罪を生涯忘れず子孫にまで科せる等々、自虐レベルに誠実だった人。






室町少年倶楽部@山田風太郎より応仁組。細川勝元と8代将軍・足利義政。