森の獣道にあった真新しい複数の足跡。おそらく下級生が言っていた山賊のものだろう。
闇に慣れた目で、その足跡をたどっていく。
するとそれらは途中で跡形もなく消えた。
いや、人が消えるはずがない。
山賊は森を抜けたのだ。そこに自分の探しているものはない。
彼は――潮江文次郎は、自分たちと同じ忍びに連れ去られた。
行き着いた結論に、立花仙蔵の目はいつもより数段鋭くなる。
「……怒ってんのか」
文次郎がおそるおそるといった様子で、肩を借りている仙蔵に尋ねた。
「ほう、なぜそう思う?」
仙蔵は文次郎の方を見ずに、いつも通りの調子で言う。
文次郎がへっと小さく笑った。
「てめぇがむっつり黙って肩貸すなんざ、気色悪ぃにもほどがある。嫌味言われた方がまだマシだ」
「……」
仙蔵は黙っていたが、唐突に行く先の方向を変える。
「仙蔵?」
文次郎は呼びかけるが、仙蔵は前を見たまま黙っている。
うっそうと茂る雑草をかきわけると、聞こえてくる水音。
月明かりに見えてきたのは川だった。
目の前の流れは比較的穏やかだが、先の急流からの激しい音が谷間に反響して響く。
そこに文次郎は突き落とされた。
バシャッ
「どわ! っぷ……げほっ!な、にしやがる!!」
ずぶ濡れになった全身をざばっと川から引き出し、怒りをあらわに仙蔵につっかかろうとして、また川の中に戻された。しかも足蹴で。
「その馬鹿になってる体を冷やせ」
仙蔵が文次郎を見下ろして、言った。
文次郎の動きが止まる。言おうとしていた罵詈雑言もみな忘れた。
絶えず流れる川の音が、思い出されたように耳に入ってくる。
「……俺、は」
「言っとくが、私はお前を抱く趣味など持ちあわせていない」
仙蔵が文次郎の言葉を遮る。
文次郎は水に浸かる拳をギリッと握った。
いつから知られていたのか。隠し通すつもりだったのに。
自分が異常になっていることなんて、目の前の人物には絶対に知られたくなかった。
蔑まれているに決まっている。自業自得だと鼻で笑われて、惨めな思いに拍車をかけるだけだ。
そんな奴に誰が助けを求めるか。慰めてくれなど頼めるか。冗談じゃない。
文次郎は仙蔵をにらむ。
「言われなくても、頼まなねぇよ、お前にだきゃ…」
水音よりも虫の音よりも小さな声だったが、仙蔵には聞こえたらしい。
「それなら良い」
仙蔵は目を伏せ、すっと視線を横にずらすと、小さくため息を吐いて歩き出す。
「いつまで泳いでいる。とっととあがってこい」
『無様だな。お前は学園一忍者しているという噂じゃなかったのか』
魔界之と文次郎に追いついた仙蔵がまずしたことは、まんまと捕まった文次郎を嘲ることだった。
味方の仙蔵に気付いた文次郎は、だがまるで敵が増えたかのような忌々しい顔をした。
『うるせぇ、見せ物じゃねぇんだ。ひやかすだけなら尻尾巻いて帰りやがれ』
売り言葉に買い言葉で、文次郎まで喧嘩腰の暴言を返す。
魔界之を間に挟み、2人は殺気立てて睨み合った。
おいおい助けにきたはずではなかったのかと、魔界之が仲介役のような口を挟んだ時、仙蔵は初めて魔界之と対峙する。
その表情には動揺や憤怒など微塵もなく、鋭利なほどに端整な顔をそのまま魔界之に向けただけ。
『あなたがここにいるのは予想外だ。1年は組の団蔵が話した事態と少々異なる』
そこで魔界之は弁解するように事の顛末を話した。文次郎の方が先にドクタケ城にくってかかったのだと。この場合、ドクタケの元々の悪行は数えていないが。
仙蔵は聞く耳持たず、先ほどの対文次郎と同じ口調で魔界之に接する。
『そこのバケモンスターに人間の作法を叩き直したい。連れて帰るが依存はあるか』
宝禄火矢をもてあます仙蔵の高圧的な命令口調。魔界之は臆したわけではないだろうに、半笑いで道を譲った。
どうぞ、彼にみっちり仕込んでやってくださいな、と。
川から学園までの道中、仙蔵は文次郎に肩も手も貸さなかった。
歩幅もいつも通り。足を怪我した文次郎には早く感じるほど。
だが文次郎も不平など言わず。2人は沈黙したまま歩いていく。
時折体を震わせうずくまりそうになった。熱い衝動はおさまる気配もなく文次郎を苦しめる。
それでも仙蔵の背を見ると、なけなしの理性が戻ってきてくれる。ある意味助かった。
無様な自分を見せることはできない。自分が許さない。ほとんど意地だったが、文次郎は歩けた。
仙蔵は、相変わらず何も言わない。
忍術学園が遠くからでも姿をあらわし始めて、文次郎が内心ホッとした時、仙蔵の足がピタと止まった。
不審に思ったが、文次郎も止まらざるおえない。
立ちつくしてみて初めて気づいたのは、自分の呼吸がずいぶん荒くなっていることだった。
「本当に、その体のまま学園に帰るつもりか」
「……」
文次郎は無意識に両腕で体をおさえた。服越しにでもわかる熱い体温。じわりと汗の感触。
「答えろ、文次郎」
仙蔵がこちらに振り向く。表情が怒っていた。
負けじと文次郎もにらみつける。だが口調はたどたどしい。
「…校医か伊作に相談すりゃ、解毒剤…はなくとも、中和剤とか、作ってもらえるだろ」
「馬鹿か貴様。具体的に何の薬を飲んだかわからない以上、体の症状を調べないと何もできん。お前、その体をさらすつもりか」
文次郎は黙った。うつむいて目線を地面にずらした。
気力も体力も限界だった。今ここで仙蔵と言い争って負かす自信がなかった。
最悪の状況に思考回路がぐちゃぐちゃになって、畜生と、投げやりになりかける。
「……なぜ私に土下座しない」
いきなりの傲慢な言葉だった。
いぶかしむ文次郎。頭を上げて、言葉を失った。
「なぜ私に一言詫びぬ!?」
長い髪が揺れるほどに怒鳴る仙蔵の目は、一言で言えば、悲哀。
仙蔵はまくしたてる。
「単身で、ろくな準備もなく、作戦もなく、ドクタケといえど敵城に侵入するなど、正気の沙汰ではない。
お前はどれほど馬鹿なんだ?最悪の事態になれば、学園に泥を塗ることもわからんか。
そんな無鉄砲な考えを、お前の単細胞は許しても、私は許さなかった。
なぜ相談しなかった?一言声をかけなかった?こんなことになるとわかっていたなら、私はお前の足を斬り捨ててでも…私はお前を止めたぞ!」
「……」
文次郎はぽかんと仙蔵を見た。
「なんだその醜い顔は」
いや、醜いのは生まれつきだ などと皮肉を言い返す気にもならない。
彼がこんなに感情的に怒ることができるなんて知らなかった。
初めて見た仙蔵の一面に、ただただ驚いていた。
「……すまん、悪かった」
すとんと口から落ちた文次郎の謝罪は、まだ頭が追いついていないせいかひどく軽そうで。
仙蔵は顔をしかめたまま、ふいっとその顔を背ける。
乱暴に文次郎の手を取ったかと思うと、グイッと引っぱって道を外れ草むらへ入っていく。
「お、おい、どこ行く」
また川に落とされるのか?勘弁してくれ。
文次郎は抵抗して手を引くが、弱っているせいで力が入らないし、仙蔵は唯我独尊。我が道を行く。
荒々しい足取りに、ガサガサと雑草が騒ぐ。
一段と背が硬くなっているススキの群衆に入った途端、仙蔵は文次郎を突き倒した。
「!? ってー」
今度は地面だったが、その分背に受けたダメージが大きい。
文句を言おうとした文次郎は、目を開けるとあまりに至近距離にいた仙蔵に驚いた。
「愛でてやろう。光栄に思え」
そう宣言された直後、文次郎は仙蔵に否応なく唇を奪われた。
「――お、俺を抱く趣味、なかったんじゃねぇのか」
口付けが終わって、文次郎の第一声。
仙蔵の雰囲気ががらりと変わったことに戸惑う。優しい、というか、何というか。
彼は口元に笑みさえたたえている。
「ふっ そう拗ねるな。単なる気まぐれだ」
「気まぐれ…俺は気まぐれでお前に抱かれるのか…」
文次郎は仙蔵から目をそらしたが、自分のすぐ横に仙蔵の長い髪が垂れているのが目に入る。
自分が立花仙蔵に押し倒されていることを再確認して、顔を赤く、表情を苦くする。
さっきまであんなに嫌だと思っていた、目の前の男との情事。
なのに抵抗する気がおきないのが不思議だった。
だが高飛車な仙蔵を見ていると意地をはらずにはいられない。
薬のせいだからなじゃなきゃ誰がお前なんぞと…ブツブツと文句を言う文次郎を仙蔵はうっとうしそうに見やる。
「ぐだぐだとうるさい口だ、ふさいでやるから少し黙れ」
そう言って、仙蔵はまた文次郎と唇を重ねる。
「んうっ」
こいつは…と、文次郎は心の中で毒づく。
気まぐれで、こんな優しい口付けをされたらたまらないではないか。
衝動を抑えていた体に一気に火がつく。
「服を脱げ」
耳元で囁かれた言葉に文次郎はかぁっと赤面する。
「ば、馬鹿か!外で裸になれってか」
「そうだ」
仙蔵はさらりと肯定する。
「そのほうがお前、興奮するだろう」
「すっ、するかぁ!」
文次郎が振り上げた手をぱしっと上手く掴んだ仙蔵。馬鹿にしたような顔。
「15にもなって一人で服も脱げんか?まったく仕方のない奴だな」
捕らえた片手を頭上に縫いつけると、空いた手をするっと文次郎の懐に入れた。
下着をまくられ直接肌を撫でられて、
「ぁっ」
それだけでもう声をあげてしまうのは、仙蔵の手が冷たいせいか自分の体が熱いせいか。
どちらにせよ、小さな刺激にも貪欲に反応する体とその体を弄ぶ指先との相性は良かった。
地面に腰を下ろす文次郎と、またがる仙蔵。
結われていたまげは服を脱がすついでにほどかれた。
露わになった上半身に仙蔵は唇を押しつける。
「汗くさい」となじられたが「じゃあやめろ」という言葉には「いやだ」と返される。
胸の突起に至っては舌を出して舐めてきて、文次郎は身をすくめた。
「クッ…、うう」
今までに受けたことのない刺激に変な感じがする。文次郎は顔をしかめて歯を食いしばる。
ちろちろと舐められ硬くなってきた乳首を仙蔵は物珍しそうに見た。
「男もここで反応するのか」
「っせーなッ!体、変になってんだ。しょーがねーだろ。もう、言うな!」
今やられている行為がいたたまれなくて、文次郎は手で顔を隠した。
畜生、なんで俺がこんなオンナみたいなことをされるハメに…!
「自業自得だ。甘んじて受けろ」
文次郎の心の叫びが聞こえたのか、仙蔵が答える。
仙蔵はちゅっと文次郎の赤くなった乳首を口に含んだ。もう片方は指でつまんで擦ってやる。
「ひあ!!…くっ、あ、あ!」
敏感にとがったそこからビリビリと痛いくらいの快感を与えられ、文次郎の口からついオンナのような声が漏れる。
仙蔵はふっと綺麗に笑った。
息がかかるだけでもびくりと震える文次郎の体をつつ…と指で撫でる。
「まぁ、これに懲りてこれからは軽率な行動を慎むことだ」
その言葉は笑って言ったはずなのだが、目がやはり悲哀を帯びていた。
「仙…?」
「もうこんな目に遭わないでくれ。こんなことは、私が相手をするこの一回で十分だ」
「……」
まるで懇願のような仙蔵の言葉に、文次郎の羞恥心が霧散していく。
「…ん……うぁ…」
くちゅくちゅ、唾液で濡らした指を尻に入れられてほぐすように動かされる。
こんなことは初めてだが、通常なら異物感に苦しむだろう感触になぜか性的に興奮する。
文次郎は自分の体を疑うが、もう頭もろくに働かない。そのくせ感度は異常なほどに良い。
自分じゃ手が届かない痒いところを思いきり掻きむしられる刺激は気持ちいい。
半開きの口の端から唾液が垂れた。
それを「汚い」と言いながら、仙蔵は自分の舌で舐めとる。
ぬるっと下あごから唇までを舐めあげられて、文次郎はぞくぞくと体を震わせる。
下の方もだいぶほぐれた。時折ひくひくと動くそこは何かを待ちわびているように脈打つ。
「……せん、ぞ」
文次郎が仙蔵の頬に手を添える。
仙蔵がその手をとって唇に押し当てた。ちゅっと口づけられて、文次郎がびくっと目をつぶる。
指をとって口に含んでも、舌を出して舐めても、文次郎は抵抗もせずされるがまま。ぴくりぴくりと瞼をひくつかせる。
「やけにマグロだな。気味が悪い」
薬に負けたかと思ったが、その嫌味に文次郎が目を開ける。のぞく瞳は潤んでいたが、まだかろうじて正気だった。
「お前が、変なこと言うから…」
「変?」
「……」
お前が俺のことを大切にしてるみたいに言うから、うっかり嬉しいなんて思ってしまった――なんて、素直に言えるはずがない。
黙った文次郎に仙蔵は顔を近づける。
「変、とは、こういうことか?」
文次郎の耳に口を寄せ、囁いた。
「愛してる、文次郎」
言葉と吐息が鼓膜に触れる。文次郎が目を見張る。
間をあけず、仙蔵が勃起した男根を文次郎の中に突っ込んだ。
「ッ!?…ぁあああ!!」
予想外の衝撃。文次郎は大きな声を出して体をこわばらせた。
穴がきつく締まる。そのくせぬめりがあるので侵入は妨げられない。ぐりぐりっと押し入る。
熱く勃起したそれが下腹部に埋まる感覚に、文次郎は我を忘れるほどの快感を得た。
「う、んあっ、…ふっ…」
「ん…っ、程良い具合だぞ。まるで女のそれだな」
仙蔵がからかえば文次郎は耳まで赤くなって顔を背けた。
「やだ、やめ、ろ…俺、男だ…」
うわごとのようなつたない言い方。性行為に翻弄されているのがよくわかる。
「知っている。だからだ。男のくせに、な」
手を膝の下に入れて足を持ち上げると、ちょうどよい体勢になって結合を楽にする。
腰を進めれば文次郎の中、肉同士が艶めかしい音を出して擦れた。
「うあああっ」
いいところを突かれれば不意打ちの声を出し、文次郎の先端からは蜜があふれる。
男を受け入れるのは初めてのことだろうが、薬のせいで前立腺が敏感になって反応は前に直通する。
うぶで素直な性器は腹につくほど屹立し、責めれば責めるほどいくらでも濡れた。
仙蔵はそれを細い指であやしながら、後ろでは締まりのよい文次郎の中を思う存分懐柔した。
「ぁっ、や、手ぇやだ、やっ…」
「こんなに悦んでいるだろう」
仙蔵は先端の小さな穴をなで回して擦った。にちゅにちゃと水音が周囲に響く。
「んううっ!」
「後ろも私のをうまそうに据えこんで、本当に、男のくせになんてやつだ」
「そんっ、な…いやだぁ」
なけなしの抵抗か、文次郎が逃げるように体を揺らす。
それが仙蔵にも自分にも刺激を与えていることに気付かず、わけもわからず喘ぐ文次郎は見上げる者からすれば極上の眺めだった。
欲情に渇きを覚えた口元をきゅっと引き結び、仙蔵が半ば乱暴に体勢を立て直す。
「オイ、お前の中に出すが、いいか」
「ひ、あっ、あ」
もうロクにしゃべれないだろうが、仙蔵は文次郎に尋ねる。
やはり返事らしきものはない。もっとも、嫌だと言われても外で出す気はなく、仙蔵は張りつめた自身を一気に奥底へ突き込んだ。
「――んあっ!!」
文次郎の体が激しく痙攣したかと思うと、びゅっと文次郎の性器から精液が飛ぶ。
頭の中がはぜる。とっくに思考は停止している。気をやってしまうと脅えるほどの絶頂。
勝手に涙が出てきた。どこもかしこも熱くてたまらない。
「あ、もう、いやだぁあ、あっ、ふぁぁ…」
射精の快感に酔い泣きじゃくる文次郎は、我知らずにぎゅーっと仙蔵をしめつけて扱き上げる。
仙蔵の怒張が一際狭くなった内部で扱かれ、限界を超える。
「くっ!」
そこで仙蔵も堪えきれなくなって、一際熱くなった体の望むまま文次郎の中へ精液を注いだ。
どくん どくん びゅくっ
熱い液体が熱い肉の中に流し込まれる。
同性の体内に射精しても子を孕むわけでもない。無意味な行為なのに、充足感は果てしなかった。
文次郎の中に自分の種子を植えつけたことに、支配欲や独占欲が満たされる。
「…せんぞう…」
中出しされたのを理解していないのか、苦しげにうめく仙蔵を見て文次郎が心配そうに名を呼ぶ。
文次郎のこんな無防備な表情を見たのは、はたして何年ぶりだろうか。もしかしたら初めてかもしれない。
荒い呼吸を繰り返しながら、仙蔵も文次郎を優しく見つめ返す。
もうこの男は私だけのものだと思った。
・
・
・
だいぶ呼吸が整ってきた。乱れた服を着直して正す。
文次郎にもいつもの調子が戻ってきた。薬の効果はおさまったらしい。
なので、2人は学園に向けて歩き出す。今度は、ゆっくり。
びっこをひく文次郎は冷静を装いつつ、先ほどまでの事態の濃厚さに表情をぐちゃぐちゃにしたり、あーだのうーだの意味もない声を出したり。かなり滅入っているようだ。
「うるさい」
仙蔵が一喝すると文次郎はしばし黙るが、ちらと仙蔵を見て、また口を開けた。
「……仙蔵」
「何だ」
「あの……冗談、なんだよな」
とても言いづらそうに小さな声で尋ねる。
「何がだ」
「……」
「私がお前を愛しているということがか」
「……」
「冗談でそんなことを言うと思うか」
文次郎の頬がかぁっと赤くなった。
なのに文次郎は信じようとしない。
「だっ…お前、いっつも俺のこと馬鹿にしてたじゃねぇか…」
「好きな子ほどいじめたいと言うだろう」
「…好きな子って…やめろ。全然ピンとこねぇ」
「そうか。実は私もだな」
6年間、同じクラスの隣の席で、同室の長屋だった。
親友を通り越して、年子兄弟のような位置関係。
仙蔵の毒舌から始まる口喧嘩は日常茶飯事。文次郎がブチギレてなだれこむ乱闘騒ぎも珍しくない。
死ねくたばれ骸は骨までハゲタカに喰われろと、本気で思って本気で怒鳴り合う。
だがいつの間にか仲は元通りになるし、実習でペアを組めば右に出る者はいない最強(相手にとっては最凶)コンビ。
後腐れのない2人の距離は当たり前の、だけど唯一無二の尺度。
わかっていたはずなのに。
顔を見合わせればケンカばかりしていた何でもない日々の中、うっすら、漠然と。
こいつが死んだら、目の前からいなくなれば、きっと自分はどこか壊れてしまうと。
その予感に、今にしてやっと確かな手応えを感じたのが、情けないが嬉しかった。
「あまりに近すぎて忘れていたが、文次郎、私はお前が相当好きだな」
仙蔵がさらりと軽口を言うように、微笑み、そのくせ真剣な目で口説くものだから、文次郎はうんともすんとも反論できなかった。
ただただ、顔がかっかと赤くなるばかり。
「それで、お前はどうなんだ?」
赤い顔の文次郎に、ニヤニヤと意地悪く笑う仙蔵が問う。
自分が正面切って告白した直後だというのに、よほどの自信がなければこんなふざけた表情はできない。
文次郎は理不尽な気分になって、素直になる気が失せた。
「一生言わねぇ…」
「そうか」
ごまかされたのに、仙蔵はなぜか嬉しそうだ。
簡単に答えは出る。要は消去法だ。
今まで、気にくわないだのお前は苦手だのと、散々悪態をつかれてきた。どうせこれからもそうだろう。
それらすべてを嘘だとすれば、本心はひとつになるしかない。なんてわかりやすい。
かわいいやつめ。仙蔵が口走るが文次郎にはギリギリで聞こえなかった。
正門の前に着いた。今度は一言呼べば事務員がやってくるだろう。
家に帰るまでが遠足だという。やっとで脱力できると文次郎は少し肩の力を抜いた。
しかし横からの先制攻撃。
「晴れて両思いになったんだ。これからは存分にイチャイチャしようではないか」
冗談なのか本気なのか仙蔵がそんなことを言うので、文次郎はぞわっと背筋に悪寒を走らせた。
「てめぇは…」
文次郎が抗議しようとした時、正門の内側からガチャガチャと解錠する音がして、話はそこで打ち切りになった。
不服そうな文次郎を横目に、仙蔵はいじわるく、でも少し幸せそうに笑った。
「これからもよろしく」
「ケッ」
文次郎が前途多難だと心の中でつぶやいた時、正門は開いた。
(仙文/終)