落花生





「せっかく遠い親戚の人たちも予定を合わせて来てくれたのに、肝心の兄さんがいなかったら何にも談義なんてできやしない」
「そいつらの予定があったとしても、俺には用事があったんだ。なぜ俺が、他の奴らの都合に合わせなければならない」
「だから用事って何だったのさ。それも言わないで、自分の我を通した後で正当化しないでくれる?」
白いベッドに腰を下ろしている学生服姿の攻爵を、同じく自分の高校の制服を着ている次郎が数歩先に立って見下ろしている。
ここは銀成学園寮、攻爵の住む一室。
先ほどから次郎の怒鳴り声が廊下まで響くが、今の時間は昼で皆授業で校舎に出払っており、気にする者は誰もいなかった。

昨日の日曜に、攻爵は蝶野の本家に日帰るはずだった。病気の治らない蝶野家の長男を議題に、親戚を含め、跡継ぎをどうするかの集会を行うと、事前に連絡していたからだ。
だが、攻爵はそれに来なかった。どこに電話をしても連絡がつかない。集会は行われたが、ほぼ何も決まらなかった。
次郎は身勝手な兄の行動に怒りを持て余し、今日は学校へ行くふりをして家を出、そのままここへ来た。
攻爵は病状が悪化した様子もなく、授業も出ないで、自分の部屋で何かよくわからないことをしていた。ほんの少しだけ、兄の身を案じていた弟は、安心するよりも怒りを増幅させた。
次郎ははじめは比較的穏便にしていたが、攻爵の薄い反応に痺れを切らし、徐々に悪態にならざるおえなくなる。
兄はもう家のことを見捨てている。見捨てられたのは自分なのに、まるで自分の意志のように、こうやって1人で自由気ままに暮らしている。寮だって仕送られている金だって、まだ蝶野家の恩恵のくせに。病気を盾にしてすべてから逃げている。なんて身勝手で、弱い人間なのだろう。次郎は攻爵が憎らしくてたまらなかった。
「もうその気がないなら、いっそ皆の前で公言すればいいじゃない。『俺はもうすぐ死ぬので跡継ぎにはなれません』って。そうしたら、僕が、」
僕が。
僕は…?
そこまで言って、次郎はなぜだか急に感情が冷めた。勢いのなくした思考は凝固し、無感動に自分を見る攻爵の青白い、整った顔立ちを睨みつけたまま、するりと、
「もし、兄さんが長男じゃなくて長女だったら、女だったら、こんなややこしいことにならなかったのにね」
そんなことを思って、同時に口に出した。
皮肉だったその言葉に、攻爵が「そうだな」と、深く考えない心にもない応答をする。
次郎は、また急にどろどろした怒りの感情が沸き出、頭から全身にどばっと流れ込むのを感じた。
この人は、本当に、僕らの育ったあの家に、弟である僕に、無関心なのだ。

ガタンッ

次郎が無言で歩み寄り、攻爵の学生服の白いシャツを掴みあげ、手を挙げようとする。
攻爵は左手で身を守り、右手で次郎の手を解こうと抵抗した。「何をする」とも言わない。まるで予想をしていたとでもいうような対応。
2人は数秒つれ合い、だが常に体調の悪い攻爵は至極あっさりと座っていたベッドに押し倒された。
次郎の両手が攻爵の細い首筋に両側から回り、ぐっと首を絞める。
「ぐ……かはっ……」
攻爵が苦しんで呻く。息が吸えないで体中に力を入れて、全身を震わせる。
次郎は無表情のままだったが、心中は穏やかではなかった。
(だめだ、こんなことをしたら、大変なことになる。早くやめないと。冗談だよって笑ってすませなきゃ)
(でも兄さんの首の細さったらない。血管や脊髄や神経や骨すら糸のように繊細なのだろうか。病魔に冒されているとしても、それはきっと、とても綺麗なのだろう。兄さんは完璧な人だもの。僕とは出来が違う)
僕は今、その完璧な兄を手中に収めているんだ。
酔った思考はセクスタシー(性的な陶酔)状態にも似て、今の状況とはまるっきり別の世界に飛んでいる。
なのに腕から手、指にかけては、加減をしないで思いきり力を入れて、ぎりぎりと人体の急所を圧迫し続ける。
攻爵が次郎、と名前を呼んだ気がしたが、確認する前にがくんと攻爵の体から力が抜けた。ずる、と次郎の腕を掴んでいた手が垂れ落ちる。
「兄さん?死んじゃった?」
次郎は攻爵の首からがちがちになった自分の手を解いた。首筋には痕だけが残った。
服越しに攻爵の胸に手を当てると、心臓の音はちゃんと続いていた。
「なぁんだ、気絶しただけか」
次郎は力の抜けた攻爵の顔に手を当て、乱れた前髪をさらりと梳かした。
綺麗な顔。よく自分とそっくりだと言われるが、僕はそう思わない。思えない。兄さんの方が端麗できめ細やかで、よくできている。(僕は粗悪で、本当は兄の複製画か何かかもしれない。)
「…本当に、兄さんが女の人だったらよかったのに」
そうしたら、こんなに憎まないのに。
優しくするのに。とびっきりに。