(ちのみごは 泣く)
(いとしびとのちちをもとめて、泣く)
ちのみご
(むかし むかし ある家に めでたく あかごがうまれた)
(だが 母親が死んでしまい、そのこに飲ませる乳がなかった)
(父親は しかたなく 死んだ母の血を あかごにすすらせた)
(あかごは、母の血を、うまそうに、すすった。)
突き落とされた闇は、己の親しんだ色とは異なる暗黒だった。
言うなれば、バクラの闇は純度が高い。数千年の年月をかけてたっぷりと熟成した漆黒。何人たりとも侵入を許さない、気高いほどに冷酷で、まるで鋼鉄のような。体感する温度も低い。
だがここは――マリクの闇は、それとは似ても似つかない。あまたの不純物を無計画に混ぜ合わせ、不調和の末に出来上がってしまった闇だ。
腐臭が鼻を突く。目を細めて見れば、周囲には苔や黴(カビ)のようなものが付着している。視界の隅で小さな蟲がうごめく。湿度が高く、肌を撫でる空気は生ぬるい。
闇であることには変わりはないが、早急で未完成にも見える完成品。バクラからしてみれば粗悪、とでもけなそうか。
「……ここが、あのガキのゆりかご ってわけか」
バクラは今はっきりと、自分が相手のテリトリーに捕らえられたと理解した。
マリクとのデュエルに負け、生身の体は闇に喰われた。「ここ」にいる自分は精神体。しかも、相手に存在することを許されている身分だ。
チッと、バクラが小さく舌打ちした。すると、無音の闇にわわんと反響する。
――わ かって いる よ なぁ…?
じめじめした空気が震えて、鼓膜に響いた声。いや、声というより、獣の咆哮に近い、かろうじて意味をくみ取ることができる雑音。
――闇のゲーム の 敗者 に 課せられる は、 罰 ゲーム…
小さくなったり、大きくなったりのそれは、徐々に普通の人間の声、それもバクラの聞き慣れた声に変わる。
「なぁ、バクラぁ?」
いきなりだった。不意に耳元で名を呼ばれ、ばっと後ろを振り返ると共に一歩大きく後ずさりする。
背後にいたのは、半身を闇にうずめたままの、闇人格のマリクだ。
その表情は、歓喜 悦楽 興奮…まさにそれだ。正気などどこにも見あたらない。
もっとも闇マリクには最初からそんなもの(理性や良心的常識)はない。あるのは憎悪による破壊衝動と、そこから得られる快感に沸き立つ性的欲求。
バクラがもう一歩後ずさろうとする。しかしその足が闇から出てきた黒い触手に絡め取られ、身動きを封じられる。
「!?」
「逃げても無駄だ」
ずるずると、マリクの体が闇から引き抜かれる。粘ついた闇はいまだ末端に筋を付着させているが、マリクはそれを気にしない。
一歩進むだけで、バクラとマリクの距離はなくなった。
「先刻は、楽しいデュエルだったよ。罰ゲームだって、できれば楽しいものにしたい だろう?」
「ハッ お前にとって、な」
足に絡みついた触手はにゅるにゅると這い登り、膝にまで浸食してきた。気味の悪い感触がバクラに悪寒をもたらす。
それでも目の前のマリクへの対応は最悪だ。今にも唾を吐きそうなほどに、きつく睨みつけている。
「ククッ…そうかなぁ?貴様だって、きっと楽しめるよ」
マリクは別段気を悪くしたふうでもなく、バクラに対応する。
この、己の闇に迷いこんだ活きのいい白い生贄を、どうやって貪れば最も美味いのか。あれやこれや考えているのだろう。いやらしい笑顔で、マリクがじっとりとバクラを見つめる。
「わかるさぁ……貴様は悦ぶ」
独り言のようにぼそぼそと呟きながら、マリクが右腕をすっと振り上げた。
「知っているだろう?」
手に持っている千年ロッド。鞘の外れた切っ先はきらりと金色に光って、バクラの視界を一閃する。
次の瞬間、バクラの左足に、ロッドの切っ先が深く食い込んだ。鈍い肉の音がして、そして。
「快楽と苦痛の境地は、同じだ」
マリクの言葉は、バクラの痛みにうめく声にかき消された。「ぐ あ ああ あああぁぁぁあああ」
数秒後には、マリクの狂ったような高笑いも加わる。
(しかし 母の血は あかごが ひとつ になる前に 枯れた)
(あかごは なきじゃくる)
(父親は しかたなく 長女の姉をころして その血をすすらせた)
(あかごは 姉の血を まんぞくげに すすった)
「安心しろぉ、幻覚だ…んまぁ、幻覚と言うなら、この空間すべてがそうなんだがな」
ずるっとロッドを抜き取る。闇に新たに追加された、朱色。
飛沫が散った後は、だらだらと足の付け根に流れるだけの出血に、マリクは少々がっかりしたが、
苦痛に歪んだバクラの表情を見れば、気違いじみた笑い声が、マリクの笑みを作る口から漏れ出た。
「うへぁ、はは は……痛い?痛いかぁ?バクラ、ええ?」
どくんどくん、血管が収縮する音が傷口から聞こえる。警告ブザーのように、脳髄にまで重く響く。
バクラは額から尋常じゃない汗をにじませ、激痛と、そして血が抜けて冷たくなっていく表皮の不快感に耐える。
「っ…!! ぐっ…!!」
「ほらぁ、声を抑えるなよ。絶叫を聞かせろ。苦痛に歪む顔を見せろ、バクラぁ!」
じゅくり…じゅくり…
ドクドクと血を流す患部に、闇の触手が触れる。
触手の先端にはまた細い糸ほどの触手が何本も生えており、毛根からはじゅるじゅると濁った水が垂れている。
泥水が傷口ににじんだ途端、ビリビリと神経を走る新たな激痛が上塗りされた。
「――ぎゃあっ!!」
この触手液は毒水か。ぐりっぐりっぐりっと触手が触れるたび、傷口は表面だけでも急速に荒れ、膿んでいるような症状を現した。皮膚がじくじくと腐っていく。
左足を通すズボンは赤黒く濡れ、右足よりも重くなる。力はなくなり、ガタガタと震える。
「あっはぁ…いいぞぉ、もっとやれぇ」
ぐりっ!
まるでマリクの意志と直結しているように、触手はバクラの傷口を乱暴にひろげた。ごぷりとにじみ出る血液。ほじくり出される腐った肉片。
「ひッ、イッ あ!!ぁぁぁああああ やめ、ろ!!」
バクラは思わず手を出して触手を掴んだ。
すると、ぶちゅっ 触手はあっけなく握りつぶれた。生物が静物になった瞬間。
ぼたぼたと、飛び散ったヘドロのような残骸が地面に落ちて、闇に還っていく。
(姉の血がなくなったころ あかごは ひとりで 立つ ことができた)
(そして 父親をころして その血をすすった)
(あかごは 父の血を まずそうに すすった)
シュッ
マリクが、腕を切り落とすつもりで振り下ろした凶器は、暴れる獲物の古傷をえぐっただけだった。
無傷の場所を傷つけられるのとはまったく違う痛みに、体は無防備に虐げられ、バクラは短く悲鳴を上げる。
巻いていた白い包帯が千切れる。するりはらりと落下し、地面に落ちて朱に染まる。
「ぐあ!! っ、う…っ…」
バクラの膝がかくんと折れ、自らの出した血の海に倒れ込む。
「うおぉい おい、避けるなよ。綺麗に切り落とすのがイイんだからよぉ」
マリクは握った杖の刃先を、その長い舌でべろーと舐めた。
血の味と、少し肉の味。マリクにとって、極上の蜜だ。
「んふ……ふふぁ、あはぁ…… あひゃひゃひゃひゃ!!」
マリクがひときわ甲高く笑う。
ひとしきり笑い、落ち着いたら、うっとりした紫の瞳をやや上に、口を半開きで、全身に回る快感の波に己をたゆたわせる。
「そうだ そうだよ…こんな味…そう…」
(ちのみごは ふらふらと ねかされていた 暗いところ から 這い出て、外へ出た)
(ふらり ふらり ゆらり ゆらり)
(ひとりぼっちの ちのみごは もう 泣かなかった)
(ふらり ふらり ゆら ゆら ゆら…)
(ただ)
(愛し人の血々を求めて)
(血呑み児は ひとこえ 啼いた)
「これが 俺の 唯一 知っている 愛し方なんだ…」
END/070828
「ちのみご」は 本当は 乳飲み子(乳呑み児)と書きます。
捏造パラレルすいません。
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