ホットライン (特別寄稿;2000年10月)


 幻の鉄道を訪ねて…大仏鉄道

訪ねた人:青木浩一

  お彼岸の2000年9月24日(日)、京都府相楽郡木津町を訪れました。
実は当日は、大阪府歩け歩け協会主催の「木津の里」ウオークが AM10時
から、JR木津駅を集合場所として開催されていました。
当初はこの催しに参加する予定でしたが、あいにくシドニー五輪の女子マラソンの日と重なってしまいました。個人的にはマラソン中継を優先しましたので、催しには中継終了後に遅れて参加となりました。

(蛇足ですが、高橋選手の金メダルは歴史に残る素晴らしい快挙でした。)

 遅れるといっても、集合のJR木津駅についたのが、AM11時ですからには誰一人おりません。仕方なく駅の案内地図(観光地図)を見て、大まかな地理勘を頭に入れて タートしました。幻の鉄道跡(廃線跡)は、観光地図にはなく、特殊な分野に属しますので 土地の名前を頼りに進みました。

参考資料{1}
約100年前に開通して、わずか9年余りで廃止された鉄道がありました。「大仏鉄道」です。これは1897年(明治30年)に名古屋〜加茂間を開通させた関西鉄道株式会社が、名古屋方面から奈良への観光客の誘致を図るため、引き続き加茂〜奈良間に木津を経由しない新線の建設を始めまし。翌明治31年には加茂〜大仏間8、8キロが、明治32年には大仏〜奈良間1、1キロが開業し、ここに加茂〜大仏〜奈良間、全長9、9キロの大仏鉄道が完成をみました。

「梅谷の里」という地名を頼りに、木津駅より国道24号線へ出てしばらく歩き、岡田国神社を過ぎて左折して県道?に入る。
 天神池では釣り人が糸を垂れたのどかな風景が続く。
 JRの線路を横切りて、左側には文廻り池が続く。井関川の流れに沿って登って行く。右手には「木津南ソレイユ」という住都公団の団地が造成中で、そのせいか川の水の色が濁っている。
 梅谷とおぼしき地点で、地元の人に「廃線跡」の場所を尋ねるが分からない!地元の人でさえ分からない場所を探すのは大変です。分岐点で思案する。どちらへ行くべきかと?勘で「美加ノ原カントリークラブ」方面・鹿背山(かせやま)への道を選ぶ。道がだんだん山道らしくなってきて、通行する人もなく、少し心ぼそい!

 途中で大きな建物が見えてきて、特別養護老人ホームと分かる。(芳梅園)

老人ホームを過ぎてしばらく竹林が続き、道が二つに分かれました。
相変わらず、誰一人として出会いません。一方はゴルフ場?へ、もう1方は?(標識がない)だが、こちらの道を選ぶ。
 のどかな道を下ると、古びた石の橋があり、そこを通り抜け目にした光景は!! 何と! 大阪府歩け歩け協会の旗をなびかせ、100数十人の団体が、こちらに向かって歩いてくるではないですか! ここで、やっと出会ったのです。

 今通った橋の前で、世話役らしき方が説明をされる。この橋が、「大仏鉄道」の廃線跡の「赤橋」ですと!何と! 今通った橋がそうだったんですね! すると今来た道は、廃線跡の道?だったのか!

参考資料{2}
 大仏鉄道はそのルートを最短距離となる平城山丘陵に設定していた為、加茂駅の標高が40メートルであるのに対して、大仏駅は70メートル、黒姫山で100メートルにもなりました。その結果、最急40分の1の勾配が連続する路線となり、明治時代の小さな蒸気機関車にとって、その運転は相当な困難を極め、イギリス製の新鋭機関車をもってもけん引きギリギリで、石炭の消費量も多かったと云われています。
 大仏駅は加茂〜大仏間の開通に併せて、奈良市の現在の佐保小学校付近に設置されました。駅舎は田んぼの中に土盛りのホームと、片流れの上屋・平屋の駅舎二棟と茶店、人力車の帳場があっただけのものでしたが、伊勢や名古屋から大仏に一番近い駅として、参拝客で賑わったそうです。

 さて言われて見て、先ほどに橋をつくづくと見直しました。赤いレンガと、白い御影石の組み合わせが美しい橋台です。言われればなるほど!廃線跡の感じがしてきます。その上を車が通過していきます。現在はゴルフクラブへの町道となっているようです。さて、ここで迷いました。皆に付いて行って元来た道を戻るのか?それとも一人で皆が来た方向へ行くのか?戻るのはつまらない、先へ行こう!!と決断!!

 協会の方に事情を話して、来られた道の地図を拝見するが、あまりよく分からない?また当然かもしれないが、標識は何もない!との事。感覚的に方向を頭に入れて、皆と分かれて前へ進む。

 少しいくと、のどかな里山、田園風景が展開します。稲穂が一面に広がり、里山と柿の果樹園が点在し彼岸花が咲いています。天候も秋のやわらかな日差しが、田園一体を包んでいます。彼岸の日にふさわしい光景に詩心を触発されて、一句詠んでみました。

 1、
「廃線のなごりの里か彼岸花」

 
2、
「幻の鉄道跡か彼岸花」

 そしてしばし里山に包まれて、ひとときの時間を過ごしました。しばしの休憩の後、田園地帯をのんびりと歩く。しばらく行くと、JR関西本線が見えてきます。 ここで道が二手に分かれます。迷いましたが左の道を進むことにします。

 さてJRの高架の少し手前に掲示板があり、この辺りが鹿背山と呼ばれる 場所と分かりました。そして付近を見渡すと何と!!トンネル跡らしき物があるではありませんか!雑草が生い茂り、その奥にトンネル跡が見えます。近くには下りていけそうもないのですが、これが大仏鉄道の「梶ケ谷トンネル」跡でしょうか?何も標識がなく、周りの風景に溶け込んでしまっています。しばし眺めていると、近くを関西本線の電車が通過しました。のどかな田舎の田園風景です。なんとなく「絵になる」情景です。

参考資料{3}
 奈良の人々が、徐々に大仏駅より、奈良駅を利用するようになり、開業からわずか3年後の明治34年に乗降客が激減しました。そして明治40年8月21日に、加茂〜奈良間に平坦な現在のJR関西本線のルートが開通したため、大仏鉄道は廃止され、11月には駅舎とレールの撤去が開始されました。大仏鉄道は、開業からわずか9年余りで、その姿を消したことになります。
 現在、大仏鉄道の名残としては、わずかな鉄橋やトンネルなどの土木構造物が、路線沿いに点在し、現存しているに過ぎません。

 大仏鉄道の廃線跡は、木津地区だけでなく、加茂駅に沿って3ヶ所の橋脚跡があり、奈良駅に沿っては3ヶ所のトンネル跡と、大仏駅跡付近につくられたモニュメントがあります。大仏駅は、奈良市の現在の佐保小学校付近に設置されたそうです。今回は時間等の関係で、そちらまで足を伸ばせませんが、是非一日をかけて訪ねてみたいものです。

梶ケ谷トンネル跡?に別れを告げ、関西本線に沿って、田園地帯を一路木津 駅に向かいます。20世紀の最後の年のお彼岸に、19世紀の末に開通し20世紀初頭に消えた「幻の大仏鉄道」を訪ねたのも、何か縁があるのかも知れません。


「追伸」

 その後の調べで、木津にはもう一つ「幻の鉄道」があることを知りました。
加茂駅〜新木津駅(廃止)を結んだ短絡線です。この鉄道も、大仏鉄道と同様に関西本線のルートの完成により廃止される運命となりました。そして、この短絡線の敷設の際に建設された「鹿背山トンネル」は、現関西本線の「不動山トンネル」の開通により廃止となりました。実は私が大仏鉄道の「梶ケ谷トンネル跡」と思ったのは、この廃線となった「鹿背山トンネル跡」だった可能性が高いのです。場所的にいってピッタリの場所なのです。それでは、「梶ケ谷トンネル跡」はどこでしょうか?これも、次回の旅の楽しみにとっておきたいと思います。             

 

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更新日; 00/10/02 10:07