緊張した空気のたちこめる竹林。風の音すらしない。
そこにやってきたのは、ガサガサ、乱暴に草木をかきわけこちらへやってくる人の気配。
魔界之と文次郎は気配の方へ顔を向けた。
やってきたのは、先ほど文次郎を襲った山賊の1人。ヒゲ面の中年だった。
ボロボロの布を貼り合わせた粗末な着物に、そこら中にひび割れがある鎧を申し訳程度につけている。
ハゲ頭には鉢巻き。腰には帯刀。ぶらぶら揺れる手には酒瓶を持っていた。
「うぃ〜っひ…おい!先生さん、もらった金が足りねぇでよ、これじゃ仲間に酒が行き渡らねぇんだが」
そう文句を垂れる山賊はすでにかなり酒を飲んでいるらしく、呂律が回っていない。
フラフラの足取りでこちらにやってきた来客に、魔界之はやれやれといった様子で対応した。
「お金なら城に帰ればもう少しあげられる。だから今は席を外してくれないかい?いいところなんだ」
「いいとこぉ?」
山賊は視線を魔界之から文次郎に移した。
文次郎は山賊をギロをにらみつけたが、足を怪我して手を縛られて、息も絶え絶えの彼はどのように映っただろう。
山賊はひょうきんな声を出した。
「ほ〜、先生ぇそいつに何したんだ?さっきよりずいぶん大人しくなったじゃねぇか」
「なに、ちょっと盛っただけ」
ニコリと笑う魔界之に、意味を理解した山賊もニヤッと好色な笑みを浮かべる。
「そりゃーずいぶんなこったなぁ」
「なんなら君も混ざるかい?」
「へっへっへ…」
シュッ キィンッ
場にそぐわない音がした。
文次郎には何がおきたか一瞬わからない。――今、山賊は何投げた?
魔界之はそれをクナイで弾いた。
弾かれて、地面に深々と刺さっているのは…手裏剣?
魔界之は顔色ひとつ変えなかった。
「あまりに急いでいたのかな?この子を助けるために。軽率だなぁ、せっかくの変装が台無しじゃないか」
「でも、あなたは最初からわかっていたんでしょう?」
それはヒゲを生やした山賊にはあまりに不釣り合いの若者の声だ。
「まぁね、酒と着物でうまくカムフラしてるけど、山賊の臭いがしないよ、忍者くん。清潔感があだになったね」
「勉強になります」
そう謙遜して山賊の変装を解いたのは、普段は学園で青い忍装束を着ている者だ。5年ろ組の
「鉢屋、三郎…」
文次郎がその名を呼んだ。
「察しの通り、先輩を助けに来ました。こちらへ渡してくれませんか?」
「いやだと言ったら?」
「力ずくでも」
鉢屋は腰刀に手をかけた。
「あなたが先輩を連れて姿をくらまそうものなら、僕の能力すべてをもってドクタケを落城させます」
「できるのかい?」
「何年かかってでも」
「すごい意気込みだ」
「ええ、本気です」
「フフフ」
「……」
「君のような天才に目をつけられたら、さすがのドクタケも風向きが悪い。ここは穏便に済ませようじゃないか」
とうとう魔界之は折れたが、顔は始終笑ったままだった。
文次郎をそのままに、鉢屋の立ち位置の向こう側にある山道へ向かって歩いていく。
すれ違い様に鉢屋が言った。
「ここで僕を殺して、先輩と続きを楽しむこともできたんじゃないですか?」
あなたほどの人なら。
鉢屋の言葉を魔界之はさらりと流した。
「一時の戯れにそこまでするほど、私は遊び人じゃないんでね。だから手は楽にしていいよ」
鉢屋の手は刀に構えたままだ。
「もったいない」
魔界之が言う。
「君は策士の目をしているのに、そんなに感情的になっちゃあダメだ」
「…アドバイス、ありがとうございます」
「潮江先輩」
魔界之が去って後、鉢屋が文次郎のそばに寄る。
「大丈夫ですか?」
「…鉢屋、だな?」
「はい」
文次郎がもう一度名を呼ぶ。おそらく同じ顔の不破と確認しているのだろう。鉢屋が頷く。
「お前、なんでこんなところにいる」
「1年の子に頼まれたんです。潮江先輩を助けてくださいって」
「あのっ…団蔵…」
文次郎はなぜが恨みがましい声をあげた。
「立てますか?」
「…ああ」
鉢屋の手を借りて、文次郎がゆっくりと立ち上がろうとする。
しかし体に力が入らなくて上手くいかない。浮いた腰はまたドサッと地についた。
額には汗がにじんでいる。
「くそっ…」
「足を怪我されてますね」
「どーってこたねぇ」
「それに、何かよくないものを盛られたそうで」
「……」
文次郎は鉢屋に目を背けて、はぁ とため息を吐いた。
その横顔は怒っているようにも、悔しがっているようにも見える。
体が言うことを聞いていれば、石壁にでも大木にでもゴンゴン頭突きをしているだろう。
文次郎はごまかすようにガリガリ頭を掻いた。
「情けねぇ。しかもまさか5年に助けられるとはな」
6年の俺が。文次郎は自嘲の笑みをもらす。それが今の本音だった。
「無駄な手間かけさせて悪かった」
体に余裕などまったくなかったが、後輩を前にして無様な姿など見せられない。
文次郎は無理やりにでもいつもの先輩顔をした。
よろよろと立ち上がろうとして、しかしフッと暗くなった足下。
それは鉢屋の影だった。
「今からでも遅くないなら、6年の誰かに化けましょうか?」
「…は?何のためにだ」
「別に。でも先輩が望むなら、上級生でも教師でも、忍術学園全員の顔に変装できますよ」
文次郎は、鉢屋が冗談半分で自分を慰めようとしているのだと思った。
だから馬鹿にしたような笑いで返した。
「いらねぇよ、んなもん。どうせ中身はてめぇなんだから」
「……」
夜空に雲がかかり、月明かりが徐々に消えていく。
「僕は、助けに来なかった方がよかったんですか?」
文次郎が鉢屋を見上げる。
鉢屋は文次郎を見下ろしている。
その頭にわずかな月明かりは遮られている。逆光。
「後輩に助けられるなんて屈辱ですか」
何言ってんだ、いつも不敵に笑って、6年も5年も関係なく変装で化かしているお前らしくもない。
そう言おうとした文次郎の開いた口は、同じ鉢屋の口に覆われてふさがれた。
「!?」
開いた口から鉢屋の舌が入り込んで、歯の裏をなぞる。
「!!…んっ!」
いきなりの刺激に、ゾクゾクと悪寒のようなものが走って背をそらせた。
力の抜けた体は簡単に地面に倒される。
「…っは、…ちっ…!?」
口が離れたのはほんの一瞬。再び重なった唇。
混乱のせいか抵抗もろくに形にならない。
舌は口内を縦横無尽に動き回る。舌と舌をからめられ、唾液を混ぜ合わされ、どちらともつかない唾液の湿った音が出た。
濃厚とはいっても単なる口付け。なのに文次郎の馬鹿になった体はびくびくと過剰に反応した。
口を離された時、痺れた舌がつられて外に出る。途端に冷える先端。
糸を引く唾液はしばらく2人の口を繋いでいた。
「…はぁっ……」
「屈辱ですか?」
文次郎は鉢屋を見上げた。
だがやはり、月明かりを背に受けたその表情は黒ずんでいて、よくわからない。
相手の思惑がわからない。それは一種の恐怖をかき立てる。
文次郎の反応が遅れたのをきっかけに、鉢屋の手が文次郎の体に伸びた。
「鉢屋!?…やめっ…何を…!」
するっと懐に入り込んだ手は文次郎の着物を乱していく。
文次郎はその手を掴んで引いた。
しかし鉢屋の手は止まりこそすれ退きはしない。
「何を…なんて、こんな体でよく言えますね」
「ッ!!」
鉢屋の手のひらはアンダーシャツの下から肌に直接触れていた。
その手は冷たかった。そして、文次郎の体温は異常に高かった。
「欲情してるんでしょ?」
「違う!俺は、ちがう!」
文次郎は必死に首を振る。
「放せ!!どけ!!てめぇ、酔ってんのか!?」
手をつっぱねて鉢屋の体を押しのけようとする。
腐っても地獄の会計委員長。学園一忍者してると言われる男だ。5年の輩に力負けするはずはない。
なのに、いつもなら簡単に動かせるはずの後輩の体は岩のようにびくともしない。文次郎の腕だけがぶるぶると震えている。
「これが今のあなたの全力ですか?」
鉢屋が文次郎の腕を取って、ねじり上げた。
「イッ…」
痛みにうめく文次郎の顔に顔を寄せる。
「センパイ」
耳元で囁く。
「5年に助けられるのが嫌なら、5年に犯されるのはどうです?」
文次郎の表情が凍りつく。体がこわばる。
一瞬をおいてから逃げだそうともがく文次郎を、鉢屋は簡単に押さえつけた。
表情のない顔。
だって どうしても追いつけなくて いつも理不尽な憤りを感じていた。
しゅる
鉢屋は頭の鉢巻きをほどいて、文次郎の目にあてがった。
文次郎が状況を把握しきれないうちに素早く、乱雑に後頭部で縛れば、きつく目隠しされた文次郎の抵抗はいよいよ闇雲になる。
「なんだよこれ、鉢屋!!」
「……」
「鉢屋!返事しやが……ッあ!!」
文次郎の胸元から突起を探り当て、すでにツンととがっているそれをカリッと引っ掻いた。
「ひぃ!?」
盲目の文次郎にはいきなりの刺激だ。あがった嬌声は一際甲高かった。
「先輩が盛られた薬、すごい強そうですね。乳首が性感帯になってますよ」
「うっ…」
さらにそこを無遠慮にきゅっとつねれば、文次郎は身をよじって歯を食いしばった。痛いのか、イイのか。
鉢屋は半ば雰囲気に酔っていた。
目上の人の体を好き勝手にしてよがらせている優越感。
「はは、今の先輩みんなに見せて回りたい。わかります?着物はだらしないし、目隠しされてるし、髪ぼさぼさで、頬赤いし…めっちゃやらしー…」
「ッ、黙れ!」
いたたまれないのか、耳をふさごうと動く文次郎の手を鉢屋はひとまとめにして頭上に捕らえる。
あいた片手はこの隙にと文次郎の股間に伸びて、
「あっ!?」
「しかも」
服越しに突き上げている文次郎自身を撫でた。
「後輩を目の前にして勃たせてる」
「…!!」
目隠しごしに、文次郎が目をぎゅっと閉じたのがわかった。
頬が赤い。耳まで赤い。
鉢屋が口元だけで笑う。
「もっと乱してあげますよ、先輩」
どうやら薬が完全に回ったらしい。
文次郎の抵抗が止んで、それどころか快感を得ているのが顕著に見えた。
後ろから獣のように繋がる格好は、草木茂る野外には妙に似合う。
うなじに噛みつく。
「ふっ…うう…あ」
後孔に張りつめた男根を受け入れて、普段からは想像もできないか細い喘ぎを漏らす『先輩』。
鉢屋は上から文次郎をまじまじと見る。
髪は乱れ、赤らめた頬。目隠しの下にはきっと潤んだ目。
薬に冒された熱い体は快感に素直で、良いところを突いてやれば衝動的に腰が揺れる。
鉢屋は歯型の付いたうなじを舌で舐めた。
「盛られたせいだってのはわかるけど、とてもあなたの体とは信じられない…淫乱ですね」
言葉でなじれば、文次郎の肉付きのいい体がビクッとこわばり、彼の中に埋まった自分の一部も圧迫され、欲情を促される。
「く…ぁ…」
「ほらそうやって、僕を求めてる」
「っ、ちが、うぅ」
「どう違うっていうんだよ」
鉢屋のトーンが下がると同時に、前触れもなく激しい抽送を繰り返す。
左右に開かれた双丘のぬめった奥の奥をむちゃくちゃに押し擦られて、文次郎が悲鳴に近い嬌声をあげた。
肉を打つ音。粘ついた水音。心臓の音だと思うのは、もしかしたら性器が脈打つ音かもしれない。体中に鳴り響く。
「あっあっ、ひああっ!」
「潮江、先輩」
鉢屋が前屈みになって文次郎の耳を舐める。
耳の裏筋を舌先でなぞられて、文次郎が泣き声をあげた。
「遠慮せずにイけばいい」
そう言う鉢屋の呼吸は荒く、彼の昂ぶりも限界が近い。
首を振って我慢しようとする文次郎の前を、鉢屋の手が追いたてるように扱く。
「んっ、んー!…っあ…!!」
2・3度弄ばれただけで、文次郎はあっけなく達した。
初回ではない。すでに地面を汚している汁の上に重なる白濁。ただよう強い精の匂い。
射精と連結して断続的にひくつく秘穴の中で、鉢屋も体を硬くして射精した。
「んぁぁ…」
男とのアナルセックスの経験などない。初めて受け入れる精液の熱さが怖い。なのに阿呆になった体は悦んだ。
まるで砂漠の真ん中で水を与えられた魚のように。よくわからないのに、気持ちよくてたまらない。
射精し終えてくたった性器がぶるりと震えた。
「はぁっ…はぁ…」
文次郎の半開きの口から涎が垂れ、汗と混じってぽたぽたと地面へしたたる。
鉢屋はそれを目で追う。
まるで、彼を知らない人のようだと思った。
もしくは、自分が? そう思った時、気付いてハッとした。
「…あなたに目隠しをしてよかった」
荒い息を無理に抑えて、鉢屋は朦朧としている文次郎に呼びかける。
目隠しはとっさの行動だった。顔が見えなくなれば、先輩後輩という上下関係も曖昧になって都合がいいだろう、くらいの。
まさか、自分が、こんな、取り繕えなくなるほど心乱されるなんて思いもしなかった。
「僕は今、雷蔵の顔すらしていない」
結合をいったん解いて、ぐるんと体勢を変える。
仰向けに倒した文次郎の股を広げて、鉢屋がその間に入り込む。
鉢屋らしくない、戸惑いの含んだ緩慢な動作だったが、体に力が入らない文次郎に抵抗する術はない。
性器に手を添えて文次郎の秘穴にピタッとあてがい、そのままズッと挿入した。
「う、あ、あ…!?」
2度目だ。注ぎ込んだ精液が内壁に絡まって潤滑油代わりになり、今度は一気に奥まで入った。
反動で少量の精液が結合部から外に漏れた。
文次郎には何も見えないが、いやらしい水音が耳を犯す。
「あっ…ひぃ…」
2人の間で文次郎の性器は目に見えて育った。
あっという間に勃ち上がったそのものは、後ろから前立腺付近の内壁を異物が擦りあげる刺激に従順に反応した。
尿道口から先走りが出て、とろとろとサオを伝う。
月にかかっていた雲が途切れて、月光で周囲が少し明るくなる。
「先輩……」
鉢屋が、震える文次郎の顔に手をかけた。
涙で濡れた白い布をずらせば、文次郎の虚ろな目が鉢屋を見上げる。
「見てください。これが僕です」
どうせ正気に戻れば忘れてしまう。
だから口から出るのは、裸の願望。
「こんな僕を、好きになってほしい」
額と額を合わせて、目を閉じる。
露呈された自分自身の醜さに、いっそ目を背けてしまいたかった。
だけどこの機を逃せば、また隠さなくてはならない。一生。
そう思うと、それはもっと嫌だと思った。
だから、
「お願いです。僕を好きになってください」
呪文のように、洗脳するように、懇願するように、何度も繰り返す。
文次郎の返答はない。
目は開いているが焦点が定まらない。責めすぎたのか、意識が飛んでいるようだ。
それでも鉢屋はかまわず続けた。言葉も、行為も。止まらない。
「好きです、先輩」
止まるのが怖いのかもしれない。
文次郎が正気に戻った時、鉢屋は不破の顔で迎えた。
体の汚れをぬぐい身を整え、足の怪我には薬草を煎じ布で縛った。
「歩けますか」
「…ああ」
どちらともなく立ち上がり下山する。
文次郎には、最中前後の記憶はずいぶん抜け落ちているようだ。
ただ既成事実は体にも心にも消しようもなく刻み込まれた。
文次郎はそのことを恥だと思いこそ、鉢屋を憎みはしないだろう。そういう人だ。
2人の間には気まずい沈黙があったが、鉢屋の心は穏やかに澄んでいた。
森を抜ければ星空が見えた。
「今の6年生って、個性的ですよね」
「…そうか?」
「ええ。学園一クールだとか、元気だとか、無口だとか、不運だとか」
「個性にかけては5年もどっこいどっこいだと思うが」
「そうですか?」
4年にも学園一を名乗る輩はいるけど、あれは自称だし。
6年だけが、自他共に認める名誉称号を持つ、プロに一番近い忍者。
「その中でも、潮江先輩はやたら目立ってました」
級友たちが交わす噂は、事実そのままのものから尾ひれがついたものまで様々だった。
学園一忍者している6年。
地獄の会計委員の委員長。
最高学年い組のトップクラスの成績。
あの目の下の隈は夜の自主トレの産物だ。10日は寝ないでも平気らしい。
武道大会でも実習訓練でも、あの人ににらまれたら最後、100%失格になる。
将来の夢は学園長になること。
もう○○城からのスカウトが来たらしいが、一喝して追い返したそうだ。
すごいよな、俺たちには想像もできない世界だ。
春には忍術学園を卒業してプロの忍者になる6年と、春には最高学年になる自分たち像に現実味も持てない5年。
そこには雲泥の差があった。
藍色と深緑の忍装束が廊下ですれ違う。
合間見られぬ色の袂が近づき、交差し、離れる。
鉢屋は振り向くが、文次郎は隣の者と話しているので気付かない。
「…ずっと悔しかった」
鉢屋は夜空を見上げている。
この手が星を掴めぬように、
いくら6年の誰かの顔や着物を借りたとしても、自分が持って生まれたものはどうしようもないのだ。
どうして、
「どうしてもう一年早く生まれなかったんだろう。そうしたら僕にだって、あなたの横に並ぶ資格があるのに」
今まで黙って聞いていた文次郎が、ぱかっと口を開ける。
「バカタレ。貴様は何を勘違いしとるんだ」
鉢屋が文次郎の方に顔を向ける。文次郎は続けた。
「忍者は実力の世界だ。歳が上だの下だのは関係ない。実力がある者が実力のない者の上に立つ」
「先輩、それは本当に『忍者』での話でしょう」
「何が違う」
文次郎は鉢屋の言い分を少しはき違えているようだった。
鉢屋は脱力しつつ文次郎の説教に耳を傾ける。
「そのためには鍛錬あるのみだ」と主張する文次郎はまさしくいつもの先輩で、先ほどの情事などまるで夢か幻だと言わんばかり。
鉢屋が悲しそうに笑う。
「やっぱりあなたは遠い存在だ」
そのつぶやきに、文次郎は半ば怒っているような口調で言い返す。
「鉢屋、そもそもなぁ、俺の横に並ぶ資格なんてもんはねぇんだから、並びたきゃ勝手に並べばいいだろう」
鉢屋はぽかんと文次郎を見た。その言葉はとても意外なもので、うっかりあっけにとられた。
彼の隣に並ぶ資格なんてものは存在しない?
「それはどういう意味ですか」
「はあ?だから意味なんかねぇよ」
でも、
「僕と先輩の間には隔たりがあると思いませんか。後輩に助けられるのは癪だって、さっき言ったじゃないですか」
「それは…」
文次郎が一瞬つまる。
「たしかに、助けられたのは死ぬほど悔しかった。最高学年ともなれば意地もでかいからな」
じゃあ犯されたのはどれほど悔しかったのだろう…鉢屋は質問しようとして、やめた。話の腰を折ってしまう。
「だが対等という意味なら話は別だ。お前が俺に対抗心を持っているのは知らんかったが、おもしれぇ」
文次郎はニヤリと笑って言葉を続けた。
「真っ向勝負ならいつでも受けてやる。だから、そんなうじうじ悩んでんじゃねぇよ」
彼にとって、自分が悩んでいたものはとても小さく見えるらしい。
隔たりを感じていた距離を、飛び越えてもいいと言うのだ。
「……」
こんな、こんな嬉しいことがあるだろうか。
前方からの風は学園のにおいを運んできた。
特異な夜は明け、平穏無事――とは言いづらいが、また普段通りの毎日に戻る。
「鉢屋」
そういえば、と文次郎が鉢屋に呼びかける。
「お前の素顔、なかなか男前だな」
「!? なんだ、覚えてるんだ」
「薄ぼんやり。だが目に焼き付いた」
文次郎が不敵に笑う。
「なんだ、手品のタネを見破ったようで嬉しいな」
「そうですか…ああ、これで6年に悪戯をしかけにくくなったなぁ」
「ザマーミロ。油断するからだ」
「別にかまやしませんがね」
あなたは僕の弱みを握って嬉しいだろうが、僕はあなたに弱みを握られて嬉しい。
「先輩、僕はあなたが好きです」
行為の最中に何度も言った台詞を、今ここで告げれば、文次郎の顔は瞬時に赤くなった。
素顔同様、この台詞にも聞き覚えがあると見える。すりこみ効果かもしれない。
「な、何を浮ついたことを…」
「いいえ、これは真っ向勝負です。受けて立ってください」
しどろもどろになる文次郎に、今度は鉢屋が不敵に笑う番だ。
「いつか、遠くない未来。あなたの横にいるのは、誰にも変装していない僕自身でありたい」
勝手にしてもいいんですよね? そう確認して鉢屋は、文次郎の顔に手をのばす。
「〜〜〜」
いくら屁理屈で逃げ道をふさがれたとはいえ、文次郎は何の抵抗もしないのは妙だった。
「先輩?」
「くそっ…」
投げやりに吐き捨てて、赤い顔の双目を閉じる。
「好きにしろ」
「……ええ、では」
鉢屋が少し背伸びをして、文次郎に優しく口づけた。
(鉢文/終)