ホットライン (特別寄稿;2000年9月)
全日本シニアソフトボール大会に参加して 去る9月7日から4日間の日程で黄金の稲穂がたれる秋田県本庄市において日本ソフトボール協会主催の「第14回全日本シニアソフトボール大会」が開催された。 初日は、全国から県予選を勝ち抜いてきた晴れの48代表が堂々の入場行進をした開会式が水林球場(本荘市内)で行われ、夜は近くのホテルでレセプションがあった。 サラリーマンなら既に定年を迎えた年代である60才代の青春真っ盛りのはつらつとした700人余の“若人”がニコニコと楽しそうに集った。 わが郡山チームは、奈良県予選を勝ち抜いて晴れてこのシニア大会には初めての参加でしたが、既に年輪ピックの参加経験があり、落ち着いて15人全員が元気よく参加できた。 強豪、東京選抜に惜敗 初戦突破を合言葉に万全の体制で臨んだわがチームだったが、わずかの隙を衝かれた巧者東京チームの前に無念の涙をのんだ。試合展開は完全に郡山ペースで中盤の5回まで進み、後半に入った6回に勝利を意識し過ぎてわずかな心の隙をつくってしまい、捕手の連続エラーによる2点を献上し再逆転を許して、最終回の反撃も実らず万事休した。
<先発メンバー>
1回と6回の攻防が明暗を分ける 郡山は2死二塁にランナーをおいて4番安井のセンター前ヒットで二塁ランナー(平田)が本塁寸前で憤死。三塁ベース付近でグランドコンディション不良から足をとられたのが走塁失敗の原因となる。 その裏の東京の攻撃では1塁手と二塁手の連続落球エラーでピンチをひろげて1点献上した。これも普段の守備位置でない二人を責められない遠因があった(采配ミス)。このあと、1塁手と三塁手の守備位置の交代もあり内野の守備が安定してくる。 郡山の3回の攻撃は華やかな連続ヒットで逆転し、安井の外野飛球犠打で3点目を奪取し断然優位にたつ。 さらに明暗を分けたのは6回の攻防だ。郡山の攻撃は2死三塁にランナーを置いて4番安井のフルカウントからの打球はだれもがセンター前へのクリーンヒットを疑わなかった。そんな会心の快音が響き渡った。フルカウントになり相手ベンチは敬遠のサインを出すも投手はストライクを獲りに来る。
ピッチャー返しに徹していたバッティングは投手を強襲する。 快音を発したが、その瞬間無念にも投手のグローブの中にすっぽりとボールが納まっていた。不運な一打といわざるを得ない。 その裏の東京の攻撃では、バッテリーの呼吸がいつものように合わずボールが先行してまたも連続四球を出し傷口を広げてしまう。いつものような萩原投手のイキのいいピッチングが見られないままに失点を重ねる羽目となる。そして問題の連続2つの捕失をやり、無駄な2点を与えてしまい逆転を許す。この6回の攻防がこの試合の明暗を分けたといえるだろう。 結局、被安打数は2本、郡山チームは東京選抜の速球投手から7本の安打を奪っており、試合は完全に勝っていたのに、最後の勝負に負けてしまった。 最大の敗因は執念の違い 最大の敗因は、勝利への執念の違いであったような気がしてならない。わがチームは精神的弱さがあって勝利の意識過剰が空回りしたのではなかったか。 もうひとつ敗因を上げるならば、私の1回表のバッティングに関連する二塁走者の走塁ミスと6回の相手投手のファインプレ−においてすでに相手チームに勝利の女神が転がり込んでいったのであろう。あまり勝利にこだわりたくないが、初戦突破の絶好のチャンスであっただけに無念残念だ。 わたし自身のことを振り返ってみると、シニアチームの新人で「4番 サード」の重責を背負ったプレッシャーを跳ね除け実力以上の戦跡を残せてホットしている。 ことに10日前の練習中に起こした左足大腿部の肉離れは正直言って戦線離脱を覚悟していた。完全ではない体調を騙し通して戦えたことに感謝したい。 この直前10日間にわたって歩行すら困難だった怪我から出場できるところまで回復させていただいた「西郡山接骨医院」米本徳雄先生の献身的な治療に対しても心から深甚なる敬意を表したい。 家族の応援や周囲のみなさんのご支援でフル出場ができかつ実力以上の結果を出すことができたことを神に感謝したい。 2000.9.10/朝日や・たか塾にて/安井孝成 <参考> ・ 開会名:第14回全日本シニアソフトボール大会 ・ 主 催:(財)日本ソフトボール協会 ・ 後 援:秋田県、本荘市、由利町、矢島町、秋田県教育委員会 ・ 会 期:平成12年9月7日〜10日 ・ 会 場:本荘市水林球場、本庄市鶴舞球場ほか ・ 参加チーム数:48チーム ・ 参加メンバー:大和郡山シニアソフトボールクラブメンバー15名 宿泊地:旅館 榮太楼(秋田市/ 一会 の 縁 に心を尽くす 風格の宿)
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Copyright (C) 2000 Tsutomu Takemoto
更新日; 00/09/16 08:38