アンビシャス!

※俺設定:
最終回から1年後くらい。羽蛾15歳(中3)竜崎16歳(高1)の初秋。
元・西日本代表の竜崎は現在父の転勤の都合で引っ越し、羽蛾んちから数駅離れたとこに住んでる。
この話の竜蛾はまだデキてません。甘酸っぱい(目標)なれそめです。





土曜の公園。
「わ…ワイの負けや…ぁぁ…」
あまりのショックに、パラパラと持っていたカードが数枚、地面に落ちる。
勝てると確信したラストフェイズに伏せカードで一発逆転をされると、その落差はまさに天国と地獄。
たかが遊びのカードゲームでも真剣勝負には変わりはない。敗北というものはやはり、何度味わっても慣れることがない苦汁だ。
竜崎はがっくりと肩を落とし、のろのろと落としたカードを拾った。

「ヒョヒョヒョ♪お前さーいい加減にパワーデッキ一本勝負やめろよな。芸がないよ」
うってかわって、勝者の羽蛾は満面の笑みで竜崎を見下している。身長は竜崎の方が高いが、精神的に見下されている。竜崎はキッと羽蛾をにらんだ。
「うっさいわ!ワイのデッキはワイのもんや、お前にとやかく言われる筋合いない」
「あ、そう?まー弱いままでいたいなら別にいいけど〜?とゆーわけで、今日の昼飯もお前のおごりな」
「ぐぬぬ…!!」
「金欠って言ってたな。しょーがないから駅前のラーメンで我慢してあげてもいいよ」
「いばんな!いっぺんデュエルに勝ったからってえっらそうに!」
「あれ?お前が俺に勝ったことあったっけ?そんなの何万回に一度くらいの確率だからなぁ〜最後のデュエルはいつだったか…覚えてないなぁ〜」
「〜〜〜!!」
嫌味な言葉で責めてくる羽蛾に、竜崎は握った拳をぶるぶるとふるわせた。
コイツいっぺん痛い目ぇあわしたろか! 何度そう思ったか知らない。数え切れないほどだというのはわかるが。けれど一度だって手は出していない。本気のケンカになれば、すべてはデュエルの勝敗で決める。そんな癖がついてしまった。
そしてほぼ竜崎が負け越すのだから、彼のストレスは解消されないまま。悪循環だ。
だけどそれでいて成り立っている2人の間柄は、全国大会時代から数えると結構長い。
なんだかんだ言って、友情的なものだってしっかりある。


ラーメン屋で、注文待ち中。
「あっ、返せよ」
手持ちぶさただったので、テーブルに載る相手のカードデッキを取り上げて、一枚一枚めくってみる。
悪意はない。なんとなくだ。デッキ把握なんてとっくにしている。お互い、一年前からほとんどカードを変えていない。
現在、羽蛾の方が受験期で、全力投球の勝負は一時休戦といったところ。
「ちゅーか、いっつも思うけど…」カードの絵柄を見ながら、竜崎の顔がまずそうに歪んだ。
「なんでお前のカードってこんな気持ち悪いん?ソリッドビジョンにしてほしないわー」
「なんだと!?」カチン
「これなんかまんまムカデやんか。きしょくわる〜」
「俺のインセクトデッキを馬鹿にするな!」
羽蛾が身を乗り出してカードを奪いにかかるが、竜崎はひょいっと避ける。何度か繰り返して遊んでいたが、ラーメンがきたので大人しく返した。食事中に見るものじゃない。

ラーメンをずるずる食べながら、だらだらと会話。
「今日は何時まで遊べんの?」
「あんまり時間ない。2時には帰らなきゃ。3時から塾がある」
「あーそうか、今日土曜やもんな。忘れてた。あ、見たい映画がテレビでやるんや。録画しとこー」
「のんきなもんだな…高校で、宿題とかないのか」
「ないない。ワイんとこはアホ高やから。出たとしても誰もやらんわ」
羽蛾があきれ顔でため息をつく。
彼の志望校は有名な進学校。興味のない竜崎でも知っているそこは、入るのも難しければ、入った後も大変だといわれている。
「ちゅうか、なんでわざわざそないなとこ(進学校)行くん?どっか目指しとる大学でもあるんかいな」
「…別に…親がそこに行けっていうから」
なんやそれ、わけわからん。竜崎が鼻で笑おうとして、顔を上げて、少し驚く。
「……」
羽蛾の表情は暗く曇っていた。目を伏せがちに、なにもないテーブルの端に視線を向けたまま。箸も止まっている。さっきデュエルに勝った時の生意気な面影はない。
竜崎にとっては一年前の中3の夏。そういえば友達が数人こんな感じになっていた。
自分はといえば、M&Wカードゲームにどっぷりハマっていたわけだから、まったく勉強もせず、結果今のアホ高に入ることになったが、本人は別段気にしていない。むしろ学力的にも雰囲気的にも自分にぴったりの学校なので、入って良かったとすら思っている。(まぁ、高3の就活が少し不安だが、それはまだ2年も先のことだ。)

「ほれ、ラーメンのびるで。ナルトやるからはよ食べ」
「……(食いかけかよ…)」
だいぶ受験に疲れている様子の羽蛾に、竜崎は自分なりの優しさを見せてみる。効果はいまひとつだが、箸は動き出してくれた。
ちゅるちゅると、そうめんを食べるようにラーメンを丁寧に食べる羽蛾を、竜崎は頬杖をついて見つめる。
「勉強も大切やけど、ちゃんと息抜きせぇよ? そや、明日は空いとるか?久しぶりにゲーセン行こか」
「あー…悪い。無理」
「日曜も塾やったか?」
「うん、全統模試がある。これから日曜はそんなかんじで潰れるかも」
「は〜…よおやるわ」
真面目な羽蛾のスケジュールに、竜崎は妙に感心してしまう。休日の代表である日曜が休みじゃないなんて、自分には耐えられない。
だけど、これが今どきの受験生の姿なのだ。高1の竜崎と中3の羽蛾には、生活で大きな落差ができている。
こうやって定期的に自分と会うのも、羽蛾にとってはデメリットになっているのかもしれない。そう思うと、なんだか申し訳なくなる。
麺を食べ終わった竜崎は、器を持ってラーメンの汁を飲んだ。
「ま、しゃあないわな。しばらく遊ぶのは控えとくか」
「……ん」
竜崎の提案に、羽蛾は肯定なのか否定なのか微妙な返事をした。




窓越しに、雨がぽつぽつ降ってきたのを見た。
(天気予報で降るって言ってたしな)
通り雨と言っていたので、傘は持ってきていない。塾が終わる頃にはやむだろう。
授業が始まる10分前。周りには、テキストや単語帳を真剣に見直している者、隣の席にわからないところと教えてもらっている者、後ろの方では普通にしゃべったり笑ったりしている者もいるが、それは教師が来た途端すぐに黙った。

教卓に立った教師のおなじみの説教。
「今が一番大事な時期」「1日の怠りを補うには3日必要」「最大の敵は自分自身」…聞き飽きた文句ばかりだが、受験生の胸には何度だってグサグサと突き刺さる。その言葉に後ろめたい者には、特に精神的ダメージを与える。
「明日やるテストの出来によって、志望校の合否が決まると思え」
そんな重い言葉で、事前の説教はしめくくられた。
ぴりぴりとした空気が充満する教室。指定されたテキストのページを開く音。もちろん自分も同じ動作をしている。
しんとした空間に、教師の声だけが大きく響く。カツカツと、黒板にチョークで文字や図形をつづる音。
「……」
さっきまで竜崎とデュエルしていた余韻か、いまいち授業に身が入らない。
説明されている問題文を追う目線も滞りがちになる。
それでもぼーっとしてなんていられない。授業ではいきなり生徒を当て、問題を答えさせられる。
「わかりません」ならまだしも、「その問題はどこですか」なんて言ったらもうおしまいだ。他人事でも怖いのに、自分がそうなったらなんて考えたくもない。
羽蛾は小さくため息を吐いた。

3年になってからのリアルすぎる日常生活は、去年までのM&Wの世界にはまりこんでいた日々と、あまりにもギャップが激しい。
受験なんてさっさと終わって、またカードゲームに身を入れたい。(そうだ、最後の入試が終わったらそのまま竜崎とカードショップに行ってやろう。)
だけど、いざ本番が来ると思うと、まだまだ先のことであってほしいとも願ってしまう。模試でも気が重いのに、入試とかどんだけ緊張するんだか。
ジレンマをおこす頭がぐちゃぐちゃになる。気持ち悪い。羽蛾は持っているシャーペンでテキストのはしにぐりぐりと円を書いた。
気分は暗い。自分でも、かなり病んでいると思う。でも、しょうがないだろう。治し方がわからない。
勉強しまくれば少しは自信がついて落ち着くだろうか。それが単純かつ最善の方法だが、目標が固定していない羽蛾にはなんだか気が進まない。
学校ではそこそこに成績がいいため、周りにはガリ勉なイメージがついているようだが、実際は塾でしぶしぶ予習復習しているだけで、それも受験ともなればどうなるかわからない。
志望校だって、今のままじゃ受かる可能性は、多く見積もっても五分五分。城之内のギャンブルデッキじゃあるまいし、きちんと合格圏の7割に達しないといけない。
間に合うだろうか。それは自分次第。自問自答すら疲れる。
羽蛾の心境を映すように、雨は予想に反してじとじとと降り続ける。
彼は自分で思っている以上に、自分を保っている精神の糸が細くなっているのに気付いていない。




窓一枚に隔てられているのは、電灯に明るい部屋。
タンスや本棚、簡易ベッドに狭い部屋はほとんど占領されている。その上にはごちゃごちゃと脱ぎ捨てた服や週刊誌が積み上がっている。
人が通るスペースのはずの床には、直置きのテレビと配線で繋がれたゲーム機。入ったままのソフト。分厚い攻略本。そして散らかるクズカード。
親に散々「いい加減掃除せぇ」と怒鳴られるが、「うっさいババァ、これはこれで片づいとんのじゃ」と、部屋の主は譲らなかった。
自分の部屋は言うならばナワバリ。自分がどうしようと勝手だ。放っておいてほしい。
前に一度無断で整理整頓されて、どこがどこにあるか全然わからなくなったことがある。あの時はこたえた。お気に入りの漫画が開かずのクローゼットに押し込められて、目の前には教科書しかなかったのだから。死ぬかと思った。

いつの間にか暗くなった外から、ザーザーと雨の音がしている。
「なんや、これ一晩中降るようなやつやん…」
天気予報では一時的なものだと言っていたのに。まったく当てにならない。
雨のせいで、蒸し暑い空気はいっそうむわんとただよっている。
竜崎はエアコンを入れて、ドライで部屋を冷やした。
特にやることもないので、椅子に座って足を机に投げ出して、楽な姿勢で自分のデッキを見直している。
大事なカードだが性格上丁寧に扱っていないので、カードは所々汚れていたりはしっこが曲がっていたりする。直せる範囲で直す。あんまり破損しているとデュエルディスクがカードデータを読み取ってくれない。それは困る。ソリットビジョンで自分のモンスターカードを「ドン☆」と具体化するのが醍醐味なのだから。
竜崎のデッキに、魔法カードや罠カードは少ない。もしかしたら必要最低限もないかもしれない。ほとんどがモンスター、というか恐竜カードで占められている。
よく相手をする羽蛾には単純だの芸がないだの散々悪口を言われているが、自分のポリシーなのだから、変えるつもりはない。
伏せカードが苦手なわけじゃないが、あまり頭を使ってやるのは好きじゃない。力対力のバトルが一番燃える。
それに、弱いモンスターを装備カードで強くするより、初めから強いカードで勝負する、単純明快なおもしろさが好みだ。
それでもパワーで押し切るには、今持っているモンスターカードだけではいささか頼りない。やっぱりレッドアイズくらいの強力なカードがほしい。
「アンティでみんなとられてしもてんなー…はぁ(ため息) 暇やし、バイトしよかなぁ」
月1の小遣いはすぐ使ってしまう。月末になれば無一文も同然で、レアカードを買うお金なんてどこにもない。でも今から稼げば、来年の、羽蛾の受験が終わる頃には、少しは懐があたたかくなっているかもしれない。
彼の受験が終わったら、遠慮なく遊びに連れ出せる。快気祝いにぱーっとおごってやってもいい。
カードショップでデッキ補充をしたら、また真剣勝負でけしかけてやる。
「今度は絶対ワイが勝ったるで〜」
頭の中でヒョヒョヒョと笑う羽蛾に、竜崎は笑ってるんだか怒ってるんだかな表情で宣戦布告をした。










ザー ザー ザー
ザー ザー ザー
地面を打つ雨が、コンクリートのくぼみに水たまりをつくっていく。車が通れば、タイヤに踏まれてばしゃんとはねる。
はねた泥水がかかって少し足下が濡れたが、羽蛾は気にしなかった。
傘も差さないで歩いているから、もう全身くまなく濡れている。
(……あれ、俺、何やってんだっけ)
ふと我に返れば、自分の行動に疑問を持つ。
たしか、塾が終わって家に帰るところではなかったか。
…違う。一回家に帰ったんだ。やっと1時間×3の授業が終わって、塾から出ると、まだ雨が降っていたから、親に電話して迎えを頼んだ。
その時、塾の担任と親が少し話をしていた。どうやら担任は自分の成績が下がっていることについて忠告したらしい。別に隠しているつもりはなかったが、自分の息子を過大評価している親は、とても機嫌が悪くなって戻ってきた。
車の中で散々小言を言われ、家に帰っても続くそれにうんざりした時、
『友達と遊ぶのも、もうやめなさい』
的なことを言われた。
その言葉に、すっと体温が冷えた。どう形容すればいいのかわからない感情に思考を支配される。
静かに、羽蛾の中の細い何かが千切れた。表面には表れない、だがしかし決定的な変化。
そこから一気に記憶が曖昧になった。
玄関にカバンを置いたまま、そっと家を出て(心配性の親のことだ、気付かれたら大騒ぎだろうが、携帯もカバンに入ったままなので、連絡手段はない。)
雨は強く降っている。けど、傘を持とうという考えも浮かばなかった。

目的もなくふらついているのかと思えば、そうではない。体は勝手にどこかへ行こうとしている。
ポケットに入れたままの定期を使って電車に乗る。
濡れそぼった体が冷える、冷房のきいた車内。
電車が揺れるたび、前髪から滴がぽたりぽたりと落ちる。
(……)
自分がどこ行こうとしているのか、何となくわかりつつ、無意識のされるがままになる意識。

電車から降りて、またとぼとぼと歩く。雨は以前やまない。
くもった眼鏡は、もうかけてもかけていなくても同じくらい、視界をぼやけさせる。
だけど、一応、目指している場所に着いた。着いてしまった…。
住宅地の一角だ。目の前にあるのも普通の家。数度しか来たことはないけど、
竜崎の家。
(……何やってんだ、俺)
そもそもなぜここに来たのだろう。竜崎とは今日会ったばかりじゃないか。
家にいるのが辛くて、でも外は雨で、
雨宿りの場所を求めるにしても、電車に乗ってまで、どうしてここに。
「……」
インターホンも押せず、家の前にたたずむ。

ザー ザー ザー

「……りゅうざき」

ザー ザー ザー


ガチャ

「あ…? 羽蛾?」
いきなり開いた玄関からひょいと出てきたのは、なんと竜崎だった。
羽蛾は内心、とてもびっくりした。
「……なんで、出てきてんだよ」
あまりのタイミングの良さに、羽蛾は自分のことを棚に上げて尋ねる。
竜崎は驚きつつ素直に受け答えする。
「へ? ワイは、ちょっとコンビニでメシ買いにこかーって……で、羽蛾はなんでおるん?びっくりしたで」
「……」
羽蛾は黙ったまま答えない。
雨に濡れきった羽蛾を見て、竜崎はあわてて「とにかく入り」と家に招いた。




竜崎の家はしんと静まっている。
玄関入ったところで立ちつくしている羽蛾に、竜崎は早く入れと催促する。
「親おらんねん。遠慮せんと入ってき」
そう言われても、全身ずぶ濡れの自分が中に上がれば、床を濡らしてしまう。
「ちょい待っとけ」 奥に入った竜崎が、バスタオルを持って戻ってきた。
ノーリアクションの羽蛾の髪を、竜崎が代わりにわしゃわしゃと拭いてやる。
「一体、どないしたん?何かあったんか?」
「……」
頬にぴたりと手を当てれば、羽蛾の体温はとても冷たくなっている。ずっと雨に当てられていたのか。無茶をする。
「とにかく、はよ体あっためな。受験生が風邪でも引いたらどないすんねん」
「…別に、いいよ。どーでも…」
「そやかて、明日は大事な模試なんやろ?勉強とか、」
「……!」
ドンッと、羽蛾が思いきり竜崎の体を突き放した。
油断していた竜崎は、バランスを崩して床に尻もちをつく。驚いて羽蛾を見やる。
「何すん…っ」
竜崎は怒鳴ったが、言葉は不自然に途切れた。
羽蛾の様子がおかしい。バスタオルでその表情は隠れているが、全身を震わせて、時折しゃくりあげるような呼吸をして、
「勉強、勉強って、お前も親と同じこと、言…」
声は今にも消えそうに小さい。
見れば、羽蛾の目から涙がぼろぼろとこぼれていたので、竜崎は本当に驚いた。
「もういやだあー!!」
とうとう、羽蛾が思いの丈を込めて叫ぶ。
「デュエルで負けたら負け犬だし、受験戦争でも負けたら負け組だし、」
なくならない、負けることへの不安。それどころか日に日に増えていく。
「やりたいこと何にもできないし…なのに、どんどん辛くなってく…ぅぅっ…」

(竜崎、お前と会う時だけが、楽しかったのに)
それもなくなってしまうなんて、辛すぎる。

「いやだ…もうやだよぉ」
泣きじゃくってうずくまる羽蛾の肩に、そっと竜崎の手がのる。
「うっ うっ…」
「……なんや、お前…そんな辛かったんなら、はよ言えや」
竜崎の手は、冷たい羽蛾の体をあたためようと、優しく背中をさする。
「知らんかったわ。お前いっつもひょーひょーとしてて、こんなん余裕〜って顔してたから……ごめんな」
どうして竜崎が謝るのか、羽蛾には意味がわからない。
「…んで、お前が、あやまんだよ…」
だって、と竜崎は言葉を続ける。
「お前が苦しんでんの、気付いてやれへんで、情けないんや」
「……」
「でも、そら、辛いよなぁ… 羽蛾、真面目やもん。ちゅーか、不器用やねんな。息抜きうまくやれんのやろ?よしよし…」
「……うっ」
竜崎のあたたかい言葉も、優しい手も、追いつめられた心と冷たい体には痛いほどにしみこんだ。
涙が全部流れて、枯れてなくなるまで、羽蛾は竜崎にすがりついて泣き崩れた。




冷たい体に熱いシャワーを浴びせる。
いつもの感覚が戻ってくる心地よさ。死体が生き返ったような。
キュッと栓をひねって湯を止めると、洗面所から声。
「バスタオルと着替え、ここ置いとくさかい」
「あ…悪い」
羽蛾は小さな声で礼を言ったが、シャワーの音で掻き消えて、竜崎には届かなかった。
もう一度言うのも気が引けて、羽蛾はそのまま、磨りガラス越しに竜崎を見た。
竜崎は洗面台の前に立ったままだ。
「今日はもう遅いし、ここ泊まってけや。ちょうど親は夜勤やし、気兼ねないやろ?」
「でも、いいのか?」
「ええ言うとる。……なぁ、羽蛾」
笑っていた竜崎が改まって、羽蛾を呼ぶ。少し真面目な声になる。
「ワイ、頭アホやし、お前の行きたい進学高のレベルなんかわからへん。勉強見たることはできひんけど、相談ならのれるで。辛いことがあるんなら、ワイに言ってすっきりしぃ。ぎょーさんあるやろ?遠慮せんと、言ってくれ」

竜崎の言葉を静かに聞きながら、羽蛾は、どうして自分がここに来たか、わかった気がした。
(そうか 竜崎になら遠慮なく本音を言える。)
(だから、自分の中のどろどろしたものを吐き出したくて、ここに来たのか。)
……でも、それは、自分のエゴだろう。
「ごめん」
「?」
突然羽蛾に謝られた竜崎は、わけがわからなかった。
「だって、さっきだって…関係ないのに竜崎に八つ当たりして…お前が困るだけじゃねーか…」
しどろもどろに話す羽蛾に、竜崎はひとつため息をした。
「阿呆」
(アホ…!?)
関東人の羽蛾はその悪口にカチンとなったが、関西人の竜崎には軽口、むしろ挨拶だ。
言葉を続ける。
「ワイとお前は、ライバルやけど、ダチでもあるやろ?ダチが悩んで辛そうやのに、関係ないはずあらへん。どうにもならんけど、どうにかしたいねん」
わからへんかなぁ 上手い言葉が見つからない竜崎が、頭をガシガシ掻きむしる。
「……」
羽蛾は、扉のガラスに手をついて、
「竜崎」
竜崎を呼ぶ。そして、
「……あり、がと」
今度はちゃんと、聞こえるくらいの声を出して、礼を言う。
磨りガラス越しに顔を見ないでなら、素直に感謝していることを伝えられた。
竜崎は驚いたようだったが、すぐに「んっ」と笑って相づちを打つ。
「じゃあワイ、コンビニで晩メシ買ってくるさかい。フロ上がったらだらだらしといて」
羽蛾は「わかった」と返答した。




「うん、うん…ごめんなさい。明日にちゃんと帰るから。塾も行く。うん…はい」
竜崎の家の電話を借りて、親に連絡する。
親は予想外に優しく、外泊も許してくれた。きつく言ったことを後悔してるようだった。
電話を切り、一息つく。
終わりよければすべてよし。結果的に、ここに来てよかったのだ。
羽蛾はこわばっていた体をやっとで安息させた。
それでも他人の家に1人でいるのはやはり落ち着かない。
竜崎が帰ってくるまで、彼の部屋に行ってることにした。

「……(絶句)」
前に来た時もそうだったが、変わっていない。竜崎の部屋はものすごく汚い。
脱ぎ捨てた服、週刊誌の山、何かの漫画の全巻、ゲーム機にソフト…テーブルには食べたスナック菓子の袋、缶ジュース、封を切っていないダイレクトメール(そもそも見る気がなさそうだ。)
ゴミ箱はいっぱいで入りきってないし、なんだかほこりっぽい。
これが健全な高校男子の部屋なのだろうか?羽蛾の部屋はもっと整理整頓されている。
床に散らばるものを踏まないように進もうするが、無理だ。数歩で動けなくなった。
大股でベッドの上に避難する。そこならまだモノは…少なくとも、踏んで壊れるようなモノはない。
部屋のあちこちにM&Wカードが落ちていたり積まれていたりしている。
ぺろっとためしに一枚拾ってみた。当然、あらわれたのは恐竜のモンスターカード。
束になってるカードも見たが、恐竜・ドラゴン族ばかり。(サブカードが見あたらない…)
ベットの横にある本棚を見れば、並べられている分厚い本は「恐竜図鑑」。普通の本もタイトルには全部「恐竜」が入っている。
雑誌も恐竜特集。中には英語の本もある。英語苦手なくせに。開いてみれば、誰かが描いた恐竜のCG集らしい。
「あいつ本当に好きなんだな」
自分の昆虫マニアを棚に上げて、羽蛾は感心せざるおえない。




「羽蛾、部屋おったんかいな」
開けたままの扉から、竜崎がひょっこり顔を出した。
「適当に弁当買ってきたで。お茶も。食べよー」
テーブルの上にあるものをざーっとよけて、ゴミはゴミ袋に無理やりつっこむ。濡れティッシュでテーブルの汚れを拭くと、そこにコンビニ袋をでーんとのせた。
思えば晩ご飯も食べていなかった。ぐーきゅるると腹が空腹を訴える。
「ほんまは駅前のたこ焼き屋で買いたかったんやけど、この時間は閉まっとんねん。残念やわぁ、今度食べに行こな」
竜崎がガザゴソと弁当を取り出す。
「どっちがええ?」
「…おにぎりの方」
「ほい」
「ん」
「これ、お茶」
500mlのペットボトルをよこされた。
「ん…悪い、な」
「気にすんな。こんくらい、人が家に来たらやっとるし。それに親おったらなかなか家に友達泊められへんやん?今日はホントタイミングええわ。夜更かしできるー♪」
「……」
「ああ、羽蛾は明日も塾やもんなぁ、あかんか」
無邪気にワクワクしていた竜崎がしょんぼりする。
羽蛾は竜崎に気を遣ったわけじゃないが、「でも別にいいよ」と言った。竜崎が少し驚く。
「ええんかいな?」
「いいわけないけど…どのみち集中できなかったし。最近、頭ガンガンするんだよ。痛い」
「ええっ!? 寝不足とか、ストレスとかか」
「わかんねぇ。脳に無理やり数式をたたき込んでるからなぁ…」
多分それだけじゃない。いろいろなものに圧迫されて、苦しい。
なんでたかが高校受験に、これだけ気を滅入らせなきゃならないんだろう。意義すら見失いそうになる。
「じゃあ、今日はさっさと寝るか」
「…寝たくも、ない」
「なんで?」
「夢の中でも、テキストの問題集解いてるんだ。むしろ寝た方が疲れる」
羽蛾のノイローゼっぷりに竜崎は一瞬言葉も出なかった。口が半開きのままになる。
「お前…すごい真面目やなぁ…ワイ、受験勉強なんもしてへんかったわ……なんか、ほんまごめん」
「……」
羽蛾は、むしろ謝るのは自分の方だと思った。
いきなり家に押しかけて、玄関でヒステリーを起こして…訪問販売のセールスより悪質だ。思い出したら恥ずかしくて死にそうになった。弁当を食べる箸を止めて、顔をうつむかせて苦い表情をする。
「ん? その弁当まずかった?」
「違う……その、あれだ…さっき…」
「風呂場のこと?」
羽蛾がふるふると首を横に振る。
「……玄関で」
それだけで、竜崎は何のことかわかったようだ。「ああ」とつぶやいて、そして、苦笑した。
「気にすんな言うたやん」
「……だって」
だってあの時は気持ちがぐちゃぐちゃしていて、しょうがなかった。でもだって心が落ち着いた今になって考えれば、すごく恥ずかしいことだと思う。
「そら、羽蛾の悩んどることは、泣いても解決せぇへんけど、思いきり泣いて気が楽になるなら、泣いた方がええよ。怒鳴ったり叫んだりも、してええ」
「……うー」
呻きながら、顔の赤い羽蛾が竜崎を見る。竜崎は優しく笑っていて、羽蛾は(こいつ甘やかし上手だな…)と嬉しいのか悔しいのか微妙な気分になった。
「それに、いっつもナマイキな羽蛾がワイの前で子供みたいに泣いて、実は結構嬉しい……って、そう睨むなや。あー、これは言わんかったらよかった」




「ようはあれや、羽蛾には気分転換が必要やねんな…… あっ、おお、そうや!」
竜崎は何かをひらめいたのか、くるりと後ろを向いて漫画やら何やらをいろいろ積んである山を崩しはじめた。何かを探しているようだ。ごそごそがちゃがちゃ。
「やっぱ夜更かししよか。気分転換にちょーどええもんあんねん」
「何?」
竜崎がえらくはずんだ声をあげるので、羽蛾も少し興味がわく。
「いやー…この前な、城之内にビデオ貸してもろたん、まだ見てへんかった。一緒に見てみーひん?」
「ビデオ?映画か?」
「ちゃうで〜 お、あったわ」
ポイッと、竜崎が羽蛾に山から見つけた目当てのビデオテープを放る。
うまくキャッチした羽蛾がビデオのタイトルラベルを見て、眉をひそめる。
「ボッキン……って…」
「いひーv」
「!?///」気付いた。
「いひひーvvv」
羽蛾の頬が赤くなるのを見て、おもしろがった竜崎はいやらしい笑いを隠さなかった。
あからさますぎるタイトル。こんな映画があるわけない。これは、つまり、いわゆる…
「な、何だよこれ!」
動揺した羽蛾がテープを竜崎に投げ返す。おっとっととキャッチした竜崎は「だーから」と言葉を続けた。
「城之内から貸してもろたエロビやって。見よう思って忘れてたからどんなんかは知らんけど、お前、こーゆーの見たことないんちゃう?どや?興味あるやろ」
「ばっ!!馬鹿言え!こういうのは、18歳にならなきゃ、見ちゃダメなんだぞっ」
知っての通り、竜崎は15歳で、羽蛾は14歳だ。そーゆーのは、まだ早い。少なくとも羽蛾にとっては。でも竜崎は違うようだ。
「はぁ?お前、こんなん今どきの中高生なら普通やろ」
竜崎は健全な男子でしかもませているので、学校の友達同士でエロ本やらビデオやらの貸し借りは普通にやっているらしかった。
羽蛾はさっきからカルチャーショックを受けっぱなしだ。
「でも、俺は…見たこと、ないし…」
自信がなくなってきたのか、羽蛾の声が小さくなる。体もベッドの上で体育座りをして、まるでダンゴ虫のように小さく丸まる。
反対に竜崎は、自分の得意分野に羽蛾を引き込めるのが嬉しいのか、意気揚々とした表情と態度。
「なら決まりやなー♪ 何事も経験ゆうやん、見よ見よ」
そう押し切って、テープをビデオデッキに挿入してしまった。不意打ちに羽蛾がびっくりする。
「ちょっ…とま…!」
「はいはい、羽蛾、観念せぇ」
竜崎が楽しそうに笑って、羽蛾の横に座り、逃がさないようにと羽蛾の肩をぐいっと自分に引き寄せる。
リモコンを取って再生ボタンをえいっと押す竜崎を睨みながら、羽蛾は心中で怒鳴った。
(これって俺の気分転換云々じゃなくて、ただ単にお前が見たいだけだろう!!)




070921~

続きは微妙にエロくなるので、苦手な方はご注意くださいませ。
↓はここらへんで入れたかった会話。うまく入らなかった><

「お前ってほんとに恐竜好きだな」
羽蛾が部屋を見渡して言う。目につく大きなものは、壁に貼ってある恐竜のポスターや、本棚の上にある精巧なフィギュア、ベッドにはかわいくも強そうなぬいぐるみ。
「おう、恐竜はごっつええで!最強や! ほんま、絶滅したんが悲しすぎるわ。ああ〜タイムマシンがあったらな〜、いっぺんジュラ紀に行きたい」
目をキラキラさせながら恐竜を語る竜崎を、羽蛾は半ばあきれながら眺める。
「恐竜がうじゃうじゃいる時代に人間がいたら、踏みつぶされるのがオチだろ」
「そやけどー、草食のやつなら仲良ぉなれるかもしれんでっ そしたらちっこいの一匹持って帰って飼うねんv」
「へーへー」
「……; まるで興味ないんやなぁ、羽蛾。お前はええよなぁ」
「なにが」
「虫、好きやろ?虫は今でもいっぱいおるやん。お手軽で、羨ましいわぁ」
羽蛾がちょっとカチンとする。
「あのなぁ!一言に虫だっても、なかなか見つからない珍種とか、日本にいないやつだってたくさんいるんだぞ!手軽なもんか。だいたい、昆虫採集だってよっぽどの山に行かなきゃ、俺が満足するやつには会えない。見つけたとしても飼育が難しくて全然飼えないし、生殺しなんだぞ」
「ふーん?」
「……興味ない顔しやがって。ムカつく」
「そんなんお互い様やもーん。あ、でも、虫もめっちゃ昔っからおったな」
竜崎がいいことを思いついて、ニッと笑って羽蛾を見る。
「タイムマシンが発明されたら、一緒にジュラ紀に行こうや」
「……。ばーか」
夢のまた夢みたいなことを、嬉しそうに言いやがって。でも、
(……くそ)
想像して、ちょっといいかもと思った自分も、よっぽど馬鹿だ。