活気のある店の呼び込み。行き交う人の喧騒。市でにぎわう繁華街。
その中に青年と少年が2人、仲良く並んで歩いている。
学園の休みの日に、文次郎と団蔵は前から一緒に町へ出ようと約束をしていた。おいしい甘味を食べに行こうと。
「もうすぐ着くぞ。団蔵、はぐれるなよ」
「はぐれませんよ、神崎左門先輩じゃあるまいし」
「ははは」
団蔵は心外だという顔をしたが、文次郎が冗談半分でもそう言いたくなるほど、団蔵は周りをキョロキョロしたり浮き足だったりと、落ちつきがなかった。
実は団蔵は数日前からずっとこの調子、ウキウキワクワクしていた。クラスメイトに「団蔵なんかすごく嬉しそうだね」と言われるほど。
しかし「どうしたの?」とか「何かあるの?」と尋ねられても、団蔵は「何でもないよ」とか「内緒だよ」と言ってはぐらかした。
別に隠し事というわけではないが、何となく秘密にしておきたかった。
(だって、先輩と2人きりで出かけるなんて初めてだ)
2人はいつもの忍装束ではなく、私服の出で立ちをしていた。パッと見、町の子か近くの村の子に見える。
しかしどのような間柄かと言われると、年の離れた兄弟か、下手をすれば親子と言えそうな見た目だった。(文次郎が老けて見えるせいもある。)
とても恋人同士だなどという考えは思いつかないだろう。しかし実際、彼らはそういう関係だった。今回の外出も、デートということになる。
(先輩と、デート!)
団蔵は思わず両手を上げてぴょんぴょんはねそうになった。しかし文次郎が、
「団蔵、店に着いたぞ。何をやってる」
と注意したので、万歳三唱は未遂に終わった。注意をされて、団蔵も少し頭が冷えた。「……///」
でも、だって、しょうがないじゃないか。好きな人と2人だけで一緒にいられるのは、たまらなく嬉しいことだ。
注文をして、運ばれてきた甘味を口に入れる。町のものはどれも新鮮でおいしいが、今回の店はさらに良質だった。
「おいしいっ」
「だろう、ここの評判は前から聞いていたからな。一度食べてみたかったんだ」
「誰に聞いたんですか」
「同室の仙蔵だ。いや、仙蔵は……食満から聞いたって言ってたな。チッ」
文次郎は舌打ちをした。苦い顔で甘味をばくばく食べる。
仙蔵というのは作法委員長の立花仙蔵先輩のことだし、食満は用具委員長の食満留三郎先輩だ。
先輩は、食満先輩となぜかものすごく仲が悪い。同じ6年生の中で、食満先輩だけ名前で呼ばない。
でも、団蔵から見たら、文次郎と留三郎の仲の悪さは「喧嘩するほど仲が良い」部類に入る。
時折自分と庄左ヱ門が衝突してしまうのと同じで、似たような考え方をしているから、気になって悪態を付いてしまうのだと思う。
それに、食満先輩だけ名前で呼ばないというのも、なんだか特別扱いのようで、面白くない。
「先輩」
「なんだ」
「僕のあんみつ、すごくおいしいんで、一口食べてみませんか」
「おお、もらおうか」
文次郎が団蔵の手の中にある餡蜜の皿をもらおうとすると、団蔵はそれを制した。
「違いますよ、先輩」
「ん?」
団蔵が匙でひとすくいしたものを、文次郎の前によこした。
「あーんってしてください」
「!?」
途端に、文次郎の顔が赤くなった。
今までは普通に先輩の顔をしていたのに、急に面食らって、どうしていいかわからないと困惑している。
文次郎の中で、今回の外出はあまりデートという気持ちじゃなかったのかもしれない。
それ以前の問題、もしかしたら、まだ団蔵を自分の恋人だと認識しきっていないのかも。
「先輩、僕たち恋人ですよね?恋人ならこれくらい普通にやりますよね?」
「だ、だからってお前、そんないきなり…」
「ほら、あーんっ」
「……ぁー…///」
強く押すと、文次郎は折れてくれることを、団蔵はもう知っている。
団蔵の匙から一口餡蜜をもらう。甘い味が舌の上にのるが、文次郎は人の目が気になって味どころではなかった。
赤い顔を隠すように手を額に当て、なにやら呻いている。
「先輩が後輩に食べさせてもらうって……それ以前に、男が男に……」
「もうっ、まだそんなこと言ってるんですか。僕たち恋人なんですから、そんなこと関係ないでしょう」
団蔵は少しぷりぷりしてきた。あまりに文次郎が恋人同士っぽくないので、デートっぽくないのだ。
今日は先輩とイチャイチャできると思ってたのに。
「じゃあ、お返しに、これをやろう」
そう言って、文次郎が自分の餡蜜に乗っていたさくらんぼを団蔵の皿へ移した。
さくらんぼは団蔵の餡蜜にも乗っていたが、最初にすぐ食べてしまった。
「あ、ありがとうございます…」
これも、なんだか子供扱いをされているようで、嬉しいよりも切ない気分になる。
帰り道。夕方になると商人も帰り支度をしていて、人通りもまばらになっている。
「暗くなる前に帰ろうな」
「……明日も休みですよね」
「ん? ああ、そうだな」
「泊まったり…しないんですか?」
おずおずと団蔵が言い出すと、予想通り、文次郎は真っ赤な顔を困惑させた。少し怒ったような顔にもなっている。
「ばっ、バカタレ!外泊なんて1年がするもんじゃない、百年早いぞ!」
さすがに今回は「恋人同士なら当たり前」とは言えなかった。
文次郎と団蔵の年の差は大きい。文次郎の言うとおり、示唆したことは1年の自分がして良い行為の範疇から外れている。
「…ごめんなさい」
「……」
団蔵はしゅんとなってしまった。文次郎は悪いと思ったのか、なだめるように頭をぽんぽんと叩いてから、団蔵の手と自分のを繋いだ。
今度は団蔵の顔が赤くなる。
「学園の門の前までな」
すでに文次郎の顔は耳まで赤い。照れ隠しか、目をつぶった苦い顔をして言うので、団蔵は思わず笑った。
「はい」
文次郎の手も団蔵の手も人肌にあたたかかった。
学園に帰り、次の日も休日だったが、団蔵はすることがなかった。(いや、宿題はあったが、する気になれなかった。)
夜に会計委員会の集いがあるが、それまでは何もやる気がおきない。気分が沈んでいた。だらりと横になり、ぐだぐだしている。
デートが不満だったわけではない。あんみつはおいしかったし、先輩と2人きりなんて滅多にないことだしで、とても楽しかった。
先輩のことがすごく好きだと改めて思った。でも、それだけに、2人の間にある見えない壁のようなものを再確認してしまった。
(どうすれば、先輩と対等な恋人同士になれるんだろう)
はやく大人になりたい。せめて体格だけでも、先輩に追いつきたい。
自分がもっと、体ががっしりして、先輩と同じくらいの背丈ならよかったのに。
文次郎と同じくらいの体格の自分を想像する。欲を出して、文次郎より背を高く設定してみる。すると、文次郎はくやしそうに団蔵を睨んでくる。
いつもは睨まれたり怒鳴られたりすると怖くてたまらないのに、想像の彼は全然怖くなかった。むしろ、何だかかわいくて、団蔵は少し笑った。
「安いよ〜」
ふと、外の方できり丸の声がした。また学園内で何か商売をしているのだろう。
今度は何を売っているのか。少し興味がわいて、団蔵は体を起こして部屋を出た。
「安くて新鮮だよ〜取れたてだよ〜」
長屋を出るときり丸はすぐに見つかった。おなじみの駅弁スタイルだ。
「きり丸」
「おう、団蔵、なんか買ってくか?」
「……あっ」
団蔵は、きり丸が売っている商品を見て、思わず声をあげた。それは団蔵が欲しいものと一致していたのだ。
興奮した様子で、きり丸に嬉々として告げる。
「きり丸、それ全部ちょうだい」
「え? …これ全部!?」
きり丸は驚いたが、商売人としてついつい交渉成立してしまった。
夕食・入浴時間も過ぎた頃、会計委員室にはメンバーがぞろぞろ集まってきた。
今夜は今期の予算会議に向けての帳簿合わせを会計委員総出でさらうことになっている。
委員長の文次郎が来る頃には、下級生は準備を整えていた。
「ん?団蔵はどうした」
文次郎の問いに、三木ヱ門が困惑して答えた。
「実はまだ来てないんです」
「珍しいな」
いつも一番最初にやってきて座布団を敷いているくらいなのに。そんな彼が、散々学園内で迷ってやっとで会計委員室にたどり着いた左門より遅いなんて。
「何をやっとるんだあいつは」
文次郎はため息を吐いた。逃げたわけではあるまい。何かやっかい事に巻き込まれているのかもしれない。
「お前たちは先に始めておけ。さがしにいってくる」
そう言って部屋を出ようとしたら、バタバタと廊下であわただしい足音がした。
やっと来たかと思ったら、障子に映ったシルエットは予想以上に大きかった。
「文次郎、文次郎はいる!?」
ガラッ ガツン!
「「!?」」
勢いよく部屋に入ろうとして、入り口にいた文次郎(石頭)に頭突きしたのは文次郎と同じ6年の伊作だった。
「〜〜〜ッ!?」
「い、伊作? 一体どうした」
「イッてて… え?あっ、そうなんだよ、大変なんだ!」
まだ額が赤い伊作だったが、自分がここに来た理由を思い出し、文次郎に真剣な表情で迫った。
「1年は組の加藤団蔵が、ひどい腹痛で医務室に運ばれてきて、」
「何!?」
文次郎と、後ろに控えている三木ヱ門、左門、左吉が驚いた声をあげる。伊作が続けた。
「なのに、委員会があるからって安静にしてくれないんだよ。君から説得してくれなきゃダメだ。頼むよ、一緒に来てくれ」
「わかった」
「先輩、僕らも一緒に行きます」
三木ヱ門が名乗りを上げるが、文次郎はそれを引き止めた。
「お前らはここで待っていろ。すぐに戻る」
医務室の布団の中で、団蔵はうんうん唸っていた。
部屋で倒れていたのを同室の虎若が見つけて、医務室に担ぎ込んでくれた。
伊作の調合した薬を飲んだが、しばらくしても腹痛はなかなか治らなかった。やはり無理をしてしまったのだと思う。まったくもって自業自得だ。
もう会計委員会の時間だ、どうしよう。こんなことをしている場合じゃないのに。団蔵が頭をぐるぐるさせて悩んでいると、
「団蔵!」
バンッと医務室の障子が開け放たれる。その声と派手な音に団蔵は飛び上がった。
「し、潮江先輩……!」
団蔵はびくっと身をすくめた。委員長が怒っているのは丸わかりのあからさまで、鬼のような形相が泣きそうなほど怖かった。
「すいません、もう委員会はじまってるのに!今行きます、だから、ごめんなさ…っ」
「…こんのバカタレがー!」
文次郎は拳を振り上げて、団蔵の頭をガツンと殴った。
「〜〜〜!!」
「文次郎!?」
後からやって来た伊作がそれを見て驚き、すぐに止めた。
「何やってんだよ、バカ!団蔵は病人なんだぞ!」
伊作が本気で怒るが、文次郎も本気で怒っている。
「うるせぇ!当の本人が病人だって自覚ねぇんだ、こうでもしんと大人しくならんだろうが!」
「うう…」
頭と腹がダブルで痛い。団蔵は両方を押さえて布団の上にへたりこんだ。
文次郎が団蔵の前に仁王立ちになる。
「団蔵、お前、今そんな状態で委員会に出て、計算ミスも誤字脱字もなく帳簿を合わせられるのか」
「それは…」
「いつもの状態でも徹夜なのに、そんなんじゃいつまでたっても仕上がりゃしねぇ」
「でも、でも」
「でもじゃねぇ!手を出したもんは最後までやれ。だが、やれないもんなら最初からやるな!」
文次郎の一喝に団蔵は黙るしかなかった。
「今日の委員会は中止にする。後日延期だ。お前は寝ろ。いいな?次の委員会までに治してなかったら、今度こそ承知せんぞ」
「……はい」
団蔵はうつむいたまま、涙声で頷いた。
部屋を出た文次郎が伊作の説教を受けたのは言うまでもない。伊作は何が何でも病人の味方だった。
「もう君は当分団蔵に会わせないからね!わかったかい!?」
「へーへー」
文次郎は何でもない顔をしてその場を去り、会計委員室に戻る。
三木ヱ門たちに委員会の中止を伝える。皆は団蔵の見舞いをしたがったが、すぐ治ることと、今は放っておくように言い聞かせた。
夜中。布団の中で泣く団蔵の前に、いつの間にか文次郎が現れた。(伊作に見つからないよう、天井から)
「団蔵」
「…せんぱい?」
「眠れないのか」
「……」
「腹は、まだ痛いか」
「…善法寺先輩に薬をいただいたので、もう痛くないです」
「なら、お前、なんで泣いてんだよ」
「……うっ、うっ……」
文次郎に指摘されて、団蔵はますます大粒の涙を流した。
「み、みんなに、迷惑かけた…し、せんぱいに、きらわれたから…」
「そうだな、三木ヱ門たち心配してたぞ。だが、俺に嫌われたってのは、何だ」
団蔵はだんまりしてしまった。後ろめたさがあるのだろう。文次郎はため息をついた。
「伊作から聞いた。牛乳を何本もがぶ飲みしたんだって?」
団蔵の体がびくっと引きつった。
「ご、ごめんなさい…」
「ったく、忍者が倒れるまで暴飲するなんざ、何を考えてとるんだ。理由があるなら言ってみろ」
団蔵はしばらく黙っていたが、嗚咽も収まってきた頃、小さな声で言い出した。
「牛乳を…飲んだら、背が伸びるって言うじゃないですか。……背、伸びたかったんです。背が伸びたら、大人っぽいし、もう子供扱いされないと思って…」
「……」
「はやく 先輩と同じくらい、大きくなりたい…こんなんじゃ、いつ先輩に愛想尽かされるかわかんなくて、怖い…」
団蔵は、混乱してきて、言うつもりもなかった不安まで吐き出してしまう。
「こっ、子供と付き合ってるなんて、恥ずかしいと思われたら、そこで終わりじゃないですか。でも、そんなの、嫌だっ」
繋ぎ合った手だって。
団蔵の手は小さい。文次郎の手は大きい。
本当は、先輩ともっと色んなことがしたいのに。
「……バカタレ!」
突然、今まで無言だった文次郎に怒鳴られた。
団蔵はもうどうすればいいのかわからない。
「目をつぶれ、歯ぁ食いしばれ!」
「っ……!」
命じられたとおりにする。また殴られると思った。けれど、頬に添えられたのは優しい人肌の感触。
「……?」
薄く目を開けて、それが手のひらだと確認したすぐ後に、団蔵の口に文次郎の口が重なってきた。
団蔵は目を丸くして驚く。
至近距離だったが、文次郎は団蔵の方を見ず、目線を外したまま言った。
「……お前が、俺を、好いてくれてるように、俺も……団蔵、お前が好きだと、言わなきゃわからんなんてなぁ、忍者失格だぞ…」
告白と、照れ隠しの説教。
団蔵は、もう、信じられなくて、信じられないほど嬉しくて、これは夢じゃないかと思った。夜だし、あり得てしまう。どうしよう。でも、さっきの口付けられた感触は、夢とは思えない。
もう一度、確かめたい。
「先輩…」
団蔵が腕を伸ばし、文次郎の頬に手を当てる。
「目、閉じてください」
「……っ」
文次郎が団蔵の言ったとおりにしてくれる。いよいよ夢ではないかと思う。
けれど、口付けてみれば、唇の感触が柔らかいし、他人の体温があたたかい。夢じゃない。……夢じゃない!
「せんぱい!!」
「どぅわっ!?」 ドタッ
団蔵がタックル並みに文次郎に抱きついて、バランスを崩した文次郎は床に背中を打った。
それでも団蔵はしがみついたまま。どこへも行くなと言うように、精一杯両手を伸ばして、文次郎を包む。
「ったく、お前は…」
文次郎は思わず、団蔵の頭を撫でる。しかし、団蔵が恨めしそうな目を向けるので、すぐに手を離した。
「あー…すまんな、その、後輩だから、つい…甘やかしたくなるというか…いや、別に子供扱いするつもりはないんだが…その……すまん」
文次郎も、素直に自分の非を認め、謝った。
特に今回の一件は自分の言動にも責任があったし。
それにしても…
「牛乳、何本飲んだんだ」
「…10本…」
「10!?」
「本当は、20本買ったんです」
文次郎は絶句する。牛乳を10本一気に飲めばそりゃあ腹痛で倒れるだろう。なのに20本飲むつもりだったとは。
忍者としては、身長は低い方が利便性が高いのに。
「なんでまた」
「1本で一寸(3cm)伸びるとしたら、60cmくらい伸ばしたくて…中在家先輩くらいになりたいです」
「そんなん俺より背が高くなるだろうが」
「それがいいんです」
「よくねぇよ。俺が困る。そもそもなぁ、年の差のことなら、そんなん俺の方が不安なんだぞ」
「え?」
文次郎の言い分は団蔵の予想外だった。先輩の不安? 考えもつかない。
「俺が成長したら……今でさえ少し老け顔だからな、もっと老けるかもしれん。お前は元が良いんだ、格好良く成長するだろうに。
きっと女にもモテる。今はまだわからんだろうが……女を抱けば、俺への好意が勘違いだとか、錯覚だとか考え直すかもしれん」
子供の頃の熱意が、大人になってからも続いているとは限らない。それは大人になっていく過程で矯正されて消えるものでもある。
成長の淘汰は責めるのもではない。少なくとも文次郎は、団蔵がいつか心変わりをしても、仕方のないことだと割り切るつもりでいる。
「なんてこと言うんですか!」
今度は団蔵が文次郎に怒鳴った。
「僕、今はじめて先輩を殴りたいと思いました。先輩は、僕のこと信じてないにもほどがあります!」
今まで見たこともないほどに、団蔵は本当に怒ってる。腕はわなわなと震え、今にも文次郎に掴みかかりそうだ。さすがの文次郎もたじろいだ。
団蔵は続ける。
「いくつになっても先輩は先輩だし、僕だって僕のままです。大人になったから他の人を好きになるとか、勘違いとか、変なこと言わないでください。
僕はずっと好きですからね!たとえ先輩がおっさんになっても、おじいさんになったって、シワシワのヨボヨボになったって、大好きですからね!?」
そこまで言い切って、糸が切れたのか、団蔵の目尻からまた涙の粒がこぼれてきた。
泣きたくないのに出てきたのだろう、団蔵は乱暴に目をこすって涙を止めようとする。
文次郎は団蔵の腕を取り、泣かせるままにさせた。背中をさすり、落ち着かせる。
「悪かった。すまん。団蔵、許せ」
「ひっく…うえっ…えっ…」
「そうだよな。俺、お前のこと信じてなかった……信じるのって怖いんだよな」
文次郎も自分の心中を整理していく。今まで目を背けていたことに向き合う。
結局、自分は怖かったのだ。後輩の団蔵の好意を受け入れるのが。
受け入れて後に、団蔵が成長して、他の者を好きになり、自分から離れていく不安が消えなかった。
受け入れることも拒絶することもできない。そんな臆病な自分のせいで、団蔵はひどく傷ついてしまった。
「ごめんな、団蔵」
「謝らないでください、先輩。…謝るくらいなら、もっと別のことを言ってほしい、です」
「……それは……睦言とか、か」
「はい」
「……あー、えっと……その、……俺も、……ちゃんと、好き だから、安心しろ…ってバカタレ言わすなよッ!恥ずかしいったらありゃしねぇ!」
「えへへ」
やけくその、勢いに任せての告白だったが、団蔵はとても嬉しそうに笑ってくれた。
医務室を出て、長屋へ戻る。
自室の戸を開けると、同室の仙蔵がまだ起きていた。布団の上で兵法の指南書を読んでいる。
文次郎を見て開口一番。「伊作が来たぞ」
「お前がいないことで医務室に行こうとしたが、私が『頭にクナイつけた馬鹿面で鍛錬に行った』と誤魔化しておいた。感謝しろ」
「……ありがとうよ」
誤魔化し方は気に入らなかったが、伊作の足止めをしてくれたのは助かったので、文次郎はしぶしぶながら仙蔵に礼を言う。
仙蔵に団蔵の様子を見に行くことは告げていないが、6年間同室だった腐れ縁か、2人の動向は何となくお互いに知れてしまう。
しかし、
「将来有望な馬借はもうお手つきか。お前もなかなか抜け目ないな」
この言葉には文次郎も驚いた。寝巻きに着替えていた手がぴたと固まる。
「…気付いてたのか」
「お前は、隠してたつもりか? 一部にはバレバレだぞ」
その一部が誰なのか気になったが、知るのも気が引けて、文次郎はそれ以上突っ込まなかった。
言いにくそうな小声で仙蔵に尋ねる。
「あの…そのよぉ…やっぱ、傍目に見たら変か」
仙蔵はらしくなく口ごもる文次郎を珍しがった。ついでからかう。
「お前に稚児趣味があったのは意外だった」
「違うわ!誰が好きこのんで年下の男と恋仲になるか!俺は、」
「加藤団蔵だから、だろう」
自分の言い分を遮った仙蔵の言葉に、文次郎はハッとした。
「あの子がお前より年下だろうが、年上だろうが、男だろうが、女だろうが、どうせ好きになるのだろう。何を畏れる必要がある。そのまま応えてやれ」
的を射すぎている仙蔵の助言に、文次郎は逆に困惑してしまう。
「お前…どこまで勘づいてるんだよ」
「さあ? 何も知らないことだけは事実だが。あ、もう明かりを消してくれて構わん」
怖や怖やと内心呟きながら、文次郎が灯りを消して、布団に入った。
「ああ、それとな」
「ん?」
「今度の休日があるだろう。お前の名前で町の宿に予約を入れておいたから、2人で泊まってこい」
「はあ!?」
文次郎が思わず布団から跳ね起きる。しかし闇の中、仙蔵の姿は見えない。真意もまったく見えない。
「お前、何勝手なこと…!」
「煮え切らないお前を見ているのもいい加減気色悪いのでな。ちなみにキャンセル料は宿代の3倍だ」
「てんめぇ〜…」
「私は善意でやったまで。恨まれるのは心外だ。それとも、何を変に期待している?」
「〜〜〜!!」
「うるさい。さっさと寝ろ」
仙蔵に口で勝てるわけがない。文次郎は乱暴に布団をかぶった。
なかなか寝られるはずもなかった。